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1981-04-09 第94回国会 衆議院 大蔵委員会 第20号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十六年四月九日(木曜日)     午前十時四分開議  出席委員    委員長 綿貫 民輔君    理事 越智 伊平君 理事 大原 一三君    理事 小泉純一郎君 理事 山崎武三郎君    理事 伊藤  茂君 理事 沢田  広君    理事 鳥居 一雄君 理事 竹本 孫一君       相沢 英之君    麻生 太郎君       今枝 敬雄君    木村武千代君       熊川 次男君    白川 勝彦君       中村正三郎君    平泉  渉君       毛利 松平君    森田  一君       柳沢 伯夫君    与謝野 馨君       大島  弘君    佐藤 観樹君       戸田 菊雄君    平林  剛君       村山 喜一君    柴田  弘君       玉置 一弥君    正森 成二君       蓑輪 幸代君    柿澤 弘治君  出席政府委員         大蔵政務次官  保岡 興治君         大蔵省主計局次         長       西垣  昭君  委員外出席者         参  考  人         (法政大学経済         学部教授)   高橋  誠君         参  考  人         (関東学院大学         経済学部教授) 鳴海 正泰君         大蔵委員会調査         室長      葉林 勇樹君     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  財政運営に必要な財源確保を図るための特別  措置に関する法律案内閣提出第三号)      ————◇—————
  2. 綿貫民輔

    綿貫委員長 これより会議を開きます。  財政運営に必要な財源確保を図るための特別措置に関する法律案議題といたします。  この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  すなわち、ただいま議題となっております本案について、その審査中及び本日午後開会される連合審査会において、参考人として日本中央競馬会関係者出席を求め、その意見を聴取することにいたしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。     〔「異議なしと」呼ぶ者あり〕
  3. 綿貫民輔

    綿貫委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。     —————————————
  4. 綿貫民輔

    綿貫委員長 これより本案について参考人から意見を聴取することにいたします。  本日、御出席をいただきました参考人は、法政大学経済学部教授高橋誠君、関東学院大学経済学部教授鳴海正泰君の各位であります。  この際、参考人各位に一言申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。本委員会におきましては、目下財政運営に必要な財源確保を図るための特別措置に関する法律案を審議いたしておりますが、本案につきまして、参考人各位のそれぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきますようにお願いいたします。  なお、御意見は十五分程度にお取りまとめをいただき、その後、委員からの質疑にお答えを願うことにしたいと存じます。何とぞよろしくお願い申し上げます。  それでは、まず最初に高橋参考人からお願い申し上げます。
  5. 高橋誠

    高橋参考人 ただいま御紹介いただきました高橋でございます。私事にわたりますが、昨日夜、ここへ出て意見を述べろという話を承りましたので、準備不足と申しますか、むしろ率直に申し上げまして準備なしでございます。整わぬ点があるかと思いますが、何とぞ御容赦いただきたいと思います。  ただいま委員長からのお話がありましたように、現在この委員会にかかっておりますいわゆる財源に関する特別措置法律案は、私の見ますところ、大要二つ内容になっているかと思います。言うまでもないことでありますが、第一点はいわゆる特例債に関する法律条項、それから第二点は、今年度の新しい措置としまして、いわゆる各機関からの国庫納付金等に関する特例措置の規定の部分であります。いずれも重要な内容を含んでいると考えますけれども、何しろ時間の制約もあることでありますので、要点のみ申し上げることにいたします。  順序は逆になりますが、後段の部分につきまして一つだけコメントしておきたいと思います。  これは、この財政状況にかんがみてそれぞれの機関から特別納付金等措置をとる、こういうことであろうかと思います。これはそれぞれの機関について可否を検討しなければならないと思いますので、これは一義的に議論するというわけにはまいらぬかと思うのでありますが、こういう措置をとらなければならないという背景は、私も財政学をやっている者の一人として十分理解できます。制度上整わぬところはあるけれども、これは緊急事態であるからこういう特別措置をとるということであれば、これはこれで了解されるわけであります。しかし、私が非常に気にかかる点は、これはやや言葉にこだわるかと思いますけれども、この措置行政改革一環であると言われていることであります。むしろ私はこれは行政改革一環でない。臨時異例特別措置であるということであれば、ここにありますように、まさにこれは財源に関する特別措置でありまして、行政改革というからにはそれなり合目的性あるいは手段の目的に対する合理性というものがはっきりしなければならない。行政改革はやや過剰な広告宣伝という感があるばかりではなくて、むしろこれはそういう財政に関する緊急措置というふうに考えて、そういう形で処理すべきであるというふうに考えるわけでありまして、むしろこれは行政改革とは無縁だというふうに割り切った方が私どもとしては了解しやすい。もしこれは行政改革ということであれば、それぞれ、たとえば電電公社等制度基本にかかわるというようなことがあろうかと思いますので、これはそれなり議論がやはり必要ではないか、こういうふうに考えるわけであります。これが第一点。  続いて前段の部分、すなわち特例債に関する問題であります。これにつきまして三、四点意見を申し述べたいと思います。  第一点は、申すまでもないことでありますが、しかしここで繰り返してやはり述べておかなければならぬと思いますけれども、これはわが国財政基本的ルールを定めた財政法の第四条というものに対しては明らかな違反でありまして、基本的なルール違反——これが昭和四十年に一回ありましたけれども、昭和五十年以来六回続いているというのは、当面の財政運営というふうなことはそれとして理解できますけれども、これは政治論としてはやはり重要な責任というものを伴う問題である。この点は厳粛に考えてほしいと希望いたします。これは、第一点として、やはりそういう政治的責任基本的ルールを守り得ない政治的責任というものは重大な問題としてあるということを指摘したいのであります。  したがって、今度は第二点でありますが、今回の予算案におきまして、御案内のように特例債の二兆円の減額措置がとられております。私は、これを評価するにやぶさかではありません。私自身、実は前年度の予算案、五十五年度の予算案において、これはやや景気づけということもありますし、もうすでに五十四年度の実績で一兆八千億の減額が行われたということで、一兆円の減額では少ないということを主張してまいりました。それが、一年おくれではありますが、実現したことは、これはこれで大変結構だと思います。短期の問題、公債の引き受けの問題とかいうふうなことについての状況は、かなり好転したと思われます。むしろ公債の問題は、後で申し述べますように、中長期の問題としては非常に深刻な問題だと思いますけれども、短期の問題、あるいは財政再建というのも、一つの成果を上げたというふうに考えます。  しかしながら、これは第三点になりますが、その方式ということについては、これは私なりの意見があります。国債の減額というのは、やはり減額をすればいいということではなくて、財政改革というものを伴わなければならぬ。そうでなければ、赤字を出している根源にメスを入れるということを伴って行われなければ、積極的な解決にならぬというふうに考えるからであります。この点につきまして、一つは、歳入面についてかなりの努力がなされたことは評価いたしますけれども、そういう基本的な構造に切り込む気魄というものを十分感じ取れなかったのは遺憾であります。それから、財政費用負担というものにつきましても、これはもう現実論として何がしかの増大というものはやむを得ないと思いますが、しかしながら、やはり国民のそういう負担が増加するということになれば、他方で公平の確保の問題というものはきわめて重要かと思います。端的に申しまして、グリーンカードの導入とかあるいは医師優遇税制の手直しというふうなことで、不公平税制の問題というのはもうすでに大半が解決したのだということではやはり困るのであります。これは、それぞれの制度の見直しの時期等の関係もありますが、なお一層不公平税制についての積極的なアプローチというものが欲しかったように思います。  それから第四点、最後の点でありますが、先ほど来申しましたように、私は、この特例債を含めて公債の問題というのは、むしろ今後に、非常に近い将来に迫っております借りかえと償還の問題ということにあろうかと思います。これは御案内のように、いわゆる特例債というのは満期が来れば現金償還するということが定められております。すでに五十年に始まったわけでありますから、もう非常に近い機会にその問題に取り組まなければならない。先ほど、短期の問題については、消化等のことについてはかなりの目安がついたという評価をしたわけですが、この後者の問題についてはほとんど準備がないという感じがいたします。たとえば、私のちょうだいいたしましたこの資料でも、参考部分としまして償還計画というものが掲げられておりますけれども、これは率直に申して償還計画の名に値するかどうか、大変疑わしいという感じがいたします。  そこで、借りかえ等につきましてはかなり準備が進められているかにうかがわれますけれども、特にこの特例債現金償還の問題については、その問題の重要性ということについての提起も十分なされていないという感じがいたします。これは、そういうことよりも、当面はやはり特例債をゼロにしていくことが緊急課題であるから、順序からいってそちらが先だ、こういうことであろうかと思います。それはそれで理解がつくわけですが、しかし、状況からいってそういうふうにも言っておれないと思うのであります。本来ならば、これは十年償還でありますから、十分の一ずつ基金に償還分を積み立てるということが望ましいと思われますけれども、いまの赤字債他方でゼロにしていかなければならぬという至上命令がありますから、一方で減債し、一方で貯金をするというような形にもなりますので、一挙にそういう措置がとれないということは私も了解いたします。  そこで、とりあえず特例債の残高については、現在すでに定められている百分の一・六でありますか、その繰入率を割り増しする。これは何%程度が適当かというのは、なお具体的に検討しなければなりませんが、それを段階的に高めていくというようなことを考えて、これは早速五十七年くらいから導入することを検討したらどうかと思うのであります。これは、特に問題の重要性、一種の予算の持つアナウンスメント効果と申しますか、そういう点からもむしろ非常に大事ではないかと思うのであります。  十分意見が申し述べられない制約感じております。質問の時間があるようでありますから、私の申し足りなかったことはそこで補足したいと思います。  最後に、公債は出すことは非常に簡単でありますが、これを償還する、借金払いをすることは、その数十倍非常に困難な仕事であるというのが私の感想であります。それにしましても、われわれの先輩は、戦後に財政法という非常にりっぱなルールをつくってくれたわけであります。いろいろな議論はあろうかと思いますけれども、やはりこのルールに一日も早く戻すということがわれわれの重要な政治的な課題ではないかと思うのであります。  以上であります。(拍手)
  6. 綿貫民輔

