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戸叶武君 私は四十年前に京都大学で哲学を勉強していた呉杰君という中国
政府の留学生としては最高の人物にめぐり会って、特に繆斌事件で朝日の私らの友人だった田村君が、繆斌という妙ちくりんな、重慶と南京の間をうろちょろする
信用のない情報屋を過大評価して、そうして和平ができるようなことを緒方さんたちも信じてしまったことがありますが、その事件の余波で弾圧を食らったときの留学生の一人に呉杰君はおったんですが、昭和十八年の中央公論の六月号に「中国の道義、生命力」という論文を、いわゆる石原完爾さんたちの東亜連盟に共鳴するような
日本優位に立って中国を目覚めさして率いてやるのだという思い上がった
考え方に反撃を加えた論文の書き主が呉杰君です。いま中国の名門校である復旦大学の経済学の主任教授は呉杰君といって――呉服屋の呉に木の下に四つ点があるのですが、この連中と、そのころから、四十年前から話し合ってきた青年とわれわれは、西欧のルネッサンスを過大評価しちゃいけない、アジアではキリスト教社会と反キリスト教社会との戦いのるつぼやあるいはローマンカソリックの宗教の名による苛斂誅求に耐えかねた中央ヨーロッパのボヘミアにおけるフスの反乱やイギリスのウイリックスの抵抗や、いろいろな、あるいは民族主義と結びついてのショービニズムの発生や排他的な国家主義というものがあのような阿修羅の
世界をつくり上げたが、あんなことはルネッサンス本来の精神ではないじゃないか。宗教やイデオロギーと結びついて国民の生活に直接
関係のない魔物にとりつかれて阿修羅の
世界を現出しているのだ。それでなく、本来の文芸復興を促して、その中からアジアには平和共存の体制を、アジアは
一つであるが、多彩に満ちている。おのおのの
立場を
理解しながら、双方の長所をとり合いながら
戦争は避けて、お互いに
相手を深く
理解し合ってそこに融和をつくり上げなきゃならないということを話し合って研究してきたのですが、それが今日中国で去年あたりから口にされている、中国においては本物のルネッサンスをつくるのだという動きが上海その他から出ているのです。それがいまの中国におけるこの調整段階におけるあのプラントの中止のための対策だけでなく、もっと本質的な、中国が信義を
外国に貫くことは、特に
外国から軽べつされないようにするには恥も外聞も忘れて正直に自分たちの失敗は失敗だと言い、自分たちは白紙からこれから積み上げていくのだというところにまで来たというところは私は大きなコペルニクス的な転換だと思うのです。それを見ないで、いま議会の論議を聞いておっても、国会は
政府の従属機関じゃないのです。なのに
政府の御意見を承るための、ときには刺激的な揚げ足取りやはったりで、そうしてジャーナリズムに迎合しようとする風潮や、場合によっては
政府にお世辞を使うということだけの、見識の躍動が国会になくて、どうやったらテレビに出るだろうか、どうやったら
新聞に載るだろうか、人民に向かって孤独に耐えて、人民から袋だたきに会っても預言者は郷土にいれられずというだけの孤独に耐えてもわが道を行くという気慨を持った政治家が一人もなくなってしまうというようなときに、中国では大衆とともに苦悩し、大衆とともに模索し、恥を天下にさらしたこの機会に、本当に自分たちからもう一度顔を洗い直して出発を、当初、原点から始めなきゃならないというところにまで最高の
指導者までも思い詰めてきたというところに、私はこれが本当の哲学だ、哲学はカントやヘーゲルから学ぶのじゃなくて、おのが姿の醜さを鏡に映してみたときに、しまった、こんな悪い顔におれはなるとは思わなかったと言ってこっ恥ずかしくなってみずからを改めてくる姿勢の中に私は本当の哲学が生まれるのじゃないかと思っているのです。
いま文明史観と哲学を持たない民族は亡びるのですよ。このエコノミカル・デターミニズムの中に、唯物史観というか、エコノミックアニマルの、大衆の中に鼻持ちならない状態で
