○寺前
委員 朝から細部にわたっていろいろ御
質問がありましたから、余り繰り返しのようなことをいつまでもやっておってもいけないと思いますので、だめ押し的なものと、今後の
考え方の問題などについて
大臣からいろいろ聞いてみたいというふうに思います。
いよいよこの法案を審議するというので、この間、私の出身の京都の農村部の二、三の町の担当者並びに農協の担当者に会いに行ってみたのです。福知山市、三和町、瑞穂町、そういうところを回ったのですが、どうだね、何か
農業者年金についてあなたたちから特別に言わなければならない問題があるかねという話をすると、異口同音に最初に出てくるのは、誤
加入の問題、間違って資格のない人が入ってしまっているという問題が期せずしてどこへ行っても出てくるわけなんですね。ことしで十年になるのですから、出発時からのいろいろの問題の未処理がいまだに残っている、こういうふうに言えると思うのです。
それでは、誤
加入というのは一体どういう問題で起こっているのか具体的に聞かせてください、こういう話をしてみるのです。わかりましたよ。たとえば、婿養子に自分は行っていると思っていて、そうして
農業者年金を掛けてきたわけなんです。いよいよ基準日が来た、来年から移譲
年金をもらう段階になったと思って
農業委員会の方で担当者が調べてみたら、何のことはない、一生懸命掛けていた人は実は婿養子の形式をとっていなかった。結局、娘さんをもらって結婚しておっただけで、手続はされてなかったから普通の結婚になる。だから財産の側からいったら、娘さんとしておじいさんから嫁さんの方が移譲は受けている、それをまた自分の下の子供に移譲するとするならば、嫁さんが入っていなかったらいかぬかった話になるじゃないか。これはそもそもあの
加入をしたときに資格をきちんとしておかなかったところからえらいことが起こったなという問題になるわけなんです。なに、形式論から言ったらきわめて明確な形式なんです。だが、田舎の実態というのは、かくのごとき実態というのが現実に存在しているのがその姿なんです。
こういう問題にも直面いたしました。農協の皆さんがせっせと、
農業者年金に入っておって損は絶対しませんぜ、息子さんに移譲されたときにごっそり
年金が入ってくるのですから、それはもうぜひお入りなさいや、入ることになってますのやと言って勧めに来た。それで、そんなに言うのだったらと思って私は入ったという。ある嫁さんでしたが、当時息子はまだ高等学校の生徒だった。何年かたって、いよいよ私、
年金をもらう年になってきたなと思って
農業委員会の人に、もうそろそろですなと言って聞いてみて、
農業委員会の担当者の方で調べてくれたら、奥さん入っているのが間違ってましたぜという話がそこでも出てきた。一体何じゃなと言うて聞いてみたら、おたくのだんなさんが亡くなったときに、すでに息子さんに跡取りとして、ちゃんと法務局の登記の方には、記録はそっちに行っているじゃありませんか、記録は奥さんのものになってませんぜ、そうすると奥さんから移譲しなければいけないのに、移譲の形式はもうだめですな、そもそも入っているのがおかしかったのと違いますかということを
農業委員会で言われて、それで奥さんが怒り出したわけなんです。
あなたたちが入れ入れと言うから入って、入っておって損はしませんぜと言われてきておったのに、いざ出すという段になったら間違ってますぜとは何事だと怒り出した。これは前に起こったらしいのです。さあそれから担当者が三回かわっている、今日まで五年ほどたっているそうですけれ
ども、いまだに解決がつかない。形式の解決はいつでもつけることができるわけです。だが、感情が伴っているわけです。さんざん今日まで掛けさしておいて、いまさら間違っておったとは何事ですかと言って、その奥さんかんかんになって怒っているわけです。さあ
農業委員会の諸君は何ぼか包んでいかぬとこれはぐあい悪いぜ、あの話はおさまらぬぜという話のままで、それもずっと今日まできている。
この種の話というのは、形式論からいったらそれは問答無用かもしれませんけれ
ども、現実にあの
農業者年金が始まったときに起こった姿というのは、かくのごとき問題が各所に起こって行き詰まっているのです。なぜこんなことになるのだろうか。そこで、こういうふうに形式が整わなかった問題について、一つは本人の責任だけでは責められない、処理をしなければいけないのじゃないだろうか。すなわち、資格のない人に掛けさせてきておった、いよいよお金を払う段になると、これは明確にあなたは移譲ということが書類上も整っていますかという点検を基金の方はされるのでしょう。なぜ
加入の段階できちんとそのことをやらなかったのか、やらなくて五
年間なら五
年間それを進めてきておった責任というのは明らかにとる必要があるのじゃないだろうか。いま言った方々のところで期せずして出てきたのは、郵便貯金だって五年も掛けておったらこれだけのお金になりますぜ、それが問答無用で、間違ってますという一片の話だけでこれを処理されるのですかという、この期せずして出てくる言葉、私は責任のとり方という問題についての何らかの指導が一つは要るのではないかと思います。
もう一つの問題は、その
加入をされるときに親切に相談に乗っておったら、ちゃんと移譲
年金をもらうことができる形式をつくることができたと思うのです。たとえば婿養子の人、その段階で奥さんが掛けておるというやり方をするならば解決をしておった問題だろうし、あるいは息子にちゃんと移譲ということが行われる段階のときの処理の仕方もあったでしょう。あの
加入のときに親切な処理がなされておったら当然移譲
年金がもらえる段階に来ておったものが、そのことがきちんとやられていなかった。私は受け付けた側の責任問題というものをそれなりに解決することをしなければならない、すなわち郵便貯金並みにと言うた提起の問題あるいは遡及して切りかえをすることができたはずではなかったかということに対する現実的な処理があってしかるべきなんじゃないだろうか。こういう問題について、身もふたもない形式論だけではなくして、何らかの処置を検討しておられるのかどうか、お聞きをしたいと思うのです。