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1981-04-24 第94回国会 参議院 大蔵委員会 第16号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
五十六年四月二十四日(金曜日) 午後一時三分開会
—————————————
委員
の
異動
四月二十四日 辞任
補欠選任
竹田
四郎
君
和田
静夫
君
前島英三郎
君
野末
陳平
君
—————————————
出席者
は左のとおり。
委員長
中村
太郎
君 理 事
衛藤征士郎
君 嶋崎 均君
藤井
裕久君 穐山 篤君 塩出
啓典
君 委 員
岩動
道行君 岩本 政光君
大河原太一郎
君 梶木 又三君
河本嘉久蔵
君
塚田十一郎
君
藤井
孝男君 鈴木 和美君 多田 省吾君 矢追 秀彦君 近藤 忠孝君 三治 重信君
野末
陳平
君
事務局側
常任委員会専門
員 伊藤 保君
参考人
専修大学教授
青木
信治
君
成蹊大学教授
肥後
和夫
君
—————————————
本日の会議に付した
案件
○
財政運営
に必要な
財源
の
確保
を図るための
特別
措置
に関する
法律案
(
内閣提出
、
衆議院送付
)
—————————————
中村太郎
1
○
委員長
(
中村太郎
君) ただいまから
大蔵委員会
を開会いたします。
委員
の
異動
について御報告いたします。 本日、
前島英三郎
君及び
竹田四郎
君が
委員
を辞任され、その
補欠
として
野末陳平
君及び
和田静夫
君が選任されました。
—————————————
中村太郎
2
○
委員長
(
中村太郎
君)
財政運営
に必要な
財源
の
確保
を図るための
特別措置
に関する
法律案
を議題といたします。 本日は、
本案審査
のため、
参考人
として
専修大学教授青木信治
君及び
成蹊大学教授肥後和夫
君の御
出席
をいただいております。 この際、
参考人
の方に
一言あいさつ
を申し上げます。 本日は、御多忙中のところ、本
委員会
に御
出席
をいただきましてまことにありがとうございました。
委員会
を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。両
参考人
から忌憚のない御
意見
を承りまして、
本案審査
の
参考
にいたしたいと存じます。 これより
参考人
の方から御
意見
をお述べ願うわけでございますが、議事の進行上、最初に
参考人
の方からお一人十五分以内で御
意見
をお述べいただき、その後
委員
の質疑にお答えいただく
方法
で進めてまいりたいと存じますので、御協力をお願いいたします。 それでは、まず
青木参考人
からお願いをいたします。
青木信治
3
○
参考人
(
青木信治
君) ただいま御紹介にあずかりました
青木信治
でございます。 日ごろはもっぱら
財政
の理論の一部につきましてのみ勉強しておるものでございます。したがいまして、
財政
に関します実際問題に対しましては
一般原則論
以上に接近しかねると、そのように存じておりますので、あらかじめ御了承いただければ幸いに存じます。 つきましては、早速でございますが、これより
財政運営
に必要な
財源
の
確保
を図るための
特別措置
に関する
法律案
をめぐりまして、ただいまお断り申し上げました範囲内におきまして、はばかりながら若干
卑見
を述べさせていただきたいと存じます。 顧みますと、
昭和
五十一年五月二十二日、本
院本委員会
に送付されました
昭和
五十一
年度
の
公債
の
発行
の
特例
に関する
法律案
をめぐります
公聴会
が開かれまして、その可否についての
意見
がその際もこの私に対して求められたこと、なお記憶に生々しいものがございます。同
法案
は同国会では
可決成立
の運びにならなかったように記憶しておりますけれども、しかし、後に
発行賛成
の学説にも支えられながらついに日の目を見たというふうに覚えております。その結果、今日見るような
国債
の累積を現出しまして、私の見たところでは、
財政民主主義
が実質的に侵されているのではないかというような傾向を続けまして、
国民
の上にもまた重い
貢納
が強いられつつあるやに感じられます。 いま五年近く前の同じ本
院本委員会
に求められましたところの私の
意見
が決して杞憂ではなかったのではないか、このように感じているものでございます。そして本日、
財政運営
に必要な
財源
の
確保
を図るための
特別措置
に関する
法律案
をめぐりまして再び本
院本委員会
で
卑見
を開陳しなければならない、そういう
状況
に立ち至りましたことは、
国民
の一人としてまことに遺憾至極に存ずるものでございます。 思うに、こうした誤りがなされたと思われますのも、
もと
はと申しますと、これまでの
財政規模
の
増大
が
経済
の
発展
と
国民生活
の安定にそのままつながると見ますところの、いわゆる
財政主導型経済論
がまかり通ってきたためにほかならないと考えております。そしてこのような
財政主導型経済論
は、それに導かれて
平時未曾有
の
公債
を抱えし
かも国民
に多大の
負担
を課さなければならないという事態に立ち至りまして、
国民一般
からとともに
学界筋
のうちからもまたようやく疑いがかけられるに及んだというふうに見ております。 私は、かねてよりこのような
財政主導型経済論
に対しましては
批判的言辞
をもっていたしまして、今日までひたすら
安上がり
の
政府論
を提唱してまいりましたものでございます。この
安上がり
の
政府論
につきましては、私的なことにわたって恐縮でございますが、
日本財政学会
における昨秋の大会でも
研究報告
をさせていただいた次第でございますが、
卑見
によりますれば、
安上がり政府
とは
財政
ないし
政府
の
理想像
かと存じます。しかし、本来
安上がり
の
政府
とは、私の考えるところでは、スミスとかベインの説とは異なりまして、
国民
全体のために必要不可欠な財貨・
サービス
のみを供給するにとどめるべしといった絶対的な議論であるかに存じます。すなわちそれは、たとえ国の
経済
の
規模
がどんなに拡大しましょうとも、また
国民
の
便益増大欲
がどんなに激烈に示されようとも、それを無視いたしまして、守り抜くべき効率的にして可能な限り小さな
政府
であってこそ意味あるものと、かように存じているわけでございます。そしてこうした
安上がり
の
政府
は、
計画経済体制下
でも、健全な
国民
の
経済生活
をむだな
資源
を費やすことなく送らせるために
理想
とすべき
形態
と存じております。いわんや
自由経済体制下
では、その上に
国民
の
資源
をできるだけ
国民
の自由な選択にゆだねて、効率的に利用する上で最も尊重されなければならない
形態
と考えているものでございます。 翻って現況を見ますに、とりわけ
行政改革
を推進します側からの、行革は幹で
財政再建
はその結果として生まれる枝か花だという声が上がっているやに聞いております。この種の声は、まさに
安上がり
の
政府論
を地で行くものにつながるもので、きわめて傾聴に値するものと存じております。すなわち
行政改革
は
安上がり
の
政府実現
のための
第一歩
であり、
安上がり
の
政府
への道をたどりながら、それに伴って行われるべきものが
財政再建
であるという認識でございます。言いかえますと、
財政再建
とは、単に
財政収支
の
均衡
をもって事足れりとするものではないということであります。もちろん五十六
年度予算
は
抑制型予算
であると言うことはできると思います。しかし決して縮小型とまでは言えないと、このように思います。そして、それが
安上がり
の
政府
への一里塚としての
予算
であると言うには、
伸び率
二けたから一けたへ抑さえたという相対的な
措置
をもってしてはいまだしで、やはり
増加
でなく
減少
に転じたときにこそと存じております。ということは、
安上がり
の
政府
への移行のための
姿勢
は示されているものの、実はまだその
第一歩
さえ踏み出されていたいと言っても過言ではないと存じます。
卑見
によりますれば、
安上がり
の
政府
への
第一歩
は、潔い
歳出
の
大幅削減主導
型の
財政収支均衡策
によって踏み出されることができると思っております。ということは、とりもなおさず
増税
を初めといたしますいかなる
国民
の
負担増
も図ることなく
財政収支均衡
を遂げるようにしなければならないということになると存じます。ところが、本
年度予算
にありましては、
伸び抑制
とはいえ、
公共事業費
を初め諸
経費
は旧態依然たる
形態
を存続し、あまつさえ、少なくとも当面緊急を要すると見られない
防衛関係費
などのこれまでにない
伸び
も記録してさえおります。そして
財政収支
の
均衡
は、主として租税を初めといたします
財政収入
の
増大
によって図られていると見ることが許されると存じます。今次案の
財政運営
に必要な
財源
の
確保
を図るための
特別措置
も、無論こうした
安上がり
の
政府実現
の道に必ずしも忠実であると言えない
措置
の
一環
をなすものと感じております。 さて、同
法律案
の
内容
は、
特例公債
の
発行等
、
日本中央競馬会
の
国庫納付金
の
納付
の
特例
、
日本電信電話公社
の
臨時国庫納付金
の
納付
、
日本開発銀行
の
利益金
の
処分
の
特例
、
日本輸出入銀行
の
利益金
の
処分
の
特例
及び
産業投資特別会計
からの
一般会計
への
繰り入れ
の六事案を持っておるように見受けられます。 まず第一に、
特例公債
の
発行等
につきましてあえて申し上げますと、こうした
法的措置
は、本来一
会計年度
限りの
趣旨
であったはずでございます。
もと
より、いわゆる
特例公債
の
発行
を認めますこと
自体
問題でございましたが、それがしかも
会計年度ごと
に繰り返されて当然視されるようでは、いわゆる
特例法自体
、
特例
ならぬ
特例法
化し、虚構もはなはだしいと言わなければならないと、かように存じます。 次に、
日本中央競馬会
の
国庫納付金
の
納付
の
特例
の件に移らせていただきたいと思います。 申すまでもなく、これも
公債
の
発行
と同様に、
税外収入
の
一環
であり、同時に五十六
年度
限りの
法的措置
でございます。しかし、
政府関係機関
ないし
政府部
内の
仕組み
に
変更
を加えた上で一層の
財源捻出
を図るという点では
公債
の
発行
とは異なり、以下
日本電信電話公社
の
国庫納付金
の
納付
等々の
案件
とともに、あえて申しまするならば、まことに斬新にして、また奇抜とも言われるべき趣向のものと存じます。 そこで、この
日本中央競馬会
の
国庫納付金
の
納付
に関します
特別措置
でございますが、これは要するに、いわゆる第二
国庫納付金
としてどうしても五百億円は
納付
されるようにするために、
特別積立金
の一部二百億円
程度
の見込みの
もと
でこれを削り取るというふうに思われます。 そこで、試みにこの
特別積立金
の内訳を見まするに、五十五
年度
現在では
総額
二千八百四十五億円のうち、
固定資産等
に振り向けられる額が
大半
の六七・八%を占める千九百三十億円にのぼりまして、
繰越工事向け
が五・〇%の百四十五億円で、
流動資産
はわずか二七・〇%の七百七十億円にすぎません。しかもこの
流動資産
は、各
年度ごと
に必要が生じた場合の
固定資産形成