日本民族がふん詰まりになっている状態を、先生と言われるやつは裁判官から国
会議員から学校の先生、医者まで、みんな
相手のことだけは悪口を言うけれ
ども、みんな同じような、モラルを失い、道義を失い、信義を失ってだれからも
信用されない。先生と言われるほどのばかでなしと言って、まじめな人はやはりばかをよそおって竹林の七賢人にでも
逃げようというときに、まだ官僚の聡明な人は
日米賢人会なんか続けて骨を折っておりますが、それはいいでしょう、責任持とうとしているのだから。だけれ
ども、いずれにしても私はどこかから衝撃を受けなけりゃいま
日本人の土性っ骨をたたき直すことはできないのじゃないか。
戦争は悪習を生むだけです。革命は、反革命を誘発するだけです。恐慌と
戦争と革命への悪循環の中に進歩があるように錯覚した西欧的な文明の悪因縁の中にアジアを埋没させることはできないというだけの信念を、少なくとも
世界平和機構である、曲がりなりにでも国際連盟がベルサイユ体制で崩壊し、いまこの国際連合が、米英ソのインチキ秘密
条約、他国の主権を無視して他国の領土を勝手に奪ってしまったようなヤルタ
協定のみずからの清算なくして、
ソ連だけじゃない、なれ合いで
アメリカもイギリスもこんなばかなことをやっておって、ベルサイユ体制と同じく、こんな矛盾した、力を持っているやつが道理に合わないようなことを平気で押しつけるというようなことを、おのが姿の醜さを恥じて、新しい国際秩序がもっと虚心に、ベルサイユ体制が音を立てて崩壊したがごとく、ヤルタ体制はみずからの力でこれを改めていくというところまでふん抜けないと、これは、中国問題も今後のポーランド問題も片づきませんよ。
必死のところまで追い詰められていった、背水の陣を持っているところのこのポーランドなり中国は、いままでの革命のカテゴリーから離れているのです。力を持ったやつが
相手をひねり倒すというような権謀術策の
外交や政治からは飛び離れたものになっているのです。東の中国、西のポーランド、不気味なポーランド人は、それほど働かないとか、
一般的な教育が普及してないとかいろいろな欠点があるけれ
ども、あの酷烈な自然の中に忍耐強く耐え忍んできて、栄光あるポーランド国を西欧
諸国から奴隷国家にまで――ナチスにおいては虐殺され、ロシアにおいては強制奴隷労働を強いられ、そのあげくには、
戦争が済んだらヤルタ
協定によってポーランドの存在というものは全く認められないような形にまでされてしまった。この中から、私は、絶望はしない、粘り強い、何かわけのわからない神がかりかと思われるような不思議な抵抗力が生まれてきたというのは、そういう圧政の中における、矛盾の中における人類の爆発の一形態だと思うのです。中国はいままで、廖承志のお父さんの廖仲トウは暗殺されたけれ
ども、国共合作をやって。
ソ連とでも手を組まなければ軍閥を倒せないという必死の形においての中国のヤングチャイナの動き、それが兄弟党である
ソ連に裏切られ、
日本が
ドイツその他の帝国主義のまねをして、二十一カ条をたたきつけて親日から反日へ転換させた。
個々の部分的な
質問よりも、このとうとうと流れている無言の中における歴史の忠告、これを謙虚に受けとめて、中国は遅まきながらいま出直そうとしている。
日本は依然として悔いることがない、無条件降伏の原点である
時代おくれの明治
憲法なんかを、無条件降伏で進むことも退くこともできないで野たれ死にしたような
憲法は
世界の流れに逆行した超国家思想から生まれた悲劇です。それだけが高文試験で後は勉強しないで、高等文官の特権にあぐらをして、在学中だけ何とか試験答案をよく書いて秀才と言われれば、後は何になってもいいというので、いまの裁判官、いまの弁護士――弁護士にもいい人がいるから区別しなくちゃならないけど、とにかく法治国家の思想のよろいを着て、一体何が正しいかということの一番問題点を掘り下げていくものがなくなってしまったじゃないですか。教育が根源にあるんです。それに気づいて中国では四〇%の
