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山口(鶴)
分科員 間違いました。
矢崎さん、名前を間違えて失礼しましたが、
お答えの方は
矢崎さんは間違っておるわけですから、その点は十分御認識をいただきたいと思います。
そこで、ことしは議会制度創設九十周年でございます。財政状況もございましてきわめてささやかな記念行事を行ったわけですが、あと十年たちますと百周年ということになるわけです。
わが国の議会制度創設百周年、当然意義ある年でもあるわけでございまして、それにふさわしい行事というものを私たちは考えていく必要があるだろうと思います。
そこで、いろいろなことが考えられると思うのですが、過般も福田
衆議院議長さんともいろいろお話し合いをいたしたわけでございますが、かつて
衆議院議長をされました保利
先生が提唱したのですが、この際
国会が国際会議場を持ったらどうかということであります。大変結構ではないかということで、各党とも保利議長の当時の御提唱に賛意を表しまして、そして
国会の
議運の中にも国際会議場小
委員会を設置をいたしまして、不肖私がいまその小
委員長をいたしておりますが、しかし、財政難でもございますので、昨
年度調査費三百万、本
年度も
調査費三百万
程度ということで前進はいたしておりません。
しかし、過般、京都の国際会館をこの国際会議場小
委員会で
調査に参りました。経過を承りますと、ひとつ国際会議場をつくったらどうかという提唱が
昭和三十二年になされまして、その間いろいろな経過はございましたが、京都にこれを設置しようということで三十七年十一月に起工式を行いまして、第一期
工事の
完成が
昭和四十一年三月二十日ということになっているようであります。国際会議場をつくろうという提唱がなされましてから九年間で一応
完成を見ているということであります。第二期
工事に着手いたしまして、これが
完成いたしましたのは
昭和四十八年のようでございまして、これは少しその後またかかっているわけでございますが、ともあれ九年間であの京都の国際会館というものができた。
私は、そういった経過を考えますと、
わが国の財政状況、いまは大変困難であるということはお互い承知をいたしておりますが、議会制度百周年の今後十年の後においては、国際会議場をりっぱに
完成して、そして議会制度創設百周年記念式典をこの国際会議場において開くということも十分実現可能な計画ではないだろうか、かように考えておる次第であります。特に京都の国際会館へ参りましてお話を聞きましたら、一体国際会議がそこで年間どのくらい開かれておるかと言いましたら、せいぜい二、三十回
程度だというのですね。そうして、どういう会議がといいますと、主として学会の会合だ、外交の機密を要するような国際会議というのはどうも京都では無理だ。なぜかと言いますと、在外公館は皆東京に集中しているわけでございまして、機密を要するような国際会議ということになりますと、どうしても暗号電報その他で本国と連絡をとらなければいかぬ、そういったような会合は京都では全く不可能だ、こう言うのです。これから
わが国の国際的な
地位もますます重要性を増してくるだろうと思います。そうなりますと東京において国際会議が開会されるということも将来はふえてくることは当然だ、かように思います。
そういうことから、私はやはり東京に、しかも
国会の施設として
国会の近くに国際会議場を持つということの意義は、保利
先生ではございませんが、まさに重要な課題ではないだろうか、かように考えております。このようなことについてやはり事務当局の理解と
協力がなければならぬわけでございまして、
国会としてこういうものをつくろうというときには、衆参それぞれ御
相談をいたしまして、
衆参両院の
事務総長の御
協力がなければ実現するものではございません。したがって、いまのような考え方に対して、
衆参両院の
事務総長さんからひとつこのお考え方というものをこの際お示しをいただきたいと存じます。