○堀
分科員 いまのお答えのように、大体五十六年度から
用地買収に入って四、五年ということになると、この阪急電車の南側のところでも、
昭和六十年
程度にいけばまだいい方だ、こういう形になりますね。
ところが、いま私がちょっと図面で御
説明をしたように、実際大事なのはその阪急電車を越えてから北の方に、なおかつ千メートル以上、二千メートルぐらいが確保されなければ
——当該場所、要するに郡是製絲の跡地に
昭和四十九年の二月に西武百貨店は進出を発表しておるのでありますが、ここから先になると、恐らくまた五年ぐらいはどうせ、
着手をし、買収をし、拡幅をしていくためには、
完成までにはまたさらに五、六年かかるということになると、結局まだいまから十年たたなければここに主要な輸送道路ができない、こういうことになると思うのです。
四十九年でありますから、今日までにもうすでに七年間たっているわけです。本来、大型店舗規制の問題については、このように長時間通産省側の処理でおくれた例は実はないのでありますけれ
ども、私はこの問題について賛成、反対両者が入り乱れておるので大変まずいことだと思っているのです。その理由はこういうことなんであります。
実は佐藤栄作さんが通産
大臣のころに西宮市の市長で田島さんという人がおりまして、この人が何を思いついたのか、西宮の沖を埋め立ててそこに日本石油を誘致したいということを提案をしてまいったわけであります。御
承知のように西宮市というのは宮本というのの産地でありますから、そんなところを埋め立てして石油コンビナートなんかつくられては大変だということで大騒ぎになりました。私は当時尼崎、西宮、伊丹の工業用水道のめんどうを見ておりましたので、この
地域は工業用水の供給力がもうない。そんなところに日量十万バレル以上の石油精製工場をつくるとなれば大量の水が要る、それは物理的に不可能だ、こう言って、市長がどう言われても実際問題としてそれはできませんよと言ったんですが、これがまた賛成、反対入り乱れて、市を二分して大騒ぎになったのです。しかし私は、それは賛成、反対の問題ではありません、物理的にできないことを言っているのを、できるという話なら賛成、反対があるでしょうが、できないということがわかっておることを賛成、反対させるというのはもってのほかだということで、そういうことで佐藤栄作通産
大臣に話をして、あなたの方から日本石油へ話してくれ、物理的にできもしないところを、賛成、反対で地方自治体で市を二分して争うようなことをさせることは適切ではない、こう申しましたら、いや堀さんそのとおりだ、私の方から日本石油に話をしましょうということで、日本石油はそこへ進出する意思はありませんと、こういうことでこの問題は処理がされたわけでありますが、どうもいまの百貨店の問題も、私は物理的にどうも不可能だ。それは道路がちゃんとなったら、それからどうぞ皆さん、賛成、反対やっていただいていい。
ともかく、そこへ建物を建てるために輸送用、
建設用のトラックが入ることすら非常に困難。そのいまの二車線の道路は一日中渋滞しているのです。特にこれが南の方が一部拡幅をされているものですからわっと来て、また狭いところに入ってしまって、この道路は実は大変困難な道路なのです。
おまけにもう
一つ問題がございますのは、すでに事業中の五十五年度
着手の一番北側のところに阪急電車の陸橋が実はあるわけです。やはりもし本当に拡幅ということになればこれを四車線にしなければいけないのですが、阪急電車は東の方をずっと高架にしてまいっておりまして、それで尼崎市も県の側も、西の方へ引き続き高架にしていってくれた方がいいのではないか、西宮から西はまた高架になっているものですから、ちょうどいま残されたところにこれがありますので、これはやはり阪急電車を高架にして道路が下を抜ける方が合理的だ、こういうふうに考えるわけであります。しかし、この問題も片づかない。
そうなると、この道路の拡幅の見通しがないということは、ちょうど私が日本石油問題で物理的にだめなことを賛成、反対というのはおかしいと言ったのと同じように、これもまた実は物理的に賛成、反対というのはおかしいのであります。西武側はここに当初の
計画では、阪神間を商圏に持って、自動車でショッピングができる新しいアメリカタイプの百貨店なりスーパーを一緒につくるのだと言っていたのですが、道路がないところに自動車でショッピングに来る百貨店なんかできるはずがないのでありまして、そういう
意味で私は、きょうはこの問題の一番基本になるところの物理的条件、この道路の拡幅問題というものの見通しをちょっとお伺いしておこうと思うのです。
ですから、仮にいま道路
局長がお答えになったように、いまの認可をしておる
工事が四、五年でうまくできたとして、そうすると大体六十年ですね。それから、いまの北にずっと私が写真で御
説明したところ、なおかつ千メートル以上はあるのですが、それをまたどうせやるとすれば、やはり同じように四、五年はかかる。だから、結局いまの当該郡是製綿のところへいくためには、現状の公共事業の進捗割合、御
承知のように現在財政再建中でありますから、かつての高度成長のときのようにどんどん
予算をつけてやるということにはなりにくいという客観的条件もあるわけでありますから、そこらを含めて、ひとつ
建設省側として、これは将来のことですから見通しの問題でありますが、少しそういう立場からの見通しをお答えいただいておきたい、こう思うのでございます。