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勝又武一君 私は、日本社会党を代表し、内閣提出の
放送大学学園法案、自由民主党・自由
国民会議提出の修正案及び日本共産党提出の修正案に反対し、すでに提案され
審議を行われております日本社会党の
放送大学を設置するための
国立学校設置法等改正案の発議者である立場に立ちまして、討論を行うものであります。
放送大学の構想につきましては、
国民の
高等教育の機会を拡大するとともに、
高等教育機関相互の連携協力を促進するなど
大学の閉鎖性の打破にもつながること、さらには放送の効果的な活用や印刷教材の発達が
教育方法の革新を導く点などメリットも多く、
基本的にはその実現を期待するものであります。
しかしながら、
放送大学は、
教育媒体として放送を利用することや、通学の課程を持たない通信だけの
大学であること、本部と各地に
学習センターを有し、通常の
大学のようなキャンパスを持たないこと、また
既存の
国公私立大学の協力が不可欠であることなど、従来の
大学とは異なる特色を有しております。したがって、その実現には、法律上あるいは実際上、解決されなければならない重要な課題が山積しているのであります。
すなわちその第一は、学問の自由、
大学の自治を保障し、国からの独立を確保することであります。第二に、放送については、その本質と公共性にかんがみ、国のコントロールを排除することであります。第三は、放送による講義に関して、
大学における講義の自由と、放送の持つ特殊性からくる
放送法上の制約とを適切に調整することであります。第四は、全国的に
教育の機会を保障するとともに、学問や文化の多様性及び地域性を確保することであります。第五は、
既存の
国公私立大学及び放送事業者との連携協力体制を確立することであります。第六は、教員の研究
条件を整備することであります。そして第七は、財政的な裏づけの保障と
学園内部における民主的かつ
教育、研究重視の
予算の確立などであります。
まず、政府から提案されている
放送大学学園法案についてでありますが、これまでの
審議の中で明らかなように、これらの諸点に対する配慮が以下述べるように全く不十分であり、とうてい
国民の期待にこたえる
大学になるとは思えないのであります。
まず、第一点ですが、言うまでもなく、
大学が
教育、研究面で活力を持ち、教員や
学生を引きつける原動力は、学問の自由、
大学の自治が保障され、真理を求める
姿勢が最大限に尊重されることにあります。ところで、
放送大学は開かれた
大学であるだけに、社会的な批判を受けやすく、設置者たる法人が
大学の自治への強い意識を欠いたり、
大学自体の管理運営機構が万全なものでない場合には、
放送大学の自治は歴史的な伝統を欠くこともあって、たやすく崩壊することが懸念されるのであります。
そこでまず問題なのは、
放送大学の設置主体である
特殊法人放送大学学園についてであります。
学園の役員としては理事長、理事及び監事が置かれることになっております。そのうち理事長及び監事は
文部大臣が無
条件で任命できることとしております。また、理事については、
文部大臣が任命した理事長によって任命され、さらに
文部大臣の認可が必要とされており、その職務も、単に理事長を補佐するだけに限定されており、理事会方式がとられていないのであります。その上、
学園の重要事項を
審議すち運営
審議会の
委員まで
文部大臣が任命することとしております。このように
放送大学学園は、
文部大臣の意を受けた理事長を頂点とするピラミッド組織となっており、これでは、
文部大臣の支配管理も可能となり、国からの独立は保障されないのであります。したがって、
放送大学学園は、学問の自由、
大学の自治を生命とする
大学を設置する組織たり得ないばかりか、さらには、後で触れますように、表現の自由を基調とする放送業務も行うにふさわしくない法人組織と断言せざるを得ないのであります。
次に、
放送大学の組織についてであります。今日まで、学問の自由を守り、
大学における自治、管理運営について、その任に当たってきたのは教授会であります。それは、教授会が教員全員で構成されるため、最も民主的かつ
基本的、中心的機関として位置づけられてきたためであります。しかるに、
放送大学においては、教員が各地の
学習センター等に点在するという特殊形態を理由に、学長、副学長及び若干の教授で構成される評議会を設け、これら少数の者に
大学の自治の根幹であるところの人事権を付与するなど、少数の評議員中心の
大学運営を予定しております。また、具体的な事柄については、特定の教員の集まりである教員会議で決定されることな
ども審議の中で明らかにされておりますので、
放送大学の教授会は実質のない形骸化された機関とならざるを得ないのであります。
大学の長い歴史の中で培われ、また憲法、
教育基本法、学校
教育法の精神でもある学問の自由、
大学の自治なかんずく教授会の自治が、こうしていとも簡単に葬り去られようとしていることは断じて容認できないところであります。
以上のように、
学園及び
大学いずれも、学問の自由、
大学の自治を保障する組織、機構ではないのであります。
第二点は、放送の自由についてであります。放送業務は表現の自由を根本精神としているため、国からのコントロールを受けることなく、放送の自由が保障されることが特に肝要であります。そのため、NHKの場合は、国費に依存せずに、受信料収入を財源としたり、経営
