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1982-04-01 第96回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十七年四月一日(木曜日)     午後一時四分開議  出席委員    委員長 唐沢俊二郎君    理事 今井  勇君 理事 大石 千八君    理事 丹羽 雄哉君 理事 深谷 隆司君    理事 金子 みつ君 理事 森井 忠良君   理事 平石磨作太郎君 理事 米沢  隆君       木野 晴夫君    古賀  誠君       戸沢 政方君    長野 祐也君       葉梨 信行君    浜田卓二郎君       山下 徳夫君    池端 清一君       川俣健二郎君    田邊  誠君       永井 孝信君    塩田  晋君       浦井  洋君    小沢 和秋君       菅  直人君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 森下 元晴君  出席政府委員         外務大臣官房審         議官      藤井 宏昭君         厚生大臣官房長 吉村  仁君         厚生省公衆衛生         局長      三浦 大助君         厚生省年金局長 山口新一郎君         厚生省援護局長 北村 和男君  委員外出席者         内閣総理大臣官         房参事官    造酒亶十郎君         法務省民事局第         四課長     筧  康生君         法務省訟務局民         事訟務課長   篠原 一幸君         外務省アジア局         北東アジア課長 小倉 和夫君         大蔵省主計局共         済課長     野尻 栄典君         大蔵省主計局主         計官      兵藤 廣治君         郵政省貯金局第         二業務課長   塚原  登君         労働省職業安定         局庶務課長   高橋柵太郎君         労働省職業安定         局業務指導課長 若林 之矩君         社会労働委員会         調査室長    河村 次郎君     ————————————— 委員の異動 三月二十三日  辞任         補欠選任   小里 貞利君     江崎 真澄君   金子 岩三君     小澤  潔君   木野 晴夫君     久野 忠治君   菅  直人君     田川 誠一君 同日  辞任         補欠選任   江崎 真澄君     小里 貞利君   小澤  潔君     金子 岩三君   久野 忠治君     木野 晴夫君   田川 誠一君     菅  直人君     ————————————— 三月二十三日  腎疾患総合対策早期確立に関する請願(鳥居  一雄君紹介)(第一四六六号)  同外一件(金子みつ紹介)(第一六〇八号)  同(川本敏美紹介)(第一六〇九号)  同(山口鶴男紹介)(第一六一〇号)  年金官民格差是正に関する請願池端清一君  紹介)(第一四八〇号)  同(岡田利春紹介)(第一四八一号)  同(北山愛郎紹介)(第一四八二号)  身体障害者に対する福祉行政改善に関する請願  (池端清一紹介)(第一四八三号)  同(岡田利春紹介)(第一四八四号)  同(北山愛郎紹介)(第一四八五号)  障害福祉年金受給者所得制限廃止に関する請  願(池端清一紹介)(第一四八六号)  同(岡田利春紹介)(第一四八七号)  同(北山愛郎紹介)(第一四八八号)  労災年金厚生年金等完全併給に関する請願  (池端清一紹介)(第一四八九号)  同(岡田利春紹介)(第一四九〇号)  同(北山愛郎紹介)(第一四九一号)  在宅重度障害者介護料支給に関する請願(池  端清一紹介)(第一四九二号)  同(岡田利春紹介)(第一四九三号)  同(北山愛郎紹介)(第一四九四号)  労働者災害補償保険法改善に関する請願(池  端清一紹介)(第一四九五号)  同(岡田利春紹介)(第一四九六号)  同(北山愛郎紹介)(第一四九七号)  無年金脊髄損傷者救済に関する請願池端清一  君紹介)(第一四九八号)  同(岡田利春紹介)(第一四九九号)  同(北山愛郎紹介)(第一五〇〇号)  在宅重度障害者暖房費支給に関する請願(池  端清一紹介)(第一五〇一号)  同(岡田利春紹介)(第一五〇二号)  同(北山愛郎紹介)(第一五〇三号)  身体障害者雇用に関する請願池端清一君紹  介)(第一五〇四号)  同(岡田利春紹介)(第一五〇五号)  同(北山愛郎紹介)(第一五〇六号)  労災重度被災者暖房費支給に関する請願(池  端清一紹介)(第一五〇七号)  同(岡田利春紹介)(第一五〇八号)  同(北山愛郎紹介)(第一五〇九号)  労災脊髄損傷者遺族年金支給に関する請願  (池端清一紹介)(第一五一〇号)  同(岡田利春紹介)(第一五一一号)  同(北山愛郎紹介)(第一五一二号)  労災重度被災者終身保養所設置に関する請願  (池端清一紹介)(第一五一三号)  同(岡田利春紹介)(第一五一四号)  同(北山愛郎紹介)(第一五一五号)  重度障害者福祉手当増額に関する請願池端  清一紹介)(第一五一六号)  同(岡田利春紹介)(第一五一七号)  同(北山愛郎紹介)(第一五一八号)  旧々労災被災者労働者災害補償保険法適用に  関する請願池端清一紹介)(第一五一九  号)  同(岡田利春紹介)(第一五二〇号)  同(北山愛郎紹介)(第一五二一号)  労災年金最低給付基礎日額引き上げに関する  請願池端清一紹介)(第一五二二号)  同(岡田利春紹介)(第一五二三号)  同(北山愛郎紹介)(第一五二四号)  医療福祉年金制度改善等に関する請願(  中村茂紹介)(第一六〇五号)  老人保健法案廃案に関する請願木間章君紹  介)(第一六〇六号)  同(渡辺三郎紹介)(第一六〇七号)  ベーチェット病調査研究班の存続に関する請願  (金子みつ紹介)(第一六一一号)  社会保障福祉改善等に関する請願金子み  つ君紹介)(第一六一二号)  療術制度化阻止に関する請願後藤茂君紹  介)(第一六一三号)  同(堀昌雄紹介)(第一六一四号)  寒冷地療養担当手当改善に関する請願(木間  章君紹介)(第一六一五号)  同(上坂昇紹介)(第一六一六号)  同(渡部行雄紹介)(第一六一七号)  同(渡辺三郎紹介)(第一六一八号)  社会保障及び建設国保組合改善に関する請願  (田口一男紹介)(第一六一九号)  老人医療費有料化所得制限強化反対等に  関する請願井岡大治紹介)(第一六二〇  号)  同(竹内猛紹介)(第一六二一号)  同(広瀬秀吉紹介)(第一六二二号) 同月二十九日  寒冷地療養担当手当改善に関する請願(林百  郎君紹介)(第一六四二号)  同(嶋崎譲紹介)(第一六七五号)  老人保健法案廃案に関する請願戸田菊雄君  紹介)(第一六七四号)  年金官民格差是正に関する請願小川国彦君  紹介)(第一六八一号)  同(小杉隆紹介)(第一七四七号)  身体障害者に対する福祉行政改善に関する請願  (小川国彦紹介)(第一六八二号)  同(小杉隆紹介)(第一七四八号)  障害福祉年金受給者所得制限廃止に関する請  願(小川国彦紹介)(第一六八三号)  同(小杉隆紹介)(第一七四九号)  労災年金厚生年金等完全併給に関する請願  (小川国彦紹介)(第一六八四号)  同(小杉隆紹介)(第一七五〇号)  在宅重度障害者介護料支給に関する請願(小  川国彦紹介)(第一六八五号)  同(小杉隆紹介)(第一七五一号)  労働者災害補償保険法改善に関する請願(小  川国彦紹介)(第一六八六号)  同(小杉隆紹介)(第一七五二号)  無年金脊髄損傷者救済に関する請願小川国彦  君紹介)(第一六八七号)  同(小杉隆紹介)(第一七五三号)  在宅重度障害者暖房費支給に関する請願(小  川国彦紹介)(第一六八八号)  同(小杉隆紹介)(第一七五四号)  身体障害者雇用に関する請願小川国彦君紹  介)(第一六八九号)  同(小杉隆紹介)(第一七五五号)  労災重度被災者暖房費支給に関する請願(小  川国彦紹介)(第一六九〇号)  同(小杉隆紹介)(第一七五六号)  労災脊髄損傷者遺族年金支給に関する請願  (小川国彦紹介)(第一六九一号)  同(小杉隆紹介)(第一七五七号)  労災重度被災者終身保養所設置に関する請願  (小川国彦紹介)(第一六九二号)  同(小杉隆紹介)(第一七五八号)  重度障害者福祉手当増額に関する請願小川  国彦紹介)(第一六九三号)  同(小杉隆紹介)(第一七五九号)  旧々労災被災者労働者災害補償保険法適用に  関する請願小川国彦紹介)(第一六九四  号)  同(小杉隆紹介)(第一七六〇号)  労災年金最低給付基礎日額引き上げに関する  請願小川国彦紹介)(第一六九五号)  同(小杉隆紹介)(第一七六一号)  老人医療費有料化年金改悪中止等に関す  る請願栗田翠紹介)(第一七二〇号)  同(四ツ谷光子紹介)(第一七二一号)  食品医療行政確立に関する請願東中光雄  君紹介)(第一七二二号)  老人医療費有料化反対国民健康保険給付  改善等に関する請願広瀬秀吉紹介)(第一  七二三号)  社会保障及び建設国保組合改善に関する請願  (高沢寅男紹介)(第一七二四号)  社会保障福祉改善等に関する請願上原康  助君紹介)(第一七三八号)  療術制度化阻止に関する請願原健三郎君紹  介)(第一七三九号) 四月一日  早稲田医療学園のあん摩、はり、きゆう科設置  認可反対等に関する請願外五件(甘利正君紹  介)(第一七八四号)  同(伊藤公介紹介)(第一七八五号)  同(石原健太郎紹介)(第一七八六号)  同(小杉隆紹介)(第一七八七号)  同外四件(河野洋平紹介)(第一七八八号)  同(田川誠一紹介)(第一七八九号)  同外五件(中馬弘毅紹介)(第一七九〇号)  同(山口敏夫紹介)(第一七九一号)  同(依田実紹介)(第一七九二号)  同(安藤巖紹介)(第一八六〇号)  同(岩佐恵美紹介)(第一八六一号)  同(浦井洋紹介)(第一八六二号)  同(小沢和秋紹介)(第一八六三号)  同(金子満広紹介)(第一八六四号)  同(栗田翠紹介)(第一八六五号)  同(小林政子紹介)(第一八六六号)  同(榊利夫紹介)(第一八六七号)  同(瀬崎博義紹介)(第一八六八号)  同(瀬長亀次郎紹介)(第一八六九号)  同(辻第一君紹介)(第一八七〇号)  同(寺前巖紹介)(第一八七一号)  同(中路雅弘紹介)(第一八七二号)  同(中島武敏紹介)(第一八七三号)  同(野間友一紹介)(第一八七四号)  同(林百郎君紹介)(第一八七五号)  同(東中光雄紹介)(第一八七六号)  同(不破哲三紹介)(第一八七七号)  同(藤田スミ紹介)(第一八七八号)  同(藤原ひろ子紹介)(第一八七九号)  同(正森成二君紹介)(第一八八〇号)  同(松本善明紹介)(第一八八一号)  同(三浦久紹介)(第一八八二号)  同(三谷秀治紹介)(第一八八三号)  同(蓑輪幸代紹介)(第一八八四号)  同(村上弘紹介)(第一八八五号)  同(山原健二郎紹介)(第一八八六号)  同(四ツ谷光子紹介)(第一八八七号)  同(渡辺貢紹介)(第一八八八号)  療術制度化阻止に関する請願永井孝信君紹  介)(第一七九三号)  国立腎センター設立に関する請願河上民雄君  紹介)(第一七九四号)  同(嶋崎譲紹介)(第一九〇九号)  年金官民格差是正に関する請願春田重昭君  紹介)(第一八〇〇号)  身体障害者に対する福祉行政改善に関する請願  (春田重昭紹介)(第一八〇一号)  障害福祉年金受給者所得制限廃止に関する請  願(春田重昭紹介)(第一八〇二号)  労災年金厚生年金等完全併給に関する請願  (春田重昭紹介)(第一八〇三号)  在宅重度障害者介護料支給に関する請願(春  田重昭紹介)(第一八〇四号)  労働者災害補償保険法改善に関する請願(春  田重昭紹介)(第一八〇五号)  無年金脊髄損傷者救済に関する請願春田重昭  君紹介)(第一八〇六号)  在宅重度障害者暖房費支給に関する請願(春  田重昭紹介)(第一八〇七号)  身体障害者雇用に関する請願春田重昭君紹  介)(第一八〇八号)  労災重度被災者暖房費支給に関する請願(春  田重昭紹介)(第一八〇九号)  労災脊髄損傷者遺族年金支給に関する請願  (春田重昭紹介)(第一八一〇号)  労災重度被災者終身保養所設置に関する請願  (春田重昭紹介)(第一八一一号)  重度障害者福祉手当増額に関する請願春田  重昭紹介)(第一八一二号)  旧々労災被災者労働者災害補償保険法適用に  関する請願春田重昭紹介)(第一八一三  号)  労災年金最低給付基礎日額引き上げに関する  請願春田重昭紹介)(第一八一四号)  老人医療費有料化中止保育施設拡充等に  関する請願小林政子紹介)(第一八二九  号)  民間保育事業振興に関する請願瀬長亀次郎君  紹介)(第一八三〇号)  老人医療費有料化年金改悪中止等に関す  る請願安藤巖紹介)(第一八三一号)  食品医療行政確立に関する請願四ツ谷光  子君紹介)(第一八三二号)  原子爆弾被爆者等援護法制定に関する請願(  岡田正勝紹介)(第一八五五号)  同(小渕正義紹介)(第一八五六号)  同(西田八郎紹介)(第一八五七号)  同(米沢隆紹介)(第一八五八号)  難病対策強化拡充に関する請願粟山明君紹  介)(第一八五九号)  民営旅館業の経営安定に関する請願足立篤郎  君紹介)(第一八九四号)  同(今井勇紹介)(第一八九五号)  同(小沢一郎紹介)(第一八九六号)  同(木部佳昭紹介)(第一八九七号)  同(左藤恵紹介)(第一八九八号)  同(佐野嘉吉紹介)(第一八九九号)  同(塩谷一夫紹介)(第一九〇〇号)  同(田中龍夫紹介)(第一九〇一号)  同(田村良平紹介)(第一九〇二号)  同(中尾栄一紹介)(第一九〇三号)  同(中村弘海紹介)(第一九〇四号)  同(原健三郎紹介)(第一九〇五号)  同(原田憲紹介)(第一九〇六号)  同(堀内光雄紹介)(第一九〇七号)  同(柳沢伯夫君紹介)(第一九〇八号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す  る法律案内閣提出第三〇号)  国民年金法等の一部を改正する法律案内閣提  出第四〇号)      ————◇—————
  2. 唐沢俊二郎

    ○唐沢委員長 これより会議を開きます。  内閣提出戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。森井忠良君。
  3. 森井忠良

    森井委員 今度の法案はいい点も非常に多いのですね。物価の値上がりが四・五%でございますから、五%以下でも法案提出をなさったわけでございますから評価ができるわけでございます。ただ、玉にきずと申しますか、一つだけ悪い点があるのですね。それは例のスライド時期の一カ月おくれの問題です。これさえなかったら私どもはもろ手を挙げて賛成するところなんですが、残念でございます。なぜ一カ月おくらすのですか。
  4. 北村和男

    北村政府委員 年金額引き上げ実施時期につきましては、国の厳しい財政事情でありますとか、それから臨時行政調査会の第一次答申におきまして恩給増額などを極力抑制することとされたこと、それから恩給など他の公的年金引き上げ実施時期との関係諸般事情を考慮してそのような措置をとったものでございます。
  5. 森井忠良

    森井委員 いまぶすぶすっと返答がありましたけれども、それは理由にならないと思うのですね。よその恩給年金等が一カ月おくれましたから私のところもおくれました、これではもう全く自主性がないじゃないですか。  それではちょっとお伺いしますが、他の公的年金等が一カ月スライド時期がおくれるのはどういうわけですか。
  6. 北村和男

    北村政府委員 ただいま申し上げました同様の事情によるもの、そのように考えております。
  7. 森井忠良

    森井委員 同様の理由というのが聞きたいわけです。なぜ一カ月おくらしたのか。理屈にならぬかもしらぬがあるんじゃないですか。公務員の賃金との関係とか、あるいはボーナスの関係とか私どももちらりほらり聞いていますが、少なくともこの法律国家補償法ですね。ほとんどの年金というのは御案内のとおり社会保障ですね。社会保障についてあなたが説明をされるようにいろいろな事情でおくらさざるを得ないということがあるとすれば、百歩譲ってそれはまたお聞きすることがあると思うのですが、国家補償というのはあくまでも国民国家の行為によって迷惑をかけた、これが基本だと思うのです。そうしますと、その迷惑をかけた本人が都合が悪いから金を払えない、こういうのと同じ理屈になるのです。これはずいぶん手前勝手な話で、社会保障というのはある意味で相関関係はあると思うのですが、国家補償というのは先ほど言いましたようにあくまでも字のとおり国家が補償するわけです。その点からいけば、私は社会保障国家補償はみそもくそも一緒にした理屈だと思うのです。もう一遍考え直す意思はありませんか。
  8. 北村和男

    北村政府委員 お説はまことにごもっともでございますが、何分先ほど申し上げたような事情と、それから援護法は旧軍人軍属に対します処遇のうち主として軍属に関する部分を受け持っているわけでございますが、軍人恩給法も同様の措置をとったことに伴っての措置でございます。
  9. 森井忠良

    森井委員 これは率直なところあなたを責めても答弁非常につらいだろうと思うのです。大臣もつらそうな顔をして聞いていらっしゃいますからこれ以上申し上げませんが、明確に申し上げておきますが、きわめて不満でございます。先ほども金がないとおっしゃいましたけれども、先般の一般質問に関連をするわけでございますが、この際明確にしておいていただきたいと思うのですが、こういった国家補償法、それから厚生年金国民年金あるいは原爆の諸手当等々一連のものが一カ月スライド時期がおくらされるわけでございますが、厚生省関係のそういった一カ月スライド時期をおくらすことによって削減される予算というのは幾らになるのか、お答えできる人から答えてください。
  10. 北村和男

    北村政府委員 援護法関係分につきましては、一カ月六億でございます。厚生省全体のことにつきましては、ただいま調べてお答えを申し上げます。
  11. 森井忠良

    森井委員 では後で言ってください。私は大体百億だと聞いております。厚生省の九兆円になんなんとする予算の中でたった百億の金が出せませんか。  せんだって一般質問のときに、私は第二薬局の問題を取り上げました。不正請求とは言いませんが、少なくとも脱法的な第二薬局によりまして、レセプトの枚数にしてざっと二千万枚くらいは第二薬局からの請求と言われております。処方せん料だけでも一枚五百五十円、五十五点ですから、二千万枚と言えば幾らになりますか。それだけでもう百億を超すのですよ。私どもがしばしば、第二薬局は社会的な公正からしてもおかしい、是正をしなさい、規制をしなさいと言っても、いまもって規制をしていない。第二薬局は去年から見ればふえているじゃないですか。去年の報告によると千七、いま第二薬局は千百をはるかに超しているでしょう。しかも、これは全部精密に調べたものじゃない。精密に調べれば恐らく千二百にも千三百にもなっておるかもしれない、調査をしてないのですから。  しかし、かねがね指摘しておりましたように、いま申し上げましたように、第二薬局から請求される処方せん料だけ見ましても、百億を超すむだがある。これを直さないでおって金がないというのはどういうことですか。これ以上追及はしませんけれども、十分考えていただきたい、私は強く反省を促しておきます。あなたの所管じゃありませんからこれ以上申し上げません。ただ、金がないからといって、そういった戦争の犠牲者でありますとかお年寄りや障害者を泣かすということについては、私は激しい義憤を感じております。  大臣、どうでしょうか、この点一点だけ。
  12. 森下元晴

    森下国務大臣 厳しいゼロシーリングという中で厚生行政、特に福祉行政が後退した、そういう中で一カ月約百億が出せなかったのかというようなお説でございます。私どもは、真に必要な内容のものは後退させないように全力を挙げてきたわけでございますけれども、全般の国家財政の中でごしんぼう願いたいということがこういう数字になってあらわれてきたわけでございます。  ただ、先ほどもおっしゃいましたように、特例的にスライドだけはやらせていただいたということで、百点満点ではございませんけれども、厳しい財政情勢の中でこういう措置がとられたということをひとつ御賢察いただきまして、ごしんぼう願いたいというのが偽らざる気持ちでございます。
  13. 森井忠良

    森井委員 率直に申し上げますが、ことし、自民党多数でこの法律が仮に通るといたしますと一カ月おくれるのですが、それはことしだけの措置なのか、あるいは来年も引き続いてずっと一カ月おくれのままなのか。いつかも申し上げましたように、少なくともスライド時期の繰り上げについては年々苦労しながらようやく今日までのスライド時期に来たわけですね。それが一カ月おくれるということで音を立てて瓦解するような福祉の後退を私は感じるわけです。言われておりますようにことしはやむを得ないにしても、では来年以降どうなるのか、一カ月おくれのままなのか、戻してくれるのか、あるいは来年はもっとおくれるのか。  来年のことを聞いたら鬼が笑うという話がありますが、そんなことじゃ許せませんよ。来年はもとに戻すと約束しなさい。局長どうですか。
  14. 北村和男

    北村政府委員 大変厳しい事情は明年も変わらないということは想像できますけれども、私どもは、明年度財政状況諸般情勢を勘案しながら予算要求の際までに態度を決めたい、そのように考えております。
  15. 森井忠良

    森井委員 態度を決めたいということなんですが、それじゃもう一つ、これは事務当局である援護局長に虚心坦懐に聞くわけですけれども、ことしの一カ月おくれるという措置は普通の状態ですか、そうじゃなくて、きわめて残念で申しわけないという気持ちなのか、あなたの心境をお伺いしたい。  それから厚生大臣、恐縮でございますが、もう一度、いまのスライド時期の将来の問題について、事務当局の答弁の後お答えをいただいたら結構だと思います。
  16. 森下元晴

