○遠
間参考人 自動車連盟の遠間でございます。
私
どもの
日本自動車連盟といたしましては、車の使用
環境を改善いたしまして健全な
自動車交通を図る、それによって
大衆化した
日本の
自動車を
国民のすみずみまでそのメリット、恩典に浴するような
環境づくりを目的といたしております。ただいま会員数は二百四十万をちょっと超過したところでございます。
時間もないようでございますので、今回の
道路運送車両法の
改正案につきまして、私
どもの
改正を願いたいというところだけに焦点をしぼって先に御説明いたしまして、その後でその
理由を御説明いたしたいと思います。
私
どもの焦点といたしますのは、今回の
車両法の
改正案を拝見しますと、数条に分かれて書いてございますが、その要点は、
定期点検記録簿を当該
車両に備え置きまして、絶えず持っておるようにいたしまして、これをどこでもチェックして、
定期点検、
整備が行われていないことが判明したときは
定期点検、
整備を指示することができる、そしてその指示に従いまして
実施し、十五日以内に陸運局長に報告しない者または虚偽の報告をした者は十万円以下の過料に処す、この点であります。この
部分につきましては、結論から申しますと、私
どもは適当でない、ぜひおやめいただきたいというのが私
どもの結論でございます。
その
理由を申しますと、第一番目は、民主主義の時代におきまして、四千万台に膨張し
大衆化した
わが国の
自動車、この
自動車の保安を
維持したり
公害防止等を効果的に、かつ経済的に保つ手段は、昔ながらの
行政一点張りでなく、個々の
ユーザーの自主性を喚起し、自発的行動を促して、
ユーザー責任のチェックというのは
車検一点にしぼる、こうすべきであろうと思うのであります。これが一点であります。
この
内容をさらに御説明いたしますと、現在の
ユーザーというものは、すでに皆さん御
承知だと思いますが、車の
保守管理につきましては非常に無関心であります、あるいは無
責任であります。つまり、
意識が非常に低調でございます。
これにはいろいろな原因があろうかと思うのでありますけれ
ども、大方の原因といたしますところは、
ユーザーの
大衆化、急に
自動車がふえてまいりまして、
国民の中に非常に車を使う人がふえた、あるいはドライバーが四千四百万にもなった、中には最近女性ドライバーが非常に増加しつつある、こういうふうな
観点から、
一言で申しますとメカに弱い、ですから、そういうことをやろうといってもできないんだというふうな
一つの原因を挙げられます。これは当然だろうと思うのであります。
それから、もう
一つの見方といたしましては、これに関連するのでありますが、
自動車技術が高度に進歩いたしまして、先ほ
どもお話がありましたが、非常に新しい装置もふえてきた、こういう問題について素人であり、かつ、メカに弱いドライバーがやたらに手をつけると
故障を
拡大するのだ、これも真実であります。
以上のような見方に対しまして、私はこの真実をどう片をつけるかという
観点からお話ししたいと思うのであります。
ただいまお話ししましたように
技術的には非常に進歩いたしましたが、冷却水には相変わらず水を使っております。潤滑油には油を使っております。タイヤに至っては昔からいままで空気を使っておる。これは特別な専門
技術を必要といたしません。わずかな知識があれば、これは当然できることであります。しかも、こういうことは手をつけるべきでないとするのに反しまして、むしろ身近におるドライバーがみずからやるべきものである。人に任してはいけないものである。これに類する装置というのがたくさんあります。ですから、そういう基本的な問題というのは、昔もいまも車の
状態はちっとも変わっていないのであります。その他の
部分で、非常に高度に
技術の進歩したところは昔よりも範囲が広くなっておりますが、そういう
状態については昔もいまも変わっていない。
なぜそれではそういうことになってきつつあるかといいますと、
わが国の
制度をずっと歴史的に見てみますと、昔はプロドライバーでしたから、大方の手入れ、修理はドライバー自身ができました。しかし、だんだん
大衆化してまいりますと、現在皆さんお気づきだと思いますけれ
ども、
車検と言えば全部
整備工場へ
お願いしてしまう、完成して持ってきてくれるまで
お願いしてしまう。
点検、
整備というと全部
整備工場へ預けてしまわなければならない。つまり、
ユーザーが
