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参考人(宮尾修君) ごらんのように、私は車いすに乗っております。この私の目の前にある
答弁席は立って話をされる方のためにあるものでございまして、多少話しづらい、さらにお見苦しいところがあるかもしれないと思いますけれどもお許しをいただきたい、こういうふうに思います。
私は生まれると同時に脳性麻痺というものになりまして、以来四十七歳の今日に至るまでこういう体で生きてきたわけでございます。
いま
日本には二百万人の
身体障害者がいると言われておりますけれども、そのうち私のようないわゆる重度の
身体障害者と言われている人たちは約七十万人ほどいるというふうに言われております。私はその一人といたしまして、私が住んでおります千葉県の船橋市というところで「羊の声」という障害者のグループを十数年前からしている者でございます。
きょうは粕谷先生の御好意によりまして話をする機会を得たことを大変ありがたいと思いますので、いま御質問のございました生活について、また国際障害者年長期行動計画をめぐる問題について及び教育の問題について皆さんのお耳を汚させていただきたいと、このように思います。
まず、生活についてですけれども、私は四年前の五十二年の
国会においても当
委員会で意見を述べる機会を与えられました。その際、自分の生活について、妻と二人で暮らしていること、一カ月の平均支出は九万二千円であること、受給している福祉年金は二万三百円であること等をお話しした記憶がございます。それから四年たちました現在、私の家庭は、三歳になる長男と一歳の次男と、子供が二人ふえました。また、昨年からは私の両親と同居しましたので六人家族で暮らしておりますが、この六人の生活実態は、お手元に配らせていただきました家計簿のとおりでございます。
これは一番最近の二月の支出でございますけれども、十四万九千円の総支出のうち、子供のおやつやミルク代を含め食費が九万八千円余りになっております。九万二千円という支出でございました四年前は、食費が二万五千円でございました。当時も生活は苦しく、いわゆる教養、レクリエーションなどに割く費用はございませんでしたが、それでもエンゲル係数は約四分の一でございました。それがお手元に配りました家計簿によると、三分の二が食費にとられているわけでございまして、いかに食べるだけの生活であるかということがこれだけでもおわかりいただけると思います。両親と合わせて大人が四人いるわけですけれども、ごらんのとおり、新聞を除くと雑誌をただ一冊買っているにすぎません。私がいま身につけております背広は、最近、国際障害者年特別
委員会などの公式
会議に出る機会がふえましたため、まあ初めてあつらえたものですけれども、これをつくりますのにはわずかにあった貯金をおろさなければなりませんでした。
下の参考までにお示ししました図は、友人の家計との比較でございますけれども、この友人はインフレで
実質賃金が下がり生活が容易でないことを訴えています。そして、家族三人で幾らかでもゆとりのある暮らしをするためには最低三十万以上が必要であると述べております。恐らくこの友人の訴えと
要求というものは、いまの働く人たちに共通したごく当然の訴えであり
要求であると思われますけれども、私たち一家の生活はそれよりもさらに極端に低い状態に置かれているわけであります。
私は職業についておりませんので、決まった収入というものがありません。この二月の場合で言いますと、私の方から七万円ほど出しておりますけれども、このうちの四万三千円は福祉年金と福祉手当でございます。残りの二万七千円は原稿などを書いて得た収入ですが、そういう収入はその場限りのものでございまして当てにはならないものであります。したがって、支出の半分以上は親たちが出しているわけですがいその親は父が八十歳に近く母も七十歳をとうに過ぎております。そういう高齢になっているにもかかわらず、子供や孫たちの生活を支えるため、いまだに商いを続けております。つまり、私たち夫婦と子供二人の生活は年老いた親たちの労働によって支えられているわけで、
状況的には以前に増して深刻であると言えるだろうと思います。
このような意味から、私たちは生活を支えることのできる
経済保障、わけても年金、福祉手当というものの引き上げを要望したいと以前から強くお願いをしているわけでございますが、そこで、特にこの際触れておきたいと思いますのは、今年度の
予算における福祉年金の問題でございます。
私は、昨年発足いたしました国際障害者年特別
委員会の
委員として五十六年度事業のあり方というものにかかわりましたが、この昨年八月
政府に提出をされた五十六年度事業のあり方の中で「生活安定のための諸施策の推進」という項目がございます。そして、これは
経済保障のことであるということが特別
委員会の
会議の中で確認をされております、したがって、私は今年度
予算においては国際障害者年の当年でもあり、恐らく年金の改善というものが行われるだろうと期待したのでございますけれども、現実の
予算を見ますと一級の障害福祉年金が三万六千円と、二千八百円の引き上げでしかございません。これでは前年度と全く変わらないだけでなく、特別
委員会の提言を軽視したことにはならないだろうかというふうに思うわけでございます、最近は障害者政策の転換ということが言われ、
施設中心主義から在宅
対策の充実ということが強調されております。しかし、在宅
対策のかなめである所得保障というものが充実しなければ、
地域で自立した暮らしをしたいという私たちの願いはかなえられません。
特にここで申し上げておきたいのは、現在養護
施設などに対しては入所者一人当たり二十万以上のお金が使われていると言われております。その点、
地域で生きている者として、その半分とまではいかないまでも、せめて七万から八万の安定した
経済保障というものを在宅障害者に対してしていただきたいということを、この際申し上げておきたいというふうに思います。
さて、私たち障害者がこの国際障害者年に期待しておりますものは、単なる言葉としての「完全参加と平等」ではございません。一つ一つの具体的課題における具体的実現でございます。現在、特別
