○
山田耕三郎君 私は同和問題を通じて
政府の
雇用対策についてただしたいと思います。
まず、それまでに一般的問題として同和
対策事業特別措置法が施行以来十二カ年の経過を顧みまして、特に地方
行政の場における体験を踏まえて、今後の
政府の同和
行政をただす立場から
お尋ねをいたします。
私は今日までに、
政府筋からも、また同和問題の理解者と思われる人たちからも次のことをよく耳にいたしました。
その
一つは、地方は運動側の言いなりになって同和
行政を進めており、その財政負担が一般
行政を圧迫しておるとのことでございます。果たしてそうなのだろうか。このことについて若干申し述べさしていただきます。
いま部落の
実態的差別をなくするという立場から、
環境改善事業を中心としての諸
施策が行われております。その
事業の中心は住宅改良にあります。小集落
事業、さらには住宅改良法によります住宅
改善が、投資されます財政負担の約半額を占めておることからして、その
事業がいかに大きいかが御理解をいただけると思います。この措置法によりますと、諸
事業を通じて市町村は総
事業費の十五分の一を負担すればよろしいというのが一般の通説です。けれ
ども、現実は市町村が総
事業費の半分、国と府県で半分を持たれるというのが
実態でありますと私は思っております。なぜそういうことになるのか。その住宅改良
一つとってみましても、不良住宅を除却をするために住宅や宅地を買収をいたします。住宅は不良でありますから、買収
価格には限度がございます。ただ、問題なのは宅地であります。措置法に定められるところは坪当たり単価十五万円を限度としておいでになります。ところが、実際にその
事業を進めていく市町村にとりましては、村落地帯へ行けばこれは五万円で買収はできます、しかし、市街地へ入ってくれば三十万円を必要といたします。五万円の場合は十五万の限度内でありますから規定に従いまして国、県、市町村が負担をいたします。三十万円の場合は限度を超えます十五万円の金額は市町村負担であります。ですから、こういった場合には全体の六割から七割の負担を背負わなければならない、こういう
実態があります。したがって、市町村の財政負担が多いということは、言いなりになっておるからの結果ではなしに、
制度的にそのようにならざるを得ない面もありますということを理解をいただきたい。
二つ目の問題は、濃密
行政という名のもとに過剰サービスをして、財政の負担を過重化しておるのではないかという意見であります。それもあるいは当たっておるかもしれませんけれ
ども、こういった
実態もあります。いまの改良住宅で申し上げますと、規定に従いますれば一住宅当たりの敷地面積は四十坪であります。都市
生活なれば今日四十坪でぜいたくは言えません。けれ
ども、村落地帯で営農をする個々の家庭にとってみますと、大型農機具は共同作業場で収納をいたします。しかしながら種子でありますとか小型の農機具や農具を収容するものが必要になってまいります。どうしても納屋を建てさしてほしい。そうしますと四十坪ではいかなくなります、私の方では六十坪という、二十坪の上乗せをいたしました。その場合、上乗せをした分は市町村の全額の負担になってしまいます。二十年先、三十年先、農村スラムをつくらないでおこうとすれば、これもまた万やむを得ない措置なのではないかとわれわれは考えております。濃密
行政を一概に否定することができないということを知っていただくために申し上げました。
こういう心ない言葉が吐かれていきますがために、一般地区の人たちは、同和地区に多額の財政投資がされるからわれわれが犠牲になってくる。だから、こういったことから逆差別という言葉が生まれてまいります。しかも最近の差別事象の中で、日の出の住民はこれを消せという激越な差別文句まで落書きをされておるという
実態でありますけれ
ども、だれが責任だということでなしに、この
実態を知っていただいて、
関係者みんなで真の解放へ向かって
努力をしていかなければならない、このように私は思います。
もう
一つの問題は、こういうこともよく耳にいたします。たとえば、われわれは差別をしておらない、差別はむしろ地区の内部から生産をしておるのではないかという言葉であります。これは重要な言葉でありますし、これに対する
施策はまた大変重要であります。私の方で婦人部の部長をしておる人が、母親を連れて都会に参りました。電車に乗りましたら満員でした。ところがよくできた女学生がおられまして、その母親に席を譲ってくれた。ありがとうとさえ言っておけばよろしいのに、私たちの地区で使う特別の言葉で丁寧にお礼を申し上げました。ああ、あの人は部落の人ではないかというように思われたと私は思ってどきっとしました。運動の前面に立っておる人でさえがそのような感覚をお持ちになるまだ今日の段階であります。そして、続けて言われました言葉が重要であります。悲しいことには、私たちは文字を奪われて言葉を習ってきました。口から口への伝えてあります。間違って伝えられたら、それはそのとおりに習っていくということになります。
一つだけを申し上げましたが、これに類することはたくさんございます。しかも、それは差別のために教育の機会均等を奪われ、
就職の機会均等を奪われてきた結果の所産でしかありません。私はこれらのことの三つを申し上げましたけれ
ども、どの
一つをとってみても、これは足を踏んでおる側の方からの論理であって、足を踏まれておる側の論理では全然ありませんということだと思います。こういったことからして、やはり同和
対策事業に従事をする一人一人はこのことをよく踏まえながら、どうしても足を踏まれておる人の立場になり切ろうという
努力をし続けていかなければなりません、このように思っておるのでございますが、このことに対しての
お答えはいただこうとは思いません。
ただ今日、本来この同和
対策事業というものは国の責任でありまして、地方自治体はその方針に従って措置をするという立場にあります。けれ
ども、
実態的には
行政の責任という立場で主体的に取り組んでおるのではないか、このように見ております。したがって、今後は地方が
仕事をやりやすくなるように国の対応を私は望むものでありますが、ただいま、特に地方自治体の一部に
行政措置について混乱が起こっております。このことだけを
一つお尋ねをいたしますし
それは、同和問題を本当に解決をしようとするなれば、措置法を少しくらい延長するといった措置で済むものではありません。新しい視点に立って新しい法律をつくっていきますとともに、
国民の中に依然として根強く残っております差別意識の払拭と啓蒙に法的な根拠を与えてやる必要があります。それにもかかわりませず、一年先には現行法の運命さえ定かでありません。被差別者はその経緯に不満を持っております。とともに、対応を続けていかなければならない地方自治体も途方に暮れております。中央では、法律がなくなれば
行政措置の根拠がないからということであるいは済まされることができるかもしれませんけれ
ども、地方にとっては、一部ではあっても
事業の積み残しがあります上に、最近頻発いたしております差別事象にどう対応をしていくのか、それすらもわからなくなってしまいます。地方自治体の混乱はこのようなせっぱ詰まった
状態の中で起こっておりますけれ
ども、延長三年経過に続くその先の同和問題に対する
政府の解決方策について、さらにはそのお取り組みについて
お尋ねをいたします。