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大谷政府委員 関係者の立証資料として採用するかどうか、この問題につきましては、私
どもとしては形式論理をもって律しているわけではございませんで、たとえば
被爆者健康手帳を持っているとか持っていないとか、あるいは
被爆当時十七歳以下であったというだけの理由で立証資料として採用しないというふうなことにはいたしておらないわけでございます。しかし、やはり通常
考えますと、手帳を持っていない人よりも持っていた人の方が証拠能力があるし、未成年者よりは成年者の方が証拠能力があるというふうなことは
考えられるわけでございますけれ
ども、いずれにいたしましても証明しようとする目的、内容にかなっているか否かということについて現場で総合的に判断せられるべきものである。つまり
被爆者手帳を交付するに足りるかどうかということについて常識的、総合的に判断せられるべきものであるというふうに
考えるわけでございます。
そこで、先ほど具体例としてお示しいただきました、たとえば母親が看護されて、その子供さんが看護を行っていたかいなかったか、またその子供さんがいま大きくなられて
被爆手帳を交付するのが妥当かどうかというふうな問題になってまいりますと、具体的問題でございますから、私いま直ちに結論を申し上げるわけにはいかないのでございますけれ
ども、
被爆者の方を
被爆地域でないところで看護した場合に被曝されるということにつきましては、たとえば直接
被爆でありますとか、あるいは降下物による被曝でありますとかに比べますと、これは明らかに被曝線量も少ないことは事実でございます。したがって、そういった問題についてそこで総合的に判断せられるべきものでありまして、私いま直ちにその子供さんについて
被爆手帳を交付すべきかどうかということについては結論は申し上げられないわけでございますけれ
ども、
一般的に申せば、これはやはりなかなかむずかしいのではないだろうかというふうに想像いたすわけでございます。これについては、恐らくそういった立証能力のある人の有無というふうなことでそういうことがされているのではないというふうに私は想像いたすわけでございます。
また飯室
国民学校のケースでございますけれ
ども、これはちょっと私伺っておりますのにつきましては、先ほ
ども申しましたように、看護した人につきまして
被爆手帳を交付するに足りるかどうかということにつきますと、これは直接
被爆とかそういった問題とは若干状況が科学的に
考えて違うということは常識的に
考えられるところでございます。したがって、飯室
国民学校の場合も、伺っておりますと、女子生徒につきましては
被爆者の
方々の着せかえだとか看護等直接
被爆者に接する救護活動に従事された、男子の生徒は薪の運搬や机の移動をやっていた、こういうふうなことで女子の方については
被爆者手帳を交付して、男子の生徒については、これについてもう少し確実な本当に
被爆手帳を交付するに足りるかどうか、それを
確認した証拠をまってそれについて手帳を交付しようということのように伺っておりますが、
先生のそういうふうな国会でのあれもございますので、もう一度私
どもといたしましてもこれについては十分慎重に検討いたしたいと思います。