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中山国務大臣 ちょうど
本土復帰十年の折り目を迎えるわけでございます。私も
長官に就任させていただいてちょうど一年三カ月
余り、
沖繩県の
方々からの御意見あるいは
委員会の
先生方の御発言等を頭に入れていろいろと白紙の状態でデータを全部チェックしてみたわけです。
この十年間は十年間なりに私は
本土並み
復帰、
本土並みというところに
一つの着眼点、目的を置いてやってきた。その
政策の中で、
人口は目的であった百万を超した。また、道路の整備等もある
程度できたけれ
ども、まだ交通機関の整備はできていない。
産業の面でも、一次
産業の農業がパインとそれからサトウキビというような特定の業種にかかっている。二次
産業は建設業、製造業がなかなかふるわない。
それはエネルギーと水のコストの問題で、これは
本土と並んで競合状態に立ち行くかというと、私は大変むずかしい問題だと思う。近所にある台湾と比べてみてもあるいは中国
本土と比べてみても、エネルギー問題という問題で対抗的な有利な
条件をつくり出すということは、これはなかなか至難のわざではなかろうか。水問題は、ダムの建設もございますが、まず飲料水を確保しなければ工業用水の確保はできない。こういう問題を考えてまいりますと、率直に申し上げて、十年間とは違ったいわゆる
振興開発というものの基本
計画を立てなければ、
沖繩の所得水準が
本土並みに並ぶ、それによって
雇用が相当水準よくなっていく、こういうふうな
一つの
パターンになっていかないだろうと実は考えております。
そういう中で、二次
振興開発計画を立てるということに近く決断をしなければならない。
沖繩開発審議会からも答申がすでに出ておるわけでありますから、そういう中で、それじゃ一体どこをどうすれば
沖繩はよくなるのかということを、まだ検討の段階でございますが、私が
長官としての
考え方を申し上げれば、
雇用を吸収するような
企業体を形成する以外に方法がない。それは
沖繩自身にそれだけのノーハウがあるかどうかという問題が
一つ厳存していると思います。
そのために、従来はともすれば
本土資本の排撃、
沖繩独自の資本による
沖繩産業の開発という
考え方が
沖繩の方にあったと思いますけれ
ども、
本土並み
復帰をする以上は、
本土は県境こそあれどの
企業も県境を越えて自由にそれぞれの地域で
産業を興していく、そういうことから、
沖繩県の方にもぜひ
本土の
企業との一体化ということをひとつ
考え方の中に整理をしていただくことが必要なんじゃなかろうか、それによって
沖繩だけでは得られないノーハウというものが
本土から
沖繩へ
移動を始めるであろう、私は実はそのように考えておるわけであります。
たとえば農業の場合でも、パインの問題とかあるいは糖みつの問題とかいろいろな問題で
先生方に御苦労いただいております。あるいはミバエの問題もございます。そういう中で、付加価値の高い花あるいは冬季の野菜、そういうものの
本土への出荷という問題につきましても、問題は輸送経路が問題になってきたということを私は先般の
沖繩訪問で知ったわけであります。つまり、花ができる、それをいまは飛行機で運んでいる。しかし飛行機の便数が制限されている。だからこれ以上生産を高めても
本土への出荷の輸送
条件が整わない。ここに
一つの大きな問題があるのじゃないか。
それじゃ、その問題を解決しようとすればどうしたらいいか。それじゃ冷凍コンテナが要る、冷凍コンテナをどう手配するか、こういうことになってくると、冷凍コンテナの手配の手段というものがただいまのところ確立されていない。冷凍コンテナが整備されれば、あるいは花を大阪あるいは東京、大消費地に向けて毎日輸送できるわけでありますけれ
ども、このコンテナをどう、だれが、どこでつくって、だれが出資をして、そしてだれが管理をするのか。
本土と
沖繩との間のフェリーは毎日三便ずつぐらい出ておるわけでありますから、何回かのサイクルで冷凍コンテナを輸送する往復のサイクルのシステムをつくれば、航空便の制限があっても冬物野菜の
本土への出荷というものは、相当その成果を上げてくることができるでありましょう。そういう問題をぜひ検討すべきであるということを私は事務当局に命じておりますし、
沖繩県当局に対しましても、県の新しい農業のあり方については輸送手段とセットにした付加価値の高い農産物の製造、こういうことに着目すべきであるという指示をいたしております。
もう
一つの点は、
沖繩の
海洋博の後で落ち込みました観光客も、昨年は百八十万人、今年は百九十万人になってきたわけでありますが、やはり
沖繩というものは観光というものは、これからさらに第二次
振興開発計画ができる場合には大きな柱にする部分であろうと私は考えております。ハワイがどうしてあれだけ人が集まるのか、それはもう世界各地からの航空路というものが整備されている。
沖繩も航空便の便数が制限されていますけれ
ども、離島は
沖繩の本島からの乗りかえによって人が動く、そういう中で問題は
本土からの直行便が離島に行けない、ここに大きな
一つの障害があることも私は明白に認識をしております。
また、日本は春夏秋冬に恵まれておりまして、領土の北、東北部は冬は雪に覆われている。その雪の地帯の
人たちが暖かいところ、いわゆる避寒地を求めて行くとすれば、それは
沖繩でなければならない。そうすれば、寒冷地からの直行便を
沖繩にふやすことを
政府として認めていく必要があるんじゃなかろうか。それを誘導しようとすれば、まず航空便数の
考え方と、それから路線の許可の
考え方というものに
沖繩開発の
考え方を基本的に修正する必要がある。また、それを受け入れるためのホテル施設、長期リゾート型の休養施設の建設というものに国と県が一体となって、地元の人も十分参加のできる新しいリゾート地帯というものの建設に思い切った
公共投資をする必要があるんじゃなかろうか。こういうことを
中心に
雇用問題というものを解決することが一番いい方法ではなかろうか、在任一年三カ月にしてそのような
考え方が固まってまいったわけでございます。