○東中委員
暴動を弾圧した、こういうことにすることで、しかも「
日本の」というのを削って、「軍隊・警察により
暴動はきびしく弾圧された。」こういうふうに書きかえているのじゃないですか。こういう
暴動という概念を出してくるのはその当時の
考え方と全く一緒だ。
続けて言っておきますが、「多数の教会が焼かれた。」という条項を削らしています。
この問題について、これは「現代史資料」二十六巻「
朝鮮」の二巻ですが、
日本の軍隊が放火をしたということをはっきりと公の文書で認めていますね。「京城発 大正八年四月廿二日後一、五〇 本局着 同後六、三一 長谷川総督」
朝鮮総督ですね。「原総理
大臣(拓殖
局長官)」あての文書です。こういうことが書いてあります。
三月下旬京畿道水原安城両郡地方ニ暴民盛ニ暴行シ官公署及ビ民家ヲ破壊焼棄シ
云々というのがあるのですが、そこで、
有力ナル検挙班ヲ派遣シ四月二日ヨリ同月十四日ニ至ル間六十四部落ニ亘リ大検挙ヲ行ヒ約八百ヲ検挙シタリ此検挙中暴民死十傷十九ヲ生ジ火災発生十七部落焼失戸数二百七十六二及ベリ又之ト同時ニ該地方ニ兵カヲ分散シ前記検挙ニ協力スルトコロアリシガ偶々水原郡発安場二派遣セラレタル歩兵中尉以下十二名ハ四月十五日附近駐在巡査ヲ同行シ、堤岩里基督教会堂ニ基督、天道両教徒約二十五名ヲ集メ訊問訓戒ヲ加ヘントシタル際教徒等反抗セシタメ殆ンド全部ヲ射殺シ火ヲ放チタルニ強風ナリシ為二十八戸ヲ焼失シタル事実アリ
総理
大臣あてにこういう報告を出しているのです。その後に、
前述検挙班コウナコウ地方ニ於テ火災ヲ生セシハ取調ノ結果一部ハ夜間混雑ノ結果失火シタルモノナルモ他ノ一部ハ暴民ノ獰悪ナル
行為殊ニ巡査二名ノ惨殺ニ報復心ヲ起シ居タル検挙班員ノ放火ナル事ヲ確メタリ又堤岩里ノ殺生及ビ放火ハ嚮ニ発安場ニ於テ同地小学校ヲ焼キ暴行ヲ為シタルモノハ堤岩里基督天道両教徒ナル旨同村内地民ヨリ訴ニ接シ且彼等ヲ掃滅セラレタシト部落民ノ懇請ヲ受ケ前述ノ処置ニ出デタルニ却テ反抗シタルタメ斯ノ如キ
行為ニ出デタルモノノ如シ以上検挙班員及軍隊ノ
行為ハ遺憾ナガラ暴戻ニ渡リ且ツ放火ノ如キハ明カニ刑事上ノ犯罪ヲ構成スルモ今日ノ場合
正しいという字と等という字が書いてあるのですが、意味は不明です。
正等ノ
行為ヲ公認スルハ軍隊並ビニ警察ノ威信二関シ鎮圧上不利ナルノミナラズ外国人ニ対スル思惑モアレハ放火ハ凡テ検挙ノ混雑ノ際ニ生ジタル失火ト認定シ当事者ニ対シテハ敦レモ其手段方法ヲ得ザル廉ニヨリ其指揮官ヲ行政処分ニ附スル事トセリ
なお、
英国総領事代理米国領事及ビ外国宣教師一部現状ヲ視察シタリ御参考迄
こう書いてあるのですね。
これは明白に
日本の警察、軍隊が放火をし
——具体的なことは何も書いてないのですね。「反抗セシタメ殆ンド全部ヲ射殺シ」こういうことを、しかもこれは総督が総理
大臣に報告を出しているのですよ。こういう文書がずいぶんたくさん
外務省か総理府か知りませんが保管されているはずなんです。そういうものはまだ公表されてないのですね。たまたまこの「現代史資料」に載せられているわけです。放火、殺人、こういうことを
独立運動をした人たちに対してあるいは教会にいるクリスチャンに対してやられている。しかもこれは隠さなければいかぬということを言っているのです。そのほかの通達を見ましたら、断固として鎮圧する、しかし外へはなるべく小さく見えるようにせいというようなことを書いているのですね。それがそのままいまここへ出てきているわけでしょう。そういう問題に対して
日本人が本当に
反省をしなければいけない、これは民族
独立の権利というものを認めなければいけない、そういうときに数十年前のこの残虐な植民地支配、それを、その論理をそのままいま
教科書に持ってきている。
韓国が非常に憤慨をする、あたりまえのことなんです。こういう歴史を偽造することは許されない。
これは公用文書、たまたまこういうふうに資料として出されておりますけれども、
日本政府はどこに保管しているのか知りませんが、
外務省にこういった植民地における問題は保管されているという説もあるようですし、公文書館に保管されていないというようなことも聞いているのですけれども、これはまず公表すべきだ。事実は事実として認めてこそ、
日本の
責任と
反省とそして平和国家としての
日本の
あり方というものがあり得るわけであります。そういう点、
外務大臣、こういう資料は公表すべきだと私は
思いますが、まずいかがですか。こういう記載について
日本はもっと事実を明らかにすべきだということを思うのですが、御所見を承っておきます。