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喜屋武眞榮君 見解の相違がありますが、ずばり申し上げますならば、憲法と教育基本法の精神からするならば任命制よりは公選制、その公選も準公選、直接公選もあるわけですが、教育の理想からしますと直接公選が適切であると、私はかように思うわけであります。
そこで、沖縄が復帰して一番問題にされたのは、私
たちは戦後二十七年アメリカの支配下において真の平和教育、民主教育を生み出して育ててきた誇りを持っておりますので、その中から生まれた教育の公選制、それが復帰とともに任命制に切りかえられたことを非常に残念に思っております。これは教育の後退だと、いまでもそう思って、そうして公選への奪還運動を語り合っておるわけでありますが、そのことも申し上げて、関連しまして、実はきょうこの席上に、最近行われました中野区の教育
委員の選挙につきまして俵萌子さんを
参考人としてお呼びする
計画をいたしておったのでありますが、たまたま俵萌子さんは東北地方に講演行脚中でありまして、そこでこの実現ができなかったことを私は大変残念に思っておるわけでありますが、それでゆうべ私は俵さんが宿をとっておられる山形県の湯野浜ホテルに電話を入れまして、こういういきさつを話しまして、そうして
参考人として来ていただきたかったがこれは物理的にも不可能である、こういうことを残念に思いながら話し合ったのでありますが、そこで、その対話の中からこういうことを私、俵萌子さんに申し上げました。
任命時代と公選になってからどのように変わってきたか、これはまだ日が浅いですから、変わりつつあるかと、こういうことで問いを投げました。そうしてあなたの抱負はと、こういった呼びかけで、はね返ってきたお答えは、一、二十五
年間の任命制度時代の無関心、形骸化から中野区の教育界が生き生きと活性化してきた。二、区民が
教育委員会に関心を持ち傍聴に詰めかけるようになった。これは十三日の初会合の
状況であるようです。いままでは傍聴もなかった。三、区民の教育への関心が高まり連帯感が深くなってきた。四、区民への公約を果たさねばならないとの意欲と責任感がわき、やりがいをひしひしと感じておる。五、小さな例ですが、従来の卒業式には区長の作成した作文を代読してきたのであるが、生の言葉、心の通う祝辞を述べることができ大変喜ばれた。六、
学校、社会、家庭が一体となって
子供を守り、教育を発展させようという空気が非常に明るく盛り上がってきておる。こういう感想。
そして二番目に——
大臣、お聞きくださいよ。実はこの前の御回答の中で、非常に画期的である、好評であるということに対して
大臣は遺憾であったと、こういうお言葉があったわけでありますが、それに対する
文部大臣へと、こう俵さんは述べておられるのです。四三%の投票率、中野区民のあれほどの教育的熱意に対して公選制を喜んでもらえないのはまことに残念と思う。そうして抱負として、日本じゅうを駆け回って訴え続けていきたい。喜屋武さん、私のコメントをそのまま伝えてほしい。こういうことをゆうべの対話で述べられた。これは俵さんの率直なコメントなんです。
そこで、時間が参りましたので閉じたいと思うのでありますが、せめて、残念であったというあのお言葉は、私からするとまことに残念であると思いますよ、
大臣。そこで、こうおっしゃっていただきたかったのです。
一つのケースとして今後を見守っていきたいと、こういう温かい愛情があってしかるべきじゃないか。それを紋切り型で遺憾であった、残念であるということは、これはどうしても私は納得がいきません。
以上申し上げまして、
大臣のお言葉がいただけるならいただき、御無理でしたら、これで終わります。