○竹本
委員 そこで、いま剰余が出た場合にはという、確かに議長裁定はそういう形になっております。ちょうどたまたま
大蔵大臣が席にいないのが残念ですけれ
ども、私は
一つその点で参考になる話をしたいと思うのです。
それは、かつて自民党において大野伴睦先生が、ある特別な予算要求を時の
大蔵大臣池田勇人さんにやられた。そして、一体、
大蔵大臣どれだけの財源があるのかということを聞いたそうであります。詳しいことは私も覚えておりませんが、その際に池田さんの答えた答弁が、まことに池田さんらしい要領を得た答弁だったと思うのですね。どういうことを言ったかと言いますと、財源は幾らあるかと聞いたのに対して池田さんが、大野さん、一体幾ら要るのですか、こう聞いた。天下の
大蔵大臣に向かって幾らあるかなんという
質問をするのはやぼだとは言わなかったようですが、問題にならない、
大蔵大臣が誠意を持ち決断をすれば、歳入の面も握っておる、歳出の面も握っておる、その
大蔵大臣に極端に言えばできないことはないのだ。池田さんの言葉では、たしか財政には底がない、やろうと思えばどこまでもいけるということを言ったのです。ただし副作用はある。財政には底はないけれ
ども副作用も起こるのだということを言ったというのです。さすがに大野伴睦先生も、党人であるからそういう面食らった答弁にすっかり当惑しておった。ところが、翌日か翌々日になりまして、大野さんの言った要求というものは全部のんだ形で解決をしたそうです。
池田さんは、予算編成権を
内閣に移せという問題についても、ある人にそれはとてもできない、なぜできないかと言ったときに、また池田さんの答えがしゃんとしておる。これは政務次官、ひとつ
大蔵大臣に伝えてもらいたい。池田さんは、
大蔵大臣がいま言った大野さんを圧倒するような答弁ができ、その約束をきちっと実現することができたのも、右に歳入を握り、左に歳出を持つ、こういう予算の全体としてのにらみがきくからそれができるのだ、もし予算編成権をぽっと
内閣へ持っていかれたらもうそういう魔術が行えなくなるということで、そういうばかなことはできないと答えたそうであります。
私は、
大蔵大臣の実力というか、果たし得る財政的機能というものは、無限大とは申しませんが、いま
大蔵省が答弁しているように限局された、制限された狭いものではないと思うのです。誠意のほどはうかがえますが、実力のほど、決意のほどが心配だ。
そういう
意味で、私
ども野党が減税を言いましたのは、後で理論的根拠も申し上げますが、大体三千億ということですよ。そこで三千億くらいの金が、大体予算の四十六兆七千八百八十億円に対して、考えてごらんなさい、一%にも達しないのだ。このくらいの金をひねり出す力があるのかないのかそこが問題だという
意味で池田さんの話をするわけです。私は総理の誠意と熱意というものを高く評価するだけに、きょうのこの
委員会におきましても、共産党さんは六千億円の修正になるような戻し税を考えておられるようでございますが、われわれもそういうことを言いたいけれ
ども、今日の厳しい財政事情を考えに考え抜いた結果、三千億円程度ということを言ったわけです。そういう
意味で野党の誠意のほ
ども十分くんでいただいて、最後まで誠意を持って考えていただきたいと
お願いを申し上げておきます。
ただ、
お願いだけではありません。これには私なりの理論的な根拠を持っておりますので、そのこともひとつ申し上げておきたい。
その第一の理由は、何と申しましても六・四%の
物価安定を期することができなかったということは
政府の責任ですよ。政治の失敗ですよ。夏が少し冷夏だった、あるいは天気がどうであったというようなことはよく弁解に使われる言葉でございますけれ
ども、政治はそうした弁解は許しません。とにかく六・四%の消費者
物価の上昇にとどめて、そのかわり賃上げ要求その他も十分自重してもらいたい。外国では
社会契約という考え方があります。
日本ではそういうはっきりした形はとられておりませんが、
日本の労働運動においても、あるいは
日本の国民のお互いの間には、
一つの
社会契約というものがあると思うのです。
政府も誠意を持って
