○江田五月君 私自身も、まあこれかなり大部のものですから読むといってもなかなか大変ですが、拝見をして、よくできているところもたくさんあると率直に思います。たとえば、確かに世界的な規模での
環境の問題、これまで公に取り上げられたことがなかった問題がきちんと入ってきた。私
どもがこれまで何度もいろいろなところで、いまのようにどんどん物を燃やしていくというような、ことに二酸化炭素の濃度がふえていくと、そのうちに、地球の温度がどんどん上がっていくということが不可逆的なところまで達してしまって、北極の氷が解け出す、南極の氷が解け出す、
日本の、海に囲まれた国土がかなりの部分沈んでいくというようなことだって起こりかねませんよとか、あるいは成層圏を飛行機がどんどん飛んでいく、そのためにオゾン層にフロンガスがたまって、宇宙のかなたから飛んでくる放射線のろ過が十分できなくて皮膚がんがどんどんふえてくるようなおそれもあるんですよとか、そういうことを申してまいりましたが、どうもいかんせんちょっと大げさじゃないかというような感じで見られた向きもあるかもしれません。しかし、ここでそういうことが取り上げられてきた、あるいは野生の生物のこととか、あるいは森林の減少、砂漠化の進行、そういうようなことをきちんとお取り上げになっているというようなこととか、また
公害あるいは
環境問題というのを総体として
理解をしていこう、とらえていこうという
努力をなさっている。人工の物質エネルギーの流れが自然の生態系と摩擦現象を生み出して、その中で
公害というものが出てくる。自然の物質エネルギーの循環に負荷が加わっている、そのために
環境破壊が起こり
公害が起こっている、そしてそうした人工の物質エネルギーの流れから生ずる
環境への負荷を制御していかなきゃならぬ、
環境の問題というのを
環境管理とか、
環境経営とかそういうようなとらえ方をしておられるという点、確かに傾聴すべきとらえ方をされていると思うのですが、しかし、どうも
考えてみると、
環境白書、
公害の
状況に関する年次報告というのは、そういうことだけでいいのかなと。世界的な規模で
環境が汚染されていく、
環境問題をどうとらえるか非常に高度な議論を展開する、それは
白書にもちろんあっても悪いわけじゃありません。必要なことかもしれませんが、
国民の皆さんに読んでいただく、たとえば
環境読本とか、学校の副読本とか、そういうようなものには入らなければいけないけれ
ども、
環境白書ということになると、もう少しいまの
日本の
環境の
状況について具体的な、そして
環境を本当に真剣に守っていくんだというような
姿勢が足りないんじゃないかという、そういう
指摘を新聞はしているんじゃないか。いま
長官のおっしゃったとおり、確かに
状況は非常に厳しい。そういう中で、
環境庁はもう要らないんだという
発言が、
長官の属されている党の方から出てくるというような
状況ですから、厳しいことはわかるんですが、しかし、それにしてももう一つ何か勢いが足りないというか、この
環境白書の中の結びの最後の方に、「
公害による生命、健康の被害を受けた人々の犠牲と、
環境問題に対する社会的関心を呼び覚ますために払われた多くの人々の
努力を政策の原点として」
環境行政に対処していくんだ、こう書かれているわけですが、政策の原点だけじゃなくて、まさに生命、健康の被害をいまでも受けている人々がいるんだ、そして社会的関心を呼び起こすためにいろいろな人が
努力を払っているんだ、原点だけじゃなくて、そのことをまさにまだ、いま政策
課題としてとらえていかなきゃならない時代なんじゃないか。そういう
意味で
環境庁は十年たって余りにも老成をしてしまったんじゃないか、もっと若々しい怒りの心、改革の情熱を持ってあちこちぶつかりながら、摩擦を起こしながらやっていかなきゃいけないんじゃないかということを新聞の論調はあらわしているんじゃないか、そんな気がするんですがいかがですか。