保守点検の実務から全く隔離されてしまっておる、これでいいのだろうかという疑問があるわけであります。そういう
観点からいまのドライバーの
実態が生まれきておるのだろうということであります。
ここでやはり健全な、先ほど申し上げましたような保安を
確保する、あるいは
公害を防ぐ、そういったことに対して
ユーザーの自主性というのが非常に大事なんじゃないだろうか。昔だったらばお上から示されますと、何も頭の中で考えないで機械的にそれに従う風習でありまして、これはこれでよかったのでありますが、現在の民主主義の時代になりますと、まず自分で、個人で考え、そして行動を起こす、こういう時代であります。一
実は私、心理学は余り詳しくないのでありますが、友人に何人かおるものですからいろいろ尋ねておるのでありますが、そういうものを直していくにはまず事に参加させなければだめだ。参加させて体験させることによって、わかってくるとみずからの意思で、人に言われないで、法律にも頼らないで自分で自主的にやるようになるのだ、そしてそういう中に
責任感も目覚めてくるのだ。これは人の話の受け売りでありますが、とにかくいまの
状態は非常におかしな
状態である。外国の例を申しますと、外国の
自動車というのは百年近い長い期間を経ましてだんだん
発展してきたものですから、
自動車に対する
国民的な
意識が非常におくれてないで進んできておる。
日本の場合は急激にここでふえたものですから、
国民の
意識はこの問題に限らずすべて大変おくれておりまして、使用
環境等も大変おくれております。
そういう意味から、この辺で悪いところは改めまして、車の保安あるいは
公害防止等の
確保につきましては、
行政主導型ではなしに
使用者自主型、自主性を喚起するような方向づけをしていかなければならぬのじゃないか。そういう方向づけをしましても、それじゃあしたからすぐみんなそうなるかといいますと、必ずしもそうなるものではないと思います。ですから、できない人あるいはお金のある人は従来どおり
整備工場へ
お願いしてやってもらうのもいいでしょう。それからできる人は、できる範囲はなるべく自分の方で進んでやる、こういう習慣づけが大事ではないかと私は思うのであります。
なぜこんなことをくどく申すかと申しますと、
自動車というのは
車検を受けようが
定期点検をやろうが、実際車に乗っておられる方はおわかりだと思いますけれ
ども、車を使う段階においていろいろ
機能が変化してまいります。何も考えないで従来のようなやり方でやっておりますと、
車検を受けているのだから、あるいは
定期点検、
整備しているからいいんだということでこれに関心を示さないのであります。ところが、
責任を持ち関心を持っているドライバーですと、その
状態において、異常の一番発見が早いのはその車のドライバーでありますから、ドライバー以外には気がつかないのでありますから、その人がみずから行動を起こして
整備工場に持ち込み修理してもらう。これがむしろ非常に重要な要素だろうと思うのであります。ぜひそういうふうに自主行動を起こすように、それには
ユーザーも徐々にできるところから参加をさせる。今回の
審議会の
答申の中にもこの大転換と申しましょうか、転換の糸口をつくったわけであります。それは先ほど来お話も出ておりましたが、六カ月
点検は自分でできる者は自分でやりなさいというふうなこと、あるいは
車検が、いままで最初から全部
整備工場へ預けっ放しでありますが、
整備ができた車なら自分で
車検場へ行ってそして受けることができる、こういうふうな
ユーザー参加という道がわずかながら開かれたのでありますから、それを過料
制度をつけることによりまして逆の方向に転換するということを
指摘しておきたいと思うのであります。
それから、第二番目の問題といたしましては、
定期点検、
整備というものの
性格であります。
定期点検、
整備と申しますのは、すでに御
承知だと思いますけれ
ども、車が
故障する前に早目早目にこれを発見して手当てをする、
故障してしまうと金がかかりますけれ
ども、
故障する前にやりますからわりあい安く上がる、こういうふうなのが車の
維持管理方法にとっては非常に望ましい方法なんであります。法律では、保安の
確保であるとかあるいは
公害防止であるとか、そういうためにやる、こう言っておりますが、それももちろんそうでありますけれ
ども、
ユーザーにとってはそういう経済的意義というところに大きなメリットがあるわけであります。なおかつ、これをやってまいりますと