    綿貫委員長 ありがとうございました。  次に、鳴海参考人にお願いいたします。
  7. 鳴海正泰

    鳴海参考人 鳴海でございます。  私も、高橋先生と同様に、呼び出しを受けましたのがきのうでございまして、もう少し事前に御連絡いただけますならば、もっといい意見を申し述べられるかもしれません。  私は、長年教師をしておりますけれども、地方自治体に長い間おりまして、きょうは、地方分権を推進する立場から、広く財政再建、それから行政改革について意見を申し述べたいと思います。  まず、トピック的な話ですが、最近朝日新聞を拝見しておりましたら、総理府が世論調査を行っておりまして、「社会意識に関する世論調査」という中で、国民が国に対してどういう意識を持っているかということですが、それを見てみますと「国から何かしてもらいたい」という国民が四四%、それから「国のために何かしたい」という国民が一三%という数字が出ておりまして、私はある種の感慨にとらわれたわけですが、一体この数字をどう解釈するか、やはり政府を大きくしなければならぬというふうに考えるのか、あるいはいままで余り国民期待をばらまき過ぎて大きくなり過ぎたからこの辺で小さくしなければならぬというふうに解釈するか、いろいろあろうかと思います。  そういうことともう一つは、これは私が住んでいる神奈川県の調査でありますが、国民生活の上で将来一体政府がどういう役割りを果たすか、そういう役割りに対する期待についての調査がありました。その調査を見ますと、つまり政府といっても国の政府とそれから地方政府、つまり地方自治体があるわけですが、将来国民生活について中央政府に大いに役割り期待したいと答えたのが二八%、それから自治体答えたのが五三・二%。倍近いわけであります。地方自治体の中でも都道府県が二二%、市町村が三一・二%という結果が出ております。この政府役割りに対する期待地方時代の到来と見るか、あるいは政府に対する不信と見るか、これもいろいろあろうかと思います。いずれにいたしましても、いま問題になっております財政再建国民の大多数の見地から見たら一体どういう世論調査が生まれるだろうか。幾つ世論調査があろうかと思いますが、恐らく国定は増税には決して賛成しないだろうということは推定できます。  その次には、歳出削減には賛成だろう、だがしかし、総論賛成でも今度はこれこれの経費削減するとなると恐らく反対が多数だろう、総論賛成各論反対のあれがあるだろう、しかし一致して恐らく賛成するのは、公務員の数の削減と給与の問題だけは一致するのではなかろうかという感じがするわけであります。しかし、こうした非常に矛盾した世論を前にしての財政再建について国民的なコンセンサスをいかにしてつくっていくかということは非常にむずかしい、非常に困難な問題であります。  御承知のように、わが国公的財政国民経済的に申しますと、先進国との比較で、これは高橋先生の御専門でありますが、決してビッグガバメントではないわけです。しかし、それにもかかわらず赤字公債を発行し、多額の借金を抱え、そしてまた行政改革で減量しなければならぬという問題が起こっている。つまり小さな政府の大合唱が起こっているのはなぜなのかという基本的な問題についてやはり考えてみる必要が私はあるだろうと思います。  こういう事態、そういう矛盾した国民の状態の中でどう考えていくかということで、幾つかの簡単な論点を申し上げますと、何といっても、非常に大きく言うようですが、一体日本財政についてのビジョンは何か、言いかえるならば、日本財政ビジョンというのは一体われわれはどういう政府をつくろうとしているのか、日本政府というのは、日本の国というのは将来どういう方向、姿にあるべきなのかということがやはり基本的に議論されなければならないわけです。  私は古いことを思い出すわけですが、ある政治家、もう亡くなりましたけれども、アメリカの国民生活水準、イギリスの民主主義、それからソ連の社会保障ですか、この三つ目標として挙げた政治家があったように記憶しております。この三つ目標、もう大分古くなったわけですが、しかしこれも一つビジョンで、非常にわかりやすいビジョンだったと思います。そういう視点、一体どういう政府をつくるのかということから、国の政府地方政府、それから民間役割り、つまり公共役割り民間役割り、そういう機能分担役割り分担について全体としてやはり根本的に再検討すべき時期に来ているのではなかろうか。つまり公共領域、その機能とは何なのか、民間、私の、プライベートな領域とは一体何なのか、第三の、共同のあるいは公的な領域私的領域の中間にあるものは何なのかという根本的な問題にいまわれわれは突き当たっているのではないか。しかしこれは簡単に答えが出ません。非常にむずかしい問題であります。しかし、国と地方との役割り分担機能分担ということについては、ある程度のやはり答えが私は出てきているのではないかというふうに思っております。  行財政の集権的な構造つまり国中央各省権限財政を握っている、地方にそれを下請に出している、機関委任事務その他でやっている。そういう集権的な行財政構造から分権的な地方自治体に、身近な政府で問題処理していくという体制に変えなければならぬ。そういう意味では、国の行政改革によって国の機構、権限を少しスモールにしていく、その分、地方自治体あるいは国民の身近なところにおける行政の処理というものの分野がそれだけ広がっていくという関係の中で、問題を地方分権的に考えるということでは大方の論点が私は出ているのではないかと思います。そのために権限の移譲、機関委任事務補助金の問題、税の再配分、こういうことはもうすでに第十七次地方制度調査会答申にも出ているわけです。まだほとんど実行されるあれがありませんけれども、最低私は、十七次地方制度調査会答申ぐらいはやはり誠実に実現してほしいと願ってやまないものであります。  次は、負担の公平あるいは不公正の是正によって行政に対する国民信頼を回復するという大きな課題であります。  これも先生方はもう私が申し述べるまでもなく御存じのことでありますけれども、たとえばトーゴーサンと言われる税の問題、正直なサラリーマンは物価調整減税も受けられない。あるいは税制特別措置によるいろいろな優遇措置、たとえば医師優遇措置の問題も依然として課題です。受益者負担についても公平に行われているかどうか、いろいろやはり問題があります。そういうことに国民はやはり不公平じゃないか、不公正じゃないかという不信感をぬぐい切れない。心の中に非常に大きくわだかまっていることが私は非常に問題だと思います。  それから歳出分野でもそうです。手厚い農業関係補助金、米価の問題、医療の問題、国鉄の地方線の廃止の問題あるいは公共事業のばらまきの問題、あえて言うならば防衛費社会保障費とのバランスの問題など、いろいろやはり歳出分野についても国民のいろいろな不満というものが私の耳にも聞こえてくるわけであります。そういう不公正、不公平、そういうことを是正していくことによって政治に対する信頼感を回復しないと、財政再建ということのコンセンサスはやはり得られないのじゃないかというのが一つであります。  第二番目の問題は、歳出構造の問題であります。  これも申すまでもありませんけれども、いままでの昭和四十年代のような高度経済成長の中で自然増収がどんどん入ってくる、それで公共事業をじゃんじゃんやる、あるいは二兆円減税もやるという、減税もでき事業の拡大もできたという時代は、もう私が申すまでもなくすでに終わっているわけであります。五十年で終わっているわけであります。低成長、そして特に高齢化社会の、平均寿命がいま七十六歳ぐらいでありますけれども、もう八十歳になるであろうというそういう予想のもとに社会構造がいま大きく変わっている、そういうものに対して財政構造をどうするか、そういう転換の時期に私は差しかかっていると思うわけでありまして、そういう意味では、公共事業主導型から市民福祉主導型の財政に切りかえていくという歳出構造転換が問題であります。もちろんその場合の社会福祉というのは決して狭い意味社会福祉ではなくて、生活的な社会資本の充実を軸とした市民福祉国民生活水準、シビルミニマムの達成ということに私はあるのじゃないかと思います。  その次が、初めて財政効率性の問題という論点が出てくるだろうと私は思います。決して効率能率性が先にあるのじゃなくて、そういうことをやった上で初めて効率性のことが問題になるのでありまして、効率性の場合は、ただ単に中央集権的に画一的にやれば物事は早いわけです。そういう能率だけを言うんじゃなくて、国民の中にどういう効果があらわれているかという観点から、国民生活観点からやはり効果を問題にする、そういう意味では能率を問題にするという視点が私は必要なんじゃないかと思います。  以上のように見てきますと、財政再建の問題は決して財政問題じゃなくて、高橋先生はちょっとニュアンスが違うように申されましたけれども、恐らく気持ちは変わらないと思います。やはりこれは金の問題じゃなくて、政治行政の問題だ。という意味で、私は、行政改革が当然問題になってくるというのは必然的なことだろうと思います。  その行政改革の問題について簡単に申し上げたいのですが、私は神奈川県で役人をやっておりましたときに地区センター、総合的な地域住民の利用するセンターの建設の計画を立てて、その実施をした経験があります。いまは大都市の中ではとても用地や何かは得られませんから、また市民の便利のためにも、その中には集会施設やら老人福祉施設やらあるいは図書館やら体育館やら、そういう複合的な総合的な地域センター的なものを建てる、つくっていく、行政サービスをするというのは当然であります。しかし、現実はどうなるかというと、公民館あるいは集会所的なものに対する補助といいますか、それに対する法律は、自治省と文部省の所管であります。それからその中に勤労婦人施設を入れようと思えば、それは労働省になるわけであります。勤労青少年のために夜間それを利用させよう、勤労青少年対策意味を持たせようとすると、これも労働省になるわけであります。図書館、それから体育館、これは文部省になります。老人福祉センター老人福祉は当然厚生省になるわけです。それぞれ個別法に縛られておりまして、そこからそれぞれ中央各省に行って話をつけて補助金をもらってくるというやり方になりますと、それぞれ基準がありまして、結局、まごまごしていますと総合福祉センター官庁の人を三人か四人ぐらい置かなきゃならない。玄関三つくらいつくらなきゃならない。こっちは総合福祉センター入り口、こっちは図書館入り口、ここは体育館入り口、これは労働省側、こっちは自治体側なんて、そういう官庁玄関みんな別々に、つまり補助基準が決まっているわけであります。     〔委員長退席大原(一)委員長代理着席〕  その体育館のことなんですけれども、小さな体育館について、文部省から私は補助をもらわないことにいたしました。なぜかというと、体育館について補助をもらうと、その補助基準によって体育指導員を専任として置かなきゃならなくなるわけであります。そうすると大変なんですね。ですから私たちは実際経費を節減するためにもあるいは住民参加のためにも、その体育館運営地域住民に委託をする、地域住民の自主的な運営でやってもらおうということを考えますと、文部省基準に合わなくなるわけです。補助金をもらえなくなるわけです。それならば補助金は要らぬ、単独事業でやって、そして文部省補助金はお断りするという方が人件費から考えてあるいは市民参加から考えて、その方が有効だということになってくるわけですね。そういう実際自治体の現場に来ますと、中央各省のばらばらな行政というのが現実にいろんな矛盾として起こってきて、玄関三つもなければならぬという問題が起こるし、そして、その補助も、言うまでもなく超過負担の三分の一をよこすかというと、そのとおりにはよこさないという問題に私たちは、自治体では現実に突き当たっているわけであります。そういうことを現場で体験しておりますと、やはり行政改革は国、地方を通じて必要だ。これはもう私は必要だろうと思います。しかしその中で、いま行政改革で問題になっておりますのが国、地方を通ずる——地方自治体の方の行政改革も今度の第二臨調の対象にするんだということで、自治省と行政管理庁との間でいろいろ問題があったように伺っております。地方の問題は何かというと、公務員が多過ぎる。国家公務員が余りふえていないのに地方公務員だけふえているじゃないかという、給与の問題も含めてなっているようであります。しかし問題は、自治体にもいろいろ問題があるでしょう。しかし問題は何といっても先ほど地域センターのことで申し上げましたように、国の行政改革ということが何よりも先決であって、そのことが改革されていくならば、おのずから地方自治体行政改革は進むであろうというふうに、つまり二重、三重行政のむだが解決されるということのためには、何といっても国の行政改革が先であって、そして国、地方一緒くたにして、同じ刀でばっさり切ってしまえという論理ではこの行政改革は進まないし、地方自治体の自主性は失われる。地方自治体行政改革というのは、やはり地方地域住民の総意、民意に基づいて、たとえ時間がかかろうともやっていくべき問題であって、一律に国の方でなたをふるうという感覚では、決して本来の行政改革にはならぬだろうと私は思うわけであります。その点では、むしろ地方自治体の方はいろいろ苦労しておりまして、いろいろ問題があるようですけれども、よくやっているんじゃないかと思います。  それで、行政改革というのは、もうこんなこと先生方に申し上げるあれもないわけでありますが、単に減量するのが目的ではなくて、国民的見地からの行政効果、むだの排除をどうするかという問題である。したがって、行政改革目的というのは、何といっても第一に硬直した行政の官僚化あるいはあえて言うならば利権的構造、そういうものをどう排除するかということがまず第一点で、そのために集権的構造から分権的構造への転換ということがやはり必須条件だと思います。  第二点が、国民の生活権をどう保障するかという問題です。つまりこの変化の激しい社会構造の中にあって、行政が十年前、二十年前と同じことをやっていないかどうか。国民の本当のニーズに対して対応する行政をやっているかどうか、あるいは新しく予想される問題に対して、行政がきちんと対応しているかどうかということについて厳しくやはりチェックするというのが、行政改革の第二の課題であります。  それから第三番目に、先ほど申し上げた行政効果の問題、効率の問題が初めて問題になってくるというふうに思うわけであります。  いずれにいたしましても、国、地方を通ずる改革という見地に立って、ガバメントに対する——ガバメントというのは国、地方を含めて、ガバメントに対する国民の信用、信頼をどう回復するかということが先決問題であります。そういうことを、国民に開かれた政府を長期的視点に立ってどうつくり上げていくかというのが、皆さん方あるいは国民にもあるいは地方自治体にも課せられた課題ではないかと思います。そうすることによって、一番最初に申し上げましたけれども、政府に何かしてもらいたい、もっとよくしてもらいたいという四四%がもっと少なくなって、政府のために何かしたいという国民の数が多くなる、あるいは増税したっていいじゃないかという声が国民の中からも起こらないとは限らない、そういう政治にしたいものだ、そういう財政再建にしたいものだということを考えておりまして、非常に大ざっぱな私の感想を述べましたけれども、終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
  8. 大原一三

    大原(一)委員長代理 ありがとうございました。  以上で参考人からの御意見の開陳は一応終わりました。     —————————————
  9. 大原一三

    大原(一)委員長代理 これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。伊藤茂君。
  10. 伊藤茂

