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参考人(永畑
道子君) 仕事でございますけれども、一人の母親として、フリーの取材者として、子供たち、それから親たちの生きている現場を歩いております。教育相談というおこがましいものではないんですが、親と子の教育相談あたりにもかかわっております。
実態をそれではお話しいたしましょうか。もちろん、皆さん新聞などでもう特に御存じと思いますけれども、私なりにつかんでおりますことを申し上げますが、最初にお断りしておきたいことは、非行の子供たちだけが問題なのではなくて、その非行の子を取り巻いている何にも起こしていない子供たちの心の荒廃ということを非常に私は恐れております。それは、たとえば成績のいい子が隣の子の幸せが願えない、それから、自分のライバルが学校を休んだら自分たちの偏差値が上がる、それから塾でもそうですけれども、そういうような子供たちは親にとっても教師にとっても大変いい子と言われている、そのあたりの矛盾を私は感じております。それから、悪いことをした子をリンチにかけるわけですね。そのリンチにかける側の方は何も問題を起こしていない子供たちなんですけれども、そのリンチの残酷さあたりも、これはごく平常の感覚の中でとても荒れている、そういう様相に気づいております。
そこで非行の問題ですが、まず幾つか私の感じている
実態を申し上げます。校内暴力はたとえばデータで出てまいりますけれども、恐らくこれは取材で回っております実感ではこのデータの恐らく十倍か、あるいはもっとそれ以上の数、ほとんどの中学が抱えている問題ではないだろうか、そのように
考えます。ごく一部の中学はそれを克服していっているわけですが、それはもう本当に少数だ。それから管理が厳しい学校ほど校内暴力は起こるということを感じております。いま力でもって制するということがよく言われておりますけれども、これは私は大変見当違いではないか、そのように
考えております。
それからこの校内暴力に並行して学校へどうしても行きたくない子供たちがふえております。これはいわゆる登校拒否という形で出てまいります。校内暴力が力による抵抗であるわけですが、登校拒否というのは自分の中にそれを責めていくわけです。自分をいじめる形で登校拒否という形を起こします。その登校拒否の子を何とか学校へやりたいと親たちは焦るわけです。これは昔から学校というのは行かなきゃいけない、非常にそういう固定観念がございます。そのためにやるわけですけれども、そこで家庭内暴力というものが起こってまいります。そういうように、これは家庭内暴力も恐らくこの学校問題に根がある、そのように私は
考えております。
それから二番目に挙げたいことは、子供たちの心の荒れといいますか、乾きといいますか、これがもう本当に見る見るこの一年数カ月のうちにどんどんどんどん進行しているような気がしております。ちょうど一年前に私はラジオカセット事件で有名なあの事件のすぐそばで暴走族を取材いたしましたときには、金八先生が自分たちの学校にいたら自分たちは立ち直るということを申しました。ところが、ごく最近、三月の上旬にこれは江東区の方の暴走族を取材いたしましたときは、もう金八先生なんかは自分たちの学校にいても殴ってしまう、あんなに家まで出かけてくるような先生は気持ち悪いというようなことを申します。それほどもう何の救いもないような乾いた子供たちになってきたということですね。それから女子中学生たちがそこにいたわけですが、リンチは快感である、生きがいである、そのように申します。私は子供を産み出す女はこれはもう最後のやさしさの歯どめだと
考えております。その女たちがそのリンチを快感だと感ずる、暴力を生きがいだと感ずる、そこまで世の中が荒れてきているということにぜひ気づいていただきたい、そのように思うんです。
それからいつこのような非行を自分たちが始めるようになったのか、そういう質問をいたしますと、やはり中学の一、二年、勉強についていけなくなったころから、やはりそういう非常に本音のところでそういうことを申します。やっぱり学校の勉強についていけないという苦しさ、四十分か四十五分の間何もわからないで教室に座っている苦しさというものを訴えます。これはもう現場の学校の先生たち、本当に真剣に
考えていただきたいところです。それからさびしさということを訴えます。このさびしさというのは学校からも親からも見離されたさびしさです。家出の少女たちにインタビューをいたしますと、この家出した子供たちが家出の支度をしている、それを親がとめない、何にもとめないそうですね。それほど親と子の間にも断絶状態はあるし、それから先生も学校には来るなと言うそうです。おまえたちが来るとほかの子がだめになるからもう来ないでくれ、義務教育は自然に卒業できるのだから、どうか来ないでくれと、そういう言葉が吐かれる。私は本当に非行の子供たちの本音だろうと思いますが、さびしい。ただ、その中でお父さんが自分をしかってくれて本当にうれしいということを言った子がおりました。そのしかられるうれしさということですね。それをいまの子供たちが享受してない、そういう底辺のところに落ち込んでいる子供たちであるということを感じます。
そこで、学校の成績で目立つことができない子供たちは、服装であるとかあるいは女の子であれば化粧であるとか、そういうところで目立つために物を欲しがる、お金を欲しがる。そこである組織なんかに属しまして、これははっきりと暴力団あたりにもつながるわけです。それから、女の子はグループをつくりまして、そして集団で、たとえばカツアゲですか、脅迫をしてお金をとるとか、そういうようなところに走っていくわけです。
最後に、この
実態のところでひとつ申し上げておきたいことは、大人の世界にも暴力があるではないか。つまり大人たちが自分たちに示し続けている暴力がある。それから不正がある。これは特に政治の場所で私は申し上げたいのですが、その不正が許されたままで温存されている、そういう大人の世界を見ていると、自分たちだけどうして責められるのだと、そういうことを申します。
それからこれは中学生たち、女の子供たちですが、新宿の街角に立って売春をするそうです。三十代、四十代の男の人たち、サラリーマン風のお金を持っているそういう人に声をかけるとほとんどと言っていいほど交渉は成り立つと。こういうふうにつまり先ほど総務
長官申されましたが、まさに非行は大人側の問題である、子供を責めるのではなくて、親が変わり、親の子育てが変わり、大人社会が変わってきたのだということを私は特に申し上げたいと思います。
実態としては以上です。