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島村政府委員 恩給局所管の事項につきましては三件ございまして、一件は、戦後の
ソ連の
強制抑留につきまして、
抑留加算をふやしてくれという件でございます。
それから二点は、
中国で
湘桂作戦というのがございまして、それについて
戦地の
加算を認めろ、こういう
要望でございます。いま申しました
湘桂作戦が八の
番号でございます。
それから、その次に九の
番号がございまして、九が
上海の
工部局の職員に対して
恩給についてのことを考えろ、こういう三点でございます。
一番最初申し上げました戦後
ソ連の
抑留の
加算の問題については、一でございます。
最初に、戦後の
ソ連の
抑留者の
加算の問題について御
説明を申し上げたいと思いますが、
ソ連の
抑留者の実態についてまず御
説明申し上げますと、
ソ連に
抑留されました
総数約五十七万五千人、そのうち帰還した者四十七万三千人、
死亡推定者が五万五千人、それから
病弱等のために
ソ連に参りました後にすぐ
満州等に送り返された者、これが四万七千名、現在なお
ソ連に残留している者が九十二名でございまして、
総数約五十七万五千名ということでございます。そして、この帰還した四十七万という方について見ますと、
昭和二十一年までに帰還した者が約五千名、それから二十二年に帰還した者が二十万名、二十三年に十七万名、二十四年に八万名で、二十五年以降は非常に少数の
帰還者ということでございます。
そこで、私
ども恩給法の方で
加算年について一体
基本的にどう考えているかということでございますが、
加算につきましては、
基本的な考えといたしまして、
一つは、
地域に関する
加算、それからもう
一つは、
職務に関する
加算というこの二つの種類がございます。
地域に関します
加算については、これは
不健康地あるいは
辺陣地ということで、いままで
戦争中につきましては三分の一カ月から三分の二カ月の
加算を認めておるわけでございます。それからもう
一つ、
職務についての
加算でございますけれ
ども、これは
戦闘地域における
戦争行為というものに対する
加算が一番多うございまして、大体三カ月というのが上限でございます。それから
擾乱地につきまして二カ月、それから
戦争が一段落した後で、要するに
戦地外戦務というのですか、そういうところは大体一カ月、あるいは
外国鎮戌というようなものが一カ月ということでございまして、大体一カ月から三カ月の
加算が認められておるということでございます。
それで、
ソ連の
抑留加算につきましては、
昭和四十年から一カ月の
加算を認めておるのでございますが、この認めました根拠は、どちらかと言えば
職務加算ではなくして
地域加算であるというふうに私
どもは考えておるのでございまして、
辺陬の地にあって非常に不健康なところにおられたということから、いままで三分の二カ月まで認めておりましたものを、特に一カ月認めておるわけでございますが、
ソ連の
地域につきましては、
職務が
日本政府の公務ではないということ、それから二番目には、私
どもといたしましても
職務の
内容がはっきり確定できないという問題がございます。したがって、
職務ということで
加算を加えるのではなくして、そういう
地域的な
加算を認めていきたい。そういたしますと、いわゆる
辺陬地あるいは
不健康地というものを基準にして考えまして、いままでの三分の二カ月が
最高でございましたのを、さらにつけ加えて一カ月、そういうふうな
措置をしておるということでございます。
それからもう
一つ、仮にこの
加算を一カ月からさらに二カ月、三カ月にふやしましても、問題は
昭和二十一年、二十二年に帰った人が非常に多いわけでございます。これらの方につきましては、仮に
加算をつけましても
恩給年限に達しないという問題が出まして、それも非常に不公平な
感じを免れないというのが私
どもの
感じでございます。
もう
一つは、シベリアに
抑留された
方々が軍人だけではなくして、民間の方あるいは軍属の方も相当
抑留されているというようなことで、私
どもといたしましては、現在の
抑留加算一カ月というものをさらにふやしていくということにつきましては、必ずしも適当ではないというふうに実は
判断をいたしておるのでございます。
それから二番目に、
中国の
湘桂作戦の問題でございます。
中国の
湘桂作戦と申しますのは、ちょっと遠くて図をごらんいただけないかもわかわませんが、この
地域について、
昭和十九年の六月ぐらいから暮れにかけまして
作戦をやったものでございまして、その理由は、ここに
桂林というところがございます、それからこの辺に柳州というところがございまして、ここにB17が
昭和十九年ぐらいに配置されまして、これが
台湾あるいは北九州を
爆撃したという事実がございます。そこで、
中国大陸から
