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参考人(
加納敏恵君)
加納敏恵でございます。ただいまは
中学校の
講師をしております。
かつて私は
昭和四十二年に
練馬区で
学校給食センターが始まりましたときに
給食主任をやっておりまして、そこで
センターの貧しさ、
内容が余りにもひどいということで私
どもは束になりまして、
学校を挙げて
センター反対、自
校方式ということに取り組みまして四年
たちまして自
校方式に実は戻した
学校でございます。
では、なぜ私
どもがそういうふうに
センター反対申し上げましたかというと、
子供たちが残塁四〇%平均、ときには八〇%残すようなそういう非常にひどいありさまだったんです。そこで、私
どもは
給食というのは一体どういうことなのだろう、これはひとつ考えなきゃならないということで
給食の
目標というものを調べたわけです。しかし余りにもうたい文句と現実との違い。
子供たちの
参考になります作文を、その当時のを引っ張り出して私きょう持ってまいりました。ちょっと読み上げてみます。これは一年生の
生徒なんです。
もう、まずいってもんじゃない。どうしておいしいべんとうからまずい
給食にするのかぼくは不思議でしかたがない。きっと全
生徒がこう思っているにちがいない。
味がまずい上に量が少く、
食器がきたない。この悪い三冠王のそろった
給食、大きなため息が出てしまう。
もしべんとうだったら、今までよりうんと楽しい昼になることだろう。せっかく
給食を作ってくれるのなら、なんでもっとおいしくできないのか、これまた不思議でしょうがない。
生徒最大の敵、まずい
給食。
これが一年生の男の子です。
それから、「
給食診断」ということで
教師が書いているわけです。
物価上昇に悩まされている私には、ほんとうに勿体ないが先に立ちました。もっと勿体ないのは
食事の済んだ
あとを見ると、あちらにも、こちらにも沢山
残菜が出ることです。どれだけ
生徒の胃袋に入ったのか、この
残菜もお金なのに。豚ばかり太らさないでもよいのに……どうか全部食べられる
食事にして下さいと願わずには居られませんでした。
結局、
食事というのはもっと
教育の
目標に合ったものでなくちゃならない。それが
子供にきらわれる
給食というのがあっていいんだろうか。
それからもう一人、これは女の子です。
「ただいま、ああ、おなかがすいた。おかあさんおやつちょうだい。」
私が
学校から帰って来て、まず最初に言う
言葉がこれです。もうこの
言葉には、ずいぶん長らくおせわになっています。それというのも、
中学校の冷たい
給食のせいなのです。
中学校へはいる時、くいしんぼうの私がいちばん楽しみにしていたのは、あたたかくて、おいしい
給食だったのですが、いざ食べて見ると、冷たい
おかずでおいしくない
パン。ぜんぜん
期待はずれでがっかりしてしまいました。それからというもの、毎日、
パンは三枚くらい残してしまいますし、
おかずもおかわりする気にはなれません。けっきょく、帰宅してから、おやつをたくさん食べるほか、しかたがないのです。
小学校時代の、あたたかくておいしい
給食が今も忘れられません。
これは自
校方式のようです。
それに、残った
パンだって、家に帰ってまでは、食べる気になれませんし、最後はすてることになってしまいます。ほんとにもったいない!もっと
パンを少なくして、
おかずをおいしくはできないのでしょうか。我が家の料理と、あまりにも差がありすぎて、
給食になじむことができません。
どうしてこのようなものしか作れないのでしょうか。それに食べる時間が短かくて、安心して食べていられません。とにかく、今の
状態では、要望を出せばきりがありません。それに、これからの寒い時季も、冷たい
給食ですごすのでしょうか。これから先のことを考えると、ゆううつになってしまいます。
おいしくて、教室中を湯気でうめるような
給食を、私は夢みているのです。そして、だれも残さず、楽しいふんいきの中で食べる
給食。それはのぞめないのでしょうか。みんなが喜こんで食べ、むだのない
給食こそ、
学校給食の
目的ではないのでしょうか。
もうこれは一年生の女の子ですけれ
ども、その当時こうやってちゃんと
給食を批判しているわけです。
もうたくさんこういうふうに次から次からあるわけですが、結局
給食というのは期待外れだった、もっとこれから進みますと、
給食はもう要らないと言い出したわけです。そして親
たちが、もうお世話になりたくない、目方が減っちゃった、受験戦争に勝てない、何とかお
弁当を持ってこさせたい、どうだろう、
学校の方はどう考えていますかというふうなことにだんだんにエスカレートしていきまして、もう
給食はお断りしたい、お
弁当を持たせたい。そこで
