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鳴海参考人 鳴海でございます。
私も、
高橋先生と同様に、呼び出しを受けましたのがきのうでございまして、もう少し事前に御連絡いただけますならば、もっといい
意見を申し述べられるかもしれません。
私は、長年教師をしておりますけれども、
地方自治体に長い間おりまして、きょうは、
地方分権を推進する
立場から、広く
財政再建、それから
行政改革について
意見を申し述べたいと思います。
まず、トピック的な話ですが、最近朝日新聞を拝見しておりましたら、総理府が
世論調査を行っておりまして、「
社会意識に関する
世論調査」という中で、
国民が国に対してどういう
意識を持っているかということですが、それを見てみますと「国から何かしてもらいたい」という
国民が四四%、それから「国のために何かしたい」という
国民が一三%という
数字が出ておりまして、私はある種の感慨にとらわれたわけですが、一体この
数字をどう解釈するか、やはり
政府を大きくしなければならぬというふうに考えるのか、あるいはいままで
余り国民に
期待をばらまき過ぎて大きくなり過ぎたからこの辺で小さくしなければならぬというふうに解釈するか、いろいろあろうかと思います。
そういうことともう
一つは、これは私が住んでいる
神奈川県の
調査でありますが、
国民生活の上で将来
一体政府がどういう
役割りを果たすか、そういう
役割りに対する
期待についての
調査がありました。その
調査を見ますと、つまり
政府といっても国の
政府とそれから
地方の
政府、つまり
地方自治体があるわけですが、将来
国民生活について
中央政府に大いに
役割りを
期待したいと
答えたのが二八%、それから
自治体と
答えたのが五三・二%。倍近いわけであります。
地方自治体の中でも都道府県が二二%、市町村が三一・二%という結果が出ております。この
政府の
役割りに対する
期待を
地方の
時代の到来と見るか、あるいは
政府に対する
不信と見るか、これもいろいろあろうかと思います。いずれにいたしましても、いま問題になっております
財政再建、
国民の大多数の見地から見たら一体どういう
世論調査が生まれるだろうか。
幾つか
世論調査があろうかと思いますが、恐らく国定は増税には決して
賛成しないだろうということは推定できます。
その次には、
歳出の
削減には
賛成だろう、だがしかし、
総論は
賛成でも今度はこれこれの
経費を
削減するとなると恐らく
反対が多数だろう、
総論賛成、
各論反対のあれがあるだろう、しかし一致して恐らく
賛成するのは、公務員の数の
削減と給与の問題だけは一致するのではなかろうかという
感じがするわけであります。しかし、こうした非常に矛盾した
世論を前にしての
財政再建について
国民的な
コンセンサスをいかにしてつくっていくかということは非常にむずかしい、非常に困難な問題であります。
御承知のように、
わが国の
公的財政は
国民経済的に申しますと、
先進国との比較で、これは
高橋先生の御専門でありますが、決してビッグガバメントではないわけです。しかし、それにもかかわらず
赤字公債を発行し、多額の
借金を抱え、そしてまた
行政改革で減量しなければならぬという問題が起こっている。つまり小さな
政府の大合唱が起こっているのはなぜなのかという
基本的な問題についてやはり考えてみる必要が私はあるだろうと思います。
こういう
事態、そういう矛盾した
国民の状態の中でどう考えていくかということで、
幾つかの簡単な
論点を申し上げますと、何といっても、非常に大きく言うようですが、一体
日本の
財政についての
ビジョンは何か、言いかえるならば、
日本財政の
ビジョンというのは一体われわれはどういう
政府をつくろうとしているのか、
日本政府というのは、
日本の国というのは将来どういう方向、姿にあるべきなのかということがやはり
基本的に
議論されなければならないわけです。
私は古いことを思い出すわけですが、ある
政治家、もう亡くなりましたけれども、アメリカの
国民生活水準、イギリスの
