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1981-04-09 第94回国会 衆議院 社会労働委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十六年四月八日(水曜日)委員長の指名 で、次のとおり小委員及び小委員長を選任し た。  高齢者に関する基本問題小委員       今井  勇君    古賀  誠君       竹内 黎一君    戸井田三郎君       戸沢 政方君    長野 祐也君       浜田卓二郎君    湯川  宏君       金子 みつ君    田口 一男君       森井 忠良君   平石磨作太郎君       米沢  隆君    浦井  洋君  高齢者に関する基本問題小委員長                 竹内 黎一君 ————————————————————— 昭和五十六年四月九日(木曜日)     午前十時二分開議  出席委員    委員長 山下 徳夫君    理事 今井  勇君 理事 戸井田三郎君    理事 戸沢 政方君 理事 湯川  宏君    理事 田口 一男君 理事 森井 忠良君   理事 平石磨作太郎君 理事 米沢  隆君       小沢 辰男君    鹿野 道彦君       金子 岩三君    木野 晴夫君       小坂徳三郎君    古賀  誠君       竹内 黎一君    谷垣 專一君       中野 四郎君    長野 祐也君       丹羽 雄哉君    葉梨 信行君       浜田卓二郎君    船田  元君       箕輪  登君    池端 清一君       金子 みつ君    川本 敏美君       佐藤  誼君    栂野 泰二君       永井 孝信君    大橋 敏雄君       塩田  晋君    浦井  洋君       小沢 和秋君    石原健太郎君       菅  直人君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 園田  直君  出席政府委員         厚生政務次官  大石 千八君         厚生大臣官房長 吉村  仁君         厚生省公衆衛生         局長      大谷 藤郎君         厚生省年金局長 松田  正君         厚生省援護局長 持永 和見君  委員外出席者         内閣官房内閣審         議官      造酒亶十郎君         内閣総理大臣官         房参事官    山崎 八郎君         総理府恩給局恩         給問題審議室長 勝又 博明君         法務省民事局第         五課長     田中 康久君         法務省入国管理         局入国審査課長 黒岩 周六君         外務大臣官房外         務参事官    長谷川和年君         外務省アジア局         北東アジア課長 小倉 和夫君         大蔵省主計局共         済課長     野尻 栄典君         文部省初等中等         教育局中学校教         育課長     垂木 祐三君         文化庁文化部長 塩津 有彦君         労働省職業安定         局雇用政策課長 野見山眞之君         労働省職業訓練         局訓練政策課長 野崎 和昭君         社会労働委員会         調査室長    河村 次郎君     ————————————— 委員の異動 四月八日  辞任         補欠選任   永井 孝信君     城地 豊司君   菅  直人君     阿部 昭吾君 同日  辞任         補欠選任   城地 豊司君     永井 孝信君   阿部 昭吾君     菅  直人君 同月九日  辞任         補欠選任   牧野 隆守君     鹿野 道彦君 同日  辞任         補欠選任   鹿野 道彦君     牧野 隆守君     ————————————— 四月七日  原子爆弾被爆者等援護法案森井忠良君外七  名提出衆法第一二号)  原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律  の一部を改正する法律案内閣提出第二九号)  廃棄物処理施設整備緊急措置法の一部を改正す  る法律案内閣提出第六五号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す  る法律案内閣提出第一七号)      ————◇—————
  2. 山下徳夫

    山下委員長 これより会議を開きます。  内閣提出戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。古賀誠君。
  3. 古賀誠

    古賀委員 自民党の古賀誠でございます。  園田厚生大臣におかれましては、財政再建という大変厳しい国家財政の中で、人間尊重という最も大事な厚生行政におきまして、日夜御尽力をいただいておりますことに心から感謝を申し上げる次第でございます。     〔委員長退席戸井田委員長代理着席〕  限られた時間でございますので、早速質問に入らせていただきたいと思います。  四月三日だったと記憶いたしておりますが、土光さんを会長といたしております第二次臨時行政調査会行政改革審議を全面的にまた強力にバックアップいたしております財界が、行革に関する提言をまとめてあったようでございます。その中で、福祉問題にも触れてありました。たとえば、これは一つの例でございますけれども所得制限の大幅な引き下げ等福祉の見直しをする必要があるのではないかというような提言をなさっていたわけでございます。もちろん、わが国の将来を考えるときに、財政再建ということは一番大きな政治課題であるということは言うまでもないことでございます。こういった状況の中で、社会保障福祉等も含めます大変重要なかつ大切な問題を今後どのように位置づけしていくべきなのか。私は、今回の援護法改正に関しまして、そういった問題を、大きな観点から今後の諸施策について、ひとつ大臣のお考えお尋ねしておきたいと考えております。
  4. 園田直

    園田国務大臣 臨調及びその結論から来る行政改革、これはきわめて大事な問題でありまして、方針が決定すれば、私も全力を挙げて努力をする所存でございます。  しかしながら、いま御発言されましたとおり、私がお預かりしておる問題は、いかような場合にも断じて削れない問題があるわけでありまして、そういう中で、行政改革のあらしの中でどうやって必要なものは守っていくか、こういうことが今後の厚生行政の仕事だと考えております。重点は、本当に困った人には、これに対して少しでも削ってはならない、がまんのできる人は、というよりもむしろむだを省く、適正に効率的に使う、こういう方針のもとに厚生行政を守っていかなければならぬと考えます。  また最後に言われました援護行政でありますが、三十六年、一通り援護行政は済んだような感じではありますが、事実はそうではございません。まだまだ傷跡がいっぱい残っておって、しかも残っている問題は財政的からばかりでなくて、いろいろな関係から非常に困難な問題が多い。困難ではあるが、筋から考えると、これを取り残しておいてはいけないという問題も多いわけでございますから、そういうことを留意しながら、皆さん方の御協力を得て厚生行政を推進していくつもりでございます。
  5. 古賀誠

    古賀委員 大変ありがとうございました。  私も、福祉というものは決して甘えのあった福祉であってはいけないということは十分認識をいたしているつもりでございます。しかし、ただいま大臣からお話しいただきましたように、本当に厳しい苦しみの中であえいでいる人たちを助けていただくということは、どうしてもいろいろな政策に先んじてやるべきことだと私は考えておりますので、どうかただいまお話をいただきました大臣基本姿勢と申しますか理念と申しますか、そういったものを今後の厚生行政にしっかりと植えつけていただければありがたいと思っております。  続いて援護局長お尋ねをしたいのでございますが、御案内のとおりさきの大戦が終結をいたしまして三十五年がたっているわけでございます。この間、援護行政は幾多の変遷を経て今日に至っているわけでありますが、とりわけ戦傷病者戦没者遺族に対する処遇につきましては、毎年法改正を行い、給付内容改善対象範囲拡大等を行っていただき、援護施策充実に努めていただいていることは、大変ありがたいことだと考えているわけでございます。  私は、単に皆さんにありがたいというのを形式的な中身で言っているのでは決してありません。実は私も戦没者遺児でございまして、父親の顔を知らずに今日まで育っております。当時の戦没者遺族方々苦しみといいますか、そういったものは、私は十分はだで感じて今日まで生活をしてきた一人でございます。大変私事にわたって恐縮でございますが、そういった中でこの援護法が果たした役割りというものは実に大きかった、私はかように高く評価をいたしているわけでございます。必ず、そういった今日まで皆様方が御努力いただいているこの援護法というものを通じたものは、私どもに将来ともに大きな力、糧となっているということを、私は心から御礼を申し上げているような次第でございます。  しかし、先ほども申し上げましたように、何を申しましても戦後三十五年を経た今日でございます。戦傷病者並びに戦没者遺族というものは大変な高齢者になっているわけでございます。たとえば戦没者両親、親御さんの平均年齢は八十五歳に達しようとしておりますし、また未亡人の方方ももう恐らく七十歳近くではなかろうかというように非常に高齢化した今日、私にはより以上に充実した施策というものが望まれると思われるのですが、五十六年度におきます援護関係施策についてどのような改善が行われようとしているのか、お聞きしたいと思います。
  6. 持永和見

    持永政府委員 援護行政につきましてかねてから皆様方国会先生方の大変な御協力をいただきまして、逐年改善充実を図ってまいっているわけでございます。  お尋ねがございました昭和五十六年度の援護関係でございますが、現在御審議をいただいております援護法改正がまずございます。  援護法改正中身につきまして概要を申し上げますと、まずは恩給法に並びまして戦傷病者あるいは戦没者遺族年金引き上げるという問題でございます。  まず障害年金でございますけれども障害年金につきましては、現在の第一項症で例をとりますと、三百四十七万三千円でございますが、これを五十六年の四月から公務員の給与改定に準じまして引き上げ、八月からこれにさらに八万円の上乗せをするということで政策改定をやるということになっております。  それで、障害年金関係では、あわせまして、特に重度の項症を持っている方々に支給いたします特別加給、いわゆる介護手当みたいな特別加給というのがございますが、これは現在、特別項症、一、二項症ともに十八万円でありますものを、五十六年の六月からそれぞれ、特別項症につきましては二十七万円というふうに大幅に引き上げ、一、二項症につきましては二十一万円に引き上げることにいたしております。  遺族年金あるいは準軍属に支給いたします遺族給与金でございますが、こういったものにつきましても、恩給法公務扶助料に並びまして、現在月額九万四千五百円でございますけれども、これを五十六年の四月から給与改定分引き上げ、さらに八月から十万三千円というふうに引き上げることにいたしております。  さらに、遺族年金関係につきまして、平病死に係る額あるいは併発死に係る額、こういった額は定額でございますので、八月から、さらに十二月にそれぞれ所要引き上げを行うということで年金額改善充実を図るというのが、まず第一点でございます。  援護法関係の第二点は、準軍属範囲といたしまして、義勇隊開拓団員を準軍属として処遇するということでございます。  これはかねがね国会でも御論議がございましたし、また義勇隊関係者方々の強い御要望もございました。私どももいろいろと調べまして、その結果、義勇隊開拓団員につきましても、現在すでに処遇をされております義勇隊青年義勇隊と同様な軍との関係にあったというような確証を得ましたので、そういう意味合いで、大変先生方のお力添えもございまして、これを義勇隊範囲を拡大いたしまして、準軍属として処遇することにいたしたわけでございます。  そのほか援護局関係といたしましては、たとえば戦傷病者関係福祉の問題でございますとか、あるいは戦没者遺骨収集の実施でございますとか、こういったものにつきましてもそれぞれ所要予算を計上いたしております。  また、特に最近話題になっております中国残留孤児調査解明につきましては、先般も訪日調査を行いましたが、五十六年度におきましても、これをさらに強化した形で訪日調査を行うような予算措置をいたしているところでございます。
  7. 古賀誠

    古賀委員 ただいまお話をいただきました義勇隊開拓団のことにちょっと触れさせていただきたいと思っております。  今回、援護法処遇拡大によりまして、義勇隊開拓団団員が新たに処遇をされるようになったことは大変喜ばしいことだと思っております。この開拓団方々は、満洲開拓青年義勇隊の隊員がその訓練を終えられまして、ソ連や満州国境付近で入植したものであり、大変御苦労が多かったということをお聞きしているわけでございます。私は、こういった方々が今回援護法のもとで処遇されるということは、単に遺族方々が、その遺族給与金給付があるということを喜ばれるのではなくて、むしろそういった何らかの形でこの開拓団方々日本の国の今日のために役に立ったんだ、そういう心の一つのあかしになるということが大変喜ばれることの一つになるのではなかろうかと考えるのでございます。  そういう意味で、私もこのたびの皆様方処遇に対しまして心から敬意を表する次第でございますが、その団員の数というのは大体何人ぐらいだというふうに把握してありますか、お尋ねをいたします。
  8. 持永和見

    持永政府委員 私どもでつかんでおります数字を申し上げますが、昭和三十一年当時の未帰還調査部調査によりますと、日ソの開戦当時、昭和二十年の八月九日でございますけれども、この当時におきます義勇隊開拓団在籍者、いわゆる八月九日現在で義勇隊開拓団としての身分を持っておられる方は約六万四千人というふうに推定をいたしております。
  9. 古賀誠

    古賀委員 わかりました。  そこで、この義勇隊開拓団団員遺族たち遺族給与金等を請求する場合、どのような立証資料を集める必要があるのか、お尋ねをしたいと思います。
  10. 持永和見

    持永政府委員 開拓団関係方々が今回新たに準軍属対象となるわけでございまして、遺族給与金なりあるいは障害年金支給対象になるわけでございますが、まず遺族給与金関係について申し上げますと、遺族からの申し立て書が何よりも大事だと思いますが、そのほかに、死亡診断書あるいは死亡を確認できる資料、あるいは、傷つかれた当時に発行されました、団長などそういった責任者方々証明書、あるいは団長から寄せられました弔慰文なりあるいは通信文、軍からの感謝状、あるいは軍事に関する業務等により死亡したということを証明する、そういったいろいろな資料がまず必要かと思います。  それから障害年金受給でございますが、障害年金受給につきましては、遺族年金と同様、本人からの申し立て書というのがもちろん必要でございますけれども、そのほかに、遺族年金同様に、傷つかれました当時に発行されました団長による証明書、あるいは恩給診断書とか病院長における病歴資料等、これも現在の障害軍事に関して業務上負傷したんだということが明らかにできる資料が必要かというふうに考えられます。
  11. 古賀誠

    古賀委員 ただいまいろいろな立証資料のことでお話をいただいたわけでございますけれども、私が一つ心配をいたしておりますのは、この団員死亡なさったところ、また負傷した場所が、満州という異国の地で生じた事柄であるわけです。そういったことで、もろもろの資料収集というものはなかなかむずかしいのではないか、困難が伴うのではないかというふうに考えるのでございます。  同時に、私が先ほどから申しておりますように、何といいましても戦後三十五年という長い歳月を経ているわけでございますから、これらの該当なさる方々も大変な高齢に達しているということが言えるのではなかろうかと思うわけです。  そこで、こういった高齢者遺族給与金裁定については、いろいろなむずかしい問題、そしてまた困難な問題が伴うと思いますので、その裁定に当たっては、敏速にやっていただくことはもとよりでございますけれども、何らかの配慮と申しますか、せっかくこういういい改善をしていただいたのですけれども、なかなかその立証についてむずかしくてこの法の改善意味が十分に果たせない、こういうことになっては大変残念なことではないかという考えを私は持っているわけなんです。  そこで、そういった敏速に裁定を行うに当たりまして、何か厚生省として御指導いただく点等考えていただいているかどうか、お伺いをしたいと思います。
  12. 持永和見

    持永政府委員 御指摘のように、戦後三十五年という長い年月を経過いたしまして、今回、義勇隊開拓団員を準軍属として処遇することにいたしたわけでございます。そういう意味合いで、先生が御指摘になりましたように、満州という大変なところで起きた問題でございますし、本人のお持ちになっている資料あるいは立証、そういったものについてもいろいろと困難な問題があろうかと思います。私どもといたしましては、できるだけそういった面を配慮しつつ裁定に当たっていきたいというふうに考えております。  また具体的には、現在各都道府県に大体三十人程度遺族相談員という方々がおられます。ボランティアの方々でございますけれども、そういった遺族相談員方々がおられますので、私どもといたしましては、そういった遺族相談員方々に、今回の義勇隊開拓団員処遇と申しますか、法律改正内容その他手続などを十分周知徹底させまして、そういった方々にできるだけ御相談いただければしかるべく御相談に十分応じられるような、そういう体制を組んでいきたいと思いますし、また先生指摘のように、長い年月が立った今日のことでございますから、私どもといたしましてもできるだけ敏速に裁定をするということで努力をしてまいりたいというふうに考えております。
  13. 古賀誠

    古賀委員 ぜひひとつそういう御配慮をいただきたいと思っております。  ここで、先ほど局長の御答弁の中でお話が出ておりました中国残留孤児の問題について若干触れさせていただきたいと思っております。  実は私は、先月のちょうど中旬ごろでございましたけれども中国残留孤児であります高蘭さんという方にお会いをする機会があったわけでございます。これは個人的に、長い間旅費をためまして観光ビザで九十日の期間をもって日本にお帰りいただいた中国の一婦人でございます。この方は、昭和十七年の十一月まで私と同じ郷里の福岡県稲築町にお住みになっていたわけでございます。ただ、高蘭さんのお母さんが筑後市という私の生まれ故郷のすぐ近くでございますので、そこに里帰りに見えました。私ちょうど郷里に帰っておるときでございましたので、お話しをする機会を得させていただいたわけでございます。  私が一番びっくりいたしましたのは、昭和十七年と申しますと、この高蘭さんは小学校の一年生半ばで中国両親と移っているわけですが、実に鮮明に自分小学校に通った稲築町のことを御記憶なさっておるわけでございます。私は大変興味があったものですから、どうしてそんなに小学校一年生ぐらいのときの記憶が鮮明なのかとお尋ねいたしますと、あの戦後大変苦しい思いをなさって、両親とばらばらになり中国人の御夫婦に養女として迎えられ、それから全く、夜は泣くことしか知らなかった、そのときに何を考えたかといいますと、やはり祖国日本の山河であった。自分小学校一年生のときに通ったあの山、河、そして一緒に遊んだ友だちのことばかり、三十八年間ですかの今日に至るまで、毎晩それだけを考え続けてきた、だから三十七年ぶりに帰ってきたふるさとであってもここに何がありと、焼けて何もなくなっている学校も鮮明に覚えているのだというお話を聞きまして、戦後は終わったと言いますけれども、まだまだあの大きな戦争の傷跡はいやされていないのだなということをつくづくと私は感じたわけでございます。  そういう中で、今回中国残留孤児の呼び寄せ調査と申しますか、そういうものが実施されたわけでございますけれども、これはどのようにして調査が行われ、そしてまたそれはどのような成果を得たのでしょうか、お尋ねさせていただきます。
  14. 持永和見

    持永政府委員 中国に残されました日本人残留孤児につきましては、日中国交が回復いたして以来、孤児の方から肉親解明調査をしてほしいという依頼がかなり私どもの方にも届いております。また現実に、中国から帰った人たちにつきましても、こういった人たちがいるよというような情報がかなり入っておりまして、外務省の御協力もいただきまして調査を行ってきたわけでございますけれども、これではなかなか調査の実効が上がらないということもございまして、何回か新聞公開調査をいたしまして、一般の国民方々に、こういう孤児方々身元について何か手がかりがないかということで調査を実施してまいりまして、それによって実はかなりの成果が上がっております。しかしながら、それによっても、たくさんの残留孤児方々身元解明ということになりますと、まだまだ足りないのではないかという反省もございまして、そういう意味合いから今回何らかの手がかりのある孤児を訪日させて調査しようということをやったわけでございます。  この調査は、何かの手がかりを持っておる孤児を国費で本邦にまで呼び寄せまして、先月の三月二日から十五日間でございましたけれども滞在させて、従来孤児から寄せられておりますいろいろな資料を、直接事情聴取して確認する。あるいは私どもが持っております保管資料あるいは文通、そういったものではわかりにくいものを、直接孤児からその場で何か思い出してくれないか、何か記憶がないかということで、直接事情聴取をして新しい情報収集する。あるいはマスコミのテレビ、新聞関係の絶大な御協力国民の、世論の御支援を得まして、公開的にこういった孤児方々が来日されたことが報道されました。それによっていろいろな手がかりを得まして、関係者と直接面談によりまして確認をするという方法をとったわけでございます。その結果、先般来日いたしました孤児が四十七人でございますけれども、このうち二十四人につきまして身元解明されたというような状況になっております。
  15. 古賀誠

    古賀委員 ちょっと質問とつじつまが合わないかもわかりませんけれども高蘭さんの話によりますと、まだかなり多くの方々残留孤児として、本当に日本人だと言える人が中国にはたくさんいらっしゃるのじゃないかというようなことでございましたけれども、大体どのぐらいいらっしゃるものでしょうか。お答えは大変むずかしいのじゃないかと思いますけれども、おわかりでしたら。
  16. 持永和見