台湾及び本土に対してB17が
爆撃するのを防ぐために、この
飛行場を撃破しようということで、十九年の六月ぐらいから
湘桂作戦というものが行動をされております。もっともその前に、十九年の四月ぐらいから
京漢作戦というのがございまして、
飛行場を撃破すると同時に、将来ここに北京から
南寧に至ります
縦貫鉄道をつくって、そして
中国の
経済と申しますか、そういうものを
基本的に立て直していこうという
基本的な構想が
一つございまして、その上にさらに、その
爆撃を防ぐ
意味で、
桂林とか柳州なんかの
飛行場を撃破しようということで、実はこの
作戦が始まったわけでございます。
それで、
中国全土につきましては、大
東亜戦争が始まりました前後から
戦地加算として二カ月の
加算が認められておるのでございます。それを、この
湘桂作戦というのは
米空軍の
爆撃のもとに非常に熾烈な戦いをやったということで、
中国における普通の
作戦とは違うではないかということで、
戦地加算として三カ月を認めてくれ、こういう
要望でございます。
そういう状況でございますが、いま申しましたように、
昭和十九年から一
号作戦ということで、連続して
京漢作戦、
湘桂作戦、
粤漢作戦というふうにいろいろございまして、その中の
湘桂作戦だけを取り出して
戦地加算を三カ月認めるわけにはいかないのではないかというふうに実はわれわれは考えておるわけでございます。また、
京漢作戦、
湘桂作戦というのは、一
号作戦ということで
一つの連続した
作戦になっておるわけでございますが、それ以外にも
中国においていろいろの
作戦が行われております。確かに
湘桂作戦というのは、その中でも規模において大きいわけでございますけれ
ども、それ以外の
戦闘がなかったとは必ずしも言えない。いろいろの
作戦があったわけでございまして、私
どもも、この
湘桂作戦だけを取り上げて
戦地加算を認めるということについてはどうであろうかというふうに実は考えております。
もう
一つは、こういう
戦闘行為がありましたときに、たとえば
昭和十九年ですと、
陸軍省が当
恩給局に対しまして、この地については
戦地加算を何ぼにしてくれ、こういう
要望が実は毎回来ておるわけでございますが、この
湘桂作戦におきましては、
昭和十九年に
陸軍省から
恩給局に対してそういう
申し入れがないのでございます。そういうことで、私
どもも、
陸軍省からそういう
申し入れがなかったという事実は、
陸軍省自体においても、それほどのものであるというふうには認めていなかったのではないかということと、私
どもが後で調べたものにおきましても、
湘桂作戦以外の
作戦がいろいろあるということで、これを私
どもも現段階において三カ月
加算、
戦務地の甲の
加算を認めるのは適当ではないというふうに実は
判断をいたしております。
それから三番目に、
上海工部局の
警察官に関する
請願でございます。
この
趣旨がちょっとよくわからないのでございますけれ
ども、
上海の
共同租界というものがずっと戦前からございます。大正五年から
日本の
警察官が
上海に参りまして、
工部局警察官としていろいろその
地域の治安に当たっておったわけでございますが、大
東亜戦争前までは
共同租界として
日本とイギリスとアメリカの三国共同
管理のもとに、この
工部局警察というものが実は動いておったわけでございます。ところが
昭和十六年十二月八日に大
東亜戦争が勃発いたしますと同時に、この
共同租界を全部
日本軍に吸収をいたしました。しかし、その後新しい
中国政府ができましたので、
昭和十八年の八月一日にこの
共同租界を
中国政府、
南京政府に返還をいたしておるのでございます。十六年の十二月八日から十八年の八月一日まで、この
期間が実は問題でございまして、この
期間はその当時の
日本軍の
管轄下にあった。要するに、
工部局の
警察官がその
部分について
恩給を積み立てておった、こういうことであります。これを何とか
処理をしてくれ、こういう
請願のようでございます。
この
工部局の
警察官につきましては、
恩給局におきましてはすでに
外国政府の
通算を認めておりまして、
日本の
警察官から
工部局の
警察官になった人、あるいは
工部局の
警察官からさらに
日本の公務員になった人というものにつきましては、実は
恩給の
通算を認めておるわけでございまして、この一年八カ月分だけについての
恩給というのはございませんので、私
どもとしては、その
通算を認めておる限度において、
恩給法としては必要な
措置をとっておるのではないかというふうに考えておるわけでございまして、むしろ
請願の
趣旨は、後段の
恩給の
積立金になったものについての
処理というものが中心ではないかというふうに考えられます。この件については、
恩給局以外のこと、権限の外というふうに実は考えておるわけでございます。
大体三件簡単に御
説明しますと、以上のとおりであります。