    森下国務大臣 ことしのように一カ月おくらすということはまだ決めておりません。やはり五十八年度の予算要求を取りまとめる段階で方針を決めたいということでございます。  なお、昨年のあの厳しいゼロシーリングを出されたときは、実は五、六カ月もおくれた案であったのが、一カ月おくれにとどまったわけで、これは決して自慢にはなりませんけれども、五十八年度の予算がどういう厳しい情勢になるか、また反対に楽になるか、これはいまのところわからない段階でございまして、できるだけもとに戻すような努力はいたしますが、ここで明言はできません。
  17. 森井忠良

    森井委員 私といたしましては、いずれにしても来年はぜひもとへ戻していただくように、これは強く要求をいたしておきます。  次の問題ですが、私の手元に一つの戦死公報が届いております。これは昭和二十二年八月十二日、広島県安佐郡亀山村長が出した戦死公報でございまして、あて名は張龍文殿、「戦歿者の件通報」、これが首題であります。「貴殿兄用碩殿昭和二十年六月三十日ルソン島方面に於て戦死せられた旨公報に接しましたので御通知申し上げると共にここに謹みて深甚の弔意を表します」、これだけの一枚の紙でございます。昭和二十二年ですから終戦後間もなくというわけでございますが、れっきとした日本の村の役場から日本人であります張さんに対しまして、お兄さんが亡くなられましたという戦死公報を届けたわけでございます。私はこれを見せられまして、これでもなお日本の政府は私たち遺族に対して何もしてくれないのですよと、涙ながらに訴えられました。  もう申し上げるまでもありませんが、亡くなったときは戦争中です。これはルソン島で亡くなっていらっしゃいますが、日本人です。日本の軍人です。いろいろなことをやりました。日韓併合、あるいは戦争がひどくなりますと兵役法を改正して朝鮮人の方々まで戦争に巻き込んだ。もう多くは申し上げませんけれども、紛れもなく日本兵として戦死を遂げられたわけでございます。このあとまだ附属の文書もあるのでありますが、役場が主宰をいたしましてちゃんと遺族番号等つけまして合同の慰霊祭等も開いておられます。国の礎として亡くなった人たちだ、こう説明もしてございます。私は涙を禁じ得ませんでした。  いまの戦傷病者戦没者遺族援護法では、私どもが国会でたび重なる指摘をしておりますにもかかわりませず、国籍要件が依然として存在をしております。この法律によりますと二つ要件がありまして、亡くなったときその人が日本人であること、これは恐らく厚生省も異論のないところだろうと思うのです。ところが今度は受け取るべき人、障害者でありますとか遺族でありますとか、そういった方が受け取るときに日本人でなければ支給することができないという二通りの網がかぶさっておりまして、いま私が読み上げましたような人々は結局国家補償、援護の対象になっていない。  局長、これはどういうわけですか。
  18. 北村和男

    北村政府委員 御指摘のように、援護法には国籍要件がございます。これは先ほどお答えを申し上げましたように、軍人軍属に対します国家補償は、軍人は主として恩給法で、それから軍属等につきましては主として援護法でこれを対象といたしております。いわば恩給法援護法とは対をなすものでございまして、恩給法におきまして国籍要件を課しておりますので同様の取り扱いをしているわけでございます。
  19. 森井忠良

    森井委員 御承知のとおり、二月二十六日に台湾にいらっしゃる元日本兵の方々の国家補償を求める訴訟の判決が東京地裁でございまして、結果として請求は退けられたかっこうになっていますが、大きな注文がそこでついているわけですね。いまの日本の法律では支給することができないが、しかしこれはすぐれて政策の問題であるという指摘がなされております。  私はいまでも十分理解ができないと思いますのは、たとえば陸海軍共済というのがございましたね。これは台湾の方も当然入っていらっしゃる。そして、この人たちは、陸海軍共済というのがなくなりましたから、したがって国家公務員共済組合連合会が継承して今日に至っていますね。いわゆる旧令共済と称されるものです。この旧令共済については、台湾にいらっしゃる方でも、あるいは韓国にいらっしゃる方でも朝鮮民主主義人民共和国にいらっしゃる方でも理論上は同じかと思いますけれども、これは支給可能なんですね。これが支給可能であってどうしてその枠にはまらなかった————枠にはまらなかった方はいわゆる戦傷病者戦没者遺族援護法で救済をする形になっているのですね。共済組合きちっとある人は旧令共済で救済をされているわけですから、その枠にはまらない方は戦傷病者戦没者遺族援護法で、これは日本人とかそうでないとかという議論は別にいたしまして、法のたてまえとしては————もう一度申し上げますと、陸海軍共済があった、それは国家公務員共済組合連合会が引き継いだ、そこで従来と同じように共済年金の支給が可能になっています。その範疇にはまらない人については戦傷病者戦没者遺族援護法というのが昭和二十七年につくられました。できたときは軍人恩給も一緒です。しかし軍人恩給は一年たったら御承知のとおり恩給法の適用になりましてこれは逃げていきましたけれども————まあ逃げたというと語弊がありますが、別の法律の適用になりましたけれども、いずれにしても援護法というのは、私に言わせれば、やはり陸海軍共済、それを引き継いだところの国家公務員共済組合連合会、これの補完として戦傷病者戦没者遺族援護法が出された。     〔委員長退席、今井委員長代理着席〕 調べてみますと、結局どこが違うのか。旧令共済の場合は要するに内地勤務の人が中心になっている。そうでしょう。戦傷病者戦没者遺族援護法はむしろ戦地勤務の人が対象になっている。これはお認めになりますか。
  20. 北村和男

    北村政府委員 そのとおりでございます。
  21. 森井忠良

    森井委員 そうなりますと、内地勤務の人は救済ができる、今度の台湾の元日本兵なり軍属の方で言えば、私、調べる時間がなかったので、新聞の記事によれば、一名ですけれども旧令共済の受給者がいる。ですから、これは、一人ということは、理論上はまだおれば支給できるということだと思うのですけれども、内地勤務の人は救済をされて外地勤務の人は救済されないというのはなぜですか。同じ外国人で、これも差別になるのじゃないですか。
  22. 北村和男

    北村政府委員 恩給法といい援護法といい、国と一定の使用関係にあった者に対して補償をすることになるわけでございまして、援護法におきます軍属等につきましても、いろいろな細かいケースはありましょうけれども、やはり国の一定の使用関係を前提にしておりますので、同様に国籍要件を課しているものだと考えております。
  23. 森井忠良

    森井委員 僕ちょっと聞き漏らしたのかもしれませんが、旧令共済は国籍要件はないのですよ。そして戦傷病者戦没者遺族援護法、便宜上援護法と申し上げます。援護法にだけ————それは恩給等もありますけれども、この件に関して言えば援護法は国籍要件がついている、旧令共済は国籍要件がない、こういうことと違いますか。
  24. 北村和男

    北村政府委員 内地勤務、外地勤務によって当時の法制がどのように取り扱いをしたかということにつきましては、またいろいろ問題もあろうかと思いますが、結果的には旧令共済その他は掛金を掛けさしてこれに対する給付を行うということでございます。しかし恩給法援護法は国の責任として、国家補償として行っているもので、取り扱いがおのずから変わってくるのではないかと存じます。
  25. 森井忠良

    森井委員 おのずと変わってくるとおっしゃいますが、戦地へ出向いた人に共済年金を掛けさせることができますか、軍人以外に軍属もたくさんおったわけですから。できないからこそやはりそういった方に均衡上戦傷病者戦没者遺族援護法をつくらなければならなくなった、立法の過程からいけばそうだと私は思うのです。それは昔兵隊さんや軍属で労働組合でもあればわれわれも共済年金掛けさせろなんという議論があったかもしれません。それはないのだから、一枚の紙切れで戦地へ行かされたのですから、しかも戦争しておるときに年金の掛金なんて掛けられるはずがない。それでは内地と外地と均衡がとれないということで、戦傷病者戦没者遺族援護法というのは制定をされた、こう理解するなら、法のもとに平等といういまの憲法のたてまえからしても、私は援護法に国籍要件があるというのはどうしても納得できない。  先ほど申し上げましたように、具体的に日本の村の役場から、あなたのお兄さんは亡くなられましたよといって、戦死をなさった丁重な公報までお出しになっている。これは日本人だからということでしょう。そうして、ある日突然、本人の意思とは全く関係なしに国籍を剥奪をされたのです。これも私はむちゃくちゃだと思う。あのサンフランシスコ条約の当時、本当に日本の政府が親切なやり方をするのなら、本人の自由意思に任すべきだ。日本の国籍と韓国もしくは朝鮮民主主義人民共和国、扱い上は朝鮮ということになっているらしいですけれども、いずれにしても本人の選択でこれは二重国籍だってあり得るわけだから。しかも、金が絡むということになるのなら当然みんな日本国籍を置きますよ。実際には詐欺みたいなものなんだから。一方的に、日本人じゃなくなりましたから、本来支給すべきはずの障害年金遺族年金等支給はしないことになりました、こういう理屈でしょう。しかも、大臣、これは長い間、一回や二回の国会じゃございません。毎年議論になっています。いみじくも台湾の元日本兵の方の一審の判決が出たことによって、いまようやく国内の世論というものが盛り上がりつつあるという状況です。  いま台湾元日本兵の方々の問題については、私どもの先輩、同僚の議員の皆さんが超党派で議員連盟をおつくりになって、一生懸命研究をなさっていらっしゃいます。しかし、この人たちは日本の国にいらっしゃらない方なんです。当然この人たちも救済をしなければなりません。これも非常に必要なことだと思いますが、当面日本にいらっしゃって、肉親を失ったり、あるいはまた体に障害を持たれて呻吟をしていらっしゃる方の救済がなぜできないのですか。納得のいく答弁をしてください。
  26. 森下元晴

    森下国務大臣 国家補償でございます戦後処理の問題、まだ片づいておらない問題がたくさんございまして、私どもも非常に胸の痛む思いでございます。先般の中国におる日本人孤児の問題もそうでございますけれども、台湾人の元日本兵の問題、また北鮮、また韓国、そういうかつて日本人として戦場にお立ちになった方々の補償ができておらない。情的には私どもも非常に申しわけないという気持ちと同時に、これだけ日本が世界的にも経済大国と言われるほどの国になったわけでございますから、そういう点でも当然お報いしなければ申しわけない、そう思っております。  しかしながら、先般の裁判でも、いまの法律では日本国籍がなければだめだというような判決が出ましたし、これを行政的にいかにしたらいいかという点につきまして、私どもも実は苦慮をしておるわけであります。そういうことで、法律的に解釈するといま局長が御答弁申し上げたとおりでございますけれども、やはり法律に温かい血を通わすのが政治でございまして、この台湾人元日本兵の問題も含めまして、厚生省としては前向きで検討しなければいけない問題である。非常にむずかしい問題だと思いますけれども、そういう気持ちでおることは、私も一旧軍人としての務めでもある、こういうことで努力をいたしたいと思っております。
  27. 森井忠良

    森井委員 大臣から前向きな御答弁をいただいたのですが、御案内のとおり昨年難民条約の批准に伴う関係国内法の改正がございました。いままでどうしても実現がしなかった、たとえば国民年金等への加入が認められることになってまいりました等々、幾つかの改善が出たわけですね。おととしまでは率直に申し上げまして余り変化はございませんでしたが、去年そういった在日外国人の皆さん、なかんずく朝鮮あるいは台湾の皆さんにも国民年金法等が適用されることになって喜ばしいことだと思うのですが、もうそこまで来ておるのですよ。先ほど局長が答弁をいたしました例の恩給とこの援護法だけになった、こう申し上げていいのです。あとちょっとなんですよ。ぜひひとつその点に御留意をいただきまして、来年には色よい返事がいただけますように強く私は要求をしておきたいと思うのです。来年までに御検討いただけますか。
  28. 森下元晴

    森下国務大臣 非常にむずかしい問題でございますが、全力を挙げてやっていきたい、検討いたすことを申し上げます。
  29. 森井忠良

    森井委員 それから事務当局にお願いをしておきますが、本来でございますと、私が先ほど読み上げました戦死公報に載っております張さんのような例の場合は、当然のことでありますが、国籍要件さえなければこれは援護法の対象になる可能性が非常に強いわけですから、ぜひひとつ記憶にとどめておいていただきたい、このことをお願い申し上げておきます。  さて、次の問題ですが、大臣御案内のとおり、戦争犠牲者の救済というのは次から次へといろいろ問題が出てまいります。たとえばソ連に抑留された皆さんがいま抑留中の補償を求めて全国的な運動をしていらっしゃいます。私は当然の要求だと思っております。そういった方々の問題や、あるいは原爆被爆者の皆さんの国家補償法がまだできておりません。さらには、三月十日は東京大空襲でございましたけれども、あれだけのたくさんの方々が亡くなられましたけれども、これもいまもってまだ未解決でございます。私ども社会党は、戦時災害援護法等参議院へ出して毎年要求しておりますけれども、依然として実現をしていない。  ただ、本委員会でも少しずつ進歩はあったわけでございまして、たとえば満蒙開拓青少年義勇軍、これは義勇開拓団まで広げていただきました。その前からいきますと、警防団でありますとかあるいは医療従事者でありますとか、いずれにいたしましても軍と身分関係等があった者、特別権力関係があった者等については、徐々にではありますけれども、少しずつ戦争犠牲者の枠は広がってまいりました。該当者の救済というのはそのまま突き放されて、遡及をしてもらえるという性質のものじゃないものですから、これは一年おくれればおくれるだけやはり損をするのですね。本当に気の毒にたえないと思うのです。しかし、いまからでも遅くはない。まだ救済をすればそれぞれの犠牲者に対します私どものささやかな気持ちは満たされるという感じもしてなりません。  そこで、気になるのは、昭和四十二年に総理府総務長官あるいは大蔵大臣、それに党の役員等も入りまして、例の戦後問題はこれで終わりですという覚書みたいなものがございますね。その後、先ほど御披露申し上げました警防団、医療従事者等々が救済をされてきておりますから余り気にもならないような気もするのですけれども、いま行革旋風が吹いておりまして、いろいろな意味で後退をさせられておるという現実があるものですから、この際戦争犠牲者の救済について基本的には私どもまだ触れなければならない問題が頭にある。樺太の方もいっぱいある。大臣の中におありだと思うのでありますが、いっぱいある。しかし、それは同時にぱっとはできないということも財政上の理由からわかります。その意味で、緩急順序をつけなければいけないとも思うのですね。私どもも、それはよく理解できます。しかし、いま申し上げました四十二年の覚書で、例外はありましたけれども、基本的にはふやさないということなのか。物によっては、調査をして掘り起こしたらこれは深刻だというものもまだ出てくる。調査研究、その上に立って必要なものは救済していくという基本的な立場だけは大臣からぜひ明確にしていただきたいと私は思うわけでございますが、いかがでしょうか。
  30. 森下元晴

    森下国務大臣 私は、一応終わったと解釈しておりまして、その後いろいろと新しい問題が起こっておりますし、また、それに対する対処も行われておるわけでございますから、全部打ち切ったというふうには思っておりません。
  31. 森井忠良

    森井委員 次に、これを片づけていただかないと日本の戦後はまだ終っていない、そういう問題がございます。  御案内のとおり、戦争中は、朝鮮からたくさんの、特に若い人々が中心になりまして、一片の徴用令書というものが発付をされまして、それをもらいますと、無条件で軍の命令に従いまして軍需充足会社等へ行かなければならない。朝鮮人の皆さんは、そういった徴用令書によっていわゆる応徴をして、そして肉親と別れ、過酷な労働を強いられた。これはもう私から御指摘を申し上げるまでもありませんが、無数に犠牲者がいらっしゃいます。  そして、日本が戦争に負けまして、当然のことでありますけれども、政府の責任において祖国に帰ってもらうという作業が始まってまいりました。全部帰還をしていただいたはずなのに、実はたくさんの方々が途中で亡くなられました。  特に私が御指摘を申し上げたいのは、昭和二十年の九月ないし十月に襲ってまいりました枕崎台風、阿久根台風、ちょうどそのときにぶつかった方々が、残念なことに、本来でしたら祖国に帰っていらっしゃるはずなのに帰っていらっしゃらない。いま遺族の人たちが一生懸命になって、血眼になって、せめて遺骨だけでもないものだろうかと捜査をしておられるわけでございます。戦後三十数年たちましたからとても生きてはいないだろうということから、現に韓国内には、いまもって帰ってこない、そういった遺族の方々が、せめて遺骨だけでも戻してほしいという叫びをもって、一生懸命遺族会等を結成していらっしゃいます。  多くは申し上げませんが、その気持ち、ちょうどいま日本政府、厚生省が、かつて第二次世界大戦のときにアジアを中心に侵略戦争を行ってまいりました、激戦があちこちで繰り返されました、そして戦死をなさった方で、いまもってまだ遺骨が日本に帰還をしていない、こういうことで、厚生省みずからも外国へ出向かれまして遺骨の収集に当たっていらっしゃる。私は同じ気持ちではないかと思うのですが、この際、厚生省の重要な施策の一つとして海外へ遺骨収集をしていらっしゃるその動機と意義というものはどこにあるのか、伺っておきたいと思います。
  32. 北村和男

    北村政府委員 旧戦域におきまして不幸な死を遂げられたかつての軍人、民間人が安らかに故郷のお墓に眠ることができるように、国民的合意の上でこれらの遺骨収集を行い、また慰霊巡拝、慰霊碑の建設等を援護局が行っているわけでございます。
  33. 森井忠良

    森井委員 確かにそのとおりですね。一刻も早くすべての遺骨が日本に帰ってきていただきますように、私どもとしてもこれからの政府の努力に期待をしたいと思っております。  同時に、いま申し上げましたように、韓国にまだ遺骨が帰っていない。これは大変なことだと思うのですけれども、私は、具体的に先ほども申し上げました二つの台風によりまして長崎県の壱岐、対馬両島周辺にたくさんの遺骨が存在をしておることを聞いております。  外務省はこの遺骨の問題について、聞くところによりますと、長崎県当局に対して調査を依頼をなさいました。四十九年ですね。どういう経過の報告であったのか、大要でよろしゅうございますからお答えをいただきたいのと、その報告に基づいて何をおやりになったのか、明らかにしていただきたいと存じます。
  34. 小倉和夫

    ○小倉説明員 お答え申し上げます。  ただいまの先生の御指摘なさいました調査につきましては、昭和四十九年当時に、いま先生の御指摘のございました遺族会の方々から、韓国にございます日本大使館を通じまして、遺骨の確認につき協力の依頼がございましたので、私どもの方から長崎県等に調査を依頼したことがございます。しかしながら、県、地方自治体からの当時の御返事では、何分相当な時間がたったことでもありますので、またその時間がたったということだけではなくて、遭難時の状況が台風ということでございましたので、遺体の氏名その他は確認できないという返答を得ております。  それから先生がおっしゃいました第二の点、その後外務省として何をしたかという点でございますが、これはその後社会労働委員会におきましてもこの問題について御議論がございまして、私どももそういった御議論を受けまして、この問題の徴用された先であります三菱造船の方と遺族の方との話し合いの場みたいなものをつくったらどうかという御指摘もございましたので、私どもの方でそういう場をつくらせていただいてお話をするように奨励と言うとおかしゅうございますが、そのような機会を設けさせていただいた、そういうようなことをしております。
  35. 森井忠良

    森井委員 長崎県からの報告は、私はいま写しを持っておるわけですけれども、当時、対馬、壱岐に相当数の溺死体が漂着した事実については確認できた。これが第一ですね。それから二番目は、その遺体は韓国人の遺体である。その根拠として、当時の壱岐日報あるいは長崎新聞等々の新聞記事に加えて、「四十九年五月上旬遭難船員の遺族と称する者が、芦辺町を訪れている事実。死体処理に従事した者の証言、住民の風評等から、その大部分は韓国人であることが、ほぼ間違いないと推定される。」こういうふうになっていますね。  これは外務省の御認識と一緒でしょうか。
  36. 小倉和夫

    ○小倉説明員 そのとおりでございます。
  37. 森井忠良

    森井委員 そこで、そういう多数の遺体が漂着をしたことについて調査をしてみますと、こういう事実が明らかになっております。  それは、昭和二十年九月十五日、広島にあります当時の名称で三菱重工業広島機械製作所、いまは広島造船所等になっておりますけれども、ここで働かされておりました徴用工の方が二百四十名にわたって祖国へ帰ることになった。九月十五日です。これは陸路でございますから、荒れ果てた広島駅から出発をしたものでございますけれども、そして北九州方面に到着をした。具体的には戸畑港から木船によって祖国への帰還をしようとした。  ところが、当時のことでございますから、そのときは波静かな海であっても、途中で大あらしになった。戸畑を出たのは九月十七日。これはちゃんと目撃者もいらっしゃいまして、明確になっておるわけでございますが、その十七日、十八日といえば、枕崎台風が襲ってきた一番ひどいときです。ちなみに申し上げますと、この人たちは、先ほども申し上げましたように、三菱重工業広島工場で過酷な労働を強いられて、非常に苦労をした被爆者です。一人残らず被爆者ですよ。それが九月十七日に、一刻も早く帰りたいということから、危険ではありますけれども木船で出発をした。そして台風に襲われたというケースです。そして皮肉なことに、日本人としては申しわけない限りでございますけれども、台風が来たから、壱岐にあります芦辺町の芦辺湾内に船もろとも避難をしております。ところが上陸をさせない。警防団等が朝鮮人の皆さんを上陸させるなということで上陸をさせない。やむなく大あらしの中で船で過ごそうとしたけれども、船が転覆をした。こういうことが各種の証言で明らかになっています。  それから、徴用工の皆さんといえば、単に広島、長崎だけじゃありません。御案内のとおり全国の炭鉱その他いろいろなところで強制労働をさせられておるわけでございますけれども、そういった方々が祖国へ送還をされることになった。もちろんこれは当時の内務省の通達によりまして。内務省の通達ですけれども各省協議をしておりまして、もちろん厚生省も一枚かんでおる、一枚どころが非常に重要な部分にかんでおりまして、内務省の警保局あるいは管理局、厚生省は健民局、勤労局といったところが一緒になりまして、そういった強制移住をさせられた朝鮮人の徴用工の皆さん方を朝鮮に送り返そうじゃないかという通達を出した。その通達には二つの意味があります。一つは、送り先は釜山であるということ。九州じゃありません、釜山まで送り届けるということが一つ。それからもう一つは、送り届ける場合に、必ず引率者を事業所の責任においてつける。この二つが骨子であります。そういった形で、いま申し上げました三菱の被爆徴用工だけでなくて、全国的に送還が始まったものと思われます。  ですから、そういう意味からいけば、大部分の方は無事お帰りになった。木船を使われて行かれた方が中心になって大きな人的な被害が出たということでございまして、枕崎台風から約一カ月置いて阿久根台風というのがございました。ここでも大量の遭難者が出ておられるわけでございます、お気の毒にたえませんけれども。  申し上げましたように、現地の人々、調査に行った方々の証言によりますと、壱岐の場合は、船は湾内まで来ている、芦辺湾まで来ているのに、まだかつての憲兵の威光等があった時代ですから、敗戦が八月十五日でございましょう、九月の十五日ですから、一カ月しかたっていない。大台風でようやくどうにか避難できそうだというので入ってきたその湾内、上陸を拒んだ。これは数々の証言がございます。遺骨を発掘した皆さんの話を聞きますと、親子がしっかりと抱き合って、ですから、お母さんらしい遺体がかわいい子供さんを抱いたままの状態で埋葬してあるというような涙ぐましい話を聞きました。一体こんなことをほっておいていいのかという感じが私はいたします。  ちょっと話に出ましたから申し上げますが、最初は三菱と交渉されました。これは後で申し上げますが、未払い賃金その他補償の問題があるものですから、むしろ重点がそちらにいって、補償の問題と片づけて外務省も、先ほどの答弁のようにいままでの交渉のあっせん等をしてきておられる。ついでに申し上げますが、三菱はもうけんもほろろです。そんなことはあずかり知らぬ。よく外務省が言葉に使います、もう日韓条約によって請求権は放棄したんだからと。こういうことで、三菱は一切の債権も債務もありませんという形になっています。これも後で申し上げますが、ともかくそういうひどい仕打ちの中でこの問題が推移をしてきておるわけでございます。  どうでしょう、ここまでの事実は、どこか間違っておりましょうか。
  38. 北村和男