に動員される使命を帯びているといった実情でございます。また、確かに注目を受けましたとおり、その
国庫納付金
は多く、それを裏づけるように売
得金額
も順調な
伸び
を示しております。しかしながら、
競馬事業
の核心をなす
入場人員
はそれに反比例して、五十一
年度
以来引き続き
減少
の一途をたどり、
執行者側
に一抹の不安を呼んでおります。そうであるとしますれば、
特別積立金
のうちの
流動資産
を枯渇させることはきわめて冒険であるとも言えるようでございます。はたまた、見逃せないことがございます。
日本中央競馬会法
におけるその第一条でしたためられている
趣旨どおり
、その
事業
結果は単に
競馬
の健全な
発展
を図って馬の
改良増殖
を行ってきたばかりではありませんで、
国民
の食生活と密接な
関係
のあります鶏卵や
豚肉等
を供給する畜産の振興、そしてまた
社会福祉事業
という面にも大きくあらわれているということでございます。さらにこうした
特別措置
は、一
会計年度
に限るものであるとの主張で納得されたいとするならば、私は直ちにいわゆる
公債
の
特例法
をもって他山の石とするように申し上げなければならないと存じます。 第三に、
日本電信電話公社
の
臨時国庫納付金
の
納付
に関する
案件
に入りたいと存じます。 この
案件
は、
政府関係機関
ないし
政府部
内の
仕組み
の
変更
による
財源捻出
という点では、すでに申し述べましたところの
日本中央競馬会
の
国庫納付金
の
納付
の
特別措置
と同様と存じます。しかし同時に、それとは違いまして、次に続くところの
日本開発銀行
の
利益金
の
処分
の
特例
及び
日本輸出入銀行
の
利益金
の
処分
の
特例
に関する
案件
に等しく、五十六
年度
限りの
特別措置
ではなくて、五十六
年度
から五十九
年度
にかけての四
会計年度
に及ぶ
特別措置
となっております。 そこで、
日本電信電話公社
のいわゆる
臨時国庫納付金
に関する
案件
でございますが、これは
日本電信電話公社
における当該四
会計年度
中の
積立金
のうちの一部を四年
均等割
で各
年度
末までに
国庫
に
納付
させるという
措置
を新たに暫定的に講じるものと聞いております。 ところで、この
措置
に対しましては次のような問題が感じられるのでございます。それは第一番目に、
日本中央競馬会
の
国庫納付金
の
納付
に関する
措置
と同様に、根本をたな上げしたところの、あえて申しますならばつけ焼き刃的な
措置
とも考えられないではございません。と申しますのは、
日本電信電話公社法
を制定の際、その
独立採算制
の
原則
を厳守する上から、
赤字会計
の場合も同
公社
みずからの
努力
によりこれを乗り切るべしとすると同時に、そのかわりに
黒字会計
の場合でも
国庫納付金
のごときは考えられないとしたように聞いているからでございます。仮にそうであるといたしますと、今回案のような
臨時国庫納付金
は、それがたとえ暫定的なものであれ同
公社
に対する片手落ちの
措置
であり、かつ同
公社
に認めた
独立見算制
の
原則
を国みずからの手によって切り崩す羽目に陥るのではないかと存じます。 第二番目に、しかも今回案で
臨時国庫納付金創設
のため
削減
の対象とされます
積立金
は、本来
利用者
に対する
サービス向上
のための
投資的面
に寄与するものとなっておりますれば、一層問題視されなければならないと存じます。 第三番目に、
臨時国庫納付金
の
創設
に際する
問題点
といたしまして、同
公社
における
出資状況
が挙げられると存じます。それは
全額政府出資企業
とうたわれてはいるものの、その
大半
は
利用者
の
出資
にゆだねられているのではないかと思われるからでございます。そうでありますれば、その
積立金
を本来
利用者
限りに還元さるべきでありまして、
国庫納付金
という経路をもって
国庫
に統合された上、不
利用者
を含むところの
国民一般
の上に還元されるというのは筋が通らないのではないかとも思われます。 最後に、
日本開発銀行並び
に
日本輸出入銀行
の
利益金
の
処分
の
特例
及び
産業投資特別会計
からの
一般会計
への
繰り入れ
に関する
案件
について触れてみたいと存じます。 これらに対しましても、やはりあえて申しますと、場当たり的な感じを免れないと存じます。とりわけ
産業投資特別会計
の上に従来から置かれてきた心像は損なわれるものと思われます。であるといたしますれば、むしろ
産業投資特別会計
それ
自体
の再検討という
抜本的改善方法
を
中心
に本
案件
をめぐる問題を吟味するのがより適切かと存じます。 なお、追加させていただけるといたしましたならば、本
法律案
はあたかも、俗な表現をいたしますと百貨店のように各種の
案件
を内包しておるやに思われます。しかもそれぞれの
案件
は、いずれも重要な
内容
を持っているかに見受けられます。そうした重要な個々の
案件
でありますれば、これらを一括して
法律案
化することには問題がないわけではないと、かように存ずる次第でございます。 以上をもちまして、はなはだ粗雑ではございますが、
財政運営
に必要な
財源
の
確保
を図るための
特別措置
に関する
法律案
についての
意見陳述
を終わらせていただきたいと存じます。
中村太郎
4
○
委員長
(
中村太郎
君) ありがとうございました。 次に、
肥後参考人
にお願いいたします。
肥後和夫
5
○
参考人
(
肥後和夫
君)
成蹊大学
の
肥後
でございます。
財政運営
に必要な
財源
の
確保
を図るための
特別措置
に関する
法律案
につき
意見
を申し述べたいと思います。 まず、この
法律案
全体としての賛否でございますが、次のように考えます。 この
法律案
は、従来は毎
年度単独
の
法律案
として審議されてまいりました
公債発行
の
特例
に関する
法律案
と、
日本中央競馬会
、
日本電信電話公社
、
輸開銀
及び
産業投資特別会計
から
特別
にあるいは
臨時
に
納付金
の
納付
あるいは
繰入金
の
繰り入れ
を行わせるための
法律案
が一本化された形をとっております。 したがいまして、問題は、第一に五十六
年度
に五兆四千八百五十億円の
特例公債
を
発行
することに関して、その
是非
の問題が提起されている。それから第二には、
日本中央競馬会
、
電電公社
、
輸開銀
、
産投特別会計
からそれぞれ
特別
にもしくは
臨時
に
納付金
の
納付
もしくは
繰入金
の
繰り入れ
を所定の額や率で行わしめ、五十六
年度予算
において
総額
として千七百四十五億円の
増収
を図ることに関しまして、その
是非
が問われている問題という、
二つ
の
内容
に関連していると考えます。 結論的な
意見
を先に申し上げますならば、当面、国の
予算
につきましては
財政
の
再建
を図ることを
中心
に考えなければならないという基本的な理由から、この
法律案
はその
内容
となっているいずれの問題についてもやむを得ない
措置
であると考えます。 なお、詳しい
意見
は次のとおりでございます。 まず第一に、五十六
年度
五兆四千八百五十億円の
特例公債発行
の
是非
に関する
意見
でございますが、これについては、特に五十六
年度
予算フレーム
の特徴との関連で述べてみたいと思います。 すなわち、五十六
年度予算
の
フレーム
は次のようなものであったと考えます。すなわち、
予算編成
の
至上命題
といたしまして、
財政再建
のために特に
特例公債
への依存を五十九
年度
までにゼロにすることが従来から目標になっておりますが、五十六
年度予算
におきましては、五十五
年度予算
よりも一兆円ふやして二兆円
減額
する、それも五十六
年度
はその
全額
を
特例公債
の
減額
に充てるという、
財政再建
への
政府
の熱意を示す大
方針
がまず決定され、あわせて
一般会計予算
の五十六
年度
の
伸び
を前
年度
よりも低くし、一けたの
伸び
にするという
基本方針
がとられましたことによりまして、
予算
の
枠組み
はほぼ決まってしまったと考えるのであります。 すなわち、五十六
年度
におきまして
増税
や
税外収入
の
特別
の
増収
を図らないで、歳入を
自然増収
だけで賄うことにいたしますと、約四兆六千億円が見込まれるのでございますが、
特例国債
二兆円
減額
の大
方針
の
もと
に
国債収入
の
減少分
を差し引きますと、
財源
の
増加分
は二兆六千億しか残らないことになります。ところが、この二兆六千億につきましては、
国債費
が一兆三千四百億円、
地方交付税
が一兆二千五百億円、合わせまして
義務的経費
の当然増が二兆六千億円弱見込まれますために、
一般歳出
の
増加財源
はほとんどゼロになってしまいます。これでは、
消費者物価
五・五%
程度
、
卸売物価
四・一%
程度
が見込まれている中で、
一般歳出
の
総額
は実質的に
減額
になってしまうわけでございます。せめて
消費者物価上昇程度分
に近い
増収
を
確保
しなければ、
社会保障費
や
教育費等
の当然増分や、ぜひとも計上しなければならない
新規施策
のための
財源
が
確保
できないという
事情
が見込まれることになりました。 そこで、
収入
の
増加
を図りますために、第一に、
国民
の
合意
が得られるように、
現行税制
の
枠組み
の中でできるだけ
増収措置
を講じることによりまして、初
年度
一兆三千九百六十億円の
収入
を
確保
し、なおそれでも不足する分はなお残された
財源
として
税外収入
に着目して、その
増収
によって一千八百八億円を
確保
することになりましたわけでございます。その一千八百八億円の中の
日本航空政府保有株式
の
売却分
五十八億円を除きました千七百四十五億円の
財源
が今回の
財源確保法案
に関連するものになっているわけでございます。 以上のような
一般会計予算編成
に伴うマクロ的な
事情
を勘案いたしますと、
税負担
の
増加
や
経費節減
につきましては、なお
特別
の
国民的合意
が熟しておりません
現状
におきまして、今回の
法律案
の
内容
は
文字どおり財政運営
に必要な
財源
の
確保
を図るための
特別
の
措置
であったと解されるのでありまして、ベストの
措置
がどうかは
意見
のあるところであると思いますが、
現状
において取り得るベターな
措置
であると考えざるを得ません。 次に第二に、この
特例公債
につきましては、五十
年度
発行
以来借りかえをしないで
現金償還
をするという
方針
がとられております。
公債
に対する
政府
の
基本姿勢
として評価できるのではないかと考えます。 なお、ついでながら、このようにして成立しました
予算
の体質を検討してみますと、いろいろな角度からいろいろな見方ができると思うのでありますが、次の
二つ
の点におきましても重大な課題がなお残っていると考えざるを得ません。 まず第一は、やっとの思いで工面した
増税分
一兆四千億円も、
国債費
の当然増一兆三千四百億円をやっと貯えているにすぎない。したがいまして、
国債
の一層の
減額
によって
国債費負担
を大幅に引き下げるのでなければ、
財政
の
弾力性
はとうてい回復できないであろうと思われますことでございます。 第二に、
一般歳出増
一兆三千億円、これは対前
年度
四・三%の
伸び
でありますが、五十六
年度
政府経済見通し
の
消費者物価上昇率
よりは一%
程度
低くなっております。この点では
総額
の