委員の選任に当たって、
国会の承認を義務づけるなど種々配慮を行っているのであります。ところで、
放送大学学園の場合は、表現の自由の問題はもとより、さらに、
大学教育に放送を活用する権利をほぼ独占的に有することや、
教育の機会均等の立場から、政府が全額出資し、その運営費もほとんど国が補助せざるを得ないことなどからして、国からの独立性を保つことについては一層の配慮が必要であります。しかしながら、
放送大学学園は、さきに述べましたように、国からの独立性がきわめて弱く、また、
大学に学問の自由、
大学の自治が十分保障されていないことからして、事実上の国営放送になりかねないのであります。これでは、
国民の世論操作や思想統制の手段に
放送大学が利用される危険性があると言わざるを得ないのであります。
第三点は、
大学のカリキュラム編成権と
学園の持つ番組編集権との調整の問題であります。
放送法四十四条三項では、放送事業者に対して、政治的公平や論点の多角的な取り上げなどを、番組
内容への制約事項として規定しております。これと
大学における講義の自由とをどのように両立させるかは、きわめて重要かつ困難な課題であります。イギリスの
オープンユニバーシティーで軍縮問題の放映に関して、BBCとトラブルが生じたのもその困難さを物語っております。政府は、放送事業者と
大学設置者とを同一法人とすれば番組編集権と
大学の教学権との調整が可能であるとして、
特殊法人方式を採用しております。しかし、それが可能であるためには、
大学に学問の自由、
大学の自治が保障され、
学園に国からの独立が担保されることによって、両者が不当な批判や圧力に対して、毅然とした態度をとり得るという
前提が必要であります。すでに述べましたように、それらが保障されていない
政府案では、両者の調整が
国民の目に触れないところで、しかも理事長の強い権限を背景に、番組編集権優位のもとに、安易にそれも萎縮した形で解決されるおそれが強いのであります。したがって、放送番組は無味乾燥で、
水準の低い魅力の乏しいものにならざるを得ないのであります。
第四点は、
国民の全国的な
教育機会をどう保障するかについてであります。
放送大学の最大のメリットは、
大学が近くにない人などに
高等教育の機会を与えることができる点にあります。その
意味では、
高等教育機関の少ない地域から
発足するのが当然であります。しかしながら、
政府案の場合、
放送大学が強く望まれる地域を後回しにし、とりあえず東京周辺地区からスタートしようとしているばかりでなく、その将来
計画もあいまいであり、全国的に完成する目途も明らかにされておらず、まさに本末転倒とのそしりを免れないのであります。
また、
大学にとって重要なことは、その学問成果を地域に還元するとともに、地域からも学ぶという
姿勢であります。こうしてはぐくまれる地域に密着した学問、多様な文化がそれぞれ刺激しあったり、統合する中で、学問の進歩、文化の発展が可能なのであります。しかしながら、
政府案の場合は、将来も画一的な放送番組を全国一律に放送することを予定しております。これでは、地域に根差した活力のある
教育、研究は相望むべくもないのであります。
第五点は、
既存の
国公私立大学及び放送事業者との連携協力体制の確立についてであります。
放送大学の
教育を質の高い充実したものとするためには、研究心が旺盛で優秀な教員の確保が不可欠であります。それには、
既存の
国公私立大学の協力が必要でありますが、それは至難のわざと言わなければならないのであります。すなわち、
放送大学における
教育、研究の自由、
大学の自治の保障と放送の自由の確保が十全でない上、さらに
放送大学の
教育、研究
条件が劣悪であるため、研究者にとって魅力の乏しい
大学であるからであります。また、
既存の
大学においても、教員の不足、研究時間の減少等
教育、研究
条件に余裕がある
状況ではなく、
放送大学の非常勤講師の確保すら困難と言わざるを得ないのであります。ところで
政府案では、教員の人事交流を活発にし、教員の確保を円滑にするため任期制を採用しております。しかしながら、他の
教育、研究機関のみならず、わが国の社会全体が終身雇用制の中で、
放送大学だけが任期制をとった場合、教員の身分が不安定化したり、人事管理の手段と化することが
考えられ、
教育、研究の自由な活動に支障を来すことが危惧されるのであります。したがって、任期制は、
既存の
大学の教員に
一定の期間、義務的、強制的な協力を求めることはできても、優秀な教員に熱意を持った
教育、研究を求めることはできないと言わざるを得ないのであります。
次に、
放送大学学園は、全く新たに放送業務を行うことになるため、
スタッフ、技術等いずれも
既存の放送事業者の協力が不可欠であります。
教育放送の分野では、特にNHKが
大学講座等の実績、経験も豊富であるため、NHKから人的、物的両面にわたっていかに援助、協力を得るかが重要な課題でありますが、そのあり方や、放送番組の制作に当たっての業務委託の方針等についても、具体策が明示されておらないのであります。また、NHKも、今後第三チャンネルを中心に
教育番組を一層充実する方針であり、一面では
放送大学と競争
関係になることもあり得るため、その協力
関係の確立には万全を期す必要があります。それにもかかわらず、こうした認識を欠く
放送大学の構想が成功するかどうか危惧せざるを得ないのであります。