    北村政府委員 私どもが承知いたしておりますのは、先ほど先生からお話のありました四十九年当時の、長崎県から照会先の外務省に対する報告をちょうだいして知っておりますのと、それから五十二年当時でございますか、参議院の社会労働委員会でいろいろ御質疑があった内容については承知をいたしております。
  39. 森井忠良

    森井委員 外務省、どうですか。
  40. 小倉和夫

    ○小倉説明員 先生がおっしゃいました事実関係につきましては、私どもが現在把握しているところとほぼ同じと思っております。
  41. 森井忠良

    森井委員 そこで、率直に申し上げまして、遺骨というのはあくまでも遺骨でございまして、どなたの遺骨かわからない。しかし、先ほど外務省もお認めになりましたように、大半が韓国の出身の方だ、そういうようなことについては把握ができるわけでございます。しかし、いずれにしても遺骨の大半というのは、これは氏名不詳でございます。聞くところによりますと、やはり宗教上の配慮でしょうか、埋葬されております、これは土葬ですけれども、発掘をしてみますと、何百という遺体が全部やはり朝鮮半島の方に向けて、祖国の方に向けてずっと埋葬してあったという証言がございます。  やはり心ある人々が中心になりまして、韓国人遺骨等戦後処理をする会という会をおつくりになって、そしていろいろ運動をなさっている。矢も盾もたまらなくなって現地へ出向いて行かれ、芦辺町の町長さんの許可を得まして、埋葬がえのための発掘作業をやって、そしてそこで荼毘に付されて、八十六の遺体はとりあえず本土に持ち帰った。特に関係者が多いであろうと思われる広島まで運ばれて、現在広島県のお寺に安置をされているわけであります。これは八十六体ですから、まだ壱岐の島の一部でありまして、対馬その他打ち上げられた遺体は非常に多うございます。先ほど援護局長の御答弁にもございましたけれども、日本からかつての戦地でございました外国へ遺骨収集に行くのと同じ気持ちなら、やはり私はこの際何としても、ひとつ遺骨収集のための努力をすべきじゃないか、こう思うわけでございます。  まず、その点について厚生省の考え方を承っておきたいと思います。
  42. 森下元晴

    森下国務大臣 戦後処理の問題として、遺骨収集問題は遺族の方の非常に強い願望でございまして、東南アジアまた太平洋地域へ毎年収集のために参っております。先般も実はフィリピンからか、遺骨が帰りまして、厚生省に仮安置をしてございます。これは、それぞれの関係の国でお許しを得るならば、また遺族の方が求めるならば、厚生省としては引き続いてやっていきたい、そういう強い姿勢でおるわけであります。宗教的にも、この遺骨に対する考え方は韓国の方と同じでございまして、その気持ちはわれわれはよくわかります。  また、私どもが海外のそういう戦場であったところで、その地域、地域の方々が非常に人道的に遺骨収集のために御協力をいただいておるということを思いました場合、この問題につきましては積極的に御協力を申し上げるべきである。いろいろ行政上の責任はないと考えられておりますけれども、人道的な見地に立ってどういうことができるか、関係者間で十分検討してまいる考えでございます。
  43. 森井忠良

    森井委員 大臣が検討してくださるということでございますから、ぜひひとつよろしくお願いをしたいと思いますが、ここ七、八年前から何とかしなければという運動が起きているわけですが、その運動していらっしゃる人の一人は、かつて三菱重工の広島の工場で、徴用工の皆さん方を指導員として指導されておった方なんです。そういった方が中心になって、何とか遺骨をもとに戻してあげたいと、自分の費用を費やして日本国じゅう、といっても西日本ですけれども、あちこち走り回って、ようやく壱岐にそういったものがあるということを突きとめた、こういうことなんです。  ただ、私ここでちょっと強調しておきたいと思いますことがあるのは、実は、現地で慰霊碑ができているのです。これは「大韓民国人慰霊碑」となっておりまして、これはいま写真を持っておりますけれども、りっぱな慰霊碑をつくっていただいております。これは、四十二年の三月十九日に芦辺町の布谷嘉治さん外二名の方が発起人になられまして、もちろんそういう善意に満ちた行いでございますから、町当局も協力をされ、具体的な支援もなさったようでございますけれども、りっぱな慰霊碑ができております。  しかし、これは申し上げますように一部だけです。当然、いままで政府の手で慰霊の行事をやったことがない。私も不勉強で多くは知らないのですけれども、たとえば祐天寺というところに厚生省が韓国人の皆さん方の遺骨を現在預かってもらっていらっしゃいますね。毎年一回、丁重に弔っておられるというふうに聞いています。私は、先ほど大臣、御検討いただくわけでございますから、もうそれ以上の性急なことはいま申し上げませんけれども、いま御指摘をいたしましたように、現実にそういった慰霊をしなければならない状態でいまもって放置をされている遺骨があるということを、そういう意味では遺骨の問題について聞いていただくのは恐らく私の発言が初めてじゃないかと思うのですが、あとは昭和五十二年に参議院等でおやりになっていらっしゃいますけれども、三菱との補償の関係でいままで議論が続いたというふうに聞いています。  その意味では、いま申し上げましたように、具体的に韓国の方々の墓地、といいますか、仮埋葬なさったところがあるわけでございますから、この際お願いをしておきたいと思うのですけれども、なるべく早い時期に現地調査等をまずおやりいただきたい。     〔今井委員長代理退席、委員長着席〕 これは、現地へ行っていただきますと、たとえば当時の町の人が、あるいは町役場が具体的に救助活動をしたような事実、あるいは台風の状況、先ほど申し上げましたように日本の心ある人々が韓国人の皆さんの委託を受けて、土葬から荼毘に付してお寺へ持って帰ったときの経過等々は当然把握ができると思いますので、私は、そういった方々との話し合いも含めて、早急に現地調査をしていただきたいと思いますが、いかがでしょう。
  44. 北村和男

    北村政府委員 ただいま大臣からお答えを申し上げましたような趣旨で事を運びたいと思っておりますし、また、昭和五十二年当時、当時の渡辺厚生大臣からも、御質問に対しまして、人道上の問題でもあり、また韓国との友好の問題もあるから十分に事務当局に外務省と連絡をとらせたいというような御発言もございます。十分検討をいたしたいと考えております。
  45. 森井忠良

    森井委員 この際、調査をしていただくように御検討願うということなので申し上げておきますが、遺骨を引き取ってもらう団体がございませんとこれは恐らくお困りだと思うのです。遺骨を引き取ってもらう団体は、これは社団法人でございますが、韓国にございます韓国原爆被害者協会、現在は辛泳洙さんという方が会長になっていらっしゃるようでございますけれども、この団体がたとえば去年十二月二十三日、広島県庁におきまして新聞記者等に語っておられるところを聞きますと、これはぜひ自分のところで受け入れさせていただきたい、しかもこのことは韓国政府の内諾を得ておる、そういう御発言がございました。外務省は遺骨を収集いたしましてもこれはまた後の処理が大変だと思うのですが、そういうことで、受け入れ団体は韓国原爆被害者協会、そしてまた、その下に遺族の会がございます。いま遺族は五十数人が明確になっておるわけでございますが、広島三菱重工徴用工韓国人被爆者沈没遺族会、大変長い名前ですが、これは盧長寿さんという方が会長をしていらっしゃいます。ちなみに申し上げますと、盧長寿さんという方は盧聖玉さん、これは日本流に読むので大変恐縮ですけれども、盧聖玉さんという弟さんを亡くされた方です。これもまた広島の三菱徴用工のいわゆる朝鮮人指導者として当時おられた方でございます。実はこの人が、盧聖玉さんという方が先ほど申し上げました九月の十五日、広島から出発して引率して釜山に送り届けようとして途中で海難事故に遭って亡くなられた、こういう経過の人でございますが、そういう団体が一つございます。これは韓国原爆被害者協会の下部団体のような、加盟団体になっておるようでございます。もう一つ、生き残りの皆さんの団体もあるわけでございまして、韓国人原爆被害者三菱徴用者同志会。どちらも昭和四十九年にできておるわけでございます。  外務省は、いま申し上げましたように、厚生省調査が終われば、当然外交ルートを通じて韓国政府に申し出をしていただかなければならない、私はこう思うわけでございます。そのお気持ちがあるのかどうなのかというのが一つ。  それから、韓国原爆被害者協会の皆さんがこれからも外務省にお邪魔をされていろいろ具体的に相談もされるし、また外務省としても相談に乗っていただきたいと思いますけれども、そういった関係団体との話し合いについても引き続いて続行していただけるかどうか。後の部分については厚生省からも御答弁をいただきたいと思います。
  46. 小倉和夫

    ○小倉説明員 第一の点につきましては、外務省の観点から見ましても、本件はいろいろな問題が絡んだものであるというふうに考えておりますが、同時に、厚生大臣も御指摘になられましたように、本件は人道的な問題であるというふうに思いますので、やはりそういった問題として、余り極度に法律論、政治論、政策論だけで割り切るべきものではない。その意味におきまして、私どもは、関係団体からもし私どものところに御相談があれば、喜んで私どものできる範囲内で御相談に応じたいというふうに思います。  他方、韓国政府の問題につきましては、率直に申し上げますと、これは人道問題でありますが、同時に、韓国の方ないしいわゆる北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国の方々の言われます日帝三十六年のしがらみの問題でもございますので、やはりそういったいろいろな方々の過去のしがらみと心の傷跡ということも考えなくちゃいけないと思いますので、韓国政府の意向といったものも確かめながら、もし具体的な協力要請があれば前向きに検討したい、こういうふうに思います。
  47. 森井忠良

    森井委員 前向きに検討ということなんですが、いま申し上げましたように韓国の受け入れ団体が先ほど言いました社団法人で、したがって、政府が認めた団体がぜひ引き取りたい、こう言っておることが一つ。  それから、すでに深川宗俊さんという方が、戦争中に徴用工の皆さんの指導に当たっておられた方なんですけれども、私の推定するところ自責の念に駆られて、何とかその人たちの遺骨だけでも送還をしたい、あるいはまた、三菱に対して少しでも損害賠償をさせてやりたい、こういう気持ちで交渉しておられるわけでございますが、その深川さんも数年前に、韓国大使館の全在徳さんという方に会っておられると私聞いております。状況が変わっておりますから一概には言えないのですけれども先ほど話がありました当時の日本の駐韓大使でございました後宮大使も、問題について認識をされておるようでございますが、認識をされる前には、名称を忘れましたが韓国の厚生省に当たるようなところともすでに接触をされた上で、つまりその意味ではある程度外交ルートは前例に近いものがあるわけでございますから、ぜひひとつ外交ルートを通じて、今回の問題につきましても厚生省と連絡をとりながら前向きに進めていただきたいと思います。再度ひとつ御答弁を願います。
  48. 小倉和夫

    ○小倉説明員 いま先生のおっしゃいましたことを踏まえまして、厚生省とも十分御相談の上、できる限りのことをしたいと思います。
  49. 森井忠良

    森井委員 次に、今度は三菱そのものの問題ですね。  これは、先ほども申し上げましたように賃金の未払いがございまして、広島の法務局へ千九百五十一人分、金額にして約十八万円供託をしておられるということを私ども聞いておるわけでございます。これはちょっと換算の仕方がないのですが、台湾の元日本軍人あるいは軍属の方々は、郵便貯金その他たまっておるのが八千万円と聞いています。この分はやや金額が少なくて、三菱が供託した未払い賃金というのは十八万円。ちょっと計算をしてみたのですが、僕の計算によるとざっと三億円ぐらいになりますね、計算の仕方がいろいろありましょうが。しかし、依然として広島の法務局には十八万円弱の金額が供託をされておるわけでございます。  私が広島の法務局に確認をいたしましたら、金額については明示はしておられませんが、こっちが一方的に言いましたら、大体そんなものでしょうという返事を私、感触として得ておりますけれども、これは物価スライドも何もないわけです。ですから、仮にいまから三菱が供託しておる分だけでも払うということになりましても、十八万円ほどもらったのではとてもじゃないけれども話にならない。  ただ、私は、補償の問題はこれから交渉を続けていくとしても、実は名簿が非常に欲しいわけでございます。先ほど申し上げましたけれども、広島から出発をいたしました二百四十名の徴用工の皆さん、これは総勢でいくと二百四十六名になるようでございますが、徴用工の皆さんが昭和二十年の九月十五日に出発をなさった、ここなんです。そして、いま韓国内でもいろいろ遺族捜し等が行われておりますが、まだせいぜい四、五十人しか遺族が見つかっていない。先ほど御披露いたしました深川さん等がささやかな身銭を切って集めたカンパ等を、たとえわずかでも生活の足しになれば——これは話によりますと、遺族は大変な困窮をしていらっしゃるというふうに聞いています。せめて豚の一匹でも飼って、その一匹を二匹にして、三匹を四匹にして、少しでも生活の足しにしてください、韓国では豚という表現になるようですけれども、そういうことでささやかなお気持ちを届けられたことがある。しかし、何といいましても遺族が全部つかまらない、こういうことでございます。たまたま三菱が二千名近い人の未払い賃金を供託した。いまとなってはそれが唯一と言っていい手がかりになっているわけでございます。  法務省、この名簿の公開はどういう場合に可能なんでしょうか。
  50. 筧康生

    ○筧説明員 供託に関する書類をどういう場合にお見せできるかということに関しまして、御説明をさせていただきたいと思います。  一般的な議論といたしまして、供託の関係と申しますのは、供託をした者、それから供託をされた者、被供託者と呼んでおりますが、この二人の私的な関係、私事の関係でございますので、一般的には、これを広く公開するとか公示をする、こういう性質になじまないものというように考えております。  ただ、そうは申しましても、その供託に関する書類というのはあくまで供託の関係者に関係のある事柄でございますので、一定の要件を決めましてその書類の閲覧に応ずるということになっております。これは、供託に関する諸手続を定めました供託規則の三十九条というのがございまして、それに供託に関する書類の閲覧のできる場合、あるいはその要件が規定されているわけでございます。それを見ていただくとおわかりになるのでございますけれども、供託に関する書類というのは、「供託につき利害の関係がある者は、供託に関する書類の閲覧を請求することができる。」そしてまた、閲覧を請求しようとするときには、この規則に定めましたところの一定の様式の申請書を提出することを求める、こういう形式的な手続、それから閲覧を求める者の地位の限定、この二つの要件のもとに書類の閲覧ができるということになっておりますので、その限りにおいては、一種の公開と言ってもいいということになっておると思います。
  51. 森井忠良

    森井委員 これはまず事実を確認しますけれども、私が申し上げた供託はなされておるのかどうなのか。これをまずはっきりさせてもらって、その上でお答えをいただきたいと思います。  先ほどの具体的な例で申し上げますと、いま申し上げましたように深刻な遺族捜しが始まっているのです。したがって、遺族の一人が、もちろん身分を明かすものがなければなりませんが、自分の分だけではなくて、先ほど申し上げました全部の方々の供託の閲覧ができるものなのかどうなのか。
  52. 筧康生

    ○筧説明員 先ほど来先生が御指摘になっていらっしゃる事件であろうと思われる三菱重工業株式会社からの供託が、広島法務局にございます。  それから、先ほどの閲覧ができるかどうかということに関するお尋ねでございますけれども先ほど申しました「利害の関係がある者」と申しますのは、これは供託に関しますところの権利につきまして、法律上直接の利害関係を持つ者というように解されておりますので、供託金について払い戻しを受ける権利がある者というのは、この中に入るわけでございます。したがいまして、これは未払い賃金等ということでございますので、その未払い賃金等の相続人に該当する者は、この書類を見ることができるわけでございます。  これまた一般論でございますけれども、その閲覧のできる書類の範囲と申しますのは、あくまでその当該権利者にかかわる部分というのが原則でございます。ただ、一つの供託で、一つの供託書に基づきましてたくさんの供託が一緒になされておる、これは一括供託というふうに私どもは呼んでおりますけれども、それは一つの供託書類の中にたくさんの権利が紛れ込んでおるという関係になりますので、その分離不可能な部分ということについては、当該権利者の一人からの閲覧においても、見せざるを得ないという言い方はちょっとあれでございますけれども、閲覧に供されるということになるわけでございます。
  53. 森井忠良

    森井委員 そうすると、具体的に三菱のものと思われるものについては一括供託ですか。
  54. 筧康生

    ○筧説明員 さようでございます。
  55. 森井忠良

    森井委員 大分問題が明らかになってまいりました。  労働省にお伺いしたいのですが、これは被爆徴用工の問題です。  かつて労働省は厚生省の一部でした。本家は厚生省でございまして、労働省は戦後、昭和二十二年にできたわけですけれども、当時の健民局あるいは勤労局、そういったところとの絡みからいけば、被爆徴用工もしくは公務障害を受けられたような徴用工、そういった方々のお世話は労働省が引き継いで行うべきだと思うのですけれども、その点がどういう形になっておるかということが一つ。  それから、被爆徴用工だけでなくて、強制労働をさせられた朝鮮人徴用工の方々が多かったわけですから、たとえば炭鉱等で過酷な労働を強いられて亡くなられたり、あるいは障害を受けられた方もあるのじゃないかと思うわけですけれども、いままで厚生省もしくは労働省でそういったお世話をなさったことがあるのかどうなのか、お伺いをしておきたいと思います。
  56. 高橋柵太郎

    ○高橋説明員 お答えを申し上げます。  先生御指摘のとおり、労働省職業安定行政組織が、沿革的には厚生省の勤労局あるいは都道府県勤労署の体制を引き継いだものであるというふうに言えるわけでございますが、何分にも労働省が発足をいたしましたのは昭和二十二年九月でございまして、当時すでに国家総動員法が廃止されておりまして、同法に基づきます徴用工に関する当時の関係資料は労働省に全く残されておらないために、その状況は明確でないわけでございます。  なお、いろいろな徴用工に関します証明関係につきまして、特に朝鮮半島から来られた方々についてのいろいろな問題等につきまして、証明関係ということで、外務省に、私どもは労働省の権限云々ということではなくて、事人道的な問題として御協力をいたしているということが実情でございます。
  57. 森井忠良

    森井委員 今後は、いまお聞きのように、未払い賃金の問題とかあるいは補償の問題をめぐって、まだこれから交渉が続くわけです。率直に申し上げますと、厚生省にそれを引き継いで、いままでは厚生省が主にといいますか、タッチをしてきておられるわけですね。それから外務省も、もちろんこれは三菱の会社の方々をわざわざ外務省へ呼んで、当時の遠藤北東アジア課長でございましたけれども、いろいろ意見を聞いたりあっせんをなさったりした経過があるわけです。ただ、こういった徴用工の皆さんの問題については、いま答弁にありましたように、理論上の引き継ぎというのはやはり労働省だと思うのですね。だから逃げられませんよ。したがって、外務省、もちろん厚生省援護法の所管官庁でもございますからかんでいただきたいと思いますが、いずれにしても三省が協力をして進めていただかなければならぬと思うのです。  この点について労働省の御答弁をいただきたい。
  58. 高橋柵太郎

    ○高橋説明員 できる限りの御協力を申し上げたいと思います。
  59. 森井忠良

    森井委員 大分煮詰まってまいりました。外務省も厚生省も、いま労働省が答弁をいたしましたけれども、これは改めて繰り返しませんが、具体的に申し上げておきますけれども、昭和五十二年五月十九日の参議院社会労働委員会におきまして、厚生省は渡辺厚生大臣、それから外務省は遠藤北東アジア課長御出席の上で、各省協議をしてこの問題の前向きな取り組みをいたします、こういう返事をいただいておるわけですけれども、これは引き続いて、いま労働省が一枚強力な支援部隊が加わりましたから、したがって三省協議してこの問題解決のために御協力をいただく、これは御努力ということになると思うのですが、こういうふうに理解をしてよろしゅうございましょうか。
  60. 森下元晴

    森下国務大臣 三省協力して努力いたします。
  61. 森井忠良

    森井委員 それでは、同じ問題でございましたから余り時間をとるのもどうかと存じますので、私の質問はこれで終わりますけれども、戦後処理の非常に重大な問題でもございますので、ぜひこの問題が一日も早く片づきますように、最後に大臣の御答弁をもう一度所信を含めてお伺いをして、終わりたいと存じます。
  62. 森下元晴

