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村田参考人 このたび
老人保健法案がこの衆議院の社労
委員会で審議されるということで、私のような人口二十二万の
高崎という小さな中都市の町医者に
参考人として出頭せよということでございましたのですけれども、とにかくその任にあらず、私のほかにそういう方はたくさんおられるということで再三固辞したわけでございます。
けれども、私はこれまでに
老人問題について国の厚生科学研究班員として論文を三回国に出しております。その一番最初の論文は、在宅寝たきり
老人の訪問看護のあり方に関する研究、それからその次の問題は、地域における病弱
老人の一貫した健康管理のあり方に関する研究。で、昨年度の論文が、そういう在宅の
老人の
家庭看護に関する問題あるいはそれを通じてのボランティアの育成という、これらの三回の論文を
厚生省の厚生科学研究班員として書いて提出いたしました。そのことと本日のこの社労の
老人保健法案というのが、中身を拝見いたしますと大変合致するものがあるわけでございます。そんなことでお引き受けしましてまかり出ました次第でございます。
で、お手元にお配りいたしましたいまから六年前になりますが、五十年の十月に初めて私は
老人問題に関する論文を発表、講演をしたわけでございます。その中の要旨をごらんいただきますとわかるのでございますが、人口問題から私はこの問題に対する取り組みをしていったわけでございます。ローマクラブの問題から始まりまして、世界人口
会議あるいは日本における
厚生省の中の人口問題研究所の黒田先生の論文等を読みまして、いわゆる
社会医学的なアプローチということでこの問題に取り組んでまいりました。ただ、私自身が内科の臨床医である。それともう一つ、
社会医学を研究しているということで、
二つのものが私にすると別のものではないというふうにとれたわけでございます。
一番最初の問題としまして、私はいまから約二十二年前になりましょうか、
昭和三十四年度に
高崎市における二百三十名の八十五歳以上の長寿者の健康調査ということを、当時私、
医師会長をしておりましたので、内科、外科、耳鼻科、眼科、精神科それに歯科医師も入れて訪問をしたわけでございます。そしてそのときに初めて、私は在宅の寝たきり
老人という実態に触れました。そしてそれ以後、その一つの研究は終わりましたけれども、私は自分で一人で
保健婦さんを通じて、地域における在宅
老人というものはだれの手もかされない、家族の素人看護によって細々と支えられているという実態を拝見したわけでございます。
そのことから市に進言いたしまして予算化してプロジェクトチーム、医師と看護婦と
保健婦とケースワーカー、それらの方々、それにホームヘルパーを交えまして訪問看護ということを始めてまいりました。さらにそれを
拡大いたしましたというよりは、むしろそれでは実態に触れにくい、やはり看護している
家庭の主婦を教育してそして見ていただくということがどうしても必要だというので、
家庭看護教室というのをいまから五年前から始めたわけでございます。その
家庭看護教室のためのテキストをつくり、そして毎月四日間続けてまいっております。
さらにその中に若者に対する教育、これからの
高齢化社会を支えてくれるのはいまの中学生でございます。中学生、高校生、これらに教育なくして、将来性という、パースペクティブな展開ということはあり得ないわけでございます。したがって、女子高生の夏休みの一日講習、それから短大生の冬休みの一日講習ということで若者の方へそれを広げてまいったわけでございます。
そういうことから、ことしで三年目になりますが、
家庭看護教室を卒業した、習得した婦人の方たちが約二千名近くなりますが、その中からいわゆるボランティアのホームケアの会というものができました。これは地域における各学校区に役員をつくりまして一つのサブシステムとして、プロの
保健婦さん、看護婦さんのサブシステムとしてホームヘルパーと同じように地域の連帯感を持った話し相手にもなろう、あるいはお世話もできる、それには看護を勉強した
家庭婦人であるということでつくってまいったわけでございます。
そういう変遷を経てまいりまして、本日この
老人法案を私拝見いたしまして熟読いたしました。
ところが、やはり私が六年前に気づき、そして今日までやってまいりました世界的な問題でございまして、すでに先進国、特に
社会保障の国としての
イギリスを初め北欧あるいはアメリカの——アメリカには、自由診療でこういう
社会保険の
医療というのはなかったわけでございますけれども、
老人問題でメディケアというものができたわけでございます。そのメディケアも当初出発した考えよりも余りにも膨大な経費がかかるということで、予期しない問題にぶつかった。あるいは
イギリスのナショナル・ヘルス・サービスという
人頭方式とかいうことも、これは受ける方の、
医療を提供される患者の方の
立場からすると非常に問題がある。いわゆる粗診ということになりかねないということでございます。
医療がなぜそんなに国の
財政まで脅かすか、あるいは
国保の
財政の中の大きな部分を
老人医療が占めるかという根本的な問題は、私は入院
医療だと思うのです。