軍事費を削減し、とにかく
アメリカが
ソ連に手を出したらおれの方でも黙っちゃいないぞと言うからにはまあ
信用してもいいのじゃないか。そうすれば
ソ連も手を出さなくなるだろう、どっちも力の
外交だから、力の均衡を保つというんで、結構な次第で、おれの方はそれによってむだな
軍事費にして人民から浮き上がってしょうがないから、四〇%の
軍事費の削減、それによって教育を立て直そうというところに来ているんだが、どうもいま――どうですか、
外務省の方は大丈夫ですか。
軍事費の問題がこの二、三日えらいいまの
総理大臣、鈴木さんあたりで言っていることとやっていることは筋は立っているような立ってないようなあれですが、ヨーロッパに行って
ドイツや
フランスを見てくることも結構ですが、ちょっくら隣の中国で四〇%の
軍事費を削減して教育費なりあるいは社会保障の方面なりに充当しようという最も有効な
考えを発揮しておりますが、やっぱり
戦争は
米ソは絶対にありません。できないです。やるとしても自分のところじゃやらないから、なるたけ新兵器を発明したからヨーロッパの方で、中東の方で、朝鮮の方へ行って潜水艦やなんかもぐらしてきますけれ
ども、自分の国を戦場にすることは国民もがえんじないような
戦争を
アメリカと
ソ連だけじゃなくだれが好みますか。やってごらんなさい、やるのなら、一騎打ちで。
ソ連に行って
アメリカも、
アメリカに行って
ソ連も。やりゃあしない。こんなばかげた奴隷を使っての
戦争、ポーランドの農民に鎖をつけて日露
戦争の前線の二〇三高池に機関銃を持たせて立ち向かわせた帝政ロシア、いまのソビエトとは言いませんが、こんなことをやったから帝政ロシアも崩壊し、帝政
ドイツも崩壊したのじゃありませんか。もっと歴史の教訓を生きて、身をもっていまの流れに沿うて、私は自分をひねって人の痛がるのもわかってくれるだけのやっぱり情を持たなけりゃ人は動きません。
アメリカへ行って、さっき
夏目さんもいろんな角度から私らと違うけれ
ども問題を率直に投げつけておりますが、
タカ派と言われる強硬論者も大学へ行くと、おまえ戦場に行けと言ったらだれも賛成するやつはいない。
日本でも何か青年商工
会議所が志願兵制度をやって、失業者を、職がないやつに職をやって戦場へという
意味なんでしょうが、おれは
戦争に行かないから、そのかわり金は出すからという、
アメリカのお金持ちと同じような
考え方で、奴隷であっても
戦争はしません。ヒッピーが生まれたのは、ベトナム
戦争において意議なき戦いで麻薬を飲ませられながら黒人が先頭に立てられて大歓迎を受け、帰ってきたら失業者とほうられてしまった。このむなしさの中に麻薬の習慣からヒッピーが生まれたのであって、その退廃の中から、いま
レーガン政権の副大統領のシンパの
石油の財閥のせがれが、人間としての虚脱状態のニヒリズムの中から
一種の大統領暗殺のヒロイックなやっぱり西部劇に出てくるようなテロリストとなって出てくる。こわいのは、ほかじゃない、自分の中に生まれているウジです。青年に希望を持たせないニヒリズムに陥れてしまったこの虚脱状態の中に文明の崩壊があるんです。ギリシャでもローマでも奴隷を使っての
戦争で栄えた国は皆滅んでしまいました。カルタゴだってそうです。トルコだってそうです。私は、こんなことばか金を使うよりも、
外務省の情報機関を整備して、東南アジアでも何でも至るところに情報網をつくって――情報というのは、動向をキャッチして、
世界の人々の願い、心、悲願、そういうものを取りまとめて、
戦争はもうできないのだと、そのためにみんなしてどういうことを
考えるかということをかち取るだけの
役割りを
外務省がしなけりゃ、みんなメジャーと軍需産業に振り回されるような、これを
相手にした場合、一番金になると思われるようなエコノミックアニマルの野獣の
世界から脱出はできなくなると思うのです。せめて