    持永政府委員 中国残留孤児方々の数の御質問でございますけれども、実はこの点は先生も御承知のように大変むずかしい問題でございまして、私どもの方で具体的に数字をつかんでおらないというのが、率直に申し上げまして実情でございます。  ただ、私どもの方に中国孤児方々あるいは肉親方々から、自分孤児なんだけれどもひとつ肉親解明をしてほしいというような調査依頼がありました人たちは、四月一日現在で千二百二十六人になっております。このほかにたくさんの方々がおられると思います。先生指摘のように、こういった調査依頼をしてこない人たちもたくさんおられると思います。私どもの方でそのほかに保管しております資料から、現にまだ未帰還者だということで肉親から届け出があった人たちの中から、終戦時におよそ十三歳未満であろう、いわゆる孤児に該当するであろうというような人たちが、三千四百人ぐらいおられます。このほかに民間の団体などからは一万人程度、万という数字の方がおられるのではないかというようなことが言われておりまして、具体的に果たして全体で幾らあるかは、実は正直のところまだつかんでおりません。
  17. 古賀誠

    古賀委員 先ほどお話の中で、今回四十七名のうち二十四名ですか、肉親がはっきりいたしましたのは。幸いにして肉親が判明した孤児方々はまた一つの大きな今後の前進として考えることができるのでいいのですけれども、今回肉親が判明しなかった孤児の方の問題、これは今後どのようにとり行われていくのでしょうか。
  18. 持永和見

    持永政府委員 先ほど申しましたように、今回の訪日で二十四人の方々肉親が判明いたしましたが、残りの方々は、あれだけ皆さん方の御協力をいただきながらも肉親解明ができなかったわけでございますが、こういった方々につきましても、日本に帰りたいという希望が非常に強うございます。日本人である以上は日本に帰って住みたいという希望が非常に強うございます。  ただ、三十五年という長い年月中国に住んでこられまして、中国の養親に育てられた方々でございます。そういった方々でございますので、今日まで孤児を育ててこられました中国の養親の方々の問題などもございます。それから、日本国内の受け入れの問題もいろいろございます。そういった受け入れの問題につきましては、私どももできるだけ努力を払いまして、たとえば里親制度というようなものをこれから検討するようなことでやります。それから就労の問題、住宅の問題、いろいろ生活全般にわたる問題をどうするかということがございます。  こういった問題につきましては、入国の問題につきましては法務省、あるいは中国との関係の問題につきましては外務省といったようなことで、各省などの御協力もいただきながら、できるだけの受け入れ体制をつくっていきたいと考えております。
  19. 古賀誠

    古賀委員 局長から御答弁いただきましたとおり、私は冒頭高蘭さんのお話を申し上げましたように、われわれが想像している以上に、そういった残留孤児方々は、祖国日本といいますか、この日本の国に帰りたいという希望をお持ちになっているわけでございます。実は高蘭さんはお兄さんが一人いらっしゃるだけで、学校だとか役場だとかいったものが焼失いたしておりまして、日本人だということを証明する資料等がなくなっている関係で、これからどういった形で国籍を取るのかとかいろいろな問題もあり、私も微力ながら一緒にお力添えをしているようなわけでございまして、この問題は皆さん方ともゆっくり相談をし、お力を借りたいと思っております。  また、今回幸いにして肉親が判明し、日本の国に帰らしていただくということで孤児が引き揚げてきた場合に、わが国の社会生活といったものが中国とはいろいろな面でずいぶん違うのではなかろうかと思うのです。言葉の問題がその最たるものでございますけれども、そういった問題等を含めまして、御苦労なさった残留孤児皆さん方に対して、われわれは同じ日本人としてできるだけのことをやるべきではないか、私はそれが政治でなければいけないと思っております。  そういう中で、たとえば日本語の習得の問題、就労の問題等について若干お尋ねしていきたいと思います。  文部省の方にお見えいただいておりますけれども、そういった引き揚げ者に対する日本語の習得のための施策と申しますか、特に高蘭さんの場合、小さい子供さんが一緒でしたけれども、小さい子供は、日本の国に来ておりますと一カ月ほどで片言がしゃべれるようになっておるのです。ですから小さい子供さんはそう心配はないと思うのですけれども、長い間向こうにいらした大人の方、そしてまたその夫なり家族の方のことを考えますと、大変大事な問題ではないかと思うのですが、お尋ねをさせていただきます。
  20. 垂木祐三

    ○垂木説明員 中国から引き揚げてまいりました人たちに対します日本語教育について、学校教育の面でどういう対策を講じているかということについて御説明させていただきます。  御承知のとおり、引き揚げてまいりました者が学齢の児童生徒であります場合には、これは当然小学校なり中学校なりに入学をいたしまして義務教育を受けることになるわけでございます。そこで文部省といたしましても、中国から引き揚げてまいりました児童生徒がかなり入っておるような学校につきましては、引き揚げ者のための教育研究協力校を指定いたしておるわけでございます。現在七校ほど指定になっておるわけでございますけれども、その指定校におきましては、日本語の教育問題あるいは生活指導の問題、あるいはさらに広く学習指導、教育相談といった問題につきまして、児童生徒に対しますきめの細かい指導をいたすようにしておるわけでございます。このために国といたしましても調査研究の経費を支出いたしておるわけでございます。なお、五十六年度の予算といたしましては、前年度に比べましてこの研究指定校を二枚ほど増加して、この面での教育を強化していきたい、こういうふうに考えておるわけでございます。  それからさらに、文部省の施策といたしまして、引き揚げてまいりました児童生徒を対象といたしました日本語の参考資料として、「日本の学校」というテーマで、日本の学校の現状を日本語と中国語でそれぞれ対比したような参考資料を現在作成いたしておりまして、これを引き揚げてまいりました児童生徒、あるいはそこに勤務しておられます教職員にそれぞれ配付いたしまして、日本語の教育の参考に供しておるわけでございます。  それから先ほど先生が御指摘になりましたように、学齢を超えましたかなりの年齢に達しておる者についての日本語の教育、これが現実の問題として非常に問題になるわけでございます。そのような人たちが、現在中学校に夜間学級というのがございますが、そのような学級に現在二百七十名ほど在籍をしておるわけでございます。夜間学級に在籍しております引き揚げ者の方々は、すべてもうすでに学齢を超えている方々でございます。しかも、もっぱら日本語の習得を目的にいたしておるわけでございますけれども、それぞれの夜間学級におきまして日本語学級を設けるなどいたしまして、日本語習得のための教育をするように指導いたしておるわけでございます。
  21. 古賀誠

    古賀委員 次に問題になりますのが就労の問題だと思うのでございます。労働省にお越しいただいておりますけれども、こういった引き揚げ者の方々に特別の職業訓練だとか就職のあっせん、そのような御配慮をいただいておりますかどうか、お尋ねをさせていただきたいと思います。
  22. 野見山眞之

    ○野見山説明員 中国から引き揚げてこられた方方の就職問題につきましては、先生から先ほどございましたよう兵わが国の社会あるいは雇用慣行にふなれであることや、あるいは技能の習得が必要であるというような場合が多いことなどで、幾つかのむずかしい問題があるというふうに考えられます。  そこで私どもといたしましては、民生機関との連携のもとに職業安定機関の職業指導官が綿密な職業相談あるいは職業指導を行うとともに、必要な求人開拓、さらには職業訓練校への入校をお勧めするというような措置を講じておるところでございまして、その結果、事業主の理解を得て安定した職業についた事例も幾つかございます。  たとえば東京の新宿にお住まいであられました母子家庭の方でございますが、子供さんは中国籍で、住居がまず必要であるということ、それから下のお子さんが日本語ができないということで、一家そろって同じ事業所に就職したいという御希望がございまして、安定機関といたしましてはそういう条件に合うような事業所を求人開拓いたしまして、写真の修正工ということで一家そろって就職が決まりました。また住居の方につきましては、雇用促進住宅に即日ごあっぜんするという措置をとっておりますし、また島根県等では、子供さんにつきましては職場適応訓練でありますとか、あるいは職業訓練校への入校ごあっぜんというような措置をとりまして、職業のあっせんに重点的に努めておるところでございまして、今後とも事業主の理解を得まして積極的な求人開拓等を進めながら努力してまいりたいというふうに思っております。
  23. 古賀誠

    古賀委員 これは要望でございますけれども厚生省を中心に、ただいまお話しをいただきました文部省、また労働省等関係各省と十分御連絡をいただきまして、できるだけ温かい御配慮をしていただきたい、またやるべきではないかと考えますので、重ねてお願いを申し上げておく次第でございます。  大変時間がございませんので、もう一点だけ私は大急ぎで要望と申しますか、お尋ねを兼ねて私の所見を申し上げさせていただきますけれども、ただいま私、大変私事にわたったことを申し上げましたけれども、実は、私は父親をフィリピンの方で亡くしているわけでございます。海外の戦没者の遺骨収集につきましても、援護局を中心に今日まで大変御配慮をいただいたわけでございます。第一次、第二次、第三次計画に基づいて旧主要戦域において今日まで実施をしてきていただいたわけでございますけれども、私の記憶では、第三次実施計画というのは五十年で一応終わったように存じ上げておりますが、五十一年以降は、この海外の戦没者遺骨収集というのはどのように実施されてきているのか。五十六年度に具体的にそういった計画があるのかどうか。  海外で戦死をさせている戦没者遺族というものは、海外におきます遺骨の収集について大変興味、と言っては語弊がありますけれども、ありがたいという気持ちでの希望を持っているものですから、お尋ねをさせていただきたいと思います。
  24. 持永和見

    持永政府委員 戦没者の遺骨収集は、いま先生お話しのとおり、二十八年から三次にわたる計画でやってまいりまして、一応五十年で三次計画は終わっております。しかしながら、海外に眠っておられます戦没者方々、まだまだ多数おられます。そういう意味合いにおきまして、五十一年度以降は、確度の高い残存遺骨のある地域につきまして、相手国の了解を得ながら遺骨収集を実施してまいっておるわけでございます。相手国によりましては、諸般の事情がございまして実際に私どもの希望がありましても遺骨収集がむずかしいというようなこともございます。  また一方、非常に物理的にむずかしい場所まで行って作業をしなければならぬという問題もございますが、そういう意味合いでまだまだ遺族の方方の御希望も強いし、残存遺骨も多数残っておるというようなことでございますので、確度の高い情報がありました地域につきましては、五十一年度以降も引き続き遺骨の収集を行っております。  具体的に五十六年度に計画いたしておりますのは、フィリピン、東部ニューギニア、マリアナ諸島、沖繩、硫黄島、小笠原といった六地域について、五十六年度には実施しようという計画を立てております。それぞれいま相手国の意向を確かめておるところでございます。  フィリピンにつきましては、先般も私どもの方から先行的に係員を派遣いたしまして、来年度もぜひ実施してほしいというような申し入れを行っておるわけでございます。
  25. 古賀誠

    古賀委員 どうもありがとうございました。  最後に、私一つだけお願い申し上げておきますことは、大臣、冒頭のお話の中にありましたように、財政的に大変厳しくなればなるほど、援護だとか福祉だとかいうものは必ずしもお金だけではない、ただいま海外の遺骨収集についてお話がありましたように、もっと精神的な面、心の豊かさというものが、大変そういった戦没者遺族の方方の心の安らぎになるのではないか、私も遺族の一人といたしましてそういう気がいたしますので、重ねて要望いたしておく次第でございます。  きょうは、ありがとうございました。
  26. 戸井田三郎

    ○戸井田委員長代理 次に川本敏美君。
  27. 川本敏美

    ○川本委員 私は、戦傷病者戦没者遺族援護法に関連して、園田厚生大臣を初め関係各省に対して若干の質問をいたしたいと思うわけです。  そこで、まず質問に入る前に園田厚生大臣にお聞きしたいと思っておるのですが、さきの臨時国会、それから今度の通常国会が始まりまして以来今日まで、いろいろな委員会予算委員会等においていわゆる憲法の問題がかなり論議されたことは御承知のとおりであります。奥野法務大臣を初め一部の方々から、現行憲法の前文、平和条項あるいは憲法第九条、これらの問題について改定すべきかという意見も出されておることは御承知のとおりでありますが、厚生大臣はいまの憲法についてどのような考え方を持っておられますか。
  28. 園田直

    園田国務大臣 いろいろ御意見があるようでありますが、私は次のように考えております。人からもらおうと買おうと押しつけられようと、宝石は宝石であります。憲法九条、これは私は終始一貫世界の人々に誇るべき個条であると考え、これだけは断じて守るべきである、このように考えております。
  29. 川本敏美

    ○川本委員 私は、厚生大臣は従来の御発言から見て、鈴木内閣の一員だから憲法を遵守するという程度ではなくて、積極的に世界の平和を守っていく、そういう中でわが国の繁栄を図っていくためには憲法第九条は積極的に守らなければならないという論者ではないかと思っておったのですけれども、きょうははっきりとそういう所信をお聞きいたしまして、そういうお考えを持っておられる厚生大臣に対して、これから戦傷病者戦没者遺族援護法についていろいろ御質問を申し上げていきたいと思うわけです。  そこで、世界の平和を守るためには、過ぎし大戦におけるわが国の国民が受けた戦争被害といいますか、あの痛ましい状態を二度と起こさせないためにも、戦争犠牲者に対する対策は公平でなければいけないし、できる限りのことをするというのが大原則でなければいけない。戦争というものは戦後三十五年、四十年たってもいかに高くつくものかということをすべての国民にわかってもらわなければ、いま厚生大臣がおっしゃった平和憲法を守るという趣旨がすべての国民になかなかわからないと思うわけです。  そこで、具体的にまずお聞きをいたしたいと思いますのは、今度御提案をされております改正法の中で、満洲開拓青年義勇隊、いわゆる義勇隊開拓団団員を準軍属として処遇をするという第四条の改正があります。さきに訓練期間中の満洲開拓青年義勇隊をやはり準軍属として適用されたことは御承知のとおりであります。今度開拓団も準軍属として処遇されることになりましたことは、従来私もこの席上で何度か質問をいたしました案件でありまして、私たちの主張が改正案に盛り込まれ、取り入れられたということについては、その政府の方針に対して敬意を表するわけであります。  ただ、そこで問題として指摘を申し上げなければいかぬのは、今度の改正でいわゆる開拓団員は準軍属とはなったけれども訓練期間中の義勇隊も同じですけれども、しかし従来の軍事に関する業務等により死亡された方の遺族とか、あるいは負傷し疾病にかかられた方々だけがこの法の適用対象になるということで、いわゆる義勇隊訓練中の日常業務といいますか、開拓団の日常業務といいますか、そういうものすべてが今回の改正では対象とされていないやに聞いておるわけです。  その点について、まずどうなっておるのか、詳しくお聞きしたいと思います。
  30. 持永和見

    持永政府委員 今回、義勇隊開拓団員を準軍属として処遇いたしまして、この処遇ということは、先生おっしゃるように遺族年金を支給するとかあるいは障害年金を支給するとかいうことになるわけでありますが、その支給要因といたしましては、先生指摘のように準軍属あるいはほかの軍属方々と同様に、軍事に関する業務による、いわゆる公務上の死亡、傷病について遺族給与金なり遺族障害年金を支給するということになっておるわけでございます。
  31. 川本敏美

    ○川本委員 そうすると、今度の改正によって新たに適用されると言われるのは、遺族年金受給者あるいは傷病年金等の受給者は、人数にしてどのくらいで、五十六年度といいますか平年度といいますか、予算措置としてはどのぐらいの金額になるのですか。
  32. 持永和見

    持永政府委員 今回の義勇隊開拓団員処遇によりまして、私どもの推定でございますけれども援護法で直接処遇となる人たちの数でございますが、まず遺族方々には弔慰金と遺族給与金と出ます。弔慰金の数はおおよそ八千二百名と推定をいたしております。遺族給与金の数は、三千五百七十人という推定をいたしております。  それから障害年金でございますが、障害年金につきましては百三十人という推定をいたしております。  それから先生いま御指摘予算でございますが、義勇隊開拓団員処遇することによりまして、先生御承知のとおりこの法律改正が十月から施行ということになっております。したがいまして、初年度といたしましては、十月改正に伴いまして三億程度の予算を計上いたしております。これを平年度に直しました場合には大体四十億の予算が要るかというふうに推計をいたしております。
  33. 川本敏美

    ○川本委員 そこで問題があるわけです。いわゆる戦闘行為ということについても、軍事に関連しておっても従来戦闘員、非戦闘員というものに対する判断は非常に厳しい判断をされておるやに私は聞いておるわけです。そういうことから言いますと、これは非常に厳しい措置ではないかと思うわけです。まして満洲開拓青年義勇隊あるいは満蒙開拓団ですね、これが設置されたいきさつはもういまさら申し上げるまでもありませんけれども昭和十二年関東軍の要請によって十一月三十日閣議決定された。国の政策に基づいて、開拓団とか義勇隊とかいう名称ではあるけれども武装をして、あの満州の地域の国土の警備のために、あるいは国境警備や鉄道警備、そういうことを含めて設置されたという意図は明らかであります。そうなれば、訓練期間中の義勇隊であっても、あるいは開拓団として入植した人たちも平素から武装しておったわけなんですから、仮に開拓団の仕事で農耕作業に従事をした、あるいは開拓団同士の連絡事務で自動車を走らせた、あるいは関係省庁へいろいろな形で要務連絡に行った、その仕事の範囲内で起こった事故は、開拓団員になった人はすべて準軍属として適用しておる以上、その日常業務を全部公務とみなして法の適用対象にすべきではないか、それが本当の措置ではないかと私は思っておるわけですが、それらはいま全然考えていないわけですか。
  34. 持永和見

    持永政府委員 先生もよく御承知と思いますが、私どもの方の援護法は、一つは国との特別の関係があるという身分関係による人たち軍属なり準軍属範囲にいたしまして、そういった方々が国の要請と申しますか、そういったことで直接軍事あるいは国の仕事に関係するというようなことで死亡されたり負傷されたりした人に給付金を出すというのが原則になっておるわけでございます。  したがいまして、青年義勇隊の場合もそうでございます、今回の義勇隊開拓団員の場合もそうでございますが、ほかの軍属方々あるいは準軍属方々、そういった方々との均衡の問題もございます。私どもの方の法律の問題もございます。そういう意味合いで、この公務上の問題を法律として捨てるわけにはいかないと思います。  ただしかし、実際の運用の問題といたしましては、個別のケースによりまして軍との関係をどう見るかというようないろいろな問題があるかと思いますが、そういった点については個別のケースを十分私どもの方は検討させていただきまして、判断をさせていただきたいというふうに考えております。
  35. 川本敏美

    ○川本委員 表を見せていただきますと、高齢化現象の中で遺族等もだんだんと亡くなっていかれて数も減ってきておる。また、これは厚生省の所管ではないけれども軍人恩給等の受給者の数もだんだん減ってきておる。傷痍軍人も同じであります。公正な立場から検討すればこれは当然何らかの対象にすべきだという人たちでも、国の財政的な事情とか諸般の事情によって今日まで放置されてきた。問題がたくさんあると思うのです。そういう問題についてきょうはこれから質問をさらに行いたいと思うのですが、財政が困難だといっても一方でそういう予算が年々減っていっておる現状にあるわけです。対象人員が減っていっておる現状にあるわけです。  だからこの辺で、いま申し上げたまず第一点は、義勇軍、開拓団等を全部対象にするということにしても、そんなに膨大な予算措置を必要としないのではないかと私は思うので、その点について、公正の見地からも、あるいはその労に報いるという見地からも、これらの人々は——中国残留孤児の問題も先ほど質問がありましたが、中国残留孤児の多くは開拓団の子弟なんです。一番苦労しておられるのです。戦中、戦後を通じて苦労しておられる。こういう開拓団方々に対して報いる方途をさらに拡大すべきだと思うのですが、厚生大臣、何とか前向きに考えていただくわけにいきませんでしょうか。
  36. 園田直