    森下国務大臣 森井議員より一連の戦後処理の問題、非常に詳しくまた切々たる訴えの中での質問でございました。先ほど申しましたように私も旧軍人の一人でございまして、まさに戦後処理、政治的に解決する責任のある一人でもございます。  ただいまの不幸にも徴用工の方々が船の中で台風のため亡くなった、しかもほとんどの方が被爆者であったというようなお話を詳しく初めて聞いたわけでございますけれども、過去の経緯等もお聞きしますと大体間違いない、幸い受け入れの団体もございますし、また韓国政府も承知しておるようでございまして、この点先ほど申しましたように外務省、労働省ともよく協力いたしまして、努力することをお約束いたします。
  63. 唐沢俊二郎

    ○唐沢委員長 次に、平石磨作太郎君。
  64. 平石磨作太郎

    ○平石委員 戦傷病者戦没者遺族援護法の審議が行われるわけでありますが、私もこれに関するいわゆる戦後処理の問題としての質問を行いたいと思います。  そこでお尋ねをいたすわけですが、旧陸軍が広島県の竹原市に所属する大久野島というところに、昭和二年から第二次世界大戦が終戦に至るまでの間、旧日本陸軍東京第二造兵廠忠海製造所が設置されて、ここでイペリット、ルイサイト、青酸ホスゲン等猛毒かつ微量で致死的な毒ガスを初めとして、催涙ガスあるいはくしゃみガス、各種の信号筒等が製造されておったわけであります。したがって、この陸軍が行うガス製造、いわゆる毒ガス、これに従事した従業員の中でいわゆる毒ガスに汚染せられておる、あるいは毒ガスによるところの身体的障害を受けた、あるいは毒ガスによるところの死者まで出ておる、こういった状況があるわけでございます。したがって、これにつきましてはだんだん国会の中でも取り上げられてまいりましたし、また政府の方におきましてもこれに対する対策がなされつつあるわけでございます。  そこで、この対策、いろいろと現地での私ども党としての調査を行ってまいりました。そういうことからこの従事者を一応厚生省が委託をし、そして広島大学において調査した報告書を見てまいりますと、その従事者の身分といいますか区分がなされておるわけでございます。この区分を見てみますと、まず製造所におけるところの正規の従業員、これは陸軍の当時の雇員、傭人、いわゆる陸軍の職員でございます。それから学徒動員による者、それから女子挺身隊による者、それから国防婦人会、これが入っております。国防婦人会の会員であった者がたくさん入っておる。それからさらに学徒動員あるいは女子挺身隊、それから愛国婦人会、それから臨時職員、事務職員あるいは人夫、こういった者が入って仕事に従事をいたしております。  そういうことから見てまいりまして、正規の陸軍の職員以外の者は一体だれが何の法律によってこれを徴用し、動員したものであるかどうか。このことをまず、労働省に当時の資料があればその資料に基づいて個別にお答えをいただきたいと思います。
  65. 高橋柵太郎

    ○高橋説明員 お答えを申し上げます。  先ほども申し上げましたが、労働省の職業安定行政組織、これは沿革的には厚生省勤労局、勤労署の体制を引き継いだものでございますが、労働省が発足した二十二年には国家総動員法はすでに廃止をされているわけでございまして、当時の徴用に関する関係資料は労働省に残されていないわけでございまして、その状況は明確でございません。     〔委員長退席、大石委員長代理着席〕  ただ、当時の法体系からいたしまして、戦時中の国民の徴用につきましては国家総動員法に基づきまして各種の勅令が出されているわけでございますが、ただいま先生が御指摘の動員学徒に関しましては動員学徒に関する学徒勤労令、女子挺身隊につきましては女子挺身隊の従事等に関する女子挺身勤労令等の勅令に基づいて行われていたものというふうに考えられるわけでございます。なお国防婦人会員、愛国婦人会員あるいは臨時の職員につきましては、国家総動員法に基づくものであるかどうか、ちょっと明確な資料がございません。個々の判断によるものと考えられると思います。
  66. 平石磨作太郎

    ○平石委員 いま一応学徒動員と女子挺身隊については国家総動員法に基づくものとしてのお答えがございました。他のものについてはわからないということでございますが、当時のこの国家総動員法に基づいて、決戦という形で総動員を行ったようでございますが、この中にはいまお答えにありました学徒勤労令、女子挺身勤労令、そして国民徴用令、これは昭和十四年に国家総動員法に基づいて出されております。この徴用は国家の要請に基づいて総動員を行うんだということでなされておるわけです。それと国民勤労動員令、これも法に基づいて行われている。それから国民勤労報国協会令という令もございます。したがって、この動員はこれらの諸令によって行ったものであろう、私はこのように思うわけでございますが、ほかに根拠があればお知らせをいただきたい。
  67. 高橋柵太郎

    ○高橋説明員 先ほどの学徒勤労令あるいは女子挺身勤労令等の勅令でございますが、それと昭和二十年三月に、国民徴用令、国民勤労報国協会令等の勅令は整理統合され、国民勤労動員令として制定されまして、それらの関係の勅令は廃止をされたというような法体系にあったようでございます。
  68. 平石磨作太郎

    ○平石委員 法体系はそういうことかもわかりませんが、国民徴用令あるいは国民勤労動員令といった形のもので恐らく徴用されたものと思われるが、そうでないと言うのなら、ほかに理由があればお知らせいただきたいということでございます。
  69. 高橋柵太郎

    ○高橋説明員 一般的には国家総動員法に基づきます先ほど申し上げました勅令に基づいて動員をされたものというふうに考えられると思います。ただ、個別のケースにつきましていろいろ当時の資料等を見ましてもその解釈が明確でないものがございますので、それらは一つ一つ個別に判断されるべきものがあろうかと考えられます。
  70. 平石磨作太郎

    ○平石委員 ここが非常に大事なところです。これからの処遇の問題あるいは死者に対する処遇の問題、一番大事なキーポイントがここにかかってくるわけです。  当時、たとえどのようなことがあってああいう戦時体制下でありましても、それぞれの法律、それぞれの規則に基づいて動員がなされたわけでありますから、いわば、ただ陸軍だからという形で勝手に国民を徴用、動員することは許されないことである。したがって、それにはそれなりの手続というものを踏まえた形で動員がなされたと理解をするわけでして、それらから判断をしましても、これらのいわゆる法に基づくところの諸令がたくさん公布されておる、それに基づいてやられたことでありますから、いま三十年たってほかに探してみてわからないということであるならば、これはやはり国家総動員法に基づく動員であると理解するのが常識ではないでしょうか。私はそれは常識だと思う。  しかもそれについて何の被害もない、みんな元気でやっておられるのなら私は何もこういうことは言いません。ところが、そういう動員せられてあの猛毒の製造の個所で働いて、そのために体に障害を受けた、そしていま三十六年、七年たってもなおかつ入院加療の必要もございますし、あるいは治療を続けなければならないといったような身体的障害を受けておる。それで、その間に亡くなった方がざっと九百名いらっしゃるというような事実を踏まえるときに、私はいま、この方々が動員をされた根拠というのはそこである、こういうように理解をするわけです。  いまたびたびお伺いをしましたが、他にないようでございますので、他にないのならそのように理解をしていい、このように私は理解をいたします。よろしゅうございますね、もう一回。
  71. 高橋柵太郎

    ○高橋説明員 何分にも労働省においてその当時の資料等がございませんので明確にはお答えはできませんが、一般的には当時の国家総動員法に基づく体制の中でいろいろ考えられていたのではないかと考えられます。
  72. 平石磨作太郎

    ○平石委員 これはもうここで終わらしてもらって、次に進ませていただきます。  そこで厚生省にお伺いをいたします。  戦傷病者戦没者遺族援護法が適用されるのはいわゆる軍人軍属、そしてこの軍人軍属等で国家のために公務上の負傷あるいは疾病あるいは死亡といった方々に対して国家補償の精神に基づいて補償がなされる。それで、これにはだんだんと改正が行われて、国家総動員法に基づく動員をした者であって公務上云々というものについては準軍属という形でこの戦傷病者戦没者遺族等に繰り入れられて救済措置がとられております。  そういうことで、私は先ほどからお話を申し上げておるこれらの従事者は国家総動員法に基づいて動員をされておると思うのですが、この法律の適用の対象者であるかどうか、お答えをいただきたい。
  73. 北村和男

    北村政府委員 援護法は、先生お話しのとおり国と一定の使用関係にあった軍人軍属その他の者につきまして、国が使用者としての立場から国家補償として援護を行うことを目的にする法律でございます。大久野島の毒ガス製造の詳細はなかなかわかりませんけれども、そういう軍の業務に、国家総動員法によって総動員業務に従事する過程の中でそういう作業に従事したという場合には、これは準軍属として援護法の対象といたしております。
  74. 平石磨作太郎

    ○平石委員 そこで従事したということが明らかであれば準軍属という形で措置をしておられるということでございますので、これはそれで結構でございます。  そこで、今度は大蔵省にお伺いをいたします。  この正規の職員の中でこういった障害を受けておられる方々は現在何によって救済しておられるか、お答えをいただきたい。
  75. 野尻栄典

    ○野尻説明員 大蔵省の予算の中で計上しておりますガス障害者の救済対象者は、現在まで累積で約三千三百名でございます。
  76. 平石磨作太郎

    ○平石委員 人員だけじゃないですよ、何によって救済しておられるかです。
  77. 野尻栄典

    ○野尻説明員 これは主計局長の通達を根拠にいたしまして、昭和二十九年度から立法措置によらずに行政措置という形で救済措置を講じているところでございます。
  78. 平石磨作太郎

    ○平石委員 大蔵省の局長通達二百八十号によって救済されておられる、こういう御答弁ですが、この方々は旧陸軍のいわゆる職員で、雇員、傭人である。当時の陸軍共済組合令に基づくところの共済組合をいわば恩給公務員として、恩給適用者以外の公務員としての陸軍共済令に基づいて保険料を掛けてあるわけですが、これを今回旧令によって救済がなされるのが本当だと思うのですが、それはどうでしょう。
  79. 野尻栄典

    ○野尻説明員 毒ガス製造に従事していた方々に対する救済は昭和二十九年度から始まっているわけでございますけれども、その当時こういう方々に対する救済をどういう形で行うべきかという御議論があったことは事実でございます。その際、この場合は非常に限られた地域の限られた対象者を救済するわけでございますから、特別立法によらなくともそれと同様な効果を上げる行政措置でも目的としては達せられるということで、そういうお話し合いのもとにこの通達が出されたというふうに聞いております。
  80. 平石磨作太郎

    ○平石委員 私はこれがいけないとは言いません。いけないとは言いませんし、それぞれの局長通達によって救済されて、現在生存者については十分とはいえないけれども手当てがなされておるということについては感謝を申し上げるわけでございます。  ところで、この人たちがいま生存者であって、そして治療を受けることについては、それぞれ特別手当、医療手当等も出されて治療が行われておりますが、亡くなった方が九百名おられるわけです。この亡くなった九百名の方々は当時ガスの障害を受けておるわけです。ガスの障害を受けて、認定患者になってずっと治療を重ねてきたわけです。だから、原因ははっきりしております。はっきりしておるその原因で治療をしておった途中で亡くなった、こういう場合にその遺族に対して障害年金、あるいは障害年金に至らない場合は遺族扶助金が出される、こういう旧令があるわけですが、この適用者がいらっしゃいますかどうか、お答えいただきたい。     〔大石委員長代理退席、委員長着席〕
  81. 野尻栄典

    ○野尻説明員 ただいまのお話のガス障害者であった方で亡くなられた方の遺族遺族年金が払われているかどうかという点につきましては、払われておりません。
  82. 平石磨作太郎

    ○平石委員 これは私は払っていかないとおかしいのじゃないかと思うのです。旧令によるそれだけの権利といいますか、そういったものが失権してしまっておる。そして、一方は法律です。一方は局長さんの通達です。通達でもって生存者に対しては手厚いことがなされる、これは結構ですが、亡くなった場合に、この旧令による権利がありながら失権していくということについては妙に納得できぬところなんですが、ここをひとつお答えいただきたいと思う。
  83. 野尻栄典

    ○野尻説明員 ただいまの先生の御質問は、旧令による共済組合からの特別措置法という法律とこのガス障害者に対する救済措置との関係ではないかというふうに理解いたします。  この旧令による特別措置法という法律は、終戦によって解散せざるを得なくなった共済組合、つまり陸軍共済組合、海軍共済組合及び朝鮮、台湾にあった六つの共済組合、外地関係共済組合と申しておりますが、これらの共済組合の年金受給者は、支給を行うべき母体の共済組合が解散したために、終戦によって受給権がいわばなくなってしまった。そういう方々に対する年金支給義務を国が肩がわりいたしまして、この特別措置法に基づいて現在年金の支給を行っているわけでございます。  この年金の支給を行う根拠は、それぞれ陸軍あるいは海軍の共済組合規則によって年金受給権を持っていた方々に対する支給義務の継承でございまして、このガスの関係の方々はその共済組合令で言う受給権そのものは発生していないわけでございます。したがって、この特別措置法による年金支給というものは陸軍共済組合の場合はできない。つまり、陸軍共済組合令にはいわゆる業務死亡の場合の殉職年金と申しておりますその殉職年金制度そのものがなかったわけでございます。したがって、それはガス以外の事由で戦争中に亡くなられたとした場合でも殉職年金の支払いはいま行われておりません。そういう関係からも旧勅令による権利義務だけを承継した法律でございますので、いま先生が言われるような形のものをもし支給するとすれば、それは権利義務の承継でなくて新たな権利の付与というかっこうになりまして、法律の立法の趣旨からもややそれるということになろうかと思っております。
  84. 平石磨作太郎

    ○平石委員 いま外地のお話が答弁の中に出ておりましたが、当時内地でたとえば陸軍工廠に勤めておって動員がかかって外地へ出た、このときにもう脱退するわけですね。そのときに資格喪失になる。資格喪失になるから、戦地へ出ていって負傷をしたあるいはそういう形で内地へ帰還しても、あなたはもう旧令の人ではありませんよ、動員下令と同時に脱退していますよ、こうなっておるわけです。だからいまおたくがお答えになったように、外地へ行って、そして帰ってきても、もう権利はありません、いまこの権利を与えることは新たな権利の付与でございます、こういうことなんですね。  ところが、この旧令を見ますと、ここの七十六条の二項のところなんですが、ここに「障害年金又ハ脱退年金給付ヲ受クベキ者其ノ給付ヲ受クルニ至ラズシテ死亡シタル場合ニ之ヲ準用ス」、こうなっている。これは第三節の「遺族給付」の項目でございます。そして、七十五条に「遺族給付ハ左ノ二種トス」「遺族扶助金」「死亡給付金」、これは障害年金をもらっておる者が亡くなったときにお渡しするのですが、二項のところではこの方々が障害年金の「給付ヲ受クルニ至ラズシテ死亡シタル場合ニ之ヲ準用ス」となっている。私はここを言いたいわけですね。  そういたしますと、いまのガスの方がガスの障害によって治療を続けておられて亡くなられた、このときは、いまのおたくの答弁をそのままいただくとするならば、もう治らない、あなたの病状は治りませんよ、固定しました、幾ら治療しても無益です、だからここで残存障害として認定をします、それが四項症以上であれば年金になります、それ以下であれば一時金になります、こういう判定がそこでなされるはずです。  ところが、現在治療中の方は残存障害になるのか治ってしまうのか治療するのかわかりません。現在治療続行中です。そして、治療続行中にころっと死んだ、もうあなたの権利はないのですよ。障害年金を上げようもどうしようも、もともとの本件の年金権がないのですから遺族の方には行きませんよ、いまのお答えでいきますとこうなるのです。  ところが、いま私が読み上げたこの七十六条の条文によりますと、年金受給に至らずして死亡したときにはそのまま遺族にお与えいたしますよ、こういう規定なんです。ここはひとつ勉強していただいて、なお検討をしていただいて、いまここでどうのこうのと私言いませんから検討していただいて、亡くなった方についてはやはりその遺族の方にそれだけのことを旧令によってやってほしい、私は強く要望をしたいと思います。——これはいいですね。ひとつそのことをちょっとお答えをしてください。
  85. 野尻栄典

    ○野尻説明員 いま先生のお話は、私どもが承知しておる限りにおきましては、その亡くなられる直前に障害が固定したと仮定した障害年金受給権が発生する。その場合に、障害年金受給権の発生した途端に御本人がお亡くなりになっているんですから、五年分の障害年金遺族の方に差し上げる、言ってみれば一時金的なものになってしまいますが、そういう制度はございます。しかし、これは遺族年金ではなくて、障害年金の未払い分を遺族に差し上げるという性質のものでございます。それは現在でも行っておると思います。
  86. 平石磨作太郎

    ○平石委員 それは七十五条の関係ですね。七十五条で障害年金をもらった方が亡くなった、そうしたら、もらうことが発生してから五年間のうちに亡くなったら遺族に残りを上げましょう、こういうことです。だから、それは年金権をもともと持っておる人たちの問題。ところが、七十六条は年金をもらうに至らずして死亡したとき、これがあるのですから、ここをひとつ大蔵省は考えていただかないとこの方々が失権をしておる、こう私は言いたいわけですから、もうひとつ……。
  87. 野尻栄典

    ○野尻説明員 その点の法令の関係を、旧共済組合令の法令をもう少し検討さしていただきたいと思っております。
  88. 平石磨作太郎

    ○平石委員 はっきりせぬですが、きのう私はおたくの方から資料もいただいたわけです、大蔵の方から。そしてこれは法文にあるのです。法文が生きておるのですから、大蔵省が検討事項なのかどうなのか、ちょっといまの言葉で——これは法律で決まっているのですよ。そうすると、検討いたしますと言うて判断が入るのかどうか。個々の人に支給するかどうかについての判断は、これは行政庁がやらなければいけません。だが、私はいま法文の話をしているのですから、法文を検討しますというのはちょっとおかしいように思います。
  89. 野尻栄典

    ○野尻説明員 陸軍共済組合令で私どもが承知している範囲では、遺族年金というのは、組合員期間が二十年以上あって退職年金受給権を持っている方が亡くなった場合の遺族年金。(平石委員「それは脱退のことです」と呼ぶ)もう一つ遺族に対してございますのは殉職年金。この殉職年金というのは、戦災を受けて死亡した者の遺族に対して支払われる殉職年金、この二種類でございます。
  90. 平石磨作太郎

    ○平石委員 きのうの打ち合わせとえらい違いますね。きのうの話とえらい違いますよ。  脱退年金というのは、二十年間働いてやめたときに脱退年金をいただくんです、恩給と同じように。障害年金というのは、作業場で働いておって障害を受けたとき、これは期間はありません、障害を受けたことが確認されたら障害年金になるのですから、その等級にさえ合えば。  そこを言い出したら、これ一つも進みません。今度は厚生省の方もやらなければいかぬのですから、ひとつ法文の方はどうですか。あなたさっき検討と言ったんですけれども、法文は法文ではっきりしておかぬと、ここは間違ったらいけませんので。
  91. 野尻栄典

    ○野尻説明員 大変恐縮でございますが、陸軍共済組合規則をちょっといまここに持っておりませんので、その抜粋部分しか持っておりませんが、いま先生の言われたような意味での殉職年金、これは……(平石委員、資料を示す)恐れ入ります。先ほど申し上げましたように、公務で障害を受けた場合に出る障害年金というのはございます。その障害年金の受給者が死亡した場合に、その死亡した遺族に対する遺族年金の支給というような形での遺族年金の種類は陸軍共済組合規則にはないというふうに考えております。
  92. 平石磨作太郎

    ○平石委員 ここにちゃんと七十六条にあるんですよ。七十六条にあるんだから私はそれを言うけれども、まあそういうことでございますので、ひとつこの法文にあるとおりに、失権させないように、そういう該当者に対してはこの法を適用してほしい、私はこのことを強く要請をいたします。  時間がありませんので先へ進まさしていただきますが、このことについてはまた改めてひとつお伺いをすることといたします。  それから、あそこにあります忠海の病院でございますが、ここに五十七年度から耳鼻咽喉科を設置するという約束ができておったようですが、どうもできるようにないというお話ですが、耳鼻咽喉科はどのようになっておるか、ひとつお答えをいただきたい。
  93. 野尻栄典

    ○野尻説明員 ガス障害者のいわば治療のための基幹病院として、連合会の忠海病院というのが先生の御指摘のとおりございます。かなり前からここの病院に耳鼻咽喉科を開設してほしいという御要望があったのも承知しておりますが、五十七年度予算におきましては、ことしの十月から耳鼻咽喉科が開設できるように予算措置は一応講じたわけでございます。  いま予算の方は審議をいただいているわけでございますが、予算が成立いたしましたら、十月から開設できるように諸準備を早速始めさせるようにしたい、こういうふうに考えております。
  94. 平石磨作太郎

    ○平石委員 そういうことで、ひとつ開設についてはさらに努力をいただきたい、このように要請をいたしまして、大蔵省に対する質問を終わらしてもらいます。  そこで、今度厚生省にお伺いをいたします。  厚生省が広島県に委託をされまして、そして広島大学の西本教授がこの障害者に対する健康診断書を昭和五十六年三月に報告がなされております。これを見てみましても——これをお持ちでしたら、この九ページにもございますし、後々の資料を見てみますと、昔の共済令による、いわゆる旧令による組合員に認定患者がおるわけですね。これはガスの障害の認定患者としての認定者なんです。それから非組合員という学徒、婦人会、挺身隊、戦後雇って毒ガス処理をした方々、これらには認定というのはないのですか。これは認定患者はいないわけですか。
  95. 三浦大助

    三浦政府委員 厚生省関係で毒ガス障害者に対します救済措置を法に基づいて実施しております対策の対象の方は、動員学徒等一千八百四十四名おるわけでありますが、この中には、これは旧令の共済組合員に対します措置の中で一般障害者の対策に準じてやっておるわけでございます。この人たちには健康管理手帳、それから医療手帳、こういうものを交付いたしましていろいろ対策を立てておるということでございます。
  96. 平石磨作太郎

