○
中田参考人 北海道の
夕張市長でございます。
参考人としての陳述の前に、
夕張市長といたしまして、このたびの、昨年来
北炭の
夕張新
炭鉱の問題につきまして、諸
先生にはいろいろと御
配慮をいただきまして、
再建計画につきまして一応の御承認をいただきまして、この三カ年で
再建をすべく労使はもちろん、
夕張市民一丸となってこれから
努力をしてまいる
所存でございますので、どうか今後ともよろしく御支援のほど、
お礼を兼ねまして
お願いを申し上げたいと思う次第でございます。
なお、本日は、産振法の
延長問題につきまして
発言の
機会をお与えいただきましたことを厚く
御礼を申し上げたいと思う次第でございます。
私も
産炭地振興審議会の
委員ではございますが、小
委員会ができまして、小
委員の皆さんに九州、
北海道の現地の
調査もしていただきまして、数回
会議を開いていただいて、
単純延長とはいいながら、
答申の
内容は、私
どもが非常に
問題点としておりました点を
答申の中に十分盛り込まれておりますし、適切な
答申がされたわけでありまして、
感謝を申し上げておるところでございます。本日は、また法案の提案がされまして、
石特委員会でいろいろ御
審議をいただくことを心から
お礼を申し上げる次第でございます。
この今回の
臨時措置法の問題、十年の
延長でありますが、先ほ
どもお話がございましたけれ
ども、この
法律が発効以来二十年かかっていろいろ産
炭地振興に私
ども自治体一生懸命やってきたつもりでありますが、
現状では、他
市町村と比べてどうしても非常に劣悪な
状態にある。せめてもう十年間ぜひ
延長してもらいたい。おかげさんでそういう方向になりつつあるわけでありますけれ
ども、御指摘のように、この十年間でもし
復興ができなければ、その
自治体としては脱落であるという覚悟を私
どもしなければならない、そういう
決意をしなければならないということで、
産炭地の
市町村はみんな同
意見でこれから進んでいかなければならない、こう考えているところでございます。この十年間にいわゆる
目標の
達成をしなければならないわけでありまして、国や
道県に
お願いするばかりが能ではない、
市町村がみずからこの
復興のために
最大の
努力を払うべきだという
決意をしているところであります。
北海道の
特殊性を若干申し上げたいと思うわけでございますが、特に
夕張の場合、昨年も
清水沢炭鉱という
大型閉山がございました。
夕張の場合には二十四山がありまして、この二十年間に二十
一山の
閉山、そしていま三山が稼働しておる。したがって、この二十年間かかって一年に
一山ずつ
閉山したという経過を踏んでおるわけであります。したがって、この二十年間に何とか
復興しよう、
振興しよう、こう考えて
閉山の都度
対策をしてまいりましたけれ
ども、
期限切れとなるこの年にまた
閉山があるというような
状態が続いておりまして、これでもう
閉山がないであろう、こう考えて、これからが本当の
意味の産
炭地振興でないだろうか、こういう感を深くしている
現状でありまして、この十年間にどうしてもこれは
復興させなければならぬ、その
努力を払わなければならない、こう考えておるわけでございます。
何よりも産振法の第一条に掲げておる
目的は、
石炭の
発展の
目的もありますけれ
ども、工業の
発展である。二十年かかってずいぶん工場団地をつくっていただいて、
企業誘致の運動もしてまいりましたが、何といっても現地では——現地というよりも企業の本社では、
北海道がそれほど熱心ならひとつ行ってみようかと九分九厘決まっておりまして、それで現地に来て現地の
調査をしますと、
疲弊し切っておる
産炭地の
現状を見て、こんな町では恐らく若い労働力を確保することはできないであろう、そういうことであとに残された一%の現地のイメージで進出をしないという、深い苦い経験をこの二十年間私
どもしてまいっておるわけであります。
そういうことで、これからの産
炭地振興の柱は、まず
産炭地のイメージチェンジをしなければならない、こう考えまして、私、手前みそでありますけれ
ども、
夕張の
現状で、日本の産業経済に貢献してきた
石炭の歴史を後世に残していこう、そして観光の町にもしようということで、
石炭博物館を中心とする
石炭の歴史村構想を約五十億で昨年から発足を見ておるわけであります。そしてまた
夕張には、御案内のように
夕張メロン、
全国的に有名にさせていただきました
夕張メロンを利用した
夕張メロンブランデー、ワインの研究を二年間やってまいりまして、何とか成功したようでありますので、ことしは製造認可をとって、ひとつ
全国的に、世界的に有名になるようなメロン工場を市営でやっていこう、いまこうやっておるわけであります。これらは、歴史村の観光客を呼ぶ、そしてブランデー工場をやって工業を
発展させるというのが第一の
目的ではなくて、いわゆる工業の
発展をさせるために、
夕張の
産炭地の
疲弊し切っておるイメージの転換を図らなければ、企業は張りついてくれない、これは二十年間の歴史で私
どもは深い体験をしておるところでありまして、そういうことで、
産炭地の住民は知恵と工夫と実践、これをしていかなければ、単に十年
延長があったからといってそれに甘えてはいけない、こう私
ども戒め合っておるところでございます。
そういうような
状態でいま進めつつあるわけでございますが、おかげさんで今回の
答申の中では、先ほ
どもお話がありましたが、経済生活圏をつくって広域的な
発展計画を組んで、それを着実に実行するところにあるということになっておりまして、私もその基本的な理念については大賛成であります。そうしなければならないものだと感じておるところでありますが、現実の問題として、
北海道の場合には非常に広い土地であります。
私
ども夕張の例を挙げますると、周囲が全部山に囲まれております。そのほかの隣接の町村に行くのには最低一時間ないし一時間半かかる、遠い広域圏では四時間ぐらいかかる。そして今度の
