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草川委員 だから、それはいま私が申し上げましたように、
外務省全体の支援体制がないわけです。
国会決議というものが非常に無視されておるわけです。それで、私がいま申しましたように、実はこれはただ単なる
韓国のスポーツ
課長がかわったということではなくて、非常に
意味のある行為を
向こうは
向こうでなすってみえるわけです。だから、そういう情報を早く招致
委員会に出して、
韓国側の対応もかなり強烈になっておるということを
日本全体の体制で
考える必要があると私は思うのです。
事実、
外務省は昨年十月の国連
安全保障理事会の非常任
理事の選挙では、
日本が第一位で当選しておるでしょう。あるいはことしの十月の経済社会
理事会の
理事国選挙では、
日本は
アジア・グループで百三十票集めて、第一位なんですよ。だから、
アジア局が本気になって、あるいは他の局が本気になって情報を集めたとするならば、私は
日本がこのような惨敗を喫すということはないと思うのです。
しかも、非常に不思議なことは、実は
園田外務大臣が交代されたのが五月十八日ですか、それから、これは率直な私の
意見でございますけれども、いわゆる名古屋オリンピックというのは、大平さんがまあいいからやってみろというような意向があって、わあっと地元の方では盛り上がってきたわけです。そして、
伊東外務大臣のときも、その意を体してかなり熱心に
外務省全体でフォローしていただいたことは事実です。私どもその一員ですから、
外務省はよくやっていただいた。ところが、七月から八月になり、しかも須之部さんが
韓国から戻られまして、若干の期間を置いて今度須之部さんが次官になられた。これは七月二十八日です。そのころになってまいりますと、非常に
外務省が冷淡になってきたことは事実だということであります。
しかも、鈴木さんも
アメリカへ行かれまして、
日米共同声明というのもあったわけでございますけれども、これはやはり
アメリカと
韓国の
安保重視の
立場から、ちょうど六〇年
安保時代、五年後に東京オリンピックが開催されるというときに、
アメリカは東京オリンピックにも大変な応援をしてくれたわけです。事実、今度の場合には
アメリカは名古屋に入っておりません。ソウルに入っておると言われておるわけでありますけれども、積極的にソウルの応援の方になったと伝えられております。
これは六五年の東京オリンピックと同様な戦略的な判断があったと思うのですが、
外務省はそういう意を体して、名古屋オリンピックについてはその後急速に
情報収集については非協力的になったのではないだろうか。事実、情文
局長は
外務省の中で総スカンを食っておったという情報を私どもは聞いております。全体に各国の大使館からの情報というのは
現実にとまったわけですよ。イギリスのロンドンの大使館でもそうなんですよ。私どもは詳しい話を一々申し上げませんけれども、負けたからくやしいから
外務省に当たり散らしておるというようなものではないのです。
しかも、本当にそういう情勢が悪ければ、いま
外務大臣がおっしゃったようなことだったら、私はオーストラリアのように率直に地元に提言をすべきだと思うのです。そういう態度がなぜ
外務省にとれなかったのか。笛を吹いて踊ったのは愛知県と名古屋市と中部三県だけじゃないですか。それは地方べっ視じゃないですか。東京オリンピックのときに、
外務省はどのように協力したか。大阪の万国博のときに、どのように協力したか。こういう問題については、名古屋が負けたからそれでいいだろうというコメントを出す
外務省の
局長も
局長だと思うのですよ。一体このことについてどのように思われますか。