    ○伊藤(茂)委員 参考人の皆さんには、伺いましたら新学期でいろいろとお忙しいところをお越しいただきましてありがとうございました。また、非常に急にお願いをしましたようで、まことに恐縮であります。当委員会も、今国会では御承知のとおりに史上最高の増税をめぐって、あるいは物価調整をベースとする減税問題などをめぐって活発な議論がありまして、臨時異例のこともいろいろとあった状態でありますから、御了承いただきまして、また今後とも御協力をお願いしたいと思います。  若干ただいま伺いました内容に関連をしてお伺いをさせていただきたいと思いますが、まず高橋参考人にお伺いいたします。  先ほど先生のお話の中で、財政再建についての基本的なお考え、行政改革との関係、あり方などについてのお話がございました。私は、当面のことと中期のことと二つのことでもうちょっと突っ込んだ御意見を伺いたいわけでありますが、私も、ただいま審議中の法案などにも関連をして振り返ってみますと、財政再建論議もちょっと新しい局面を迎えているという気がいたします。五十九年度までに特例債をゼロにするという目標に向けては、昨年、五十五年の大蔵省が出しました財政収支試算と比較をしてみましても、思ったよりも速いテンポで改善が進んでいるというふうにも見ていいのだろうと思いますが、二つ新しい問題と申しますのは、一つは当面のことで、総理が大型新税なしの五十七年度予算財政再建ということを表明されているわけですが、それに関連をして、何か財政再建、それから行政改革、イコールで結んだような議論がマスコミを見ましても集中をしているわけであります。こういうものを一体どう考えるのかというところが一つあると思いますし、もう一つは、先生も言われました中長期の問題です。六十年度から多額の償還の時期に入ってまいりますし、また国債費の急増ということも、中期に見た項目別の歳出の中では何といっても国債費がナンバーワンで急膨張するということは避けられない。それにどう対処するのか。新たな観点からこの二つに本格的に取り組まなければならないという気がいたします。  それを取り組むに当たって、何かそれぞれに明確なプリンシプルといいますか、政策の合理性のある指標といいますか、そういうものが必要ではないかということを、実はこの審議の間、私も痛感をしているところでありまして、たとえば当面の問題について、財政再建イコール行革というような形での論議が展開されている。これも考えてみますと、財政再建も単なる国の財政の帳じり合わせだけではありませんし、あるべき財政構造、またベースとなる日本の経済をどういう構築にしていくのか。私どもは福祉型税財政と思いますけれども、そういうことがベースにあって論じられるべきであろう。ところが、行政改革。その前提として、大型新税をやらない。したがって、行政改革財政中期展望で見ても二兆七千億、二兆円は補助金を切らなければならない。どこを切るのか、一律カットでなければできないのか、それもおかしいではないかとか、そんな議論が横行して、横行というのもおかしいのですけれども、横行している状態でありまして、私もちょっと思うのですが、現総理をどうこう言うわけではありませんけれども、亡くなった大平総理がいらっしゃれば、もちろん見解が与野党違いますけれども、もっと幅広い視野でこういう問題もお考えになったのではないだろうかなというふうな気もいたすわけでありますが、その辺の論理あるいはプリンシプルというものを整理をして考えないと、これは自治省だって大蔵省だってみんな困っちゃうだろうと思うのですね。腹の中では困っちゃっているのではないかと思うのですけれども、そういう意味での当面の処理についての論理、あり方というものを一体どう考えたらいいのだろうかということが一つです。  それからもう一つの中長期の問題は、先生もお触れになりましたが、いずれにしても歳入歳出あるいはこれからの社会を含めた構造的な改革の展望ということをベースにして中長期の展望が立てられる。そういう意味で二つ、より新しい局面での新しい分析あるいは考え方というものを持たなければならぬじゃないかという気がいたすわけでありますが、先生も冒頭にお触れになりましたが、もうちょっとその辺のところをお伺いしたいわけであります。
  11. 高橋誠

    高橋参考人 伊藤委員から大変むずかしい御質問をちょうだいしたわけでありまして、十分なお答えになるかどうかわかりませんが、私の考えているところを申し述べたいと思います。  基本的な認識は私も伊藤委員とさほど違わないのじゃないかと思っておりますが、まず第一点として、財政と申しましても、これは経済の上にあるといいますか、公式的に見ますと下部構造と上部構造、あるいは本家と分家、親子の関係でありますから、いずれにしましても経済をどう運営していくかということが財政政策の選択にとっては一番重要な問題だと思うのであります。かつてのような高成長というものは望むべくもないわけでありますが、大体いわゆる実質五%成長というのはほぼ定着しつつあるかに思いますので、やはりそれを基本的には維持していくということがまず基本だと思うのであります。税収が減れば元も子もなくなるということでありますから、その上でいまわれわれに求められているのは公共部門の活動の変革、経済全体がいわゆる高度成長からより発展した段階に入ってきているわけでありますから、そういうことに合わせて公共部門自体を改革していかなければならぬ。これがいまわれわれに課せられた課題である。  問題は、それをどういうビジョンでやっていくのかということであります。これは、先ほど鳴海さんからもいろいろ意見が出されたわけでありますが、私はこれは第一点として、まず行政改革をどういうふうな内容で考えるかということでありますけれども、ある程度の減量経営というものは避けて通れないだろう。そういう意味で、鈴木首相がどういう意味政治生命をかけられるとおっしゃっているのかわかりませんけれども、そういう決意をなさったことは私も評価するにやぶさかでないわけでありますが、問題は、政府のやる仕事を減らせばいいということがこの改革目標になってはいかぬわけでありまして、まず必要な住民のニーズには積極的にこたえていくけれども、従来の不急不要といいますか、そういうものは思い切って削る。そして、より少ない税金を最大限に国民の福祉に支出できるようにするにはどういう仕組みを考えていけばいいか、これがわれわれに課せられておる課題であろう。そういう観点行政改革というのは取り組まれなければならぬと思うわけであります。減量は、私、大いに減量すべきものがあることは、本来、財政難であろうとなかろうと、これは公共部門が日常的に考えなければならない課題であろうと思うのですが、こういうチャンスがなければなかなか、基準がありませんので、積極的に取り組むというきっかけがないと思います。そこで、やはりこういう状況に追い込まれた以上、これはかなり思い切って改革に手をつけるべきだと思うわけです。  しかし、やはり再建というのは、先ほど申しましたように、言うならばこれは中長期のかなり大がかりな課題でありますから、いわゆる短期決戦ということにはなじまない。それは毎予算年度にそれなりの最大限の努力をしていかなければならぬと思うわけでありますが、短期にすべてを解決しようということにはなじまないのじゃないか。また政策の手段も、これは歳出面の改革あるいは税制の改革というものを含めてもう少し多様に選択をすべきだ。この際、とにかく五十七年度は二兆円おやりになるというのですから、私どもはひとつその成果を期して待っているということですけれども、しかしそのためには、これは何でも切ればいいということじゃなくて、先ほど申しました、おのずからプライオリティーをどこに置くかということがやはり十分議論されなければならぬのじゃないか、ここが実は一番むずかしい問題であろうというふうに思っております。  結論的ですが、一つは、財政政策というのはやはり経済等の運営とのかかわり合いで考えなければならぬし、行政改革は先ほど申したような意味、単に減量ということじゃなくて、もっと広い政策的な経営という意味で取り上げらるべきだし、政策手段はもっと多様であっていいし、それを短期だけではなくて中長期の展望で追求すべきではなかろうか、このようなことを考えておるわけでございます。
  12. 伊藤茂

    ○伊藤(茂)委員 もう一つ高橋参考人にお伺いしたいと思います。  いま、先生おっしゃったことは私も賛成でありまして、何でも切ればいいというのではなくて、あるべき方向、プライオリティーをどこに置くかというならば、これからの時代の価値をどこに置いて政策を考えるのかということがなければ、本当に八〇年代の社会も大変なことになってしまうであろう。ところが、現実には切る、切るという大合唱でありますし、しかもどこを切るのか、まだこれから夏にならなければはっきりしない。しかも政治生命をかけることが非常にはやっておりまして、主要な大臣がみんなそういう政治生命をかけているような話ばかりなさっているという状態でありまして、決意は結構なんですが、あるべき合理的な中身というものを考えてみますと、相当考え方を転換して新たな視点を求めなければならないというのが今日の状況ではないだろうかというふうな気がいたします。  やや具体的になりますが、そういう考え方の上に立って、いま財政再建一つの指標として政府側から御承知の「財政の中期展望」という一覧表が出されているわけであります。財政制度審議会の特別部会などでのいろいろな作業も経てこういうものがつくられたわけですから、いままでの二種類か五種類、いろいろとあった中期見通し、中期試算と比べれば一歩前進ではあるかもしれませんけれども、やはり依然として数字を並べたものであり、しかも要調整額とかいろいろな形のことがありますし、またこれから五十九年度までのあそこに並んでいる数字の歳入見込みなどを見ましても、伸び率一四ということがどうなのかどうか。あるいは歳出についての物の考え方、これは今国会でもずいぶん活発な議論がなされたところであります。御感想があればその中身について御感想を伺いたいのと、それからもう一つ、私はこういうことについても、さっき鳴海さんのお話がございましたが、この財政再建、中期、長期、当面のこと、それぞれ見ましても、あり方の条件というものがあるのじゃないか。当然合理的であり、科学的なものでなければならないと思いますし、またこれからの社会構造を踏まえたものがつくられなければならないと思います。また、先ほど鳴海参考人のお話ではありませんが、国民の合意のない、あるいはさらに言うならば国民の参加という意識を引き出さないような形では、意味のある中長期のプランとは成り得ないというふうなことも思いますし、諸外国のこういう財政再建についての取り組みの実例なども読むわけでありますけれども、そういう言うならば取り組み方、論議の仕方、あり方という問題と、今回の、いまのところは唯一の政府側の中期の指標として出されております中期展望などについてどんな御感想をお持ちか、伺いたいと思います。  それから、一緒で恐縮ですが、もう一つは、いずれにしても歳入歳出全体にわたって構造的な改革が必要であろうというふうに思うわけでありまして、たとえば歳入につきましても、租税特別措置、政策税制についてはほぼ山を越したというのが昨年来の大蔵省の態度であります。ところが、現実には資本金別に見た実効税率の状態とか、それから今回非常に大きな問題となり、またなっております勤労者の所得税の問題とか、構造的にはずいぶんたくさんの矛盾がたまり過ぎるほどたまっちゃっている。これもある意味では一種の哲学を基礎に持って次の時代のあるべきものにしなければ、無理に無理を重ねたような形では大変なことになってしまうというふうな気がいたしますし、歳出についても、先生もおっしゃいましたような財投その他公共事業の問題も含めてであろうと思いますけれども、そういう意味構造的な改革の発想の基礎をどう持つべきなんだろうかという中期展望に触れた御感想と、それから歳入歳出全体にわたっての財政再建のメルクマールをどこに置くべきなんだろうかという二点、御説明をお願いいたします。
  13. 高橋誠

    高橋参考人 伊藤さんの御質問は大変むずかしいものばかりなんですが、まず第一点の中期展望にかかわる御質問であります。これは、財政当局はそれ以上に御苦労なさっておつくりになっていることは十分承知いたしておりますが、それから昨年度までのものに比べますとかなり精緻になっているということ、もう伊藤さんと同様、認めるにやぶさかではありませんが、率直に申して、従来の収支見通しと同様の運命をたどるであろうという感じがいたします。  そこで、外国の経験ということもございましたので、本来この種の作業はもう少し早くから準備しておけばよかったと思うのでありますが、こういう歳出についての財政計画で現在日本にとって一番参考になるのはイギリスの例ではなかろうかと思うわけでありまして、この場合でも御承知のように一九六〇年の初めぐらいからすでに二十年の実績と経験を持っておりますし、イギリスの場合は歳入は余りウエートを置いておりませんけれども、政府部門全体、地方を含めた全体のいわゆる公共支出が示されていまして、毎年度の予算の前に、PESと称しますが、それが国民あるいは議会に提示されて、歳出についての議論はむしろそちらの方を中心に行われている。予算はもっぱら税制改正が主で、歳出議論の方は財政計画を中心に行うというまで定着をしているわけであります。わが国もその点から言えば、率直に申しましてこれは準備不足財政再建でややどろなわ的にそういうものに取っ組まざるを得なくなった。これもチャンスでありますから、ひとつ財政当局の方も大いに勉強されて、漸次精緻なものをつくっていただきたいと思うわけであります。  ただ、やや一つだけ当局のために、別に弁ずる必要はないですが、これに過大な期待が持たれて、恐らく大蔵省としても現在のその予算に関連した法律とか制度の枠を越えて財政計画を組むということは、これはまさに官僚の越権ということになりますから、そこに一つの大きい制約があると思います。ですからそういう体制をやはりどういうふうにつくるか。むしろこれは大蔵省といいますか、政府全体としてそういうものを形成していく。つまり各省はとにかく歳出をふやせということが大体大きな要求でありますから、だからそれをどういう権限で大蔵省が勝手に削るのかということになります。  それからもう一つは将来の問題で、先ほど伊藤委員も御指摘のように伸び率等につきましても、これもいわゆる経験値というものを用いざるを得ない。それは勝手に財政当局でこの伸び率を操作するということになりますと、これまた大きな越権行為ということになりかねないわけであります。  そういう二つの大きい制約がございますから、したがって最初に申しましたようにやはりそういう制約のもとでつくったものは、率直に申して砂上の楼閣に終わるということではなかろうか。そういう体制をつくることについてもう少し具体的な議論をすべきではないかというのが私の感想でございます。それからこれもやや短期決戦というわけに——これはなるべく早くりっぱなものをつくってもらった方がいいですけれども、それなりのやはり準備が必要じゃないかというのが現実論であろうかと私は思うのです。  それから次は、やはり歳入を含めた全体構造というものがいま問われていることは御指摘のところでありますが、これも少し迂遠な話でありますけれども、日本のこの税制改正その他にとって非常に大事なことは、われわれが必ずしも正確に国民のいま所得の分配の状況が一体どういうふうになっているのか、あるいは財政の再分配の機能は相当高まってきていることは間違いないところでありますが、その再分配というのは一体どういうふうに行われているかということについての客観的なデータを持たない。それで、たとえば私もクロヨンは相当激しいものがあると思いますけれども、いまやや感覚的にその点についての議論をしているような感じがいたします。やはりその点についても、ちょっとこれもまたイギリスの例を出して恐縮なんですが、数年来インカムとウエルス、所得と富についてのかなり膨大な調査をやっていまして、その上でこの租税政策あるいは歳入にかかわる再分配政策というものを進めているというふうに私は見ておるわけでありまして、これはわが国でもぜひそういう試みを急いで実施すべきではないか。また現在政府が持っている、国税庁等で持っているものは、どんどん国民の方に公開して、そしてそういう今後の歳入政策のあり方についての積極的な議論をする材料を提供すべきではないか。これは当局も怠慢だし、われわれの方もやや観念的な議論に終始している。事実は正確につかむというのが出発点ではなかろうかというふうに思うわけであります。十分なお答えになったかどうかわかりませんけれども……。
  14. 伊藤茂