学校は迫られることになります。それから、
生徒も文化祭なんかで壁新聞に、もう
給食はこんなふうに
添加物がたくさん入っているし、
加工食品でまずい、句とかしてくれなければ私
たちはこれから
生徒会でほかの
学校に呼びかけて、そして区長さん相手に少し活動するということで、
学校にとにかくそういう運動に盛り上げていくような姿勢を示してきた。私
どもは、それでは教員も黙っていられないということで、親
たちと相談しまして、それで区の方に陳情を続けまして、結局お
弁当を持ってこさせてもよろしいと言うんじゃなくて、もう実は文部省では行政指導しますと言って断られちゃったわけです。行政指導とはどういうことですかと言ったら、要するところ
教育委員会を通して、校長さんを通して、担任を呼び出してとにかく
弁当を持ってきちゃいかぬというふうな圧力をかけますぞということなんです。しかしどこの法律を見ましても持ってきちゃいけないということはないわけです。
そこで私
どもは、とにかくお
弁当は、これは好きとかきらいとかいうんじゃなくて命の問題だから、やっぱりここまでは基本的に人権の問題じゃないだろうか。何を食べさせるとが食べさせないということを他人様に決められる。それが本当にいいものであれば、私
たちは、
子供は喜んで受け入れると思うんですね。ところが
センターの
給食だけはどうにもみんないやがったわけです。そこでアンケートをとってみましたら九八%までがいやがっているわけです。とにかくお
弁当を持ってきたい。それで、お
弁当を持ってこれないという
事情は親の都合によるんで、
生徒は
弁当持ってきたいというのがほとんどです。ということで、それでは踏み切らざるを得ない。それで今度は、区役所にも最後通牒ですね、私
どもは体の都合によってお
弁当を持ってきたい子をとめるわけにいきませんから、
センターの
給食は希望者だけにいたします。そこで区役所の方は驚きまして、それではそういうのがはやっては困る。よその
学校もみんなそういうふうに待機しているだろうから、それじゃとにかくいまいっぱいになっている
センター、二万三千五百食ですか、その当時。とにかく二万食の
センターがあふれちゃっているわけだから、そういうところからそれじゃ外そうじゃないかという、まあいいチャンスだったのでしょうが、どんどんそれから希望の
学校を外すということでまず
小学校、
中学校から外れていったわけですが、そういうことで私
ども運動しまして四年目にやっと区役所の方でそれではおたくの方も外しましょうということになって、現在
練馬では
センターは当時の二万幾らから大体一万一千食、一万八千食の第一
センターが一万食というふうに大体半減、そして六〇%減ぐらいになっているわけですが、しかしまだ
センターは続いているわけです。
とにかく
センターというのは、
学校の
給食というのは本当に害悪を流している。その当時
子供たちが非常に殺気立っちゃいまして、こんなまずいものをなぜおれ
たちに先生は強制するのか、先生の
段階でこれ断れないのかと、
教育不信というよりも
教師不信というところ。それで、
教師がとめるのも聞かずに窓から隣家へ向かって、ミカンのいいのが出ているときに何でこんな冷凍ミカンなんが食べなきゃならないんだということで屋根に投げつける。隣家から飛んで来て苦情が出る。そうするとよけい今度は投げつけて玄関のガラスが割れる。とうとうしまいにはもうたまりかねてパトカーが飛んで来るというふうなことで
給食騒動が持ち上がる。そして今度はおなかのすいた
子供たちは
学校ではおいしくないからというのでそば屋へ駆け込む。そして、そば屋で今度はいろんな上級生と下級生との取引といいますか、お金の貸し借りが始まったり、そして今度は食べ物屋でいろんな情報交換、まあ悪いところにも誘われる。そして万
引きだとかいろんなこう夜の外出が始まってくる。おなかがすいて家庭に帰っても親が留守でというようなところから今度は——まあ切りはないんですけれ
ども、そういうふうにして
教師たちはおちおちと今度はしていられなくなったわけですね。そういうことで非行というのがそれからどんどんふえていくわけです。
とにかく、それで私
どもの
学校は、
給食センターを自
校方式に戻すためには
学校を増築しなければ、とにかくその余波として
給食室をつくるんだということで
学校を増築してもらうというような連動から始めて、やっとその許可がおりて、そこでやっと
給食室が間に合ったと、こういうふうな形で、なかなか自治体というのは動いてくれないんですけれ
ども、やっと自
校方式に戻った。全国でも珍しかったようなことですが、お
弁当を持ってくるんだということが
一つの大きなてこになったようです。
で、私
どもは
弁当ということを申し上げましたけれ
ども、自
校方式で本当にお金をかけてちゃんとしたものをつくっていただければだれもお