物価安定のために全力投球をされる。それに対応する形において、民間の組合の要求その他も遠慮をしてモデ
レートなものをやっておる。それゆえにこそ、
日本では世界でもほめられるような美しい労使関係ができておる。何と申しましても
物価の安定が、六・四%の予定であったものが、七・七とか七・八とかいうところになれば、これは大きな政治の失敗ですから、
政府としては当然陳謝しなければならぬ。謝罪料として見れば三千億円などというものは安いものだと私は思います。そういう
意味で、陳謝の誠意を具体的に示すという
意味においても、ここでそういう形において六・四%というものが失敗した責任をとってもらいたい。それが私の
一つの根拠であります。
特に私は、いま申しましたけれ
ども、
日本の労使関係というものは、総理、よほど大切にしていただきたいと思うのです。私は
経済を専門にしておりますから世界のいろいろな人の
経済評論も読んでおりますが、油ショックを
日本がこのようにうまく乗り切った一番大きな原因は、
日本の
政府は最近少し認めてきましたけれ
ども、外国ではみんな
日本の労使関係がこんなにうまくいっているということのおかげで油ショックを
日本はりっぱに乗り切ったんだ、これはおおむね統一された
見解になっております。ロンドン・エコノミストの副編集
局長にしても、あるいはその他の外国の
経済評論を読みましても、おおむねそこは一致しておる。その美しいみごとな、総理はよく和の精神を説かれますが、和と言ってもいいでしょう、その和合、統一、協力、この関係がわずか二千億か三千億の金の問題でひびが入るということは、
日本の
経済回復あるいは先ほどの
お話にありました
日本の国民
経済のあり方にとってまことに重大な問題だと思うのです。そういう
意味から、
日本の労使関係というものを守る、そして労働者の、
社会契約とは言わなかったけれ
ども、事実において
社会契約的に、
政府が
物価安定に力を入れる、われわれはむちゃな要求はやらない、そこに初めてりっぱな和ができ、りっぱな協力関係が打ち立てられておる。これを、これだけ国民の声が盛り上がっておる減税要求に対して、
政府も前向きに対応されるわけでございますが、初めに言われたように後ろ向きの態勢を示しておるならば、私は美しい協力関係が打ち壊されてしまうと思う。ミルトンであったか、世界において一番大事なものは何か、人より大いなるはない、人において心より大いなるものはないと言ったことがありますが、私はこの心が一番大事だと思うのですね。和を説かれる鈴木総理にはよくわかっていただけると思いますけれ
ども、私
どもは、人類の歴史は階級闘争の歴史だとは考えていない。信頼と協力の歴史だと考えておる。その信頼と協力というものはお互いの誠意を示し合うことによって初めてできるのだ。でありますから、私は
日本の美しいみごとな労使協力関係というものをこの上とも維持してさらに発展させるためには、六・四%が敗れたときにはやはりそれ相応の対応を示していただくことが必要である。これが第一の理由であります。
もう
一つ理由があります。われわれはただ三千億円出してくださいというような陳情だけをやっておるのではない。
一つは大きな
経済的根拠があります。これは先ほど来の
お話しにありましたが、堀先生も言っておられましたが、国内景気というものをこれからどう見ていくか。きょうは私は
経済企画庁長官を一々呼ぶのは気の毒だと思いましたから遠慮いたしたのでありますが、総理、聞いておいていただきたい。
日本の
経済はいま
政府が考えておられるように、恵まれた条件というか厳しい条件というか、考えの違いはありますが、いずれにしても
政府が考えるようななまやさしいものではない。これは
大蔵省当局がすでに経験しております。補正予算で組んだ七千億円ばかりの増収が危なくなった。そして三千億円か二千億かは別として、この特別減税も余剰財源は実質減収によってなくなるかもしれぬ。そういうことを平気で
大蔵省は言われますけれ
ども、これは総理、私は重大な責任だと思います。
自分たちが組んだ補正予算、それが