第六点は、教員の研究
条件の整備についてであります。
放送大学の
教育が
水準の高いものとなるためには、教員の研究
条件が保障されねばならないことは申すまでもありません。しかしながら、
放送大学は研究より
教育中心にならざるを得ない性格を持っているのであります。すなわち、第一に、教員構成が、専任のほか多くの客員教授や非常勤講師に依存するため、学問的にまとまった教員集団でなく、教員の共同研究や教員相互の指導
関係が確立しにくいこと。第二に、
放送大学の対象分野からして、教員の専門が広範にわたるところから、それらの広い分野にわたって、研究施設設備を完備することが困難であること。第三に、
放送大学の教員は、放送教材の製作の中心となるという重要な職務のほか、出題通信指導、スクーリングなど
一般の
大学の教員に比して、
教育面に向けられねばならない時間と労力が多いことなどであります。したがって、十分な研究費の確保や、他
大学との研究上の協力
関係の確立のほか、ある期間を研究に専念できるようアメリカの
大学教授に保証されているサバティカルを公認するなど、抜本的な研究推進施策が必要であります。しかし
政府案では、それらについて具体的な施策を明らかにしていないばかりか、任期制を採用して長期的な研究を行いにくくしたり、従来の
設置形態と全く異なる
特殊法人立としたため、
既存の
国公私立大学との連携を行いにくくするなど、研究上むしろデメリットとなる制度がとられているのであります。
最後に、財政面の問題についてであります。
放送大学は巨額な経費を必要としており、政府は財政
状況のいかんにかかわらず、それに十分な財政措置を講じなければ
放送大学の成功はおぼつかないのであります。しかしながら、
放送大学は
特殊法人立であるため、
予算の獲得に他
大学と足並みをそろえることもしにくくなりますし、また任期制のもとでの教員では、本腰で
大学拡充のために
努力する
姿勢も欠如するため、
大学側の要請に応じた十分な財源措置は期待できず、政府主導の
予算とならざるを得ないのであります。しかも、
学園の事業
計画、
予算、決算等については、年度ごとに
文部大臣及び郵政
大臣の認可または承認を受けることが義務づけられるなど、
予算、財務
関係については政府の意向にがんじがらめにされておるのであります。
また、
学園内部における
予算の配分につきましては、すでに述べましたように、理事長への権限集中、
大学に対する
学園の優位、教授会の形骸化等の
状況からして、民主的かつ
教育、研究重視の
予算を望むことは不可能と言わざるを得ないのであります。
以上、るる申し述べましたように、政府提案の
放送大学学園法案には多くの問題点があるため、強く反対せざるを得ないのであります。
このような
政府案に対しましては、一部修正ではきわめて不十分でありますので、日本社会党は抜本的な対案を提出した次第です。
社会党案の柱は、第一に、
放送大学を国立の
大学として設置すること。第二に、その
教育に必要な放送はNHKが行うこと。第三に、放送番組は
放送大学のカリキュラムに準拠しなければならないことなどであります。
社会党案のメリットにつきましては、すでに提案理由の中で詳しく述べておりますので、ここでは主要な点を簡単に述べさせていただきます。
第一に、国立
大学として設置する点についてでありますが、それによって、既設の国立
大学と同様に、人事権を初めとする重要な権限は教授会に属することとなり、
大学運営に教員全体の意見が反映され、学問の自由、
大学の自治が保障されることになります。また、
放送大学に不可欠な既設の国立
大学等の教員の協力を得る上でも、
特殊法人方式に比べ有利であるほか、教員には
教育公務員特例法上の身分保障もされ、
教育、研究の自由が確保されるのであります。
第二に、NHKが放送を行う点でありますが、NHKはさきにも述べましたように、国からの独立について種々配慮されており、放送の自由が確保されているのであります。また、多年にわたる
教育、教養放送の経験、放送技術の蓄積、施設設備、
スタッフ等も活用できるとともに、速やかな全国放送の実現やローカル放送の活用のほか経費等の面でも利点が多いのであります。
第三に、
放送大学のカリキュラム編成権とNHKの番組編集権との調整は、イギリスにおけるオープンユニバーシティとBBCとの
関係のように、
教育界における提携者の
関係に立って、両者の調整が
国民に開かれた形で行われることが予定されております。さらに、放送番組が
放送大学のカリキュラムに準拠しなければならないことを法文化するなど、その万全を期しているのであります。
このように、
放送大学の生命である学問の自由、
大学の自治を保障し、放送の自由を確保することができる日本社会党案こそ、
国民の期待に真にこたえるものと確信いたしております。
最後に、日本共産党提出の修正案についてであります。
放送大学学園の役員の任命は、日本学術会議等の推薦した者のうちから行うこととするなど種々工夫は見られるものの、あくまで
特殊法人方式を
前提としている以上、学問の自由、
大学の自治、放送の自由の保障の面での危惧を払拭しきれないため、きわめて遺憾ながら反対せざるを得ないのであります。
以上をもちまして、内閣提出の
放送大学学園法案、自由民主党・自由
国民会議提出の修正案及び日本共産党提出の修正案に反対し、日本社会党案の発議者としての立場を鮮明にいたしまして討論を終わるものであります。