    ○平石委員 それはそのとおりでございます。  ところで、これは認定患者も一般患者も含めてですか。厚生省がやっておる処置は、この調査区分の資料によりますと認定患者がいないわけです。どういうことですか。
  97. 三浦大助

    三浦政府委員 私ども認定患者という表現は使っておりません。一応この工場で働いておったことが確認されますと健康管理手帳を差し上げまして、この中で医療が必要だという方につきましては医療手帳を交付して、医療の面でいろいろお世話をしておる、こういうことでございます。
  98. 平石磨作太郎

    ○平石委員 ここで私がなぜそれを聞くかといいましたら、この旧令共済による組合員の生存者に対する治療と厚生省の非組合員、いわゆる学徒動員等で来た人たちと格段の差があるから聞いておるのですね。  そして、この調査資料によりますと認定という項目があるわけですから、認定患者の場合は手厚くして、認定患者でない場合は手厚くない、比較したときにそういうことがあるのではないか。そして、これは大蔵省からいただいた予算障害者別の関係のものですが、厚生省の方の対策については、いまお答えをいただいたように健康管理手当と保健手当だけなんですね。ところが大蔵管理のこの組合員、もとの正規の職員さんは療養費に特別手当に療養手当に介護手当、こんなに出ておるわけです。大蔵からいただいた資料では、これは認定患者に対して出ておるわけです。一般の患者さんについては厚生省の方が管理手当、保健手当だけを出しておるから、厚生省が所管をする患者さんには認定患者はいないのかどうか、ここを聞いておるわけです。
  99. 三浦大助

    三浦政府委員 旧令の共済組合員に対します措置の中で認定患者と一般障害者という二つの項目がございますが、私どもの方は、この一般障害者に準じてやっておるわけでございます。したがいまして、旧令の方の一般障害者につきましても特別手当あるいは医療手当、これらはないわけでございまして、これは旧令の方の認定患者に対してやっておるわけでございます。  なお、毒ガスの撤去作業につきましては、ガス障害に起因して療養を必要とするような蓋然性が少ないということと、あるいは旧令の共済組合員におきます認定患者に相当するような事例が現在まで報告されておりません。
  100. 平石磨作太郎

    ○平石委員 そういたしますと、ここにお医者さんの、担当の広島大学の先生が組合員と非組合員に分けた資料が載っておる。ごらんいただいておると思います。この資料を見てみましても、格段非組合員の方が症状が低くて大蔵所管の組合員の方が症状の悪い人がたくさんおるということではないのです。同じようなことなんです。それから見ましても、たとえてここで抽出して申し上げてみますと、A、B、C、D、E、F、このFが一番重いのですが、これは主治医の裁定ですけれども、これまで最も波が出ておるのは三七%出ておる、これは認定患者。それから認定患者でない方々については二五・七%、工員さんで出ておる。そして今度非組合員の動員された方々の戦後に入られた方の三〇・九%、それから婦人会の方、これは多いね。それから挺身隊で来られた方、一四・三%、こういう形で、そう大差がないのです。  そう大差がないのにそういう形があるということ、認定患者がいわば重症だと私一応理解するのですが、それによってこれだけのものが出ておる。一方はそうでない一般患者ですからそういう手当がない。これはわかりますが、そうすると厚生省の方には、この資料から見ると格段の差はないように思うけれども、認定患者のが出てない。おかしいな、こう感じたからお尋ねをしておるのです。
  101. 三浦大助

    三浦政府委員 先ほど申し上げましたように、旧令の共済組合におきます認定患者に相当するような事例が現在まで私どもの方に報告されておらないわけでございます。したがいまして、特別手当とか医療手当といった制度を私どもの方は設けていなかったわけでございます。もし仮にこういう方が存在するとすれば、これは旧令の共済組合制度との均衡も考慮しなければいけませんので、一度詳しく調べさせていただきます。
  102. 平石磨作太郎

    ○平石委員 そこで今度、亡くなった方々、これについては先ほど前段お話しを申し上げたように、国家総動員法に基づいてのいわゆる徴用であった。これは国家総動員法に基づいた者は戦傷病者戦没者遺族援護法によって救済処置がなされるわけです。亡くなった方が九百名いらっしゃるのですが、これで処置されておられる方がおりますかどうか。おればお答えをいただきたい。
  103. 北村和男

    北村政府委員 何分援護法でいろいろ裁定をいたします件数が数万件あるわけでございまして、大久野島の毒ガス起因のケースが幾つあるかということにつきましては、いま直ちに私ども掌握をいたしておりません。
  104. 平石磨作太郎

    ○平石委員 それはそうだろうと思います。それはなかなか大変だと思うからわからぬと思います。  そこでお聞きをいたします。いま申し上げましたように、国家総動員法に基づいておる以上は戦没者の対象範囲に入る。亡くなったときは申請をすれば裁定対象者として取り上げていただけますね。
  105. 北村和男

    北村政府委員 冒頭申し上げましたように、援護法は国と一定の使用関係にあった者に対する措置でございます。軍人軍属のほか総動員業務に従事したもので動員学徒とか女子挺身隊員も準軍属として同様の取り扱いをいたしております。したがって、毒ガス製造業務に従事しかつそれに起因して疾病になりかつそのまた疾病に起因して死亡した場合には、援護法の対象となります。
  106. 平石磨作太郎

    ○平石委員 そうすると、いま局長お答えいただいたように、学徒動員の組と女子挺身隊の組は一応はっきりお答えが出ました。それ以外についても大蔵、労働省に先ほどお聞きしたのですが、これはほかに理由があれば申してほしい、こう申し上げたのですが、理由は格段なかったようで、恐らく前段申し上げたようにこれらの総動員法に基づいたいろいろな書類でもって動員したわけですから、徴用したわけですから、そこにはたとえ一日であっても二日であっても身分関係において陸軍との間に雇用関係が成立をするというような気がしますし、そして仕事の内容が非常に危ない毒ガスです。だから仮に勤労動員令に基づいて勤労奉仕に入った。こういうような人がそういった形で毒ガスを吸うた。そして障害を得たということはあり得ると思うのです。普通の作業場と違って期間が長かった短かったということは、毒ガス製造については余り関係がないというように思うわけです。それはちょっと言い過ぎだというようなうらみも感じられるかもわかりませんが、私ども調査をしたことを、ここに資料がございます。これを見てみますと、学徒動員の方々の実態調査をやったわけです。学徒動員の実態調査をやってみまして、直接、ガス製造に携わりましたかというのを聞きますと、これは正規の人じゃないのですけれども、直接、携わったという人が四八%おるのです。半数はやっておるわけですね。それから、急に入っていって、長いこと勤めをしなかったという人でも、非常に危ないところへ防毒マスクをかけて入っていくわけですね。あの荷物をとってこい、荷物を搬入せよというような形で防毒マスクをかけて入るわけです。これはやはり素人ですから、マスクの着用が十分でなかったら害を受けるわけです。  このように非常に危ないものですから、私は、いま局長の言われた学徒動員、女子挺身隊といったような人以外の人でも、徴用令でもって連れてこられた人たちが被害を受けておれば、これによってその方々が亡くなったときはやはり裁定対象にしてほしい、こう思うわけです。ひとつもう一回。
  107. 北村和男

    北村政府委員 再三申し上げておりますように、どういう法律、法令で動員されたかということは非常に大切なことでございますが、実態認定をいたしまして、軍と一定の使用関係にあったかないか。動員令などで行ったという証拠があると、それがそういうことなのかなということで比較的わかりが早いわけでございますが、早い話、沖縄等で戦争が大変苛烈になってきたときに、一般市民でありましても、軍にちょっと来て手伝ってくれという事実があれば、これは使用関係があると認めておるわけでございます。  ですから、先生いまおっしゃいましたケースがどういうケースであるかによって、個々のケースごとに判定をさせていただきたいと思っております。
  108. 平石磨作太郎

    ○平石委員 これでわかりました。個々のケースについてはいろいろ証拠書類が要りますから、それは当然のことですけれども、学徒、それから女子挺身隊以外の人はもう判断の対象に入らぬとせられると困るのです。だから、その方々は一応対象には入るが、ただ、個々にわたっての、そこへ従事しておったか、いわゆる雇用関係が成立しておったかどうかについての判断、これは個々にやらなければいかぬですよ。だから、絶対これらを排除して対象外でございますということには——国家総動員法に基づいてやっておるんだから、対象から全然外れたものではございませんと、こういうことにしておいていただいたら、あとはそれぞれ個別の裁定になるわけですから。
  109. 北村和男

    北村政府委員 大事なことでございますので、これだけは私ども確認させていただきたいのでございます。  動員令に入らなかった者も一般的に対象になるというお言葉でございますが、私どもとしては、それについてはまだ判断をしていないから、入るとも入らないとも言えない、個々のケースごとに国と使用関係にあったかないかを一つ一つ検証して、もし使用関係に入っている者があればそのようにいたしますと、そういうことでございます。
  110. 平石磨作太郎

    ○平石委員 これも詰めていきますと大分すれ違うような気もいたしますし、先ほどの答弁では個々に判断をさせてもらいます、こういうことでしたから、それでは一般的には対象に入るんだな、そして、AならA、BならBさんはどうでしたかということについては、それぞれの裁定庁において裁定するということでいいんじゃないか、私はこういうような気がするわけです。  したがって、これは国家総動員法に基づいてあそこへ行って、何も勝手に入ったものでもないし、また、その当時のあそこの所長さんといったような方々が勝手に、あなた来てくださいと言ったものでもありません。それぞれの手続に基づいて合法的にいわば動員がされたものですから、これはひとつ局長、余りかたくなに考えずにやってほしい、こう要望するわけです。  もう時間がありませんから最後になりますが、戦後にあそこのガスを処理した人がたくさんおるわけですね。この資料を見ましても、大変多いのです。昭和二十一年から二十二年にかけて、これを海洋投棄するとか、米軍の指揮のもとにやっておる。これは直接、ガスに触れておるわけです。この人たちの個々の資料を見てみましても、障害者、疾病者がたくさんおるわけです。戦後に雇われた方々は一体、何によって雇われたのか、これがはっきりわかりませんけれども、こうして資料にあるのですから、戦後これだけの人が雇われて、そして障害を受けて、いま治療中です。この方々が亡くなったときに、この法律の適用をせよと言ってもそれは無理だと、戦後のことですから、それはむずかしいのですが、何かこれにかわるような、そんなに何万人という人じゃないのですから、これに見合うような何らかの手厚い考え方をしてほしい。これはだれがどういう形で雇ったのか、そういうことについての論議をしてもわかりませんので、これは時間がたつだけのことですから、現実にそういう人がたくさんおって、被害を受けておる、亡くなるおそれがある。何とかこの人たちの遺族の方についても、また当人についても障害年金的なものを考えてはどうか、これは提言でございますので、ひとつよろしくお願いをしたいと思います。  以上のことで、いまのを含めて、大臣に最後に所見を伺って終わりたいと思います。
  111. 森下元晴

    森下国務大臣 戦後、毒ガスで障害を受けられた方については勉強させていただきます。  それから前段の問題につきましては、一般論になりますと、どうしても法は非常にかた苦しいものでございますので、局長の答弁のようなことになるわけです。私もいろいろやりとりを聞きまして、あの島へわざわざ物好きで行った人もないであろうし、また勤労奉仕的に行った人も恐らくおらない、何か動員令とかそういう要請を国家からされて、恐らくあの島へ渡った、また仕事に従事したということでございますから、そういう戦後処理の問題につきましては、やはり個々の事例に当たりまして、詳細によく調べまして処置をいたしたいと思っております。
  112. 平石磨作太郎

    ○平石委員 以上で終わります。
  113. 唐沢俊二郎

    ○唐沢委員長 次に、米沢隆君。
  114. 米沢隆

    米沢委員 私は、今回提案されております戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部改正法案に関連いたしまして、今日、日本の道義が問われております台湾人元日本兵士の補償問題、とりわけ援護問題を中心といたしまして、関係当局の見解をただしてみたいと思います。  御承知のとおり、第二次世界大戦が終わりましてすでに三十七年の歳月がたち、苛烈だった戦争体験も日に日に風化しつつあると言われます。しかしながら、今日的話題になっております中国残留孤児問題、国家補償を基本理念として原爆被爆者援護法をつくれという制定運動、あるいはシベリア抑留者補償の裁判、サハリン残留韓国人帰還問題等々、あるいはまた昭和四十七年横井庄一さんが生還救出された事件、昭和四十九年の小野田さんが出てきた事案、また昭和四十九年末の台湾人元日本兵士中村輝夫さんのモロタイ島での発見、救出などを、戦後数十年たった今日において見聞するにつけまして、いまだ戦後は終わっていないということを切実に痛感させられます。  特に、本日私が取り上げようとしております台湾人元日本兵士の補償問題は、さきの中村輝夫さんがモロタイ島で発見されたことを契機に今日的な課題となっているのでありますが、その際日本政府が台湾人元日本兵士の人たちを戦後全く見捨ててきたことが明らかになりました。それゆえにこれが対策は、日本政府の信義と道義が問われている緊急課題として今日に至っていると言わねばなりません。  御案内のとおり、明治二十八年わが国が台湾を領有して以来五十年間、わが国は、日本は万邦無比である、一視同仁の聖慮に感銘し、陛下の赤子たるべしとしていわゆる皇民化政策が徹底をされ、皇民教育が行われ、現地語の使用は禁じられて日本語が強制される、名前も日本風に改められる。戦争が始まると国のため強制的に徴用され、台湾では昭和十七年から志願制、昭和十九年には徴兵制も施行されました。すなわち、台湾人は名実ともに日本国民として第二次大戦を迎えたわけであります。そして実に二十一万人余りの台湾人が日本軍の兵士、軍属として参戦し、厚生省の昭和四十八年四月十四日の報告によってもそのうち三万一千人の人たちが戦死をし、また戦傷者も、その数は定かではないと言われておりますが、おびただしい数に上ったと言われております。  ところが、この台湾人の戦死者の遺族と戦傷者につきましては、戦争が終わってかつての敵軍蒋政権のもとに帰ったのでありますから、彼らは経済的社会的に困窮を強いられ、その中で身をひそめて人目を忍んで悶々たる暮らしを余儀なくされたわけであります。その上、次第に年老い、この世を去り行く人も少なくない。にもかかわらず、日華条約が無効になってこの種問題について特別取り決めが不可能になったとか、サンフランシスコ条約の発効によって彼らは日本国籍を失いその権利は消滅しているとかなんとか、これは彼らには全然関係のないことでありますが、そういう手前勝手なことを言いまして、日本政府からは戦後三十七年たった今日まで一文の弔慰金も遺族扶助料も傷疾年金も支給されず放置されたまま今日に至っておるわけでありまして、まさに無情冷酷、自分さえよければいいというエコノミックアニマル外交の典型と言わねばならないと私は思います。  そこで、厚生大臣、あなたは閣僚の一人として、この歴史的な経緯にかんがみ、この台湾人元日本兵に関する問題についてにつきどのような感想を持たれるのか、また、立法化するしないは別にしまして、彼らの援護の必要性につきどのように考えるか、あなたの胸は痛みませんか、御見解を伺います。
  115. 森下元晴

    森下国務大臣 かつて日本人として、また日本軍として勇躍戦場に赴きまして、戦死したり、また戦傷を受けた、そういう方々が二十数万おられるわけでございます。いろいろ外交関係が切れたり、またいろいろと国情、国交が変わってまいりまして、現状では、先般の裁判の結果、まことに心情的には心から申しわけないと御同情を申し上げるわけでございますけれども、やはり厚生大臣という現在の立場では個人的な見解でございましてもどうこうと申し上げることを避けたい。  ただ、過去三十七年間の日本の歩みを見ました場合に、特に台湾の場合、大陸、台湾との関係とか、また、かつてのサンフランシスコ条約の問題、また日華平和条約が一方的に切られたというようなことを考えました場合に、何かしてあげたいという気持ちは個人的にございます。しかし、現実の問題として御同情だけを申し上げるようなまことに申しわけない次第でございますけれども、強いて個人的な見解を問うということでございましたならば、以上のような感想を申し上げる次第であります。
  116. 米沢隆

    米沢委員 御同情は申し上げるということであります。  ところで、ちょっと話はそれますが、毎年八月十五日、総理大臣や多くの閣僚が靖国神社に参拝をしておられます。その日を戦死者の追悼の日にしようではないかという動きがあることは御案内のとおりであります。厚生大臣は昨年の暮れ新しい大臣に就任されましたのでことしは大臣として初めて八月十五日を迎えられるわけでありますが、大臣は靖国神社に行かれますか。
  117. 森下元晴

    森下国務大臣 厚生大臣は武道館での正式の追悼式の行事に参列いたすことになっております。当日靖国神社にお参りするかどうかはまだ決めておりません。ちょうど私、宿舎が九段の宿舎なものですから、個人的によくお参りはさせていただいております。
  118. 米沢隆

    米沢委員 戦死者追悼の日に八月十五日をしようというこの考え方にはどうですか。
  119. 森下元晴

    森下国務大臣 これはそういうような懇談会で大体その日にしようというような論議を尽くして結論が出たと聞いておりますが、私はいまのところいいとか結構だとかということの発言は控えさせていただきます。
  120. 米沢隆

    米沢委員 はっきりしたことをおっしゃっていただけないわけでありますが、個人的には九段の宿舎が近所にあるから靖国神社はよく参拝する。靖国神社には台湾人の元日本軍兵士が三万人合祀されておることを御存じですか。あなたはどんな顔をして参拝されておるのですか。
  121. 森下元晴

    森下国務大臣 合祀されておることは聞いております。二十数万の方がおいでになって、三万人の方が戦死されて、合祀されておるということは承知はしております。どういう気持ちで参拝するか。これは個人個人いろいろ複雑な事情もございましょう。私も旧軍人の一人でございますから、まことに御苦労でございました、私ども散り残った桜として、あなた方の御意思を、平和というものを、また戦争の非惨な面の今後ないように、全力を挙げて平和を守ります、国のためにがんばっていきます、こういう気持ちで実は拝ましてもらっております。
  122. 米沢隆

    米沢委員 靖国神社にお参りをされて、いまおっしゃったような気持ちで参拝をされておるということでございます。個人的には台湾人の元日本兵士の問題についても心を痛めておられる、こういうことでございます。  後にまた立法化の問題でいろいろ議論させていただきますが、御承知のとおり、昭和五十二年八月に、台湾人元日本兵士の補償問題を考える会というものが後ろ盾になりまして、この問題につき日本政府は補償してもらいたいということで当時者の代表訴訟の形で東京地裁に提訴がなされました。そして先月の二十六日第一審の判決が出されたわけであります。その内容は、新聞等で読んでおる範囲内でありますけれども、「戦争被害をどの範囲で補償するかは立法政策の問題であり、補償に関する法制度がない以上、裁判所として支払いを命ずることはできない」、また、「原告らは自己の意思にかかわりなく日本国籍を喪失し、現在なお何らの補償を与えられていない。戦死傷で経済上、社会生活上、はなはだしく難渋を強いられていることがうかがわれ、裁判所としても同情を禁じ得ない」としながらも、「司法判断は実定法の解釈を超えることはできず、この問題は国の国際的外交処理ないし立法政策にゆだねられるべきだ」と結論を出されまして、請求を退けられておるわけです。  そこで、この判決は、いまの法制度のもとでは裁判所は政府に補償を命ずることはできないというだけでありまして、政府の政治責任あるいは道義的責任を免除したものではありません。  司法の判断は結論として、先ほど申しましたように、「国の国際的外交処理ないし立法政策にゆだねられるべきだ」ということになって、問題は立法問題として今度は国にはね返ってきておるわけでありますが、厚生大臣はこの問題についてどのようなスタンスで取り組んでいかれるおつもりか、まず聞かせてほしいと思います。  同時に、いまの日本の現行法によりますと、軍人恩給法軍属援護法でありますから、総理府にもこの点同じ質問をさせていただきたいと思います。
  123. 森下元晴

    森下国務大臣 この問題は台湾との外交問題など非常に密接にかかわり合っておりまして、きわめてむずかしい問題でございます。日本は国交がございませんけれども、台湾は約二十数カ国との間に国交を持っておりまして、いわゆる中華民国という国がそういう国々から認められております。しかしながら、国交がとぎれまして、現在のところ外交問題に絡む問題でございまして、非常にむずかしい問題である。先ほど申しましたように、情的にはわれわれはまことによくわかるし、また何とかしたいという気持ちはございますけれども、そういうような事情厚生省としてはいかんともしがたいという、まことに残念な状況でございます。  それから、厚生省援護法によりまして軍属等を対象として戦没者遺族等の援護を行っておりますが、援護法には、先ほどもちょっと説明がございましたが国籍要件がございまして、台湾人を含め外国人にはその適用がない。また、援護法と対をなします恩給法の国籍要件をそのままにして援護法独自にこれを撤廃することは、制度の均衡上非常にむずかしいことであることの御理解を願います。
  124. 米沢隆

    米沢委員 戦死傷者に対する補償法は、御承知のとおり昭和二十五年にできました旧令による共済組合等からの年金受給者のための特別措置法、これは国籍要件はありませんね。ですから、現にこの法律によりまして障害年金を受けている台湾人の方がおられるわけです。援護法は昭和二十七年に制定されましたが、これは戦地勤務の軍属に対する補償でありまして、これには国籍条項が入っておる、こう言われますね。それから昭和二十八年にできました恩給法による軍人恩給もやはり国籍条項がある。  こういうことで、少なくとも恩給だとか援護については国籍条項があるから、結果的には元台湾人の皆さん方には補償できないのだという理屈をとっておられますが、まず最初に聞かせてもらいたいのは、この法案ができる段階において国籍要件を入れたというその背景と理由について説明してもらいたい。
  125. 北村和男

    北村政府委員 やはりこれは恩給法が観念的には先でございまして、援護法はその裏番組みたいな関係になるわけでございますが、援護法の考え方といたしましては、恩給法の考え方と同様に国と一定の使用関係にある軍人軍属等について国家補償の観点から給付を行うというために国籍要件を課したものである、さように心得ております。
  126. 米沢隆

    米沢委員 いまの御答弁では、国と雇用関係があった者について国家補償の観点から国籍要件を入れた、これはおかしいな。国と雇用関係があった者に国家補償の精神でやるのだったら、台湾人は国籍要件なんか入らなくていいじゃないですか。
  127. 北村和男

