○
薮仲委員 その前に、大井川といいますと
大臣も御承知のように、東海道五十三次の広重の絵を見てまいりますと、あの島田にはれん台ごしで旅人を渡しておった、あるいはお役人がいたような川会所、これは島田市が文化財として保存しております。そのように、昔から言われておりますように、越すに越されぬ大井川、こういう言葉もありますように、大井川には昔から豊水、平水、渇水、年間を問わず水があった。これは
地元のわれわれがよく知っておるところでございます。特にこの大井川水系の中には、静岡県ではお茶で有名な川根、中川根、本川根、三町があるわけです。川根のお茶と言えば有名です。特に大井川の霧によっておいしいお茶ができたわけです。中川根町に行きますと、役場の町長室には大井川を遡航している帆かけ船の写真が飾ってあります。昔はこんなに水がありました。これが前提なんです。それを前提にして、ちょっといま
委員長にお断りしましたので、この資料をちょっとお渡しします。
大臣、これは写真ですからごらんください。
大臣にいまお渡しした写真からちょっとごらんいただきたいのです。ナンバーワン。これは現在の大井川の中流、中川根町一帯の写真でございます。これは私が撮ったのでございますから余り上手じゃない素人写真でございますが、歴然と水がないなとおわかりだと思うのです。全面砂漠のような
状態です。これは私が五十二年にこの問題を
指摘したとき、当時の
河川局長も死の川というような表現を
委員会の答弁でなさっているわけです。確かに砂漠のようです。ところが、その中川根の一番の写真、ちょっと
大臣もう一回見てください。その中川根の砂漠のような写真の下に、一点洪水で溢水している写真があると思うのですね。このようにふだん水がないのですが、洪水になりますと一遍で枯渇している川が水がどっと出てくるわけです。これがいま現在の大井川の現況なんです。そこには三種類の写真がありますけれ
ども、
大臣、この三というのをちょっと見ていただけますか。私は見なくてもわかるのですけれ
ども、そこにやはり中川根の高郷の地区の写真が出ております。左側には学校の写真があると思うのです。平常のときの学校はそのように土手の上に建っております。それが台風時にははるかに見えるように、川の中におぼれそうな
状態に同じ学校があるわけです。これが、いま水のない大井川が一たん台風のときには一挙にこのように水が出てくる。これは何も
建設省が雨を降らしたなんて、そんな無謀なことを言っているわけじゃありません。そういうことではなくして、水がないけれ
ども、一たん台風になると非常に危険をはらんでいる川だなということを
大臣に御認識いただきたい。
それから
大臣、ちょっとお手元の表を見ていただけますか。これは中部地建でつくられた表です。
建設省の流況
調査表です。一番左側に自然流況、上に豊水、平水、低水、渇水とございます。これは昔大井川にこのような水がありましたよという
一つの例でございますけれ
ども、たとえば豊水期には百三十トン、いわゆる百トンを超す水があるわけです。真ん中は現況です。現況をごらんいただきますとゼロがずらっと続いております。これは表流水がございませんという、ほとんど水がゼロなんです。三番目は
建設省がこの水のない川に何とか水をつくろうといって、いま長島
ダムをつくって表流水を流してみせようという苦心の表でございますけれ
ども、これが
大臣、昔越すに越されぬ大井川と歌に歌われた大井川なんです。砂漠のような
状態になっているのがこの現状なんです。
大臣にまずこれをしかと御認識いただいて、これから私が質問するところを深く御理解いただいて、今後の建設行政の中でどうあるべきかをお考えいただきたい。
〔
委員長退席、住
委員長代理着席〕
では、なぜ大井川にこのように砂漠のような
状態になるほど水がなくなってしまったか。私は、通産省が悪いとか電力事業者が悪いとか、そんな考えは持っておりません。これは、日本にとってたった
一つの貴重なエネルギー源である水を何とか有効に使おうという考えであったでしょうし、当時日本の国が敗戦から立ち上がろうというときに、何のエネルギーもない、この水を最大限有効に使おうと思って、国全体がこの水をエネルギー源と求めておつくりになったという背景を私は理解しております。
昭和十一年に大井川発電所をつくって、三十年代に六カ所の発電所をつくって、大井川水系には計十カ所の発電所があるのです。しかも、この発電所は、
大臣に御理解いただくためにちょっと言わせていただきますと、上流から下流まで導水管で発電所から発電所へ水を引っ張っています。中間の河川の上はほとんど水を流しておりません。ですから、島田市までそのような水のない
状態が続いているわけでございますけれ
ども、これは、当時の時代的な背景といいますか、国全体の施策として行われたのであろう、私も、いまの立場でこれがどうのこうのと言う気持ちは毛頭ございません。しかし、果たしてこのままでいいのかという疑問は現在私も持っております。その点をこれから具体的にお話をさせていただきたいのです。
なぜ私がこの問題を提起するかといいますと、私が大井川筋を上っていろいろな方に会います。そのときに出てくる村人といいますか、その町の方の言葉の中に、この
ダムができれば、
一つは水没の心配はございませんという説得の仕方、あるいは大水の
被害が軽減されますというようなことで、みんなはああ住みよくなるのかなと感じていらっしゃる。ところが現実はそうじゃないわけですね。そうじゃない。なぜそのようになってしまったかといいますと、ここで私は、こういう現状の中から一番問題だと思うのは、こうやって全然水がないところへどっと出てくる、これは発電
ダムをつくったから悪いのだ、あるいは
建設省がどうのということではなくして、いまもし私がこれから申し上げることに本気になって取り組んでいただければ
被害を出さなくてもいいのじゃないか、あるいは最小限に食いとめられるのじゃないかという考えを私はずっと持っております。そのことを具体的にこれから
大臣に申し上げたいと思うわけです。
私は政府の資料で質問をずっと続けます。政府が持っていらっしゃる資料にこういうものがございます、「全国氾濫区域内、土地面積、人口、総資産額概括表」。これは
建設省がおつくりになった五十五年度の
調査でございますが、ここにこういうことが書いてございます。洪水はんらん区域内の人口、資産等について、
昭和五十五年の
調査によると、全人口に占めるはんらん区域内の人口の割合は、
昭和四十五年の四六・三から五十五年は四八・二、六十年には五〇・三、人口の半分が河川のはんらん区域内にいますよ。しかも、その資産が
昭和四十五年は百九十六兆円に対して五十五年には四百二十七兆円、約二倍です。六十年代は五百六十六兆円、これだけの資産が河川のはんらん区域内に存在するわけです。そうしますと、いよいよ治水という観点がこれから河川の行政の中では大事じゃないか。いままでは利水にウエートが置いてあった。しかし、人口の半分、資産がこんなにふえてくる
状態にありますと、河川管理というものが利水だけではだめなのじゃないか、利水だけでなく、やはり治水にウエートをこれから移していかなければならないのではないかなといま私は考えているのです。
そこで、通産省来ていらっしゃいますね。——きょうは通産
大臣、こう言いたいところですけれ
ども、公益事業部長もちょっと事柄が大変ですからお答えしにくいでしょう、専門の水
力課長がお見えだと思うのですが、通産省は私の問いに簡潔に具体的にお答えください。大体くどいことは私は求めません。
通産省にお伺いしたいのは、大井川水系に私が申し上げる十カ所の発電所がありますね。この十カ所の発電所で発電総量は何キロワットアワーになるか、それから年間にするとどのくらいの発電を大井川水系ではやっているか、さらにこれを金額に直すと大井川水系はどれほどの金額を生み出しているか、さらにはこれによる受益世帯数は何世帯くらいあるのか、この四点をお答えください。