    園田国務大臣 ただいま事務当局から答弁いたしましたが、援護法のもとに仕事をやっている事務当局の答弁としては仕方がないことだと思います。しかしながら、古い言葉ではありますが、方法は人民に帰一すべし、すべての法律は人民というところへ一つに集中すべきだ、こういう言葉があります。そういう意味から、いま発言された趣旨に基づいて今後努力することは当然厚生省の仕事であると存じますが、今回はようやく軍事に従事した者の死傷についてやったわけでありますから、今後ともいろいろ努力したいと考えております。
  37. 川本敏美

    ○川本委員 きょうは恩給局からおいでいただいております。大蔵省の共済の方からもお見えいただいております。そこでさらにこの問題についてもう少し進めてお聞きをしたいのです。  軍人は軍人恩給がありますけれども、元軍人の方々が仮に戦後文官になられて国家公務員、地方公務員、三公社五現業等のお仕事につかれた場合、恩給法とか共済組合法等の計算をする場合に、その軍歴期間というものが通算の対象になっておると思うわけですが、その点についてはどうですか。
  38. 勝又博明

    ○勝又説明員 旧軍人も恩給法の適用の対象となるいわゆる恩給公務員でございます。そういう意味におきまして旧軍人としての軍歴といいますものは恩給法対象になる期間でございますから、復員後文官に再就職した場合におきましては当然に軍人の在職期間は文官の在職期間に通算いたしております。
  39. 川本敏美

    ○川本委員 共済の方は同じですか。
  40. 野尻栄典

    ○野尻説明員 現在の共済組合法は、それまでありました国家公務員の恩給制度及び旧共済組合制度を統合して現在の共済年金制度に移ってきているわけでございますから、いま恩給局の方から御答弁ございましたように、恩給期間としてみなされた期間は、軍人であるか文官であるか教育職員であるかといったような区分を問わず、すべて共済年金の基礎期間に通算するということになっております。
  41. 川本敏美

    ○川本委員 旧軍人というのは恩給法の適用対象ですけれども軍属、準軍属ということになりますと、恩給法はいわゆる身分法ですから、判任官以上の待遇の者でなければ恩給法が適用にならない。そうなると、準軍属とか軍属であっても雇員、雇傭人と言われる官吏でなかった人々、そういう人々に対する処遇はいまどうなっていますか。
  42. 勝又博明

    ○勝又説明員 恩給制度と申しますのは、先生ただいま御指摘のとおり、官吏あるいは軍人といった特定の身分を持った人を対象とする年金制度でございます。そういう意味におきまして雇傭人等は恩給制度の対象といたしておらないわけでございます。
  43. 川本敏美

    ○川本委員 だから通算されてないのですね。
  44. 勝又博明

    ○勝又説明員 そういう意味におきまして、このような雇傭人等の期間というものは恩給公務員期間には通算いたしておらないということでございます。
  45. 川本敏美

    ○川本委員 共済はどうですか。
  46. 野尻栄典

    ○野尻説明員 先ほど申しましたとおり、現在の共済組合法は、それまでございました官吏、雇傭人といったような身分の差によります年金制度の相違を統合して一本化するという目的で昭和三十四年に切りかえたわけでございますから、雇傭人期間につきましても、現在の共済年金の上ではそれなりにいろいろな形で通算をいたしております。
  47. 川本敏美

    ○川本委員 私は、恩給法並びに恩給法を親として生まれた共済組合法、そういうものの恩給とか年金とかいう制度の中で、いわゆる官吏相当官だけが優遇されておって、軍属、準軍属の中の下級公務員、こういう人たちが軽視されておるということはおかしいのじゃないかと思うのです。国のために命をかけて働いたという点においては、陸軍大将だから一生懸命命がけで、陸軍二等兵は命がけでなかったのか。それは逆じゃないか。一番戦闘の激しい砲煙弾雨のもとで先頭を切って働いたのは兵隊さんですよ。下士官以下です。そういう一人々の中、あるいは軍属でも雇員、傭員、こういう人たちに一番大変な御苦労をいただいたと思う。ところがわが国の戦後の処理の中で、官吏でなかった戦闘参加者が仮にその身分が低かったからということで法のもとで平等な公平な措置を受けられていないとしたならば、私はこれは大変な問題ではないかと思うわけです。このことについてはこれからもう少しお聞きをしてまいりたいと思っておるのです。  そこで、総理府にまずお聞きをいたしたいと思うのですが、五十四年度から日本赤十字の看護婦さんで戦地または事変地に勤務をした方々に対して一定の支給金が給付されておるやに聞いておるわけですが、その内容はどういうことですか。
  48. 山崎八郎

    ○山崎説明員 戦地、事変地で戦時衛生勤務に服された旧日赤救護看護婦の方々については、その特殊事情を考慮されまして五十四年度から慰労給付金を支給するということにいたしております。五十六年度でございますが、対象人員は約千百人で、予算額は一億三千万円でございます。  それで、旧陸海軍従軍看護婦につきましても、調査の結果、旧日赤救護看護婦と同様に女性の身でありながら戦地、事変地において戦時衛生勤務に服されて非常に苦労されたということが判明いたしましたので、これに対しても日赤救護看護婦に準じた慰労給付金を支給するということで、五十六年度の予算対象人員を約一千人と見込みまして、所要経費として約八千三百万円を計上しておるわけでございます。処遇の趣旨は日赤救護看護婦と全く同様でございますので、その支給条件、支給金額も日赤救護看護婦の例に準ずる、こういうふうに考えております。
  49. 川本敏美

    ○川本委員 いま申し上げました日赤の看護婦さんあるいは旧陸海軍の従軍看護婦さんの処遇についても、これを放置しておるのは公平を欠くものではないかということで私たち社会党も過去強い主張をしてきたものが、いよいよことしから陸海軍の従軍看護婦さんにもその適用をされるということで措置されたことについては、私は政府の御努力に対して高く評価をするものであります。  そこで、もう少し詳しくお聞きしたいのですけれども、日赤の看護婦さんに対する支給の金額は一人当たりどのぐらいで、支給の方法はどのような方法でやっておられるのか。
  50. 山崎八郎

    ○山崎説明員 救護看護婦に対する慰労給付金の額でございますが、これは勤務期間の長短に応じまして最低十万円、最高三十万円ということにいたしております。一人当たりの平均は十一万を少し超えるかという程度でございます。  それから具体的な支給事務は日赤にお願いいたしまして、日赤からこれを支給するというたてまえをとっております。
  51. 川本敏美

    ○川本委員 そうすると、日赤の看護婦さんはその勤務の実情に合わせて最低十万円から最高三十万円までの範囲内で——日赤の看護婦さんは日赤に所属しておった、まあ従業員であったわけです、だからその日赤から支給金を給付をする、そのお金を政府が予算措置をして補助をする、こういう形をとっておられるわけですね。  そこで、本年度から始まる陸海軍の従軍看護婦さんに対しては、大体同じ方法と先ほど言われましたが、給付内容は大体同じじゃないかと思うのですが、その給付の方法はどういうふうになるのですか。
  52. 山崎八郎

    ○山崎説明員 日赤救護看護婦に対する慰労給付金の支給と同様に、日赤にその支給事務を依頼したというふうに考えております。
  53. 川本敏美

    ○川本委員 私は、従軍看護婦さんにこの給付金を出していただくということは、われわれの年来の要求ですから非常に結構だと思う。しかしいま、日赤にお願いをして陸海軍の従軍看護婦さんの給付金を支給する、これはどの法律に基づいてそうするのですか。
  54. 山崎八郎

    ○山崎説明員 これは確たる根拠はございません。ただ、救護看護婦に対する処遇と陸海軍看護婦に対する処遇とは、これは目的、趣旨が全く同一でございますし、先生がおっしゃることは、国と雇用関係があったのだから日赤にやらせるのは不都合じゃないか、こういうことかと存じますけれども、私どもといたしましては旧陸海軍看護婦の大部分の者は日赤の看護婦養成所の出身者である、それから陸海軍看護婦としてあるいは救護看護婦として双方の勤務歴を有する者も多数存在する、それから同じように戦地で御苦労された、その点は同一であるので、すでにその支給措置をお願いしている日赤にこれをお願いしたという次第でございます。
  55. 川本敏美

    ○川本委員 私はそれはおかしいと思うわけです。いまおっしゃったことは、いろいろおっしゃいましたけれども、元日赤の看護婦養成所を卒業された方ですとか、あるいは戦地で日赤の看護婦さんと一緒に勤務をされた方ですからとかいうことを言われたけれども、私はそれは理由にならないと思うわけです。  というのは、先ほどから恩給局のお方の答弁でもあったし、あるいは厚生省の方の答弁でもありますけれども、いわゆる軍人、軍属、準軍属というものはそれが一つの身分なんでしょう。まして陸海軍の従軍看護婦というのは、これは今日で言う国家公務員ですよね。そうでしょう。国との雇用関係にあった人たちでしょう。この国との雇用関係にあった人たちに対する給付金を日赤を通じて行うということについては、そういうことが行われるとなれば、これは大きな問題になるのではないかと私は思うわけです。私は、それならそれで結構ですけれども、それならこれから私の言うことをまず認めてもらわなければいかぬと思うのです。  いま、陸海軍の従軍看護婦に対する支給金は、法律はないけれどもそういうふうにやるのだと言う。これはどういう意図でやられるのですか。戦争犠牲者に対する対策の一環としてやるのか、戦後処理の一つとしてこの問題を今度からやろうとしているのか、その点についてまず政府の見解を聞きたいと思います。
  56. 山崎八郎

    ○山崎説明員 旧陸海軍従軍看護婦に対する慰労給付金は、兵役のない女性の身でありながら赤紙召集、陸海軍の命令に基づいて戦地、事変地において戦時衛生勤務に服された、そういう特殊事情を考慮して、その長期間にわたる労苦に謝する、こういう意味で支給するものでございます。
  57. 川本敏美

    ○川本委員 兵役の義務のない女性の身でありながら一枚の赤紙で召集されて、そして命がけで戦地勤務をした人たちに対する慰労金である、そうすればそういう慰労金を交付するという何らかの制度が要るんじゃないですか、法律が要るんじゃないですか。軍人の恩給は、先ほどお話しあったように恩給法という法律の中で制度化されていま支給されている。私は日本は法治国家だと思うのですよ。そういう言い逃れは私は許さない。ここではっきりしなければいけないと思うのは、陸海軍の従軍看護婦さんも日赤の看護婦さんも法的根拠はない、しかしながら考えれば、日赤の看護婦さんの場合は日赤の従業員ですから、日赤の社内の規定によって、戦地勤務をしたもとの看護婦さんに対してこういう慰労金を支給しますという社内の規定があるとすればその規定に基づいて支給しなければいけないけれども、その財源がないので、戦争中のことで戦時に戦争協力だから政府がそれに対する補助をしてくださいというのは、これは私は予算措置でしてもいいと思う。陸海軍の従軍看護婦さんに対しては、それを日赤の社内の従業員に対する措置と同じだと考えて、法的根拠をつくらずに予算措置だけでやろうとするのは、私はどうも納得できないわけです。  それはどうですか、戦争犠牲者対策としてやったのか、戦後処理の一環としてやったのか。もう戦争犠牲者対策ではございませんねん、戦後処理やおまへんねん、これは日赤の看護婦さんとの公平ということですねんというのですか、総理府の考え方は。
  58. 山崎八郎

    ○山崎説明員 陸海軍従軍看護婦に対するこの処遇措置、これは救護看護婦の処遇との権衡上から処理するものでございます。(川本委員「ちょっともう一遍はっきり言ってください、何との処遇でしょうか」と呼ぶ)日赤の看護婦に対する処遇が行われておる、これとの権衡上陸海軍看護婦に対しても同じような処遇をしようとする趣旨のものでございます。
  59. 川本敏美

    ○川本委員 日赤の看護婦さんも陸海軍の従軍看護婦さんも戦地加算という、いわゆる軍人軍属の戦地加算と同じように戦地における勤務の加算はしておられるのでしょう。
  60. 山崎八郎

    ○山崎説明員 兵たる旧軍人に準じた戦地加算をいたしております。
  61. 川本敏美

    ○川本委員 それは何の法律に基づいてやっているのですか、その加算は。それは政府の官僚が勝手に決めることなのか、あなた方が勝手に決めていいことなのか、国会にも諮らずに。あなたは政治を私物化しているのじゃないの、どうなの。
  62. 山崎八郎

    ○山崎説明員 そういう措置を、国の方でそういう方針で進んでもらいたいということで日赤にお決めいただきたいというふうに考えております。
  63. 川本敏美

    ○川本委員 厚生大臣、これは総理府に対していま私が聞いていますけれども、これは理屈的にも法理論的にもおかしいでしょう。どう思いますか、こんなことが法治国家である日本でそのまま放置されるべき性質のものでしょうか。  これはやはり加算するなら加算する、あるいは日赤の従業員でない陸海軍の従軍看護婦さんに対して政府が国民の血税でもって税金を出す、その趣旨は結構ですけれども、その方法論として今日のように政府がそれをあいまいもことして、戦争犠牲者対策でもないんだ、戦後処理でもないんだという位置づけで戦地加算をして給付をするというのなら、私はこれは全く民主主義の原則に反すると思うのですよ。その点について大臣どのように思いますか。
  64. 園田直

    園田国務大臣 趣旨は、多年にわたる皆さん方の御意見によってやったことでありますから、これはおっしゃるとおり結構だと思いますが、やはり民主主義という政治の中では手続は大事でありますから、そういうことをやるなら手続も同時にお願いすべきであると思いますので、総務長官には私の方からきょうの御発言はよくお伝えをしておきます。
  65. 川本敏美

    ○川本委員 いわゆる政府の方針というのは先ほど来いろいろ言っておられますけれども昭和四十二年六月二十七日に当時の自由民主党幹事長福田赳夫、自由民主党総務会長椎名悦三郎、自由民主党政務調査会長西村直己、総理府総務長官塚原俊郎、大蔵大臣水田三喜男、この五名による合意文書が御承知のとおりあるわけです。  その合意文書はどういうことかといいますと、そのとき、昭和四十二年にいわゆる引き揚げ者に対する特別交付金の交付をするという法律が出されて、これが審議されて決定をして、そして総額一千七百二十五億円の交付金が出されることになりました。このときに了解事項として、「一、引き揚げ者に対する特別交付金の総額は千七百二十五億円とする。一、本施策により在外財産問題あるいは引き揚げ者に関する措置は完全に終了したものとする。」  それで、三番目が問題なんです。三番目に「本件措置をもってあらゆる戦後処理に関する諸措置は一切終結したものとする。」こういう合意文書があるわけです。  この合意文書があるものだから、総理府は、あらゆる戦後処理に関する諸措置は今後一切いたしませんということを自由民主党と約束をしてある。だから、いま陸海軍の従軍看護婦さんの問題が出てきても制度としてつくることもできない、法律として出すこともできない。予算措置で、そして民主主義の原則を否定して、あなた方の知恵でくぐり抜けようとしておるけれども、そんなことはできない。これはあくまでも戦争犠牲者対策である、戦後処理の一環であるということをはっきり認めてもらわない限り、私はきょうは引き下がらぬつもりなんです。  その点について総理府、どうですか、これは戦争犠牲者対策ですか、戦後処理じゃないのですか、もう一回明確に言ってください。——ちょっと、もう一回言います。女の身でありながら赤紙一枚で召集されてというのは、戦争に関係があるわけですね。そして戦地勤務をしたことに対する給付金、それだったらこれは戦争犠牲者に対する対策ですよね。
  66. 山崎八郎

    ○山崎説明員 先生指摘のように、これはまさに戦争に起因して出てきた問題である、そういうことは当然でございますけれども、私どもの方としては、特に女性であるという点と、それから戦地における特別の御労苦、これに謝するための措置であるというふうに考えております。
  67. 川本敏美

    ○川本委員 厚生大臣、私は陸海軍の従軍看護婦の問題を総理府で予算化したということについては強い不満を持っておる。なぜかといったら、これに対する資料は、全部厚生省調査をして厚生省が持っておった資料じゃないですか。
  68. 持永和見

    持永政府委員 今年から制度——制度と申しますか、いま御議論のありました陸海軍看護婦に対する給付金の関係につきましては、実際の軍歴資料その他、これは私どもが持っておりますので、私どもの方で調査したものを総理府にお渡ししたというのが事実でございます。
  69. 川本敏美

    ○川本委員 先ほどのこの合意文書があるために、当然これを所管して、そして制度をつくって措置すべきはずの厚生省がその責任を回避をして、そして総理府で予算措置をして国会の目をかすめて、そして国会がやれと言っていることだからそんなものは法律がなくてもいいだろう、こういう民主主義のルールに反したことをやろうとしておるやに推測されるわけです。  しかし、これはあくまでも戦後処理、戦争犠牲者対策の一環として戦傷病者戦没者遺族援護法あるいは未帰還者留守家族等援護法、こういうものとの関連において考えるか、何らかの新しい制度を立法化する必要がある、このように思うのですが、厚生大臣どうですか。
  70. 園田直

    園田国務大臣 いまお読みになりました合意書、これは閣議了解でもなければ閣議決定でもなければ法律でもありません。当時のそれぞれの立場にある人が自分たちの観点からやった一つの申し合わせでありまして、これに総理府が縛られるようなことは御心配なさらぬでもいいのじゃないか、制度をつくるべきものはつくるべきものだ、こう私は考えております。
  71. 川本敏美

    ○川本委員 それでは一応この問題はそこまでにいたしまして、次に話を進めたいと思います。  全国抑留者補償協議会というのが全国で大ぜいの組織を持っておられる。また一つの旧軍人軍属恩給欠格者全国連盟というのもございます。こういう方々は、すべて戦闘に参加をし、そして戦後シベリアに抑留をされる、こういう中で大変御苦労をいただいた方々でありまして、その抑留者の総数は約六十万人とも言われておりますし、その抑留中に現地で亡くなられた人の数は六万人もおると言われております。ところが、こういう方々に対する処遇の問題、あるいは旧軍人軍属で命がけで戦地で戦った、砲煙弾雨の下をかいくぐった人たちでも、その勤続年数が短いという方は、軍人恩給等の欠格者として全部そのまま放置されておる現状にあると思うわけです。  特に全抑協に結集しておられる方々の話を聞きますと、抑留中には労役に携わったというわけです。ソ連がこの人たちの労働力あるいは技術、こういうものをフルに活用して、そしてソ連の国土建設のために働かしたわけですから、その方々のいわゆる俸給とかあるいは労務賃金というものは当然受け取る権利があるわけです。ハーグ条約の陸戦法規に照らしても、あるいはジュネーブ条約に照らしても、これは明らかに国際間の条約として決められておることは御承知のとおりであります。個人の俸給ないし労賃の支払い請求権は個人が持っておるわけですけれども、残念ながらわが国は、日ソ共同宣言において、その第六項の第二文において一切の請求権を相互に放棄をするという協定をしてあるわけです。だから、ソ連に抑留された方々のこれらの俸給ないし労賃の請求権を一方的に政府が担保としてソ連との間にお互いの請求権を放棄しますという共同宣言に署名したわけです。だからこの人たちの個人の請求権がなくなったのかというと、私はそうじゃないと思うわけです。  国がこれを放棄をした。だから国家の財産として化体をして、この人たちの俸給ないし労賃がすべて国家の資産、財産として化体をして、ソ連との間にその請求権を放棄するということに決めたわけですから、本来の考え方から言えば、この人たちに対する俸給ないし労賃金の補償というものは、日本国の政府の責任においてなさるべきではないかと思うわけです。  ドイツは戦後、戦時捕虜賠償法という法律をつくりまして、国家が放棄をした請求権、それにかわって今度はドイツの政府が、一人一人のそういう捕虜になった人たちの労賃や俸給を支払うという法律をつくっておるわけです。ところがわが国では、一方で国家の財産に化体をしたみんなの一人一人の労務賃金や俸給その他のものを国家が勝手に本人相談もなしに放棄をしておいて、その後の補償も今日までしていない。こういうことは果たしてそれでいいだろうか、それで公正なんだろうか、こういう感じが私はするわけであります。  ちなみに調べてみますと、昭和二十四年四月にいわゆる阿波丸事件というものに対する国会の決議があります。阿波丸というのは、戦争中アメリカ側の潜水艦が過って日本の阿波丸を撃沈をして、多くの死傷者が出たわけですけれども、これについてもアメリカ側は、これは補償しなければならぬ事件だということを、その当時から言明をしておった。ところが、日米の平和条約の中で、日本がこの請求権を放棄をしたために、そのアメリカから賠償さるべきはずであった阿波丸の死傷者その他に対しては、わが国の政府がこれに対してアメリカにかわって補償をする、こういう措置がすでにとられておるわけです。前例はあるわけです。ところが、ソ連の抑留者に関しては今日まで言を左右にして政府はこれをやろうとしていない実情にあります。今日生き残りの方々の戦争犠牲者の最たるものだと私は思うわけです。  あの酷寒零下四十度、何メートル下の土の中まで凍るような酷寒の地で労役に服した、それも国家のために労役に服してこられた方々に対して、このようなことを今日まで放置しておるのはおかしい。戦争犠牲者に対する対策の、今日までまだ残っておる大きな仕事の一つではないかと私は思うわけですが、この点について厚生大臣どのように思われますか。
  72. 造酒亶十郎

