○小林(進)
委員 私は、適格者の条件というものを、最初は、
日本に親族がいるとか、過去において
日本に何らかの
関係があったとか、厳しい条件があったのを、いまは適応力のある者まで拡大をせられたと言うけれ
ども、これは実際の面においてはなかなかむずかしいのではないかと思う。現在ラオス人で二百七十七名、これは皆さん方の報告書類です。ベトナムが二百十五人。このベトナムの二百十五人の中には、先ほどお話のありました一時滞在者の中から六十二名が定住に切りかえた、これを含めて二百十五名になったわけですね。その六十二名が含まれているわけです。それからカンボジア人が百二十四名、合計六百十六名ですが、
日本に定住が決定したという報告が来ているのです。そういう数だ
——。時間はどうかな。
——五分じゃだめだな。
——だから、三千名を閣議で決められたとしても、実際三千名というのは大変むずかしいと思う。
それに関連して、定住センターでいま
生活をしているその
生活の内容を、私はいま少し、ちょっと矛盾を感じて
質問をしたかったのだけれ
ども、時間がないというからこれはやめますけれ
ども、入所をして大体三カ月の間で
日本語を研修せしめて、そして
社会に出す。その出すときに、退所時には十万七千円、十六歳以下には定住手当としてその半額を支給して
日本国内の
社会へ出すというのだけれ
ども、これで独立して、女の人はパーマネント屋に入ったり、男の人はどこかの工場へ、大体中小企業者、零細業者のところへ就職していくというのだけれ
ども、これが一体うまくいっているのかどうかということに、私は非常に不安を感じざるを得ないのです。得ないが、これは時間がないからあなたの
答弁はもらわない。これはどうしても現地を一回見せてもらって、現地視察の上でそれを見たいと思う。
最後に、もう五分ですから、流民の問題について
質問をして、私の
質問を終わりたいと思う。
これはいつの新聞かね、ちょっと読み上げますよ。
一九七六年一月、中国系ラオス人のチャン・メイランさん(当時十七歳)が隣国のタイに密出国したとき、世間に通用する「身分証明」を手に入れる道は、旅行業者に約十万円相当のお金を払って旅券を手に入れる以外になかった。以来、彼女の公式の名は、旅券の名義人として記載された「タイ人ソム・シー・セロ」となる。
七七年夏、メイランさんは、観光客の
資格で
日本に入国した。二カ月の滞在
許可期間が過ぎたのちも、行くあてはない。そのまま東京の深夜レストランで働き、七九年秋、不法残留がわかって逮捕される。八〇年三月、
出入国管理令違反、
外国人登録法違反のカドで、
懲役六月、執行猶予二年の実刑判決。
もちろん「タイ人ソム・シー・セロ」の旅券保持者としてである。このままではタイに“送還”されてしまう。弁護団はラオスとタイへ飛び、彼女が本当のラオス人、チャン・メイランである証拠を集めて控訴した。
自分の存在を証明するために手に入れた旅券が、こともあろうに「自分は他人である」という証明になってしまった。しかし、タイの旅券を持っているからただちにタイ人だときめつけるのは、法的には正しいかもしれないが、常識ではおかしい。
彼女はタイ
政府に定住や帰化を
申請していないから、タイ人になる意思がなかったことは明らかで、旅券を買った目的は外国へ行くことにあった。実質的には、普通のラオス
難民と同じである。その実情を無視して彼女をタイに送り返すとすれば、これは
法律上タイへ送り返されるのです。
送り返すとすれば、これは形式主義もいいところだ。本人が
日本に定住したいと言っている
以上、
難民と同様に遇するのが人道的な
扱いと
いうものだろう。云々であって、こういうような流民がまだ
日本にはどれくらいいるかというと、六、七百人くらいいるのではないか。これは
社会主義国家になる前の、旧国時代の旅券を持って
日本に滞在している学生にも同じく言い得ることなんだけれ
ども、こういう問題をどう扱うか。
これはやはり
難民として扱って、定住の
措置を講ずる、それをやるべきではないか。犯罪人にして刑を着せて、そして買った旅券の国であるタイへ、彼女が見たことも聞いたこともないよその国へそれを追っ払う、そういう残酷な
措置は行うべきでない。こういう問題、これはいま
日本にふえて、掃くほどあるのですが、この問題に対して
政府は一体どうお
考えになっておりますか。