○
参考人(
須田初枝君) 御紹介にあずかりました全国協議会の
須田でございます。きょうは、
小平先生もお話しになりましたように、母親の立場で、いま二十二歳になっている自閉症児を抱えたその経過の中から、自閉症児というものがどんなに大変か、また、どれだけ親が自分の人生を犠牲にしながら活躍してここまできたかということを皆さんにぜひ聞いていただきたいと思います。
いま
厚生省からもお話がありましたように、自閉症の原因というのはまだはっきりとはつかめておりませんけれ
ども、私
どもが十七年前に親の会を結成した当時は、自閉症は心因性、心の病気だということで、親の扱いが悪いとか、育て方が悪いとかいろいろな、そういうような問題で、親はその谷間に入りまして、大変世間の人から白眼視されるような目で見られながら子供を育ててまいりました。しかし、
医療の進むにつれまして、現在は
機能の
障害である、
機能の
障害であるけれ
ども、治ることはこれからの問題でございまして、自閉と精薄との違いというのは、やはり
機能が自閉の場合には眠っているのであるということで、特にリハビリ、脳のリハビリをしていけば
相当改良されるということが最近わかってまいりました。
そして、親としまして一番困る問題は、先ほ
ども異常行動があるというお話を
厚生省の方でなさいましたけれ
ども、まず一番最初に子供が自閉であるということを親が気づきますのは、非常に言葉の発達が小さいときに悪いということなのです。それと全然言葉を発しないという問題で親が初めて、この子はおかしいといって気がついて、お医者さんのところへ連れていくわけなんですけれ
ども、私
どもの息子の時代には、お医者さんでさえ自閉症という言葉を全然御存じがなくって、日夜親はあっちの病院こっちの病院へと奔走して歩いたわけです。でも、何人かの
先生はやはり自閉というものを御存じでございまして、そこへたどり着くまでに親は心と体力を使い果たして困ったわけなんです。でも、そこでもやはり治療の方法、療育の方法というものは全然わかっておりませんでした。
それで、まず困ることは、すごく激しく動き回るということ、それから
一つのことに固執しますとどうしてもそれから抜けることができませんで、それをやめさせようと親が
努力しますと、非常なパニック、異常なほどのパニックを起こしまして、どうしようもなくなってしまうということなのです。それから、恐怖感が非常に強うございまして、たとえばうちの息子などは、銀色の東横のバスを見ますと、こんな小さいような形がはるかかなたにあったとしても体を硬直させまして、一歩も道のところから動くことができなくなるほど興奮
状態になってしまうわけです。
それと、もう
一つ親として一番悲しい問題といいますのは、子供は八カ月、九カ月になって、笑ったり、それから喃語を言ったり、だあだあ言ったり、いろいろしますけれ
ども、そういうことで母親とのコミュニケーションがついて本当にかわいいと思うのですけれ
ども、自閉症の子供の場合には、対人
関係、いわゆる人と人との
関係が非常につかないわけです。大きくなってもつかないものですから、親、特に母親とのそういう愛情の交流というものが非常に抜けております、そこに母親としての悲しみ、父親としての悲しみが家庭の中に蔓延するわけでございます。
しかし、こういう子供たちも、私
どもの
努力によりまして、試行錯誤の中で二十二歳まで育ててきたわけですけれ
ども、やはりこうしたらよかった、ああしたらよかったということが、多数の年長の成人自閉症児が出てきて初めてわかってきた問題というのはたくさんございます。でも、この年長になった子供は、暗いトンネルの中をずっと歩いてきまして、もう五里霧中で歩いてきたために非常に発達のアンバランスが改善されておりませんで、大変いま年長の子供を持つ親たちは、親は年老い、体力がなくなり、子供は非常に背が高くなり、体重もふえて、母親などは突き飛ばされるとどこへ飛んでいってしまうかわからないような
状態になっているわけなんですけれ
ども、義務
教育までは一応
学校で預かってくださいますけれ
ども、義務
教育終了後に私
どもの子供たちの行き場というものは全然皆無でございます。そして、精薄
施設の中でやればいいではないかという
一般の
考え方もございますけれ
ども、やっぱりその発達の仕方というものは精薄とは全然違いまして、療育の
基本的な
考え方というものが非常に異なっているために、精薄の
施設で退行現象を起こしてだめになっていく子供たちを多数見かけます、
そういう
意味合いで、私
どもがまず
厚生省にお願いして走り回っておりますことは、成人
対策の問題でございます。でも
厚生省では、やはり子供の問題が解決しないうちはどうしても成人のことを
考えるわけにはいかないということで、私
どもは、自閉症児について、制度というものの中で、
措置費体系にでも載せていただけたらばという希望が
基本にはあるのですけれ
ども、それには実績をつくらなければどうしても
行政の方たちは私
どもに目を開いてくださいませんので、その大変な子供を小わきに抱えながら、私
どもは、自分たちのサラリーの中からお金をため込みまして、自分たちの力で何とかその実績をつくろうということで、全国におります親の会の年長を持つ親たちが、必死になっていま
施設づくりをしております。
それは自閉のための
