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参考人(室俊司君) 立教
大学の室でございます。
社会
教育、成人
教育を研究してまして、その面から、現在参議院で慎重
審議されています
放送大学法案につきまして、非常に関心を持っております。その点から、いま申しました社会
教育、成人
教育を研究してきている者の立場からこの
放送大学の可能性を
考えますと、生涯
教育の時代ということをまずどのように
考えるかということが一点でございます。それから第二点は、生涯
教育の時代を支えていく有力な
教育機関としてどのようなものが必要かということでございます。それから第三点は、生涯
教育の時代における
大学教育というものの質をどのようにとらえるかということです。
そのようなことで注目してみますと、まず生涯
教育の時代ということは、よく最近人口に膾炙される合い
言葉になっておりますけれ
ども、いつでも、どこでも、だれでも学ぶことができるし、学ぶことに大いに価値があるという、そういう常識が進んできたということだろうと思います。その点から言いますと、この
放送大学は、入学試験がないということは非常に画期的なことでございます。既存の
大学が入学試験問題で大分悩んでおりますけれ
ども、それに対して、一挙に入学試験のない
大学ができるということは、これは大変なことでございます。しかし、これがその後四年間ないし六年間ぐらいかかって所定の単位を取る方もおると思いますけれ
ども、その中身が、何だ大したことないということになってしまっては、せっかくのこの画期的な
教育機関が意味を持たなくなると思います。そういう点で、社会
教育、成人
教育の方から、この
放送大学の
教育の質がどのように確保され、さらに豊かにしっかりしたものになっていくかということを非常に
考えているわけでございます。
現在、よく
教育研究所とか、
総理府もやっておりますけれ
ども、生涯
教育に関するいろんな社会調査でございますが、大体多くの方は、生涯
教育大いに受けたい、あるいはもっと積極的には、生涯
学習大いにやっていきたいという回答を出す人が非常に多くなっておりますけれ
ども、もう少し突っ込んでみますと、すでに積極的にそういうことに何らかのことで取り組んでいるという人が大体三割以上です。それから、これからそういうことに積極的に取り組みたいと願っている、期待しているという人が三割以上。合計しますと七割以上ですから、潜在成人
教育人口としては大変な数でございます。しかし、もう一歩踏み込んで
考えますと、大体成人
教育の場合は、ほっておいても勉強する人がもう一度よく勉強してるっていう実情もかなりございます。で、このあたりのギャップをどう
放送大学が埋めていけるかということも非常に大事な
課題かと思います。
そういう点で、少し理念的になりますけれ
ども、そういうギャップを埋める中でどういうことを実現するかということでございますが、まず十八歳から二十二歳ですでに勤労の場にいる青年、こういう青年たちがもっと
大学レベルの勉強をしたいという、そういうときにそういう
教育の機会をどう保障するかという問題が
一つあります。これは長年宿題になってる大事な問題だと思います。
それからもう
一つは、三十歳以降の成人がむしろ
学習する適性が出てくるという、まあ成人
教育の歴史の古いイギリスなんかではよく言われてることですが、政治とか倫理とか、文学とか歴史とか、そういう文化価値に関するものの
学習は三十歳以後が非常に適性が出てくるという、こういう成人
教育の経験法則がございますけれ
ども、こういう点から
考えますと、多くの生活の場、職業の場でいろいろ生活し、仕事をしている大人たちが、自分の人生を
考えたり、それから自分の持ってるものを社会参加によってさらに生かしていく、それから従来のキャリアを再
教育、再訓練によってさらに鍛えていくという、いわゆる自己啓発の問題とこの
学習適性が出てくるという問題は非常に大事な問題です。これにこたえる面も
放送大学は大いに持っている、そのように
考えられるんではないかと思います。生涯
教育の時代をそのようにまず私は
考えてきております。