    北村政府委員 国籍要件が設けられておりますのは、当時日本人であったとか、これから日本人でなくなるとか、いろいろな問題がございますが、そもそも外国籍にある者の戦争被害の補償は、それぞれその国との間の問題として外交的に解決されるべき性質のものである、そういう判断があったものだと思います。
  128. 米沢隆

    米沢委員 援護法の第十四条あるいは恩給法の第九条に、いわゆる権利の消滅事項としてこの国籍要件が入っておるわけですね。それにひっかけて、元日本人であったとしてもいまは台湾人、朝鮮人の方は国籍がないからだめだ、こういうふうに言われておりますけれども、ちょっとこれは詭弁くさいのは、たとえば附則の二項には、「戸籍法の適用を受けない者については、当分の間、この法律を適用しない。」として、結局その当時台湾人、朝鮮人の方は戸籍法の適用を受けていらっしゃらなかったから当分の間この法律を適用しないということで、ここは保留で棚上げされているだけのことですね。  したがって、この朝鮮人、台湾人の問題については、ここで附則で保留されておるだけであって、本文の国籍要件なんかにひっかけるというのはちょっと矛盾じゃないですか。
  129. 北村和男

    北村政府委員 立法技術の点としてはいろいろありましょうけれども、基本的な考え方として、日本国籍を持っている者について処遇をするということでそういうことになったものであると考えております。
  130. 米沢隆

    米沢委員 この法律ができた時点において附則でわざわざ当分の間は朝鮮人、台湾人の皆さんについてはこの法律を適用しない、それが結果的には今後特別取り決めをする対象として残しておった分でしょう。したがって、本文に言う国籍を喪失したときというものは、当時その条項とはこの朝鮮人や台湾人の皆さんは関係なかったのですよ。これは特別に附則でわざわざ保留しておりますよというのを宣言しておるのじゃないですか。
  131. 北村和男

    北村政府委員 繰り返しのお答えになって恐縮でございますが、本来の日本人に対して処遇をするということを前提としてこの法律ができておるものと考えております。
  132. 米沢隆

    米沢委員 本来の日本人というのは何ですか。
  133. 北村和男

    北村政府委員 終戦によりまして分離された地域、これは戦争が負けるまでは日本領土であったわけでございますので、そういうものを指すものであると考えております。
  134. 米沢隆

    米沢委員 もしそうだったとしても、この附則の二項に書いてある、当分の間は適用しない、この保留されている分の扱いはどうなっておるのですか。
  135. 北村和男

    北村政府委員 終戦に伴う国際間の取り決めが行われるまでの間そういう保留をいたしたわけでございまして、その後日華平和条約の発効、これが昭和二十七年八月でございますが、そこで正式に日本国籍を喪失したことになっているわけでございます。
  136. 米沢隆

    米沢委員 取り決めがなされるまでの間、それを当分の間として適用されないとしただけであって、取り決めができないというだけであって、この保留してもらわねばならぬという債権はそのまま残っておるのじゃないですか。取り決めができなくなっただけの話でしょう。イコール請求権までなくなったのですか。そんな論理はおかしいよ。
  137. 北村和男

    北村政府委員 法律の適用をしないということでございますので、請求権の問題も当然にないわけでございますが……。
  138. 米沢隆

    米沢委員 そんなことないよ。この附則二項は結局、戸籍法の適用されない者については当分の間はこの法律は適用しませんという、当分の間だよ。その当分の間というのが、とうとう日華条約が失効してサンフランシスコ平和条約ができたものだから取り決め自体ができなくなったというだけであって、取り決めができたらこれは補償されるたぐいのものじゃないですか。
  139. 北村和男

    北村政府委員 法律の適用をしないというわけでございますから、同じことの繰り返しで恐縮でございますが、この法律の行政客体でないわけでございますので、そのことの当否はまたいろいろ御議論があろうかと思いますが、法律の適用がないということはその法律の客体たり得ないということになるわけでございます。
  140. 米沢隆

    米沢委員 たとえば恩給法、これは戦前の大正十二年に制定されたものですね。そして昭和二十八年には同じ内容のものが復活しただけですね。そうですね。したがって、大正十二年にこの恩給法ができたときに、その大正十二年の当時は日本が戦争に負けるなんて考えてもいないわけです。領土を失ったり臣民を失うことなんか考えてもいないわけですよ。したがって、恩給法には大正十二年に国籍要件が入っていますね、そのときの国籍要件というのは、みずから国民が自己の意思によって個別に日本国籍を離れた場合というものしか解釈できないわけです。そうじゃないですか。その思想がそのまま流れてきておるわけですよ。  この朝鮮人とか台湾人の皆さんはみずからの意思で離れたんじゃないですよ。恩給法の横並びで援護法ができてきた、恩給法には国籍要件があった。しかしその大正十二年の当時には、国籍要件そのものは、負けて領土を失うことなんか考えてないですからね。日本からみずからの意思によって国籍を離れる、そうした場合には権利を失うぞという意味で入れただけであって、横並びで援護法に同じ国籍要件が入ったということと意味の解釈は全然違うんじゃありませんか。私は見ようによっては現行法でも台湾人に対して補償しなきゃならぬと読めると思うのですよ。そうじゃないというちゃんとはっきりした説明をしてもらいたい。
  141. 北村和男

    北村政府委員 厚生省恩給法を所管いたしておりませんので、その解釈について申し上げるのはいかがかと存じますけれども恩給法援護法を通じて国籍要件を課しております趣旨は、もう個別のケースであれ、想定はしなかったでしょうけれども国家間の意思で国籍を喪失することとなる場合も含めて立法されたものと私ども考えております。
  142. 米沢隆

    米沢委員 それは結果論で、あなた方がそういう解釈をしておるだけであって、法律をつくる段階でどうだったかというのですよ。それを勝手に皆さんが解釈しておるだけじゃないですか。そんなのは解釈論だよ。法律をつくる段階はどうだったの。あなたは援護法恩給法の横並びだと言うだろう。横並びだから、恩給法に国籍入っている、それなら援護法も国籍入れましょう、そういう形で入ってきたんでしょう。そうじゃないのかな。
  143. 北村和男

    北村政府委員 そのとおりでございます。
  144. 米沢隆

    米沢委員 それならば、そのときの法律をつくる段階において考えられた国籍要件というものと、あなた方がいま解釈している国籍要件、違うよ。法律だけが一人歩きしている、そういうことじゃないかな。
  145. 北村和男

    北村政府委員 繰り返しで恐縮でございますが、恩給法の所管者でございませんのでいかがかと思いますが、恩給法を立法の際に、確かに先生おっしゃいますように日本がすってんてんに負けるなんということは恐らく当時の立法者は考えていなかったと思います。しかし、一たんできました法律の条文につきましては、どのような事態がございましても、その法律が生きている限りこれを解釈して執行しなきゃならないのが行政庁でございますので、現在の読み方以外の解釈はできないのではないか、そのように思います。
  146. 米沢隆

    米沢委員 だから、法律をつくった段階気持ちで解釈しろと言うておるんだ。
  147. 北村和男

    北村政府委員 お言葉を返すようで大変恐縮でございますが、やはり日本国籍を持っているか持っていないかということは、解釈が二つも三つもあってここまでは拡大解釈はできるとかここまでは厳格に読むとかいう余地がないのでございます。
  148. 米沢隆

    米沢委員 私の解釈で国籍要件を解したらできるのじゃないですか。
  149. 北村和男

    北村政府委員 そういう解釈になりますと、これまたお言葉を返すようで大変恐縮なんですけれども、日本人でないものでも日本人と読むという解釈をしなければならないと思います。それは現行法の解釈としてはいかがなものであろうか、これは法制局等にも聞いて見なければいけないことでございますが、援護法を主管しております者の考え方としてはそういうことで御理解をいただきたいと思うわけでございます。
  150. 米沢隆

    米沢委員 まあこれは水かけ論ですからこれでやめますけれども、附則の二に書いてある当分の間適用されないというだけであって、その当分の間、結果的には日華条約は失効したという、そういう不幸な事案によって結果的には取り決め自体ができなかったというだけだから、私は、この当分の間の、そのとき保留された分については、まだ生きておると思うのですよ。生きておると思う。そういう解釈で前向きに考えてもらわなければ困ると僕は思うのだ。  それから、結局そういう理屈を言われますから、現在の法律ではどうも適用できない、そうやりましょう。しかしながら、それならば新法はなぜつくらぬのかという議論になってくるわけです。  御承知のとおり、この援護法ができたとき、昭和二十七年の吉武厚生大臣の提案理由説明を読みますと、「これらの戦傷病者、戦没者遺族等は、過去における戦争において国に殉じた者でありまして、これらの者を国が手厚く処遇するのは、元来国としての当然の責務でございます。敗戦によるやむを得ざる事情に基き、国が当然になすべき責務を果し得なかつたのは、まことに遺憾のきわみと申さなければなりません。」「この講和独立の機会に際しまして、これらの戦傷病者、戦没者遺族等に対し、国家補償の観念に立脚して、これらの者を援護することは、平和国家建設の途にあるわが国といたしまして、最も緊要事であることは言をまたないところであります。これがこの法律により戦傷病者戦没者遺族等の援護を行おうとする根本的趣旨であります。」こう言われておるわけですね。  そして、国会に提案された援護法案は、衆参両院におきましてそれぞれ修正されました。  修正の中身は、その論議の要点は、援護法による援護は国家補償の精神に立脚しているものであり、それはいわゆる国家扶助の性質を有するものではないということが議論されまして、法第一条に「国家補償の精神に基き、」という言葉が挿入されて修正されたわけであります。  そうなりますと、たとえば、いま台湾人に対しては国籍要件がないから補償できないとおっしゃっておりますけれどももともと戦傷病者戦没者遺族等に関する補償は、戦争当時、国との法律関係に基づいて戦争に従事した軍人軍属がこうむった損害を補償しようというものでありますから、このような補償というものは、戦争当時における日本国家とその国民たる軍人軍属関係から生ずる問題であって、戦後日本国籍を失ったか否かは本来関係がない事柄ではありませんか。  戦争において死傷した軍人軍属に対する補償が国家の当然の義務であるとするならば、当時日本国民として戦争に従事した朝鮮人、台湾人に対しても日本人と同等の補償がなされなければならぬことは理の当然ではありませんか。こういう理の当然の上に新しい立法をつくってもらわねばならぬ。どうですか。
  151. 北村和男

    北村政府委員 御趣旨のほどはよくわかります。したがって、恩給法援護法の法体系の中でこれを賄えないとすれば、新たな立法をすべきではないか、そういう御議論であろうかと思います。  これはやはり広い意味での戦後処理の一つの案件ではないか。また、そういう観点からいろいろな御計画もおありというふうに伺っておりますが、一般的な戦後処理の所管につきましては、これは各省各般にまたがるものでもございますので、現在では総理府の方でいろいろお取り扱いになっていると考えております。
  152. 米沢隆

    米沢委員 したがって、この際いわゆる国と雇用関係にあった軍人軍属について、国家補償の精神に基づいてひとつ救済しようとするならば、その人が現在台湾人であろうと朝鮮人であろうと、元日本人として、日本兵士として戦って死に、そして傷を受けた方々でありますから、その人方を人道的立場に立って救済する法律をつくってもらいたいということになるわけですよ。いま各省庁にまたがるという理屈でありますけれども、少なくともこの援護に関してどうですか、厚生大臣
  153. 森下元晴

    森下国務大臣 いまの法律の範囲では、司法判断でああいう結果が出たわけでございますから、御趣旨のような処遇はできないということでございます。それで、新しくどうかという問題でございますが、まだ、この点につきましては、総理府との関係もございますし厚生省だけの判断ではなかなかむずかしい、このように実は考えております。いろいろ外交上の問題も実はございますし、もちろんこの台湾の問題、それから韓国との問題は、これは国交正常化のときに一括して解決したと聞いておりますけれども、北朝鮮との問題、またその他の問題も出てくると思いますし、複雑な国際間の事情もございまして、いまここで早急にやりますと言うことはちゅうちょするわけであります。
  154. 米沢隆

    米沢委員 いろいろむずかしい事情があるから、だからつくらないというのか。いろいろむずかしいことがあったとしても、できるものは救済していこうとするか。それはあなた自身のたとえば閣議における積極的な発言になるか、むずかしいからやめるようにしましょうなんて閣議で言うかどうかの話なんですよ。もう一回答弁を聞きたい。
  155. 森下元晴

    森下国務大臣 しばらく私も勉強いたしまして、私なりの考え方を決めたいと思っております。
  156. 米沢隆

    米沢委員 先ほどから議論しておりますように、いわゆる戦死傷者の補償法が、現行法では国籍要件が入っておるから、平和条約の発効日に外国人宣言をされた台湾人あるいは朝鮮人等はその法の適用から締め出されておる、こういう大変不幸な状態にあるわけですが、ところが日本の法制上といいましょうか、まことに奇妙な手前勝手な法理が私はあると思うのです。  たとえば、愛知県立大学の田中先生の論文を読みますと、「日本の戦犯に問われてスガモに拘留されていた朝鮮人・台湾人が、平和条約発効時に三十五名いた。」と言われるのですね。そして、同条約十一条によって、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が科した刑の執行は、日本政府に引き継がれたわけです。ところが、朝鮮人戦犯らは、平和条約ができておれたちは日本人でなくなったというのですから、条約発効直後に、人身保護法による釈放請求訴訟を起こされたわけです。事件はいきなり最高裁によって審理されまして、一九五二年七月三十日、大法廷は条約発効後における国籍の喪失または変更は刑の執行の義務に影響を及ぼさないとして、全員一致で請求を棄却した事件があるのですよ。  大変不思議だと思うのは、日本人でなくなったのだから刑の執行は免除しなさいよというのはノーだ、元日本人で補償してくれと言ったら、元日本人なのだからだめだ。これは法解釈上、法理上きわめておかしい奇妙きてれつな法理がいまだに生きておるわけですね。そうでしょう。同じように元日本人であるならば、元日本人の取り扱いは公平に平等に扱ってもらわねば困りますね。しかし元日本人として戦った朝鮮人や台湾人の人たちは、その元日本人として戦った結果出てきた刑の義務というものは、日本国籍から離れたとしても、それはおまえは許されない、そのまま拘留する。ところがこのような場合、日本の国籍を失った、だから元日本兵だからといって補償をする必要はない。こんな司法判断は逆におかしいのではありませんか。  法務省はどういう見解を持たれますか。
  157. 篠原一幸

    ○篠原説明員 ただいま先生から御指摘のございました判決は、最高裁の昭和二十七年七月三十日の大法廷判決であろうと思います。  この判決は、戦犯として刑に処せられ、拘禁されていた旧朝鮮並びに台湾の方でございますが、平和条約発効と同時に日本国籍を喪失したのであるから、平和条約第十一条に該当することはなく、同条による刑の執行を受ける理由はないとされまして、人身保護法による釈放を求められた事案でございます。  それに対しまして判決は、戦犯者として刑が科せられた当時日本国民であり、かつその後引き続き平和条約発効の直前まで日本国民として拘禁されていた者に対しては、日本国は平和条約第十一条により刑の執行の義務を負う。法は平和条約発効後における国籍の喪失または変更は右義務に影響を及ぼさないといたしまして、その請求を棄却したものでございます。  この事案では、主として平和条約第十一条の規定の解釈が問題にされたものでございます。したがいまして、本件の東京地裁のせんだっての判決とは、事案の内容並びに適用法規を異にしているものでございます。先般の東京地裁の判決の中身は、先般来先生からもお話がございましたが、幾つかの論点のうちの一つは、原告ら台湾の人々に対しましては、援護法の附則二項、恩給法九条一項三号の各規定から両法ともその適用がないとされているところから、これらの適用除外規定が憲法十四条の平等原則に違反するかどうかということが争点になったわけであります。  そういうふうなわけでございまして、この最高裁の大法廷の判決と本件の東京地裁の判決の事案とは、事案の内容、適用法規が異なりますので、一概に法理論上問題があるというふうには即断できないのではないかと考えております。
  158. 米沢隆

    米沢委員 司法の判断だからあなた方が言いにくいことはよくわかる。また、違った事案の訴訟だから、同じ条項をこう解釈したという議論でないことも事実だろう。しかしながら、元日本兵として戦争に参加して戦犯に問われた方は、国籍を失った時点においても日本国民として政府は扱った。ところが、この補償の場合には、国籍がなくなったから、おまえは日本国民ではない、こう言われておるわけですから、単純に言ったらおかしいではありませんかと言うているんだ。そうでございますとおっしゃいよ。
  159. 篠原一幸

    ○篠原説明員 この事件は東京高等裁判所に係属中でございまして審理を受けておりますので、裁判所の判断を仰ぐべき事案と思いますので、意見を述べることは控えさせていただきたいと思います。
  160. 米沢隆

    米沢委員 意見が述べられないということは、いま私が言ったのは当然だと思っているという証拠だな、そういうふうに理解しましょう。  そこで今度は、たとえばいま中国残留孤児の問題がいろいろ問題になって、政府も一生懸命やっていただいております。これをいいとか悪いとか言うておるのじゃありませんよ。いま中国人の残留孤児問題に熱を入れられる理由は何ですか。
  161. 北村和男

    北村政府委員 厚生省が残留孤児問題、いろいろやっておりますのは、これら対象になります残留日本人孤児は終戦時の混乱で幼くして肉親と別れ、三十何年の長い間不幸にも自分の身元もわからないという状態に置かれた方々でございます。日本人残留孤児でございますから、当然日本人の子として生まれた日本人でございます。その人たちが肉親を捜したいという長年の悲願をかなえさせてあげたい、そういうことから、中国政府の協力を得ながら、主として日中国交回復後にこの事業を進めているところでございます。
  162. 米沢隆

    米沢委員 日本人の子として生まれたけれどもいまは中国国籍だな、そうでしょう、中国人。いま中国という国籍を持ち、元日本人だ。台湾人だって一緒だな、元日本人でいま台湾国籍。同じことじゃありませんか。そういう意味からも、もうちょっと新法をつくるような気持ちになってもらいたいと思うんだ。  大臣、どうですか。
  163. 森下元晴

    森下国務大臣 これは非常にむずかしい問題でございます。やはり戦争の生んだ悲劇でございまして、大体戦争することが間違いであった。それがこういう悲劇を生んだわけで、私どもはこの後始末のために避けて通れない問題でございますが、いまの理論はどうもわかったような、なかなかわかりにくい問題でございまして、私も何とかしたいという気持ちはありながらも、いろいろ他の省庁の問題あるいは国際間の問題等もございまして明快なお答えができないということが残念でございます。  この孤児の問題は孤児の問題として、これは中国政府も非常に御熱心に、またもちろん養い親の方々に対する感謝の気持ちもあらわさなければいけないということで、それはそれなりに一生懸命にやっていきたいし、まだたくさんの方がお残りになっているわけでございますから、今後とも早急に孤児の問題についてはやっていきたいと思っております。  台湾関係の問題につきましては、先ほど申しましたように国交がないということが一つの障害になっておるという非常にもどかしい気持ちもございますけれども、これ以上のお答えはできかねるわけでございます。
  164. 米沢隆

    米沢委員 自分の国の軍人軍属として従事して戦死傷した者に対する補償の問題は戦死傷者の国籍を問わずなすというのが他の先進国、文明国の共通した態度です。だから外務省に、各先進国の、たとえば旧植民地の軍隊がその国のために戦った、そのために補償の必要があるとしたらどういうかっこうで補償しているか、そういうことを聞きたかったのですけれども、どうもいま電報を打って問い合わせておるので、いまからの話だなんて悠長な話をされている。この台湾人の問題はもうはるかかなたから問題になっているわけですよ。やる気がないからそういうことになるのだな。質問に迫られてちょっと調べてみるということだ。もし本当に少しでもやる気があれば、ほかの先進国はどうしたのだろうかくらいの気持ちになるのはあたりまえではないですかね、外務省、どうかな。  第二次世界大戦において戦死傷した多くの軍人軍属の中には、先ほど言いましたような旧植民地の人々であってその宗主国のために戦い戦死傷した人々が含まれていた事案がたくさんあるわけです。アメリカ合衆国軍として戦死傷したフィリピン人、イタリア軍として参戦したエチオピア、ソマリア、エリトリア、リビアなどの植民地の人々、フランス軍のために戦ったアルジェリア人の人々、英国人のためのインド人、そして日本のために参戦した台湾の人、朝鮮の人とあるわけですよ。戦後アメリカ、イタリア、フランスなどの国は旧植民地の人々に対して戦後の国籍のいかんを問わず実際補償を実施をしておる。台湾人元日本兵に対して補償をなすべきことは世界の文明国に共通する原則だと私は考えておるのです。  いま外務省の方でそのあたりは調べてみるということでございますから、一週間後くらいにはわかると思うのですが、いま私の手元にあるたとえばアメリカ軍とフィリピンの関係ですね。これは御承知のとおりフィリピン群島が米西戦争、スペイン戦争ですね——の結果、一八九八年のパリ条約によってスペインから割譲されてアメリカ合衆国の領土となりましたけれども、第二次世界大戦中アメリカ合衆国とともに戦ったフィリピン人、すなわち直接アメリカ合衆国軍に所属していた者、合衆国大統領の命令により合衆国軍に編入されたフィリピン政府軍、フィリピン通常偵察隊及びフィリピン特別偵察隊として軍務についた者、こういう軍人またはこれに準ずる地位にある者に対しまして国籍のいかんを問わず、つまり現在フィリピン国籍を持つ者に対し、軍務によって来る死亡または負傷を理由に補償金が支払われております。これはもう事実です。  それからイタリアの場合にも、イタリア軍はリビア、エリトリア等を植民地として第二次世界大戦中持っておったわけですが、これらの旧植民地人でイタリア軍の軍人または軍属として従軍して戦死傷した者については、現在もその国籍いかんにかかわらずイタリア政府から年金等が支払われておる、こういうことです。  まだフランスの例、僕は持ってません。しかしながら、大部分の先進国あるいは文明国と言われるところは、その国籍いかんにかかわらず、戦争当時自軍のために戦った人々に対してはちゃんと補償する、こんなのは常識なんですよ。日本がこの常識を守れないなんというのはおかしいんだ。  大臣、どうですか。
  165. 森下元晴