収入が予定どおりいかないで二千億、三千億大穴があくということは、それ自身予算の編成がいかにでたらめであったか、いかに無責任であったかという問題を告白しているようなものだ。さらに、問題はそういう状態が続くならば、先ほ
ども議論がありましたが、来年度五・三%の成長ということが一体どうしてできるかということが大問題であります。
総理に私は特に御記憶を願えれば結構なのでありますが、
日本の
経済政策は五十五年度においてはいま申しましたように
物価の問題においても失敗した。成長率においてはあるいは四・八%近くいくのではないかと私も考えております。しかしよく考えてみると、四・八%仮にいくとしても、それはどこの力といかなるファクターによって四・八%が実現されるかという問題であります。
簡単に申しますと、総理、これからの
日本経済の運営というものは七割までは内需中心でいかなければならぬと私は思うのです。そして三割が外需でいく。そして七割を内需でいったときにうまくいくのです。五十五年度はむしろ七割が外需に依存しておる。外に依存しておる。そこに
経済摩擦も起こる。そこで、五十六年度は五・三%はぜひとも内需中心にいかなければならぬ。これは先ほど堀
委員も申されましたけれ
ども、来年、五十六年度は内需中心に五・三%いこうということになれば、いまのうちに
経済を底上げしておかなければならぬ。
ところが、現実はどうかというと、底が割れたような形なんです。簡単に申しますが、たとえば三・六%前後しか鉱工業生産は伸びておりません。私は
経済の動きというものを日銀券の動きで大体見ておる。これは二・六%しか伸びておりません。日銀券が伸びぬということは一万円札の動きがとまっておるということであって、本来ならば一〇%以上伸びなければ問題にならないのです。私はかつて狂乱
物価のときに日銀総裁を
予算委員会に呼んで文句を言ったことがありますが、その狂乱
物価のときには日銀券は一番多いときには二七・五%ふえた。それが狂乱
物価の、私は必ずしもマネタリストでもありませんけれ
ども、しかし重要な要素です。二七・五%伸びたときには狂乱
物価になった。それが不景気になっていつの間にか一〇%を割って、最近では二・六とか三・六ぐらいしか動かない。CD関係その他もありますけれ
ども、いかに
経済がまいってしまっておるかということがこれだけでわかる。
さらに、大衆購買力が、個人消費が全体の六割だと先ほど来力説されましたが、その個人消費が伸びないために、たとえば百貨店の売れ行きなんかも七・四%前後にとどまっておる。総理、これも大体倍以上伸びなければだめなんです。狂乱
物価のころには百貨店の売れ行きは三〇%伸びなければ問題にならなかった。なぜかと言えば、一〇%ぐらいベースアップがあります。一〇%ぐらいは
物価が上がります。そうすると、三〇%伸びてやっと百貨店は元が取れるというぐらいのところだった。それが最近においては七・六とか四とかいうような数字に落ち込んでしまっておる。
したがいまして、日銀券の動きから見ても、鉱工業生産の動きから見ても、あるいは百貨店の売れ行きから考えても、国内は七割景気を支えなければならない使命を持っておるのにさっぱり伸びない。十−十二月の
経済成長は御
承知のように年率二・三%なんです。これがずっと尾を引いて、五十六年度になりますと五・三%ではなくて、むしろ逆にして三・五%ぐらいしかいかない。五・三を三・五と覚えてもらえば間違いないのだ。問題はそれ以上いかにして伸ばすかということを真剣に考えてもらわなければ困る。そういう
意味で内需を振興しなければならぬが、国民の個人消費を伸ばすのも
一つは心理的要素、
一つはふところ勘定。そういう
意味でもこの際三千億程度の特別減税というものは
日本の
経済回復のために必要である、そういうことを私は力説いたしたい。
すなわち、
物価安定に失敗した
政府の政治責任で目減りを補償するという
意味において、もう
一つは個人消費を刺激して景気回復、さらには今後の五・三%の
経済成長の基盤をつくるという
意味においてぜひ減税は実行していただきたい、かように思いますので、総理のこの上とも誠意のある対応を
お願いいたしたいと思いますが、いかがでございますか。