そういうことにたえ得る、生涯
教育を支える有力な
教育の組織っていうものが現在どのように
考えられるかということですが、
一つは市町村の社会
教育でございます。これは
教育委員会が中心になりますが、公民館等もございます。市町村の社会
教育がこれからの生涯
教育の時代の担い手として
考えられます。で、これの存在のメリットは、住民参加でそういう生涯
教育のプログラムを大いにつくっていく可能性が大きいです。
それから二つ目には
大学の成人
教育です。これまで日本の
大学は、先ほど河合
先生もおっしゃっておりましたけれ
ども、非常に閉鎖的であったという反省もあるんですが、まだまだその点、
大学の成人
教育は日本では非常に発達が遅いのでございますけれ
ども、まあ私の勤務してます立教
大学では、かなりこのあたり最近、かわいらしい形ですが、熱心に取り組んでおります。で、この第二の柱の
大学の成人
教育は、学問の自由、まあこれは古典的なアカデミックフリーダムの問題が現代の中でどうさらに生きるかという大事な問題も含みますけれ
ども、
大学の成人
教育は学問の自由という問題でかなりいろんな可能性が新しく
考えられるかと思います。
それから三つ目は、例のカルチュア
センター等々に代表されます、それからYMCAみたいな民間
教育団体もございますが、そういうものに代表される民間
教育事業でございます。これは、いろいろな
学習関心が、いまは非常にスピードが速い時代ですけれ
ども、それに合わせてどんどん出てきますけれ
ども、それに即時的に即応していく、そういう柔軟な構造を持っている
教育機関と
考えることができます。いい意味の企業性がそういうところに生きるかと思います。
それから、四つ目としていま私たちが非常に注目しています
放送大学ということがあるんではないかと思います。この
放送大学は、可能性として私、見ますと、
教育の機会均等ということにおいては一〇〇%の可能性を持っている。ただし、それはハードウエアの点で、まず
電波を中心としますから、どんな山間僻地、離島においても高等
教育レベルの
教育の機会に接せられることができるという、こういう点では大変な可能性を持っているわけです。しかし、もう
一つの問題としましては、ソフトウエアの問題がどう今後充実し、しっかりしたものとしてつくられていくか、ここが分かれ目になるかと思います。そういう点では、河合
先生、坂元
先生の先ほどからの御発言大いに今後実際に生かしていかなくてはならないんじゃないかと思います。
以上四つ、市町村の社会
教育、
大学の成人
教育、民間
教育事業、
放送大学、この四つをまず生涯
教育の時代を支えていく有力な
教育機関と
考えたいと思います。それからさらに、もっと大きな、
教育は一国の文化に根差すということで
考えればさらにいろいろな有力な文化機関が出てきます。NHKの市民
大学講座等の努力は、文化とかジャーナリズムの独立の精神等々の中でなされている貴重な努力だろうと思いますけれ
ども、こういう点も大いに
考えられますし、それから博物館関係の努力も大いにこれからは期待されなくてはならない。同じく図書館関係でございます。そのようなことも配慮しなくてはなりませんけれ
ども、いま勉強したい人、あなたに
教育の機会を、というふうに
考えた場合、注目できるのは以上申しました四つでございます。そういうことで、では
放送大学が生涯
教育の時代における
大学教育としてどのように中身が豊かに、しっかりしたものとして期待されるかということでございますけれ
ども、どうもこういう
放送大学の問題を論じているときに、
大学教育と高等
教育という
言葉がときどき混合して使われます。このあたりはもう区別しないでいいんではないかという
考え方もございますけれ
ども、
教育内容、
教育方法のレベルに入ってきますと若干区別した方がいい場合もございます。確かに
放送大学が高等
教育レベルの
教育の機会均等の可能性を大きく持っていますけれ
ども、高等
教育レベルと申しますと、いろんな各一般
行政がやっております
教育事業——大学校もそうですし、それから専門学校系も入ってきます。しかし、それに対して
大学教育ということで
考えていった場合、どういう独自的な