    ○伊藤(茂)委員 高橋参考人、ありがとうございました。  それから鳴海参考人に二、三お伺いをさせていただきたいと思います。先ほど世論調査を含めた大変ユニークな話を伺いました。先生もおっしゃいましたように今後の財政再建にとりましても、あるいは今後のあるべき社会行政のシステムを考える意味でも、国と地方との関係を抜本的に考えるということは非常に重要な柱であろうと私も思います。     〔大原(一)委員長代理退席、越智(伊)委員長代理着席〕  一つ前段にお伺いしたいのですが、鳴海さんお書きになったものを読ませていただきますと、こういうことが書いてございました。戦後中央集権体制の二本の柱というか、支柱ともいうべきものは、国から地方への機関委任事務それから国庫補助行政であるというふうな趣旨のことをお書きになっておりました。私も考え方としてはそういうことではないか。この二つの柱を通じて官僚統制といいますか、中央集権化が進められてきたということであろうと思います。ただ表面的、現実的にはこの補助金あるいは公共事業などにしても、地方の方から国の方に一生懸命たくさんの方がお願いに来る。これは行政の方にもそうでありますし、与野党の政治家にもそうでありますし、特に与党は大変なことだろうと思いますし、そんなことで、この間「補助金と政権党」という本で見ましたら、やはりいかに補助金公共事業、そういうたぐいのものが票にもなり金にもなり、なるほど大変なシステムとして機能しているのだなというようなことを改めて感じたわけでありますが、それは別にいたしまして、鳴海さんのおっしゃっている二つの柱での戦後中央集権体制ということの意味をもうちょっと御説明をお願いしたいと思います。
  15. 鳴海正泰

    鳴海参考人 伊藤委員の御質問にお答えいたします。  なかなかこれもむずかしい問題でございまして、やはり国と地方全体を通じて日本行政システムの全体を考え直す必要な時期に参っているのではないかと思います。決して国と地方が相対立する、けんかしていればいいという関係ではございません。いままでの明治以来の日本行政の中では、どうしてもやはり国が偉いのだ、地方はその下にあるのだという上下服従の関係として明治以来の日本地方自治制度というのが成り立ってきておりまして、戦後、新憲法それから地方自治法によって制度的に変わったわけでありますが、実質的には明治の地方制度がそのまま内容的には生きているという状態にあるのではないかと私は思います。それをやはり並列的に、上下関係じゃなくて共同の関係としてとらえるという必要があると思います。そういうふうにとらえるならば、いまの上下関係といいますか、服従関係を支えている問題は何かというと、いろいろありますけれども、何といっても機関委任事務と国庫支出金、その中での負担金、補助金ありますが、特に補助金、奨励的補助金だろうと思います。機関委任事務については、これは沿革的に申しますといろいろ面倒なことになりますけれども、昭和二十二年の地方自治法の改正のときに、いままでの官選知事が公選になって官吏の身分から地方公務員の身分に切りかわるわけであります。そのときに、そういう公選の知事には国の仕事を安心して任せられないというその当時の国の中央各省意見がありまして、それは何やられるかわからぬ、したがってそのやり方、方法全部基準をつくって委任するのだ、そしてそのやり方については、政府はきちんと指示をしてその通りやりなさいという仕事のやらせ方の方式を編み出したのがいまの機関委任事務方式であります。それが戦後だんだんだんだん膨大になりまして、いま都道府県の仕事の約七割が機関委任事務であります。市町村に関しては、約三〇%が機関委任事務であります。地方自治体の中では、機関委任事務か固有事務かなんということは実態的には職員は意識はされておりません。しかし、先ほど一つの例で申し上げましたように、一つ一つ個別法による基準、そうしてそれに伴う財政補助ということがいかに各省ばらばらで、そしてまた地方自治体の自主性というものを損なっているかということは、申すまでもないわけです。したがって、機関委任事務については、実態的には地方の事務となっているものはもう固有事務に直すということを、根本的に今度の行政改革で私は大きく問題にしなければならないと思います。  それから、補助金の問題は、私が申し上げるまでもなく、諸先生方ももう十分御存じのことであり、第二臨調において土光会長は二兆円削るのだという発言もなさっているように伺って、非常に心強く思っているわけですが、果たして削れるかどうか、これは大問題ですが、いずれにしても、自治体の側から補助金を欲しがるじゃないか、陳情して、くれくれと言うではないかということをよく政府の各省の方から耳にするわけであります。地方では補助金削減しろと右手では言いながら、左手では手を出しているではないかということが言われるわけでありますけれども、国の側からそういうことを言うのは非常に不遜なあれだ。つまり、現実におなかをすかしている地域住民にいろいろな行政サービスでこたえなければならない。その財源が不足している。一方では膨大な補助財源を握っているという現実があれば、それをいかに取り入れるかということは当然現実問題としてあるわけで、政治の問題としてあるわけで、それをとらえて、地方の方から補助金を欲しい欲しいと言うから補助金があるのだという論理には、私は賛成しかねるわけであります。  いずれにいたしましても、国と地方関係を並列的に協力の関係としてとらえるということのためには、機関委任事務、それから補助金、この問題について抜本的に考え直すということが、国と地方行政関係を正常な協力関係に戻すための基本的な条件じゃないかというふうに思いますし、そしてまた財政再建にもそのことは当然絡んでくる、そういう問題ではないかというふうに私は思っております。
  16. 伊藤茂

    ○伊藤(茂)委員 関連をしてもう一つ伺いたいのですが、この間、昨年の十一月二十八日ですか、広島で宮澤県知事とか神奈川の長洲県知事とか、いろいろな方が参加をされた地方時代シンポジウムですか、そういうものが行われましたが、それの特集で「国と県と市町村の新しいあり方を求めて」という記録をちょっと読みました。その中で、宮澤知事もまた長洲神奈川県知事も、それぞれユニークな話をなさっております。その中で、いま鳴海さんのお話にもございましたが、新しい国と地方とのシステムをどう構築するのかということについて長洲県知事が話をされております。それを読みますと、単に地方から国に金をよこせという運動といいますか、要求だけではなくて、国と地方を含めた総合的な新しい社会のパターンを追求するというふうな趣旨になっておりまして、大変今日的な新しい意義を持つものではないだろうかというふうに考えておりますが、同時に、長洲さんがその中でこういうことを言っております。地方の国政参加システムがどうしても必要である。同時に、今後のあるべきパターンを考えますと、小さな中央政府と大きな地方政府、これが新しいシステム像のように思われますというふうに言っておられるわけであります。  ちょっと聞きますと、私どもは国政を担当しているから思うのかもしれませんが、国がより小さくて地方がより大きいという方が今後の時代の合理的な姿であろうというように言われますと、当然であるようにも思いますし、ちょっとひっかかるような、けげんな気持ちもするわけであります。しかし、翻って考えてみますと、長年指摘されてまいりましたように、税制の面で国と地方と七、三の関係にあるが、最終的にそれを使うといいますか、支出をする立場になれば大体国が三五、地方が六五というふうなことが言われているわけであります。そういう例から見ましても、分権あるいは参加といいますか、そういう時代の方がよりこれからの時代に対応する合理的なシステムであろうというふうな気もいたしますし、今後の国の持つべき使命あるいは地方責任分担というふうなお考えもあって、県知事もこのシンポジウムでそういうことを言われているのだろうと思います。  そういうことで、長洲さんが国と地方、宮澤さんが県と市町村というようなことについてユニークな発言をされているわけでありますが、鳴海参考人も恐らくお読みになっていると思いますし、伺いますと、これらのシンポジウムについても、あるいは長洲県知事なんかにも常時意見を言われているようなお立場におられるということでございますので、これは長洲さん、宮澤さんの話を種にして議論すれば長洲さんも県庁でくしゃみをしているかもしれませんけれども、こういうことについてどうお考えになるのか。要するに、小さな中央政府と大きな地方政府というような考え方ですね。いかがでございましょう。
  17. 鳴海正泰

    鳴海参考人 国と府県と市町村の新しいシステムをつくらなければならぬということで、いろいろ地方自治体レベルでは研究会を開き、シンポジウムを開き、やっております。そしてまた、それは地方自治体関係者だけじゃなくて、いまや中央各省関係者の方もこのシンポジウムに参加していただきまして、対等な立場でこの問題を議論しておるわけであります。そういう意味では、この国と地方の新しいシステムづくりについて自治体側と国の側、中央各省の側が一緒にシンポジウムをやったり研究会をやるという雰囲気、そういう場すらいままでなかったわけでございまして、そういうものが持たれているということは、私は非常に画期的な大きな前進であろうかというふうに評価しておる次第であります。  いま伊藤委員からお話がありまして、その中で、金よこせだけではないのだというふうに長洲知事が言っておるということでございますが、それはどうか。私は多少意見が違いまして、やはり金もよこせ、権限もよこせでありまして、金は要らぬけれどもシステムを直せということでは必ずしもないわけであります。と申しますのは、現在の国、地方を通ずる政府のあり方とその機能の分担ということを考えてみますと、いま伊藤委員がおっしゃいましたように、税金の面では国が七割徴収する、そして地方税は三割であります。しかし、現実に支出される段階になりますと、国の方から地方交付税、国庫支出金その他のあれが地方財政の方に移転されまして、支出の段階では地方自治体が六五%、国が三五%というふうに逆転してくるわけであります。ですから、財政規模で見ますと、政府の一般会計よりも地方財政全体の普通会計の方が規模がもうすでに大きくなっているわけであります。過去何年もそういう実態であります。ですから、財政的に歳出規模で見ますならば、地方は十分にビッグガバメントなんですね。歳出で見ますと、国の方はスモールガバメントなんです。しかし実態、内容はどうかというと、先ほど申し上げましたように、地方自治体歳出の六五%を占めているから六五%の自主的な権限を持って、自主的な判断によって財政支出が行われて市民自治が存在するということではなくて、三割自治あるいは極端には一割自治と言われておりますように、地方自治体が自主的な判断で財政運営ができる割合というのはきわめて狭い。そういう意味では、内容的には自主性という立場から見ると地方自治体は全くスモールガバメントであって、逆に政府の方は、集中されている許認可権、そしてまた財政地方交付税、補助金その他についての権限を考えますならば、明らかにこれはビッグガバメントなんであります。でありますから、現実には国はやはりビッグで、地方はスモールだ。それを、単に財政的な数字の上だけではなくて実態的に、国をスモールに地方をビッグに、つまり地方をビッグにということは、一番最初に私が申し上げましたように、身近な行政のところ、身近な政治、身近なガバメントのところで国民生活に関する問題が解決されていくという、政府国民の身近なところに置いていくということであります。  たとえば、幾つか例を申し上げるまでもありませんけれども、市営バス。市営バスの停留所の位置を自治体が決められるか、これは決められないわけであります。停留所の名前についてもそうであります。どこを走るかということについても、市営バスを管理している公営企業、その自治体は、権限がないわけであります。  そういうことを考えてきますと、国はスモールに地方はビッグにということの意味がおわかりいただけるのじゃないかと思うのです。ですから、金をよこせ、金は要らないのだというわけではなくて、金の地方に対する配付の仕方というか、よこし方にも問題があるわけで、みんなひもつきあるいは使途が決められるという補助金的なあるいは基準を設けた金のよこし方じゃなくて、地方自治体における自主的な財源、自主性を持って運営できる財源の割合というものをいかにふやすかという観点から考えていかなければならないと思います。  そういうことで、国と府県、市町村も含めまして、この三つのガバメントのあり方ということについて新しい関係——府県と市町村の間にもいろいろ問題があります。その間でいま権限移譲あるいは府県から市町村に対する補助金のあり方についても府県側でいろいろ反省いたしまして、そのメニュー化とか、いろいろの工夫をこらしております。そういう工夫のこらし方を国の側においてもいろいろやはりやることがたくさんあるじゃないかという、一つ一つ問題を解決することによって新しい関係をつくっていきたいというのが、研究者の立場からもあるいは長洲知事あるいは宮澤知事その他多くの府県の方々、市町村の人たちの非常に強い、熱い希望なのであります。
  18. 伊藤茂

