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山田耕三郎君 ただいまお答えがありましたように、戦争に起因する寡婦についてはまだまだ見るべき面はありますと思いますけれ
ども、一般的に寡婦福祉施策はきわめて劣悪な
状態にありますと思います。
私はここで、私が当面をいたしてまいりました実際のお話を申し上げさせていただいて、当局の認識を深めていただきたいと思います。
こういったことから、寡婦の社会的立場をもっと政治が守ってくれるようにということから、各地で寡婦の権利を拡張をしていくための集会が持たれております。私がたまたま参画をいたしました
一つの集会で、年のころなれば五十を一、二過ぎたのではないかと思われる方が体験発表をなさいました。その方の話はこういうことでございます。
私は、結婚をいたしまして三カ月で主人は召されて戦場に参りました。白米、帰らない人となってしまいました。せん方なく私は夫の母と同居をすることになりました。再婚をする機会もなしにこの年を迎えましたし、母も寄る年波には勝てず、すでに他界をされました。そういった私に、最近大家さんから家をあげてほしいというお達してございます。長年お世話になりました、しかも息子さんの嫁をとられるための
必要性からの要請でもあります。私はそのことを聞かなければならないと思いまして、借家を探しました。けれ
ども、女の細腕で母を抱えて生活をしてまいりました私には、高い権利金や礼金を支払って借家を借り入れるだけの資力はございませんでした。せめて公営住宅にでもお世話になりだいということから、市役所の窓をたたきました。担当の方のせいではないということがわかりながらも、そのむごい言葉には私はとるべき手段を
考えることができませんでした。その担当の方の言葉は次のような言葉でありました。一人暮らしの婦人には公営住宅に入る資格がありませんということであります。抽せんに漏れたのであれば、次の抽せんにまたかかることができるかもしれません。けれ
ども、当初から資格がないであってはどうしてその望みを達することができるのでしょうか。私は好んで一人で暮らしておるのではありません。私の夫をお国が召し上げていったのではございませんか。だれだって人生に生まれてきたら、最愛の夫と子供をはさんで家庭の団らんを楽しむささやかな願いぐらいは味わって人生を終わりたいものです。私にはもうそういう機会もありません。その私のささやかな公営住宅に入れていただきたいという願いも、
根底から崩してしまうように資格を取り上げてしまっております。私はどうしたらよろしいのでしょうか。
という訴えでありました。私は帰りまして、私の町にもそういう人がいるのではないかということを
調査をいたしました。同じようにおいでになります。
政府に公営住宅法の
改正を地方の立場からお願いをしてまいりました。それで解決をいたしませんから、いたし方がなしに、それでは町でそういった御婦人の要請にこたえる施策を行おう、
予算費目は寡婦福祉住宅というのを起こしまして、わずかに七戸ではありましたけれ
ども、五年前にそれをつくりました。そして今日また新しく十戸が完成をしようといたしております。二十二万の都市で十七戸でその要望にこたえ切れるものではないとは思いますけれ
ども、そういった行政の対応があるということでさえあれば、当たらない方でもまた救われるという期待を持たれるに違いない。そのことが政治なのではないか。こういったことで対応をいたしてまいりました。幸い
政府におきましても、建設省所管の公営住宅に関する法律の
改正が行われました。そして昨年の十月から、
制度の上では公営住宅に独居婦人も入れるようになりました。調べてみましたけれ
ども、多くの町ではそのような条例
改正が行われておりましても、実際にその恩恵に浴して入居された方は皆無であります町がほとんどです。なぜそうなりますのか、これは単身の婦人の職業の問題があります。そういったことからして当然通勤条件が必要であります。そのようなことから、一般住宅施策ではとても対応できるものではありません。これは福祉の立場からの住宅施策で対応をしていかないと、この方々の要望にこたえることができない、私はそのように感じ取っております。いまここで
厚生省として直ちにどうということの御判断はむずかしいと思いますけれ
ども、以上私が申し述べましたこの実話の中から、政治はどう対応していくべきか、そういったことについての御
見解を承りたいと存じます。