○戸
叶武君 これは私は、与党の
憲法改正のいろんないきさつがあったでしょうが、
党綱領の中に入れられているというようなときに、そのことをも
自民党としては無視できないかもしれないけれども、いまのような一党独占的なゆがんだ
政治というものは、決してノーマルな
議会政治を
意味しないのであります。このときにこそ、一国の
総理大臣のみずからの見識においてやはり体を張って、
鈴木さんも相当おとなしい人にしては私は前向きに張っていると見受けるのであります。やはり一度崩したら、再び
日本が
国際社会に対して平和への道について語り合う権威というものは失ってしまい、また、せっかく平和機構としてつくり上げた
国連が、
米英ソ、あるいはときとしてはフランスあたりまで巻き込んで、あるいは中国は巻き込み損なったようでありますが、
日本あたりも巻き込んで、そうして軍事的な圧力によって雌雄を決しようというような気構えだと、あたり迷惑な話です。
米ソにおいては妥協の線が一九六二年七月二十三日でしたか、あのキューバ事件のときに、あらかじめ米ソ間においては正面衝突をしないようにという密約が公然としてつくり上げられたはずであります。
ソ連はそれに従って中国とも手を切って、
アメリカと結んでいけば安全だという
考え方で中ソ論争の展開となり、一枚板がひびが割れて、「三尺の懸氷一日に成らず」という中国独特の恨みを持って
ソ連の信義を疑うようになったのですが、いま
ソ連のやっていること、
アメリカのやっていること、これは憶測で断定はできないけれども、両者の方は安全地帯にいて一近所迷惑は
考えないで、NATOなりあるいは
中東なり、ベトナムなり韓国なり、何か薄気味の悪い
一つの渦を巻いているのが私は事実だと思います。「光明に背面なし」という禅家の言葉がありますが、暗い権謀術策の密約をいつまでも守っていくというこの
ヤルタ体制は、ベルサイユ体制よりももっと、次の
世界新秩序をつくり上げる時代に破棄されなければならない性質のものであります。私たちは
アメリカの良識、
ソ連の中にも見識人があるということを認めるが故に、内部からみずからの力でこれを解消し、グローバルな時代にそれにふさわしい新秩序をつくり上げようと、真理はいかなる権力よりも強い、コペルニクス的な発想の転換をいまやらなければ、
アメリカも
ソ連も地獄への道を歩まざるを得なくなるんだと思いまして、ときに
日本もこの危機の救いの神様だというふうに見られる場合も、
ソ連からも
アメリカからもよけいな出しゃばりをするなという目でどうもブレーキがかからなくなっちゃったんで、
日本さんこの辺をよろしく
お願いしますというところまで来そうですか、どうですか。
やはりコペルニクス的な発想の転換なしには、あの現代資本主義をつくり上げたフローレンスのメディチ家の財宝の力、あるいは外征によって共和制を破ったカイザーリズムの横行、排他的なショービニスムによって自分たちのみが優秀で、富を積んで、奴隷を使って
戦争をやっていこうというような気狂いざたの中世紀の暗黒の時代、それにコペルニクスは勝ってきたじゃありませんか、四百年もかかったけれども。真理は具体的であるほど強く勢いを加えるのであります。四百年の歳月、澄んだ眼を持ったニーチェが、自分が宗教を、神を信ずることができないと嘆いたのは、ドイツ人であってもスイスの
理想郷の山紫水明の地に行って、権謀術策の暗い中世紀の暗黒の状態を見て叫んだ私は憤りだと思います。黙々としていまコペルニクス的な、いかなる弾圧にも屈しないで、地球はやっぱり動くんだ、キリスト教の神話的な魔術によって左右されるものでないと、四百年前に予言したそのとおり、四百年後には、いまローマ法皇でもコペルニクスの説が正しいということを認めた
——認めなくてもいい、みんなが常識としてそれを受けとめたんです。コモンセンス、常識が最大の真理です。生活と結びついた、平和と将来に対する希望を与えるだけのコモンセンスが、常識が
政治の中において具体的な回答としていま光を放つ時代が、光は東方よって私は到来したと思います。どうぞそういう
意味において……。
それでは時間もありませんから、別な
機会で
ヤルタ協定の自主的解消、一朝一夕にはできないけれども、そのくらいのことは
アメリカや
ソ連もさんざん悪いこともやってきたんだから、罪ほろぼしにやっぱりやっていくだけの土性骨がなけりゃ
世界新秩序におけるリーダーシップは握れないと思うんです。
世界から孤立することが一番こわいんです。どうぞ
ソ連と
アメリカと、
両方とも危なくって相手にはなれぬわと言って
世界が嘆くようなきらわれ者にならないように、いまのところ思い切ったコペルニクス的な発想の転換を促すことが、いま
PLOが過激だと言われても、知己
日本を得て、そうして知己を得た感激の中に屈辱に満ちた
立場をも忍んで、とにかく
国連の場で話し合うというところまできたんじゃないですか。殺し屋じゃない。だれが殺し屋か
考えてみるがいい。
世界から、
ソ連でも
アメリカでも、だれにも相手にされないときのマンモスや恐龍のようなわびしさを
考えてみたらいい。それを
日本だけでなく、ポーランドからも、あるいは
アラブからも、
PLOからも、あるいは
イスラエルからも上がってくるような役割を果たすことがいま
日本の唯一の私は
世界に対して
方向づけをやる任務だと思いますが、どうぞそういう
意味において、死ねというのは気の毒ですが、死ぬというふうに捨て身になると案外
——園田さんもこのころはずいぶん悪口を言われるようになったから、悪口を言われるようになれば相当な大
政治家になったことですから、それをくよくよしないで前へ前へ光を求めていってもらいたい。
それとやっぱり
鈴木さんを見直したのは、大したものです。私は政党政派を抜きにして、社会党でも共産党でも、やはりふるさとを愛し、祖国に
責任を持つだけの
気持ちを持たない者には
日本では政権を与えません。他を非難し、誹謗することは楽であるが、みずからそれだけの
責任感を持って、やはりひとつのこの険しい時代に活路を開くというだけの
精神を躍動させることを期待し、簡単でありますが……。
半分は激励です。本当に
園田さん、死んでもいいかも永遠に生きること、りっぱな
政治家としてやっぱり壮烈なひとつの態度を持って前へ前へと、逃げることは御免です。そういう点において、あなたは逃げられないたちだから大丈夫だけれども、どうぞこの危機を
打開してくれるために、簡単ですが時間が制約されておりますから、これで結びます。