    ○伊藤(茂)委員 鳴海参考人にもう一つお伺いをして終わりたいと思いますが、最近、この行政改革に関連をいたしまして、公務員の賃金、公務員の身分、いろんな議論がなされております。前から議論がございましたが、地方公務員の待遇、いわゆるラスパイレスなどの議論がなされております。現実には国よりも地方の方が何ポイントか高いということが一つ論議になるわけでありますが、私は地方の実態から考えた場合に、いわゆるラスパイレスという形だけからの見方が、先ほど来参考人のお話がございましたような立場から言って、妥当なのかどうかという感じがいたします。まあ、国も地方もそうでありますが、公務員としての熱意なり責任なり献身性というものを持たないか持てないような状態はこれはけしからぬわけでありますから、そんなことは論外にいたしまして、ただ、いままでの、たとえば神戸の場合とか横浜の場合とかその他大都市の例を見ましても、少な目の職員の数で、待遇はちょっといいくらいにして、大いに能率の上がる、しかも積極性のある発想をしてもらうということなんかもあるわけでありますし、それからそれぞれの自治体事業規模、予算規模と人件費率というふうな見方の問題点もあるだろうと思います。要するに私は、月給が高いか安いかということも一つあると思いますが、一体どれだけの人数がどういう活動をして地域社会に貢献をしているのかという質等を含めて見ていく、どっちが高いか安いかという卑近な論争だけではなくて、どういうあるべき機能的な、しかもより効果的な姿を求めていくのか、さらに職員の人にも大いに精力的に熱意と参加の意欲を持ってやってもらいたいということもあるのだろうと思うのですね。そんな気が私はするわけでありますが、たまたま行革に関連をしてまたそういうふうな議論が出ておりますので、それについて簡単に御説明を願って、質問を終わりたいと思います。
  19. 鳴海正泰

    鳴海参考人 第二臨調で公務員の数の問題やら給与の問題が上がっているようでありますが、ラスパイレスの問題はいろいろ議論がありまして、私は、そういうラスパイレスの指数をつくって比較すること、その指数そのものにも多少の疑問があります。  しかし、それはおきましても、客観的に国家公務員より地方公務員の方が給与が高いという自治体、低いところもありますが、高いというところが、新聞に報道されておりますように大阪周辺あるいは東京周辺、あると思います。しかしそういうのは決してある日突然給与を高くしたのではなくて、戦後三十年の地方自治の歩みの中で、そこの自治体のいろいろな経過の中で、労使の関係の中でそういう給与の水準が決まってきているわけであります。たとえば、三十年代の高度成長時代などは、小さな市役所にはだれも入らなかった、大卒なんかあんなところには行かなかったわけであります。そういうときに、地方自治体側が、小さな自治体が優秀な人材を求めるということになると、民間大企業に引っ張られないように給与はある程度の水準を持たなければならぬという経過もやはりあったと思うのです。ですから、一律にラスパイレスでもって国家公務員より高いからけしからぬという議論だけで地方公務員の給与の問題をやると、つまり封建的な国の指揮権発動みたいな発想でやるとうまくいかないのじゃないか。逆に、いま伊藤委員の御指摘もありましたけれども、地方自治体の職員の士気、そういうものにも影響するし、そしてまた私は、極端に言うならば、地方公務員の方が国家公務員より高くてなぜ悪いんだ、ごみを集め、予防注射をし、狂犬をつかまえたり何かする、そういう仕事をする人たちの給与が高くてなぜいけないんだということをむしろ開き直って言いたいような実態も私は経験しておるわけでありまして、そういう地方の実情の歴史的な経過、多様性を十分御認識の上、この問題についてはお考えくだされば非常に幸いだというふうに思います。
  20. 伊藤茂

    ○伊藤(茂)委員 どうも参考人の皆さん、ありがとうございました。
  21. 越智伊平

    ○越智(伊)委員長代理 質問者並びに参考人の両先生にお願いをいたします。  まことに失礼でございますけれども、質問を簡明にお願いし、答弁も簡明にお願いしたいと思います。次の会議の時間もございますのでよろしくお願いしたいと思います。  柴田弘君。
  22. 柴田弘

    ○柴田委員 どうも両参考人にはきょうはお忙しいところを御苦労さまでございます。時間の制約もありますので簡潔に若干の質疑をしてまいりたいと思います。  まず一つは、先ほど来お話がありました行政改革財政再建に関連をいたしまして補助金の整理、縮減ということであります。御案内のように、鈴木総理が行政改革政治生命をかける、こういうことで、マスコミ等の報道を見てまいりますと、この行政改革の焦点が補助金整理にしぼられている感があるわけであります。これは若干私の考え方としては異論があるわけでありますが、それはさておくといたしまして、一律カットでやるとか、あるいは点数制を導入するとか、あるいは各省庁に削減枠を割り当てて、その中で具体的にどの補助金を整理していくか、各省庁にそれをやらせる。こういったノルマ方式といいますか、こういった補助金の整理、縮減の方策がいろいろと論じられております。この中で、あるいはまたこれ以外にどういった方向でしていったらいいのか、こういうことなんでございまして、私はこれについては若干の意見があるわけでございます。とにかくこの一律カットというような方式でまいりますと、福祉や教育というわが国が今後目指すべき福祉社会の根幹となる領域、そしてかつての高度成長期に多様化して、いま参考人もおっしゃったが不要不急という、そういった分野との削減を同一処理するということはいかがなものであるかというふうに思うわけであります。  そこで私の考えとしては、こういった補助金縮減の物差し、基準というものが必要になってくるのではないだろうか。しかもこれは国民生活を守る、そういった視点からいたしまして、こういった一律カット方式ではなくて、いわゆる分別削減方式とでもいいますか、こういった方向で補助金の整理、合理化というのはしなければならぬ。その前にやはり現在の補助金というものを全面的に洗い直して見直し、そして総点検をして、どれが国民生活に必要であり不必要であるか、こういったものをやはり分けていくという、こういった分別削減方式というものが導入されなければならないのではないか、こういったふうに私は考えるわけでありますが、この点につきましての御意見をいただければ、このように思います。これは申しわけございませんが、両参考人に逐次いただければと思います。
  23. 高橋誠

    高橋参考人 柴田委員から補助金のことについての御質問をいただいたわけでありますが、補助金を大いに整理しなければならぬという認識については私も同じでありますし、またその前に各補助金について十分な吟味をするという必要性も痛感しておるわけであります。しかし、これはもう柴田委員も重々御承知のところでありますが、これは一口に補助金と申しましても実に多様なものがありまして、率直に申しまして私ども大学で講義するのに非常に困るわけであります。制度が非常に複雑で名前がまた多様でございます。それから、その対象も八割ぐらいは地方団体に行っていますが、その他の部分民間部門に流れる。その民間部門に流れるものもまたいろいろな形態があることは御承知のとおりでございまして、こういうのを十把一からげに整理、整理という非常に荒っぽい議論がなされていることは私はいかがなものかと、率直に言ってそう思います。  そこでまず一番大きいものは、これは地方団体に対するものでありますから、先ほど来、鳴海さんからもお話がありましたように、わが国の国と地方との関係改革していくということと絡んで、その是正を図っていくべきではないか。端的に申しますと、目標としてはこれは全部を一般財源化することは困難であろうかと思いますけれども、かなり部分はむしろこれは地方の一般財源にして、何と申しますか、第二交付税と申しますか、そういうような方向が指向さるべきではないかというふうに思います。そこに行く過程として、今日はメニュー化というごく部分的にはそういう統合が図られているわけでありますが、それをもう少し拡大をして、つまり各省の局の中でもあるいは課の中でも統合できないというふうな状況でありますから、まあせめて局ぐらい、もっとあえて言えば一つの省の中の補助金ぐらいはまとめるというようなやはり一つの段階的な手続が必要かと思います。  それから、次は整理の基準でありますが、これも先ほども申しましたように、教育とか社会保障というふうなものに出ている補助金と任意的な奨励という意味で出ている補助金とを一律カットというのは、先ほど来申しているようにこれは財政の根幹にかかわる問題でありますし、またプライオリティーの選択という点からも非常に問題があると思います。そこで、非常にむずかしい作業かと思いますが、これは当然選別が行われなければならぬ。一つ基準は、まず法律にどういう形でその補助金が規定されているか、あるいは法律以外のいわゆる予算補助かどうか、こういうのも一つの大きなあれであろうと思いますが、その点の吟味を当然進めていかなければならぬ、こういうふうに考えるわけであります。これはしかしかかって政治的な決断による部分が非常に多いと思いますので、どういう補助金にしましても、いろいろなインタレストと結びついていることは御承知のところでありますから、それを政治的な決断でどう選別をつけていくかということがいま問われているのではないか。とりあえず地方に対する補助金というものを統合していく、ブロック化していく、そしてまたそれを具体的にメニューからブロック、ブロックから省というふうな形で、その上で省に一定の裁量権を与える、これは地方と国との関係の改善にも非常に役立つのではないか、かように私は考えている次第でございます。
  24. 鳴海正泰

    鳴海参考人 ただいま高幡先生がおっしゃったことに尽きておるわけでございますが、私もその意見に全面的に同じでございます。  ただ、私は地方自治体行政を見ておりまして、補助金を切るというのは非常にむずかしいということは十分承知しておりますが、やはりいろいろやり方があるだろう。先ほど例を申し上げましたけれども、地域集会施設的なそういう行政サービスに対する補助金がいろいろかぶさってきているわけであります。ところが皆ばらばらだ。どこか統合して、一括して地域公共のために使う建物に対する補助があればいいのですが、それがなかなか各省それぞれそれを放さない。そういう総合化というのは、いまの国の行政システムの中では非常にむずかしいことになっている。そういう中央各省のセクショナリズム、そのことが零細補助金を多数つくっている大きな元凶なのではないかと私は思います。たとえば町をつくっていきます。そのときどこからつくるかといいますと、いきなり公園をつくったり何かするわけにいきません。何といっても地下の下水とか電気とかガスとかそういう地下埋設物をまずつくって、その上で道路を舗装し、そういうものができてから公園だとかそういうものをつくっていく、やはり順序があるわけです。そういう地域の町づくりの事業にいろいろ国庫補助があるわけですが、それが全くばらばらだ、先に公園の補助があるからこれを使わないかとか、下水より先に道路の補助金が来てみたり、そういうそれぞれの所管によって違っちゃうわけです。そうじゃなくて、町づくりというか、一つ地域を建設していく、そういう自治体責任でやっていく段取りに合わした、そういう地域総合化した補助金といいますか、援助システムといいますか、そういう選択の余地というものが、この補助金の中にもっと取り入れられてしかるべきだ。ところが、それがなかなかむずかしいという実情であります。  補助金の整理の問題あるいは補助金、国庫負担金問題その他については、高橋先生からお話があった点で私は全く同感でございます。
  25. 柴田弘

    ○柴田委員 次に、先ほども若干の入り口議論があったわけですが、「財政の中期展望」との関連で、そしてまた本当に財政再建を進める上におきまして、私は財政再建計画の策定というものが必要ではないかと思います。  今日まで、御案内のように、財政運営のあり方を検討する一つの手がかりといたしまして、政府といたしましては、資料として財政収支試算あるいは「財政の中期展望」というものを国会へ提出してきました。今回、第二臨調の答申を受けまして、本格的な行財政改革、そして財政再建に取り組んでいくわけでありますが、やはり私はここに財政再建目標、方策あるいはプログラムというものを盛り込んだ、いわゆる中長期の将来展望に立って財政再建計画の策定というものは必要不可欠ではないか、こういうふうに思うわけであります。  それで、やはりそういった計画を私ども国会で議論することはもちろんでありますが、どんどん国民各界各層にそれをPRして、国民が納得して、そのコンセンサスを得られて一丸となって財政再建に当たる、そういったたたき台となる財政再建計画、これは必要ではないか、こういうふうに思っているわけでございますが、高橋参考人にこの辺の御見解をお聞かせいただきたいと思います。
  26. 高橋誠