委員会では福祉生活環境、教育育成、雇用就業、保健医療、企画の五つの部会に分かれて長期行動計画のあり方を審議しておりますが、そこで取り上げられている問題は、どれも具体的な問題でございます。そして、こうした問題が正しい方向で
解決され、障害者年のテーマが実現されるためには、何よりも国による施策の推進が行われる必要があると存じます、この点で気がかりなのは、この長期行動計画の
実施ということを
政府がまだ御決定になっていないことでございます。
去る三月十六日に当
委員会で行われた御
質疑をテレビで拝見しましたが、その際、
政府のお答えは、年末になって特別
委員会の提言が出るのを待って態度を決めるというものでございました。これは私などの立場からいたしますと、自分たちが必死になって議論している事柄が
政府によってどの程度重要視されているのかということに対して、疑問を生じることになるのではないだろうかというふうに思います。
第二に、この長期計画は明年、一九八二年から一九九一年までの十年計画ですが、その第一年に当たる明年について、そのための
予算化が行われているのだろうかどうだろうかということでございます、行われているのであれば非常に結構でございますけれども、これがもし行われないとなりますと、スタートから長期計画はつまずくことになり、一体その先がどういうふうになるのだろうかということが案じられるのでございます。私は決して
政府の御熱意を疑うものではございませんが、多くの障害者の期待にこたえ、特別
委員会の審議を生き生きとしたものにするためには、できるだけ早い機会にこの国内長期行動計画の
実施をするという御決定を下されることが望ましいというふうに思います。
長くなりまして恐縮ですが、最後に教育のことについて少し申し上げさせていただきたいと思います。
私は、学齢を迎えたころに、まだ戦前でございまして、養護学校がほとんどありませんでした。そこで、私の母は近所の普通の小学校に入れようということを
考えたようですけれども、その小学校から断わられたそうでございます。当時は、私のような体をした子供は就学できないのが当然であり、私自身、長い間、自分が学校に行けなかったのは障害が重いためであるというふうに思い込んでおりました。しかし、
考えてみますと、普通の子供はだれでも学校に行っていたわけでございまして、私は当時の学校と制度からいわば拒否されたにすぎないわけでございます。現在は、障害児の就学権というものが一応保障されております。しかし、今度はそこでは障害児は養護学校に行くのが当然ということになっていないだろうかということを思うのであります。
つい最近のことですが、私の住んでおります市の養護学校の先生からこんな話を聞きました。この養護学校は知恵おくれの学校でありますけれども、第一に、
地域との接触を図ろうとして、学校の外での遊びを行おうと計画した。ところが、
地域の偏見が強くて遊ぶ場がないということでございます。つまり、普通の子供たちが遊んでいるところに知恵おくれの子供を連れていくと、普通の子供が逃げていったり邪魔をしたりして、一緒に遊んでくれないということを訴えておりました。それから二番目には、就職先が単にないというだけでなくて、働く訓練という意味での実習の場を持とうとしても、そういう実習の場すら引き受けてくれる企業がない。それから三番目には、いま一番問題になっているのは、夏、冬の休み、土曜と日曜の過ごし方だそうでございます。つまり、学校にいる間はいいのですが、うちに帰ると全く友人がいない。
地域から疎外されている。そこで、自治会や地区の子供会などでこうした子供たちを仲間に入れてくれないだろうか、こういう訴えを学校の先生から伺いました。私はこの話を聞きまして、子供の生活には
地域とその
地域の子供との交流が必要であるということを感じたのであります。その点は障害児でも健常児でも全く変わらない、養護学校はそうした
地域との交流、普通の子供社会への統合というものを断ち切っているのではないだろうか。というよりも、断ち切ったところで障害児を社会的な意味で特殊な存在に仕立てているのではないだろうかというふうに感じたわけです。そしてそのことが偏見と
差別を一層招くことになっている。
私は思うのですが、障害者年のテーマである「完全参加と平等」というのは、総体としてのインテグレートであると思います。つまり統合であると思います。そうであるならば、子供のときからその統合というものは出発すべきではないだろうか、つまり、ともに学び、ともに遊び、ともに生きる、そういう機会を学校の中でつくり上げていく、教育の中でつくり上げていく、こういうことが必要なのではないだろうかというふうに思うわけです。
私の子供のころに、どなたでも御存じのヘレン・ケラーが
日本に来たことがあります。戦後にも参りましたけれども。私の母は、このヘレン・ケラーを育てたといいますか、教えた家庭教師のエド・サリバンという人がいるわけですけれども、このサリバンがこういうことを言ったということを私に教えてくれたことがあります。つまり、こういう障害のある子供ほど普通の子供と交わらせなくてはいけない、エド・サリバンはそう言ってヘレン・ケラーを教えたということです。私は、その後ヘレン・ケラーの「私の生涯」という自伝を読みましたが、そこでは、家庭教師のエド・サリバンは、目の見えないヘレン・ケラーを絵の展覧会に連れていき、耳の聞こえないケラーを音楽会に連れていった、こういうことでございます。
私は、障害者年の「完全参加と平等」というのは、何もむずかしいことではなくて、お互いが生きている
地域社会の中で普通の人と同じように障害者を見る、そして普通の人と同じように障害者とつき合う、接しる、そこから始まるのだろうと思います。教育においても労働においても、どういう分野においてもそれは変わらないことだというふうに思います。したがって、人間をつくる基礎であります教育においては、ぜひ可能な限り普通児とともにの教育というものを推進していただきたいということを特に申し上げて終わりたいと思います。
どうもありがとうございました。(
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