伸び
の
抑制
が図られていると言えるのではないかと思います。
高度成長
が始まる前の三十年代初期の
伸び
になっている点が注目されるわけでございます。しかし
社会保障
及び
恩給費
を合わせますと、それだけで
一般歳出増分
の
総額
の六割を占めることになりますし、
人口老齢化
の急激な進展に伴って今後とも長期にわたってこの費用が
増加
することが考えられるわけでございます。この第一の点と第二の点の
二つ
を考えましただけでも、
予算
の弾力的な
運営
が可能になるまでには、今後ともなお大変な
努力
が必要であると考えざるを得ません。
経費
のむだを徹底的に削り落とし、その
努力
を
国民
に評価してもらった上で、なお長期的には
国民負担
の
増加
を図っていくことが必要であろうかと思います。 次に第三に、
法律案
の第二の
問題点
であります
一般会計
の
納付金
及び
繰入金
を
臨時
もしくは
特別
に
増収
する
措置
について
意見
を述べたいと思います。 第一に、
予算フレーム
のマクロ的な見地から見ました場合、この
増収措置
が少なくともやむを得ないものであるという
意見
はすでに述べたとおりでございます。 第二に、
制度
の問題として、このような
増収措置
が妥当なものとして認められるかどうかという点について、特に問題になるのは
電電公社
の
臨時国庫納付金
ではないかと思います。
中央競馬会
、
輸開銀
につきましては、
制度
上も
国庫納付金
が
法律
上定められておりまして、今回は
緊急臨時
の
措置
として
増収
が図られているのであると解釈いたしますと、これらの
機関
が
全額出資
のきわめて
公共性
の強い公的な
機関
であることから、特に本質的に問題にすることはなかろうと考えます。 また、
産業投資特別会計
の
一般会計
への
繰り入れ
は、
輸開銀
の
国庫納付金
が
産業投資特別会計
に
制度
上帰属することになります
関係
上、
一般会計
の
財源不足
を補てんするための
税外収入
を
確保
するためには、当然にこの帰属された
納付金
を
産業投資特別会計
から
一般会計
に
繰り入れ
る
措置
が図られなければならないわけでありまして、やむを得ない
措置
ではなかろうかと思います。 しかし
電電公社
は、
電気通信事業
を
企業
的に経営するために設立された
全額政府出資
の安
企業
でありまして、
制度
上
収益金
の
国庫
への
納付
は法定されておりません。そういう点で今回の
措置
が
制度
上問題になるのではないかと思います。この点につきまして
公共企
業体等基本問題会議におきまして、
公共企
業体の経営
形態
や当事者能力が
公共企
業体のあり方の問題として取り上げられましたときの検討結果にかんがみますと、
電電公社
は消費者としての
国民
によい
サービス
をできるだけ安いコストで供給する責任と、それから一方では、
全額出資
の公的な
企業
体であるという観点から、納税者としての
国民
に
財政民主主義
の見地から負わなければならない責任と二重の責任を負っているわけでありまして、
公共性
と効率性の
二つ
の面からそのあり方は考えられなければならないのではないかと思うのであります。今回は長期的なあり方の問題はさておきまして、一方では、遠距離電話料金の引き下げ等消費者の
サービス
を図りつつも、他方では、
全額政府出資
の公共
機関
の
公共性
の見地から、
財政
の緊急事態への協力が求められたのであると解すれば、今回の
措置
は是認されてよいのではないかと考える次第でございます。 以上をもって
意見
の陳述を終わります。
中村太郎
6
○
委員長
(
中村太郎
君) ありがとうございました。 以上で
参考人
の
意見
の陳述は終了いたしました。 速記をとめて。 〔速記中止〕
中村太郎
7
○
委員長
(
中村太郎
君) 速記を起こして。 これより
参考人
に対する質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
穐山篤
8
○穐山篤君 きょうはどうも御苦労さまです。 最初は
青木
先生にお伺いをいたしますが、先生の最後に、この
財政
確保
という名前で三つのものが一つの
法律案
になっていることについて御
意見
がありました。私どもも実はそういうふうに思っているわけです。少なくとも
電電公社
にしろあるいは
競馬
会にいたしましても国が
臨時
に
国庫
納付
を強制するわけですから、
国民
の立場から言いますと金を召し上げられるあるいは将来心配の種が残る、こういうことになるのは当然だと思うんです。そこで、私どもの考え方と
青木
先生の
意見
たまたま一致したわけですが、
国民
の立場からすれば国会の審議というのは非常にわかりやすくしてほしい、あるいは
国民
が
負担
をする税金にしろその他の
負担
についてもその理由なりその額というものがごくわかりやすく
国民
の前に明示されることが一番必要だろう、そういうことが一番正しいだろうというふうに思うわけです。ですから、専門的に研究されております先生もそういうふうにごらんになっていたのではないかというふうに改めて敬意を表する次第です。 さて、具体的なことでお伺いをいたしますが、この
特例公債
は、最初
昭和
四十年に千九百七十二億円の
特例公債
が国会で承認をされて、しばらくの間なかったわけですね。それから
昭和
五十年から二兆円、五十一年は三兆四千億円、以下毎年毎年恒例化しているわけです。そこで、この
特例公債
について
財政
法第四条というものを先生はどういうふうにお考えになられているのか、この点をひとつ解明をいただきたいというふうに思います。 それから、この
財政
法第四条に関連をいたしますが、これが
昭和
二十二年に制定をされましたときの論争なりあるいはその後大蔵省その他で解説が出ておるわけですが、その解説されている文書の中に、われわれ注目をしなければならぬと思っておりますのは、こういうことが書かれておりますね。「
財政
法第四条を規定したその精神というのは、健全
財政
を堅持していくと同時に、
財政
を通じて戦争危機の防止をねらいとしている」ということをはっきり言っている文献があるわけですが、そういたしますと、最近の自衛隊の増強などにかなりの費用がかけられているわけですね。今
年度
の
予算
でいきますと二兆四千億という膨大なものになっています。そういう点で私どもも危惧をしているわけですが、
財政
法第四条と戦争危機の防止あるいは自衛隊の増強ということについて先生はどういうふうに
財政
的な面からお考えを持っておりますか。まずその点をお伺いしたいと思います。
青木信治
9
○
参考人
(
青木信治
君)
財政
法第四条の意義とでも申すべき点につきましての私のつたない
意見
を求めてくださったように受けとめます。 そこで私は、
財政
法第四条を次のように受けとめている次第でございます。と申しますのは、一般に
財政民主主義
あるいは民主主義というものにつきまして、ただこれを空間的にだけとらえる傾向が強いのではないかと存じております。しかしながら、
財政民主主義
ないし民主主義には時間的なとらえ方がきわめて重要であろうかと存じております。時間的とらえ方と申しますのは、これは極端な表現になるかもしれませんですが、たまたまいま自衛隊等
防衛関係費
をめぐる点につきましても御質問が絡んでいたやに思われますのであえてこんな表現を申しますんですけれども、
国民
の代表であるところの国会における御決定で決められた
予算
内容
でありましても、これはおのずからそれぞれの時点においてのものと考えるのが適当かと思います。いま申しましたとおり、例を非常に大胆に設定いたしますけれども、仮にいまから五十年前の国会における審議議決というようなものが現在まで有効であるというようなことが許されるならば、これは五十年前の
国民
の意思によって現代の
国民
の意思が束縛されるというふうに考えなければならないと存じます。したがって
公債
というものは、これは
発行
することを認めたときの
国民
の意思によりましてこれを
負担
しなければならない時点における
国民
の意思を束縛するといった結果になりまして、これは
財政民主主義
ないし民主主義の時点間のじゅうりんである、このように私は考えます。その点におきまして、この
財政
法第四条の規定というものは、あえて申しますと、
財政
法の制定の意味の象徴であると言っても差し支えない重要な規定である、かように存じております。 ただいま、たまたま自衛隊あるいは
防衛関係費
についてそれに絡んでの御質問も含まれたと思いますけれども、ただいま申し上げましたところでその
防衛関係費
に絡むところの御質問に対するお答えもある
程度
できたのではないかと存じますので、とりあえず以上をもちましてお答えといたしたいと存じます。
穐山篤
10
○穐山篤君 お二人の先生にお伺いをいたしますが、
国債
の
発行
が毎年毎年
特例公債
を含めて相当あるわけです。来年の三月になりますと
公債
残高八十兆円になります。それから推定でありますが、
昭和
六十年になりますと百二十何兆円というふうな膨大な
公債
残高が出るわけです。そのために後代の人が、いまのお話にもありましたように、われわれを含め子供、孫が相当の
負担
を負わなきゃならぬ。肩にしょいきれないほどの借財をおやじがしたために息子や嫁や子供が苦労する、こういうことになるわけです。今
年度
の
予算
でいきますと四十二兆、それの約三倍ぐらいの借財を返さなきゃならない。返すために
歳出
カットあるいは
行政改革
、小さな
政府
というふうな
努力
をいたしますけれども、
昭和
六十年以降は、この
法律
にもありますように
特例公債
につきましては借りかえが不可能でありますので、毎年毎年キャッシュで返さなきゃならぬということですから
負担
は非常に増額をするわけです。将来の話ですからなかなかそう簡単なことは言えないと思いますけれども、どうやって借財を返していくか、これは非常に頭の痛い問題です。 この点についてお二人の先生に、借財の返し方についていろんな御発想があろうというふうに思いますので、その点をお願いをしたいというふうに思います。
青木信治
11
○
参考人
(
青木信治
君) ただいま
公債
の償還に対する
措置
につきましての御質問をいただきました。 私が冒頭陳述させていただきました中にもございましたとおり、
歳出
の思い切った
削減
ということを主導として
財政再建
はされなければ真の
財政再建
にはならないという見解を持っているものでございます。同時に、
国民
経済
が発達しまして
経済
の
規模
が大きくなれば
財政
もそれに比例いたしまして大きくなってもいいんだという、これまで許された考え方に対しては非常に疑問を持っているということであります。これまで景気の悪いときは
財政
支出をいたしまして、それも大幅にいたしまして、しかも、あえて
公債
の
発行
まで大量にしてこれを行うと。それは不況克服のためにやむを得ないと。で、好況になりましたならばこれは
削減
の方向に向けられるものだという、いわゆる先ほど来申してまいりました
財政主導型経済論
というものによって推進されてきたやに思われますけれども、結果的には好況になりましても
歳出
の
削減
という挙には一向に出なかったということで、そういうことはまた単に理論的なものを信条とすることからではなくて、
予算編成
をめぐるいろいろな問題、そういうものが絡んでこういう傾向をたどってきたというふうに思われますけれども、そういったこれまでの