    高橋参考人 先ほど伊藤委員からの御質問もありましたのでお答えしたわけですが、重複しないようにお答えしたいと思いますが、中期展望あるいは財政収支見通しにしましても、一つだけのターゲットが与えられていると私は理解しているわけであります。それは、五十九年までに特例債を全廃する、こういうターゲットが与えられて、後のそれに対してどういうような財政ビジョンが描かれるかということであろうかと思います。そして財政当局は、それに対しては、先ほど申しましたように現在決められた法律あるいは制度というものを前提をして、それから中期のいろいろな諸計画、こういうものは大蔵省で勝手に変えるわけにまいりませんから、そういうものを前提にしてああいう数字をお描きになっている、こういうことであろうと思います。  そういうことでありますから、主観的意図のいかんにかかわらず、あれは増税のためのPRであるというような批判が出てもある程度当たっている面もあろうかと思います。そして、これも出したら間もなく挫折する。これは初めから挫折することはある意味では運命づけられているという感じで、ターゲットはいまのようなことでありますから、そこで恐らくこれから非常に大事になるのは、もう少し先のターゲットをどういうふうに設定するか。特に公債償還の問題というものがかなり具体的な課題になってまいりますから、それに関する資料は、国会等では一部公開されておりますけれども、そういうものをもう少し整理をして、一般に公にしていくというようなことが、この次にまず順序としては考えられなければならないじゃないか。     〔越智(伊)委員長代理退席、大原(一)委員長代理着席〕 したがって、そういう計画をつくる場合でも、それぞれのそういう目標というものが設定されませんとそういう絵をかくわけにまいりませんから、したがってたとえばいまの計画法律というものは一応無視して、このためにはこういうふうな起債の状況になり、そういうためにはたとえば歳出というものはこのくらい節約しなければならぬ、あるいは、これは国民の選択になりますけれども、それを避けようとすれば財政負担はこういうかっこうになるというような選択肢のあるものを提示をして、それを公開の場で少し討論するというようなことはいかがなものかというふうに考えております。
  27. 柴田弘

    ○柴田委員 最後に、鳴海参考人にお伺いしておきます。  先ほど参考人の御意見の中にも、クロヨンの問題、そしてサラリーマンに対する所得税減税の問題についてお話がありました。  私は、この所得税減税については、現下の経済情勢におきましては、財政再建の問題あるいは行政改革の問題等、大きな政治課題があるわけでありますが、今日の物価高あるいは実質増税あるいはまた社会の情勢、そういったものからいいましても、やはり所得税減税の実施というものは、政府としては五十七年度以降も絶えず一つの政策課題といいますか、政治課題として、この実施に向けての努力はしていかなければならない、こんなふうに考えるわけでありますが、時間がございませんので、簡潔で結構でございますが、一言御意見を賜りたいと思います。
  28. 鳴海正泰

    鳴海参考人 柴田委員のおっしゃるとおりでございまして、所得税減税、特に物価調整減税がこの五十六年度予算の中で取り上げられなかったということは非常に残念だと思っております。所得税減税は、柴田委員の御指摘のとおり、私はぜひとも必要だと思っておりますし、私などは大学教授になってちょうどその辺の中間所得層で、今度はがっさり税金を取られるのではないかという不安におののいているわけなんです。何とぞよろしくお願いいたします。
  29. 柴田弘

    ○柴田委員 両参考人、どうもありがとうございました。時間が参りましたのでこれでやめますが、またあすからの財確法の審議に十分参考人の御意見を生かしてまいりたいと思います。きょうはどうもありがとうございました。
  30. 大原一三

    大原(一)委員長代理 玉置一弥君。
  31. 玉置一弥

    ○玉置委員 高橋先生鳴海先生、御苦労さまでございます。  現在、国の財政が大変悪化をして、そういう中で、特に今年度において大幅増税が行われ、そして一方では、国債償還が始まる六十年までに、いま発行残高は相当な数字になっておりますけれども、その特例公債の発行をゼロにしたいという話で来ているわけでございますが、先ほど政治責任であるという高橋先生のお話がございましたように、まさにそのとおりだというふうに思うわけです。経済運営という面から見て発行せざるを得ない状態にあったということも事実でございますし、また、その後立ち直ってきた段階において手をつけられなかったということも、現在のように大きくふくらんでしまった要因である。それと、何よりも補助金行政補助金による政治、これが現在の大変肥大化した財政というものを生み出したのではないか。これを利用してこられた方が大変多い、こういうことが一つの大きな問題ではないかというふうに私は考えているわけでございますけれども、それについて御意見を伺いたいと思います。
  32. 高橋誠

    高橋参考人 私も、現実の問題としてある程度の国債発行をやらなければならなかったということは認めるわけでありますが、しかし、その前に政府の政策運営に考える点がなかったかどうかということになると、これは非常に大きな問題があると思います。これはなかなか情勢の激変というものに容易に対応できないということであろうかと思いますが、これは何といいましてもこの前の第一次石油ショックに対するわが国の対応というものが非常に間違っていたということが一つであります。  それから、第二の点は、これは大蔵省の責任であろうと思いますが、四十九年度の税制改正というものが今日から見ると非常に間違っていたというふうに思います。むしろどちらかと言えば税負担は引き上げる、引き上げることはむずかしいにしましても、その分だけ減債に回しておけば、その後の事態は相当容易なものになったと思います。  それから第三点は、こういう不況期にフィスカルポリシーをやるということは、理論としてはまさにそうなんでありますが、これは非常に財政をふくらませることになりますから、本来いま問題になっている行政改革というのはあの時点に実はやらなければならなかったわけでありますが、大いに気前よく金を使おうというときになかなか改革しようなんということはできかねるわけでありまして、それがこういうやや水ぶくれ的な財政状況を招いたのではないかというふうに思うわけであります。そういう点では御質問の御趣旨に私も大体同感でございます。
  33. 鳴海正泰

    鳴海参考人 いま高橋先生からお答えいただきましたのと私も同感でございますが、特に補助金の問題につきまして今度の第二臨調で大きな課題になっておりますことは、先ほど申し上げたとおりであります。五十六年度の国家予算では国庫支出金が十四兆ございます。そのうち二兆を果たして切れるかどうか、法による国庫負担がたくさんございますから、えらいことになるのじゃないかと思います。  しかし、いずれにいたしましても、戦後の国家財政の中でこの補助金、国庫支出金だけは一貫してふえ続けてきた予算の項目であります。もちろん、その大きな中身は、義務教育職員の人件費の国庫負担とか、そういう義務的な負担もありますけれども、奨励的な補助金などがたくさんあるわけであります。それがいまやもう日本の国、地方を通ずる政治行政の体質の中にしみついちゃって、もっと早くそのしみを取ればよかったのですが、いま高橋先生がおっしゃったように、ちょっと時期を逸していまになって手術をするとなると、その補助金で食べている人たちが国民的にたくさんあるわけで、やはり非常に困難なあれだと思います。  しかし、いずれにいたしましても、手術といいますか、このことは早くやらなければならないし、早くやればそれだけ回復も早いわけであります。私は、思い切った補助金削減期待するということのために、国及び地方、それから民間も含めて、この問題に関しての高い関心を呼び起こすべきじゃなかろうかというふうに思っております。
  34. 玉置一弥

    ○玉置委員 国家財政とほぼ同額に近い地方財政があるわけでございまして、国家財政の中で補助金を考えて、第二臨調あたりでまずその中から削減財源を見出していこうということでございますけれども、先ほど先生方からお話がありましたように、実際のいろいろな運用をされているのは、もう七割から八割、地方自治体である。こういう実態を考えますと、本当に補助金がどういうふうに生きているか。あるいは場合によっては、裏負担と申しますか超過負担が多いために、補助金がなくても同じくらいの負担があるというような話も聞いておりますし、そういう内容を考えますと、実際の補助金に対して、いい、悪いといいますか、要するに生きているか、生きてないかという判断は地方自治体の方が確実につけられると思うのですね。そういう意味で、補助金削減する、あるいは国家財政と同じぐらいふくらんできております地方財政——地方財政の場合はいまでも二二、三%伸びておりますし、長期的に見て一五%前後の伸びがあるだろうというふうに見ておられますけれども、要するに、国だけではなくて地方から具体的な提言という形をやっていかなければ、補助金行政の現在の状態の中では行革というのは非常にむずかしいのじゃないかと私は思うのですけれども、いかがでしょう。
  35. 高橋誠

    高橋参考人 端的に申しまして、補助金というのはもろ刃のやいばみたいな二面性を持っていると思います。それで、これはやはり地方から言いますと、ちょっと表現は悪いのですけれども、ただの金でありますから、ただのものは多々ますます弁ずる、これについて他方ではいろいろなコントロールが来ても、金をもらえるのなら少々の干渉はやむを得ないというようなことが文字どおり定着してきている。ここに他方では問題の解決のむずかしさがあるのではないかと思うわけであります。したがって、御指摘のように、地方からこの問題を提起するということは非常に大事なことだろうと思うのですね。私が先ほど来申している補助金の一般財源化というようなことは、単に補助金の整理ということばかりではなくて、そのプライオリティーの選択を自治体の手にゆだねて、それで一つの自己責任と申しますか、そういう体制をつくっていくということを考えているからであります。  ただ、自治体と申しましても、御案内のように、そういう意識を非常に強く持っているところと——これは、自主財源が大きいところはやはり自主財源に比例して自己責任意識が強いという感じはいたしますが、他方では一割自治にも満たない〇・何%自治というようなところが数から言えば非常に多いわけですね。そういう実態だけに、日本のこの種の問題の解決が非常にむずかしいという側面があろうかと思いますが、お話のように、特にそういう意識的な自治体が積極的に地方の側からこういう問題に取り組んで、そのためには、いまのもろ刃のやいばになっているところを、少々金は来なくとも自治を守るという気概が私は必要なんじゃないかという感じがいたします。
  36. 鳴海正泰

    鳴海参考人 玉置委員の御指摘のとおりなんでございまして、地方自治体の側から日本財政再建あるいは行政改革について意見を言っていく、そういう政策を提言していくということがやはり必要だろうと思いますし、先ほど伊藤委員からお話がありました国と府県、市町村の新しいシステムづくりのシンポジウム、そういうのも一つの試みであります。やっとそういう機運が出てきたのではないかと思っております。  ただ、そういう機運が起こってきましても、制度的に自治体意見が国に反映されるという機会が思ったより実は少ないのですね。つまり自治体の国政参加という問題になるわけですが、意外と少ない。ちょっといま数字を覚えておりませんけれども、国に、審議会とか調査会とか、法的に設置されている機関がたくさんありまして、それに学識経験者、民間その他が委員として参加するわけですが、地方自治体の代表の委員の参加というのは微々たるものなんですね。七〇%の行政の仕事だけは自治体にやらせられている。ところが国政の政策決定の過程には、審議には自治体側意見というのは余り取り入れられていないというところにもやはり問題がありますので、自治体の国政参加ということを、やはりシステムとしてこれからも考えていかなければいけないのではないかというふうに思っております。  補助金の問題につきましては、いま高橋先生からもお話がありましたけれども、やはり自治体の側もそういう気概を持つべきです。広島の宮澤知事は、そういうらしきことを言っておりますので、いつ補助金返上を言い出すのかなという非常に期待のあれを持って見ているわけですが、なかなかまだ出てこないようです。それをやりますとまた意地悪されるのではないかとか、やはり地方自治体はいまの制度のもとでは国に対して非常に弱いわけです。そういうことを言い出せ。言い出したいのはやまやまであってもなかなか言い出せないという実情じゃないかと思いますが、やはりその辺はひとつ先生方初め国の方からもそういう問題提起をどしどしなさってくださるようにお願いしておきたいと思います。
  37. 玉置一弥

    ○玉置委員 先ほど例の話のときに、各省庁間にまたがったものがいろいろある。それも非常に類似したものがあったり、あるいは同じところで使われるものがあったりということであるわけでございますけれども、たとえば補助金一つ出すということで査定をする。そしてその中でいわゆる事務費、事業費というような形でいろいろな査定をされるわけですけれども、各自治体のお話を聞いてみますと、要するに包括して、一括で幾らだというふうに出していただければ、その中でいろいろなことが処理できるという、そういうプラスがある。     〔大原(一)委員長代理退席、委員長着席〕 ところがいまは費目ごとに全部決められているわけですから、ほかへの転用ができない。転用というか、要するに一括していろいろなことを研究するあるいは計画をする、いわゆる事務費段階での削減というものができないというふうに言われているわけですね。実施時期についても、いまここで一緒にやっておけばというのが大分あるわけなんですが、それも補助金のおりる時期が違うために手がつけられないという話がありまして、先ほど第二交付金という形で考えられておりますけれども、やはりある分野、要するに類似物は一本にまとめる。だから自由裁量、ある程度用途指定はあってもいいと思いますけれども方向づけだけで、具体的な中身というものはやらなくていいというふうにするだけでかなり実効が上がってくると思うのですね。それと、要するに地方自治体に対してのおもしろみが出てくるのではないか、そういうふうに考えるわけですけれども、その辺についてはいかがでしょうか。
  38. 高橋誠

    高橋参考人 まさに御指摘のとおりでありますが、ただ問題は、なぜそうなっているかというところに一番の根本の点があろうかと思いまして、結局これは各省庁の各部局というものが、そういう補助金をもって権限を行使していく。そして基本的にはそこを背景に縦割り的な行政があるという構造だと思いますので、これはまさにどれだけ政治生命をかけて整理が行われるかということがいま問われているのではないでしょうか、そういうふうに思います。
  39. 鳴海正泰