寿命を延ばすことができる、車を長く使うことができる、これも経済的メリットであります。そういう意味で、
定期点検、
整備というのは、普通、予防
整備と言われまして、
故障前に予防する
整備である。ちょうど人間の体で言いますところの予防医学と同じことであります。
そういう意味から高く評価すべき問題でありますが、ただ
一つここに問題がありますのは、先ほど来お話が出ておりましたように、現在の
自動車というのは非常に使用が多様化しております。毎日
自動車を使いまして、相当走る車もあります。あるいは毎日道路の悪いところを走るために、傷みの激しいものもある。中には昨今のサラリーマンのように一週間に一遍使うか使わないか、一カ月に何回というふうな車もあるわけであります。これを一律に一年なら一年、六カ月なら六カ月、すべて同じ
場所を同じように
点検あるいは
分解整備をしなければならぬ、ここに問題があるのでありまして、いま世の中のドライバーから批判が出ておるのも、少しも悪くない、壊れてない、そういうところを勝手に修理しては困るじゃないか。あるいは先ほど来ちょっと出ておりましたが、
部品も決して悪い
部品じゃないのだ、それを勝手に
交換してしまうのは困るじゃないか。というのは、車の使用
実態を無視いたしまして一律にこれをやることが非常にまずいのでありまして、使用
実態に応じてやることは、いまお話ししたように非常にいいことでありますが、これはぜひ
行政指導でやるべきであって、罰則をつけて強制すべきものではないと私は思うのであります。
それから、三番目にひとつ挙げたいのは、三番までだけでありましてこれで終わりでありますが、今度の
制度は、結論から申しますと
車検期間の短縮と同じ理屈になる。
と申しますのは、
日本の
車検制度というものは外国に比べて特殊な
制度になっております。これは歴史的にずっと移行する間にこういうふうになってしまったのでありますが、それは二十四カ月
点検とそれから
車検、ちょうど時間的なタイミングが合うものですから、これをワンセットにしてしまった。ですから、
車検というと、二十四カ月
点検は個人ではできませんから、
整備工場へ持ち込んでしまって、そして
車検を受けるまで全部を一括して依頼してしまう、ワンセットになっているというところが非常に矛盾があるわけであります。外国の例はどうかと申しますと、外国では
車検の時期になると、悪いところだけ
整備工場へ持っていって修理してもらいまして、そのまま
ユーザー自身が気軽に
車検場へ行って検査をしてもらう。この違いであります。二十四カ月
点検の方につきましては、先ほ
ども申し上げたように、使った車、使わない車、傷んでない車、傷んでいる車、一律に全部やるものですから、当然お金がかかります。なおかつ、それを頼んで持っていってもらいますから、よけいお金がかかる。ですから、十二カ月
点検なり六カ月
点検をそれほど厳しくやりなさい、車の傷みかげんに関係なしにやりなさいということは、
車検のときの
状態をもう一度そこでやりなさいということと同じことでありまして、
車検の費用につきましても、検査料は千二百円でありますが、そのほかのいまの二十四カ月
点検が相当金がかかる。そこで
車検料は高い、高い、こういう話になるわけでありますが、人に頼んでしまえば金がかかるのは当然でありまして、できるところは自分で努める、こういう風習をつくっていかなければいかぬのじゃないかということであります。
そんなことで、非常に急いで申し上げましたので、おわかりにくいところが多分にあったかと思いますが、最後に、私
どもがこういうことを申し上げるのは、
ユーザーが得をすればいいという一点にしぼってこれを言っているわけじゃありません。先ほど来申し上げましたように、私
どものJAFの目的は、
自動車の健全な
発展を促進するため、それは使用
環境を改善して、こういうことでございますので、
日本の
自動車が健全に
発展するためには思い切ってここで方向を転換しなければならないのじゃないか。
なお、
自動車整備業界の
方々も、
車検の
延長等におきまして
需要減少ということで大変御苦労なさっておられるようでありますが、私
どもよそから拝見しておりまして、車が非常によくなりましたから需要開発の道はあると確信しておるわけでありまして、
整備業界、なくてはならぬ
業界でありますので、その辺をひとつ開拓していただいたらどうか。細かい話は、時間がありませんので、この辺で失礼いたします。
失礼しました。