    ○造酒説明員 お答えを申し上げます。  戦後ソ連に抑留されました方々の御苦労には、いまお話しのとおり大変はかり知れないものがあったということは重々お察しを申し上げるところでございます。  ただ、さきの大戦に関しましては、戦時中から戦後にかけまして、すべての国民が程度の差こそあれ、生命、身体、財産上の犠牲を余儀なくされたところでございまして、それをすべて償うということは、実際問題として不可能でございます。  ソ連抑留者の方々につきましても、ここで特別の措置を講ずるということは、他の国民方々に対する処遇との均衡上きわめて困難であると理解をいたしております。しかしながら、政府といたしましては、これまで戦後ソ連に抑留されて亡くなられました方々や、あるいは負傷されました方々につきましては、恩給法やあるいは戦傷病者戦没者遺族援護法などによる援護を行っておりますし、また恩給法では抑留期間を二倍に割り増し評価して勤務期間に算入するというような、できるだけの措置はとってきたということを御理解をいただきたいと思っております。
  73. 川本敏美

    ○川本委員 その年限を二倍に加算をしたからそれでいいのだということにはならないのじゃないかと私は思うわけです。それは想像を絶する労役に体を拘束されて、そうして労役に服して、食糧も十分与えられていなかった。六万人という人たちがその中で亡くなっていったという事実を見ても、それが戦争による死者の数よりも率では上回っておるわけですから、そのような状態を考えるときに、私たちはそのようなことだけで事足れりとするのはどうも政府の見解がおかしいのではないかと思うわけです。  従来からこの問題については最高裁判所の判例等もありまして、戦争中あるいは戦後占領時代は国民のすべてが多かれ少なかれその生命、身体、財産の犠牲を耐え忍ぶべく余儀なくされていたのであって、それらの犠牲はいずれも戦争犠牲または戦争損害としてすべての国民が受忍をしなければならないという趣旨のことが出されておる。これを受けて政府はその後国会審議の中ですべてさきの大戦に関しては、戦中戦後を問わず国民のすべてが多かれ少なかれ戦争による各種の犠牲をこうむっているが、これらのいわゆる戦争犠牲については国民のひとしく受忍しなければならなかったところであり、国に補償の義務があるとは考えていない、こういうことを言っておるわけです。これは全く実情を無視したものである。  まあ、その受忍の範囲を越えておるものとしていわゆる今日の戦傷病者戦没者遺族援護法があり、さきに旧防空法のが適用され、あるいは満州開拓団が適用される。これはやはりその受忍の範囲を越えた人だという解釈に基づくものだろうと私は思うのですが、そういう中で、ソ連抑留者の人は年限を倍にして計算してあるからそれでもう受忍の範囲内だというのは、これは倍にしてもらったから俸給や労務賃金は払わなくてもいいんだということにはならぬと私は思うわけです。  まして先ほどお話しのように、従軍看護婦さんにも日赤の看護婦さんにも戦時加算をして、そしてこれは予算措置だけれども年金と同じでしょう。何年間ということじゃないのでしょう。年間十万ないし三十万これからずっと亡くなるまで、最後まで給付されるのでしょう、総理府。
  74. 山崎八郎

    ○山崎説明員 正確に申し上げますれば、これは毎年毎年の予算化によって措置するものでございますけれども、日赤の場合も五十四年度発足してずっと続いておりますので、大体そのように御理解いただいてよろしいかと存じます。
  75. 川本敏美

    ○川本委員 先ほど大臣もおっしゃいましたけれども、これはやはり制度化して生存中は年金として一生涯給付するのだということを明確にしなければ、あなたはいま予算措置でやっていますと言うが、予算措置なら、予算措置が切れたらその翌年から陸海軍の従軍看護婦さんのはなくなって、日赤の看護婦さんは自分の従業員ですから日赤が責任を持って支給する、そういうようなことが起こりかねないと思うのですよ。だからやはりこれは法的措置、制度をつくる必要があると思うのです。  それとの兼ね合いから見ても、陸海軍の従軍看護婦さんや日赤の看護婦さんでも長い人は年間三十万円の年金をずっと受けられる、ところがソ連の抑留者の方々は労務賃金の補償ももらわずに、そしておまえらの恩給は勤続年数を倍にして計算してあるからというのでは、戦争中のひどいところは三倍のところもあるわけですから、そういう論拠をもってするのならば、少なくともまず最激戦地と同じ加算をやってからそういうことを言いなさいよ。それもしないでそういうことを言うというのはおかしいと私は思うのですが、改めてお聞きをいたしたい。
  76. 造酒亶十郎

    ○造酒説明員 先ほどもお答え申し上げましたように、さきの大戦あるいは大戦後のいわゆる戦争によります犠牲につきましては、これまで政府が行ってまいりました一連の施策考え方は、戦没者遺族の方あるいは戦傷病者の方あるいは生活の基盤を根こそぎ失った引き揚げ者の方など、一般の国民と異なりまして特別の施策を必要とするという方々につきまして、必要な援護等の措置を講じてまいったところでございます。そして、これまで講じてきました一連の施策をもちまして戦後処理に関する措置は終了するという旨の了解事項が四十二年に行われているわけでございますが、戦争の犠牲というものはとうていすべてを償い切れるほどのものではない、最終的には一人一人の国民に受けとめていただかなければならない、政府の施策としてはどこかで一応の区切りをつけなければならないということで、このような了解事項がなされたものと理解いたしているわけでございます。
  77. 川本敏美

    ○川本委員 先ほども申し上げましたが、ハーグ条約の陸戦法規では、いわゆる捕虜を抑留した国が捕虜の俸給ないし労賃を支払わなければいけないという義務が抑留国に対して課せられているわけですね。またジュネーブ協定の中では、もし抑留国からその捕虜の補償がもらえなかった場合には自国政府に対してその補償の要求をすることができる、この権利は他のいかなる国際協定でも制限することはできないという協定になっている。そういう趣旨からいけば、少なくともこのソ連抑留者に対する俸給ないし労賃というものは日本政府がかわって支払うべきものだと私は思うのですけれども、重ねてもう一度お聞きしたい。
  78. 造酒亶十郎

    ○造酒説明員 ただいまお示しのハーグ条約あるいはジュネーブ条約の関係につきましては、これは外務省の方でございませんと正確な責任のあるお答えができないと思います。私は別の観点からお答えをさせていただきたいと思いますが、先ほど先生御引用になられました最高裁の判決をまた引き合いに出しまして大変恐縮でございますけれども、私ども政府といたしましては、そういう場合の補償の義務は政府にはないというふうに考えている次第でございます。
  79. 川本敏美

    ○川本委員 こんなことをいつまでやっておっても同じことですから、また改めてこの続きを質問するために、私の質問はこのことに関しては留保しておきたいと思うのです。  そこで厚生大臣、ソ連で抑留中に亡くなられた方が六万人もおると言われておるのですが、厚生省では大体わかっておられると思うのですけれども、この遺骨収集ということはいままで計画されたことがないわけです。  これについてどうでしょう、シベリアの抑留者の遺骨収集は政府としては計画に入っていないのですか。
  80. 持永和見

    持永政府委員 シベリアの遺骨収集につきましては、実はソ連側と何回か交渉をいたしておりまして、現在のところソ連側から、たしか二十六カ所だったと思いますが、二十六カ所について情報が入りまして、そのうち二十一カ所でございますか、二十一カ所については実施をいたしております。残りの五カ所についてもぜひ実施してほしいという申し入れを行っておりますけれども、ソ連側からはこの問題についてはっきりしたいい返事をまだもらえないということでございます。  それから遺骨収集につきましても、先生指摘のように私ども遺族方々の心情を踏まえまして、主要戦域において遺骨収集をやっております。そういう意味合いにおきまして、ソ連側に対しまして遺骨収集をさせてほしいという申し入れを何遍かしておりますけれども、なかなか向こうの了解が得られない、こういうような事情でございます。
  81. 川本敏美

    ○川本委員 これに関しては、ソ連や外蒙古、ウクライナ共和国等にはまだノモンハン事件の捕虜の方々が抑留をされて、今日までそのまま放置されておるということが明らかにわかっておるわけであります。あるいは外交文書でも明らかになっておりますし、国会の証言の中でも出てきておるわけです。あるいは帰国されたソ連抑留者の方々のいろいろな報告に基づいても、私はウランバートル市のナレハ炭鉱の第七坑というところでノモンハン事件の捕虜の方々に会いました。私たちは生きて虜囚の辱めを受けず、あの軍人勅諭のもとであったために、あなた方は帰れるけれども、捕虜になっておるわれわれはいつまでたっても帰らない。なぜかというと、日本ではもう戦死者として戸籍も抹消されてしまっておる、だから私たちは一生日本に帰れないのだということを言っておられたという話や、あるいはウクライナ共和国のアルチョモスクというところで昭和二十三年七月十三日に、ソ連兵に引率されたいわゆるノモンハン事件の捕虜の方々が行動しておるのと接触して話をした。そして私は東北地方の出身であると言われたというようなこととか、あるいは沿海州の方でもたくさんそういうのがある。中には市民権を獲得してもう結婚もしておられるという方もおるやに聞いておりますけれども日本の戦前の旧軍隊というものがいわゆる生きて虜囚の辱めを受けず、もし捕虜になるなら自殺をせよ、こういう戦陣訓の教えであったために、捕虜になった人は、大体そのときは気を失っておったり動きのできないような負傷をしておったり、そういうことで捕虜になった人たちばかりですけれども、現在でも一千名以上残っておると言われておるわけです。こういう問題もやはり戦後処理の一環として最終的には何らかの形で、せめては文通だけでもできるように、あるいは里帰りくらいはできるようにする措置もやはり講じてやらなければ、一番お気の毒な人々だと思うわけです。一千名くらいおられると言われるわけですが、いまのわが国とソ連との外交関係の中ではこれを処理するのは大変むずかしい問題かもしれませんけれども、厚生大臣、ひとつ今後こういう問題についてさらにソ連に問いただしたり聞き合わしたり調査をするという意図はございませんか。
  82. 持永和見

    持永政府委員 ちょっと事実関係だけ先に私の方からお答えさせていただきますが、先生指摘のようにノモンハン事件で捕虜になられた方々がまだかなりの数ソ連におられることは事実だと思います。こういった方々につきましては、引き揚げの段階でも捕虜になったということでなかなかお帰りにならない方々でございまして、実際にこういう方々がどういう生活をしておられるのか、またどういう状態にあるのか、そういったことにつきまして政府としても十分関心を持ち、かつ調査もしなければならないということで、これも外務省を通じましてソ連側に再三にわたって申し入れはしておりますけれども、なかなか向こうからそれに対してお答えがいただけないというような段階でございます。
  83. 川本敏美

    ○川本委員 ひとつ今後とも御努力をお願いいたしたいと思うわけです。  そこで、この抑留者の問題に関連して最後に、いわゆる軍人恩給の欠格者の問題について、私はもう少しその処遇の問題についてお聞きをいたしたいと思う。  戦地加算の計算をしてもなおかつ軍歴が三年以下であった方々は、一時恩給も、もちろん軍人恩給にも対象になっていないわけですね。
  84. 勝又博明

    ○勝又説明員 一切の在職年と加算年を入れまして十二年ないし十三年以上ありますれば年金、恩給を支給することになっておりますが、それ未満の場合には年金、恩給は出ておりません。また実際の在職年が三年以上あれば一時恩給を出すことにしておりますが、三年未満の場合には一時恩給を支給しておりません。
  85. 川本敏美

    ○川本委員 先ほど看護婦さんの場合、女ながらも一枚の紙切れで召集されてとおっしゃいましたけれども、男であっても兵役の義務はあったにしても命がけで砲煙弾雨のもとをかいくぐった、そして国のために働いた、国民のために働いた、国を守るためにがんばった、そういうことは一月であっても二月であっても十年であっても、十年間勤務した方が十年間毎日砲煙弾雨の下をくぐっておったかといえばそうじゃないと思う。私らもよく知ってますよ。だから、仮に一月であっても二月であっても砲煙弾雨のもとで戦った人たちが、おまえは三年未満だからしんぼうしなさい、こういうことで放置されておるところに今日不公平感があって、軍人恩給欠格者連盟に結集される四百万という人々が何とかしてくれという要求をしておるのは当然のことだと思うわけです。  それは私は自分で知っておるのですが、私の兄はいわゆる満州事変とか日華事変に従軍したのです。そうしたら、満州事変でたとえ二カ月であっても戦闘に参加をした、日華事変でたとえ二カ月でも戦闘に参加したという兵隊さんは、その事変後昭和十二年前後に全部いわゆる勲八等という叙勲があって、そのときに交付公債というのが十年償還ぐらいで、勲八等であれば二百円とか勲七等であれば三百円とかいう交付公債が全部出ておったわけです。これはいわゆる勤続年数の長い短いは関係なしに、戦闘に参加した兵隊さんには全部そういうものがある。勲八等、勲七等はありがたくないけれども、ついておる交付公債はありがたいので、これは当時みんな大変感謝したわけです。  ところが、いまの軍人恩給欠格者と言われる方方は、現に自分が戦闘に参加をしておっても、実役三年以上の人は恩給とか一時金とかもらっておるけれども、三年以下の者はいかに厳しい戦争の中で戦った人であっても何ら処遇されていないというところに、今日不公平感がある原因があると私は思うわけです。だから、そういう意味において私は、少なくとも戦闘に参加をした、砲煙弾雨のもとをかいくぐった、こういう軍人がそのまま今日まで放置されておるということについては強い不満を感じておるわけですが、これはやはりこれからの問題として考えていただかなければいけないと思うわけです。  この人たちの恩給通算の問題、年金通算の問題についても、昨年四月一日の内閣委員会で総理府は、総務長官としては、この問題について権威ある学識経験者の御意見を聞いてみたいという意向で、今後各省とも相談して、恩給、年金、共済とも関係があるわけですから、これらの問題を十分検討してみたいというようなことを言っておられるわけですが、私はこういう問題についてさらに積極的に検討をすべしと思うのですけれども、総理府の方、恩給局の方はどう思われますか。
  86. 勝又博明

    ○勝又説明員 ただいま先生指摘の問題は、恩給制度におきまして恩給年限を十二年、十三年と区切っている、あるいは一時恩給の資格年限を三年と区切っているということから出た問題でございますが、恩給制度は長年そのような仕組みのもとに運用してまいったわけでございまして、現在その年限を修正するということはきわめてむずかしい問題だというふうに考えております。
  87. 川本敏美

    ○川本委員 そこで、私はもう少し話を進めて、中国残留孤児の問題について、先ほど古賀委員質問をしておられましたが、私も少し質問をしてみたいと思うのです。きょうは法務省からおいでいただいておるはずでございますが、具体的に一つ一つお聞きいたしたいと思うのです。  中国残留孤児の親捜しについて厚生省が中心になって大変御苦労をいただきまして、多数の孤児が親や親類の方が判明をいたしまして、私たちもよかったと喜んでおるわけです。また秋には同じようなことが予定をされておるわけであります。そこで、今度はこれらの方々の入国の問題についてもう少し詳しくお聞きしたいと思うのですが、中国残留孤児日本人ということがはっきりわかった、それで戸籍も見つかった、こういう人については帰国したいといったら日本人としてすぐに入国できるわけですか。
  88. 黒岩周六

    ○黒岩説明員 お答えいたします。  日本国籍であると確認されておる方につきましては、当然のことながら日本人といたしまして一般日本人と同様に帰れるわけでございます。
  89. 川本敏美

    ○川本委員 それなら、孤児というのももう今日三十五歳以上、四十歳前後の方々ですからみな配偶者や子供さんがおられるわけです。お父さんが日本人である場合には生まれた子供さんは日本国籍だということは明らかですけれども、お母さんが日本人であってお父さんが中国人の場合、生まれた子供さんは中国籍ということになろうかと思う。もし帰国するとしたら、一人で帰るわけにはいきませんから配偶者や子供を連れて帰るとした場合に、それらの中国人の配偶者あるいは中国籍の子供たち、こういう人たちの入国はどうなるのですか。
  90. 黒岩周六

    ○黒岩説明員 お答えいたします。  入国に当たりましては、そういった方はあくまでも外国人として入国していただかざるを得ないということでございまして、その後、帰国後の措置はまた別段あろうかと存じます。
  91. 川本敏美

    ○川本委員 外国人として入国してもらわなければいかぬけれども、その後の措置というのは、仮に日本で永住をするということになれば日本国籍は簡単に取得することができるわけですか。
  92. 田中康久

    ○田中説明員 お答え申し上げます。  私どものところが帰化を扱っているところでございますけれども、いまのような事態の場合には、母親がたとえば日本人ということになりますれば子供は日本人の子ということでございますので、日本国内に入った時点以降直ちに帰化申請ができます。ただ、中国籍を持っておられます配偶者の方につきましては、現段階の国籍法では三年日本に居住していなければ帰化できないということになりますので、父親の方は三年たたないと帰化できないことになりますが、子供の方は、日本に入った時点に直ちに帰化申請が出れば、私どもは受けて必要な調査をし、日本国籍を与えることができるということになっております。
  93. 川本敏美

    ○川本委員 大変むずかしい話だと思います。  そこで、大体中国残留孤児というのはあの終戦後の混乱の中で、お父さんが現地召集されて、いない、おってもばらばらになった。そしてお母さん一人でとてもこの乳飲み子を抱えて日本まで帰る途中で殺してしまうかもしれないし、とても連れて帰れないというので、中国人の方にあるいは里子としてもらってもらったり預けたり、いろいろなケースがあろうかと思うわけですけれども、大体やはり養父母がおられるわけです。その養父母がおられたおかげで今日まで生き長らえてこられた人ばかりだと思うわけです。  ところが、もうそれから三十五年も六年もたっておりますから、養父母の方は大変年をとっておられると思う、中国のお父さん、お母さんですね。そうしたら、そのお父さん、お母さんはもう年寄りだから自分で働いて生活することができない。その養女、養子の労働によって生活を維持しておる。これはわれわれ日本の家庭でも同じだと思うのです。そういうことになると、昔から生みの親より育ての親と言いますよね。だから私は、日本人の子だとわかったから日本へ帰りたいと言って養父母を捨てて帰れるということにはなかなかならないと思う。そういう場合に、その養父母を同伴して帰りたいというときはどうなりますか。
  94. 黒岩周六

    ○黒岩説明員 お答えいたします。  確かに先生指摘のような状況考えますと、当然のことながら、特に養父母が高齢でありますとかというようなことを考えますときに、養父母御本人を初め、同伴して帰国することを希望されるのであれば、そのような方向で受け入れることとするよう関係省庁とも検討していきたいとは考えております。
  95. 川本敏美