教育内容、
教育方法の価値があるかということをここでとらえますと、ちょっと古い言い方になりますが、私の持論としましては、
大学の学生が勉強する日常的な基本は、読書し、討論し、論文を書くという
——それだけの
大学生がどれだけいるかということはございますが、このあたりが大事な問題です。仮に
放送大学の学生がこういう日常的な努力をするところへ、放送とスクーリングでそれをどうバックアップするかという、こういう基本構図ではないかと思います。そうしますと、やはり
放送大学関係の問題の中でカリキュラム編成と授業展開と評価ということが非常に大事な問題となるのではないかと思います。カリキュラムをどうつくるか、実際の授業をどう展開するか、それからその成果をどう評価するか、ここが非常に中身として核心になるのではないか。これを支える組織、ハードウエアの問題が法律レベルでは重要な骨格になってくるのではないかと思います。その場合、
一つは放送として編成していかなくちゃならないという絶対必要条件がございます。で、これはよく放送法第四十四条第三項の自主規制の問題が論じられていますが、それ以上に、坂元
先生が先ほどおっしゃいましたように
教育的表現ですね、
テレビを使った場合これだけのメリットがあるというあたりを放送編成権の問題として
教育方法にどう生かしていくかという、このあたりで大事な問題が出てきます。この担い手はディレクターであり、その責任の中心はチーフディレクターの方になるかと思います。
それからもう
一つの大事な問題は、
大学で言います演習、実習、実験でございます。
放送大学は主として人文社会の方の教養的な方を担当するようでございますので実験の方はちょっと外しまして、しかし基本的には演習、実習という問題、これを
放送大学の学生の一番身近なところで、どうスクーリングの中できちっと支えられるかということです。これには担い手としまして周辺の
国立大学の協力ということは実際問題としてかなり重要な問題になってくるんではなかろうかと予測しておりますけれ
ども、このあたりをきちっとやりませんと、従来の通信制
大学——私、慶応
大学を非常に尊敬しているんですけれ
ども、慶応
大学を通信
教育で卒業した人は昼間の
大学を卒業した人よりも高く評価されるということがあるわけです。入学者の一割が卒業にまでやっと達するというくらいの努力を通信
教育を受講している学生はやっております。私の知っている、もう年配の女性の方ですけれ
ども、自営業の方でございましたけれ
ども、四十過ぎてから、自営業をやる傍ら、慶応
大学の通信
教育生で、これは国文科だったと思いますが、勉強しまして、六年ぐらいかかりましたけれ
ども、卒業論文も書きました。漱石に関する論文だったと思いますけれ
ども、それを審査した
教授が激賞しまして、もう一回どこかへ学士入学しないかというふうにお誘いをかけたというくらいのエピソードも身近に知っておりますけれ
ども、とにかく既存の通信制
大学がそれだけのメリットを大いにじみちに発揮している場合もございます。それとやはり拮抗し、それから場合によってはそれよりもさらにユニークな新しい成果が出せるくらいの
放送大学をぜひ期待したいと思うわけです。そういうことで、主として社会
教育、成人
教育の方から、今日
先生方が
審議されています問題を概略見さしていただきましたわけでございます。
そういう点で、最後にお願いしたいこととしましては、やはり国民の生涯
学習を奨励し、支える組織として育つような法制度をぜひ準備していただけたらと思います。そういう点では、理事の条項、それから運営
審議会の条項、それから評議会の条項で、そのメンバーシップの中に他
大学の協力をどう期待するか。これは
国立大学協会なんかの問題とも
関連するかと思います。それから運営
審議会、評議会レベルで、先ほど河合
先生もおっしゃいましたけれ
ども、チーフディレクターあたりのメンバーシップをどう期待するか、それから実際の学生の
学習指導を担当します、それの最終責任者であるかもしれませんが、
教授という職分の方のメンバーシップを運営
審議会あたりにどう期待するかという、そういうことを申し述べさせていただきたいと思います。
以上でございます。