弁当を持ってくるということは申しませんし、しかも
給食そのものは、結局親の手が省けていいというのは実は親側の言い方です。ところが
子供はそうじゃなくて、とにかくおいしい
給食であればお
弁当よりも本当は楽しみなんだと、
学校でみんなと同じものを食べる自
校方式でやってもらえたら本当にありがたい。しかしそれには
栄養士さんがやっぱりちゃんといなくちゃだめです。私の
学校は、始めるときに、
栄養士さんのない
給食はだめです、受けられませんということで一年待って、
栄養士は完全配置しますということで
給食を再開したわけです。
そんなことで、
給食というのは、
栄養士を入れて、そして
調理師も大体一人が百食程度の取扱数。現在、国の基準というのは非常に貧しいわけです。これなんか
昭和二十九年ですか、それから一歩も甘ていないわけです。東京都は大体全体的に一人ふやしておりますけれ
ども、まだまだこれは足りないわけですね。やっぱり食数に見合った人員を入れて、もう少し
教育にお金をかけるということを考えていただきませんと、やっぱり
子供を大切にするということにならないんではないでしょうか。
それから、私
たちの
給食というのはそこで何とかいきましたけれ
ども、自
校方式でも問題がないわけじゃありません。とにかく大量
購入とか、それから
共同献立とか、こういうことを区の方で押しつけてくるわけですが、これはやっぱり
栄養士さんが裁量を持っておりまして、
栄養士さんが
自分で
献立を立てて、そしてちゃんとしたいいところで、地場のものを、新鮮なものを、
しゅんのものを
購入して、そしてそれを
調理するというのが理想的なわけです。しかし、それがどこでつくられたか、いつつくられたか、何が入っているんだか、加工品で、
添加物の冷凍加工
調理食品という、そういったものをどんどん使うような、そういう
給食ではやっぱり残されるものが多いわけです。
ですから、私
どもは、見合った人員で、施設、設備を十分にして、そして
栄養士をちゃんと入れた、そして適正
規模の
学校であれば、六百人ぐらいの
学校で、そして、十分
食堂形式もこちらの要求するような形で——つまり、いつもどうも、していただく場合はお任せになっちゃうと、非常に中途半端な、都合の悪いのが多いんですけれ
ども、
自主性をこちらに持たせていただいて、ちゃんとこちらの企画したような形でやってもらう。やっぱりそういうことができれば、
食堂があれば、本当にいい
給食になるんではないでしょうか。
教員の負担が少なくて済むとか、あるいはお金が安くて済むとか、それから衛生的であるとか、いろんなうたい文句は大変
センターつくるときにはよかったんですけれ
ども、実際にふたをあけてみると、
センター給食はまずいところだらけで、お金は高くついているし、大体
練馬なんかも調べてみますと、自
校方式に比べまして一校当てにして大体四倍半お金がかかっている。ですから、単年度で
一つの
センターをつくるということが非常に自治体の負担になります。一応補助金が出ておりますけれ
ども、やっぱりそうじゃなくて、
一つずついいものをちゃんとつくっていくということの方が私
どもとしては望ましいわけです。あわてて一遍につくってもらっても、いいものができなければそれは何にもなりません。
子供のためにならないわけです。
とにかく、親
たちの
反対運動ということは、もうこういうふうにして、教員と一体になって何とか成功したわけですけれ
ども、とにかく中身がおなかがすいても食べられないというふうな、そういうしるものが
センターでは出たということですね。
それから、
体育の
教師が結局
給食が食べられない。食べられないというよりも、
生徒と食べたんでは足りないというわけですね。それで、教室へ行かなかったということで担任をおろされるというような事件もいろいろあったわけですけれ
ども、
生徒と同じ分量のものを、同じような脂っこいものを、年をとった
教師もつき合わなきゃならない。しかも、それがその区におる限り、その
学校におる限り、だんだんと
中学生は卒業していきますけれ
ども、何年でもそこでつき合わされるというのは、これはやっぱり体の
関係もありますので、これはどうかな、やっぱりもう少し中身をちゃんとしたものにする必要があるのではないでしょうか。
それから、
教育が不在、とにかく
センター給食というのは
教育の一環と申しますけれ
ども、非常に
教育的でない、物を短時間で運んで、そして遠くから声をかけて、味が濃かった、薄かったという声は届かないわけですよ、場所が遠いわけですから。ですから、全然声の届かないところから
給食を届けてくる、非常にこれはまずいわけです。ですから、こういう
自分のところでつくらない
センター給食というのは、これは非常に
教育的でないわけです。