    ○川本委員 養父母の入国も認めるということですか。その養父母の方が、先ほどの配偶者と同じじゃあれですけれども、もう子供が日本人日本に永住すると言うんだから、私も年老いておるから日本へ一緒に入国したけれども、ここで帰化したい、こういう意図でおられた場合、この帰化はやはり三年たたなければできないのですか。
  96. 田中康久

    ○田中説明員 現行法のもとではその養父母の方は五年日本にいなければ帰化できないことになっております。  ただ、日本人の親につきましての帰化条件、現在は五年になっておりますけれども、この五年の期間がいいかどうかについて若干指摘はございます。私どもの方は現在国籍法の改正作業を一応やっておりますので、その改正の検討の対象としては、その日本人の親についての帰化条件、居住期間を何年にすべきかということを一応検討の対象にするつもりでおりますので、その結果いかんによってはもっと短くなることも考えられます。
  97. 川本敏美

    ○川本委員 検討中だそうですけれども、少なくとも三十五年間育てていただいた恩人ですよね。お父さん、お母さんですよね。それを子供と、婿さんあるいは嫁さん、息子夫婦は無条件で入れてすぐに帰化を認めて、一番恩人の方はいろいろ条件がついてくるということじゃ、これはやはりいままでの恩義に報いる立場からもそういうわけにはいかない。そんなもうお父さんお母さんほっておいて私は帰りたいという人はあるかもしれませんが、それはやはりちょっと問題で、向こうでお父さんお母さんがどうしても日本へ行きたくない、そして独立して生計のできる状態にある、安心してあなたは日本へ帰れということになった場合を除いて、そのお父さんお母さんのことのために、日本人である、ここに親がおるということがわかっても帰れない孤児もあるんじゃないかと私は思うわけです。情として帰って来られない。私はお父さんお母さんの老後を見るために、日本人であるということがわかったからもうそれだけで得心だ、私は帰らずにこっちでお父さんお母さんのめんどうを見ますという人も出てくるはずだと私は思うわけです。そういうような状態ということは、親子のつながりというものはそういう情があってしかるべきだと私は思うのです。  そういう場合に養父母を入国させるのには、入国は簡単に同じようにさっさといけるわけですよね、一緒に同行して帰れるようになりますか。
  98. 黒岩周六

    ○黒岩説明員 先ほど申しましたとおり、養父母はその子供さん家族と同伴して帰られる限りにおきましては、同伴して帰れますよう考えてまいりたいと思っております。
  99. 川本敏美

    ○川本委員 入国、帰化の問題について先ほど来検討いただいておるようですけれども、できるだけ早い時期に検討をしてできるだけ入国が簡便にできるように、帰化も簡便にできるようにひとつ措置してもらいたいものだと要望いたしておきたいと思うわけです。  そこでもう一つ、全くの孤児で、日本厚生省が親捜しをしたけれども、親も見つからなかった、親戚も見つからなかった、しかし私は日本人だと言われておる孤児は、入国を認めることになりますか。
  100. 黒岩周六

    ○黒岩説明員 お答えいたします。  その場合には日本国籍を有することが帰国前に確認できないわけでございます。ただ、諸般の状況から血統的に日本人であるということが十分推察が立つものでございますもので、とりあえず中国人、外国人ということで入国を認めるということにいたしております。
  101. 川本敏美

    ○川本委員 そういう方々でも日本へ来たいという入国の意思があれば中国籍のまま日本に入国を認める。日本へ来てから日本人に帰化するというか戸籍を取得するということはできますか。
  102. 田中康久

    ○田中説明員 お答えいたします。  まず一般的なことからお話ししますと、旧満州にはわが国の領事館がたくさんございまして、終戦直前の混乱時期を除きまして、それまでに生まれた子供につきましては日本側に出生の届け出が出てきている。満州の領事館に出せば日本側の戸籍の方にそれが記載されているというケースの方がほとんどだと私も思っております。  ただ、そういうかっこうのものですけれども、たまたま親が本籍がどこにあるかわからない、名前がどういう名前かわからないということで、あるべき戸籍が見つからないという方につきましては、日本戸籍がないということで就籍の裁判を経て戸籍をつくってもらうというのが本来の筋論でございます。  ただ就籍の裁判というのは家庭裁判所が審判でやることになりますので、やはりある程度の資料がないと裁判所で審判をしていただけないということになろうかと思います。そこでそういうことで裁判所の判断が得られない。親は日本人であることは間違いない、だけれども名前はわからないというような客観的な資料が出てきたものにつきましては、やはり戸籍をつくる方法が若干ございませんので、場合によってどうしても希望があれば帰化手続で処理するということも一応私どもの方で検討はしております。  ただ、いままでそういうケースがなかったものですので、具体例としてはございません。
  103. 川本敏美

    ○川本委員 やはりそういう人たちも名前もわからない、けれども両親日本人であったということがはっきり周囲から立証できる、こういう人たち日本人として帰れるように措置するべきではないかと思うのですが、厚生大臣もこの前参議院の予算委員会かどこかでそういうことについて御答弁をされておるように思いますけれども、その点について厚生省としても一段のお骨折りをいただきたいと思うのですが、厚生大臣、どうですか。
  104. 園田直

    園田国務大臣 いま法務省からもお答えありましたが、特に法務省、関係各省と相談をして、現実に便宜が図られるよう努力したいと思います。
  105. 川本敏美

    ○川本委員 そこで、先ほど古賀委員質問の中で、帰還後の処遇についていろいろお話がございました。古賀委員のおっしゃるとおりでありますし、それに対して政府も誠意を持って対応しようというように考えておられるように思いますので、ひとつ十分な処遇ができるように改正すべきものは改正をする、制度をつくるべきものはつくるという形で、その方々が故国で本当に安心して生活できるような体制をぜひつくるべきだと私は思うのですが、そのためには、やはり未帰還者留守家族等援護法で規定されておる帰還手当の問題や、あるいはその他の問題がまだまだ金額的にも、あるいは体制としても不十分ではないか。法律をつくるときには残留孤児というのがおるということを想定せずにつくった法律ですから、やはりこういう特殊な状況のもとで新たな事態が起こってきておるわけですから、それに対応するように見直すべきではないかと思うのですが、その点、厚生省はどう考えていますか。
  106. 持永和見

    持永政府委員 中国からの引き揚げ者に対します援護措置の問題でございますが、確かにこれは日中国交回復後、急速にこういう問題が起きたわけでございまして、先生おっしゃいましたように、留守家族等援護法、これができました昭和二十八年当時の社会情勢の背景とは全然性質が違っております。  したがいまして、私どもとしては、先生おっしゃいますように現時点なら現時点、現在の社会情勢、そういった引き揚げ者の実態、そういうものにそぐうように、こういった面についての配慮をできるだけするべきだというふうに考えておりまして、先般も先生からの御質問にお答えいたしたわけでございますが、帰還手当などにつきましても年々所要の増額を図っていくよう、これからもまたそういった実態を十分踏まえて増額を図っていくように努力してまいりたいと思っております。
  107. 川本敏美

    ○川本委員 やはりこの未帰還者留守家族等援護法という法律が制定された当時のわが国の生活水準あるいは教育の水準、そして働いておる勤労者の方々め技術の水準、こういうものすべて格段の飛躍をしておると思うわけです。その進んだ近代的な日本へ浦島太郎みたいにひょこっと帰ってこられるわけですからね、それを適応させるということは本人も大変な努力だと思いますけれども、それにふさわしい政府の援助がなければいけないと思うわけです。  そういう意味において、帰還手当のほかにも、あるいは立ち上がり資金というようなものも必要かと思います。あるいは一定期間の教育の問題も先ほど論議されておりました。あるいは職業訓練の問題も論議をされておりました。そういうものを習得する間、一応日本の国内のいろんな条件になれるまでの間、やはり生活に対して一定の保護を政府がして差し上げなければいけないと思うわけです。そういう点も含めてひとつ温かい対処ができますように、特段のお骨折りを私からも要望しておきたいと思うわけです。  もう時間が余りなくなりましたので、簡単に私はあとの問題だけなにしたいと思うのですが、先ほど来いろいろ論議をしてまいりましたが、いわゆる戦争犠牲者対策といいますか、戦後処理の問題についてはまだまだ残された課題はたくさんある。それがすべて、多かれ少なかれすべての国民がその犠牲を受けたのだからしんぼうしなさい、受忍の限度内だということで処理することができない問題が、先ほど来申し上げたような問題の中には含まれておるし、このほかにも、原爆被爆者の問題あるいはこれもこの間本会議でわが党の森井忠良代議士が提案趣旨の説明をされて、さらにこれから審議に入っていくわけですけれども、こういう問題や、あるいはいままで指摘されておる義勇兵役法に基づくいわゆる犠牲者の方々に対する処遇の問題、あるいは艦砲射撃によるものの処遇の問題等もあるわけです。また、陸海軍の従軍看護婦やあるいは日赤の従軍看護婦の方々の問題の中でも、いわゆる病院船ごと伝染病にかかって戦後長い間その看護婦さんが帰れなかった、その任務につかざるを得なかったというようなケースもあるようですけれども、そういうのがいわゆる戦後であるために対象になっていない。こういうような問題も、シベリア抑留の方々が戦後の問題だということで放置されておるのと私はよく似たケースだと思う。  そういう意味において、先ほど厚生大臣は、そういう四十二年六月二十七日のいわゆる合意文書というものは閣議決定でもなければ正式な政府の決定ではないので、そういうものにこだわらずに戦争犠牲者対策あるいは戦後処理の問題についてはひとつ公平な措置がとれるように努力をしていくという趣旨の御発言があったやに私は思うのですけれども、最後に改めて厚生大臣から、こういう問題について、先ほど来申し上げました問題点解決のために厚生大臣が御努力いただげるものと信じておりますけれども、ひとつ御答弁をいただきたいと思います。
  108. 造酒亶十郎

    ○造酒説明員 厚生大臣にお答えをいただきます前に、私から若干事柄の経緯だけを御説明させていただきたいと思います。  四十二年にそういう了解が行われておりますが、その趣旨は、その後におきまして国会から政府に対してお示しをいただきました質問主意書に対する答弁書という中に盛り込まれておりまして、これは閣議決定を経て国会に御提出をいたしたものでございます。  また、今度の国会におきましても、総理大臣からその趣旨の御答弁をいただいているところでございまして、私どもは政府全体としての一つ政策考え方である、戦後処理はここで終わるというのは政府全体を通ずる政策考え方である、かように理解しておるわけでございます。
  109. 川本敏美

    ○川本委員 私はあんたに聞いておるんじゃないので、園田厚生大臣に聞いておる。  私は、先ほどおっしゃったそういう合意文書とかあるいはそういう政府の方針というものは、いわゆるあの合意文書の中で書かれておる、あらゆる戦後措置についてはこれをもって終了したものとするという、しかしあれは、引き揚げ者の財産その他に対する補償ということで、物というものに重点を置いて考えておられる。人の命とか健康ということの戦争犠牲者というか、そういう面は含まれずに、引き揚げ者の給付金のときですから、そういう物中心の考え方に立ってああいうことがされたのではないかと思っておるわけです。  だから、そういうことからおしなべて全部いま総理府が言うような形で解釈するのはおかしいということは最前大臣もおっしゃっておるわけですから、その点、最後に大臣から……。
  110. 園田直

    園田国務大臣 いまの経緯は総理府の方から承りましたが、国会でお決め願った法律であっても、閣議決定した問題であっても、了解した問題であっても、時世が変わり、国民の要求が変わってくればそちらが主であって、やはりふすまが長ければふすまを削るとか、ふすまをかえるとか、こういうことで、制度や法律があるからできないというできない方に根拠を求めるべきではない、私はこう考えております。そういうつもりで、たとえば受忍すべきであるということも、受忍すべきであるというのじゃなくて、現実としてはなかなか大変であるから勘弁してくださいという、心の持ち方はそうあるべきであると思いますので、今後とも努力をいたします。
  111. 川本敏美

    ○川本委員 最後にひとつ要望だけしておきたいと思うのは、台湾、いわゆる旧日本の領土の統治区域内の人たちであって、そして過ぐる大戦で兵隊あるいは軍人軍属として戦われた方の中で、戦傷病者、その遺族等が台湾にもおられることは御承知のとおり。その方々からもわれわれ国会議員に対しては強い要求が出されておりますが、今日台湾の置かれておる特殊な状態、あるいは日本中国との関係、こういうことから見て大変むずかしい問題だと思いますけれども、やはりこれも戦争犠牲者で、放置すべき問題ではないと思いますので、今後早期にこういう問題が解決できるように中国との間の話し合いを鋭意進められますよう努力を要請いたしまして、私の質問を終わりたいと思います。
  112. 戸井田三郎

    ○戸井田委員長代理 午後一時より再開することとし、この際休憩いたします。     午後零時十一分休憩      ————◇—————     午後一時五分開議
  113. 今井勇

    今井委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する質疑を続行いたします。栂野泰二君。
  114. 栂野泰二

    ○栂野委員 初めに、あらかじめ事務当局にお願いしておきました計算がありますが、それについてお答え願いたいのです。  これは一つの想定でございますが、いま夫七十歳、奥さんが六十五歳、子供なしという、こういう夫婦は、敗戦直前ですと大体三十四歳から五歳ですが、その男の人が日本本土の軍需工場で米軍の爆撃に遭って片腕を落とした。この場合に、一人はその工場に監督官として行っていた陸軍大佐、もう一人は兵、それから軍属、一般の民間の工員、朝鮮人の工員、この場合に、現在それらの人たちがどういう補償を受けているのか、その金額を御説明願いたいと思います。
  115. 持永和見

    持永政府委員 先生のいまの事例のお話でございますけれども、軍需工場で障害を受けた方ということで想定いたします。  片腕をなくすということは、恩給なり援護法で言う二項症に該当いたしております。こういった方につきましては、現在恩給につきましては増加恩給が支給されております。それから二項症でございますと、先ほどもちょっと申し上げましたが、こういった重度の障害者の方々につきましては特別加給という加給制度がございまして、現在増加恩給は現行の額、昭和五十五年度の額で二百八十七万八千円ということになっております。これが五十六年度、今年度の改正で三百八万六千円になります。また特別加給につきましては、現在十八万円でございますが、これが二十一万円ということになります。それからこのほかに、奥さんがおられますと扶養加給がついておりまして、扶養加給はおよそ公務員の扶養手当並みの額でございますが、現在年額十二万円、これが五十六年度からは十三万二千円ということで月千円上がることになっております。  それから軍属の場合、兵隊さんの場合も、この増加恩給関係では同じでございます。それから軍属の場合は、私どもの方の所管しております戦傷病者戦没者遺族援護法によります障害年金が出ることになっておりますが、この金額は全く同様でございます。  それから民間の方でございますが、民間の方々がどういう年金をもらわれるか、ある人によっては厚生年金の場合もございますし、いろいろな年金の形がございますが、現在出ております障害福祉年金を例にとって申し上げますと、障害福祉年金の場合は、一上肢の機能に著しい障害を有するというような人たちは二級でございまして、こういう人たち年金額は現在二十七万円、これが五十六年の八月から二十八万八千円ということになります。  また、朝鮮人の方、そういった外国人の方々につきましては、援護法なりあるいは恩給制度によります障害給付というのは、国籍を要件としておりますために、受けられないというような実態でございます。
  116. 栂野泰二

    ○栂野委員 軍人の場合には普通恩給がさらにあって、しかもこれは恩給年限に達しなくてももらえるはずです。それから奥さんにも軍人の場合には扶養加給、それから軍属の場合には昭和四十一年と五十一年に二回特別給付があったはずであります。  そこで、この大佐の場合は五十六年八月から私の方の計算では四百四十九万三千百三十円になる。兵の場合は四百十七万七千円、軍属の場合は三百四十二万八千円、民間の方が二十八万八千円、外国人は何もなし、こういうことになるはずであります。  総額としては大体こういう額でよろしいですか。
  117. 持永和見

    持永政府委員 先生おっしゃいました軍人に対します普通恩給の額を入れますれば、いまおっしゃったとおりだと思います。
  118. 栂野泰二

    ○栂野委員 御本人がその後亡くなられたとしますと、奥さんはどういう待遇を受けることになりますか。
  119. 持永和見

    持永政府委員 こういった障害者の方々が亡くなりました場合には、いま御指摘の軍人の方々につきましては恩給法による公務扶助料が出ることになっております。それから軍属方々につきましては遺族援護法によります遺族年金が出ることになっております。金額を申し上げますと、大佐の方につきましては現在公務扶助料が百三十七万一千六百円でございますが、これが本年度から百四十二万七千四百円になることになっております。また大尉以下の方の公務扶助料は現在百十三万四千円、月額九万四千五百円でございますが、これは五十六年の八月からは百二十三万六千円、月額十万三千円に引き上がることになっておりまして、これはわが方の遺族年金も同様の額ということになっております。
  120. 栂野泰二

    ○栂野委員 大臣、いまお聞きになったように、全く同じ状況で片腕をなくした。当時の軍需工場の状況を見ますと、恐らく大佐クラスの軍の監督官が来ていて、これが絶対権限を持っていましたし、その下で一番苦労して働いたのは一般の工員。徹夜徹夜で鉄砲をつくらされ、弾丸をつくらされた。特に朝鮮人の工員がかなりの数あったのですが、この人たちはその上に人種差別を受けながら一番下積みの仕事をしていたはずであります。それがともあれ今日状況ではいま御説明がありましたように大佐は四百四十九万三千百三十円、月額にしてこの八月から本人は三十七万四千四百二十円もらえる。ところが民間人は二十八万八千円しかもらえない。外国人に至っては一銭ももらえないという。これは余りに格差がひど過ぎるのじゃなかろうか。  大臣、この実態を見られましてまず印象としてどう思われますか、お答えいただきたいと思います。
  121. 持永和見

    持永政府委員 確かに事実はいま申し上げたとおりでございます。ただ、ちょっと申し上げておきたいのは、軍人軍属に対します恩給法あるいは遺族援護法によります給付というのは、先生もこれは十分御承知と思いますけれども、国が使用者という立場から補償しておるというようなものでございまして、一般の民間の方々につきましてはそれぞれ——先ほど申し上げましたのは民間の中でも一番低い国民年金福祉年金を例にとって申し上げましたが、このほかにも拠出制の国民年金あるいは厚生年金あるいは共済組合といったようなもろもろの年金制度がございまして、一つの一番低い例として障害福祉年金というような例があるわけでございますけれども、これは社会保障という見地からそれぞれの沿革なり目的を持って成り立っているものでございまして、事実は先生指摘のとおりでございますけれども、それぞれ制度にはそれぞれの沿革なり目的あるいは趣旨というものがあるということをひとつ御理解をいただきたいと思っております。
  122. 栂野泰二

    ○栂野委員 いろいろあって結果としてこういうふうになっているのですが、一般工員なり朝鮮人から見ますと、今日七十歳になって、なるほど大佐殿も片腕をなくされて気の毒だ、だからそれ相応の補償を受けられるのは当然ということになるでしょう。ともかく月三十七万四千四百二十円という金額はまあまあ今日不自由なく暮らせる金額ですね。兵隊さんも軍人なるがゆえに四百十七万七千円という金が入ってくる。軍属は三石四十二万八千円。しかしそれに比べれば、民間人なるがゆえに二十八万八千円、朝鮮人なるがゆえに一銭ももらえないというこの実態を、大臣は一体どうお考えになるか。理由はいろいろありますが、感じで結構ですからお答え願いたいと思います。
  123. 園田直

    園田国務大臣 いまの体系、制度ではいろいろ格差があるのはやむを得ないと思いますけれども、しかし問題は、戦後の社会保障をやる場合に、戦前の考え方の上に接ぎ木したようなところがありまして、それが軍人と軍属、あるいは軍人は階級によって違う、あるいは同じ工場等に徴集された人々はさらに低い、こういう問題が出ておるのであって、これを急に変えることは困難でありますが、将来はやはり地ならしという方向で行くべきであると考えております。     〔今井委員長代理退席、委員長着席〕
  124. 栂野泰二

