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参考人(
高木仁三郎君) お答えいたします。
問題が四点ばかり大きな問題ございまして、時間も制約がございますので、それぞれ簡単になるかと思いますが、その点は御了解いただきまして説明させていただきます。
まず、スリーマイルアイランドの
事故でございますが、これはケメニー
委員会の報告にも、二度と起こしてはならない
事故であるというふうに言われているように、私もこの
事故は結果として大したことなかったということで済ましてはいけない
事故だと思います。その上で、この
事故はなぜこういうことになったかという問題でございますが、
一つは、先ほど私、
原子力発電所は十分に実証性がないということを申しましたけれ
ども、そういったやはり実証性のなさからきている問題だと思います。特に
コンピューターによる
安全解析というものが、小さな配管の故障も含めて、あらゆる現象をカバーできない。にもかかわらず、そういった小さな
事故からスリーマイルのような大きな
事故まで発展し得るというのが、実例をもって示された例だと思います、そういうことを一々
安全審査の
過程ではやっておりませんし、把握もされておりません。そういった、しかし
安全審査で予想した気体性の
放射性物質の放出量をはるかに超える、
技術的見地からはあり得ないとされたような
事故が、あのスリーマイルの
事故だったわけですから、そういう点で
一つ問題が
考えられなくてはならないと思います。
さらに申しますと、どういうところに問題があったかと言いますと、
一つは共通要因、これは
原子力の
安全性についての、言ってみれば安全神話というような形で言われるもとになりましたラスムッセン報告というものがございますけれ
ども、そのラスムッセン報告というもの、ラスムッセン報告自身は、わりあい詳しく
事故に至る経過等についての分析を行っているものでございますけれ
ども、結果としてはそのまとまり方が、非常に
原子炉の大
事故を起こす
確率は小さいというような形でまとめられて、俗には隕石が頭の上に落っこって死ぬぐらいの
確率だというような形で済まされてきたことによって、いろいろと
安全性の問題というのが曲げられてきたところがあると思います。
ラスムッセン報告の大きな問題点というのは、
事故の絶対
確率というようなことが非常に無理にもかかわらず、それを結果としては印象づけるようなことをやってしまったということ。それから、
人間の行動や動作の要素というのを数量化できない要素があるわけですけれ
ども、そういうものを十分に数量化し切れていなかった。それから、小さな故障というような問題から、大きな
事故に発展する
可能性があるという問題は、ラスムッセン報告では指摘があったんだけれ
ども、その指摘が十分にその後の行政等に生かされなかったということ。それから共通の要因、火災でありますとか、地震でありますとか、あるいは人為的なちょっとしたミスが、いろんな故障を次々呼び起こすような共通の要因になってしまうというようなタイプの
事故があります。
こういうことがうまくラスムッセン報告では把握されなかったということがあります。やはりその
一つ一つがスリーマイルでは起こっているわけです。そういう共通のちょっとした要因から大きな
事故に発展するということであるとか、いままで無視されてきたような小さな配管破断、小さなちょっとした穴あきみたいなことが大きな
事故に発展するとか、それから、小さな
事故の重なりみたいなこととか、そういう問題がうまく把握されてこなかったのが、スリーマイルアイランドの
事故でははっきりした。
それからあと、人為的要素というものが重要視されてくるようになってきました。これは
一般に人為ミスの問題と言われておりますけれ
ども、人為ミスというよりは、
人間の操作と非常に複雑化してくる機械、
事故のときにたとえばアラームが何百も鳴るというようなこととか、そういうシステムの中で
人間の
判断には限界があるという問題とか、これが
原子力のような大きな発電システムの非常に
基本的な問題だと思います。そういうことが次々とスリーマイルアイランドの