財政主導型経済論
というべきもの及びそれに乗じたところのいろいろな冗費をたな上げするというような傾向をこの際一切排除いたしまして、そしてまず
歳出
のもっと徹底的な
削減
ということに血道を上げなければならないのではないか、その
努力
が私の見た範囲ではまだはなはだ不十分である、このように存じております。 先ほど来私の耳に入ってまいりますものといたしましては、まことにやむを得ないというような説が多いんでございますが、やむを得ないという言いわけの連続で、そして一向これが反省されない。そして排除されない。そういう悪習、陋習が排除されないということを認めていくならば、幾らたっても
財政
の健全化、そういうものはできないのではないかと思います。そこで、足りないからという口実だけではなくて、その裏にあるところの
歳出
を徹底的に洗い直し、そしてこれ以上どこをどう押しても切るところはないというようなことがはっきりあらわれたときに限り、別途歳入の面についても検討を加えるというのが正しい
姿勢
ではないかと、かように私は存じている次第でございます。
肥後和夫
12
○
参考人
(
肥後和夫
君) 御指摘のように、六十
年度
から五十
年度
以降
発行
いたしました
特例公債
の
現金償還
が始まるわけでございます。非常に重大な事態を迎えようとしているということは全く同感でございます。まあいい
方法
があるかというような御質問でいらっしゃいますが、いい
方法
があるかと言われまして、ありますと申し上げるほど自信はありません。 ただ一般的には、やはり景気の、ちょうど一九八〇年代の後半になりますが、日本
経済
の活力がそのときにどうなっているかということが第一点です。第二点は、むだな
経費
をできるだけ削るという
努力
をそれまでに
政府
はどれだけやれるか。それによりましてやむを得ないと
国民
が評価するなら、必要な
税負担
の
増加
についても
合意
が得られている、そういうことしかまだ申し上げられない。とにかく現在
現金償還
をするという
姿勢
を放棄するというようなことは、これはもう言語道断ではなかろうか。とにかく
現金償還
をするという
姿勢
を堅持してそれを裏打ちする
努力
をすべきではなかろうか。それにつきまして六十
年度
以降の問題よりも、ともかく来
年度
以降まだ、この「
財政
の中期展望」を見ますと、来
年度
なお三兆六千五百億の
特例公債
、六兆七千九百億の四条
公債
を残して、それでなおかつ一兆九千八百億の赤字が、要調整額が残る、五十八
年度
につきましてこの要調整額はさらにふえる、こういうようなことになっております。ですから、やはり五十九
年度
までに少なくとも
特例公債
への依存を脱却できるような
措置
を講じるために、現在
経費
の節減にできるだけの
努力
を払って、そして
国民
がそれはよくやった、それでもなおやはり
財源
が足りないというのであれば仕方がない、
負担
の
増加
にも応じましょうというような
合意
の得られるような
努力
をするということが、将来のそういう償還への道を開くことになるのではなかろうか、そういうふうに考えております。
穐山篤
13
○穐山篤君
国債
の問題にまたかかわるわけですが、御案内のとおり、
国債
残高が年々急増をしております。それから、
予算
の中に占めます
公債
費の割合も、昨年は一二・五%で今
年度
一四%、それから借換債も急増をしてまいります。そういう意味でいきますと、この
国債
問題というのは非常に深刻でありますね。ですからその立場から言ってみても、
国債
の管理政策というものがひとつ考えられなければならないと思うんです。 それはどういうふうな管理政策を展開をするかということが、実は重要な問題ではないかというふうに思うんです。また片方の見方で言いますと、
財政再建
というものが軌道に乗らなければ
国債
の管理政策の方もうまくいかないと、こういう
二つ
の面から管理政策というものをながめる必要があろうと思うんです。大蔵省は大蔵省なりのことを発表されておりますけども、お二人の先生方にこの
国債
の管理政策の中で特に配慮をしなきゃならぬ、あるいは当面十分注意を払わなければならないと思われるようなものがありましたならば、ひとつお教えをいただきたいというふうに思います。 以上です。
青木信治
14
○
参考人
(
青木信治
君) ただいま
国債
の管理政策の上で重要な点について、もしあったならば
意見
を述べるようにという御質問であったと思います。同時に、そういった
国債
の管理政策というものは、その前に行うべき
財政
措置
ということを固めてからでなければできないのではないかという御
意見
も漏らされたやに受けとめております。 私は、
国債
の管理政策でございますが、ちょっと御質問の範囲をあるいは逸脱して、かつそれをも含めさしていただきたいと、こんなふうに思うわけですけれども、ただいまは建設
公債
及び
特例公債
という大きな
二つ
の長期
公債
を抱えているわけでございますが、こういった
特例公債
はけしからぬが、建設
公債
はいいという点につきましても、まず私は再検討の余地があるのではないかと、こんなふうに考えております。建設
公債
は後の
国民
もこれを利用する公共施設、公共
事業
、そういうところにすぐ結びつくものであるからこれは構わないという議論に支えられているものと思われますけれども、果たしてそういうふうに考えてこれを認めでいいものかどうか、そういう点について深い疑念を持っているものでございます。したがって、建設
公債
と称されるものにつきましても、今後は再吟味いたしまして、少なくとも以後はこれを縮少していくという傾向をたどるべきだろうと思いまして、そういうような現在認められている
国債
及び認められていない
国債
、そういうものの再検討をまずするということが先決問題でございまして、それを待って、それにあわせてそして
国債
の管理政策というものを考えるべきであるというふうに私は存じておりますので、今日の段階における
国債
の区別の上における管理政策というものはこれでは十分な
措置
に達するに至らないというような見解を持っているわけでございます。
肥後和夫
15
○
参考人
(
肥後和夫
君)
国債
管理政策はまさに
財政
と金融の接点にある領域だろうと思います。一昨年あたりでございますと、民間の資金需要が活発になってきた段階でクラウディングアウトの現象が起こりまして、市中銀行の預金の
増加分
のほとんどが、これは統計のとり方によっていろいろの見方があったと思いますけれども、少なくとも市中銀行の預金増のほとんどが
国債
引き受けに使われるというようなことで、金融に非常なひずみを与えていた。最近その傾向が大分緩和されているわけでございますが、いま
青木
教授もおっしゃいましたように、そういう点で、まず基本の
姿勢
といたしましては、
特例公債
だけではなくて建設
公債
を含めて
国債
の
総額
を適量に抑える、それによって民間の資金需要に不当な圧迫を生じないようにすることが必要ではなかろうか、そのようなまず基本を踏まえました上で、あるいは、これも実際に実行されていますが、市中金利の
状況
に応じて
国民
のニードに合わせた、たとえば中期
国債
なりあるいはもっと短い
国債
なり十年物だけではないようなものをいろいろ取りまぜて供給する、市中の資金需給に適合していくというようなことが必要であろうかと思います。現在マネーサプライの
伸び
を見ましても、大体GNPの
伸び
と同じかあるいはややそれよりも低目に推移しているようでございますので、まあ健全ではなかろうか。最近は金利の引き下げも可能になるような
状況
になっております。ただ基本的には、やはり
財政
がしっかりしませんと
国債
管理政策なり金融政策なりが非常におかしくなってくるということはもう一般に指摘されているとおりでありますので、まさにこの
委員会
で御審議になっていらっしゃいますところの
公債
依存度の
抑制
、そのためのむだた
経費
の節減についての御審議というようなものが必要なのではなかろうか、そういうふうに思っております。
穐山篤
16
○穐山篤君 最後に電電の
納付
の問題についてお伺いをするわけですが、千二百億円ずつ四年間で四千八百億円、大体、事のよしあしは別にして、新聞などを読んでいる
国民
の方は、まあ五千億円近い金が電電から国に納入されるという
程度
の情報は知っておられると思うんです。しかし、その
電電公社
が独算制というきちっとした
制度
を持っているということについては、大部分の人が知らないのではないだろうかというふうにも思いますね。そこで、
国民
的な感情から言うと、えらいことが起きたものだ。その次に気になりますのは、四千八百億円納入をしても財投から金を借りて国に納入する、そうすると当然利子もつくなと。利子が三千四百億円で、合計で四千八百億円借りた金が最終的に八千二百億円の返還をしなきゃならぬ、そうなりますとこの借金というものが非常に大変な問題だということを改めて感ずるだろうというふうに思うわけです。その次にどういう気持ちが起きるかといいますと、
サービス
は落ちないだろうか、あるいは積極的な
サービス
をこれからどういうふうに考えてくれるだろうか。その次には、電電の経営を相当圧迫するとするならば、料金め値上げということがすぐ頭に浮かんでくる。まあいろんなことがあるんじゃないかというふうに思うわけです。 で、お二人の先生方は、この千二百億円ずつ四千八百億円については
制度
上問題ありと、こういうふうに言われたわけですが、そこで、こういうものの相談というのは国会で一応はやることになるわけですが、
利用者
なり一般
国民
の声をきちっと聞いた上で、そこで
政府
としては
法案
の提出の可否を考えるというのが一番まじめな態度ではないかというふうに思いますけれども、お二人とも
制度
上問題ありと言われたわけでありますので、私が一例として申し上げました
国民
に
意見
を聞く、あるいは
利用者
に十分に
意見
を聞いてというふうな問題についてどういうふうなお考えをお持ちですか、その点最後にお伺いをして終わりたいと思います。
肥後和夫
17
○
参考人
(
肥後和夫
君) まず五十九
年度
までに四千八百億円、年当たり千二百億円の
臨時
納付金
を
納付
するということについてでございますが、私先ほどの
意見陳述
におきましては、結論としては
財政運営
に必要な
財源
の
確保
を図るための
特別
の
措置
であると、それで
電電公社
といえどもこれは
全額政府出資
の
機関
である、したがいまして、
利用者
としての
国民
に対する責任と、それから納税者としての
国民
に対する責任というのがあるわけでございまして、まさにこの
財源
確保
の問題は、その税金を結局取らないかわりに
納付金
を
納付
させるという形になっているわけでございまして、
公共性
の観点からは
臨時
の
措置
としてはやむを得ないのではなかろうか。それで、いまお話ありましたように、
電電公社
法にはその
利益金
を
国庫
に
納付
するというそういう規定がたいわけでございます。規定がたいという点では、やはり
電電公社
のあり方としてきちっと今後御審議をすべき問題が残っているのではなかろうかと、そういう意味で問題があると申し上げたわけでございます。 それで、
国民
に
意見
を聞く必要があるのではないかということでございますが、これはすべてこういう全部所有の
政府
機関
につきましては、
財政民主主義
の立場からこれは
国民
に報告すると、それから
国民