    ○栂野委員 ことしは八月になりますと三十六回目の終戦記念日を迎えることになりますが、個人的なことをお聞きして大変恐縮ですが、大臣は敗戦の日はどこでどうされておられましたか。
  125. 園田直

    園田国務大臣 敗戦の日は私はちょうど北海道の千歳という基地におりまして、天雷特別攻撃隊司令として陸海軍三百名を指揮してサイパン、グアム、テニアンに突入する準備をしておるところでございました。
  126. 栂野泰二

    ○栂野委員 私は敗戦の年の八月十五日は広島におりました。当時旧制高校の生徒でございましたので、八月六日の原爆の日には広島の郊外数キロ地点におりました。それから毎日多くの友人が亡くなりました。その処理に追われて終戦を迎えたわけでございます。ですから、私の八月十五日というのは広島を離れてはあり得ないわけでございます。あの当時の広島はどんな状況であったか。いまも私も鮮明に覚えておりますが、もう二度とああいう悲惨な状態を再現さしてはならない、再び戦争を起こしてはならない、私はいつも八月十五日にはそのことを誓って今日まで来ているわけでございます。いま現に原爆症で悩んでおられる被爆者の皆さんは、私よりももっともっと強くそう思っておられると思うのですね。ですから政治家たる者、どうしてもこの被爆者の皆さんの願いにこたえなければならぬと思うのでございます。  大臣は特攻隊の隊長として終戦を迎えられたということでございますが、多くの部下が特攻隊員として亡くなっておられると思います。大臣は、この終戦の日を迎えるたびに一体どういうことをお感じになられるでしょうか。
  127. 園田直

    園田国務大臣 いろいろ考えますが、私が一番思うことは、原爆投下と私が今日生きておることと非常な関係がございまして、当初、私は陸軍百五十、海軍百五十、一式陸上攻撃機二十一機をいただいておりました。東京空襲を阻止するためにサイパンに突入せよという命令で、北海道の千歳で訓練をいたしておりました。ところが、突入間際になってから広島、長崎に原爆が投下されました。私は連合艦隊司令長官の直轄部隊でありましたから、投下されました翌日には原子爆弾であるということを知らされました。当時原子爆弾はテニアンとグアムとサイパンと三カ所に分かれておりましたので、急速目的変更されて、部隊を三つに分けて原子爆弾搭載の飛行機に突入しろ、こういうことでその装備を変えているときに終戦になったわけでありまして、終戦になりましてから、わが部隊は危険だというのですぐ解散を命じられました。  したがいまして、私は九州でございますから、広島の原爆の実情をそのまま、水道の水だけがたらたらとしておってあとは何にもない地獄みたいなところを通過したわけでありまして、一つから言えば、私が今日あるのは原子爆弾が投下されたから残っておるということでございますので、特別な感情を持っておりまして、原爆被災者の方々が私の身がわりにひどい目に遭われておるというような印象を、八月十五日にはいつも思い出しております。
  128. 栂野泰二

    ○栂野委員 この原爆被害といい、それから恐らく大臣は特攻隊で亡くなられた戦友やら部下の方たちのことを思い出されるのだろうと思うのですが、一体なぜ原爆で死に、今日苦しまなければならないのか。どうして特攻隊として死ななければならなかったか。もちろん戦争がなければそういうことにならないはずで、あの戦争はそれでは避けることができなかったかと言えば、これは避け得たはずであります。なぜかならば、あの戦争は日本がしかけた戦争だからであります。  今日、あの太平洋戦争は日本がしかけた侵略戦争であったということは私はもう常識だろうと思うのですが、大臣は一体あの戦争の性格をどういうふうにお考えになっておられるのか、まずお聞きしたいと思います。
  129. 園田直

    園田国務大臣 当時私は召集将校でありまして、下級幹部でありますから全般的なことはわかりませんでしたが、ただ、だんだんやるにつれて、この先どうやって勝つのだろうかということは絶えず疑念に思っておりました。したがいまして、上級のあれはわかりませんけれども、太平洋戦争そのものを私は侵略戦争だとは考えておりません。少なくとも太平洋戦争で包囲をされて、座っておっても死ぬ、立ってもやられる、一か八かの日本人らしいことをやったのだが、その原因はどこかというと、かつての満州を初め中国に対する、隣国に対する侵略から始まったことであって、原因から言えば、おっしゃるとおりに日本の為政者、軍のやり方が間違っておった、こう思っております。
  130. 栂野泰二

    ○栂野委員 まさにその原因から言えば、あの戦争は侵略戦争であったと断ぜざるを得ないわけですね。そこで、そういう侵略戦争をやった結果、青年が特攻隊で死に、原爆を落とされて今日なお原爆被害者は苦しんでおるという実情がある。だからその反省の上に立って日本国憲法ができ、第九条ができたはずであります。何としても平和を守らなければ、二度とああいう戦争をやってはいかぬということは、これは原爆で亡くなった人、苦しんだ人、特攻隊で行って死んだ人の願いだと私は思うのです。だから先ほど大臣が、九条は与えられたものであれ何であれ、宝は宝なのだ、これは全力を尽くして守り切らなければいかぬ、こうおっしゃった。私は全く同感でございます。それがまず第一番です。  そこで、同時に、もし侵略戦争であるとするならば、その罪の償いをしなければなりません。一体だれに対してどういう方法で償いをすべきなのか、こういうことが当然問題になってくるわけであります。この戦争の犠牲者、被害者はいろいろありますが、侵略を受けた国及びその国民日本国民、それからもう一つはかっての植民地であった朝鮮、台湾、そういった国の人たち、こういう犠牲者があると私は思うのです。すべてにわたってその償いをしなければなりませんが、強いてこの順位をつければ、私は第一番に、侵略を受けた国及びその国民、二番目には、植民地であったがゆえに日本の侵略戦争に加担させられ、犠牲になったそういう人たちだろうと思うのです。三番目にこの国の国民。  ではこの国の国民のだれにどういう順序でやるべきかと言えば、これもあえて言えば、現実にその被害に苦しんでいる方たち、傷ついて、いまなお原爆症に悩んでいる人たち、一家の柱をなくして生活に困っている人たち、これをやはり優先しなければならぬだろう、こう思うのでございますが、私のそういう基本的な考え方、これは大臣、間違っていましょうか。
  131. 園田直

    園田国務大臣 私は、いまおっしゃいましたような迷惑をかけた方々、国の指導者が間違ったために非常に苦しんでいる人々、こういう者に対する第一の責任は、第九条、これを二度と繰り返してはならぬというわが身を守る盾にする以外に、これを世界各国の人々に訴えて、世界じゅうにこの精神が定着するようにやることが第一の責任であり、第二番目には、それぞれの国、国民に対する、誤っておったとしても国がやったことでありますから、国の責任も果たすこと、これが責任を果たすというよりも、私は今後の日本の信頼というもの、これを諸外国に対しても国民に対しても取り返す原点であると考えております。
  132. 栂野泰二

    ○栂野委員 私は戦後、戦争犠牲者あるいは被害者に対する援護、補償をするに当たって、いま申し上げましたようにまず政治的に国家というものが責任を負うのかどうかということを先に決めてかからなければその後の対策が出てこないと思っているのです。ところが、御承知のように、昨年の十二月十一日に出ました原爆被爆者対策基本問題懇談会の意見書は、その点をこういうふうに言っているのですね。   およそ戦争という国の存亡をかけての非常事  態のもとにおいては、国民がその生命・身体・  財産等について、その戦争によって何らかの犠  牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあ  げての戦争による「一般の犠牲」として、すべての国民がひとしく受忍しなければならないところであって、政治論として、国の戦争責任等を云々するのはともかくへ法律論として、開戦、講和というような、いわゆる政治行為について、国の不法行為責任など法律上の責任を追及し、その法律的救済を求める途は開かれていないというほかはない。 こう言っている。  これは一億総ざんげですね。戦争についての責任がどこにあるかはっきりしない。「政治論として、国の戦争責任等を云々するのはともかく、」と言って避けているわけです。政治論として政治責任がまずあるかないか、これを決めなければ話にならぬ。この意見書はせっかく最高裁の判決を引用しております。その点、最高裁の判決の方がすっきりしているのですね。  最高裁判決はこう言っているのです。  原爆医療法は、このような特殊の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるという一面をも有するものであり、その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にあることは、これを否定することができない 戦争遂行主体としての国が責任があるんだ、その責任において救済するということだから、原爆医療法はその根底に国家補償的配慮がある、こう言っているわけであります。  ですから、基本懇の意見書のように国の戦争責任をはっきりしないままで広い意味の国家補償などということを言い出されても、一体それがどういう意味なのか私はどうもわかりにくい。  厚生省はいままでこの原爆被害対策について、これは社会保障的なものであって国家補償的なものではない、こういう見解をとり続けておられましたが、厚生省の国家補償という言葉は一体どういう意味に理解されているのでしょうか。
  133. 大谷藤郎

    ○大谷政府委員 従来国家補償につきましては狭い意味で国家賠償的なものについて言われておりましたけれども、最近の学説では広い意味でも国家補償という考え方をとるべきだ、そういうふうな考え方に立ちまして、今回の基本懇の答申では「原爆被爆者に対し、広い意味における国家補償の見地に立って被害の実態に即応する適切妥当な措置対策を講ずべき」だ、こういうふうに言われております。  しかしながら、広い意味の国家補償という見地におきまして「原爆被爆者が受けた放射線による健康障害すなわち「特別の犠牲」について、その原因行為の違法性、故意、過失の有無等にかかわりなく、結果責任として、戦争被害に相応する「相当の補償」を認めるべきだという趣旨」でありまして、これは先ほど申しました狭い意味の「国の完全な賠償責任を認める趣旨でない」こういうふうに明言されているわけでございまして、私どもはそういう見解に従って処理いたしておる次第でございます。
  134. 栂野泰二

    ○栂野委員 私がお聞きしたのは、厚生省はいままで原爆対策は社会保障的であって国家補償じゃないんだ、こうおっしゃっていましたね。いまおっしゃったのはこの意見書の国家補償の意味ですよ。厚生省はどう考えておられる。援護法の第一条「国家補償の精神」にのっとってと書いてある、この意味をお聞きしている。
  135. 大谷藤郎

    ○大谷政府委員 厚生省では従来、国家補償という考え方を従来の狭い意味考え方できておったように私たちは理解しておるわけでございます。  しかしながら、原爆被爆者に対する措置につきましては、単なる社会保障というよりは原爆放射能に着目した特別の社会保障であるというふうな考え方に立ちまして、一般的な社会保障制度の枠から出ました原爆特別措置法あるいは原爆医療法という二法によりまして、特別な社会保障制度として運営をしてきたところでございます。
  136. 栂野泰二

    ○栂野委員 援護法の一条にいう「国家補償」というのはどういう意味なのかと言っているのですよ。
  137. 持永和見

    持永政府委員 援護法では「国家補償の精神に基き、」というのは確かに条文の中に入っております。これは先ほども私ちょっと申し上げましたように、援護法の場合には、国が使用者として、国との特別の関係にあったそういった人たちについて、そういった人たちが国の要請なり命令に基づいて軍事ということに関連いたしまして亡くなったとかあるいは傷つかれたとか、そういう人たちに対して遺族年金遺族給付金あるいは障害年金、こういうものを差し上げるということでございまして、私どもの方の援護法でいっております国家補償というのは、国が使用者責任類似のような、そういった形での補償だというふうに理解をいたしております。
  138. 栂野泰二

    ○栂野委員 単なる使用者責任ではなくて、この援護法が出た当時の吉武厚相の国会答弁を見ますとこうなっているのですね。  このたびのこの援護は、もちろん国家として国家に命をささげられた方の遺族に対し、義務としてやるべきでありまして、これはただ国家が恩恵的に差延べるべきだとは考えておりません。もちろん国家補償の建前から、援護として出るわけでありまして、これを本格的に申しますと、それが恩給とかいうような制度で初めから出るべきだろうとも思うのであります 云々、こういうことで、単なる使用するものとされるもの、こういう関係ではない。戦争で国に命をささげた、つまり犠牲になった人に対して義務としてやるというのでしょう。やはり国が戦争責任を負っておるという考え方があるのじゃないですか。その国は、ただし特定の身分のある人にだけその償いをする、こういうことじゃないでしょうか。
  139. 持永和見

    持永政府委員 先生もおっしゃいましたように「国家補償の精神に基き、軍人軍属」に対してという言葉が援護法の場合にはあるかと思います。したがいまして、援護法につきましては、先生も制定の経緯はつとに御承知と思いますけれども、終戦後ポツダム勅令によりまして恩給の支給が廃止されたわけでございます。しかしながら、一方文官の場合にはずっと恩給が継続されておりまして、そういった意味から、それとのバランス上戦争で亡くなられた軍人軍属、戦争で身を挺して国のためにささげられた方の遺族あるいは戦争で傷つけられた方の遺族、そういった方々につきましては、文官とのバランスの上からも、国が使用者であったというようなこともありまして、なるべく早くそういった援護措置を講ずべきだという、これは国会の御決議などもございまして、そういう文官に対する恩給とのバランスの面からこういった援護法ができて、その後また恩給制度が復活いたしまして、援護法処遇すべき中で恩給が適用される者は恩給法が現在適用されるというような経緯がございます。
  140. 栂野泰二

    ○栂野委員 私がお尋ねしようとしている基本的な問題を避けておられるようだけれども先ほど来私が申し上げました、国家がこの戦争について責任を負うのだとすればその被害を受けた人に対して償いをしなければならない、その場合に政府は、いままでの経過を振り返ってみますと、私がこうすべきだと言った被害補償の順序なりあり方と違って、実は逆に来ているわけですね。国家と特殊な身分関係のあるそれも特別近い者を優遇するという形から始めているわけです。援護法昭和二十七年にできた。しかしさっき述べましたように、当時の吉武厚生大臣の答弁から見ますと、それは恩給法の復活ということが前提になっているわけですね。だから順序から言えば、まず恩給があって援護法がある、こういう形になるわけです。  一般の犠牲者、被害者の方は今日までほってあるのですね。ようやくにして原爆医療法ができたのは昭和三十二年でしょう。原爆が落ちてから十二年後ですね。私はこれが逆じゃないかと言うのです。私は軍人軍属の方に何の補償もするなと言っているわけじゃないのです。それも補償しなければいかぬが、順序が逆ではないのでしょうか。先ほど一番先に御説明願いました、その格差は余りにひど過ぎるのじゃなかろうか、こう申し上げているわけであります。恩給は大将になれば大佐よりもっと多いはずですね、しかもA級戦犯であろうが何であろうがみんなこの適用がある、こういうことになるわけです。一体、一般国民から見てこういった戦争犠牲者に対する補償、援護のあり方というものが国民的な合意が得られるものかどうか。  この基本懇の意見書を見ましても、原爆被爆者に対する援護というものは一般戦災者との均衡に配慮しなければならぬと何回も繰り返されておりますが、納税者である一般国民の合意を得られるかどうかということを考えるならば、私はむしろ一般の戦災者の中で特殊な被害を受けられた原爆被爆者の人、これに対して国家補償の見地から援護を手厚くする、そしてその次に一般戦災者にも及ぶというこの方がむしろ一般的に国民の合意を得られるのであって、いま言いましたように国家に対して特別の身分があった、それも近ければ近いだけ優遇されるというふうな、これはかえって国民的合意が得られない、そういう今日実態になってきているのではなかろうかと思うのです。  だから、恩給が戦後GHQの命令で停止になった、いろいろ議論があると思いますけれども、私あの考え方は基本的に正しいと思うのです。まずそういう戦前の国家との特殊な身分に基づいて優遇されたそういうのは一たん停止して、敗戦という現実を踏まえて一体国家はどういう戦争責任を負うべきなのか、その被害者に対してどういう形で補償し援護すべきなのか、ここで体系を立てなければならなかった。それを残念ながら政府は逆立ちした形で出発してしまったのです。それが今日実態として、理由はいろいろあるけれども余りに不公平な格差のある状態にしているのじゃなかろうか、私はこう思うのです。  そこでもう長年の経緯があって今日こういうことに来ていますから、これをあしたまるでもとに返せなんぞということは私も申し上げませんしできることでもありませんが、できるだけ本来の姿に返していくという、そういう意味大臣、いま国家補償の原則に立った被爆者援護法が問題になっておりますが、まずこれを制定する、そういう決断をしていただきたい、こう私は思うのです。せっかく基本問題懇談会のこの意見書が出ておりますから、これを政府としては無視するわけにいかないのでしょうが、一から十まで何もこれに拘束される必要はないわけでありまして、政府は政府として独自の判断でやられればよろしい、基本懇もそう言っているわけでありますから、この弔慰金をどうするのか遺族年金をどうするか、これは別個の問題。別個の問題とは行政府なり立法府がこれはお考えになることだ、こういうふうに言っているわけでございますから、ひとつそういう御決意をどうしても願いたいと思うのですが、いかがでございましょうか。
  141. 大谷藤郎

    ○大谷政府委員 基本懇が指摘されております広い意味の国家補償の立場に立つべきだということでございますけれども、その場合に国の完全な賠償責任を認める趣旨ではないということが明言されているわけでございまして、先ほども申し上げましたように国家補償の概念をどうとるかというのは学者の間でいろいろ意見のあるところでございまして、最近はこれを広くとるという立場に立ってこの基本懇の答申がなされておるところでございます。  したがいまして、政府といたしましては、現在のところ、従来の原爆二法を拡充強化するという立場に立って、放射能による特別な犠牲であります原爆被爆者の方々に対します措置というものをできるだけ手厚くやってまいりたいという考え方に立っているわけでございます。
  142. 栂野泰二

    ○栂野委員 大臣、いかがでしょう。
  143. 園田直

    園田国務大臣 政府は、天災地変といえどもこれに対し責任をとるのが政府であります。ましていわんや国が誤った方向へ行ったための犠牲でありますから、当然これは恩恵ではなくて政府がやるべきことである、御意見のとおりに私も考えております。  そこで、いままでやってきましたことは、先般も申し上げましたが、終戦直後戦前の考え方の上に接ぎ木をしたようなことで軍人軍属、こういうふうに来ている、こういう格差、考え方は少しずつ是正していかなければならぬ。第二番目には、まだまだ終わったものではなくていっぱい悲惨な人々が埋もれているわけでありますから、こういう方々に対する問題も、現実の困難はありますが一歩一歩努力すべきことであると考えております。  被爆懇談会の意見は、私はそれ相当に評価をしております。第一は、社会保障の理念から国家補償の理念に立つべきだという大きな方向を出したこと。第二番目には、いろいろ国家補償の理念に条件がついておりますけれども、それは条件であってやってはならぬとはどこにも否定してございません。こういう点が困難であるとかこういうことがむずかしいとか、こういうところを私は評価しておるわけでありまして、ただいま直ちに私が原爆法の制定をここで申し上げるわけにまいりませんけれども、いまの二法を改正して一本にするか、あるいは特別につくるか、今後十分勉強したいと考えております。
  144. 栂野泰二

    ○栂野委員 先刻から私しばしば申しますように、戦争犠牲に対する補償、援護という点で一番おくれている、差別されているのは外国人だと思います。これは何も援護法関係だけではなくて、この国のあらゆる法体系の中に国籍差別というのがひそんでいるのは御存じのとおりでございます。幸い今回難民条約が批准されて、国民年金の国籍要件が外されることになりました。これは園田大臣が特に熱心に推進されて決断された、私は大変敬意を払っているところでございますが、この国民年金だけではなくてほかにまだたくさんある。時間も余りありませんから簡単にお答え願いたいのですが、援護法も国籍要件がありますね。この援護法の中に国籍要件がついたのはどういう理由ですか。
  145. 持永和見

    持永政府委員 援護法先生御承知のとおり、恩給と対をなしているものでございまして、恩給にも国籍要件があります。それを受けているものだと思っております。
  146. 栂野泰二