事故で実際問題として明るみに出た、この点はひとつはっきりしておかなくてはならないと思っております。
それから念のためつけ加えておきますけれ
ども、スリーマイルの
事故で、結果として
影響はなかったというふうに軽々しく言うべきではないと思います。これは
事故の後で、たとえばペンシルベニアの大学のスターングラスというような人は、風下地域で新生児の死亡率が上がっているというような報告を出しています。スターングラス報告については若干疑いを持つ人もいますけれ
ども、当時ペンシルベニアの保健局長であったマクレオドという人の論文でも、やはり新生児の死亡率の増加、それから幼児の甲状腺機能低下というのがありますけれ
ども、これは発育異常を起こす病気ですけれ
ども、はっきりと異常が認められているという報告をしています。
ただ、マクレオドの言い方がぼくはある程度慎重な言い方としては当を得ていると思うんですけれ
ども、こういう問題を詳しく調べ得るような体制も、当時スリーマイルにはなかったし、周辺にもなかったし、それから
漏れ出た
放射能量についても、厳密な意味で初期の段階では体制が十分でなくてはっきりしていないとか、しかも、いまのところ統計に出てきている数はまだ例が少なくて、ここからはっきりした
影響というのを、否定的にも肯定的にも言うことはむずかしいような状況がある。だからということで、
影響がなかったと言うべきでないというのが、マクレオドの言い方ですけれ
ども、そういうような複雑さを
事故というのは必ず持っているわけですから、決してその
影響がなかったというふうにこの問題を
考えるべきでないと思います。
さらに言えば、NRCが委託しましたロゴビン報告というのが八〇年の一月ごろ出ていますし、その中でも、もうちょっと
事故の処理を誤れば、完全なメルトダウンに至っているケースというのが
幾つかあったというふうに指摘がございます。それほどやはり深刻な
事故だったというふうにとらえるべきだと思います。
さて、そのような
事故がどう総括されたかといいますと、これは
一つには
アメリカでも非常に不十分な、たとえば大統領
委員会なんかでは全面的な組織の改編とか、物の
考え方の変更というようなことを
舘野参考人からも言われたわけですけれ
ども、そういう体制が十分でないという指摘が、最近また非常になされております。それを裏づけるように、各種のまた大きな一次冷却材
漏れの
事故のようなことが、
アメリカでも盛んにスリーマイル以降起こっております。具体的には、ちょっと時間がありませんので省略いたしますけれ
ども、起こっております。
さて、
日本ではこの問題は言ってみれば、あれは
アメリカの
事故であったという形、あるいはあれはバブコック・アンド・ウィルコックスという会社でつくった
原子炉ですけれ
ども、そういった会社がつくった加圧水型の
原子炉の固有の
事故であったというような形で済まされた点が少なくなかったと、その結果の総括が十分に踏まえられなかった。
たとえば一例ですけれ
ども、スリーマイルの
事故というのは、その一年前ぐらいに起こっているデービスベッセという
原子炉の
事故に酷似した前例があるわけですね。そのときの総括がきちっとなされなかったために、スリーマイルの
事故を防ぎ得なかったという側面があるわけです。それと同じようなことが、
日本でも起こっていないかと。つまり、
一つ一つの
事故が軽視されて、小さなことといえ、ちゃんと総括されないできたために、次に大きな
事故に発展する。その教訓が生かされないというケースがなかったかという問題、そこは私は
基本的に敦賀の問題を
考える
ポイントになるんではないかと思います。
二つあります。
一つは、これはやや細かいことですけれ
ども、敦賀の原発の今度起こりました三月八日の廃液
漏れでも、通産省の報告によっても昨年の十二月六日に同じような
事故が起こっていたということがあります。もちろんこれはやや軽度のもので済んだということでございまして、それはそうでございましょう。ですけれ
ども、そのときにきちっと総括されていたら、同じようなことを繰り返すことはなかったはずです。そこで、通産省の報告でも、この十二月の六日の
事故というのは、軽い
