○鶴岡洋君 私は
学長さんとお会いするのはきょう初めてでございますけれ
ども、非常に御丁寧な
答弁でよくわかりました。
学長さん自身、誠実な、まじめな方のように、初めてお会いするんですが、そういうふうに感じますし、実直そのもののような感じがするわけでございますけれ
ども、私はこの
事件について、
芸大というものは金銭感覚が麻痺しているんじゃないか、こういうふうに思わざるを得ないわけです。それとも、
芸大の特権意識が強いのかどうなのか。たとえば、けさの
新聞に出ておりましたけれ
ども、
芸大の
学生が、こういう
事件が出て関心の的になっているときだからこそ
新聞にも出たんでしょうけれ
ども、
学生の演奏会に、「
芸大商法」と書いてありますけれ
ども、一人七千円のギャラをウイークデーに行ってもらっている、こういうところから見ると、まさしく金銭感覚が麻痺しているんじゃないか、こういうふうに思われるわけです。
それよりも私
文部省にお
伺いしたいのは、大変古い話で恐縮でございますけれ
ども、今日世界的な有名な指揮者となっている岩城宏之氏が、十二年前、
昭和四十四年の十月号の中央公論に「音楽
教育はこれでよいのか」、こういうことを書いております。この中で、いわゆる個人レッスンについて、
芸大の
教官は、正規の授業の
専門科目のレッスンをほとんど休講にして、自宅で個人レッスンをして、レッスン料を巻き上げているなどの
指摘がなされている。この
昭和四十四年当時というのは、
海野はまだNHK交響楽団のコンサートマスターをしていたわけですから、今日の
芸大事件で明るみに出てきたいろいろな問題が、すでにこのときに
指摘されているにもかかわらず、今日まで一向に
文部省また国立
芸大は
改善を行ってきていなかった、こなかったということを証明しているわけですけれ
ども、
文部省はこの点について黙殺してきたのかどうなのか。この中に岩城さんが書いているのは、たくさんありますから全部読み上げませんけれ
ども、「音楽
教育はこれでよいのか」、タイトルに「ビックリしてください」とか「大ボラの一」とか、「大ボラの二」とか、「オドロキの一」ことか、こう出ています。これ見てみると、まるっきり私はうそではないんじゃないかなと、こういうふうに思われるところがたくさんあります。
学長さんも横浜
大学から
芸大へ移られて、退官されてまた
学長さんになられたと、そういうことで、こういうことがあったということを多少承知しているんじゃないかなと、こういうように思いますけれ
ども、特に
文部省は、この中を見るとどういうことを書いてあるかというと、「オドロキの三」に、「お中元、お歳暮の怪」と、こういうことが書かれております。たとえば贈り物がたくさん
教授のところへ来る、お中元、お歳暮で。しかもその中身が同じものが重なるので、その
先生たちの玄関先にこう張り出しが出ている、「贈物はかえって迷惑ですので現金でお願いします。なお金額は×××ぐらいが適当と思います。」と、こういうのも書いてあるのもあるというんです。これはあったかどうかわかりませんよ、ここに書いてある。「贈られる方は品物がダブらなくて助かるし、持って行く方も何を買おうかとあれこれ頭を悩ます必要がないし、何という便利な、合理的名案であることか。」と、こういうことも書いてある。だから私は、まるっきりなかったとは言い切れないと思うんです。それから「オドロキの四」と書いてありますけれ
ども、この中には「
芸大音楽学部には後援会費の名目で主に外人講師のための宿舎予備費にあてられる二万円がある。」とか、それからレッスンのことについては、「唯一の国立音楽
大学である
芸大にも、ほとんどこれに似たようなことが存在している。ホーム・レッスンの度合は私立音大のそれをむしろ上回っているようだ。最近になってやっと少しはこういう現状に目覚めてきたらしい
学生たちが、学校当局と団交を行なった結果、だいぶ明るみに出てきたようである。「例えば、学校での正式な授業である
専門科目のレッスンをほとんど休講にし——音楽
専門大学の最重要科目ではないか——自宅でのみレッスンを行なってレッスン料をまきあげ」る、これはさっき言ったですね、こういうことも書いてある。いろいろたくさんここに書いてありますけれ
ども、こういう
事態が私はここに書いてある以上、あったんではないか、これを
文部省としてなぜ今日この大きな
事件になるまでほっておいたのか、その辺について、いかがでございますか。