外務省だけでも健全に、もっと
世界の人々の心の動き、要望、それをキャッチするだけの
外国公館なりあるいは大使館なり、領事館なりを整備して、何も謀略機関としての二百人、三百人も、イランに情報機関という名のもとに、五万人もの――メジャーと
アメリカの財閥が近代兵器で武装させた王様をかいらいとして、イラン革命の発火点をつくるようなまねをする必要はないが、やっぱり情報化
時代というのは、情報をキャッチして謀略をやるということでなくて、あらゆる人々の悩み、あらゆる人々の希望、要望というものを正確にキャッチして、東西南北の十字路に立って、
日本がデタントヘか
戦争へかの道はデタントヘの道以外にないという信念を持って、国際世論を背景として歩む以外に、私は、
日本の
外務省の存在は必要ないと思っている。
そういう
意味において、いま刻々に動いている自民党という枠の中、あるいは
タカ派の青嵐会なりなんなり、
タカ派をやらなけりゃ、もう自民党を
逃げ出すというわけにもいかないし、自分たちの存在が圧殺されるという恐怖感から脱出して、どうやって
日本を救うか、アジアを救うか、
世界を救うか、東西南北の悩みにこたえるだけの
日本は歩みをするか、
外交の進路を決意させるためにも、私は、
外国公館の整備、
充実、もっと活動のできるような、人間はそれほど多くなくってもいいから、二百人から三百人から押し込むと結局キッシンジャーのようないろいろなことをやってみたくなるから、下手の
考え休むに似たりで、余り変なことをやることよりも、人の
気持ちをくみ取って、人類の心を心として政治をやるような機構の
充実、今度は太平洋にも小さなところに大使館をつくるということだが、そういうことはどんどんやっぱり熱心にやって、つまらないものを――
軍事費といったって、三、四年たてば買いかえです。だんだん膨張するだけです。軍需会社を設けさせるだけです。
中国の軍閥を太らせるためには大倉財閥がかん詰めに石ころを詰めてそして送って得た金で財閥になったという話もあるし、武器を輸送した船をわざと役に立たないのを撃沈させてフィリピンの志士たちを絶望させた前例もあります。ろくなことは
考えませんよ。どうです、
外務大臣、
伊東さん、これはあなたに、やっぱり自民党の党人であるし、鈴木内閣の閣僚であるし、言うことは無理な注文かもしれないが、問題は国会の議員がもっとマージャン賭博なんかやめて、三年間ぐらいはとにかく賭博禁止令でもやって、そして粛正をたれなければ、いまの北京では
外国人にマージャンは売るけれ
ども、ばくちで夜昼かけマージャン――かけなければマージャンなんかやったってつまらない。まず国
会議員、県
会議員、
新聞記者、それから役人、労働組合の幹部、こういう者から三年でも範をたれるとまともな
考えが出てくると思いますけれ
ども、こういう中国における道義力の、伝統を継承して新しい革袋に盛っていくのだという意気込みに対して、理屈では白髪三千丈の詩の表現もあるのだからかなわないけれ
ども、やっぱり
日本はささやかだけれ
ども、三年間マージャン賭博禁止令を出しますというぐらいなことを国
会議員、県
会議員、役人、
新聞記者――と言ってもむずかしいから、
新聞はなかなか私も、これは情報とるのにはいろいろなやくざともつき合わなくちゃならないだろうし、何だか変なやつも担当しなければいけない。
戦争中でも、とにかく海軍省と警視庁と法務省のクラブが一番自由でマージャンの花盛りでしたから、これはなかなか、
戦争に負けるのもあたりまえですが、やっぱりそういうことは無理な注文かもしれないが、気合いだけでもかけて、せめて一年でも、
日本でも、三日坊主だったと後で言われるかもしれないけど、北京の先取りをしないと、
日本だけが、堕落した国家の見本が隣にありますというふうになる。
アメリカあたりにばくち場で栄えている、火事ばかり起こしている都市がありますが、浜幸さんなんかが権威者のようでありますけど、ああいうところに次ぐ――ばくち打ちというか、かけの名人が仁義、道徳を説いても、こいつはいただけないんで、ただ広告料が上がるからテレビでも