事故であるという形で、ほとんどその原因が何であったかというようなことも分析されていないんです、最新の五月十八日
時点の報告を読みましても。そういった態度が、次には大きな
事故を生むということがあるんだと思います。
それから、敦賀の
事故の本質については、ぼくは
廃棄物問題の深刻さという問題に尽きると思います。あれは
廃棄物の
発生量という、特に
原子炉の中に
発生する水あか、専門的にクラッドと言ってますけれ
ども、その水あかの
発生量を間違ったために、非常に液体系の
廃棄物処理が不完全な形で、あの
原子力発電所は発電に入り、しかもドラムかん詰めなりにして処理できると思っていたその水あかが処理できないために、フィルタースラッジなんて言ってますけれ
ども、スラッジが処理できないためにタンクの増設、増設という形で、その場しのぎの増設で補ってきたわけです。その増設の継ぎ目のようなところでひび割れが起こったりして、そこから水
漏れが起こったというのが通産省の報告ですね。
それから、制御系統も旧建屋と新建屋に、あるいは中央制御室と、
廃棄物に関して言えば三分割してしまったとかいうような問題でございます。これは要するに
廃棄物の
発生量を甘く見ていた、あるいは
廃棄物処理の問題というのを後回しにしてきていたという、これはいまの
原子力行政の中の重大な欠陥でありまして、この点に関しては原電ばかりでなくて、そういうものを認可してきていた通産省や科学
技術庁ということの責任も、同時に問われるべき問題であるというふうに
考えます。
それから、従業員
被曝の問題でございますけれ
ども、この問題に関しては
幾つかの側面があります、先ほど
天野参考人から実際に
人間が死んだ事例はないというような話がありましたけれ
ども、これは把握のむずかしさということを考慮しないといけないと思います。それから、実際に商業用
原子炉でも、
アメリカやフランスでは、いま実際に被害を受けた人の訴訟というのがかなり起こっておりますし、補償の出た事例もイギリス等であります、実際に裁判の結果ですね。それから、SLIというようなこれは
実験炉ですけれ
ども、アイダホの
原子炉では、
原子炉が爆発して三人が死ぬというような
事故も起こっております。
それから、特にむずかしいと思いますのは、先ほど
ICRPの
考え方ということで、
古賀参考人の方から大体
原子力発電の
安全率というのは、
放射線の発がんの
危険性というのは一万人に一人ぐらい、十のマイナス四乗ぐらいの危険率だという話が、
ICRPの方の例を出されてありました。私はこのデータは、先ほど申しましたように、またもっと
認識が厳しくなって下げられてくる
可能性があるというふうに
考えておりますけれ
ども、たとえこの
観点に立っても、
年間いま一万人
レムぐらいの
被曝が起こっているわけですから、一人ぐらいの発がんがあってもいいはずですね。
ところが、実際ではゼロになっているというのは、そういう事例というのは、一万人に十人であっても非常に発見がむずかしいという、がんといっても普通のがんですから、ほかのがんの中に埋もれてしまうと。これは疫学的といいますか、統計的に有意になってくるようなときには、もう大変なことになるというふうに思います。ですから、
事前に非常に厳しい
規制をやらなくてはならない。ところがいまの
規制は、これは
規制上の問題になりますけれ
ども、トータル・マン・
レムと言いますけれ
ども、総
被曝線量についての
規制というのはないわけでございます。
一人
当たり先ほど
年間五
レムという話がありましたけれ
ども、これは
ICRPの精神においてはそうですけれ
ども、実際の法規では三カ月三
レムという法規しかございません。蓄積
線量に関しては
年間五
レムという
考え方が生かされておりますけれ
ども、実際の
被曝に関しては三カ月三
レムという
規制しかございません。ですから、このままでいけば
年間十二
レムまで浴びてしまうというような
規制であるわけです。そういう点でもなまぬるいし、少なくとも
年間五
レムというのをはっきり明記すべきだと思います、それは個人
当たりですけれ
ども。
それから集団的に
労働者が受けた量に対する
確率として、発がんが生じるとしたら、先ほどそういう