    ○栂野委員 この国籍要件も、私から言わせれば全く不当な差別で、当然国籍が違っても同じ状況にあるわけですから、朝鮮人の方だって兵隊に行ったし軍属にとられている。同じ苦労をしたのですから、当然これは援護法対象であっていいはずです。  それから未帰還者留守家族等援護法、これにも国籍要件が入っているのですね。これが入ったのは一体どういう意味ですか。
  147. 持永和見

    持永政府委員 未帰還者留守家族等援護法にも先生指摘のように国籍要件が入っておりますが、これは昭和二十八年にできた法律でございますが、恐らくこれにつきましても、援護法と並んで援護法とのバランスの上からそういう国籍要件をつけたものだというふうに理解されます。
  148. 栂野泰二

    ○栂野委員 それはちょっと違いますね。それとは関係がないと思いますけれどもね。しかし、いずれにしても朝鮮人の方あるいは台湾の方が兵隊にとられたり軍属中国に渡ったりしておられた。それは当然、もしこういう人が日本の国内に住んでおられたとすれば、一たんそこに引き揚げてこなければならないですね、日本人と同じように待遇しなければならなかったはずですね。  そこで、たとえばこういう引き揚げ関係法律に国籍要件があるということになりますと、きょうもいろいろ議論になりましたが、中国孤児が引き揚げてこられる、受け入れなければいけませんね。国籍は皆さん日本国籍じゃない人が多いでしょう。ほとんどそうですね、中国国籍ですよ。日本人が帰ってくるのに国籍が邪魔になって、未帰還者留守家族等援護法の適用が受けられないというおかしな結果になっている。  きょうも中国孤児皆さんのことについていろいろ御議論がありましたが、ともかくまだ見たことのない祖国に帰りたいという心情は何も日本人だけじゃないですね、だれもそうだと思うのです。  そこで、戦争中に主として朝鮮半島からほとんど強制的な形で樺太、サハリンに朝鮮人が連行されて、約四万人炭鉱で働かされてそのまま終戦になって、その中でまだ自分の生まれたところに帰れないでいる人がいるわけです。  この問題は昭和五十三年の三月二日、三年ばかり前に内閣委員会で私質問いたしまして、当時園田さんが外務大臣をおやりになっていたときでございます。もう時間が余りないので詳しく申し上げませんが、どんな事情があれ戦後三十五年、まだ自分の祖国に帰れない。しかも日本の植民地であった時代の朝鮮半島から朝鮮人をいや応なしに持っていったわけです。ところがいま非常に微妙な国際関係にあります、樺太はソ連領になっていますからね。しかもソ連と韓国とは国交がないという複雑な国際関係の中でにっちもさっちもいかなくなっているが、しかし日本政府がこの問題について責任を持って解決してあげなければならぬ。  そこで私が前回質問しましたときに、厚生大臣は当時外務大臣として、これはとにかく厚生、外務、法務三省で早速打ち合わせをして事務的にもきちんとしたものにしよう、こう言ってくださった。翌日の閣議の後で三大臣おそろいになりましてそういう体制をつくっていただくということになって、私も連絡を受けたのですが、それから三年、一向に事態が進んでおるように思えないのです。これは対ソ関係、対韓関係という国際関係がありますから、それがネックになっておることは十分わかります。わかりますが、日本政府としてももう少し打開の方策があるんじゃなかろうか、私はこう思うのです。  そこで、あのときにお約束願ったように一体事務体制がとられているのかどうか。それから事態がどのぐらい現在進んでおるのか、その辺をお尋ねしたいと思うのです。
  149. 園田直

    園田国務大臣 私答弁したことをよく覚えておりまして、早速閣議で話し、関係省庁が話し合って体制をとりましたけれども、事実的には何ら進展いたしておらないことは御注意のとおりでございます。対ソその他の関係でなかなかむずかしい問題ではありますが、さらに一層何とか糸口を探すことに努力いたします。
  150. 栂野泰二

    ○栂野委員 この問題、あの当時で約七千人ですね。樺太を出て日本に永住したい、あるいは生まれ故郷の韓国に帰りたいという人がいたわけですが、だんだん月日がたっていきますから亡くなられる方もあるし、あるいは現地で子供さんができてそれが少なくとも三十五以上になっているんでしょう。ですからもうそちらがいいと思われる方もあるかもしれないし、これだけ進みませんとあきらめるということにもなっておるかもしれません。だから数は相当減っておるかもしれませんが、しかしこれは年をとればとるだけ望郷の思いはつのるはずです。中国孤児皆さんのことが今日これだけ関心を呼んでいる。その反面、私は一体サハリンにいる人たちはどうなんだろうと思わずにはいられないわけです。率直に言って、国際環境の冷酷さというのが何としても厚い壁になっているのですが、大臣いま御答弁いただきましたけれども、ぜひそれを打開するような方策をいま一度原点に返って考えていただきたい。ただ日本が何と言ったってソ連がうんと言わなければどうしようもないじゃないか、こう言われて突っ放されてしまいますと、にっちもさっちもいかないです。たとえば一体赤十字ルートなどからやる方法はないのだろうか。それも結局いまあの方たちを強力に支えるような国内の組織もなければ何にもないわけですから、そういうルートを通してお願いするにしても、政府が一はだ脱いでいただかなければなりません。  それから園田さんが外務大臣のときにやはりこういうふうなお答えもあるようですね。これは参議院の予算委員会だったかと思いますけれども日本を通過して韓国といっても、いまのソ連と韓国の国交関係ではそれはなかなかむずかしいということが前提でしょう。日本に永住を希望したいという人がおればそれを認める、その前提に立って国籍の問題も考えられるのかどうか。その辺も、これは専門的なことだからよく専門家に検討させましょうという趣旨の御発言もございますが、その辺も含めてひとつ十分御検討願いたいと思います。  実際、樺太から帰って日本に永住したいということで、現実には帰ってきてないのですけれども日本政府が入国を許可した人もあるのです。これが幾らありましたか。
  151. 黒岩周六

    ○黒岩説明員 お答えいたします。  現在時点におきまして入国許可をいたしております総数は百二十四世帯四百十一名でございますけれども、その内訳は、本邦を通過いたします者が百十五世帯三百七十六名で、本邦に定住ということで申請しておられます方が九世帯三十五名ということでございます。そのほかまだ審査中のものが若干ございまして、通過ケースが八世帯十六名、それから本邦帰国ケースが五世帯十一名、そういうことになっております。
  152. 栂野泰二

    ○栂野委員 日本の永住希望ということで許可されているについてはいろいろ要件があろうかと思いますが、その要件に見合ったから、いまおっしゃった数はそういうことで入国許可になったと思いますけれども、その要件をもう少し緩やかにする余地がありやなしや、この辺ちょっとお答え願います。
  153. 黒岩周六

    ○黒岩説明員 お答えいたします。  法務省事務当局といたしまして、在サハリンの朝鮮人の方につきましては、かつて本邦に居住歴等があるという方につきましては、その御希望があれば本邦に帰国していただく、第三国よりサハリンの方に行かれた方につきましては、本邦は通過ということで考えてきております。
  154. 栂野泰二

    ○栂野委員 いずれにしましても大変特殊なケースでございますので、できるだけそういった要件も緩めて、もし日本永住ということであの人たちの本来の希望がかなえられるならば、そういう点についても前向きに御検討いただきたいと思います。  時間が参りましたのでこれで終わりますが、総理府の方、どうもおいでいただきましたけれども、時間がなくなりましたからお尋ねするのは後日にさせていただきます。  どうもありがとうございました。
  155. 山下徳夫

    山下委員長 次に、森井忠良君。
  156. 森井忠良

    森井委員 けさほど来外国人、なかんずく朝鮮人の方々に対する国家補償の問題について、大臣お聞きのようにいろいろの角度から意見が出てまいりました。拝聴をしておりますと、のどから手が出るほど、確かにおまえらの言うとおりだといふうなことがうかがえるくらいでございましたけれども、しかし最後は現行法の壁にぶつかってどうもできない、こういうことで推移をしておるわけでございますが、もうこの辺でそろそろ決着をつけるという意味で、私も若干朝鮮人の方々に対する援護措置についてお伺いをしたいと思うわけです。  最初に、直接の所管ではないわけでございますが、年金局長さん、例の難民条約の締結に伴う国内法の整備の問題がございますね。これは法案はいつごろ出るのですか。
  157. 松田正

    ○松田政府委員 御承知のように、難民条約の加入に伴いましての関係法律といたしましては、社会保障関係で国年法と、それから難民の認定その他で出入国管理令、これらの法律がございまして、難民条約の趣旨に沿いまして法改正をすべく現在関係省庁間で最後の詰めを行っております。同時に、内閣法制局におきまして最終的な条文の整理、法令審査を詰めている作業をやっておるところでございます。  なお、国民年金法につきましては、国民年金審議会あるいは社会保障制度審議会に諮問をいたしまして、すでに了承する旨の御答申もいただいておりますので、できるだけ早く作業を急いで提出をいたしたい、かように考えております。
  158. 森井忠良

    森井委員 前例がないわけではありませんけれども、国内法の整備ということで一本の法律にして法務省の所管にするというのは、私率直に申し上げまして抵抗がございます。本来ならちゃんと国年は国年で法律提出されるべきだと私は思いますが、その議論はさておきまして、まだ時期も明確でないということですけれども、基本的には、見通しの問題もありましょうが、難民条約の締結に伴いまして、朝鮮人の方々に対しても最終的には国民年金法が適用になりますか。
  159. 松田正

    ○松田政府委員 現在日本国民処遇されておるのと同じ処遇が適用になるはずでございます。
  160. 森井忠良

    森井委員 そうしますと、結局いまの法律の中で、たとえば厚生年金はもう適用になりますね。それから共済組合法も適用になりますから共済年金も適用される。いまの答弁で国年も適用される。そうすると、いよいよ戦傷病者戦没者遺族援護法などの国家補償が残ってくるかっこうになるわけでございます。難民条約と関係ないよとおっしゃいましても、厚生省の行政としては、いま申し上げましたように厚年、国年それぞれ適用になってまいりますと、援護局の所管の法律につきましても当然再検討しなければ、法のもとに平等という点からもそのほかの国際的な観点からも問題の解決にならないのじゃないか。いままでの皆さんの答弁を聞きますと、現行の法律は恩給絡みなんだ、恩給がだめだから援護法もだめなんだという発想であります。先ほど大臣は非常におもしろい答弁をしてくださいまして、なるほどいままでだめなものであっても、たとえば家の中でふすまですか、長くなれば切ればいい、やはり合わさなければならぬときは合わすべきだ、私は傾聴に値する答弁だと思うのです。いま申し上げましたような情勢からいけば、この辺で当然抜本的な検討を加えていくべきじゃないか、こう私は思うわけですが、大臣、いかがでしょう。
  161. 園田直

    園田国務大臣 御承知のごとく、現在では援護法は国籍を失った場合に失権するということになっておるわけであります。そこで、国籍が違うと二国間の問題になりますからいろいろ困難な問題が出てまいります。これは基本から言えば、国家間の請求権の場合にこの請求権の中に入れて穴埋めをすべきのが大体基本でございますが、日韓間では日韓協定によって請求権の問題としてこれを一括処理しておるわけであります。しかし、理屈は理屈でございますが、現実には、請求権の中に入っているからといってその中の一部、日本におられる韓国国籍の方々にいくという事実はないわけでありますので、これはやはり各種手当てその他の問題等で考慮しながら、何とか穴埋めをする方法はないか、こういうことを検討したいと思っております。
  162. 森井忠良

    森井委員 具体的な事実でちょっと問題提起をしたいと思います。  援護局長さん、私の地元ですけれども、例の軍需充足会社であった広島電鉄あるいは広島ガスで働いておられた孫さんという方ですね、御兄弟がそれぞれの会社へ勤めておられまして原爆で亡くなられました。広島電鉄、広島ガスとも日本国籍が現在もある方については当然すでに救済をされているわけでありますが、この二人は残っている。これは私、三年ほど前にたしか委員会で取り上げたわけでございますけれども、これは異議申請が出されましたね。その結果、最終的にどうなさったのか。簡単でよろしゅうございますから結末だけお伺いしたい、できればその理由も。
  163. 持永和見

    持永政府委員 いま先生お話しの孫さんにつきましては、五十四年三月五日に厚生省で受け付けました請求書を却下いたしました。却下理由といたしましては、請求者の方は日本の戸籍法の適用を受けてないので援護法の適用は法律の附則二項から無理だ、こういうようなことでございました。これに対しまして五十四年三月二十六日に異議申し立てがございました。これにつきまして援護審査会の意見を聞きまして、本年の二月五日に異議申し立てを却下いたしております。その理由は、先ほど申し上げました当初の請求を却下いたしました理由と同じでございます。
  164. 森井忠良

    森井委員 事実上国籍要件等も該当してお断りになったと思うわけですけれども、けさほど来いろいろ意見が出ていますように、この人の場合は八月六日の広島の原爆ですね、四囲の状況は全部整っているわけです、軍需充足会社で仕事中に亡くなられたというケースですから。しかもその当時は日本人であったわけです。これはお認めになると思うのですね、そして、もう時間の関係で全部申し上げますけれども、その後結果として日本人でなくなった、みずからの意思に関係なく日本国籍がなくなった。国籍は韓国とお書きになった人もあるようですし、それから朝鮮とお書きになった人もあるようでございますけれども、いずれにしてもこれは当時日本人で、日本人として徴用された。だから要件としては、亡くなられた当時の要件は日本人だから、これは争いのないところなんです。  いまあなたがお示しになりました結末は、現在日本人でないから援護法の適用にならない、こういうことですね。しかし本人は、繰り返し申し上げましたとおり、その当時日本人であったということだけは明確になっておるわけですね。そうすると具体的には、事実はそういうことなんですが、一体、あなたの方では却下をしたらもうこれ以上はどうしようもないのかどうなのか、先ほど大臣の御答弁とあわせてひとつお答え願いたい。
  165. 持永和見

    持永政府委員 私どもの方の援護の関係の行政処分、これは先生も篤と御承知と思いますが、法律に基づいてやっておるわけでございます。したがいまして、異議申し立ての結果——事情は私も大変お気の毒な事情かと思います。心情的には十分理解できるのでございますが、現在の援護法の立場からいくとどうにもしようがないなという感じでございます。異議申し立てにつきまして援護審査会という厚生大臣の諮問機関を通じてそういった相談もしたわけでございますが、これについてはいたし方ないというような結論になったわけでございます。
  166. 森井忠良

    森井委員 そこで私は、すでに国年まで適用されるという状況になってまいりまして、いよいよ残ったのは厚生省の行政の中ではこの援護法だけと言っても過言ではないと思うわけです。先ほど大臣の御答弁の中で、何らかの手当て等を考えたいというお考えのようですけれども、むしろこの際、援護局としては、一連の難民条約の締結に伴う国内法の整備があるわけですから、もちろんこれとは直接の関係はありませんけれども、しかし実際に金額の引き上げ等については、これは恩給法等を参考にして今回も年金類について七・一%ぐらい引き上げられるわけですから、やはり右へならえをしているのは恩給法という形になります。いずれにしても、いまのところ法体系が麻のごとく乱れておるというふうな感じがしてならないわけです。  ですから大臣がそこまで踏み込んでいただけるのなら、手当てその他と言われないで事実上法改正をしていわゆる国籍要件というものをなくしたらどうか。どうですか。
  167. 持永和見

    持永政府委員 難民条約との関係は、先生つとに御承知のように援護法恩給法と並びまして国家補償の法律でございますので、難民条約で直接どうのこうのという問題にはならないかと思います。  ただ、外国人の問題につきましては、先ほど来も台湾人の兵隊の人たちの問題あるいは現在先生指摘の朝鮮人の徴用工の人たちの問題、いろいろな問題がございます。ただ、私ども法律恩給法の補完的な姿、性格というものも非常に強うございますから、こういう御議論が非常に数多くあるということを恩給局の方にも伝えまして、その点勉強をさせていただきたいと思っております。
  168. 森井忠良

    森井委員 大臣、まことにとっぴな質問で恐縮でございますけれども、政務次官の御答弁になったことは大臣の答弁と理解してよろしゅうございますか。
  169. 園田直

    園田国務大臣 責任をとるべきだと考えております。
  170. 森井忠良

    森井委員 隣におられますからちょっとぐあいが悪いわけですけれども、当時の戸井田政務次官でございます。戸井田政務次官は非常にりっぱな政務次官でございまして、ちょうど五十三年の社会労働委員会のこの法案に対します審議のときに、大臣が中座をなさいまして、戸井田厚生政務次官がかわってりっぱな答弁をしていただいたわけでございます。趣旨は先ほども申し上げましたように要件が二つあるわけですから、当時日本人であって現在日本人でなくされた人、これは非常に気の毒で問題じゃないか、ぜひひとつ再検討してもらいたい、私はこういう質問をしておるわけでございますが、ちゃんと議事録に載っておりまして、五十三年三月十七日の答弁でございます。前文は省略いたしますけれども、「私は、そういった特殊な状況の中における特殊な判断というものがあっていいものと思います。そういう意味から考えて、前向きでひとつ検討をしてみたいと思います。」これが当時の政務次官の答弁でございます。  しかし、それから三年たっておりますけれども、残念ながら前向きに検討されたということを聞いておりません。これは政務次官の答弁に対しまして役所側が全部サボった証拠でございまして、そういう意味法改正も含めて検討される必要があると思うが、この点についてのお答えをいただきたい。  それと、そのときに私がかなりしつこく、問題はやはり何人いらっしゃるのか、どういう状態だったのか、この際調査をしなさいということもあわせて申し上げておるわけですね。朝鮮人の方々の被害の状況等について調査をしてください。答弁のやりとりの中で若干抵抗がありましたが、最後は調査をいたしますという返事が、これはその当時の河野援護局長によって答弁がなされているわけでございます。したがって、調査の模様についても御答弁をいただきたい。
  171. 持永和見

    持永政府委員 確かに五十三年のときに先生と、援護法関係でそういうやりとりがあったかと思っております。ただ私ども、いろいろとむずかしい問題がございますし、またこういった調査につきまして、そういった人たちをどうするかという基本的な問題が前提にならないとなかなか調査に踏み出しにくいという問題もあるわけでございます。  そういう意味合いで、これだけ議論になっております外国人の援護法の問題、これは即恩給の問題とも絡むわけでございますから、ひとつこれから総理府にも伝えまして十分勉強させていただきたいと思っております。
  172. 森井忠良

    森井委員 勉強というのは非常に便利のいい言葉だけれども、これは法改正も含めて検討するというふうに理解をしていいのですか。大臣、これは局長に答弁させるのは無理だと思いますから。  朝鮮人の方々の援護措置の要求については、後で出てきます満蒙開拓青少年義勇軍あるいは義勇開拓団の問題とあわせて、満州というのは旧満州のことでございますけれども、もうこの委員会で何十遍、何百遍となく繰り返されてきているわけですね。いずれにいたしましても、これとあわせて毎年出てきている。しかしことしは一つのチャンスではないか。先ほど言いましたように、難民条約が締結をされる、要するに国内での情勢というものはかなり私は変わってきていると思うわけでございます。その意味大臣からのひとつ御判断をお聞かせ願いたいと思うのです。
  173. 園田直

    園田国務大臣 戸井田元政務次官が大臣代理としてお答えになったことは、これは継承権から申しまして当然私が責任を持つべきものであると考えております。おくれましたことは委員の各位、特に政務次官に対しても深くおわびを申し上げます。  いま調査の問題が出ましたが、援護局長はなかなか積極的な局長でありますけれども、前提が決まってから調査をすべきではなくて、大体めどをつけて、これを改正するにはどれくらい金がかかるかとか、そういうことから調査をすべきことでありますから、これは腰だめでも結構でございますが、見当をつけて、総理府とも相談をして、そしてこの際、そう数も多くないと思いますし、何か法律改正するか便法を講ずるか、そういう方向で検討いたします。
  174. 森井忠良