の代表であるところの議会に報告して審議を受けると、こういう二重の意味で公開性の
原則
というものが求められているわけでございますから、筋としてはそのとおりであろうかと思います。で、その場合に、
利用者
としての
国民
と納税者の
国民
という二通りの
国民
に
意見
を聞く、あるいはその代表であられるところの議会で十分に御審議をなさるということであろうかと思うんですが、その場合にやはり実質的な問題としては、今回の
措置
がただ
電電公社
の
負担
にどのぐらいはね返ってくるのか、あるいは経常費のコストにどのぐらいはね返ってくるのかというような問題についての具体的な検討の上で論じられなければならないのではなかろうかと思うんですけれども、確かに
電電公社
の
臨時
の
納付金
は
電電公社
の資本勘定から取り崩して
納付
することになってくると、その資本勘定での利益
積立金
は、これは
電電公社
では結局投資に使っているはずだと。そうしますと、その分は結局穴があいて、結局
電電公社
としては借り入れをしなけりゃならないじゃないか、借り入れをすると、利子を払わなければならないと。利子を払う以上は、経常費の
増加
になるわけでございますから、これは
電電公社
の利用料金にはね返ってくるおそれはないかと。この辺の具体的な議論の上で問題が検討されなければならないと思うんでございますけれども、まあ五十九
年度
までの四年間であるということと、それから利子
負担
は千二百億円に対する金利分でありますから、数百億のベースであろうかと思うんですけれども、これはむしろコストの
負担
としてはきわめてわずかなパーセンテージになるのではなかろうかと。そうしますと、それが
電電公社
の
企業
努力
によって吸収できないほどの
負担
であるかどうかというようなことが、結局検討されなければならないということにたろうかと思います。その場合に、たとえば
政府
が——
電電公社
の側として仮に勝手にたれ流しておいて、そのしりをわれわれが一生懸命
努力
して上げた利益にしわ寄せするのではつまらぬと、余力効率的な経営に
努力
しなくても、どっちみち取られるんならまあいいやというようなふうになるのではないかと。 そういう面で、先ほど穐山先生が御指摘になりましたように、
公共企
業体は
独立採算制
を一応たてまえとして、あるいは理事会の自主的な責任というものを重視するたてまえをとってるんだと、こういう自主的な経営
努力
をさせるというのが、二十七年に
電電公社
が
政府
の官営
事業
から
公社
に編成がえされた最大の理由なんだから、そこはどうだということであろうかと思うんですが、まあその
程度
の問題でありますので、さしあたりは吸収できないようなほどの
負担
ではなかろうと。今回は、とにかく長距離電話の料金等の引色下げと並行して行われることになっているわけでございまして、将来はたとえば、電話需要の
伸び
悩みのような大きな問題を抱えていると思いますが、現在はなお活力があると思いますので、将来の問題はじっくりまた御審議を願うことにいたしまして、当面は一応乗り切れる問題ではなかろうか、そういうふうに考えております。
青木信治
18
○
参考人
(
青木信治
君) 先ほどいただきました御質問に伴う御
意見
にもおありだったと存じますが、今回
日本電信電話公社
に対する
臨時国庫納付金
という案が出てまいりましたあるいは出されました背景といたしまして、私はこのようなことがあるのではないかという声を耳にしている次第でございます。 それは周知のことでございますが、同
公社
における不正経理、経理の乱脈ぶりというものが露呈されたということでございます。それとともに、先ほど御質問された向きからも御発言がございましたが、この
日本電信電話公社
というものを他の
公社
、たとえば日本専売
公社
等とその
制度
において同じ
公社
ということで同一視しているというきらいがあるのではないかというようなことでございます。私は、この点につきまして、同じ
公社
でございますので、ややもすると
利用者
あるいは
国民一般
から誤解されるおそれがあるということは確かであり、御質問の向きと全く同じような憂えを持っている次第でございます。 そこで、すでに現在こうした日空電信電話
公社
に対する
制度
づけがなされているわけでございます。そこにおいて
財源
に窮迫しているということで、これを捻出するために暫定的に
日本電信電話公社
に与えられた本来の性格、
制度
というものをある意味においてゆがめて、そして
臨時国庫納付金
というものを求めるというのは、これは同じ国会において定めました
日本電信電話公社
の
制度
でありますならば、ある面でそうした意味を持って
日本電信電話公社
を
制度
化しておきながら、たまたま
財源不足
であるということでその本来の性格をゆがめるというのは、これは著しい矛盾ではないかと、こんなふうに考えるわけでございます。そして、かつ、仮に
日本電信電話公社
が多大な利益を手にしているということでありますならば、これまでそのように過大な利益をおさめないように管理、監督、指導するということが
政府
において必要だったのではないか。そういう義務、
努力
を怠って、そして仮に過大な利益をせしめていたということであるならば、これは
政府
の責任であるというふうに考えざるを得ません。同時に、もし利益があり余るということであるならば、この電話料金というようなものに対する再検討、そういうようなことが
利用者
によって多くを
財源
的に賄っているところの
日本電信電話公社
のやるべきことであり、また
政府
としてやらすべきことであると、こんなふうに考えている次第でございます。
矢追秀彦
19
○矢追秀彦君 大変御苦労さまでございます。
青木
先生にお伺いをいたしますが、先生はチープガバメントについてかなり深い勉強をされておるようでございますけれども、いま
行政改革
大変やかましく言われまして、五十七
年度予算
編成も
増税
なしで行革によって
財政再建
をやっていきたいと、こう言われておりまして、いろいろ議論が出ておりますし、また第二臨調においてもいろいろこれから討議が行われていくわけですが、そこでお伺いしたいのは、一つは、ただ何でもかでも一律にカットしていくやり方、シーリングなんかもまた言われておりまして、
予算
をふやさない、その枠の中でやれとか、そういうのは往々にして大変よけいなひずみを起こしてしまうということで私は反対でございます。それよりもむしろ、どうしたら本当の節約ができるのかということについて、もっとそういう場づくりをまず先にやった上でその後にカットするならこれはある
程度
わかるんですけれども、いろいろ具体的なことを申し上げますと、たとえば健康保険の
財政
が赤字であるから、だから保険料を上げればいいんだと、あるいはまたお金を援助するのを減らせばいいんだとか、そういう安易なことではなくて、じゃどうしたら余り保険を使わなくて済むように、要するに
国民
の健康が守られていけば自然に地方自治体の
国民
健康保険も実際黒字になっているところもあるんです。地域医療をきちんとしたところは黒字になっておるわけです。何か国保というと赤字と決まっておる、それは間違いでして、そういった点の、じゃ地域医療をどうするかということについてもう少し、むしろ最初は少々お金がかかっても、五年先あるいは十年先にきちんと正常な形になるのであれば私はその方が望ましい、こう思うわけでございます。 まだ、そのほか医療
関係
で申し上げますと、たとえば救急病院というのがございます。これは確かにつくらなければいけません。やらなければいけませんが、現実に救急病院に行っている患者さんの半分は急患ではありません。普通の患者さんが行っている。これは、とにかく近所のお医者さんが診てくれないから、しょうがないから一一九番に電話をして夜中に走っていくというのもあるでしょうし、とにかく税金払っているんだから使わな損だということで使っている人もあるでしょうし、いろいろ千差万別ですが、これもやっぱり私は地域医療がうまくいってない一つの欠陥がそういうことになっている。だから、これを何でも一律カットをすれば救急病院つぶせなんという議論になりますけれども、これは私はもちろん反対ですが、そういう救急病院一つをつくるにしてもそういうこともちゃんと考えた上で、じゃ
規模
はどの
程度
が適正であるのか、その地域医療の中でどうしていくのか、そういうことをやって、総合的といいますか、私は言葉として適当かどうかわかりませんが、
行政改革
をハードでやるんじゃなくてソフトでやれと、
行政改革
ソフト論というようなことを私自身申し上げているわけですが、先生のチープガバメントの考え方、余りよく勉強してはいないんですけれども、そういう将来本当に節約できるものは何なのか、ただ表面にあらわれた数字だけを切るのではなくて、私はそういう場づくりを先にやった上でやるべきだと。いま
二つ
の例を申し上げましたけれども、そういうのはもう山ほどあるわけです。 それからまたもう一つ、補助金の問題についても、現在もう全然眠っておる意味のないような補助金、まあ団体があってそれに対する補助金が出ておる、こういったことは、これは当然見直しをされると思いますけれども、これもへたをすれば、いろんな団体がありますから、
予算編成
のときには圧力団体がしょうちゅう各政党にいろいろ陳情されまして、結局声のでかい方が勝つというふうな結果になってきたのがいままでですから、へたをするとこの補助金だって一律カットということが出てくる。私、そういった点、本当に冷静にきめ細かにこの補助金の見直しもやらないと、ただ一律になれば大変なことになってしまうと思うわけです。また、補助金でも将来返ってくるようなものもあるわけです。科学技術の
関係
であれば将来はそれはもう十分返ってくる、むしろそれが日本の
経済
成長に大きな役に立つ、むしろもう大きなプラスだと、こういうのは私はむしろカットするよりもふやした方がいいんじゃないかと思うんです。そういうふうなことを考えますと、ただ一律的なかたい見方ではいけない、これが私の考えですが、そういった点で先生のチープガバメントの考え方について私のいま申し上げたような点についてどうお考えなのか。 それからもう一つ、所得制限という問題ですが、これも
行政改革
で恐らく出てくると思うんですね。所得制限ということはどうあるべきなのか。私はまあ物によっては所得制限もやむを得ない、しかし物によっては所得制限をしてはならないもの、たとえば教科書の無償配付などは私は所得制限をやるべきではない。子供の世界にまで所得の多い人と少ない人で教科書がただになったり有料になったりするのはちょっとまずい。そうでないもの、もちろん高額の方は実際問題余りお使いにならない、たとえば東京都が今回老人の無料パスを一部カットしました。これなんかは高額所得者の方のパスを遠慮されたわけでして、もう皆さん自家用車を持っておられるような、そういうお金持ちの方の無料バスを取り上げることによって、これは一人大体一万一千円年間かかっていたようですね。これを吸い上げて約六億ぐらい浮いてきたということを私聞いておりますけれども、こういうやり方の所得制限は私はある
程度
やむを得ないと思うわけです。しかし物によっては、いま申し上げたような所得制限を入れることはまずい点があると思います。こういう点で所得制限ということはこれからいろいろ出てきますが、大体どの辺が限界なのか、どういう考え方を
原則
としてやった方がいいのか、その点を
財政再建
ということで伺いたいと思います。 それから、私余り持ち時間ありませんのでついでに申し上げますが、これは