施設づくりなんですけれ
ども、それの第一号が三重県あすなろ学園の「檜の里」という
施設となって、三重県に第一号がこの六月に開所する予定になっております。でも、これは涙ぐましい
努力でございまして、親はもうおかゆをすするような思い、また大変な
努力で資金集めにいま奔走しております。しかし、この中から成人自閉症児のための年長療育というものが培われて初めて
行政を動かすのじゃないかというふうに
考えておりますし、私のおります埼玉県の親の会でも、私を中心としまして、最近国有林貸与の決定を得まして、一生懸命
施設づくりをしておりますけれ
ども、住民運動の反対をどうするかという問題で、いま大変行き悩んでおります。
一応私
どもとしましては、成人になってからの自閉症児をできるだけ振り返って療育し直すということ。これはなぜかと言いますと、小さいときにわからなかった発達のアンバランス、ひずみというものが、大きくなりましてから非常にはっきりと浮き彫りに出されるわけです、子供の
状態像の中に。そこから初めてその子の欠陥というものをもう一度療育し直せば社会自立も可能ではないかというところまで、
医療の間では言われております。ですから、私たちは必死になってその成人
施設の中で年長成人の療育の場を
充実させまして、子供たちを社会の中に自立させていきたいと思っております。
これが親の会としての
厚生省関係の一番大事な重点要求項目なんですけれ
ども、実は私は十七年前から
教育行政に対しての運動をずっとやってきておりまして、実は、自閉症の
教育というものは、普通児との交流が効果的であるという、そういうことを踏まえまして、私
どもは
教育行政に運動してきました。そして、坂田
文部大臣のときに、情緒
障害児学級を通級制、普通学級との通級制という形で発足させております。しかし、その通級制も、現在は子学級を超えるほどになっておりますけれ
ども、地方自治体におきましては千差万別の通級制のやり方をしておりまして、特に担任の不足から、
先生は毎日子供の後ろを追いかけ回すだけで、
教育などというような、そんななまやさしいことをしているような
先生というものはなかなかおりません。担任が何人かあってこそ子供の
教育ができるのであって、ぜひこの情緒
障害児学級の担任の増を私はお願いしたいと思います。
養護学校全入で重度の子供たちも現在救われてきつつありますけれ
ども、
教育行政の中で、
養護学校に
一般の親たちが入れようとしないものですから、軽度の自閉症児まで、手がかかる大変な子供だということで
養護学校に、
一般学級との交流の中で十分にできそうな子供でも
養護学校へ
養護学校へと追いやられているような
現状がございますので、ぜひ
教育行政の中でもこういうことのないように、私はお願いしたいと思います。
私は、統合
教育をなぜ主張しますかといいますと、私の息子がその統合
教育の中で
人間らしく生き生きと育ったからなのです。たとえば、ある
先生はこういうことをお話しになっていらっしゃいます。
障害者だとて特別扱いしてはいけません、かわいがられ、命令ばかり受ける
障害者ではなく、自分の力で生一き抜く自立する
障害者でなければならないと、これは
国際障害者年の「
完全参加と平等」につながる問題だと私は
考えております。
実は、私の息子は最初
養護学校に入りました。それはなぜかといいますと、普通
学校ではとても受けてもらえなかったからなんです。しかし、三年の後期におきまして普通学級への転校を許されました。そして、中学一年まで普通学級で行きまして、最後中二、中三は特殊学級で勉強した子供なんですけれ
ども、その普通学級での
人間回復というものは、いま現在、彼が私の片腕となって家庭の中でお
仕事を手伝ってくれる子供に育った一番のキーポイントだったと私は
考えております。
それと同時に、その一緒に育った普通児、健常児がすばらしいのですね。いつも私はこういう機会をいただきましてお話ししているのですけれ
ども、たとえば小さいとき運動会のときに組み立て体操をいたしました。そのときにお互いにがんばり合うのですけれ
ども、私の息子は一番最下段で右から二番目のところでもって一生懸命崩れないようにがんばっているのですが、
一般の子供たち、同級生が
須田君がんばれ、
須田君がんばれと言って手を支えて一生懸命してくださることに、彼は耐えて耐えて耐え抜いてその組み立て体操を完成させたことがございます。その仲間が
大学に入ってからも、うちの息子と町で会いますと、肩をたたいて
須田君いま何している、ぼくたちは
大学へ行っているけれ
ども、おまえいま何しているんだと言って声をかけてくれます。その姿は息子にとっても非常にうれしくて、対人
関係のない自閉と言われながらも、非常ににこにこした顔をして喜んで肩を組み合っております。この
一般の健常の子供たちがこういう気持ちを持ってこそ、社会に出たときに、この
障害児を
一般職場の中で受けとめてくれるときに一番大事な心なのではないかと、私はつくづくと
感じております。
ですから、この
国際障害者年はさることながら、やっぱりじみちなそういう下積みの
教育の中でこういう子供たちの
教育をしていただいたらば、改めて
国際障害者年などとうたわずにいても、
人間の心の中に
人間らしいそういう愛情がはぐくまれるのではないかと
考えております、
以上です。(拍手)