○
井上(普)
委員 通産省の外郭団体が出したこの文書を見てみますと、
日本と
スリランカの経済
関係ということで文章が出ている。見てみますと、これは世の中を斜めに見ておるなという文章も中にはある。しかし、考えなければならないなというものもあるようだ。もっと言うならば、ここで斜めに見ておる
一つの例としては、NHKが
援助してあそこにテレビをつくった。三月の上旬だ。ちょうど、私が行きましたときにはテレビが開局して一週間以内くらいだ。夜遅く着いてあそこを通ってみますと、たくさんの人が集まっている。何だろうと思って見たら、テレビを町の広場の中にでんと据えて、周辺の村の
人たちが集まってきてテレビを見ている。しかし、この「アジ研ニュース」を見ると、あの国はテレビを買うどころの騒ぎではない。ましていわんや電気料金も高くて払えないようなところにあんなテレビの
経済援助をしたらおかしいじゃないかと、斜めに見て書いてある。私はそうではないと思う。人類の文化の所産であるものを民衆に知らせるということは大きな
意味があると私は思う。そういうような一面からするならば、斜めに見ておるなという
感じもせぬではない。しかし中を見ると、私らも聞いてきたのだけれども、
経済援助をやり専門家を育てた、国内へ留学させてともかく技術研修をさせた、させたけれども
日本企業が使ってくれない、自分の能力を使ってくれないという不満が
スリランカの技術者の中にも出てきておる。これは
日本の研修そのものに大きな欠陥があるのじゃないだろうか。
スリランカだけじゃない、東南
アジアの
各国においてもそういう問題が起こっておる。どんな問題かというと、あちらの研修生が来て
日本で研修するけれども、その研修した技術を自国の他の
人たちに教えようとしない、こういう問題があるようだ。自分が
日本で技術を習ってきたのを自
国民に普及させることをやらずに、自分だけが持って、それで自分の生活を安泰にしよう、そういうような考え方に終始しておるような面がなきにしもあらずだと私は思う。
大体科学技術なんというのは、
開発せられたら人類の生活の向上あるいは福祉のために使うのが技術
開発あるいはまた発明、発見の
基礎でなければならない。ところが、その努力をしたにもかかわらずそれを盗まれるのは余りおもしろくないというので特許制度というのがあるのだけれども、
日本はエコノミックアニマルと言われる、自分が考えたこと、自分の技術は自分の所産なのだ、自分ひとりが独占していいのだという
日本の企業の考え方が及んでおるのじゃなかろうかと思う。元来、科学技術というものは、
開発せられたらそれは人類の福祉の向上のために使うのだ、だからあらゆる
人たちにその技術を提供するのだというのが基本でなければならないのだが、
日本の技術研修においてはそういう点の教育ができていないのじゃないだろうか、いまの海外からの研修についてそういう
基礎的なこと、最もプリンシプルなものを忘れておるのじゃなかろうかという
感じがしてならないのですが、その教育はどういうふうにやられておるのか、この点をお伺いしたいのです。