民主主義、それからソ連の
社会保障ですか、この
三つを
目標として挙げた
政治家があったように記憶しております。この
三つの
目標、もう大分古くなったわけですが、しかしこれも
一つの
ビジョンで、非常にわかりやすい
ビジョンだったと思います。そういう
視点、一体どういう
政府をつくるのかということから、国の
政府と
地方の
政府、それから
民間の
役割り、つまり
公共の
役割り、
民間の
役割り、そういう
機能分担、
役割り分担について全体としてやはり根本的に再検討すべき時期に来ているのではなかろうか。つまり
公共の
領域、その
機能とは何なのか、
民間、私の、プライベートな
領域とは一体何なのか、第三の、共同のあるいは公的な
領域と
私的領域の中間にあるものは何なのかという根本的な問題にいまわれわれは突き当たっているのではないか。しかしこれは簡単に
答えが出ません。非常にむずかしい問題であります。しかし、国と
地方との
役割り分担、
機能分担ということについては、ある
程度のやはり
答えが私は出てきているのではないかというふうに思っております。
行財政の集権的な
構造、
つまり国の
中央各省が
権限、
財政を握っている、
地方にそれを下請に出している、
機関委任事務その他でやっている。そういう集権的な
行財政構造から分権的な
地方自治体に、身近な
政府で問題処理していくという体制に変えなければならぬ。そういう
意味では、国の
行政改革によって国の機構、
権限を少しスモールにしていく、その分、
地方自治体あるいは
国民の身近なところにおける
行政の処理というものの
分野がそれだけ広がっていくという
関係の中で、問題を
地方分権的に考えるということでは大方の
論点が私は出ているのではないかと思います。そのために
権限の移譲、
機関委任事務、
補助金の問題、税の再配分、こういうことはもうすでに第十七次
地方制度調査会の
答申にも出ているわけです。まだほとんど実行されるあれがありませんけれども、最低私は、十七次
地方制度調査会の
答申ぐらいはやはり誠実に実現してほしいと願ってやまないものであります。
次は、
負担の公平あるいは不公正の是正によって
行政に対する
国民の
信頼を回復するという大きな
課題であります。
これも
先生方はもう私が申し述べるまでもなく御存じのことでありますけれども、たとえばトーゴーサンと言われる税の問題、正直なサラリーマンは
物価調整減税も受けられない。あるいは
税制特別措置によるいろいろな
優遇措置、たとえば
医師の
優遇措置の問題も依然として
課題です。
受益者負担についても公平に行われているかどうか、いろいろやはり問題があります。そういうことに
国民はやはり不公平じゃないか、不公正じゃないかという
不信感をぬぐい切れない。心の中に非常に大きくわだかまっていることが私は非常に問題だと思います。
それから
歳出の
分野でもそうです。手厚い
農業関係の
補助金、米価の問題、医療の問題、国鉄の
地方線の廃止の問題あるいは
公共事業のばらまきの問題、あえて言うならば
防衛費と
社会保障費とのバランスの問題など、いろいろやはり
歳出の
分野についても
国民のいろいろな不満というものが私の耳にも聞こえてくるわけであります。そういう不公正、不公平、そういうことを是正していくことによって
政治に対する
信頼感を回復しないと、
財政再建ということの
コンセンサスはやはり得られないのじゃないかというのが
一つであります。
第二番目の問題は、
歳出構造の問題であります。
これも申すまでもありませんけれども、いままでの
昭和四十年代のような
高度経済成長の中で
自然増収がどんどん入ってくる、それで
公共事業をじゃんじゃんやる、あるいは二兆円
減税もやるという、
減税もでき
事業の拡大もできたという
時代は、もう私が申すまでもなくすでに終わっているわけであります。五十年で終わっているわけであります。低
成長、そして特に
高齢化社会の、
平均寿命がいま七十六歳ぐらいでありますけれども、もう八十歳になるであろうというそういう予想のもとに
社会構造がいま大きく変わっている、そういうものに対して
財政構造をどうするか、そういう
