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小里委員 環境委員会に突然飛び込ませていただきまして、
質問をお許しいただいたわけでございますが、きょうは、御案内のとおり
原長官初め
関係各位に御
出席をいただいております。大変感謝いたしておるところでございますが、御
承知のとおり時間もありませんから、私は直ちに本論に入りたいと思います。私の
質問も多少個条的になるかと思いますが、要点を簡潔にお答えいただきまするようお願い申し上げまして、
質問に入りたいと思うわけです。
ことに、
原長官はかつて
鹿児島にて若き青春を
県政発展のために御貢献いただいた御先達の士でもございまして、きょう私が
質問を申し上げる
志布志における
国家備蓄基地建設計画をめぐる、一面におきましては
大隅地域開発と称せられておりますが、これらの問題を抱える百八十万
鹿児島県
県民にとりましては
大変なじみの深い
長官でもあるわけです。昨年の十一月三十日でございましたか、
大臣に御
就任以来、
知事を
中心に
県選出の
国会議員の大方の
方々あるいは多くの
県民の
諸君も、
長官に対しまして、「花中の
鶯舌は花ならずして香ばし」ということわざがありますが、そのような温かい御
配慮、そしてまた期待をかけてまいっておるところであります。それだけに、
原長官には
鹿児島の風土なり
県民性、
産業、
経済、日ごろの
県民生活の
状況等についてはつぶさに御
承知いただいているところでございます。特に、本日の焦点でございます
志布志の
国家備蓄基地建設計画に関連する諸般の問題で、
長官初め
環境庁などにいろいろ御心労を煩わしてまいっているところでございます。
しかしながら、御
承知のとおり、なぜこういうような
国備基地建設計画を
中心にして、後ほど時間がありましたら私がまたその概況も
説明しますけれ
ども、一連の
大隅開発計画というようなものなどが出てこなければならなかったのかという、その
いきさつと背景も
お話し申し上げたいと思うのでございますが、とりわけ
鹿児島県の中におきましても、この
志布志の
石油備蓄基地建設計画は、御
承知のとおり鹿屋、垂水両市を
中心にいたしまして二市十七町であります。かつては、
昭和二十五年から三十年ころには
人口四十万と称せられた
地域でありますけれ
ども、今日におきましては御
承知のとおり二十八万から三十万という、非常に
過疎率の典型的に高位にある地帯でもあるわけであります。あるいは、
人口構成の推移から見ましても非常に
老人が多い。
老齢化率というものは国は七・九%でありますけれ
ども、この
大隅地域は一三%という、実にみじめな
状況に置かれておりますことも御
承知のとおりです。したがいまして、若い労務者を
中心にいたしまして、若い
一つの息吹あるいは
活力を非常に索漠なものに至らしめている。たとえば
児童数の
比較等におきましても、四十年を一〇〇といたした場合には、国は一二一考です。この
大隅はそのわずか三分の一の四十数%にすぎない。こういう
大変過疎率の高い傾向を示しているところであります。私がただいま申し上げましたたとえば
老齢化比にいたしましても、六十五歳以上の
老人人口というのはもうすでに
大隅では一二%ですよと言いますけれ
ども、国の趨勢はいまから二十年先でなければ一二歩にはなりませんよと厚生省の
人口問題研究所などが発表いたしておるごとく、非常に
過疎率の高い、
経済性の低い顕著な
地域であるということを、まずここに改めて御指摘を申し上げておきたいと思うのです。
生活環境水準の
状況におきましても、取り上げて申し上げる必要はないぐらいであります。
ただ、私がちょっといろいろな数字を拾っておりましたところが、驚きましたことに、必ずしもいま申し上げているような暗い面だけではないんだなということも感じました。たとえば、今日の
社会的基盤の
整備、ことに
行政的視野から見ました場合に、
国県道の
改良率、
舗装率などは
鹿児島県の
平均水準あるいは国の
水準とほぼ肩を並べている、こういう
状況もあるわけであります。これは
長官御
承知のとおり、
二階堂進、
山中貞則、こういう言うなれば自民党の
実力者の
諸君も
おいでになりますことも手伝っているかと思うのでありますけれ
ども、その
国県道の
改良率などにあらわれるごとく、ある
意味では
生活環境の
水準もほぼ適正に保持されているという
状況な
どもあるわけです。
いずれにいたしましても、総括して申し上げますと、非常に
後進性の目立つ
地域であることははっきりいたしているわけであります。
そこで、まずお伺いいたしたいのは、
志布志湾石油備蓄基地計画に関連いたしまして、せんだって、二月二十五日でございましたか、
検討に値しますよという言葉で表現されたごとく、長い
間志布志における
石油備蓄基地建設計画は
大変起伏の激しかった
経緯がありましたけれ
ども、この声明、
コメントによりまして一見落ちつき始めたという感じがするのであります。現地におきましては、きょうはいろいろな前後の
新聞を私はちょっともらってきましたけれ
ども、「
新大隅の夜明け」でございますというような表題で書かれたぐらい、二月二十五日の
長官の
コメントが
南九州地域開発のために大変大きな響きを与えましたことだけは事実であります。したがいまして、
検討に値すると発表になったわけでありますが、この
経緯について、
大臣なりあるいは
局長からでも結構でございますが、簡潔にお答えを願いたいと思います。