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野末参考人 私は、党籍は新自由クラブに置いておりますけれども、過去二回、
全国区
無所属でやっておりますので、
有権者の心理というか、
有権者の
立場も
考えながら、
個人的ないろいろ思うところを
お話ししたいと思います。
まず、
政党化の問題、それから
無所属議員を締め出すというこのことなのですけれども、確かに
無所属で立候補する場合に
全国区は非常にありがたい
制度で、地方区や
衆議院は全く歯が立たないというくらいの差がありますが、しかしその
全国区がなくなって、今度
改正案になりますと
無所属がはっきり言って立てないということになりまして、
政党条件がいろいろありますが、ああいうものは
無所属ではないですから、そうなると
無所属の
候補者というのは確かにもう立候補する場がないということは事実言えると思います。ただし、厳しく言うならば、しかし地方区だってあるじゃないかあるいは
衆議院選挙があるじゃないか、立候補の自由そのものはどこかにあるのだから、国政参加の道は開かれているということであれば確かにそのとおりなのですが、しかし余りにも
無所属にとって荷の重い地方区あるいは
衆議院などはちょっとこの際頭に浮かんでこないですから、そうするとどうしても
全国区という場で
無所属が立候補できるような
選挙でないと困る。しかし、それは
個人的な都合で言っているのではありませんで、やはり何百万あるいはそれ以上の無党派層というか
政党に所属していない、
個人で自由に活動できる人間を選びたいという意識あるいは欲求が有権の間で非常に強いというのは過去の例を見てもわかるとおりなのです。そうすると、
改正案によりますと、そういう
無所属の、どこの
政党にも属さないで自由にやってくれそうな人間を選びたいという
有権者の欲求というのは現実には満たされないわけです。いい人がいるけれども、
政党に入っているのでは意味ないや、それでは
参議院らしくないじゃないか、こういうことになりますと
有権者を少なくとも締め出す、無党派に投票したいというこの
有権者の心理は無視する、こういう点が今度の
改正案では非常におかしいということでありまして、僕などは、立候補する
自分の
立場でなくて、やはり
有権者というものを、もう少し投票心理、欲求、そういうものを
考えなければ現実に合っていない
改革だな、こういう気がするのです。
〔片岡
委員長代理退席、
委員長着席〕
ですから、まず無党派層を
選挙参加から締め出すというこの点で非常な疑問を持っております。
しかし、
現行の
制度が完璧だと思っておるわけではありませんから、いろいろな点で欠陥があるのはよく承知しておりますが、
改正案のプラスそしてマイナスと
現行制度のプラス、マイナスを比べるとどちらがベターであるかということは一概には言えないということも申し添えておきます。
それから、
政党化の問題ですけれども、現実に
政党政治であって
参議院だって
政党化しているじゃないかということをおっしゃる
意見もありますけれども、それならば
参議院は要らなくなりますので、やはり現実は
政党化していても
参議院らしさを残すという、ここは大事だと思うのです。その意味で
無所属が何人かいる、多ければ多いほど
参議院らしいのではないかと
個人的に
考えております。
それから、しかし
無所属でなくても
政党が
参議院議員に対して党議の拘束をしないのだ、現在の新自由クラブのようなものですが、そうであれば僕のように党籍があっても現実には
衆議院側の党の決定とは違う賛否をときどきやっておりますので、この点で純粋の
無所属ではないまでもそれに近い
国会活動ができているということで、
政党化を促進するとか阻止するではなくて
参議院らしさを少しでも残しておきたい、こう思う
立場では
政党が党議拘束を解いてくれればいいのですが、現実にはそれはなかなかむずかしいと思います。ですから、その辺の
課題も含めながら今度の
改正案を
考えるとちょっと、
参議院らしさをなくす方向だけで、これは
参議院の
否定につながりかねないのじゃないか、こういう気がしております。
政党化と