    鳴海参考人 御指摘のとおりでございまして、高橋先生もおっしゃったわけですが、そういう補助金の総合化、もっと効果のある補助金の出し方というのはいろいろあるわけでございます。先ほど体育館の例を挙げました。もう一つ図書館の例を挙げますと、図書館文部省図書館法によって決まっておるわけです。何冊持たなければならぬとか、それから図書司を何人置かなければならぬとか、そういう基準で全部きているわけですから、そういう地域図書館をつくりますと、その基準に応じて職員を配置しなければならないわけです。ところが図書の整理などは専門の図書司が必要ではありますけれども、ボランティアで手伝う人がたくさんいるわけですね、木の好きなお母さんたちがいるわけです。そういう人たちの参加を求めながらやると、決してそれだけの補助基準による人員配置なんて必ずしも要らないということがあるわけですね。ところがそういうことができないわけですね。ですから補助基準をつくって補助金を出すというそういう国の画一的な行政のために、市民政治参加が狭められ、そしてまた財政的にも——決して財政節約のために市民参加を求めるわけではありませんけれども、財政補助効果も上がらないということが御指摘のとおりあるのではないかと思います。ですから地域施設についての総合的な、あるいは私が申し上げたような公共事業についても総合的な補助のやり方によって、もっと改善の余地が十分あるのではないかというふうに私は思っております。
  40. 玉置一弥

    ○玉置委員 どうもありがとうございました。
  41. 綿貫民輔

    綿貫委員長 正森成二君。
  42. 正森成二

    ○正森委員 高橋先生に伺いたいと思います。  平和経済計画会議が「平和経済」という資料を出しておられます。それの二月号を拝見しますと、非常に御苦労さまなことに、先生がことしの幹事だそうでございまして、「昭和五十六年度予算の性格と問題点(総論)」をお書きになっているようであります。この先生のお書きになったものを見さしていただきますと、大きな見出しとして「防衛費の増大と支出構造改革の不徹底」という項目があります。それを見ますと、「防衛費の増大は後年度財政負担を累積させ、財政体質の改善にとって、全く逆行する結果を招くことになる点を強調しておきたい。政府の国会提出資料によれば、国庫債務負担行為や継続費による後年度負担額は、五十六年度は約一兆四千九百六億円、五十七年度以降は二兆六千四百五十四億円となっており、そのうち防衛関係費でその半分を占めている。」云々ということで、「財政再建が緊急の課題であり、しかも国民財政負担の増大がみられているなかで、全くそれと逆行するようなこの種の経費膨張は全く疑問があるといわなければならない。」云々というように書いてございますが、この点に関連しての先生の忌憚のない御意見を承りたいと思います。
  43. 高橋誠

    高橋参考人 大変つまらぬものがお目にとまりまして恐縮しております。  私の意見は大体そこに書いたとおりでありまして、これは防衛の増強とか何かをどう考えるかというのはそれぞれの政治観の問題でございますから、私のは哲学に、防衛の増強というのは合わない。もっと日本の国際的な協力というのは日本のいろんな地位から見て、経済協力とかその他の別の方式で追求すべきではないかというのが私の政治哲学でございますから、それはそれといたしまして、特に財政論ということから申しますと、これはここでるる申し上げるまでもないと思うのですが、この種の経費は、われわれの戦前の経験から見まして、継続費を乱用といいますか、多用して増大をした。つまりこれは短期に兵器やその他を一度につくるわけにはまいりませんから、これはどうしても長期的な計画によらざるを得ない。そうしますと、初年度は調査費やあるいはそういう財政負担はちょっと頭を出すということになるわけでありますけれども、当然後年度において大きい負担が出て、わが国の八八艦隊その他から始まった軍事費の圧迫という苦い経験を持っているわけであります。戦後それがそのまま作動するというふうには思いませんけれども、軍事費というのはそういうような性格を持っているということについて皆さん方の御注意をお願いしたいという気持ちで書いたわけでありまして、データその他もそれ以上のものを持っているわけじゃありません。どうもつまらぬものが目にとまりまして恐縮しております。
  44. 正森成二

    ○正森委員 いえいえ、つまらないどころか全く同感でございまして、ごりっぱな意見をお書きいただいたと思っております。  鳴海先生にお伺いいたしますが、私も同僚議員から見せていただきまして、エコノミストの三月三十一日号に載っております先生の「中央はスモールに地方はビッグに」という副題の論文を拝見いたしました。その中で非常に興味がありますのは、なるほど国家公務員は昭和四十年の百十六万から五十三年の百十九万にと三万人増加しただけだが、地方公務員は二百二十三万人から三百六万人と八十三万人も増加している。しかし、増加したのは社会福祉、消防、衛生関係職員で一般管理部門はふえていないんだ。しかもそういう部門がふえたのは、民生、衛生、教育行政の大半は国から自治体への委任事務で、しかもこの行政には細かく定員について国の基準が定められているのでふえているんだ。たとえば自治省は増加人員のうち八〇%が設置基準によってふえているのだと言っているという御指摘がございますが、これはお書きになったものですからもちろんこのとおりだと思いますが、この部分について先生の御感想、御意見がございましたら、他の同僚委員もお聞きになりましたが、お聞かせ願いたいと思います。
  45. 鳴海正泰

    鳴海参考人 正森委員の御質問にお答えいたします。  地方公務員だけがふえていて、国家公務員はいま百十万ぐらいでございますか、ここ四、五年そんなにふえてない、ふえてないというか一定であるということが言われておるようであります。それはなぜかと言いますと、それはそうなるわけでありまして、昭和三十年代は、国の事務、行政が増加していきますと公団をつくったり公社をつくったり、そっちの方にどんどん仕事を出していく。四十年代に入りまして、高度経済成長によるいろいろな矛盾の新しい行政の対応の必要が出てまいりました。そういうのはどこにやらせるかというと地方自治体機関委任事務として仕事をやらせるわけです。たとえば環境を守るための公害行政などは端的な例であります。あるいは新都市計画法が施行されてその都市計画法に関する仕事、これも機関委任事務でありますけれども、そういう新しい調整区域を設定したりする仕事は全部自治体がやるわけであります。国、中央各省の方は、それについての基準をつくってその許認可権を握っているだけでありますから、当然人は要らない。そんなにふえるはずがないわけであります。つまり昭和三十年代、四十年代と日本公共分野が広がってきたわけですが、その広がった部分はすべて地方自治体の方に押しつけてくるわけですから、当然国家公務員はふえなくて地方公務員はふえているということになって決して不思議じゃないわけであります。  その地方公務員の中でも、いま正森委員から御指摘ありましたように、そのふえている中身が、先ほどいろいろな例で私申し上げましたけれども国の基準によってふえている、ふやさざるを得ない。あるいは自治体自身においてもふやさなければならないわけでありますけれども、そのふやし方の基準が国によって決められてきているということが一つ。それが一番大きな原因であります。  第二番目は、公害行政あるいは宅地規制その他、つまり現在の法律によらない、たとえば日照の問題もございます。そういう新しい住民のニーズに一体どこがこたえるのかということになりますと、やはり住民の身近なところで都市化のいろいろな矛盾の中で困っている市民の方々の相談に乗り、それを解決してあげるという臨機応変の仕事を引き受けるのは自治体であります。そういうことも自治体がやらなければならないということからいいますと、私が少しく調べましたように、社会福祉、環境、それから消防とか、そういう実際に市民生活に身近なところで働く職員が自治体地方公務員の増の大部分を占めるものだということでありまして、地方自治体の方でも放漫的に人員をふやしているわけでは決してない、相当やはり削減あるいは締めるに締めてここに来ているのだということを御理解願えれば幸いだと思います。
  46. 正森成二

    ○正森委員 私の方で少し調べましたら、国家公務員はなるほどふえ方が三万人足らずというように少ないのですけれども、しかし非常に特徴がございまして、百十九万人のうち四分の一の三十万人が自衛隊なんですね。それからまた、ふえました人員のうち八割以上は自衛隊関係でふえたということで、労働基準監督署だとか気象庁とか、国家公務員の中でも住民に密着するような部分はふえておらないという現象が見られるわけで、これは先ほどの高橋先生の御主張にもございましたように、軍事部門が拡充していくということがやはり財政の面でも非常に大きい影響を持っているというように言わざるを得ないと思います。  それから、鳴海先生に先ほど同僚委員からも質問がございましたけれども、いま冒頭のお話などを伺っておりますと、地域で文化、教養、環境をやろうと思っても、図書館文部省の管轄で、老人関係は厚生省で、婦人は労働省の婦人少年局ということで、縦割り行政で大変だ。玄関三つ要る。いま委員席で聞いておりましたら、本当に玄関三つつくった地方自治体があるそうですね。だから冗談事ではないようでありますが、そういう中で、他の同僚委員も言われましたが、総合補助金制というのにして——縦割り行政で一々わずかの補助金をもらうのに何回も上京して上京費ととんとんしかもらえないというようなことでなしに、まるっきり大福みたいにつかみ金でも困るでしょうが、ある程度分野を切って、その分野の中では自治体にある程度の自主性を認める総合補助金制のようなものにすれば、その経費も少なくなるし、自治体の裁量権もふえ、ボランティア活動などとも結合できるという手もあると思うのですが、先生の御意見を承りたいと思います。
  47. 鳴海正泰

    鳴海参考人 正森委員の御指摘のとおりでございます。ただ、補助金の総合化というのはまさに必要に迫られているわけでございますけれども、こう言うのはなにでございますけれども、その総合化した補助金を一体どこが所管するのかということがまた大問題に実はなるわけでございます。どこの省、どこの局、どこの課に一体総合化するか、そのことをはっきり国の方でしてもらわないとこれは絵にかいたもちでありまして、その点をやはり行政改革の中といいますか、皆さんの御努力の中で——自治体からいいますとどこだって構わないわけです。自主性の幅を広げた総合補助金制度ができ、メニュー化されるなら結構なんです。やはり問題は国の方にあるというふうに私は思っております。
  48. 正森成二

    ○正森委員 時間がございませんので最後高橋先生に一点だけ。  いま借りかえの問題が出ましたけれども、四十六年ごろまでに発行されました七年債なんかを例にとりますと、あの時分は成長通貨供給ということで日銀が買いオペで買って、大部分日銀と資金運用部が持っておりましたから、個人というのは非常に少なかったわけですね。ですから個人の持っているのは全部現金消化して、ほかは大部分保有者乗りかえ方式というのができたのですけれども、いまは買いオペの率が非常に少のうございますし、引き受けさせられたものと現在持っているものとは乖離しておりますから、前のようなやり方ではなかなかむずかしいと思うのですね。それでいまいろいろ研究しているのですが、そういう実態も踏まえ、かつ昭和六十二年には国債整理基金が枯渇してしまうという点も含めまして、先生の、これはこうしなければいけないのじゃないかという御意見がございましたら、あと残り時間がわずかになりましたが、ごく簡単に承れれば幸いです。
  49. 高橋誠

    高橋参考人 御指摘のように、いまその問題の端境期にと申しますか来ておりますので、これは幸いなのか不幸なのか何とも評価できないところでありますけれども、もう近い将来にその問題に直面しなければならぬことは——借りかえについての議論は大分進んでおりますので、提言等も基本的には出ておりますし、ああいう線で進めていけばいいと思います。  いずれにしましても、これは総合的に問題を考えなければならぬ。借りかえは借りかえだけ処理するわけじゃなくて、その時点における国債発行額とか現金償還額とかあるいは財政全体の規模とかいうふうなものを考えないと、この問題だけで財政政策を議論することはできない。そこが非常にむずかしいところだと思います。いずれにしても、これは「なんじよく備えよ」でありまして、特に特例債償還についてはやはり早くから問題を提起して、そして一方で特例債減額しながら減債基金を積むというのは、そのこと自身では矛盾かと思いますけれども、先ほど申しましたように、建設債と特例債とは区別して、特例債については若干上乗せした率、それは何%にするか、それを漸次高めていく、そして来年度ぐらいから初めてこの問題の重要性というものを、財政当局もそのためにはある程度財源を捻出しなければなりませんから、やはりそういう痛みを感じないとまずいのではないかというので、先ほど申したようなことを申し上げたわけでございます。
  50. 正森成二

    ○正森委員 ありがとうございました。
  51. 綿貫民輔

    綿貫委員長 柿澤弘治君。
  52. 柿澤弘治

    柿澤委員 両先生本当にありがとうございます。時間がおくれておりますので、簡単にお伺いしたいと思うのです。  財政再建基本的な考え方を高橋先生にお伺いしたいのですが、いままでの、大平内閣以来の政府の姿勢というのは、再建のために、政策変数は三つあると思うのですけれども、一つは税の水準、それから支出の水準、もう一つ公債の発行枠、その中で、税の水準を上げることによって財政再建をしたい、こういう考え方で来られた。ところが、最近の鈴木総理の御発言を聞いていますと、支出水準を下げることで調整をしたいとおっしゃっているわけですね。そのどちらが望ましいのかという点。  それからもう一つ、支出水準で調整をするとおっしゃっているのですけれども、果たしてそううまくいくかどうかという点についてはいろいろ疑問が呈されております。補助金で二兆円切れるのか、そうなるとその残った分を、たとえば税の水準で調整をした方が望ましいのか、もしくは、公債の二兆円減額というのが中期展望で入っているわけですけれども、そこのところをいじる方がむしろ望ましいのじゃないかという考え方もあり得ると思うのですが、その次善の策としての支出水準で調整できなかった場合にはどちらが望ましいのか。その辺、財政学の専門家としての御意見を伺いたいと思います。
  53. 高橋誠