転換の時期に私は差しかかっていると思うわけでありまして、そういう
意味では、
公共事業主導型から
市民福祉主導型の
財政に切りかえていくという
歳出構造の
転換が問題であります。もちろんその場合の
社会福祉というのは決して狭い
意味の
社会福祉ではなくて、生活的な
社会資本の充実を軸とした
市民福祉、
国民生活水準、シビルミニマムの達成ということに私はあるのじゃないかと思います。
その次が、初めて
財政の
効率性の問題という
論点が出てくるだろうと私は思います。決して
効率、
能率性が先にあるのじゃなくて、そういうことをやった上で初めて
効率性のことが問題になるのでありまして、
効率性の場合は、ただ単に中央集権的に画一的にやれば物事は早いわけです。そういう
能率だけを言うんじゃなくて、
国民の中にどういう
効果があらわれているかという
観点から、
国民生活の
観点からやはり
効果を問題にする、そういう
意味では
能率を問題にするという
視点が私は必要なんじゃないかと思います。
以上のように見てきますと、
財政再建の問題は決して
財政問題じゃなくて、
高橋先生はちょっとニュアンスが違うように申されましたけれども、恐らく気持ちは変わらないと思います。やはりこれは金の問題じゃなくて、
政治、
行政の問題だ。という
意味で、私は、
行政改革が当然問題になってくるというのは必然的なことだろうと思います。
その
行政改革の問題について簡単に申し上げたいのですが、私は
神奈川県で役人をやっておりましたときに
地区センター、総合的な
地域の
住民の利用する
センターの建設の
計画を立てて、その実施をした経験があります。いまは大都市の中ではとても用地や何かは得られませんから、また
市民の便利のためにも、その中には
集会施設やら
老人福祉施設やらあるいは
図書館やら
体育館やら、そういう複合的な総合的な
地域センター的なものを建てる、つくっていく、
行政サービスをするというのは当然であります。しかし、
現実はどうなるかというと、公民館あるいは集会所的なものに対する
補助といいますか、それに対する
法律は、自治省と
文部省の所管であります。それからその中に
勤労婦人の
施設を入れようと思えば、それは
労働省になるわけであります。
勤労青少年のために夜間それを利用させよう、
勤労青少年対策の
意味を持たせようとすると、これも
労働省になるわけであります。
図書館、それから
体育館、これは
文部省になります。
老人福祉センター、
老人福祉は当然厚生省になるわけです。それぞれ
個別法に縛られておりまして、そこからそれぞれ
中央各省に行って話をつけて
補助金をもらってくるというやり方になりますと、それぞれ
基準がありまして、結局、まごまごしていますと
総合福祉センターに
官庁の人を三人か四人ぐらい置かなきゃならない。
玄関を
三つくらいつくらなきゃならない。こっちは
総合福祉センターの
入り口、こっちは
図書館の
入り口、ここは
体育館の
入り口、これは
労働省側、こっちは
自治体側なんて、そういう
官庁、
玄関みんな別々に、つまり
補助基準が決まっているわけであります。
〔
委員長退席、
大原(一)
委員長代理着席〕
その
体育館のことなんですけれども、小さな
体育館について、
文部省から私は
補助をもらわないことにいたしました。なぜかというと、
体育館について
補助をもらうと、その
補助基準によって
体育指導員を専任として置かなきゃならなくなるわけであります。そうすると大変なんですね。ですから私たちは実際
経費を節減するためにもあるいは
住民参加のためにも、その
体育館の
運営を
地域住民に委託をする、
地域住民の自主的な
運営でやってもらおうということを考えますと、
文部省基準に合わなくなるわけです。
補助金をもらえなくなるわけです。それならば
補助金は要らぬ、単独
事業でやって、そして
文部省の
補助金はお断りするという方が人件費から考えてあるいは
市民参加から考えて、その方が有効だということになってくるわけですね。そういう実際
自治体の現場に来ますと、
中央各省のばらばらな
行政というのが