発展計画では、あくまでも共同施設を広域的につくっていくべきであるという基本があるとすれば、たとえば病院であるとか消防施設であるとか、広域的に利用のできる、そして広域的に経済の
発展のできるものとするならば、そういうブロック、経済圏をつくる問題についていろいろローカル性が加味されなければならないことがたくさんあるわけでありまして、そんなことでいま私
ども自身がどう経済圏をつくり上げていくかという苦労をしておるところであります。この基本に基づいて経済圏をつくっていかなければなりませんが、
北海道の問題として、そういう
実情もあることをひとつ御
理解を賜りたいと思う次第でございます。
さらにまた、今回おかげさんで、法第十一条のかさ上げ
事業十七項目ございますうち、何とか教育、文化、福祉面におけるところの
事業をひとつ追加してもらいたいということをずいぶん
お願いを申し上げておりましたところ、ことしの
予算で十一億、特定
事業の促進調整額ということで
予算面で盛られておるわけでありまして、この活用を十分していかなければならないわけでありますが、基本的には国庫補助
事業に限られておる、そして広域経済圏、経済生活圏の
計画事業に限られているというようなことであって、
北海道の問題として、九州もあるわけでありますが、先ほどお話がありました、たとえば
閉山跡地に
夕張の場合には八百六十六棟、千九百二十四戸が空き家となっていまだにこの数年間放置されておるわけであります。これが青少年の非行化の原因になっておるというのが
現状でございます。やはりこれを取り除き、その跡を
環境の
整備をしなければ、いわゆる工業誘致、立地の条件が整っていかない。これが私
どものこれからの大きな課題でございます。
こういうような問題をどのような方向で解決する方法があるだろうか。いまの
制度、
資金では全くこれは皆無の
状態でありまして、できれば産
炭地振興という形での補助、起債等の枠が欲しい、こういうことを考えておるわけでありますが、現在のこの特定
事業促進調整額の
制度ではこれを受けられない
状態でありまして、または公害ではどうか、いまの公害法による公害ではございませんけれ
ども、これらの
炭鉱の跡地の残骸はいわゆる
環境公害だ、したがって、これらの問題等もこうした
措置で何とかひとつ
復興できるような
措置を講じていただくわけにはいかないものだろうか。これらが大きなこれからの私
どもの課題になっておるわけでありまして、何とかこの点のお取り計らいをひとつ
お願いしたいものだと思っておる次第でございます。
それから、今度の産振法との直接の関係はないわけでありますが、いわゆる新
石炭政策が決められておって、これから恐らく二千万トン体制というのはまず変わらないであろうと私は信じたいわけであります。そうだとすれば、いまの、特に
北海道が多いわけでありますけれ
ども、
石炭を出そうとしている
産炭地が
現状で二千万トンの確保ができるであろうか。現地の
自治体の首長としてこの点をどう考えるかと言えば、二千万トン出すためには、それを掘り出す労働力が必要である、特に若年労働力が必要である。
夕張の
現状は、いま
平均年齢が四十六・九歳、四十七歳であります。若い者が入らなくて、年寄りが定年でやめていく、そういう
状態でございますので、
平均年齢が一年に二歳くらいとっていく。そうすると、ここ数年にして
平均年齢が定年年齢に達するという時代が早晩来る。そうなると、労働力の面でこの二千万トン体制ができないのではないだろうか。
それではなぜ若い労働力が確保できないかと言えば、先ほど来申し上げた
産炭地の
現状、私の市では学校が三十一校ございます。そのうち永久構造になっている鉄筋の建物は二校でございます。あとの二十九校は全部木造であります。寒空にストーブをたいて子供たちが勉強している。そういう
現状では、若い人たちが自分の子供たちをそういった学校で勉強させるわけにはいかない。こんなようなことを中心に、そして体育館もない、そういう
実態になっておるわけでありますから、新
石炭政策の
関連、ビルド
産炭地としてもぜひひとつ産
炭地振興に重点を置いてやっていただきたいものだと、この
機会をかりて
お願いを申し上げたいと思っている次第でございます。
先ほど来、
産炭地財政の問題等お話がございましたので、重複を避けたいと思いますが、何といたしましても、これからの産
炭地振興、イメージを変える、そして他の
市町村並みの町づくりにすると申し上げても、
産炭地の
財政では、なるほど産振法のおかげをもちまして
産炭地補正、そして臨時交付金等がございますが、しかし、それで
事業をするには、みずからの自主財源を出さなければできないのであります。その自主財源がないために、せっかくの恩典
制度があってもその
事業が
推進でき得ない、これがこの二十年間の経験の歴史であります。そういう
意味で、何とかこの十年間で
復興できる
産炭地財政のあり方についての特段の御
配慮を、この
機会をかりて
お願いを申し上げたいと思う次第でございます。
以上、いろいろ申し上げましたが、私
ども全国の
産炭地市町村は、
産炭地域振興の基本は、何といってもこれからつくられる経済生活圏の
発展計画が、いわゆる実効性のある
計画、夢やロマンを描くだけでは実際にこれが実践ができない、やはり実効性のある
計画をつくり、そして住民に魅力のある
環境整備をし、産業経済基盤の
整備をしていかなければならぬ。そのためには
市町村の
財政の確立をしなければならない、こう考えておるわけであります。したがって、私冒頭申し上げましたように、私
ども市町村といたしましては、これからは単に国や
道県に
お願いをしてその甘えに支えられるだけではなく、
産炭地市町村がみずからその
計画をし実践をし、知恵と工夫をこらして
最大の
努力をしてまいる
所存でございます。
どうかひとつ、国会の
先生の今後も変わらない一層の御支援を
お願い申し上げまして、私の陳述を終わりたいと思います。ありがとうございました。(
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