○堀
委員 そこで、実は公社の民営論というのが出ているわけでありますが、私、各公社の歴史的な経過をちょっと振り返って見てみたわけであります。そうしますと、専売公社は明治二十三年に作業会計法というのができて、それが長く続いておりまして、その後
昭和二十二年に専売局及び印刷局特別会計法というのができて、そして
昭和二十三年十二月に専売公社法ができ、二十四年六月に現在の専売公社になった、こういう歴史的な経過があるのですね。
日本国有鉄道も特別会計から
昭和二十三年十二月二十日、同じ時期に
日本国有鉄道法で公社になった。そして電電は、これは通信事業特別会計規則というのが
昭和九年にありまして、それが
昭和二十七年に
日本電信電話公社法に変わっておる。とりあえず公社だけを対象にいたしますと、専売公社法と国有鉄道法は実は同じ日にちに公社になっているのですね。
それで、なぜ公社になったかということで皆さんの話をいろいろと聞いてみると、これは何も
日本の側がやりたいということよりも政令二百一号で、例の二・一ストライキの後の対応としてどうやらこの二つは先に公社になって団体交渉権を認めようということになったけれども、要するに逓信省所管は当時の労働組合の抵抗が大変強いので、そのままに放置をされて実は
昭和二十七年に公社法になった、こういう歴史的な経過があるようです。
そこで、この二つは基本的な性格が違うのですね。公社法をしっかり読んでみますと、公社法のでき方が違う。どういうふうにでき方が違うかといいますと、専売公社法を例にとりますと、第一条、「
日本専売公社は、たばこ専売法」云々とたくさん法律が書いてありますが、「に基づき現在の国の専売事業の健全にして能率的な実施に当たることを目的とする。」「能率的」というのが入っているのですけれども、「専売事業の健全にして能率的な実施に当たることを目的とする。」というのが専売公社法第一条なのですね。ところが電信電話公社法の方は、第一条で「公衆電気通信事業の合理的且つ能率的な経営の体制を確立し、公衆電気通信設備の整備及び拡充を促進し、並びに電気通信による
国民の利便を確保することによつて、公共の福祉を増進することを目的として、ここに
日本電信電話公社を設立する。」目的、第一条から全然タイプが違うわけですね。要するに、この二十七年の電電公社法で初めて
アメリカのガバメントコーポレーションの考え方がここにはっきり
導入されてきている、こういうのが歴史的経過なのですね。
そこで、実は非常にこの点について興味がありますのは、
当時の連合軍総司令部は、このような
状態を
改善するため、マッカーサー元帥から芦田首相あて
昭和二十三年七月二十二日書簡を発し、「能率増進のために」逓信省を再編成し、内閣に二つの機関を設置することを促し、引き続いて同年九月には総司令部覚書が発せられ、逓信省を廃止し新たに電気通信省と郵政省を設置すべきことが勧告された。この結果、
昭和二十四年六月一日に電気通信省が誕生し、電気通信事業の新しい運営体制が確立された。
その後、
政府は、前述の電気通信事業復興促進に関する衆参両院の決議に基づき、電信電話の復興・拡充の促進を図るため、
昭和二十四年七月十二日内閣に電信電話復興審議会を設置することを閣議において決定し、会長に経団連会長の石川
一郎氏が指名された。
同審議会は、
昭和二十五年三月漸く結論を得るものとなり、内閣総理
大臣に対しおよそ次の内容の答申を行なつた。
電気通信事業は、公共的事業であるとともに
一つの経済的
企業であるにかかわらず、国営であるがゆえに
企業経営の基礎であるその財務会計および人事管理の
制度、方法が
一般行政および
一般公務員のそれと同一の基調において律せられている点において致命的な欠陥を有するものである。木事業の経済性に対する制約が、事業の公共性の達成に阻害となつている点に留意して、その経営主体を十分に自主性と機動性を持つた
企業に改め、もつて最も能率的な運営を行なわしめる必要があると考える。
これは
昭和二十五年三月の当時の経団連会長石川
一郎氏が主宰をしたいまの電信電話復興審議会の答申なのですね。この答申を受けて佐藤郵政
大臣が、今度の電信電話公社法の提案説明の中でこう言っておられるのですね。
さきにも申し上げましたように、財務、会計、人事管理等の面での国営形態の欠陥を除去して、
企業的能率的経営をなし得るためには、純然たる
民間形態も考えられるわけでありますが、電信電話事業は、全国にわたる膨大な組織及び設備を有し、巨額の資産を擁する公共事業でありますから、これを
民間に払い下げて株式会社組織に切りかえることは、再評価、株式の引受け、その他に多くの困難が予想されること、強度の公益性、技術的統一性及び自然的独占性を有する木事業については、純
民間企業としての長所を十分に期待できないこと、また公租、公課の賦課が加わるため、経営の合理化が促進されてもなおかつ相当の料金値上げを招来すること、年々巨額の拡張資金を
民間資本にのみ求めることは、現在のわが国の資本蓄積
状況から見てほとんど望み得ないこと等の理由から、民営形態は適当でないと思われるのであります。
政府は公衆電気通信事業の合理的かつ能率的な経営の体制を確立し、公衆電気通信設備の整備及び拡充を促進し、並びに電気通信による
国民の利便を確保することによつて、公共の福祉を増進するためには、国会及び
政府から必要な監督を受けることによつて公共性を確保します
とともに、一方事業経営上財務、会計、人事管理等の面における
一般行政官庁の制約を脱し、民営の能率的経営技術を取入れた自主的な
企業活動を行い得る
企業体としての公社形態に当事業の経営を行わしめることが最も適当であると考えまして、ここに
日本電信電話公社を設立することといたした次第であります。
こういうふうに佐藤さん提案趣旨説明を述べておられるのです。こうなっていれば、実は今日いまのような民営問題なんか出てこないのです。
そしてここに非常に重要な点がありますのは、
第二章は経営
委員会に関する規定でありまして、公社の業務の運営に関する重要事項を決定する機関として、
民間会社の取締役会に準ずる経営
委員会を設置いたすこととしております。この経営
委員会は、両議院の同意を待つて内閣が任命する非常勤の
委員三人と、職務上当然就任する常勤の特別
委員である総裁、副総裁二人の合計五人をもつて構成され、
委員長は
委員の互選により選任することとなつております。
まさに
日本電信電話公社というのは、そういう意味の目的を持って設立をされた公社であったわけであります。
ところが、
昭和二十八年に設立をされて、三十一年まではこの電電公社法に基づいて運営がされていたのでありますが、
昭和三十二年、当時の
大蔵大臣だれだか覚えてないのですけれども、そのときから予算統制というものを始めて、予算総則によって
給与総額制その他の流用その他を禁止して、がんじがらめに経理上その他でともかくまた特別会計へ引き戻した、これが私は今日の電電公社の
実態だと思うのです。
それで専売公社、
国鉄はどうか。
国鉄も専売公社も初めからこういう発想になってないのです。だから、たとえばたばこ審議会というものができていますけれども、これは大蔵省の中に審議会がある。言うなれば特別会計から名前だけ公社に変えたというのが専売公社と
日本国有鉄道の公社なのです。だから中曽根長官、いま私が申し上げている問題は、いま問題意識として
民間の皆さんが持っていらっしゃることは、電電公社が初期のこの石川さんたちの答申に基づき、当時の佐藤
大臣の提案趣旨説明のように運営をされておるならば、私は民営論なんて出る余地はないのじゃないか、こう思っておるのですが、長官いかがでございましょうか。