現実にいろんな矛盾として起こってきて、
玄関が
三つもなければならぬという問題が起こるし、そして、その
補助も、言うまでもなく超過
負担の三分の一をよこすかというと、そのとおりにはよこさないという問題に私たちは、
自治体では
現実に突き当たっているわけであります。そういうことを現場で体験しておりますと、やはり
行政改革は国、
地方を通じて必要だ。これはもう私は必要だろうと思います。しかしその中で、いま
行政改革で問題になっておりますのが国、
地方を通ずる——
地方自治体の方の
行政改革も今度の第二臨調の対象にするんだということで、自治省と
行政管理庁との間でいろいろ問題があったように伺っております。
地方の問題は何かというと、公務員が多過ぎる。国家公務員が余りふえていないのに
地方公務員だけふえているじゃないかという、給与の問題も含めてなっているようであります。しかし問題は、
自治体にもいろいろ問題があるでしょう。しかし問題は何といっても先ほど
地域センターのことで申し上げましたように、国の
行政の
改革ということが何よりも先決であって、そのことが
改革されていくならば、おのずから
地方自治体の
行政改革は進むであろうというふうに、つまり二重、三重
行政のむだが解決されるということのためには、何といっても国の
行政改革が先であって、そして国、
地方一緒くたにして、同じ刀でばっさり切ってしまえという論理ではこの
行政改革は進まないし、
地方自治体の自主性は失われる。
地方自治体の
行政改革というのは、やはり
地方、
地域住民の総意、民意に基づいて、たとえ時間がかかろうともやっていくべき問題であって、一律に国の方でなたをふるうという感覚では、決して本来の
行政改革にはならぬだろうと私は思うわけであります。その点では、むしろ
地方自治体の方はいろいろ苦労しておりまして、いろいろ問題があるようですけれども、よくやっているんじゃないかと思います。
それで、
行政改革というのは、もうこんなこと
先生方に申し上げるあれもないわけでありますが、単に減量するのが
目的ではなくて、
国民的見地からの
行政効果、むだの排除をどうするかという問題である。したがって、
行政改革の
目的というのは、何といっても第一に硬直した
行政の官僚化あるいはあえて言うならば利権的
構造、そういうものをどう排除するかということがまず第一点で、そのために集権的
構造から分権的
構造への
転換ということがやはり必須条件だと思います。
第二点が、
国民の生活権をどう保障するかという問題です。つまりこの変化の激しい
社会構造の中にあって、
行政が十年前、二十年前と同じことをやっていないかどうか。
国民の本当のニーズに対して対応する
行政をやっているかどうか、あるいは新しく予想される問題に対して、
行政がきちんと対応しているかどうかということについて厳しくやはりチェックするというのが、
行政改革の第二の
課題であります。
それから第三番目に、先ほど申し上げた
行政の
効果の問題、
効率の問題が初めて問題になってくるというふうに思うわけであります。
いずれにいたしましても、国、
地方を通ずる
改革という見地に立って、ガバメントに対する——ガバメントというのは国、
地方を含めて、ガバメントに対する
国民の信用、
信頼をどう回復するかということが先決問題であります。そういうことを、
国民に開かれた
政府を長期的
視点に立ってどうつくり上げていくかというのが、皆さん方あるいは
国民にもあるいは
地方自治体にも課せられた
課題ではないかと思います。そうすることによって、一番最初に申し上げましたけれども、
政府に何かしてもらいたい、もっとよくしてもらいたいという四四%がもっと少なくなって、
政府のために何かしたいという
国民の数が多くなる、あるいは増税したっていいじゃないかという声が
国民の中からも起こらないとは限らない、そういう
政治にしたいものだ、そういう
財政再建にしたいものだということを考えておりまして、非常に大ざっぱな私の感想を述べましたけれども、終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)