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久保委員 まあ
政策局長個人をどうこう追及するわけじゃないですけれ
ども、非常に重要な問題だから、
郵政省としてもこういう納付金制度を創設するということになれば、過去においてもどうであったか。これは通信事業特別会計以外にはないのですね、国鉄の場合なんかやったことはないです。ところが、通信事業特別会計、いま
お話があったように、郵便を含めての通信事業特別会計に対して、
昭和九年以来当初は年間八千三百万円、ところが八千三百万円といっても当時の通信特別会計の固定資産が幾らかというと、わずかに三億数千万円だったのですね。私もいささか驚いておるのですが、通信事業特別会計での固定資産がわずかに三億数千万円の中で八千三百万円の納付金を納めたのです。
ところが、だんだんだんだん戦争が始まった。臨時軍事費、こういったものにまでだんだん吸い上げていくようなシステムになって、
昭和十九年までの間で実に十二億数千万円に上る納付金を徴収しているんですよ。ところが、十二億数千万円というと大変な
金額でして、いま申し上げるように、日本じゅうの電信電話、郵便
関係の固定資産が総計で三億数千万円。
昭和十九年当時の固定資産は約九億数千万円。その九億数千万円の当時の、すでに過去十一年間にわたる納付金というのは実に十二億数千万円に上っておったのです。
そういう結果がどういう結果をもたらしたのか。これは一々一問一答の形でなくて私から申し上げれば、したがって電信電話事業を例にとってみますと、非常に立ちおくれ荒廃した。もちろん、戦争で爆撃を受けた、戦災等によりまして。たとえば電話だけを取り上げて言えば、終戦当時にわずか五十数万になっておりましたが、しかし、とにかく焼けない電話全部含めても百万ちょっとぐらい、
昭和二十年当時の電話の加入者の数というものは大体百万を少し超える程度の数であったわけです。それが電電公社発足当時には百五十五万と言われておりますが、とにかく大変な立ちおくれで、私
どもも記憶にあるのは、当時個人が電話を持っているのは特権階級で、恐らく電話を持っておるのはほとんど、東京なんかの場合は別ですけれ
ども、とにかく全国でわずかに百万ちょっとぐらいという状況に置かれたのですが、これは一にいま申し上げたような十二億数千万円に上る納付金を納めておった、結局、電信電話事業に対する大変なしわ寄せで、大変な立ちおくれであった。
そのことは同時に、技術の革新といいますか技術の発達に大変な障害を来した。そのことを戦争と結びつけるとおかしいですけれ
ども、日本の電気通信技術、
電波関係の技術というものが非常に立ちおくれておったことは御承知のとおりでして、何か潜水艦がそこらに来たんじゃないかといって測定する機械も何もないといったようなことで、何か無線だといって適当に海へ線だけほうり込むけれ
ども、実際の機械もろくについていないような、そういったようなことでカムフラージュをしたというようなエピソードも私
ども耳にしておるのですが、電気通信、
電波を含めての技術の立ちおくれという大変な結果をもたらしたということも、これは歴史的な事実なんです。
そこで、
昭和二十七年のあの電信電話公社法制定当時の話につながってまいるわけでありますが、国会において、とにかくそういった納付金制度を創設すべきではない、そういう強い議論があって、とにかく現行の電信電話公社法というものができ上がった。そういう経過があるだけに、今回またぞろ納付金制度という問題を、昔のそういった苦い経験というものを無視した形で
考え出すこと自体が私は時代錯誤だと思います。確かにこの制度がなかった
関係で、御承知のように電信電話事業、最近いろいろな不正問題が出ておりますが、不正問題については、これはきのうも新総裁も言っておりましたように厳正に処置をしなければならぬ問題だと私は思います。しかし、一方において電信電話事業がどういう経過をたどって今日に至ったか、このことについての正しい判断と正しい評価は評価としてやはりしなければならぬと思うのです。
ところが今度は、いま申し上げたように納付金制度を、四年間とはいいながら明らかに時代逆行的な制度をなぜ
一体導入しなければならぬのか。国家財政が大変だから納付金制度で納めろと言うのですが、しかしあの財源確保法案は、私さっき申し上げたように電電だけ四年間にわたるもの、ほかのはみんな一年ですよ、赤字国債にしたって中央競馬会だって。それで、なぜ
一体四年間という形で納付金を納めなければならぬのか、納めるような制度をつくらなければならぬのかということを
考えますと、まことに平仄が合わぬのですよ。そういうことについて
一体どうお
考えになりますか。そういった歴史的な教訓を生かしていくことによって初めて、生きた事業なんですから、何もきのうがなくてきょうがあるんじゃなくて、ずっと長い間の歴史の積み重ねが今日の事業の発展をもたらしているんでして、しかもそれは単に
金額だけの問題以上に制度的な問題として問題がある。
先ほども申し上げたように、
最初発足したときは八千三百万円でスタートする。最後には少なくとも億の単位のつくものが納付金として一般会計に納入されておるのです。そのことについて、通信
政策局長は細かい点では御存じないのもやむを得ないかもしれませんが、しかし、とにかくいま申し上げたように終戦まであったのです。終戦の
昭和二十年は混乱ですから納付金どうとかこうとかいうことにならなかったと思うのですが、十九年までの中ではきちっと臨時軍事費にもあるいはまた国債特別基金だとかいったような名目で出されておりますが、総計いたしますといま申し上げましたように実に十二億数千万円になっております。十九年までは完全に臨時軍事費にも納入をしておることになっておるのです。そういった歴史を今度の場合
一体どう生かして
努力をせられたのか。この点ひとつ簡単にお答え願いたいと思うのです。