肥後参考人
と
青木参考人
両方にお伺いをしたいんですが、いまも穐山先生の方からお話があって
肥後
先生からも御答弁がございましたが、この
電電公社
の問題ですが、私も当
委員会
でこの間質問したんですが、今回の財確法で五十九
年度
までの四年間ということで、四千八百億
電電公社
から取ってくるという理由で四年間ということがうたわれているわけです。しかし、実際
予算編成
は日本の場合は単
年度
主義になっております。それを
財源
を
確保
しなければならぬという理由、しかも
電電公社
から四千八百億を一遍に取れないから千二百億ずつ四年間という理由だけでここだけ四年間にしておる。もし
財政再建
がうまくいって五十八
年度
でできた場合は、じゃ五十九
年度
もこのとおり取るということになるわけですよね。またそれが仮に延びた場合、
昭和
六十
年度
にずれ込んだと、
財政再建
がうまくいかなかったと、こういうことになりますと、また続いてやるのか。一応「
財政
の中期展望」における五十九
年度
に
特例
債をゼロにするという目標に基づいてこれができてきたと私は思いますけれども、それにしても私はこの四年間ということにしたことについて非常に疑義を感ずるわけでして、特に電電の場合四年に区切ってやってきたということ、それと
予算編成
はやはり毎年毎年であるということ、その年その年にきちんと数字を決めていけば、もし取るのであればそれはできたのではないか、このように考えるわけでして、その点について
肥後
先生とそれから
青木
先生からもお伺いをしたいと思います。 以上、それだけお願いします。
青木信治
20
○
参考人
(
青木信治
君) お
二つ
御質問いただいたわけでございますが、最初に
経費
削減
全般にかかわる御質問に極力お答えしてまいりたいと存じます。
卑見
にわたってまことに恐縮でございますが、これまで
財政
の理論にありましては、
財政
の役割りというものは三つないし四つある。一つは
資源
の最適配分であり、言いかえると公共財の供給、それから第二は所得再分配、第三番目は
経済
安定、それから第四番目として
経済
成長ということを挙げている向きもございます。こういった件は、実は本日御
出席
の
肥後参考人
がきわめて御造詣が深くていらっしゃるわけで、私のごときが申し上げるのははなはだおこがましい次第でございますが、そこで私は、とりわけ
資源
の最適配分、公共財の供給、それから所得再分配、
経済
安定というものがお互いに牽制することなく、あるいは他をゆがめることなく行うことができるかという点について、きわめて疑問を持っているわけでございます。 そこで私は、本来最初
財政
の役割りとして備えられていたところの
資源
の最適配分、言いかえますと、公共財の供給という使命が最も一大市民社会においては少なくとも重要な役割りなのではないかと、かように存じております。つまり納税者一般あるいは
貢納
者一般が利用するもの、そういうものを納税者あるいは
貢納
者全体の拠出によって供給するというのが望ましいのではないかと思うわけでしございます。しかしながら、御存じのとおり所得再分配という貧者に対する、弱者に対する救済、あるいは弱者あるいは貧者の転落防止といったような
措置
、さらにはその所得の平等化ということ、こういうことの念願というものも考えないわけにはいかないというふうにも思います。 しかしながら、これまで特にこういった
二つ
の役割りを犠牲にしても、
経済
安定という名の
もと
にいたずらに景気浮揚のための政策が最重視され、その
もと
にとりわけ
資源
の最適配分ということ、公共財の適正な供給ということがないがしろにされてきたのではなかろうかと、こんなふうに考える次第でございまして、この際は、まず公共財の適正供給という原点に戻って
財政
の役割りを考えてみる必要がありはしないかと存ずるわけでございます。 そこで、
経費節減
、
削減
すべき
経費
についてでございますが、すでにわが国におきましてはそれほど深刻な
経済
不況にもありませんしいたしますれば、一層
経費
のうちに繰り込まれておりますところの産業保護育成費といったようなたぐいのものはまずもってこの見直しの対象になると、こんなふうに考えております。また同時に、それに伴うところの補助金、これは第一番目に
削減
されていってしかるべきものではないかと、こんなふうに考えております。 それから、ただいま福祉問題に関しましても御発言、御質問いただいたわけでございますが、とりわけ私は、福祉
予算
にありましてはどうしてもこのあたりは認めざるを得ない、あるいは積極的にこれはつけていただかざるを得ないだろうという点は、ただいまも触れましたとおり、現に貧困状態にある弱者、そういう者の救済ということは、これはやはり最優先されなければならないのではないか。それから、それに次いで貧困への転落見込みといった弱い、たとえば今回税制改正に盛られましたところの父子家庭という——父子家庭の母子家庭に準じた優遇税制、そういうようなものはその後に来るのではなかろうかというふうに思っております。そしてこの所得の不平等是正ということ、これは
もと
より望ましいことではございますけれども、このことは他面、
努力
して、そしてそれ相応の所得を得た者、そういう者の勤労意欲をそぐというような結果にまでなる所得平等化というものは、少なくともこの一大社会におきましてはまた考え直さなければならないのではないかと、このように思っているものであります。 続きまして、
電電公社
の今回の
臨時国庫納付金
というものを五十六
年度
から四
会計年度
にわたって求めるということの問題に関する御質問のお答えに入りたいと思います。 これはまことに、私もただいまの御質問傾聴に値するものと思っていまして、敬意を表せざるを得ない感に打たれております。このような四
会計年度
にわたる
負担
を求めるということは、これは
経費
における継続費の裏返したようなものだというふうに考えることができ、これはある意味では
財政民主主義
に
もと
る
措置
であろうかと、こんなふうに考えます。
肥後和夫
21
○
参考人
(
肥後和夫
君) 私に対する御質問は
電電公社
の問題だけであると理解しておりますので、この点についてお答えしたいと思います。 まず最初に、先ほども申しましたけれども、
電電公社
から
臨時
にせよ
納付金
を取るということが問題にはならないのかどうかという点から考えてみたいと思うんですけれども、先ほども触れましたが、三
公社
のうちで日本専売
公社
は、専売
事業
の健全にして能率的な実施を図るという目的でございますから、最初から
財政収入
を
確保
することが目的で
公共企
業体になっているわけでございますが、国鉄と電電二
公社
の場合には、
納付金
制度
は
法律
の条文に規定されていないわけでございます。あとたとえば
中央競馬会
でありますとか、ここで問題になっている
輸開銀
とかそのほかの
政府関係機関
については
納付
制度
があるということになっているわけです。 そういう点で
電電公社
の問題が注目されるわけでございますけれども、国鉄についてそれじゃ
納付金
制度
がない、
独立採算制
を
原則
としている。しかし補助金を五、六千億毎年
一般会計
から支出しているのですが、それでも赤字が出ている。その赤字が出たときに——一兆円、九千億ぐらいの赤字が経常収支で出ているわけですが、それはほっておけるかということになりますと、最終的にこれは
政府
が責任を持っている
公共企
業体であるから、最終的には
政府
が何かめんどう見なければならないということになっているわけでございまして、
電電公社
の場合はその逆でありますから、最終的には、やはり
政府
の政策を遂行する手段として、特定の
サービス
を
企業
体形式で供給するように設立されているものだというふうに理解するわけでございまして、公共政策を遂行する手段であるという点で
公共性
がある。 それで先ほども申しましたように、
国民
にいい
サービス
を安く供給するという責任とそれから納税者としての責任、最終的にうまくいかなかったらこれは
政府
がその損失をかぶらなければならないという意味でやはりその責任があるということでありますから、今回の
措置
はあくまでも
特例公債
を二兆円減らすことを何が何でもやると、とにかく
公債
を減らすことが
財政
の健全化にとって最優先の課題だという、その政策の
方針
から、そうしてみたところが結局は金が足りない。それで
増税
について
国民
の
合意
を得られる限度は一兆三千億
程度
であると、しかも
政府
が前に期待しておりましたような一般消費税は
国民
に拒否された。それで今度は
経費
を削れるかということになりますと、いま真剣に取り組んでいられますから今後を期待したいと思いますが、いままでのところではこの
程度
でしかない。それで金が足りなくなったわけですから、とにかくどこかにないかということになったら、
電電公社
は相当な収益を上げているということになったのであろうと思います。でありますから、結局は
財政
がまだしっかりしないでたれ流しているしりが
電電公社
に来たわけでございますが、そういう意味で、いずれにしても
公共企
業体であり
企業
の自主的な責任というものを尊重しなければならない、そういったてまえの経営
形態
ではありますけれども、最終的には
政府
の政策遂行の手段であるという
公共性
からいって絶対にそういうことは認められないというわけでもない。 ただ、やはりずるずると
一般会計
の赤字のたれ流し分を
企業
体で収益の上がっているところから取るというのでは、これはけじめがつかないわけでございますから、その辺のけじめはしっかりとおつけになられるように今後御審議を願いたいわけですが、そのあり方の問題として。当面は仕方がないというのが先ほどのやむを得ないだろうと、それで絶対にそれはいけないというわけの、そこまで言い切れるようなものでもないんじゃないか。ただ
財政
規律がきちんと確立いたしませんと、いつまでもだらだらと無
原則
にそういう
納付
が続くということになりますと、これはそういう
公共企
業体の効率的な経営というもう一つの基準から見て問題が出てくる、そういう意味でいま御質問にありましたような懸念に対しては十分に慎重でなければならないと思います。
近藤忠孝
22
○近藤忠孝君 両
参考人
にお伺いしますが、日本銀行法によりますと、
発行
日銀券に見合う資産を積んでおかなければならないということになっているわけですね。ところがその約八十何%は
国債
なんですね。一方
国債
の増発が日銀券の増発につながるということも、直接じゃないにしても言われているわけですね。その点見てみますと、
国債
を増発して札がふえた、その札束に見合う財産が
国債
だとしますと、何かこれおかしいんではないか。となりますと、これは結局日銀券の規定の空文化になってしまうんじゃないか、その点で両先生がもし問題をお感じになるかどうか、いかがでしょうか。
肥後和夫
23
○
参考人
(
肥後和夫
君) 現在日本銀行法でも
財政
法でも
国債
を日本銀行に引き受けさしてはならない、
国債
を
発行
するのはあくまでも市中消化の
原則
に基づいて行われなければならないということにたっております。ただ、日本銀行としましては、適正な通貨の供給を図って、一応通貨価値の維持その他適正な金融行政に責任を持っているわけでございます。その関連で、たとえば公開市場操作というのはこれはあくまでも通貨供給コントロールの重要な、いま一番