無所属締め出しはこのくらいにしまして、次はお金がかかるという話ですが、これは確かにかけようと思えば幾らでもかかるだろうし、非常に
個人差のあることですが、先ほど
栗林さんもおっしゃいましたけれども、
選挙そのものが金がかかっている。地方区もかかっている、
衆議院もかかっている、区
会議員、都
会議員、市
会議員、県
会議員もみんなかかっている。かけようと思えば幾らでもかかるし、また
有権者が金を欲しがるような体質に
候補者がしてしまったということもありますので、そうなりますと
参議院の
全国区だけが金がかかるからこれを直せという同じ理屈を地方区にも
衆議院にも、すべての
選挙のやり方に及ぼさなければならなくなるので、
全国区だけ金がかかるよ、だからこれを金のかからないようにしたよと言って果たして済む問題かどうかということを
考えまして、むしろ今度の
改正案が別の形のいろいろな不明朗なお金のかかることを何かもたらすのではないかという不安もないではありません。しかし、これは
政党内での名簿の問題などにも
関係してきますから私にはよくわからないので、そんな不安があるということだけ聞いていただきたい。
さて、次が
有権者の
立場とかなり密着するのですが、名簿
議員の
存在というのが今後の
参議院でどうなるかということなのです。
これは先ほど来他の
参考人の発言の中にもありましたけれども、比例代表で選ばれたのは、これは僕は名簿
議員だという言い方をしたいと思うのです。その意味は、やはりちょっとそこに差別をしているということなのですけれども、僕
自身は名簿に載せてもらって比例代表区で選ばれて
参議院議員でございというような気にはとうていなれないのですけれども、これは
有権者心理とも密接に
関係があるのですね。
有権者というのは、やはり
政治は人なりというふうに
考えて、
個人の名前を書きたい、
個人に投票するのだ、それが
選挙だ、これが全員だと思うのですね。
先生方の
衆議院の
選挙の場合でも、
政党の看板はしょっているけれども、やはり
個人だろうと思うのです。
個人の名前を書く
選挙である。だから、その
政党が気に入らないところもあるけれども、しかし君がいいのだから、あなたが優秀なのだから私は入れるよという
有権者もかなり多いわけですから、やはりあらゆる
選挙は
政治は人なりで、
有権者というのは
個人の名前を書くというところに投票意欲も起きるし、選んだという実感もあるだろうと思うのですね。そうしますと、今度の比例代表の名簿になりますと、これは
個人の名前を書きたくても書かせないのですから、書いたら無効になる、せっかく投票しても無効にさせられてしまうというので、この辺が
有権者心理を非常に無視しているのじゃないか、余りにも
政党本位あるいは
候補者本位の
考え方ではなかろうかというので、ここが非常に大きな疑問なのです。
ただし、違う
意見がありまして、この党の中にいろいろな人が入る、だからかえっていいのだということがありますけれども、いろいろな人が入るということは、嫌な人もまたたくさん入るわけですね。そうすると、これはどう
考えたらいいだろうか。特に名簿というものは党が決めるわけで
有権者が決めるわけじゃありませんから、決まった名簿に基づいて
有権者が投票するのだというものの、順位、人選その他
有権者があずかり知らぬところで決められる。そうなりますと、たとえば問題のある
議員がいるとしますね。これは
選挙違反をしたとかあるいは倫理問題で何かいろいろあるとか、そういうような
議員がいるとしますね。そういう人は、
衆議院の
選挙で
自分の名前を書いてもらう、あるいは地方区でも
全国区でもいいですが、
個人の名前を書いてもらえば少なくともここで洗礼を受けたのだといって何か罪が帳消しになる、そういう
傾向が現実にありますね。今度は、そういう問題
議員というのは洗礼を受けさせないで名簿の中に紛れ込ませるということも可能なわけです。それをやったら
政党のイメージがダウンするぞとおっしゃるけれども、しかしほかにいいイメージのをくっつけまして帳消しにしようという作業もできるわけだから、そうなるとこの名簿は問題
議員の隠れ場所になりかねない。それはもちろん
政党の偉い
方々がそんなばかなことはしないとおっしゃればそうかもしれません。しかし、必ずしもきれいごとでは済まない場合も出てくるでしょう。だから、名簿などが逃げ道になったとすると、さあ、そこで