古賀参考人の説明がありましたが、その総量についての
規制がないというのが、やはり非常に
規制上の大きな問題点でございます。国
会議員の皆さん方にも、この点は今後ぜひ御考慮に入れていただきたい点だというふうに
考える次第です、
やや、
ICRPの
考えとは違いますけれ
ども、厳しい物の見方をとっている人
たちの
考え方に立てば、一万人
レム当たり六とか十人ぐらいの発がんになるというような
観点をしておる人
たちもいます、そういった
観点からすると、いままで五万八千人
レムというような
被曝が七〇年代に起こっているわけですから、数十人から百人規模の
障害者が出ても不思議はない数だと思います。問題は、こういうことが現実化する前にどう防ぐかという問題であって、安易なこの点における
楽観主義は危険だというふうに
考えます。
それから最後に、軍事利用と平和利用の問題ですけれ
ども、これはまた非常にむずかしい問題でありますけれ
ども、私はこういうふうに
考えます。
技術的に
考えるならば、軍事利用の方が簡単だと思います、どんな
立場に立つにせよ、非常に
安全性というものに気をつけて、非常に制御された形で
核分裂を行っていかなければならない
技術という方が、
技術的に
考えれば数段上の
技術でございます。ですから、
技術面で軍事利用と平和利用を切り離すことはできないと思います。これは単に私の
考え方ではなくて、いま
原子力産業会議あたりが盛んにいろいろと公開の問題ということを言っております、それは再処理
技術であるとか濃縮
技術であるとかいうことが軍事利用、他国のということでございましょうけれ
ども、他国の軍事利用に供される
可能性があるから、
安全性の公開は慎重でなければならないという言い方をしております。
そのことは、裏を返せば、実は
日本のいまの
原子力産業の
レベルというのが、軍事転用に可能な段階に来ているというふうに
考えなくてはならないわけです。それがまた逆に公開を妨げる。実際に再処理の施設のいろいろな書類であるとか規定であるとか
運転要領であうとか、あるいはプルトニウム転換施設というのがいまつくられようとしていますけれ
ども、それの
安全審査資料すらいま私
たちが見ることができない、商業機密であるとか核ジャックの問題だとか軍事転用の問題とかということで。それは逆に
安全性の問題も傷つけるという
可能性が十分あるわけです。そういう面でも軍事利用の問題というのは、
安全性の問題とも絡んで重視しなくてはならない問題です。
これはさらに、いまパキスタンであるとかインドであるとかというのが、相当核
実験との絡みで問題になっております。そういう国、あるいは他国から見ますと、
日本の方で
基本的には軍事利用という
考え方がなくても、
日本の
技術はそこまできているというふうな見方をされるのが、もう国際的には当然そういう
レベルになっているということも忘れてはならないことだと思います。
最後に、一言だけちょっと言い漏らしたことを言っておきますと、
安全性を確保する
基本は、やはり公開の原則をほとんど無条件に認めることだと思います、それによって、ささいなことも報告されるというようなことがあっても、むしろそういった形で若干のマイナスがあっても、そのマイナスはむしろより大きなマイナスを防ぐための担保として、むしろ積極的に
評価しなくてはならないことだと思います。特にいま私
どもが、
事故が起こったりあるいはいろいろ問題点を
考える場合に問題になっている、安全上公開されないものは、
原子力発電所の保安規定、さらに
原子力発電所の
運転要綱ということです。これは商業機密にかかわるというふうな理由で公開されていないわけですけれ
ども、実際にどういう
運転がなされ、どういうふうな規定のもとに実際
原子力発電所が動いているのかということが、細かい点では何もわからないんです、私
どもには。そこは
運転要領みたいなものを見るのが一番いいわけですけれ
ども、それに基づいて具体的な批判をしないと、
安全性というものについての建設的な発展がないんではないかというように
考えるわけです。そこがいま企業側に握られているために、結局は
基本のところで企業が
事故を隠し得る体制ができているというふうに
考える次第でございます。