新聞でも広告は載せるんだけれ
ども、国民はいただかないと思うんです。しかし気づかないのは自分だけで、取り巻きがやっぱりうまくおだてているからみんなそれでいいと思うのだと思いますが、やっぱり人間は生まれながらの性格と――人間だからやっぱりどっか俗人的なところがなくちゃ困るでしょうから、聖人君子みたいなことを言えなくても、この危機突破には何か気合いがかかってこないと、全部が緩ふんで露出狂でどうにもならなくなってしまうと思うんですが、どうですか。
外務大臣、
外務省あたりからでも始めますか。いや、隗より始めよで、どっからでもいいんだ。いまのことは答弁は要しません。
とにかく平和維持機構としての国の持っている専門機構の唯一の機関である
外務省が、ずるずるずるっと
軍事費膨張の方のやはり片棒担ぎの方へ回ったんじゃ、平和がくしゃみしちゃって、もうかぜ引いちゃって治らなくなっちゃうと思うんですが、どうぞそういう
意味において、多少はやはり東西南北の火消しのまとい担ぎじゃないが、火の粉の降る中でまといを担いでいく心意気がなけりゃ、
日本の立て直しは困難と思いますから、この際公言しておきたいのは、今度は中国は私は真剣だと思うんです。真剣だ真剣だと言って、真剣勝負を年じゅうやっていられないし、三度も四度もうそは言えなくなりますから、言っているうちにやっぱり私は真剣味が加わってくると思うのであります。そういう
意味において、いままで革命という名で
一つのルネッサンスという表現というか、道義力の復活、リバイバルというか、この古き伝統に新しき機運を盛り上げようという意気込みが出てきたところには、さすがに古いものもいいものも持っているから、あれだけの
文化を古い
時代においてもつくったんだから、新しい
時代にはもっと偉大なものがつくれるという構えが私はやはりできてくるものかと思うのですが、ひとつ中国とも、まあ
ドイツや
フランスを訪ねるのも結構ですが、いま気合いのかかってきつつある、苦悩の限りを尽くしてもがきだした中国の方へもちょいちょい
外務大臣も、隣なんだから、四時間で北京まで飛んでいくのだから、ひとつ
総理大臣も行ってきた方がいいと思うんです。あなたたちが行って、イラン、イラク問題だけでなく、やっぱり
日本だけでなくECの国々、中東の国々、
世界のあらゆる首脳者と会って、そうして
日本の
外交を模索しながら決定しようという、この歩みながら
考えてきた
伊東哲学は私はあっぱれだと思うのです。だから、それをそのままつぼめないで、時まさに落花の候ですが、新芽が吹いてくるんですから、北京は一週間の間に、リラの花が咲いているだけだったのが、栄養失調のような、植え方も悪いし肥料も十分でない天壇の桜も咲き、百花らんまんとして春が急に一週間足らずの間に来ました。プラーグの春よりも北京の春の方が本物だと思います。プラーグでも春を待っていると思います。待ち切れないでいるのがポーランドだと思います。東の
日本、太陽が一番早く上がってくる、光は東方よりの
日本が朝寝坊をしていたんじゃ話にならない。私はいつも四時起きです、二十年来。昼間は少しぐらい居眠りが出るのはあたりまえの生理現象ですが、夜は九時には寝ちゃう。やはりみずからを習慣づけることによって、サマータイムなんかヨーロッパではみんなやっています。
日本だけです。休むのはいい、レクリェーションはいい、しかし、働く根性を失った
日本というのはもう取り柄はないですよ。根性を失った
日本人は魂が幽霊になっちゃいます。空飛ぶ円盤よりみじめです。という
意味において、
外交の中に土性骨を入れる者は――十字路に立ちすくんで立ち往生をしてしまったあの大平さんの遺志とかなんとかと言って、このごろはやたらにどういう遺志だったとかこういう遺志だったと言うが、遺志は答えず、雨降らば雨にぬれていくし、ほこり立てばほこりにも汚れていく、孤独にも耐えて、大衆に