有権者はこいつがいるのに、しかしこっちに好きなのもいるのだし、どうしたらいいのだ。これは、やはり
政党の名前を書かせるというのが
選挙では無理なので、
個人の名前を書かせるということにしないと、この名簿の悪用というものは
有権者心理を非常に逆なでするということになってしまって、これは単に
政党はそんな
自殺行為はしないというようなことでは説明がつかないのではないか、そういうふうに
考えているわけなのです。しかし、これは
有権者の心理ですから、新しい
制度になってみて結果が出なければ何ともわかりません。
そこで、そういう
制度によって選ばれた
参議院議員というものの
立場を僕は想像して、
自分がそうであったということで仮定で
お話しすると、先ほどから話が出るように、やはりこれは、
個人の名前を書いて
当選したならばまさしく選ばれた
議員ですから自信も自覚も責任も感じますね。しかし、
個人の名前を書いてないのですから、要するに
政党の事情でたまたま名簿のいい位置につけてもらったというだけで
当選できるのですから、これが本当に選ばれたと言えるかどうか、本人そのものがそういう自覚を持てるかということになりますと、どうもこれは名簿
議員といいまして、どうやら何となく肩身が狭くて、ほかの
先生方の
努力に乗っかってお情けで、あるいはうまいことをやってその他大ぜいの一人で来ているんだというような、これはコンプレックスだって持ちかねないということなんです。これは
参議院において現にあるわけで、それはあたりまえだと思うのですが。地方区の人は血みどろの
選挙をやる、
全国区は、比例代表区はそこまでやらなくていいんだからとなれば、どうもこの選ばれた、戦いで勝ち抜いた人と戦いらしいものもしないで、本当に選ばれたかどうかよくわからないような、
有権者に選ばれたんじゃなくて党に選ばれた、そういう
議員の混在する
参議院というのは、ますますこれから
有権者にそっぽを向かれるといいますか、
機能を発揮できなくなってしまうというようなことで、ちょっと
弊害が今後に出てくるということになりますね。
だから、
選挙選出議員と名簿
議員と、こういうものを一緒にして同じ重みで
有権者が見てくれるかどうかということは、非常に大きな問題だろうと思って、これはやはりおれには
国民の支持があるんだ、こういうふうに思える
選挙でないと、残念ながら国
会議員の責任も自覚も生じないんじゃないかというぐらいに極論したいんですね。
選挙運動のついでに言いますと、
選挙というのは、
先生方もそうだと思いますが、
自分を売るわけです。
個人の味で勝負するのですから、
政党の
存在も大きいけれども、
個人の味がなければだめだ。個性を売るという、これが
選挙なのに、今度の比例代表の
改正案だったら一体何をしたらいいんですかね。
政党が決めた運動をやれって、その他大ぜいの一人で車に乗って訴えたって意味がありませんよ。やはり
自分の
意見、
自分のキャラクターを売って
有権者にアピールして、必死になるから一票が来るわけです。そういうことをやらない
選挙、これはやはり戦いようがない。楽だというのはうそで、名簿に載れば多分通るから楽だろうなんて、そんなばかなことはありませんよ。やはり本当にやってきたという、汗を流したというところに
選挙に挑戦する意味があるわけですから、楽だから名簿はいいな、これで六年安泰かなんというようなのは第三者が言うこと、あるいははっきり、もう老境に達しまして体も言うことを聞かなくなったりしてのんびりしよう、そういう人だったら別ですよ。しかし、まともな
候補者だったら、そんなことはないですよ。ですから、楽だと思うのは第三者で、本人は名簿に載っけられただけで、当落が順位によってはどうなるかさっぱりわからないという、これだったら
自分で訴えて歩きたいですよ。それができないで、つまり
候補者にも
自分を表現する場所を与えてくれない、
有権者にも、
個人の名前を書きたいのに書かせてくれない。こういうことになりますと、この
制度はどうなってしまうんだというくらいに、つまり
参議院軽視とか今後の
参議院が不安だとか、そういうことじゃなくて、