中心
になっている手段である。したがって、通貨の供給が足りない場合には市中から買い入れて通貨の供給をふやす、あるいは市中に過剰流動性がある場合には
国債
を売ってそして通貨を吸収すると。その場合の買った
国債
は確かに資産になるわけでございますが、これは市場性があるところの
国債
であるということなのではなかろうかと思います。でございますので、やはり最終的には通貨政策が、
財政
の
運営
が不健全であるために結局そのしりぬぐいをするような形になっているとすれば、これは問題であるというような見地から結局判断するよりほかはないのではなかろうか。確かに御心配になりますように、たてまえとして市中消化の
原則
の
もと
に
国債
は
発行
されるわけでございますけれども、しかしいろいろな手管を使いませば、実質的には日銀引き受けの
公債発行
のような
内容
になるおそれもあるわけでございますので、要はやはり、そういうような形にならないように
財政
の規律を確立するということになってくるのではなかろうかと、そう思います。
青木信治
24
○
参考人
(
青木信治
君)
国債
の所有
形態
をめぐっての御質問のように承りましたのですけれども、本来
国債
というものを仮に
発行
するといたしましたならば、これはただいま
肥後参考人
からも御発言ございましたが、一般市中にそれを求められなければならないと、そういう少なくとも可能性がない場合は
発行
すべき道理がないと、こんなふうに考えられるわけでございます。ところが御質問の向きの御指摘あるいは示唆にもございましたけれども、現に本
委員会
の調査室でおつくりになりました
参考
資料を拝見いたしましても、わが国の
国債
の所有者構成比では
政府
及び中央銀行のそれが何と三二・二%にも上っているという実情でございます。こういったことは
国債
の消化の予期以上の不健全
状況
を示しているのではないかと、このように思う次第でございます。
近藤忠孝
25
○近藤忠孝君 それから次には償還の問題ですが、六十分の一ずつ返しているわけですね。建設
公債
については借りかえでまたさらにどんどん
伸び
ていくという点が問題なんですが、それは別として、特に赤字
公債
の場合、六十分の一ずつしか返しませんから十年たっても要するに六十分の十ですね。そうするとあと一遍に返さなきゃいかぬ。そのことが一定の時期から物すごい
国債費
になっていくわけです。だからこの点ではむしろ赤字
国債
などについては、まあ
発行
しないのが一番いいんですが、どうしても
発行
する場合には償還についても十分の一ということを義務づける必要があるんじゃなかろうかと思うんですが、両先生の御見解を賜りたいと思います。
肥後和夫
26
○
参考人
(
肥後和夫
君) ちょっと恐縮でございますが、ちょっと御質問の……
近藤忠孝
27
○近藤忠孝君 要するに赤字
公債
について、六十分の一ずつしか返さないわけですね。だから十年後に今度一遍にあと残った六十分の五十を返すわけですね。それが一挙に
国債費
の
増大
になって、だから私思うには、
もと
もと
そういうような借り方自身がもう問題だと思うんですが、もしもそれがやむを得ないとすれば、特に
肥後参考人
はやむを得ないというお考えのようですが、とすれば、今度償還
制度
について十分の一ずつ毎年返す、そうすれば十年でたまってくるわけですね。そういうことをむしろ義務づける必要があるんじゃなかろうか、そして初めて赤字
公債
の
発行
を認めるべきだというふうに思うんですが、その点いかがですか。
肥後和夫
28
○
参考人
(
肥後和夫
君) その御質問の点では、私まだ十分にどうも自信のある結論を持っておりませんので、また勉強さしていただきたいと思います。
青木信治
29
○
参考人
(
青木信治
君) 償還の仕方でございますが、ただいま認められつつあるところの償還
方法
のままでは御質問の向きの御憂慮どおりだろうと私も同感でございます。 そこで、ただいまも御提案がございましたけれども、最低そういった一〇%を義務づけるという
措置
、これは大いに考慮に値するのではないかと、かように存じております。ではございますが、その前に、先ほど来申し述べさしていただいておりますとおり、
経費
の大幅な
削減
ということを一層推し進めお考えいただきまして、それとあわせて改めてこの償還
方法
というものを再検討していただきまして、そしてただいまお示しなされたところの率というものは、そうした中において最低限のものなんだという線で御推進いただければはなはだ幸いに存じます。
近藤忠孝
30
○近藤忠孝君 結構です。
三治重信
31
○三治重信君 どうも御苦労さまです。 一つだけお伺いいたしますのですが、この
特例公債
を出すようになったのは景気回復のために出すということになったわけですが、それが年々続いて、まあいまとなってこれを減らすのに四苦八苦しているわけなんですが、そうしますと、ケインズ的な政策で景気回復のために
財政
政策を積極的に使っていく。これはいわゆる建設
公債
だろうが赤字
公債
だろうが
財政
の積極的な支出をやっていく、まあ景気回復のためには結局税金を取るよりかそういう
公債
で賄って景気回復を図ると。この線に乗って日本
政府
も第一次ショックをやってきたわけなんです。しかし、いざやって何とか物すごい景気の停滞をある
程度
救った、景気回復の任務はやったと。しかしながら、今度はその後の減らすのに今日四苦八苦しているわけなんですね。そういうことからいって、御両所の先生は、やはりやってよかったんだと、しかしもう一度これを減らすことに積極的に考えたらどうかというのか、こういうような状態だから、やはりなかなかその言うことはうまく言っても実際には
財政
政策というものでそう
経済
をうまく動かせるものじゃないんだからやめた方がいいと、こういうふうに考えられるのか、これは単純な御質問なんですが、そういういまの赤字
公債
や
財政再建
についての見通しの、みんなやらにゃいかぬということはわかっていてもなかなかできぬというところを見て、どういうふうにしていったらいいか、またこれに対して御批判があったら簡単で結構でございますが一言サゼスチョンいただければありがたい、御
意見
をいただければありがたいと思います。
肥後和夫
32
○
参考人
(
肥後和夫
君) 石油ショックの後の狂乱物価のときに総需要
抑制
政策をやってそして一応物価を鎮静化させたところが、今度は失業問題あるいは構造不況業種の問題、非常に経営の困難な問題が出てきた。そこで当時の
状況
として積極的な
公債発行
をして景気浮揚を図った。その中で
企業
が減量経営に
努力
をしてそしてそれがやがて軌道に乗ってきた。労働組合の賃上げも大体
経済
的に合理的な線の中におさまった。そういうことで
経済
が活力を回復しました段階で、今度は
公債
を減らすべきであるというのがフィスカルポリシーの理論であるわけでございますが、これはもう政治の場の中でよくおわかりになって、あるいは痛感しておいでになられることと思いますけれども、私どもの方ではフィスカルポリシーといっても、どうも提案した学者は、不景気のときに
公債
を出すのが容易であると同様に好況になったときに減らすのも容易だという前提で理論を組み立てていたわけですが、どうも実際は非対照的で、不況のときには
発行
しやすいけれども、好況のときには
経費
を
抑制
しあるいは
公債
を減らす、あるいは
増税
するということは非常にむずかしいということがまあ世事に疎い学者の間でもよくわかってきたということであろうかと思います。 で、いまは景気なのか不景気なのか、不景気であれば景気政策という観点から言えば、これは景気を冷やし過ぎないようにしなければならない。ところが、実際の判断ではそこが一番むずかしいところでございまして、たとえ失業率一つとっても非常にあいまいな問題が残っているということであろうかと思います。としますと、ある
程度
そのときどきの景気にきめ細かい対応をするという
財政運営
のほかに、もう少し中長期的な視野でやはり
財政
のあり方を筋の問題として考えていくというような
運営
のあり方というのが必要なのではなかろうか、そういう面で申しますと、やはり現在
公債
を減らしておく、そういうふうなむしろ中長期的な
財政
規律の観点からむしろ減らしておくということが将来本当にこの
経済
の困難が生じたときに
財政
が下支えに動く力が出てくるわけでありますので、やはりそういう意味では
財政
の健全化あるいは
財政運営
の規律を、この際、民間の
経済
も世界各国から比べれば非常にいい
状況
の中でできるだけ早く確立する、いまをおいてまだもっとよくなるようなときがあるのかということになりますと、これはいつの時期になっても細かい点では決着のつかないような、判断の分かれるような
状況
が出てくるのではないかと思いますので、そういうことで
財政再建
ということを現在重点的な課題にして体質を改善しておくことが将来の老齢化社会に向けての対応をうまくやっていける、あるいはそういうことで
経済
の正常な
発展
にも寄与する道になるんじゃないか、そういうような角度で考えているわけでございます。
青木信治
33
○
参考人
(
青木信治
君) まず、景気浮揚のための
財政
政策というものがどの
程度
の意味をこれまで示し、それから同時に、景気浮揚のためのあるいはさらには景気循環のための
財政
政策というものを考えていくべきだろうかという御質問のように受けとめたわけでございますが、まず先ごろまで続き、また先ごろ終了したというふうに言い伝えられております戦後最大の不況でございますが、長期景気停滞でございますが、これの何彼にそうした
財政
の介入がどの
程度
貢献したものであるかという点については、すでに各種の御
意見
が出てきているわけでございますが、私はそうした不況脱出に必ずしも伝えられているように
財政
政策が大きな貢献をなしたというふうに決めつけることは非常に問題ではなかろうか、むしろ民間における自立回復機能というものの方に力があったやに受けとめているわけでございます。 そして、景気循環のための、景気調整のための
財政
政策というものでございますが、これの
問題点
、いささか申しづらい個所でございますが、政治的な配慮によるところの影響、そういうようなもの、これも非常に大きな問題だろうと思いますけれども、景気浮揚のための
財政
政策そのものの中にも問題があって意外な結果を生んでいる。とりわけ
公債
の
発行
につながるような大きな問題、それは私はこの景気浮揚のためのたとえば公共
事業
などというものの振興が同時に
国民
経済
的に見て必要不可欠であるというものを充足するためにもなるということであるならば、ある
程度
の評価ができると思うわけでございますが、景気回復が優先かあるいは
資源
の最適配分が優先かというような立場に立ちました場合、不況克服という声が高くて、この
資源
の最適配分、言いかえますと公共財の適正な供給という面がないがしろにされてきた。また、こういう景気浮揚のための
財政
政策を評価した場合、そういう傾向をたどるのは必然的なものではなかろうか、こんなふうに考えまして、先ほどの御質問に対するお答えでもいたしましたとおり、私はこの景気調整のための
財政
政策というものはこの際大いに検討し直す必要があるのではないか、そうでなければ、先ほど私が申し述べさせていただきました
卑見
であるところの
安上がり
の
政府
というようなものはどだい絵にかいたもちに終わってしまう、このように考えている次第でございます。
藤井裕久