    森下国務大臣 御趣旨よくわかります。しかし、台湾の置かれておる立場と申しますか、いまの大陸もかつて中華民国という名前のときにおきまして終戦を迎え、まだいろいろと日本との外交もあったわけでございます。そのときに、これも国際史上まれな、賠償金は要らない、また大陸にいる旧軍人を安全に日本に帰していただいた、また、日本の分割占領に反対、そういうような事例も実はございまして、私どもは非常にありがたかったわけでございます。そういう国が、現在は中華人民共和国が日本と国交ができまして、一つの中国ということで台湾と日本との間が非常に関係が微妙になっておる。そこのかつての日本軍であった方々の問題でございまして、非常にむずかしい問題があるわけでございまして、米沢議員の言われることはよくわかりますけれども厚生大臣としてなかなか答弁しにくいと申しますか、できにくい点があることも御了解いただきまして、今後勉強さしていただきまして、いろいろまた私なりの発言の機会を持ちたい、このように思っております。
  166. 米沢隆

    米沢委員 いろいろな事情でむずかしいのはよくわかりますが、結局やる気があるかないかの話なんです、これは。やる気があったら国内法で決めるだけのことですから、あとは具体的にどうするかの問題について個別に議論していったらこれは終わることなんです。たとえば他国の関係があるとかいっても、まず台湾人から救済してその次は朝鮮人をやればいいじゃないですか。やる気があるかないかの問題だから、ぜひやる気を出してもらいたい。  それから、いま援護を中心にして質問をさせていただきましたが、もうこれも前々から国会で問題になっておりますように、さらに当然これらの人々に支払われるべきだった従軍中の未払い給与、軍事郵便貯金等の問題がありますね。ちょうど昭和五十年二月二十一日、二十八日の衆議院外務委員会におきまして、当時の宮澤外務大臣が日本政府の債務であることを確認したにもかかわらず、依然として支払われていないというこの問題が実際はあるわけです。  そこで、なぜ一向にその事務が進まないのか、こう考えていろいろ過去の委員会の議事録等を読んでおりますと、問題なのはこの未払い給与だとか郵便貯金の問題等々、たとえば郵政省は台湾住民のすべての財産権の請求処理問題の一環として郵便貯金の問題というのが現在は取り扱われておる。わざわざ事をむずかしくしておるのだ、これは。  あるいは厚生省だって、この債務履行については、いろいろ複数省庁の債務履行という問題も絡みますので、したがって統一的方式によって履行するという見地から考えておるわけでございますがと、こうやっておるわけですね。  外務省はどう言うかといいますと、統一的一括方式によって履行するという問題に関しましては、現在台湾との間に、政府間に特別取り決めを行って処理するということが不可能になりましたので、その他の方法でどういう解決する方法があるかということにつきまして鋭意相談をいたしてまいっておると言って、結果的には日本人の台湾に置いてきた残置財産問題あたりも一緒に含めて一括処理をしよう。しかし一括処理する窓口は、いま国交がないからできないでしょう。  できない方に、できない方に物事をみんな押し寄せて、結果的には時間のたつのをじっと待つ。死んでしまってからどうするの、これはみんな。いまのような調子でむずかしい、むずかしいだったら、いつまでたってもむずかしいんだ、こんなのは。時間がたったらむずかしいものはきちっと解決するのですか。台湾とまた国交回復でもするの。台湾独立戦争でも支援するのかね、日本は。いまのような調子でずっと外交が続いていくとするならば、幾ら時間を稼いだところで皆さんがアクティブに仕事をしない限り、いつまでたってもこの補償の問題は片づかないですよ。無責任そのものだよ、そんなのは。  現に残置財産の請求権と絡めるなんと言っても、皆さん御承知のとおり現在の蒋政権の請求権ではこれはないですよ。そうでしょう。もともと敵なんだから。台湾人でもと日本兵として戦ったのだから。そういう人のためにいまの蒋政権がよし取ってやるなんて言うはずがないじゃないですか、そんなの。したがって、これはむずかしい、むずかしい、一括処理でやりましょう。一括処理するにしては国交がありません。時間を稼ぐだけでこの問題は何も解決の方向に向かっていないのですよ。あなた方官僚として、ただ仕方がありません仕方がありませんで済ますつもりなの。そこを私はみんなに聞いてみたいと思うのです。  あるいはまた、この問題について省庁で連絡会議をやって何かやりますなんて何回も何回も皆さんは答弁しておる。ところが、進むのは全然聞かないな。  本問題の処理に関係する行政庁は、恩給関係は総理府、援護、年金関係及び未払い給与関係厚生省、軍事郵便貯金関係は郵政省、対外事務関係は外務省、財務関係は大蔵省であります、本問題の特性にかんがみ、これらの府及び各省の連絡会議を開き、整合性のある処理を図るよう努めているところであります、と現在進行形で言っておるんだよ。ところが、そんなの、聞いたことがないな。こういう答弁をされておるのは、昭和五十三年。しかしその次の昭和五十五年の段階でも連絡会議なんか持たれてもいなかったのですよ。そして今日に至っておるのですよ。一体どうなっておるのですか。  その後の経過について、総理府、厚生省、郵政省、外務省、大蔵省、一体どうしておるのか、経過を報告していただいて、前向きに進んでいるかどうか、一問一答で答えてもらいたい。これは宮澤外相が債務は確認しておるのですよ。しょっちゅう大臣はかわるけれども、外務大臣として宮澤さんが発言したことは政府を拘束するはずだ。その整合性を持って、あなた方のやっている仕事でどういう関係になっておるの、いま。はっきりしてもらいたい。やる気があるのか、ないのかということだ。むずかしいのはわかっておるよ、みんなこんなのは。簡単なことしかやらぬのかね、皆さんは。
  167. 塚原登

    ○塚原説明員 お答え申し上げます。  先生のいまのお話の件でございますけれども、私どもとしまして、軍事郵便貯金等につきましては基本的には支払わなければならない立場にある、こういうふうに考えているわけでございますけれども、いろいろとほかの財産あるいは請求権との関連がありますので……(米沢委員「まだそんなことを言う」と呼ぶ)関係各省との間でいろいろ意見の調整を図ってきているということでございますけれども、なかなかまだ解決に至っていないということでございます。
  168. 北村和男

    北村政府委員 厚生省関係は、先生が御指摘のように未払い給与がございます。各省間の協議は継続して行なっていまして、最近では三月にも外務省で行われたような経過でございます。(米沢委員「結論は、むずかしいのを確認したか」と呼ぶ)引き続き検討いたしております。
  169. 兵藤廣治

    ○兵藤説明員 またおしかりを受けるかもしれませんけれども大臣が再三申し上げておりますとおりに、ともかく台湾がだんだんむずかしい方へ、むずかしい方へという法律的な関係になっていることは事実でございます。ともかくわが国政府としては台湾を中華人民共和国政府の領土の一部であると認識しております関係上、政府として中華人民共和国政府の意向と関係なしに、台湾にいろいろな、たとえば援助等を実行することはどうかという外交上の問題がありますほかに、ともかく法域が及びませんので、そういう大きな壁がございまして、何ともいたし方がないというのが実情であろうかと思います。
  170. 藤井宏昭

    ○藤井(宏)政府委員 外務省はその後本件について種々努力をしているわけでございますが、特にことしの二月、東京地裁の判決がございましてから一つの法的な道が、新段階でございますけれども、閉ざされたということもありますし、また世論におきましても、戦後の一つの区切りと申しますか、いままで困難な問題として関係者が努力してまいりましたけれども結実を見なかったたとえば本件のような問題について、新たに見直して取り組まなければいけないのではないかということで、各省も寄り寄り協議いたしまして、その後また会合などしておるわけでございますけれども、相変わらず問題は、先生は十分御存じのとおりの問題、すでに本委員会で御指摘を受けた問題がございまして、この問題すなわち他の分離地域の問題あるいは日本人の法人が台湾に持っております残置財産の問題等々一体どうするかという問題、それからもちろんわが国の財政事情等もございますし、その問題のむずかしさということは変わっていないわけでございます。  しかしながら、いままでも努力をしてまいったわけでございますけれども、今後も、いま申しましたような時点でございますし、そういう世論の高まりもございますので、さらに検討を進めたいということでございます。
  171. 米沢隆

    米沢委員 時間が来ましたのでこれで質疑はやめますが、結局一括方式でやろうという思想があるから残置財産がどうだこうだという小理屈が出てくるのですよ。個別方式でやろう、残置財産と関係ないということでやる気があればやれることですから、一括方式にこだわらずに個別方式も私はぜひ検討してもらいたい。そしていろいろ障害があるならば、その障害はそのたびごとに解決していったらいいじゃないですか。  どうか厚生大臣、この問題についてはかなりの部分あなたの責任もあるわけだから、今後閣議で一大旋風を起こして議論してもらいたいと思います。  以上で質問を終わります。
  172. 唐沢俊二郎

    ○唐沢委員長 次に、浦井洋君。
  173. 浦井洋

    浦井委員 まず最初に大臣に、きょうの昼ごろ報道があったのですけれども、注目されておりました日本医師会の会長選挙の結果がわかりました。大方の予想を裏切って、激戦の末花岡という人が次の日医の会長に就任をするということが決まったわけでありますが、この結果を見てひとつ大臣の御感想をお伺いしたい。
  174. 森下元晴

    森下国務大臣 長年武見会長が医師会会長として医療問題に携わってまいりましたが、いまお聞きいたしましたところ、予想に反してというか花岡さんの方が勝った。いわば武見体制が負けたという結果のようでございます。詳しい内容については私もまだいま初めてお聞きしたようなことでございまして、論評は避けたいと思いますけれども、いろいろ医師会の体制も変わりつつあるのだなというような気持ちがいたすわけでございます。
  175. 浦井洋

    浦井委員 それでは法案の審議に入りたいと思うのでありますけれども先ほども問題になっておりましたように、この援護法、それから各種の年金、それから原爆特別措置法、さらにさかのぼれば恩給、すべてスライドの実施時期が一カ月おくらされる、これは非常にけしからぬわけであります。一カ月おくらしたのはなぜかというふうに質問をいたしますと、先ほどからのお話のように堂々めぐりをするので、けしからぬというふうに私はきめつけておきたいと思うわけであります。  そこで、年金局長来ておられると思うのですが、年金の場合にスライド制の導入が四十八年の法改正で行われた。スライド制というのは、年金制度あるいはそれに伴って各種の援護法もそうですし、いろんな関係法律国民にとっては非常に大きな希望の制度であるし、非常に大きな柱であるわけなんです。ところが、年金で言うならば、前の年の物価指数にスライドするという形になって実際に支給されるのが一年おくれになるわけですね。前から問題になっておりましたタイムラグがあるわけです。だから、このタイムラグを解消させるためにできるだけ早くアップした金額を支給させよということで、いままで各方面からも努力がされてきたし、結果としては五十六年度まではそうなっておるわけですね。  これはいろいろな資料がありますけれども、たとえば四十八年の十一月十九日「当面する社会保障の危機回避のための建議」、これは制度審でありますが、このところを読みますと、「年金における自動スライド制の採用や、年金額の算出の基礎となる過去の報酬を再評価する方式の確立等は、その適例である。しかしこれらの措置を実施する場合のタイムラグは、インフレーションの進行が急速化するほど重大となるのは当然で、それを短縮する方法を講ずべきである。」というふうにこの建議では指摘をしておるわけであります。これはもう局長もよく御承知だと思う。それから、その次の年の制度審の答申でも正式に、タイムラグの短縮を図れ、こういうふうに言われておる。  さらに、翌年の四十九年の十月七日、同じく制度審の「当面の社会保障施策について(意見)」というものを見ましても、これは一項目「年金額の自動スライドについて」という項目が設けられておりまして、「年金額の自動スライド制が採用されても、タイムラグが重大な問題となることは、すでに昨秋指摘したところである。政府は、昭和四十九年度限りの緊急措置としてタイムラグ短縮の措置をとったが、これを一層短縮する努力が必要である。そのためには、たとえば臨時の措置として新年度早々からスライドされた年金が支給されるよう一部予測値を採り入れるなどスライドの指標のとり方に特別の工夫を加えることが必要であろう。」というふうに指摘をされておりまして、やはり年金制度を支える大きな柱であるということが政府の審議会でもはっきりと強調されておるわけであります。  だから、ここでたとえ一カ月にしろスライドの実施時期をおくらせるということは、年金制度などの重要な柱であるスライド制を後退させるということで私は重大な社会保障の後退だというように思うのですが、局長どうですか。
  176. 山口新一郎

    ○山口(新)政府委員 スライド制に関しまして、基本的には先生のおっしゃる御意見には私も賛成でございます。しかしながら、公的な仕組みでございますから、これは諸外国もそうでございますけれども、タイムラグの問題は常に問題になるようでございます。  今回法案を御提案いたしておりますが、その審議会におきます審議の過程におきましても、基本的には現在のスライドの仕組み方を再検討しないと解決できないのじゃないかというような御議論もございました。  しかしながら、五十七年度に限りまして申し上げますと、物価が法定されております五%までは上がらないという状況がございますので、法定どおりですと物価スライドをしなくてもいいことになりますが、それを今回は特例的に行おうということでございまして、先ほどお話の出ました社会保障制度審議会の御答申の中でも「今回の諮問は、実施時期についてはこれまでの例から見て遺憾であるが、年金等の実質的価値を維持しようとするものとしておおむね了承する。」ということで、不満ながらも仕方がないというようなことで、今年度については特別な御意見をいただいているような状況でございます。
  177. 浦井洋

    浦井委員 いま局長言われたように、ことしの制度審あるいは社保審の答申でもそのとおりなんですが、「遺憾である」ということは言われておるわけですよ。だから、これは大臣がんばって、五十七年度一カ月おくらせるというようなことをせずに、何とか年金にあるいはいろいろな手当類に期待を持っておる方たちのために一肌脱がなければいかぬのと違いますか、大臣
  178. 森下元晴

    森下国務大臣 昨年夏にゼロシーリングという厳しい予算を組むことを命じられまして、いろいろ工夫をしてまいったわけでございますけれども、当然増とか自然増、特にスライド問題は、いまお話ございましたように年金の大きな柱でございます。たとえ五%以下でございましても、これは絶対に特例的に守っていこうということで、この点は御期待に沿ったわけでございますけれども、一カ月ずれたということは、厳しい財政状況の中で、私どもとしても残念でございますけれども、精いっぱいの予算を組ましていただいたということでごしんぼうを願いたいという気持ちでございます。
  179. 浦井洋

    浦井委員 大臣、それではだめなんで、私、年金について一般的に申し上げたのですが、この法案援護法ですよね。国家補償の立場に立ってやるということで、すでに五十二年に四月実施ということで五年間積み上げられておるわけですよね。だからそれに対しては、年金もそうですけれども先ほど申し上げたように一定の期待というか、まあむずかしい法律用語で言えば期待権のようなものがあるのですね、これは年金援護法も同じでありますけれども。それを踏みにじるというのはけしからぬし、まして国家補償の立場に立ってやるという立場をこういう措置は希薄にする、あるいはゆがめる、私はこういうふうに断ぜざるを得ないわけでありますが、これはどうですか。
  180. 森下元晴

    森下国務大臣 恩給との横並びと言うと主体性がないと怒られますけれども、過去の例もございますし、やはり恩給との兼ね合い等もございまして、初めは五カ月、六カ月というふうな非常に大幅なおくれがあったわけでございますが、私どもとしては何とか一カ月のおくれまでに取り返したという自負心も実はございます。できればおくらさずに済ませれば一番よかったと思ったわけでございますけれども恩給との見合いもあった。極力努力をいたしまして一カ月にとどめさせていただいたということを申し上げさせていただきたいと思います。
  181. 浦井洋

    浦井委員 そういたしますと、これも先ほどの質問に出てまいりましたけれども、来年はどうするのかという問題があるのですよね。これはある専門雑誌の報道によりますと、この問題を審議する社保審のところで質問に答えたというようなかっこうで、来年はもとに戻したい、努力をしたいというふうに大臣は言われている。先ほどもそういうふうに言われたのですが、しかし同時に要求を取りまとめる段階でよく検討したいという趣旨を言われたのですが、少なくとも要求は、もとに戻して、援護法で言えば四月実施でやるのだというかたい決意を表明していただきたいと私は思う。
  182. 森下元晴

    森下国務大臣 五十八年度の予算要求でございまして、まだ五十七年度が終わっておらない段階でどうこう言えませんけれども、決して一カ月おくれを固定するつもりはございません。もとに戻すように全力を挙げたい。しかし、財政状況、また恩給の取り扱いの推移を見ながら方針を決めていきたいということで、気持ちとしてはもとに返していきたいということでございます。
  183. 浦井洋

    浦井委員 気持ちとしてはもとに戻したいということであります。しかし、皆さん方が責任を持って運営をしてきたというふうに言っておられる国家財政の再建というようなものは、皆さん方の考えておられる方法ではなかなか不可能だというように私は思うわけなんです。  そこで、去年出ました臨調の第一次答申によりますと、恩給については五十七年度極力抑制する、そして新規の個別改善は行わないということで、この答申どおりのような結果が五十七年度予算案には反映をしておると私は思うわけですけれども、そういう財政再建期はまだ続くわけですし、さらにこれを増幅させるようなかっこうで、この方針でやられるのと違いますか。そうしたら恩給の横並びで援護法ということになりますから、援護法に対するこれからの改善というようなこと、あるいは額のアップというようなことはなかなか望めないことが予想されるわけなんですが、それに対して大臣、どうですか。
  184. 森下元晴

    森下国務大臣 経済情勢も余りよくない、財政もことし以上に逼迫するであろうというようなことは一般的に言われております。今後どういうふうな財政状況になっていくか、はっきりわかりませんけれども、五十八年度の予算につきましては、年金、また援護法に基づくいろいろな手当、その他遺族年金等もございますが、その他のいろいろな予算上の問題についてもかなり厳しい面が出るのじゃないかと思います。そういうことで、全般の中でこの年金問題をどうしていくかということでございますから、いまこの段階で五十八年度の予算を想定したり、また余り希望的な意見を述べることはどうかと思います。だから、先ほど申しましたように、厚生大臣としては、厚生行政のために、特に福祉関係のためには全力を挙げるということを申し上げたいと思います。
  185. 浦井洋

    浦井委員 来年の話をいたしましたけれども委員長、ことしについても、私は一カ月おくれをもとに戻すというような修正案を出したいと考えておりますので、ひとつ与野党を問わず御賛同を願いたいということを希望しておいて、今度は援護行政についてお尋ねをしたいと思うわけであります。  これも先ほどからいろいろな問題が出ておるわけでありますが、中国残留日本人孤児問題を初めとして、たとえばこういう問題が未処理になっておるわけですね、戦後強制抑留者への補償であるとか、あるいは民間の戦災犠牲者障害者、死没者遺族に対する援護、それから旧軍人の兵役年数の各種年金への加算、それから台湾の元日本兵に対する補償、それから日赤は少し前進をいたしましたけれども、陸海軍看護婦に対する恩給の適用であるとか、あるいは海外残留財産に対する補償、もちろん厚生省の所管だけではございませんけれども、多くの未処理の問題があるし、また、それに該当する被害者の方々から要求が出ておるわけであります。これを並べて見ますと、改めて日本軍部が起こしました侵略戦争というのははかり知れない犠牲を国民に与えておるのだということを私は痛感をするわけであります。  本来であれば、これは戦争が終わったときにすぐに政府の責任で解決すべき問題であったにもかかわらず、援護の範囲というものをきわめて狭い範囲に限定した、全面的に広げなんだところに私は原因があると思う。それにもかかわらず、いまお話に出ましたように、四十二年に政府と与党とが戦後処理は済んだという確認を交わされておるというのは、私はこれはうなずけぬということであります。  そこで、総理府来ておられますか。——総理府の方にお伺いしたいのですが、戦後三十七年、戦争で被害を受けた犠牲者の方々も非常に年齢が高くなっておられる。それぞれの処理というのは急がなければならぬということでありますが、要求の強いところから継ぎはぎで対応していくというやり方でなしに、この際、戦争中の未処理の問題、戦後に残った問題について全面的な見直しをやって解決していくことが必要だと思うわけでありますが、総理府の中に、予算が成立すれば戦後処理問題懇談会がつくられるということになって、そこで検討することになっておるわけですが、一体どういうことを検討されるつもりなのか、ひとつ端的にお答えを願いたいと思うのです。
  186. 造酒亶十郎

    ○造酒説明員 ただいまお話がございました戦後処理問題懇談会でございますが、いわゆる戦後処理的な問題に関しまして、政府といたしましては、これまで戦没者遺族、戦傷病者などにつきまして一連の援護等の措置を講じてきたところでございます。  昭和四十二年の政府・与党間の了解に基づきまして、戦役処理に関する一切の措置は終結するということになっておりまして、新たな特別の措置を講ずるということは政府としては考えていないわけでございます。  ただ、一方におきまして、戦後処理問題につきましては、戦後三十六年を経ました現時点におきましてもなお強い御要望がございますので、民間の有識者による公正な検討の場を設けましてこの問題をどのように考えるべきかということを検討していただくことにいたしたいと考えている次第でございます。  したがいまして、この戦後処理問題懇談会で御検討いただきます内容は、戦後処理問題をどのように考えるべきかということでございまして、個々の問題についての検討という形でお願いをすることは考えていないわけでございます。もちろん、懇談会の検討の過程におきまして、個々の問題につきましてどういうような勉強のされ方をするかということは懇談会の御意向によってお決めいただくことになろうかと思っております。
  187. 浦井洋

    浦井委員 きわめて官僚的な答えであります。新しく個々の案件については処理しない。それで責任を持って具体的に処理するというような姿勢は全くないわけでありますが、厚生大臣、これを聞いておられてどう思われますか。  もちろん厚生省の所管外の問題もたくさんありますけれども、鈴木内閣の一員として、中国孤児問題を現実に取り扱われたわけですし、これからもやっていかなければならぬ。やはり厚生省が一番大きな分野を担当しなければならぬということでいまも強調されましたけれども、閣議その他、あるいは個別に担当大臣と相談をするとか協議をするとかいうようなことをやって、全面的な見直しの機運を厚生大臣が責任を持って醸成していくという努力を私は期待したいのですが、どうですか。
  188. 森下元晴