選挙としてかたわじゃないか、まともな扱いは受けないというふうに、いままでやってきた実感から感じますね。
それから次に、今度はその名簿の問題で、これがやはり
有権者に非常に不評をこうむるだろうと思いますね。これは
政党の中でもいろいろ御
意見があるようですから、さすがにここはむずかしいんだなと思いますけれども、そのむずかしい名簿づくりをそのままにして、これが基本であるこの比例代表の
制度を成立させるというのは危険だと思います。
この名簿の欠点は、もう僕がいろいろ言うまでもありませんで、やはり現職というのは何といったってがんばりたい。そうなると、名簿の上位にランクされると、これはありがたいわけですから、そういう人にとっては何となく都合がいいけれども、新人とか若い人にとってはいいかどうか。党がちゃんとするよなんていったって、なかなかそんなに簡単にいかないのがいままでの公認争いを見ても、いろいろなことでわかりますから、この名簿づくりの欠点の第一は、非常に老化するということで、これは憂うべき状態ですね。
それからいい人を出すというのも理屈ではわかるのですね、文化人とか学者とかいうふうに。いい人というのは一体何だということですね。
政党がいい人をと言うけれども、それは
有権者が決めることだから、名前を書く
選挙なら
有権者が決めるけれども、
政党がいい人を出すんだよと言うけれども、
政党に都合のいいいい人だったら余り意味がない。そうすると、どうもそういうことになりがちだ。となりますと、
政党のちんどん屋を選ぶようなもので、文化人だの学者だのときれいごとを言うけれども、そんな簡単なものじゃありませんよ。同時に、選ばれる学者、文化人もはっきり言って、御用学者、御用文化人ならいざ知らず、骨のあるまともな人は簡単に出てこないと思う。なぜならば、名簿の順位とか
政策の細かい点とかいろいろありますから、いまの
制度では確かに金がかかったりして大変で出にくいけれども、名簿になったから簡単に出れるかというと、はっきり言って大したことのない文化人は出てくるでしょうね、学者も出てくるでしょう、あるいは純然たる御用学者ならいいでしょうが、本当に
有権者が欲しがっているまともな人は出にくいだろう、こう僕は思いますね。
ですから、この名簿のつくり方の欠点はここにもあるのではないかというようなことで、まだ幾つもありますけれども、名簿というものがきっと
有権者にそっぽを向かれると思う。つまり、この序列がどういう基準でつくられようが、これを見て
有権者が、わかった、こんなにいい人がたくさんいるならこの
政党にという人も中にはいるでしょう。しかし大部分の人は
個人の名前を書かせろということになって、この名簿
選挙というのは、いろいろな問題を含めて結局は
有権者不在ということで、
有権者の好みから遠ざかり、これが棄権をふやすのかそれともいいかげんな票に結びつくのか、この辺はわかりませんが、少なくも諸悪の根源は名簿にあり、こういうことになりかねぬ。だからこそ、
各党の間で名簿づくりに慎重な
意見がいろいろ出ているのだろうと思いますが、いかに慎重な
意見が出てこの名簿づくりの基準が決まろうとも、やはり問題は、
有権者との距離は埋めることができないであろう。
政党の
立場で決めた名簿が
有権者の好みあるいは欲求に必ずしも一致するわけじゃありませんから、そこで、こういう名簿
選挙を一、二回やれば院内でも、そして
選挙のときの
有権者の心理からいっても余り評判がいいという予想はつかない。これはだんだん評判が悪くなって、正直に言うと私も
栗林さんの
意見に同じなんで、二回やったらこんな意味のない
選挙なぞはやめてしまえという声が出るでしょう。その結果どうなるかはわかりませんが、少なくも、そうなると、いまの
制度に欠陥はありながらも、どっちがベターかということをその時点で問うと、もとには戻れないけれどもしかしこれは改悪だったという
結論が
有権者の間からは出るのではないかということを非常に感じますね。
これは、おこがましいですが、いままで二回選ばれたという
立場でどうもそんな気がするわけですから、これは
有権者の
立場からも、それから
候補者の
立場からも、そして
当選した
参議院議員の
立場からも余りもろ手を挙げて
賛成のできるような内容ではありません。
どうもありがとうございました。(
拍手)