○馬場
委員 教育基本法の十条、それから第一条の「
教育の目的」は——そういうようなやり方で
教育行政なんかやっておりますと——
教育行政というのは、国民に対して直接責任を負うわけでしょう。そして
教育行政の任務というのは、いろいろの条件整備をするわけでしょう。ところが、そういうような国民世論とかを全然無視して、そういうふうに形式的にやるということ、そこにも問題がありますが、二月十一日というのはなお問題がある。この辺については再度十分議論したいと思いますが、さっきの資料が出た後、ぜひまた議論をやりたいと思います。これは憲法原則に反する、その逆の
方向を
文部省が後援したのだということを、私の
意見として申し上げておきたいと思います。
次に、
青少年の
非行と
校内暴力の問題についてでございますが、これはもういろいろ議論されておりますけれども、昨年の
暴力あるいは
非行の実態を見てみますと、
昭和五十五年の少年
非行というのは、刑事犯、
校内暴力、これが史上最高になっていますね。全刑事犯の四二・四%に達しておる。本当にゆゆしい事態だと私は思います。
また、この
委員会でも議論されたはずですが、私は、この
青少年の
非行だとか
校内暴力の背景をここで議論したいのですが、時間がございませんが、やはり言われておりますように、
家庭とか
学校とか社会のあり方に問題があります。第一に親が、
家庭でいろいろな
非行があったときに、その場で
教育ができないというような
状態がたくさんあるんですね。そこにも問題がございます。それで、
学校はまた
学校で、能力主義という中で非常に差別、選別の
教育が行われておる。そして管理主義の中で規則とか命令とか切り捨てとかが行われておるのです。社会は社会で、一国の総理
大臣であった者が収賄罪に問われる、法廷に立っている。そして、その人がまた一政党の派閥の大将として物すごい勢力を持っておる。県知事が五千万の収賄をするとか、そういう社会の風潮。とにかく金と力が勝つのだ、強い者の世の中だというような風潮。弱い者は泣け、やりきれない状況ですよ。そしてまた国際情勢を見てし、
日本を見ても、軍備の増強だとか、何か戦争のくつ音というものが聞こえてくる。
家庭、
学校、社会、国際情勢、そういういろいろなものがこの背景にあると私は思います。この背景については、もうきょうは議論をいたしませんけれども、やはりこれは
子供が
非行になり
暴力を犯すのですけれども、ある面から見れば、これはその犯した相手じゃなしに大人全体に対する反抗、反逆だというような感じもいたします。
対策等についてもいろいろありますが、まず第一に、私は、やはり
家庭とか
学校とか社会、そういう大人がまず反省をするのだ、そして
青少年の悩みというものが聞いてもらえるような
家庭であり、
学校であり、世の中にしなければならぬということです。そしてまた
学校では、
青少年に生きる希望だとか学ぶ喜びなどを与えるということ、また何かあった場合には、先ほどから言われておりますけれども、みんな
学校が全体で一致して悪いことは悪いのだと毅然としてそれに立ち向かっていくとか、いろいろな方法があると思うのです。
これは、いずれまた当
委員会等でも、この問題について議論をするという
理事会の話になっておりますが、そういうところで議論したいのですが、私は、当面の問題点の二点について
文部大臣に聞いておきたいと思うのです。
まず第一点は、具体的な当面の問題ですが、
警察官の導入の問題についてでございます。これは先ほど自民党の
質問でもあったのですが、いま
校内暴力なら
校内暴力の原因の
一つに、管理主義とか権威主義とかいうものが
学校にはびこっておって、その中から
暴力の芽が育っておるということもあるのです。だから、安易な
警察官の導入というのは、管理的になり、権威的になり、逆に
校内暴力の芽を育てるということになる可能性もある、また、
教育の本質から言いまして、教職員が
学校現場から逃げれば、もうそこに、その瞬間に
教育は崩壊すると私は思います。そしてまた、
警察官の導入というのは、
教育の自主と自由の本義というものをゆがめることにもなります。
一部で
警察官導入、これを非常に進めるというような議論があって、そういうのが新聞等に報道されたときに、
文部大臣が新聞、報道機関に見解を表明されておりまして、安易な導入はすべきでないとかいうようなことを言っておられますが、この
警察官導入問題について、いま私がいろいろ申し上げましたけれども、
文部大臣の見解を聞いておきたい。