○正森
委員 両
局長からいろいろ御
意見を伺いましたが、私はやはり非常に問題があり、しかもこういうぐあいに法律を整備し、六十年からは大量の借りかえもあるということになりますと、私がいま
指摘したような点は単なる危惧にとどまらないで、現実性を帯びてくるのではないかということを
指摘しておきたいと思うのです。
それで、一々本当は質問で聞くべきなんですが、時間がなくなりましたので質問でなしに私の方から申し上げたいと思います。
調べてみますと、コール市場と手形売買市場、短期金融市場ですが、それを見てみますと、大体いつでも資金の取り手というのは都銀ですね。手形売買市場なんかでは大体九〇%ぐらい、それからコール市場の場合でも大体八〇%を超えるというような
状況であります。資金の提供者の方はどうかというと、意外なことに
信用金庫とか
相互銀行というのは、わりと小さなところがそれぞれ一〇%近く出しておるということで、手形売買市場などでは
信用金庫と全信連が二〇%というような資金の提供者になっているのですね。それはその限りにおいてこれらの地方の中小
金融機関が都銀に対して余裕資金を提供する、こういう関係になっているのですね。私は、こういう
状況が国債の販売という面でも出てくるのじゃないかということをやはり思わざるを得ないのです。いま
銀行局長が歩積み両建てとは違うのじゃないかという
意味を言いましたが、必ずしもそうとは言えない。その
一つは、なるほど業容の拡大とかという
意味では、従来どおりに
預金の預け入れと貸し出し、割引だけが
銀行の業容ならそうでしょうけれども、今度からは公共債をどれだけ取り扱ったか、それによってどれだけ利益を売買
手数料とか何とかで上げたかということが業容の
一つであれば、これはやはり業容の拡大ということで出てくる。それからまた、実効
金利の点から言いますと、歩積み両建てのようにもろにはそれによって実効
金利が上がるということはないにしても、
銀行というのは恒常的に大量の国債を持っておるわけですから、窓販で新規国債を売るという場合にはそれは右から左に国へ行くかもしれませんけれども、
自分の大量に持っておる国債をお得意さんに売りつけるということになれば、これはもろに
銀行に金が入ってくるわけですから、そしてそれを運用できるということになるわけですから、ある
意味では利息のかからない金が、国債を押しつけることによって、うんとこすっとこ入ってくるということになりますと、これは同時に
銀行にとって利益であり業容の拡大になるというように思わざるを得ないわけであります。
〔
大原(一)
委員長代理退席、
委員長着席〕
それを申し上げて、一言大蔵
大臣、あなたは昨年十一月の相銀大会で演説をしておられますね、それは週刊東洋
経済の五十六年三月十四日号に書いてあります。そこで「自己責任の原則に基づき経営を合理化し、体質を強化していくことが不可欠。
店舗行政の
弾力化も進めるが、さらに、各行間における業務提携、合併等、幅広い
措置について、
金融機関の自主的判断に基づいた検討が必要」こう言っておられるのですね。つまり金融再編成のお考えであります。再編成を必ずどんどん進めるというわけじゃありませんけれども、それは否定しない。その点から見ますと、今度の
銀行法の改正では合併だとか譲渡の規定が非常に整備されているんですね。現行
銀行法とは比べものにならないのです。しかもその中には異種
銀行、
相互銀行や
信用金庫、
信用組合、労働金庫まで吸収できるという規定になっておるのですね。それについて大蔵
大臣は
三つのことを判断しなければならないとなっておりますが、逆に言えば、
三つの点に触れなければこれはどんどん信金やら
信用組合やら労働金庫まで吸収してもいいというかっこうになっているんですね。これはこの
大臣の演説と比べ合わせますと、あるいは呉文二さんなどが護送船団方式なんというのはやめて
銀行といえども倒産あり得べし、余り健全でないのはどんどん吸収合併をやって整理していくのだという
意味のことを言うておられる、そういう
方向と軌を一にするのではないか。それがなぜ行われるかと言えば、これは国債の大量消化の時代を控えて、本当に消化しようと思えば、財政負担という点を考えなければ、買いやすい国債にする、つまり
金利をある程度引き上げて市場の実勢に従った
金利にするということが望ましいというのはいろんな方面から出ておるのですけれども、それをやりたいけれども余りそれをやったら財政負担が莫大になる。既発債の値段が暴落する。だからそれはできない。だからやはり
金利は統制しなければならぬ。財政負担が過大にならないように、許容する範囲内に国債つまり長期
金利はとどめなければならぬ。しかもなおかつ国債は消化しなければならぬし、借換債は消化しなければならぬ。それには
銀行に窓販、ディーリングを認める、そうすると大きなところは
自分の
預金を減らさないように消化しようとする。どこへ行くか。資金に若干余裕がある地方
銀行やら信金やら相銀やら、そういうところへ行く。そして系列化することによって吸収合併されるならそれは大いに結構という発想がやはり財政当局にあるんじゃないかというように思わざるを得ないわけであります。
私はその点について一言だけ
指摘しておきたい。わが国が同じような
状況にあったのは、
昭和六年の満州事変の後の
昭和八年の八月に政府は
銀行政策について新
方針を決定して、今後は一府県または
経済的に一単位とみなされる地域内での全金融系統を整備し、金融統制を確立することを決定した。
昭和十一年、いよいよ
昭和十二年の支那事変が始まる前に、当時の馬場蔵相は有名な一県一行主義というのでどんどんと整理をしたのです。ですから
昭和十一年には四百九十八あった
銀行が
昭和二十年にはなんと六十五に減ってしまった。これについて日銀の「満州事変以後の財政金融史」では次のように言っているのです。「しからば政府は何故にかくも積極的に合同を進めたのか。……いうまでもなく国債消化、低
金利政策遂行の要請であった。日華事変以来日銀引受による国債発行が累増するに従ってその消化の過程にも波乱を免れなかった。当時大都市所在の大
銀行はこの国債消化と生拡資金の供給とで手一杯の
状態であったから、消化の鉾先を地方
銀行にまで拡げることは当然の成行であった。そしてその拡大のためには
銀行の合同を必要としたのである。しかもそれは単に国債消化の技術上の便宜のためのみではなく、この種の
銀行のもつ地方的特色を減殺しその大
銀行への従属化、従ってその「国策」への順応を実現せんがためでもあった。そしてそのためには国債消化政策と密接な関係にある低
金利政策を地方へ浸透させねばならなかったが、」云云「地方
銀行を合同させることがより根本的だとされたのである」というようになっているのですね。私は、殷鑑遠からず、わが国の
昭和八年から十一年ごろの財政
状況というのは、現在の日本を考える上で大いに参考にしなければならぬことだと思います。
鈴木総理がレーガン大統領と会われて、日米共同声明で同盟関係を誇示されて、そして恐らく軍拡が行われるであろうという
状況になってまいりました。そういう
状況で国債を消化するために、やはり低
金利政策は維持しなければならぬ。だから
大臣も言われておるように、相銀やら信金やら信連というのは合併だ、そして、国債の窓販を認めてそういう
方向へどんどん売り込ませるというのが、やはり今度の
銀行法改正なり中小企業関連法案の改正の根底に流れる歴史の必然の
方向であり、哲学ではないかというのが私の推測であります。
私の予測が当たっていなければ幸いですけれども、当たっている可能性もまた非常に多い。歴史が決定するであろうと思いますが、
渡辺さんの哲学を伺って、時間が来ましたので、私の質問を終わります。