これは実は十月の十日、十一日の二日間にわたりまして朝日新聞のモダンメディシン・セミナーが、日本
医師会が後援いたしまして
老人医療の講習があったわけでございます。それに私は二日間講習に参加、受けてまいりましたときにも、大学の教授が、七十歳、八十歳でも手術ができますということをとうとうと講義をされるわけです。七十、八十、そこに死を迎えている
老人疾病の中でそこまでしてなぜ高額の
医療が必要なのであろうか。静かな涅槃という安楽な往生の姿にしてあげるという、そういうものが今日の
医療、医学の中にないのでございます。生命の延長のみを考えている、生命の本質を考えない。ただもうすでに機械をとめれば亡くなっているというお年寄りを機械の中で生かしておく、そういうことが今日の
医療の大きな実態ではないかと思うのですね、特に経費が非常にかかるという。
先ほど来のお話にもございましたように、
イギリスにおいてもいわゆるインドアリリーフ、ドアというのはあちらで
施設ということでございます。インドアリリーフからアウトドアリリーフ、要するに
施設内の
医療からホームケア、
施設外の、ドアの外の在宅のケアというふうに切りかえて
財政の危機を突破したというふうに私は本の上で——これは大阪大学の吉田寿三郎という
イギリスやら北欧へ長く行って研究された教授の本を拝見をしました。
そういうことで、日本の場合も
老人医療の中で特に入院
医療によって大変高額
医療費がそこに出てくる。これをホームケア
中心に在宅の——
老人自身も自分の家で死にたいのです。機械の中で、病室へ入れられないで最期息を引き取ってから入れられるという実態を
老人は決して喜んでない、あるいは家族もむしろ家で
治療してもらえるなら家だということは、これは私どもの地域におけるあるいは日本
全国のお年寄りの願いであろうと思うのです。そういうことによって、日本の
医療費、
老人の
医療費がかなり有効に使われるのではないかと私は感じるわけでございます。
問題は、この参考資料を拝見しまして、やはり
マンパワーの量と質とそれからその意識革新、意識革新に伴っての行動、これに尽きると思うのでございますね。この中を拝見しましても自治体の
保健婦のみが非常に強調されておりますけれども、この
法案の中にある受けざらづくり、その問題が私はもう少し詰める必要があると思うのでございます。
本来、
保健婦さんというのは、文字どおり
予防医学に専念するわけでございます。看護婦というのは臨床看護でございます。
予防からリハビリテーションまでというのはいわゆるコンプリヘンシブ・メディシン、包括
医療ということでございまして、この
法案はまさしくその包括
医療をうたってある。すなわち従来ありました
医療という小さな
観点でなく大きな包括
医療でございます。こういうものがこの中に含まれているという点では、私は大変評価するわけでございます。単なる
医療行為ではなくお年寄りの健康づくりということ、あるいは寝たきり
老人をつくらない、そして寝たきり
老人でなく丈夫で長生きをする
高齢化社会が来たって、それはちっとも困らない。そして亡くなるときはそんなに薬づけの長い寝たきり
老人ではなく、本当に安らかな涅槃の姿で成仏できる、これが日本民族の願いでもあると私は思うのでございます。
したがって、
老人医療のいろいろな問題がある、そのトータルシステムの中のサブシステムということを
医療として考えますと、これはやはり医師という専門職のオーダーから出ました、その情報に始まる
保健婦、看護婦あるいはPT、OT、さらには専門職ではございませんがホームヘルパー、あるいは私どもがいまつくって地域でやっておりますボランティアの方たち、こういう人たちを一つの地域の在宅
老人の看護、あるいは専門職の場合には看護という言葉を使いませんが、介護ということでございますが、看護、介護のスペクトラムというのです、そういうスペクトラムをつくらなければならないということをしみじみと感じるわけでございます。
私の過去十年間やってまいりました地域におけるこういう体験から、試行錯誤を重ねてはまいりましたが、この
保健事業の中の「訪問
指導」という言葉、これにひっかかるのでございます。それのしかも前提には寝たきり
老人というのがあるのです。寝たきり
老人というのは、
老人の病態の中で健康の
老人があり病弱の
老人があり、そして病弱の
老人から寝たきり
老人になる。そういたしますと、ADLといいまして、
日常生活行動というのはこれは
老人医療の場合によく使う
社会医学的な言葉なんですけれども、
日常生活行動の中の重、中、軽。軽というのは自分で何かできる、中というのは部分介助を要する、重というのは全く自分ではできない、食べることから排せつからできない、床ずれもできるであろう、その問題が重度の寝たきり
老人。これは保健
指導ではだめである。保健の問題ではなく、これは看護の問題、
医療の問題だと思うのです。
保健婦さんがそれができるならば、今日のような問題にはならなかった。看護ではなく保健
指導である、この辺にこの
法案の中の、今後いろいろ考えていただかなければならない問題があるのじゃないかと私は考えるわけでございます。
以上、私のこの
法案に対する考え方を申し上げまして、責任の御報告といたします。
どうもありがとうございました。(拍手)