34
○
藤井
裕久君 きょうはどうもお忙しいところ大変ありがとうございました。与党で余り時間にやれというので、大変短い時間で恐縮でございますが、先ほど来のお話で、また広く議論になっている
財政再建
、それはやっぱりむだを省いて
国民
に
負担
を求めないような形でやらなきゃたらぬ。私は事実むだも大変あると思います。ところが、どうも国会の議論なんかでもそこでみんな終わっちゃっているんですね。むだを省け、そして
国民
に
負担
を求めるな、それが
財政再建
。私は実はそこがちょっとさびしいと思うんで、本当はこれから十年先なり二十年先の
財政
の姿ですね。これは
国民
経済
の中でどういう位置を与えるかとか、
国民生活
の中にどれだけの影響を持たせるような
財政
があるべき姿なのか、これを本当は議論しないでごちゃごちゃ言っているのは私は中途半端だと思っております。 そこで、先生方の御
意見
で片りんとして、
青木
先生はどちらかというと
安上がり
ということを主張されたように思います。
肥後
先生はどちらかというと、長い将来においては
国民
の理解が得られるならばという御感触に承りました。 現に日本の一般
政府
支出というのは、
国民
経済
計算でいうと三〇%そこそこできわめて低いわけでございますね。ヨーロッパが四十数%だろうと思います。その中でむしろ公共投資というか、
政府
の固定資本形成は日本が非常に高くて、
政府
消費の方が非常に低い、こういう形になっているんだと思います。公共投資というか、
政府
固定資本形成というのは、これは蓄積ですから、だんだん落ちてくると思うんですね。その穴というか、それに対して消費支出、具体的には私は福祉とか文教とか、そういう政策だと思います、その
大半
をなすものは。これはいまの国の
一般会計
の
状況
、補助金の
状況
を見てもみんなそれははっきり出ていると思うんです。そこで、いまのところはどうやらまだ
人口老齢化
が進んでいないとか、年金が成熟していないとかいうようなことで何とかやりくりしているわけですが、ヨーロッパ並みの福祉ということ、ヨーロッパ並みの行政というものをやっていけば当然ヨーロッパ並みの
負担
になっていくということになるし、
安上がり
の
政府
というのは私は絵にかいたもちだと思います。口だけの話だと思います。そこで、やっぱり長い将来は
財政
の機能というのはそうなっていくのかなというようなあたりと、まあ
安上がり
ということを非常に主張すれば、私は先進諸国がたどった道に対して新しい挑戦をする形になるんだと思うんですね。非常にヨーロッパ並みでやれ、やれということに対しても敢然と挑戦して初めてそういう
政府
ができるんじゃないかと思うんですが、そこいらについての端的な御
意見
ありましたらお聞かせいただきたいということが一つ。 もう一つは、目先の問題で、
経済
界が来年は二兆八千億ぐらいの金は浮くんだという話を、これはまとめたかどうかは知らないんですが、新聞でよく出てきます。その中身もまた漏れ聞くと、相当額を交付税率の引き下げということに期待しているように出ておるわけでございます。現にラスパイレスなんかで見て、地方公務員の方がよりルーズだとか、いろんな問題からそういう議論がある反面、実はきょう本会議で
地方交付税
の議論が出たら、むしろ交付税率を上げろなんという議論の方が多いわけなんでございますね。こういうものは一体どういうふうにお考えになっているか、もしこれは御
意見
があればで結構でございますが、交付税率を動かすということが
財政再建
の対策としてどういうふうにお考えかということ、その二点だけお伺いいたしたいと思います。 どうもありがとうございました。
肥後和夫
35
○
参考人
(
肥後和夫
君) それでは、非常に大きな問題の提起をいただいたわけでございますが、この点につきまして、いまは確かに諸外国と比べて小さな
政府
になっておりますけれども、現行
制度
でいきますと、たとえば老齢化が進んだだけでも、現行
制度
のままでいったら結局は、たとえば
昭和
七十五年ごろにいまの西ドイツ並みになってしまうということでございますし、そうなれば
サービス
がいまのとおりであれば結局
収入
も西ドイツ並みに上がらなけりゃやっていけないわけでございますので、そういう意味で潜在的には
藤井
先生のおっしゃいますように大きな
政府
にもなっているというふうに思うわけでございます。 それで、いろいろ
社会保障
財政
の本も読んでいるわけでございますが、アメリカの議論の中で、たとえば健康保険なら健康保険については結局六十五歳以上の年金受給者とか障害者しか対象にしていないんですが、それでもかなり医療費のGNP比率が高いんですけれども、まだアメリカはヨーロッパまでにはいってないと、そういう意味で選択の余地がまだ残っているんだと、いまのうちに考えなけりゃならぬじゃないかと、こういうような議論があります。 同じような問題は日本にもあると思うんですが、先ほども申したことですけれども、ただ一段
歳出
の増分の中でもうすでに
社会保障費
の増分が半分以上になっておりまして、それだけでも大きな
負担
になると。ところが、これからたとえば、年寄りはあと二十数年の後にいまの二倍にふえるわけでございますし、医療、年金の費用が急速にふえていくというようなことでありますと、
現状
ではどうもいまの
財政
フレーム
ではやっていけないなという感じがするわけでございまして、そういたしますと、一つはやはり
国民
の生活を守ることが
政府
の究極の責任であるわけでございますから、
国民
の生活を守っていくという
姿勢
はきちっと堅持しながら、可能な
財源
の中で
経済
の効率、活力を維持しながらどうやってやっていくのかということを真剣に考えていかなけりゃならない。たとえば、厚生年金一つをとってみましても、長い目で見ますといまやもう計算が合ってない、
国民
年金ももうすでにおかしくなってきているわけでございますから、事実計算が合っていないという
現状
を踏まえて、計算が合うようにするにはどうしたらいいかということは考えていかなければならないのではなかろうかと思います。 ただ、たとえば日本型福祉社会ということを苦し紛れに言い出していますけれども、どうもあれも私、ひとつまだよくわからないんですね。たとえば東京のようなところで、家族が少ないところで、年寄りは長生きするんですが、長生きしてもうろくし始めて失禁が起こってきますと、もう小人数の家族ではどうしようもないというような事態が起こってきます。さしあたり、それはデー
サービス
を強化するとかということも必要ですけれども、これだけで果たしていけるかどうか。そういうような問題もありますし、たとえば一方では病院や診療所がお年寄りのサロンになっていると、医療
資源
の浪費が事実発生している、あるいは乱診、乱療が行われているという面もございます。これらを含めて福祉のあり方、まあやはり
財政
の中で一番大きなのは
社会保障
の問題、次は教育の問題だろうと思うんですが、この辺のあり方はやはり長期的な視野から、いまでは計算が合ってないということを踏まえた上で検討しなくちゃならないんじゃないかということは考えます。 次に、交付税率の問題ですが、これは確かに御指摘もありましたように、そして私も
参考
意見
の陳述の中で申しましたが、税収がふえてもあるいは
増税
をしても、結局
国債費
と
地方交付税
を差し引けば残りは幾らにもならない。結局
消費者物価
上昇分を
一般歳出
の増に充てることもできない
状況
であるわけでございますが、そうすると一方では、交付税は所得税、法人税、酒税の三二%ということになっているわけで、その割合でふえている。その割合でふえているんですから、ある面では交付税率の
負担
が重いのか、あるいは
国債費
がふえ過ぎだから
財政
に無理があったのか、その辺のところもいろいろ
意見
が分かれるんじゃないか。それから、
政府
がやはり一方ではむだを省くということがありますし、それから東京都の
財政再建
に私関与しましたときに、やはりいろいろ考えましたのは、都でやることと、それから区や市町村でやることと、それから一般の都民に自前でやっていただくことと、その辺をきちんとすると、そういう意味で都が抱え込んでいる仕事を少しやはりおろすということも必要だと。そういうような問題にぶつかったわけでございますが、国と地方の間でもやはりそういう問題があるわけでございますので、この問題は、確かに国の
財政
から見るといま
負担
にたっているわけでございますが、なかなか簡単に結論を出しにくい。国の立場からの言い分もありましょうし、地方の立場から国の仕事を地方におろしなさいと。おろせば結局その
財源
は、本来の税でもらうか交付税率でもらうか
二つ
しかない。税でもらうと
経済
力の格差が反映しまして、実際にはもらえないところもあるわけですから、交付税にある
程度
依存しなけりゃならないという問題もあるというようなことになりますので、ここのところは、やはりかなりその双方の立場をぶつけ合って、
意見
が熟するのを待たないことには簡単に結論が出しにくいと思っておるわけでございます。
青木信治
36
○
参考人
(
青木信治
君) 御質問の向きにおかせられましては、御
意見
とされまして大きな国、大国と申しますか、そういう国は勢い大きな
政府
を持つというのが必然的な傾向あるいはしかるべき
形態
であるというやに私は承ったわけでございますが、しかし、より長い歴史を振り返りますと、むしろ文明化するにつれて
安上がり
の
政府
化しているというのが実情ではないかと私は認識している次第でございます。 そこで未来像でございますが、それにつきましては、先ほど来るる申し述べてまいりましたけれども、やはりわが国のようだ自由
経済
体制の
もと
に行く国においては、できるだけ
国民
の自由な選択に国の
資源
というものをゆだねるということが望まれるし、同時に文明化の線にも沿うことになるのではないかと、このように思っております。 もう一つの
地方交付税
率についてでございますが、これも、先ほど御質問の向きのお言葉の中にも示されているわけでございますが、地方の
財政
ももちろん問題であろうかと思います。とかく、ある評論のものといたしまして、国は悪で地方は善だと、地方の時代であるというようなきわめて評価に値しない
意見
が多いわけでございますが、そういった
意見
に支えられたところの
地方交付税
の引き上げというものは、これは問題にならないのではないかと思います。 そこで、
地方交付税
率をどうするかというような問題でございますが、これには私は、まず現在におけるところの国と地方との間の
資源
の配分、従来どおりのままでよろしいかどうかということの再検討、たとえて申しまするならば国と地方の事務配分、これはこれでよろしいのか、また国と地方の
経費
の配分のあり方、これでよろしいのか、そうしてまた、国と地方の
財源
の配分はこれでいいのかというような点につきまして、より十分な議論が行われて、そうした国と地方との
資源
の配分の十分な認識の
もと
において初めて
地方交付税
率をどうすべきかということに関する
意見
が生まれてくるのではないかと、かように存じている次第でございます。
中村太郎
37
○
委員長
(
中村太郎
君) 以上で
参考人
に対する質疑は終了いたしました。
参考人
の方には、長時間にわたり本
委員会
に御
出席
を賜り貴重な御
意見
をお述べいただきまして、まことにありがとうございます。重ねて厚く御礼申し上げます。 本日はこれにて散会いたします。 午後三時三十六分散会