    高橋参考人 柿澤さんの御質問はなかなかむずかしいと思いますが、御指摘のように、税の水準を上げるという選択で大平内閣が来たことはそのとおりであります。財政というのは申すまでもなく政治的な選択にかかわる問題でありますから、そういう政治的選択が国民的な合意を得ることができなかったというのは、もう一つの客観的な事実として、事のよしあしにかかわらず政策運営にとっては重要な要素であるということは間違いないと思います。そして、その歳出をカットするということ自身にもやはり十分な合理性がありますし、先ほど来申しておるように、そのこと自身をかなり怠ってきた面もあります。こういうものがチャンスですし、とにかくこれに全力投球をされるとおっしゃっているわけですから、私どもはその成果を期待するということだと思います。  しかし、それでできなかった云々というよりも、それで果たして問題をうまく解決できるかということについては、率直に申して、これはやってもらわなければならないので、初めから水をかけるとまずいのですけれども、私どもはやや悲観的でありますし、それだけで問題は解決できないだろう。だから、ちょっと国債の減額を緩めるという第三のメソッドについては、どういう時点でどういうタイミングでそれをやるかということについて具体的に議論しなければなりませんけれども、財政のことというのはわりあい簡単なことでありまして、いずれにしてもその二つを通らざるを得ないのではないかという長期的な感触を持っております。  それから、イギリスと日本とは若干状況は違いますけれども、サッチャーさんのやっている緊縮政策を見ますと、緊縮をやるためにまた物すごい社会的コストを払っている。失業その他で、その緊縮のコストと、単にカットするだけじゃないという非常に新しい実験をやってくれましたものですからね。それで、日本でやるなということを言うわけじゃありませんが、そういうことはやはり十分計算をしなければならぬ。また、財政はリアリズムでやりませんと、ちょっと観念だけでは動かないという感じがするわけです。しかし、特に歳出カットというのは非常にむずかしい問題ですから、大いにかけ声をかけてやってもらうことには私も異論はないのですけれども、それはもう少し多面的な政策手段の採用ということですね。  それから、先ほど来問題になっておる五十九年ゼロということも、これは一体理論的に意味があるのかどうかということになるとかなり問題である。それは六十年でも構わぬと私は思いますけれども、財政というのはターゲットを掲げていかぬとなかなか現実的処理ができないという側面があると思いますので、減債のところについては、いつ、どういうというところが入らないと、その三つの選択についてもどうこうというお答えはちょっと正確にいたしかねる。私はそういう感触でございます。
  54. 柿澤弘治

    柿澤委員 私どもも歳出のカットは思い切ってやってもらいたいと思うのです。これはある意味では財政が身軽になって、また次の時代、二十一世紀に備えて、高齢化社会に備えてのいろいろなタスク、新しい責務というのが出てくるわけで、それに備えるためにも必要だと思うのです。アメリカでよく言われている経済のリバイタライゼーション、再活性化というのを日本財政に対応して考えれば、まさにいままでの硬直した歳出構造を修正することだ、そしてこれから自由に動ける余地をつくるというのがある意味ではリバイタライゼーションであり、ヨーロッパ的に言えばラジョーニスマンというか、若返りということになるのだろうと思うのです。ただ、最終的にどうにもならなかったときに増税にいってしまうと、やはり大きな政府というものを固定化してしまうことになる。日本の場合には、国会というのは納税者の立場に立っての発言はほとんどしませんし、むしり取る方ばかりですから、そういう意味で調整機能が働かなくなるというのが私どもの心配でございます。  その点はもっと突っ込んで聞きたいのですけれども、時間がありませんので、鳴海先生にもお聞きしたいのですが、先ほどから地方分権の話が出ております。補助金の総合化という話が出ているのですけれども、第二交付税という形でまとめてみたらどうか。そうすれば、別に厚生省が何だのというのじゃなくて、大蔵省と自治省の話でできてしまうわけですから、窓口は関係がない。だけれども、基本的に考えると、税源の再配分か第二交付税かという問題になってくると思うのですね。その点で、原則として地方自治を拡大するとすれば、税源の再配分というのが基本であると思うのです。ただ、その場合には、今度は地方自治体間の税収能力といいますか経済力の格差をどう埋めるかという問題が出てくるわけですけれども、その点については地方自治拡充の財政的な裏づけとしては補助金の総合化、第二交付税型が望ましいのか税源の再配分が望ましいのか、その辺はどちらでしょう。
  55. 鳴海正泰

    鳴海参考人 柿澤委員の御質問でございますけれども、いま地方交付税が国税三税の三二%になっておりますけれども年々ふくらむばかりであります。ただし、この地方交付税が本来持っている財政調整機能役割りがなくなりまして、薄れて、もう財源補てん機能に傾いておりまして、やはり地方交付税の問題も基本的には見直さなければならないと思っております。しかし、見直すには、やはり国、地方を通ずる財政をどう配分するのかという全体の枠の中で考えなければならないわけであります。そうしますと、いまの補助金の問題も入れまして、やはり基本的には税源の再配分ということを基本に据えて、そして、なおかつ地域格差、つまり財政調整の必要が出てまいりますので、それを地方交付税で補っていく方式をとるという必要があるかと思います。  補助金の問題は、さらに第二地方交付税の問題も出ておりますけれども、すでに地方に、国民生活の中に実際に定着している実態を持っているものについては、それは第二地方交付税方式もよろしいでしなう。そういうことで吸収できるし、また、さっきの窓口問題もそれでなくなるわけです。しかし、どちらかということで申し上げるならば、やはり地方の自主財源を拡大するという観点から言いましても、税の再配分を基本にした上でその調整を考えるべきだと思っております。
  56. 柿澤弘治

    柿澤委員 どうもありがとうございました。  そのためには、その徴税能力といいますか公平な課税についての能力も高めなければいけないと思います。  七分与えられたのですが、一問ずつ質問したら五分を超過してしまいました。いかに七分の質問がむずかしいかがわかっていただけるかと思います。
  57. 綿貫民輔

  58. 柳沢伯夫

    ○柳沢委員 両先生にはきょうは大変ありがとうございます。私、最後の質問者ですけれども、簡単に質問したいと思います。  高橋先生にお願いしたいのですが、高橋先生は、私長く大蔵省に奉職しておりまして、その間に特に財政史の権威者ということでいろいろお世話になりましたが、いまの財政状況のもとで鈴木総理の指導のもとでこれから特に歳出面についてメスを入れていこうという状況にあることは御承知のとおりでございます。そういう中で、われわれがどういうふうにこの歳出削減し合理化していくかということを考えるときに、いま補助金に目をつけたらどうかとか、あるいは補助金の分類というかそれに点数をつけたらどうかということでいろいろな論議が行われておるわけですが、われわれも心を痛めていろいろな文献等にも当たるのですけれども、どうも最近の財政学というか財政論をそういうことでかいま見ますと、経費論というかそういうものについての定性的な分析がどうもわれわれの需要にこたえてくれないなという印象を否めないわけでございます。  財政学財政論の趨勢を見ますと、われわれ学生時代からもそうですけれども、昔の文献はわりに経費論というものをやりまして、その定性的な分析、特に財政がどういうものに支出を行っていくかということについてかなり念入りな議論がありましたが、最近というか戦後は特にむしろ定量的な分析というかフィスカルポリシーの観点からそういうものに流れているように思うわけです。  しかし、いまの状況でわれわれが一番どういう歳出合理化、削減をしていくかというときに欲しいのは、むしろ定性的な分析の方ですね。ところが、先生方のお書きになられた本等も見ますのですが、戦後の財政というのは経済成長型の財政である、こう読んでいくわけです。そうしますと、結局三K問題だとかいうようなものにぶち当たっちゃって、どうも少しジャーナリスチックというかそういうようなことに過ぎるんじゃないかという印象を率直に言って禁じ得ないわけなんです。そういうことで、財政学の中で何か先生、財政史をやってこられて、いろいろ濱口雄幸、井上準之助のころから財政合理化ということの歴史があるわけですが、何かその辺でいまの時点のわれわれに参考になるようなことがあるのかどうかということをまずお伺いをしたいわけです。  その関連で申し上げますが、いまの日本予算制度はいろいろな分類がなされております。この分類というのはもちろん量的な統制、この金はこれだけの範囲でしか使っちゃいけないよという量的な統制の面があると思うのですが、同時に、先ほど申しましたような定性的な統制という手段でもあるだろうと思うのです。そういうものとしても機能しなければいけないものだろうと思うのです。そういうものとして、いま六つか七つくらいの実は予算の分類がなされているのです。性質的な分類だとか目的的な分類だとかいろいろなものがなされているのですが、いまわれわれがこの時点に立って財政支出をどう合理化、削減していくかという点に立っての分類というものにこたえられるような分類かというと、そうじゃない。そこで、いまのこの時点に立ってわれわれの要請にこたえられるような経費の分類というものが欲しいなというのが私の願いなんですけれども、結局いま私が申し上げたことは同じことを二つの面から言っているにすぎないわけでございまして、何か財政史の専門家としての先生からあるいは財政学の現状を踏まえてのお話として御参考になることが聞かれたら大変ありがたいと思います。
  59. 高橋誠

    高橋参考人 柳沢委員の御質問は大変むずかしい御質問でありまして、恐らくいまそれに回答できれば財政学はもっと有効に機能して今日のような事態を、しかもそれは財政当局がそれを十分尊重されるということが前提でありますが、このような事態を招かなかったんじゃなかろうかと思うわけであります。われわれもその怠慢を大いに恥じなければならぬと思っております。  第一点の日本財政史、これについて今日考えるべきことはないか、こういうことでありますが、私どもがもう少し勉強してみなければならぬのは、やはり大正から昭和恐慌の過程というふうなものに対する関心が、日本は高度成長をエンジョイいたしましたから、ああいう行政整理の問題をかなり戦後の勉強でサボってきているという感じがいたします。やはりそういう勉強を少しやり直して、今日的な観点からもう一度見直してみなければならぬということを考えているわけですが、なかなかそこまで十分に勉強でき切れてないという感じがするわけです。ただ、政友会なり憲政会なり政党政治ではありましたけれども、政友会と憲政会はかなり意味合いが違いますけれども、やはり議会のビヘービアというものがかなり違っていたのじゃないかという感じがいたします。これは財政構造が変わっていますから、みんな利益に定着するような構造を戦後に壮大な形でつくりましたから、そこで戦前とはそういう点ではなかなか簡単なアナロジーで考えることはできないという側面があると思います。  第二の、経費の分類やいかんということでありますが、いま国会の予算書というのは、これはいわゆる行政統制という観点から出ているわけで、各官庁の支出について御案内のように枠を決めているわけでありまして、私ども財政学者から言えば、あるいは一般の国民から言えば、わけのわからぬ分類だということになります。しかし、あれはやめるわけにはまいらぬわけでありまして、予算というのはああいうものが基本にないと各行政組織の運営はできないわけであります。もちろん、改善する余地は十分あると思います。  恐らくいま問題になっているのは、どういう、たとえば経済の分析にいまたえ得るような、インフォメーションとして役立つような経費分類というものを提示するかということであろうかと思います。これは私はずいぶん改善されていると思いますけれども、先ほど申したようにイギリスのPESの経験なども踏まえて、もう少し国民経済的な観点から財政支出がどういう役割りを果たすかということが簡明に表示できるというようなことに努力されることが望ましいんではないかというふうに思います。  いずれにしましても、柳沢さんの御質問は非常に大きな問題でありまして、残念ながら私の能力を超えているということを率直に申し上げざるを得ません。
  60. 柳沢伯夫

    ○柳沢委員 大変ありがとうございました。  私どもとしては、この問題は国民的な課題でもあるわけで、やはり経費の、あるいは予算国民経済的なファンクションいかにということより以上に、いまの時点では財政というものはどういうところに金を出すべきであるか、あるいは出してはいけないか、そういう観点からの経費論の展開が必要でしょうし、それに基づいた経費の分類というものが必要じゃないかというふうに、まだ漠然としたものですけれども持っておりまして、どうぞ学界の先生方におかれても、そういった方面でのわれわれに対するいろいろなアドバイスを今後ともお願いして、私の質問を終わります。  どうもありがとうございました。
  61. 綿貫民輔

    綿貫委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  次回は、明十日金曜日委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時四十三分散会