    森下国務大臣 私は、個人的にはまだ戦後処理は全部終わっていないと思っております。まず北方四島の問題を初め、シベリア抑留から台湾の日本兵の問題、また孤児の問題、次々に新しく出てまいっておりまして、これからもやるべき問題はたくさんあると思うのです。  ただ、四十二年でございますから、戦後三十年、ここらで一つ区切りをつけたいという気持ちが、戦後処理は終わったのだ、終わるのだ、あとは違った角度で戦後処理はやっていこう、こういうふうに私は実は個人的に考えておるわけでございますし、その後いろいろな問題が出てまいりまして、厚生省としても取り組んでおるわけでございますから、やはり戦争の後始末、また戦争の傷跡というのはなかなかいえないのだなという気持ちでございまして、今後ともそういう問題については、厚生省としては取り組んでいきたい、また、いろいろ各省庁との連絡事項もございますが、やっていきたいと思う次第であります。
  189. 浦井洋

    浦井委員 さらに、具体的に援護局の問題で、厚生省の援護局というエリアで考えていきますと、どの省庁よりもあるいはどの省庁のどの部局よりも、軍人軍属を初めとしたあるいは戦災者の記録、原爆の記録、資料をたくさん持っておられるわけです。これはまさにそういう資料の宝庫であります。だから厚生省並びにその一部局である援護局というのは、こういう機運になってまいりますと、その果たさなければならぬ役割りというのは一層重要な部署になっていく。だからそういうことで、一体今後の援護行政というものをどう考えておられるか。  これは大臣局長にお伺いしたいのですけれども、たとえば調査課が調査資料室というようなかっこうでいわば格下げをされるというようなことで、ちょっと担当者に聞きますと、今度の中国孤児一時帰国の問題にしてもかなり大変な目に遭われたというふうに聞いておるわけで、業務に支障を来すようなことをせぬようにしなければいかぬ、こういうふうに私は思うのですが、大臣並びに局長の御意見をちょっと聞いておきたい。
  190. 森下元晴

    森下国務大臣 お説のとおりでございまして、厚生省、特に援護局は膨大な貴重な資料を持っておりまして、これを大切に、またときには活用しなければいけない。今回の中国孤児の問題につきましても、援護局は大変に多忙をきわめた、しかし成果も上がったわけでございまして、私は、よくやった、このように思っております。今後とも援護局の仕事は続くであろうし、また機能というものは整備をしておくべきである、このように思っております。
  191. 北村和男

    北村政府委員 業務につきましては、いま先生がおっしゃいましたような仕事をやらさしていただいておりますが、中国残留孤児問題につきましては、特に全局を挙げまして努力をいたしたつもりでございます。しかし、親御さんが見つかった孤児の顔を見ていますと、本当に私ども、役人冥利に尽きる、それが実感でございます。
  192. 浦井洋

    浦井委員 冥利に尽きるということで自己満足をしておられるだけでは困るわけで、私が聞いたところでは中国残留孤児問題を日常的に取り扱っておる職員は計十一名ですね。もちろん、三十人、三十人というかっこうで日本に来られた場合には全局を挙げてあるいは全厚生省挙げてということになるのでしょうけれども、これはやはり余りにも少ないというふうに言わざるを得ないわけであります。その部面では非常に苦労しておられると私は思うわけです。  ところが、お待ちかねの問題でありますけれども厚生省のお役人の中には、地位利用といいますか、自分の選挙準備を一生懸命やって、けさの東京新聞によりますと、二月段階で一カ月の半分くらい東京を離れて自分の郷里におるというようなことで、後援会の事務所も開設するし、記者の質問に答えて、選挙準備を進めているということを公然と言っておられる方があるわけなんです。  その方は、きょうの夕刊によりますと「舘山審議官が辞表」ということになっておるわけなんですが、今朝来参議院でも複数の委員からこの問題についていろいろ質問があったというふうに聞いておるのですけれども、まず官房長の方から、この舘山という人の二月、三月の出張日数、あるいはどこへ行ったのか、目的は何なのか、きのうそういうことが当然わかっておるはずでありますから調べておらないとは言えないわけで、ひとつ答えていただきたいと思う。
  193. 吉村仁

    ○吉村政府委員 御指摘の舘山審議官の二月の勤務状況でありますが、年次休暇を三・五日とっております。それから出張が三日でございます。それから週休二日制による休暇が半日でございまして、二月、役所に出勤すべき日が二十二日でありますが、そのうち出勤をしておりますのは十四日間、こういうことでございます。それから三月でございますが、三月は年次休暇が六・五日、それから週休二日制による休暇が〇・五日でございまして、役所に出勤すべき日数が全部で二十五日でございますが、うち十八日出勤をしております。それから、三月は出張はしておりません。
  194. 浦井洋

    浦井委員 行き先と目的は。
  195. 吉村仁

    ○吉村政府委員 二月の出張が二遍ございまして、両方とも福井市でございます。一つは公衆衛生行政視察という目的と、それから社会保険の勝山病院の落成式に出席ということが出張の目的になっております。第二回目は、福井県健康づくり研修会へ出席のために出張をしております。  以上でございます。
  196. 浦井洋

    浦井委員 大臣、こういうことをどう思われますかね。早速調査をして善処いたしますということで、きょうの夕刊によりますと本人から辞表ということで大きく出ておるのですが、どうされますか。
  197. 森下元晴

    森下国務大臣 実は、午前中参議院の社労委員会の方でこの質問がございまして、私も新聞に大きく報道されておったものですからびっくりいたしまして、いろいろ状況を聞いたわけでございます。  社労委員会で何人かの方からこの問題について質問を受けまして、そのときの私の御答弁は、事実関係について調査する、そういう答弁でございましたが、いまお聞きしたところ辞表を出したという、これもいま知らされたわけでございます。事実こういう内容でございましたらまことにけしからぬわけでございまして、私どもももう少し調査しなければいけないと思いますけれども、一カ月ぐらい前に実はそういうようなうわさが耳に入ったことがございました。当時私も、衆議院の選挙に出るための用意か、また知事の選挙に出る用意か、統一選挙で何か県会にでも出る用意か、またそうでもないのかという程度の知識しかなかったわけでございますけれども、きょう初めてこういう詳しい記事を新聞で見たわけでございまして、この点厚生省でも、私自身の判断でもいけませんし、早急に相談いたしたい、そして対処いたしたい、このように思っております。
  198. 浦井洋

    浦井委員 夕刊によれば、厚生省は受理する方針というようなことを書いてあるのですね。「受理される見通しである。」客観的に「受理される見通し」と書いてあるのですが、私は手に入れましたこういう雑誌があるのですよ。「北陸政界」、ことしの三月十五日号であります。ここでいろいろなことが言われておる。  これはひどいなと思うところを少し読み上げてみますと、「とくに注目すべきは、嶺北各市町村の要望に応えて厚生省関係予算獲得に大きな寄与をしており、その貢献度に恩返しをしたいとする住民の声も高まっていることで、今後の運動如何では、存分にダークホースぶりを発揮することが想像される。」もう出るんだということを前提にした話がずっと並んでおるわけです。それから、もう名のりを上げているんだということで、「衆院選出馬の名乗りをあげたのは私が先で、私の決心のあとに辻さんが衆院転身をしてきた。だから遠慮はしないつもりである。」というようなことを言われたり、あるいは福井県のある町長はこう言っておる。「世話になっている先生方にお願いしたが、思うようにいかなかった。ある人がそれは厚生省関係の仕事だから、あそこに福井出身の舘山という男がいるから頼んでみては……と教えられ、始めて陳情に行ったら、ナントナント希望通りにやってくれた。その時は厚生省の一課長だったが、すばらしい力をもっているものだと感謝の気持とともに驚いたぐらいです」 また県議会の副議長、「三国町に老人ホームをつくることになり、舘山さんにお願いに行った。私はこの問題では、国会の先生方にはお願いせず舘山さん一本にシボって陳情をしたんだが、去年一億五千万円の予算がつけられた。ありがたかったですね。」こういうことです。この雑誌にはそんなことがずらっと並んでおるのですけれども、これは見ておっていただいたらいいです、「北陸政界」。  そういうことでありまして、厚生省としては早急に相談をして措置したいということでありますが、これは、けさの朝刊では行き過ぎであり、地位利用の疑いが濃いというような言い方でありますが、明らかに地位利用ということが言えると思うわけであります。したがって、公職選挙法はもちろんのこと国家公務員法にも触れるということであります。だから、そういう点で私は大臣の決意をもう一度お伺いしたいわけでありますし、いま皆さん方が国民の立場に立って本当に行革をやろうということであれば、こういう問題はこの際きちっと措置をしなければならぬ。  国家公務員法によりますと、第八十二条、懲戒、「職員が、左の各号の一に該当する場合においては、これに対し懲戒処分として、免職、停職、減給又は戒告の処分をすることができる。一 この法律又はこの法律に基づく命令に違反した場合 二 職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合 三 国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合」ということで、九十九条は「信用失墜行為の禁止」ということで「職員は、その官職の信用を傷つけ、又は官職全体の不名誉となるような行為をしてはならない。」こういうふうになっておるわけなんです。これは明らかに懲戒、特に私は、この際、思い切って大臣は懲戒免の処分をとられる、そういうことをやられても決して行き過ぎではないし、これが妥当だというふうに思うわけなんですが、大臣、どうですか。
  199. 森下元晴

    森下国務大臣 詳細に調査をいたしまして善処したい、このように思っております。
  200. 浦井洋

    浦井委員 それではだめなんですよ。先ほど申し上げたようにこれは明らかに法違反というかっこうになるわけです。だから、これはここで言いにくいという気持ちはよくわかります。しかし、辞表を出しておるわけですし、大臣としてはもっと積極的な姿勢をとっていただきたい、このように私は思うのです。そこで官房長とちょっと相談していただいても結構ですから、どうぞ。
  201. 吉村仁

    ○吉村政府委員 いま御指摘のこの雑誌につきましては初めて見たわけでありますが、私ども役人の経験から言いますと、一人の課長がちょろちょろがんばったからといって予算が取れるとか、あるいは一人ががんばれば老人ホームができる、こういうものではないように、私どもは自分の経験上そう思います。組織で動いておるわけでありますから、なかなかそういうわけにはまいらないわけでありまして、これはだれが言ったのかわかりませんが、若干景気のいいことを言ったのではないかというように私は感じたわけでございます。  したがいまして、いま大臣も申されましたように、法律違反になるのかどうか、いろいろ検討をしてみなければならぬ問題が残っておると思いますので、それらを検討しながら善処をするということでやっていきたい、こう思っておるわけであります。
  202. 浦井洋

    浦井委員 中国孤児の問題が少し横道に過ぎたのですけれども、援護局のお役人は一生懸命やって汗水たらしておるのに、高級官僚はこうやって辞表を出したら済みだというようなことでは、大臣、かなわぬですよね。やはり厚生大臣以下、国民の信頼を高めるようなそういう仕事ぶりをやっていただかなければいかぬ。それを逸脱したような人に対しては、たとえだれであろうとも大臣は毅然とした措置をやっていただきたい、このことを私は強く要望をしておきたいと思うわけであります。  いまのはもちろん援護法の審議に関連をした質問でありますけれども、そこで中国残留日本人孤児の問題でありますけれども、これはきょう午後からいろいろな御意見がありますが、私が感じておりますのは、一時帰国はやはり早く完了させなければならぬということだろうと思います。それについて、来年、五十七年度は百二十人とか予算計上されておるようでありますけれども、これでは少ないわけで、やはり金と体制をつくるということを一つ要望しておきたいと思うわけであります。これが一つ。  それから、やはりいま通訳であるとかあるいは援護員の方に、ボランティアという形で日額一万八千円という金額の謝金を支給されておるということでありますけれども、もっと考えて、やはりボランティアの方に一層協力が願えるようなそういう方法を考えなければならぬ、これが第二点であります。  それからもう一つは、やはり資料をもっとオープンにすべきではないか、もしや自分の子供ではないか、あるいは自分のいとこではないかという疑いを持たれた方が、厚生省はもちろんのこと、県や市に行ってもわかるような方法をやはりもっととるべきではないか、これが第三点の要望であります。これが、孤児を含めまして、一時帰国をされる方に対してぜひやっていただきたい問題ですね。  それから、もう時間がないので続けてやりますけれども、一時帰国から大体永久帰国、永住されるということになるわけですが、永住者が比較的少ない、そのよしあしは別にいたしまして。やはり戦後すぐに帰国をされた方は日本人であるわけですけれども、もう敗戦時誕生したばかり、あるいは十二歳以下ということでありますと、大体三十七歳から五十歳近いということで、これはもう日本人でないと言ったら変な言い方でありますが、日本の文化もわからない、生活習慣もわからない、これはもうとにもかくにも中国人なんですよね。だから、住宅を提供し、あるいは少々の金銭を提供し、それから就職のあっせんをし、語学のテープレコーダーをお渡しするようなことでは済まぬわけなんですよ。どうすればその方たちがとにもかくにも日本人になっていただけるかということをやはり全面的に考えなければいかぬ。  そういうことについて一体厚生省は、いまはもう日本へ揚がるまでが厚生省の仕事なんだ、あとはもう地方へ行けば県や市、特に末端の自治体が一番困っておるわけですよ。通訳もおらぬですしね。その結果が、田舎にはおれずに、故郷におれずに、東京や大阪や神戸という大都会に集まってきて、お互いがグループをつくって中国語で話をしながら、何か特別な集団としてずっとこう世間の、社会の下積みになって推移されておるわけですよね。一向に援護の実が実っておらぬわけです。だからそういう点に気をつけてやらなければならぬわけでありますが、特に永住の場合には問題ですよね。  だからそういう点で私が望みたいのは、一つは、朝日新聞の論壇でしたかに書かれておったように、ひとつ厚生大臣がうんと乗り出して、中国政府との間に孤児証明や養育費などというようなもののルールづくりをするための日中孤児引き取り協定を結ぶというようなことがぜひ必要ではないかというふうに私は思うのです。そういう中に養父母に対する補償の問題であるとか、あるいは細かい問題でありますけれども旅費の問題なんかもその人たちの立場に立ったやり方をする、取り決めるということが私は必要ではないかと思うわけであります。  その点について一応援護局長とそれから大臣の方からひとつ御答弁をお願いしておきたいと思います。
  203. 北村和男

    北村政府委員 先生から幾つか御指摘いただきました点は、それぞれ全くそのとおりの問題でございます。もう簡単に申し上げますが、これらの問題につきまして現在大臣の諮問機関であります懇談会を設けておりますが、そこの初会合の際におきましても同様の御意見が出てまいりました。それで私どもこの御意見を踏まえまして夏までに具体策を早くつくりたいと考えております。  いまの朝日の論壇で御指摘になりました協定の問題でございますが、協定という形をとるかどうかは別といたしまして、これは中国政府とどうしても緊密な連絡をとって前に進めなければならない問題でございます。きょう実は十一時からちょうど来日しておられました符浩外務部副部長、日本の外務次官に当たる方ですが、私どもの石野事務次官と一時間余り会談をいたしまして、当方の希望、先方の要望というものを十分意見交換をいたしました。このようにして、私どもこの問題の推進に努力してまいりたいと思っております。
  204. 森下元晴

    森下国務大臣 孤児の問題につきましては、いま局長がお話ししたとおりでございますが、さびしい思いをして三十七年間も異郷の空の下でひたすら故国を思っておった。お帰りになりましても、御承知のように、日本人の血は流れておりましても、風俗習慣、生活環境ががらっと変わるわけでございますから、過去の例から見ても、実は非常な孤独な立場になることは間違いございません。そのために、そうならないように、受け入れ体制、日本語の習得を初め住宅の問題、また就職、雇用の問題等を含めて、やはりかなりお帰りになった後の対策が必要でございます。そういうことで、孤児問題懇談会、これにはボランティアの方もたくさん入っておりまして、衆知を集めて取り組んでいきたい、実はこのように思っておるわけであります。
  205. 浦井洋

    浦井委員 もう時間が来ましたから、これで最後の質問にいたしますけれども、とにかく懇談会任せにせずに、やはり厚生省当局が一番の責任を持って乗り出す、そして一時帰国は早く完了する、そして永住者に対しては手厚いもてなしをするということなんですが、せっかく労働省に来ていただいておるので、労働省の分だけちょっと質問を一問だけしたいのですけれども、それは就職の問題です。  就職も、私、神戸でいろいろ見てみますと、うまいこといった例は、たとえば中華同文学校というのが神戸にあるのですよ。ここの中国語の教師に入った人がある。これはもう中国人そのもので入っておるわけですね。逆に日本人になれないわけなんですよ。こういうネックがある。それから、ある華僑の貿易会社の社長がかなりたくさん雇用された。ところが、もう客に対する接客態度といいますか、サービス精神というのはとにもかくにも全くないわけですよ。だから、客が来ようが来まいが店の後ろの方で私語を交わしておるというようなことで、御婦人の人でも表に出せない。やはり裏方の仕事しか任せられない。  だから、そういう点で単にハードウエアのかっこうでいろいろな答弁を労働省はきょう用意されて、こんなこともやっております、こういう手当を出しますというようなことを答えられる予定だろうと思うのですけれども、それで済まない問題があるんだ。やはりソフトウエアといいますか、そういう点の配慮が果してあるのかないのかという問題、これがなかったら日本人にならないのですよ。いつまでも中国人でおらなければいかぬ。そのまま老齢になり日本で終わられる、こういうのです。全くの障害者みたいなかっこうになるわけですよ。だから、その点を十分に考えてやっていただきたい。最後に、せっかく来ていただいたのですから、労働省、ちょっと……。
  206. 若林之矩

    ○若林説明員 中国残留孤児を含めました中国から引き揚げてこられました方々の就職につきましては、従来から私どもの公共職業安定所を通しまして一生懸命そのお世話に努めておるわけでございます。私ども、そういった方々の就職のむずかしさを前提にしまして求人開拓などもやっておりますし、全国組織を挙げて連携をとって進めておるわけでございます。そして、またそういった就職をされました後も十分にフォローアップをするように、やはり事業主の方と就職された方の間にいろいろと意思の疎通を欠くようなこともございます。そういったフォローアップも一生懸命にやるようにいたしまして、特に昨年の春から強力な体制をとっておるわけでございますが、いま先生ちょっとお話ございましたように、五十七年度からは職業転換給付金制度を適用いたしまして、訓練手当を支給しながら職業訓練とか職場適応訓練、特に職場適応訓練というのはオン・ザ・ジョブ・トレーニングでございまして有効でございますが、こういったものを実施するとか、広域にわたる求職活動を行う場合の給付金の支給を行うなどの措置を講じまして、積極的にこういうものを十分に活用いたしまして中国の引き揚げ者の方々の就職の促進を図ってまいりたいと考えております。  ただいまお話しのソフトというのは具体的にどういう点か、必ずしも十分私、理解できないわけでございますけれども、確かに単なる制度で物が解決するものでない、私ども職員が心を尽くしてその世話をしていくということに尽きようかと考えておりまして、今後ともそういったことを基本としてお世話に当たっていきたいと考えておる次第でございます。
  207. 浦井洋

    浦井委員 終わります。
  208. 唐沢俊二郎

    ○唐沢委員長 これにて本案に対する質疑は終局いたしました。      ————◇—————
  209. 唐沢俊二郎

    ○唐沢委員長 次に、内閣提出国民年金法等の一部を改正する法律案を議題とし、趣旨の説明を聴取いたします。森下厚生大臣。     —————————————  国民年金法等の一部を改正する法律案     〔本号末尾に掲載〕     —————————————
  210. 森下元晴

    森下国務大臣 ただいま議題となりました国民年金法等の一部を改正する法律案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。  所得保障の中心である年金制度を初め、母子家庭、心身障害者に係る諸手当の制度については、従来から充実に努めてきたところでありますが、国家財政の再建が課題とされている最近の厳しい財政状況の下にあっても、老人、障害者等に対しては社会経済情勢の動向に対応した適切な配慮がなされる必要があります。  今回の改正案は、このような趣旨にかんがみ、厚生年金等の拠出制年金について物価スライドの特例措置を講ずるとともに、福祉年金及び諸手当についてもこれに準じた給付改善を行うこととし、これらの制度の充実を図ろうとするものであります。  以下、改正案の内容について、概略を御説明申し上げます。  第一に、厚生年金、船員保険及び拠出制国民年金の物価スライドの特例措置について申し上げます。  現行の制度におきましては、消費者物価上昇率が五%を超えない場合には物価スライドは実施されないことになっておりますが、年金受給者を取り巻く諸状況を勘案し、昭和五十七年度において、昭和五十六年度の物価上昇率が五%を超えない場合であっても、特例としてその上昇率に応じた年金額の引き上げを実施することとしております。  なお、この年金額の引き上げは、厚生年金及び船員保険については本年七月から、拠出制国民年金については本年八月から行うこととしております。  第二に、福祉年金の額につきましては、昭和五十七年九月から老齢福祉年金を月額二万四千円から二万五千百円に、障害福祉年金を一級障害については月額三万六千円から三万七千七百円に、二級障害については月額二万四千円から二万五千百円に、母子福祉年金及び準母子福祉年金を月額三万千二百円から三万二千七百円に、それぞれ引き上げることとしております。  第三に、児童扶養手当等の額につきましては、福祉年金に準じて、本年九月から児童扶養手当の額を児童一人の場合月額三万千二百円から三万二千七百円に、特別児童扶養手当の額を障害児一人につき月額二万四千円から二万五千百円に、重度障害児一人につき月額三万六千円から三万七千七百円に、それぞれ引き上げるとともに、福祉手当についても月額一万円から一万五百五十円に引き上げることとしております。  以上が、この法律案の提案理由及びその内容の概要であります。  何とぞ、慎重に御審議の上、速やかに御可決あらんことをお願い申し上げます。
  211. 唐沢俊二郎

    ○唐沢委員長 これにて趣旨説明は終わりました。  本案に対する質疑は後日に譲ることといたします。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時二十七分散会      ————◇—————