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塚田十一郎君 この
事件は、私が今度取り上げただけではないのですよ。たまたま民間人に
山田侃君という、非常な、ある意味においては変わり者、本人は何にもこの土地に利害
関係がなかったにかかわらず、とにかくやり方がおかしいというので、徹底的にこの
事件を追及してきた男がいる。この人物がこの長い年月の間に、あるいは神戸法務局、あるいは西宮出張所、国会でも同僚の和田静夫議員が
昭和四十八年かの予算
委員会の分科会で取り上げている。取り上げているにかかわらず、ちっとも
法務省の調査というものは進展しない。その間に神戸地方法務局の
局長をやられた滝口進という、この方はいま札幌法務局の
局長をしておられるそうですが、私は実は
委員会に出て
答弁を願いたかったけれ
ども、遠隔地の方だからというので遠慮した。この人物のときに、なるほど
山田君の言うこともっともだということで、調査のための
委員会をつくりましょうということを約束したんです。これもとうとうそのままになってしまった。また、西宮の出張所長をされたある人は、
山田君に向かって、あなたの言うことが正しいんですと、登記が間違っているんですという言明をされた事態もある、恐らく皆さん方のところには何にもそういう話は入っていないでしょう。少なくとも、同僚和田議員が予算
委員会の分科会でこの問題を取り上げられた時点で、この問題を
法務省当局としては徹底的に洗って、曲庇をただしておかなければならないのです。あなた方の悪いところは、その場逃げてしまえばもう後は人が変わっちゃう。この土地はやっと、私はやっとと言う。三十四年の十二月三十日に所有権を取得したということになっておりながら、公簿面の五筆は翌年の四月の二十日に登記はできたけれ
ども、あとの
部分は登記できないで、やっと四十二年の十二月四日に大村君が気をきかしてやってくれたということで登記ができた。そうしたらば、もうすぐに、四十三年の六月八日にこの土地が永和精器に移っているんですよね。この会社は、聞くところによれば、幸福相互銀行と特殊の
関係にある、俗に言う子会社と言ってもいい会社だというのです。なるほど永和精器がこの土地の所有権を取得するときに、幸福相互がこの土地に根抵当権を設定している、恐らく金を貸したのだろうと思います。幸福相互から金を借りて、永和精器がこの土地を買ったんです。ところが、三十四年の暮れに、四千七百二十三万円で買った土地が、このときには幸福相互が限度額三億円の融資の対象になっているんですよ。私は、この
事件を取り上げた当初、この
事件の裏に、金融機関として幸福相互が相当深く介在をしておるといううわさを聞いておりました。ところが証拠がない。少なくとも国会のこの
委員会で取り上げるのには一片のうわさだけではどうにもならない。たまたま証言が得られたのであります。
小池亮一という人物がおる。この人物は、当時の幸福相互の頭取であった頴川徳助氏といいましたか、名前ちょっと正確には覚えていないが、この人物のおいであるようです。この人物が、当時永和精器の社長、それから永和精器の後、今度この不動産を買い受けた幸和不動産、これはもう完全に幸福相互の不動産会社、これの専務をしたりしておった。ところが、この人物は、もう先般皆さん方も新聞などに出て御存じのように、頴川徳助氏とけんかになっちゃった。けんかになった理由は、当時新聞などの報道によると、小池君が、こういう一連のお手先をやってためた金ではないかと思うのですが、相当額の金を幸福相互へ預金をした、期日になって払い戻しを請求に行ったらば、頴川頭取が、これはおまえの金ではないぞ、おまえの名前をかりていただけのものであるということで、ついにいまだに払い戻しをしない、それが原因でこうなったらしいです、これは真偽のほどは確かめておりませんけれ
ども。私がこの問題と取り組んがいると言ったらば、この人物が先般わざわざ東京まで来て、これはもう先生のおっしゃるとおり、万事幸福相互が指図をしてやったんですという証言があるんです。私が幸福相互の手先でやったと。ところが、先ほど申し上げました
山田君も、その点を早くから気づいて、
山田君は、むしろ三倉はその後土地を放してしまったから、もっぱら幸和不動産、その裏の幸福相互を相手にずいぶん折衝をしておったようですが、その折衝のある段階で、大体幸福相互というような金融機関が、こんなことをするのはけしからぬというので、大蔵省へ話を持ち込んだのです。それで、当時の中小
金融課長の吉野良彦君、現在主計局の次長をされておりますが、この人物が話を聞いて、それはひとつ両者の間でお話し合いをなさいという仲介の労をとってくれたということを
山田証人から私は聞いておるんです。そこで、大蔵省から、こういう事実があったのかどうかひとつ。