教育的でないということはまだほかにもたくさんありますけれ
ども、とにかく
教育不在ということは
センター給食で一番強調できると思います。
それから、
学校給食会のことですけれ
ども、一時私
ども虫ボロになった
パンを手にしまして、これは
パン屋が不届きだと実は最初思ったわけです。ところが、その
パン屋さんを区の方に言って取りかえてもらったわけですけれ
ども、ところが、今度は評判のいい
パン屋さんにいったはずなのに、そこから届けられた
パンがまた虫ボロの
パンがやってきたわけです。そこで、私
どもは一体粉とか、つくるとかいうのはどういうふうになっているのかよくよく調べてみましたら、
学校給食会からその粉が届いていて、その
パン屋さんがだめになったら、今度は次の
パン屋さんへその残った粉がまた輸送されていって、同じ虫ボロの粉でまたそこで
パンがつくられていたと、こういうことだったわけです。ですから、
学校給食会というのは一体粉というものをどういうふうにまぜているのか、一体それをちゃんと吟味してくれているのか。私
どもは結局
給食の
パン、
学校給食会の作品、そういういろいろな配送されるものに非常に不信感を持つわけです。できれば、
栄養士さんが
自分の場所で、そういう遠いところで全国的につくられたような、たなざらしじゃないと思いますけれ
ども、いつつくったかわからないようなものでなくて、説明のつくものをやっぱり食べさせてもらいたい。親としても
教師としてもそれは当然のことで、
学校給食会というのは、そういうところに政府がお金をうんと使って、いろんな人
たちがそこで高給をお取りになる。こういうことは私は言いたくないんですけれ
ども、余り
給食会というのはほめたところではなさそうに思いますので、ぜひこれはつぶしていただければと思っております、つぶれないかもしれませんけれ
ども。
健康会というのは私は非常に不信感を持っております。結局これは目をごまかすようなものでして、それだけのお金があれば各
学校に
栄養士を入れるぐらい、全国でどれくらいの
学校があると、それに年間どれくらいの予算が要るのか、飛行機
一つか二つか落ちるようなのを買わなくって、
学校の
子供たちが本当に幸せになればその方がいいと言ってもいいんじゃないかと私は思っております。
それから、ことしのお正月ですか、
栄養士さんのお話でネズミが出た話があるわけです。コロッケの粉にネズミがまじっておったわけです。これは北海道の方から取り寄せたジャガイモの粉で、お湯を入れたらすぐコロッケになれるようなそういう粉なんですけれ
ども、結局問い合わせてみると、いやイモの粉に入っていたんじゃなくて、それは外の袋に入っていたんでしょうと言うんですが、ネズミは別に隠れんぼうして袋に隠れるわけはありませんので、やっぱりその粉の中に入っていたんじゃないかということで、
栄養士さん
たちはもう型にはめる寸前にその六万円からの
給食をほかしてしまって、急遽取りかえたという話があるわけですが、そんな遠いところでそんなふうなものを使わなくても、小まめに
自分の
学校で、標準の
学校であれば
手づくりでできるわけなんです。
センターであるがゆえにそういうところで加工したものを取り寄せなければ、短時間でこしらえて、そして配送しなきゃならないというそういう
センター給食でなければ、十分にコロッケぐらい
手づくりできるわけなんです。そういう意味で
センターが余りにも
加工食品を使い過ぎる。
それから私
どもの
学校でも
ホウレンソウの中から虫が出ました。それで、一人の
子供が声を立てますと、クラス全体がもう食べなくなってしまう。その
ホウレンソウの虫のために
センターの方から急遽人が来たんですが、これは
センターじゃなくて業者が来ました。来年の三月まで待ってくれと言うわけです。あしたからでも
ホウレンソウのちゃんとしたのを出せと言いますと、これは三月に年間の
ホウレンソウの買い付けをやって、一キロのこうり詰めにしてあるわけだから、それがなくなるまではとにかくそのミミズは出ますと、こんなふうなわけで、
センター給食というものの現実というのはこういうことなんでございます。ぜひひとつよろしくお願いいたします。
そこで私
どもは、要するところ
センター給食というのはこういうふうなものしかできないということと、それから
栄養士はとにかく自
校方式にして
全校に配置してほしい。それから、
施設設備を十分にしてほしい。そして、
調理師さんは人数に見合った、一人百食以下の手数のかかるそういう人数で、つまり千人の
生徒ならば十人というふうな形でもって、そして
栄養士を余分に入れる、これが一番の最低の線だと思っております。そして、
学校給食会というのは、これは
健康会に化けさせないで、とにかくつぶしてもらいたい。お願いでございます。よろしくお願いいたします。