理解されなくても、立ち往生して死んでいっても、その精神がどこにあったかということは永遠に生きるんです。
西太后が地下宮殿の中に埋まっていたが、その地下宮殿は最近まで発掘されなかった。そんな窮屈な地下宮殿なんか必要ないんだ、観光にはいいでしょうが。いまのままでいくと
日本も――
日本の官僚は聡明な秀才です。ばかさが足りない。それから哲学が足らない。高文までの秀才。これじゃ博物館に陳列するのにはいいが、地下宮殿の方へ、あちらへという形で永遠にその精神を生かすことはできないのじゃないかと思うんです。私は官僚というものの組織なしには近代国家の運営はできない。
フランスにおける官僚の中からもジスカールデスタンのような人も生まれる。もっと偉大な人が生まれるかもしれない。官僚じゃなかなかいばれないから、局長ぐらいで、ひとつおやじでも早く死んでしまえば代議士にでも出た方が早く
大臣になれるという計算をする人もある。あるけれ
ども、そういう人が、自民党にも優秀な二世もずいぶんいます、官僚もいますけれ
ども、ひもつきじゃ何にもならない。やっぱりこの国のために、アジアのために、日中のために、
世界のために何を
日本が貢献し得るかという、グローバルな
時代におけるみずからの進路をやはり方向づけるだけのステーツマンが
日本から生まれなければならない。
それには
外務大臣というのはいい試験場です。つらいと思うんですが、体が丈夫でなければ、脳みそだけじゃできなくなってしまう。空飛ぶ怪人です。
伊東さんあたりはもう相当――今度の
新聞辞令なんかじゃ田中六助氏やあなたは内閣改造でははじかなければならないなんて大
新聞で書かれておりますが、これはどこかからか出した謀略でしょうが、どんな侮辱を受けても陰謀を受けても不動な姿勢で、おれががんばらなければ
日本はどうするんだ、日中がよくならなければ
世界はだれを
相手にしてくれるんだと。日中は近くて異質な
文化を持っているんです。その
相手の
立場を侵さないで、
相手からもいいものを発酵させ、みずからも
相手を誘発させるような切瑳琢磨がこれから必要じゃないか。
ソ連に行けば
ソ連の第五列となり、中国に行けば中国に対して跪座していくような、四人組のときには四人組を礼拝し、その次にはまたその次と、全く昔の遊び女のような政治家が多いのじゃ杉田二郎に笑われる。
私はこういう点において何が友好かという問題は疑問を感じているぐらいですが、どうぞそういう
意味において、私は社会党の中にもりっぱな人が出てくると思うし、野党の中にも今度行った人にはずいぶん私は変わってきた人もあると思う。ばか話をしながら、おいしい物を食べながら、ぼくは西太后が精力を保つために鳳凰の首の肉を食べたというので食べたが、あれは鳳凰じゃなくて鶏かアヒルの肉でしょうが、いずれにしてもそんなことはどうでもいい。何か私はいまのままでは、議会で
議論しても揚げ足取りか、どうやったらテレビに撮ってもらえるかとか、どうやったら
新聞に書いてもらえるかとかということばかり気にして、選挙区の方ばかり向いて、ふところの方はどうやったら選挙に金がかからないようにするかということを
考えるよりも、どうしてもこれはだめだから、せめてコネを得なくちゃならないと言って、国会の会館を根城として株や何かを操作しているやつがあっても、国会は不可侵のところと言って不可思議なところで、裁判官よりも不可侵なところで、何が何やらわからない。裁判官は、裁くことが自分の使命と思って裁かれる身のつらさというものを一度も経験しないであいまいにしているが、今度は世論が許さぬというので何とかなりそうかもしれませんが、やはり、特に一番大切なのは、
日本では
外交の問題、国の運命を決定さえする問題ですから、
外務大臣あたりはよほど土性骨があってしっかりしないと、
外務省をまくらとして討ち死にするようなつもりで
外交転換を試みないと
世界の潮流から置き去りを食うと思いますが、その決意だけは
外務大臣から直接聞かなくちゃならないが、どうですか。