    森井委員 あと時間がわずかになりましたが、もう一点お伺いをしたいと思います。先ほども申し上げましたが、満洲開拓青年義勇隊を終わった例の義勇隊開拓団の問題でございます。ようやく開拓団にまでこの援護法が適用になるわけでございまして、関係者皆さんに心から御労苦をねぎらいたいと思いますし、今回の決断につきましては私どもも高く評価をいたします。  問題は、開拓団の方が準軍属として処遇されることはいいのでありますが、具体的な、援護法の適用になった場合に、軍事に関する業務等により疾病にかかり云々となっているわけですが、軍事に関する業務に限ったということに若干私は危惧の念を感じます。開拓団方々は、たとえば満鉄の各駅の警備に当たるとかあるいは国境警備に当たるとか、わが党の川本議員からもるる申し上げたと思うのでございますが、軍事に限るということになれば、私は解釈の上で幾つか問題が出てくるような気がするわけでございます。これはかなり幅広く解釈をしなければならない、適用しなければならないのじゃないか、こう考えておりますが、もう一度私からその点についてお伺いをしておきたいと思うのです。
  175. 持永和見

    持永政府委員 けさほども川本先生の方にお答えいたしましたとおり、今回義勇隊開拓団員を準軍属範囲として新たに処遇することにいたしまして、そういった方々につきまして援護法遺族給与金あるいは障害年金を出す必要の要件の一つといたしまして、公務上という問題があるわけでございます。この公務上の場合には、義勇隊開拓団員の場合はほかの準軍属方々と同様に、軍の要請に基づくそういった形での何かの事故であれば、そこで公務上という認定ができるかと思います。  具体的に、いまお話のございました満鉄の駅で仕事をしていたとかあるいは国境の警備をしておったとかというようなことであるとするならば、仮に国境の警備であるとするならば、恐らくそれは軍の要請があったのではないかというふうに考えられますけれども、その辺は個別の認定といたしまして、私ども、あれだけ苦労された義勇隊開拓団員方々ですから、そういう人たちの心情を十分おもんぱかって具体的な認定をしていきたいというふうに考えております。
  176. 森井忠良

    森井委員 法律ができますとひとり歩きをして役所の都合のいいようにということになっても困りますので、私はこの際明確にしておきたいと思うわけです。  これは厚生省資料なんですけれども、要するに満蒙開拓青少年義勇軍の訓練の経路は、御承知のとおり最初内原でやりましてその後で旧満州へ渡るわけですが、大訓練所でこれは基本訓練を一年間行います。その後具体的に今度は実務訓練として、大まかに言って四つぐらいの訓練があったことを明確にしておきたいと思うのです。  甲種実務訓練所、これは訓練をいたしましてそのまま開拓団になるケースです。  それから乙種実務訓練所、これももちろん同じように訓練期間二年でありますが、これは訓練が終わった後ほかの地に移動しております。  それから丙種実務訓練所というのがありまして、これは特技実務訓練二カ年というのがあるのですね。それから吉林鉱工訓練所というものがあります。これは学校の先生からお医者さんからそういったことを、つまり技術的なことも含めまして訓練をして、そして開拓団に配属になったり、あるいは満州飛行機製造株式会社ですか満飛と呼ばれておるもの、あるいは満州電信電話株式会社、満電ですね、そういったものに配属をされたりしておるわけです。この事実を明らかにしておきたい。  それから最後は満洲開拓青年義勇隊満鉄〇〇訓練所、〇〇というのはその土地の地名がつくわけでありますが、これはかつて鉄道自警村訓練所と呼ばれておったものですね。やはり二年実務訓練を行いまして駐満日本軍の除隊兵で編成をしております鉄道自警村というところに配属になったりして駅の警備をする。それからもう一つは、義勇開拓団として国境警備その他につくというふうな形になっていまして、必ずしもいまの日本語で言う軍事じゃないけれども、具体的に満州開拓公社あるいは訓練本部等々の指令によりましてすべて動いている。  そういったものについては、具体的に軍事という言葉じゃないけれども、この法律を適用すべきだと思うが、お考えを承っておきたいと思うのです。
  177. 持永和見

    持永政府委員 先ほど来申し上げておりますように、援護法の適用の場合には公務上という法律のかぶりがあるわけでございまして、この公務上の認定をどうするかということになるかと思いますが、先ほど申し上げましたように、軍の要請というようなことについては私ども弾力的に考えていきたいというふうに思っております。
  178. 森井忠良

    森井委員 軍の要請、軍の要請と言うからひっかかるわけです。確かに軍の要請ですけれども、最終的には満州開拓政策基本要綱というのができておるわけです。これは昭和十四年だけれども日本の大陸進攻政策あるいは植民地政策というのでしょうか、そういったことに基づいて若い青少年を満蒙開拓青少年義勇軍として送り出した以降、すべて一連の軍事行動であるという基本的な理解をした上で、いまあなたがおっしゃったような解釈をすべきだと思うが、その点もよろしゅうございますか。
  179. 持永和見

    持永政府委員 個々の認定について、できるだけそういう先生のおっしゃったことを踏まえて、認定をしていきたいと思います。
  180. 山下徳夫

  181. 平石磨作太郎

    ○平石委員 今回の戦傷病者戦没者遺族援護法に、いま論議もございましたが、義勇隊を卒業をせられて集団開拓農民となったいわゆる義勇隊開拓団団員、これが準軍属として新たに入ろうとしておるわけですが、いままでこういった団員が入らなかった理由はどういうことでしょうか。
  182. 持永和見

    持永政府委員 義勇隊開拓団員につきましては、実は先生指摘のとおり、いままで満洲開拓青年義勇隊援護法処遇対象になっておりました。ただ義勇隊開拓団ということになりますと、一般の開拓団人たちとの違い、あるいは先ほど来議論になっております軍との関係、そういったことでなかなか国会でもいろいろ議論がございますし、先生方のお知恵もかりつつ私どもいろいろ資料を集めておったわけでございますが、最終的に確証が今日まで得られませんでしたが、昨年予算要求の過程におきまして、関係者方々、あるいはいままで国会でいろいろ先生方から御指摘になりました資料などをずっと集めまして整理いたしまして、そういう軍とのはっきりとした協力関係があるというようなことがございましたので、今回処遇対象に加えたということでございます。
  183. 平石磨作太郎

    ○平石委員 そこで、この援護法ですが、この援護法はたびたびの御答弁にもございますように、やはり軍人軍属であった者、これが基本となり、国との特別のそういう権力関係にあった方々、そして恩給法一つの母法みたいな形のものですから、そういった大きな筋の中でだんだんと関連するそういう方々を取り入れていった。すそ野がだんだんと拡大され、救済処置が拡大されてきた。政府の努力に対して私は感謝を申し上げるわけです。だが、まだまだこういった方々がいらっしゃる。そして援護法の準軍属というものにつきまして、いまも論議がありましたが、やはり軍との関係ということかどうかわかりませんけれども、当時の国策会社、南満洲鉄道株式会社あるいは国家総動員法に基づいて徴用を受けた人、さらに、その徴用を受けた人で総動員業務協力した人、こういったように軍とは直接関係のない、いわば国策会社といったような職員さんにも適用が拡大され、しかもそういった身分のない協力者に対しても拡大をしてきておられるわけです。  そういたしますと、やはり相当援護法対象は大きく拡大されている。だから、新たなものを入れていくという場合に、そういったいままでの経過を考えたときには、さらにまだこの上に入れていくことが、法の精神から言って可能であるというように私は感じますが、どうでしょうか。
  184. 持永和見

    持永政府委員 援護法は当初軍人軍属という形で出発いたしまして、先生指摘のように、戦争に関連いたしまして、直接身分を強制されたり拘束されたり、そういうことで戦争業務あるいは戦争類似業務に従事した、そういう人たちに対しまして、確証が得られる段階でそれぞれ適用拡大を行ってきたことは事実でございます。  私ども現在の段階では、先般来問題となっておりました満洲開拓青年義勇隊を卒業いたしました義勇隊開拓団、こういった人たちについて、いろいろな角度からいろいろな資料をもって調べた結果、今回ようやくこの援護法処遇対象にすることにしたわけでございますが、現在のところ私どもとして考えておりますのは、これ以外に新たにその処遇対象とすべきだというような人たちについて、まだいまのところ具体的な確証は得ておらない段階でございます。
  185. 平石磨作太郎

    ○平石委員 そこで私申し上げておきたいのは、非常に範囲を限定して、軍事関係した、しかもこの開拓団方々を今回新たに取り入れることについては、いろいろ資料を精査し、資料を集め、そして国のいわゆる陸海軍の指揮といいますか指導というか、あるいは要請というか、そういった資料が集まってきて、そして新たに繰り入れをしたのだという御答弁をいただいたわけですが、一般の方々がいわゆる集団開拓団として満州に渡った、これは昭和十八年の「満洲移民計畫」という非常に貴重な資料が私のところへ来たわけです。  これを見て見ますと、これは昔の高知県幡多郡十川村川口部落というところへ割り当てが来たわけです。それで、もちろん基本要綱に基づいた政府の、いわゆる国策に基づいて割り当てが来、そして、これを見てみますと、「町村長ハ開拓団編成計画承認申請書(五通)作成シ、大東亜大臣提出スルコト」そして「様式ハ九月二十一日ノ官報参照ノコト」こういう形で来ておるわけです。この九月二十一日というのは恐らく昭和十八年だと思います。それで官報を参照して町村長は五通作成して大東亜大臣に出しなさい、これがあるわけです。  それから「開拓団の幹部」というところを見てみますと、幹部は大東亜大臣あてに計画承認申請の際になるべく同時に推薦をしてください。この開拓団幹部団長一名、農事指導員一名、それから経理指導員一名、警備指導員一名、畜産指導員一名、こういう編成で大東亜大臣に出しなさい。そして旅費その他については云々ということがありまして、満州国内は大東亜省発行の証明書によって無賃とする、こういう形で満州に渡っておるわけです。  さらにこれを見てみますと、この十川村のそれぞれの割り当てというのがここに出ております。これを読ましてもらいますと、大野部落が戸数百三十五戸のうち送り出し予定戸数五十一戸、五十一人ということですね。戸川部落というところは六十二戸のうち二十二戸、烏部落は九十六戸のうち三十六戸、地吉部落は八十七戸のうち三十二戸、川口部落は六十戸のうち二十二戸、広瀬部落は四十二戸のうち十五戸、井崎部落は六十二戸のうち二十二戸、計二百戸、この二百人が編成を受けて満州に集団して移ったわけです。そして名称はどんなようになっておるのかなということでこれを見てみましたら、やはりこれは「集団開拓団」、こうなっております。そうしてこれをごらんいただければ、当時七十銭とか一円といったわずかなお金で移っていったということが全部これに記録が出ております。  そしてこの人たちの中には、現在引き揚げて帰られた方々もいらっしゃいますが、そういう方からも、ここに書いてございますように「満洲開拓関係者を旧軍人軍属に準ずるものとして処遇されたい」  軍の去った後ソ連が入りまして、日本軍はだあ  っと撤退をした。そうしますと、女、子供、集団開拓団、この人たちは旧満州の国境線のところに入っておった関係ですぐ退避ができない、だから開拓団員は非戦闘員でありますが、戦争に立った者です。「女、子供に至るまで開拓団は関東軍のタテとなった。」敵弾に倒れ、「餓死、病死、今なお曠野にさらされている霊を軍人軍属に準ずるものとして処遇されんことをお願いするものです。」こういう資料を「元満洲国濱江省葦河県萬山十川開拓団員生存者百八十一名 代表者 田辺末隆」という方が送ってきておるわけです。そして「現在中国より永住帰国者があとをたたない。政府として帰国者に対する十分なる生活保証及び日本語教育、職業のあっぜん等々」云々ということですが、当時のこの小さいお子さんたちが過日厚生省努力しておられたあの孤児なんです。  これは後から関連して質問を申し上げますが、そのように、軍の要請はないようですけれども戦闘に参加しておるのです。軍が撤退をした、そういたしますと後へ残った者は敵弾の盾になったんだ、こういうことがこの手紙の中に書かれておるわけです。いわゆる義勇隊としての内原の訓練を受けてなくても、こんな悲惨な状態の中にあった一般の人たちは当然ここに繰り入れて適用してはどうかという感じを私は持つものですが、これは大臣にお伺いしたいと思いますが、いかがでしょう。
  186. 持永和見

    持永政府委員 大臣にお答えいただく前に事実関係を申し上げておきたいと思いますが、今回義勇隊開拓団員処遇いたしましたのは、一般開拓団と違うのだということを先ほど申し上げたわけでございますが、義勇隊開拓団員は、先ほども御議論ありましたように軍事訓練義勇隊時代にずっとやっておりまして、またその入植地も関東軍の総司令官が決めて入植させたというような事情があったわけでございます。そういう意味合いで関東軍の後備兵力というような性格が非常に強かった、一種の軍隊と似たような性格が非常に強かったということから、こういう確証が得られましたので、今回準軍属として処遇することにいたしたわけでございます。その辺が一般の開拓団とは性格的にはかなり違うかと思っております。  ただ、一般の開拓団方々につきましても、個個の人によりましては、特にソ連参戦以後になりまして大変な混乱の時期に、実際に戦闘に参加しておられるというケースがあるとするならば、それはすでに援護法の上で「戦闘参加者」という概念がございまして、そこの規定によりまして遺族年金なりあるいは障害年金を出すということになっております。全体として開拓団としては準軍属範囲には入りませんが、ソ連参戦以後戦闘に参加された方々は、個別にそれぞれ処遇対象になるというのが現在の運用の仕方でございます。
  187. 平石磨作太郎

    ○平石委員 いまの答弁では、個別的に精査をしてそれが立証できるものについては適用をいたしましょう、これは従来の取り扱いもそのとおりでございます、こういうお話です。ところがあの状態を見たときに、軍はもういない、後へはソ連軍が入ってきた、そしてすぐ終戦を迎えるといったああいうどさくさです。これは資料をとるといっても現実にむずかしいと私は思うのです。非常にむずかしい。まして戦後三十六年たった今日その資料を要求しましても、これはなかなかできないことを要求するということになろうかと私は思うのです。  まあ法律ですから安易な適用はできません。それはやはり十分に精査をして適用すべきことは当然でありますが、ただ内地におってみずから資料を散逸したといったような方々に対しては厳しく要求してもいいですけれども、こういう特殊の状態の中で命からがら帰られた、あるいは命からがら帰ってくる途中亡くなったというような方々資料要求をせられても、これは不可能なことを強いるという結果に陥るわけです。  だから、せっかく温かい制度としてありながらその人たちが救われるという道が手続の面で遮断される、こういうことがあっては私は非常に残酷だと思う。ここへ行っておったというこういうような資料があるんです。しかも、戦争中どこそこへ入って開拓団でおられたということの資料があれば、そういった方々で亡くなったり負傷したりした方々処遇してあげるのが温かい運用の仕方ではないかと私は思うのです。それが現在の状態の中では資料要求が強く求められる。せっかくいまある法律を、それは義勇隊出身の開拓団という限定はありますが、この法を改正して新たにこういった人をさらに追加するようなお考えがありますかどうか、ひとつ大臣にお答えをいただきたいと思います。
  188. 持永和見

    持永政府委員 今回、新たに義勇隊開拓団員処遇対象といたしたわけでございます。これにつきましてはいろいろ議論がございました。特に、先生指摘の一般開拓団との関係その他についても議論がございました。それで私どもといたしましては、かねがね国会で御論議いただきました過程で、義勇隊開拓団というのは一般開拓団とはまさに画然と差別ができるし、違うのだ、先ほど申し上げましたように義勇隊開拓団軍事教練もやっているし、入植地も満州総司令官が決めたのだというような確証を得られましたために、今回そういう対象にいたしたわけでございます。この段階で直ちに一般開拓団の問題を云々ということはできない問題ではないかと思っております。
  189. 平石磨作太郎

    ○平石委員 私は直ちにということは要求していないので、将来どうですかということをいまお聞きしておるわけです。  ついでに申し上げておきますが、先ほど私が申し上げましたように、いわゆる身分も何もない、関東軍の要請もない、南満洲鉄道で働いておった、あるいは総動員計画に基づいて総動員計画に協力をした人です。協力をしたというような方々にまで対象が拡大しておるんだから、同じように集団開拓団として満州でいま申し上げたような状態に陥った方々が遠くない将来適用になるように法改正ができるか、用意があるか、前向きに検討ができるかということを聞いておるわけです。いま直ちにとは私は申し上げてない。大臣のお答えをいただきたい。
  190. 園田直

    園田国務大臣 ただいまお願いしております義勇開拓団も、これは皆さん方から相当長い間御意見が言われて、長い間かかってようやく今度実現をする運びになったわけでありますが、これが長引いた一つの原因は、義勇隊開拓団ができれば次は一般開拓団、次は何と次々とふえてくるということに対する危惧から、財務当局その他はいろいろ考えられておったわけでございます。いまようやく義勇隊開拓団ができました。一般開拓団についてもおっしゃるとおりいろいろな事情があるし、場合によっては一般開拓団がもっとひどい場合もございましょう。しかしお願いしたばかりでありますから次の問題をどうごうするということを私が発言することは適当ではないと思いますが、御意見は十分しんしゃくいたしまして検討いたします。
  191. 平石磨作太郎

    ○平石委員 それではこのことについては強く要望をいたしまして終わらせていただきますが、ぜひ御検討いただくようにお願いをしたいと思います。  ところで、この間三月二日から三月十六日にわたりまして中国孤児肉親捜し、中国から日本を訪問された方々、私もテレビを見て、逐一あの報道を見させてもらいましたが、四十七名の中で二十四名が判明を見た、まことに喜ばしいことでございます。その中で二十三人は肉親にめぐり会うことができずに再び中国に帰られた、こういったことがあったわけです。あの中で二十三人もわからなかったということは、戦後三十六年の月日がたった、いま開拓団お話しいたしましたが、小さなまだ乳児、幼児といった状態で満州あるいは中国大陸に取り残された、ただ戦後三十六年の歳月がたったからという形でこの人たちにその歳月で責任を負わすということはまことにお気の善でなりません。そういったところに取り残された方方の肉親捜し、さらには手厚い援護の処置というものを国が一日も早く責任を持って、こういったわからなかった方々についても今後とも努力を願いたいし、さらに中国大陸にいるそういった孤児方々がどのくらいわかっておられるか、お答えをいただきたいと思うわけです。
  192. 持永和見

    持永政府委員 中国残留孤児方々がどのくらい残っておられるかという御質問でございますけれども、けさほどもお答えいたしましたとおり、正直に申し上げまして私どもその具体的な数はまだつかみ切れないという状態でございます。  ただ、私どもの方に孤児方々から日中国交回復後ぜひ肉親捜しのための調査をしてほしいという依頼があった人たちの数は、ことしの四月一日現在で千二百二十六人おられます。  もう一つ、私どもの方の手元に未帰還者名簿あるいは死亡宣告名簿、そういった保管資料がございますけれども、そういった保管資料の中で、肉親からまだ中国に残留しているという届け出のあった人たちの中から、およそ終戦時に十三歳未満だ、いわゆる孤児に該当する年齢の人たちを推計してみますと、大体三千四百人くらいおられます。  このほかに関係団体の方々からは一万人くらいもいるんじゃないかというお話もございますし、あるいは六千人くらいいるんじゃないかというような声もありますし、その辺は私どもとしてはまだ具体的に幾らおられるかというのは正直のところつかんでない段階でございます。
  193. 平石磨作太郎

    ○平石委員 そういうようにいろいろと数字も明確でない、こういう状況の中ですが、国交回復後いままで中国から引き揚げてこられた、それから一時帰国された、こういう数字はどのようになっておりますか。
  194. 持永和見

    持永政府委員 日中の国交が正常化いたしました四十七年以降引き揚げてこられた方あるいは一時帰国された方でございますけれども、五十五年度までで引き揚げてこられた方、いわゆる日本に帰って永住されるという気持ちを持って引き揚げられた方が約二千八百人おられます。  それから一時帰国の方でございますが、一時帰国の方は日中国交回復後、往路と申しますから日本に来た方々が約五千百五十人でございます。それから中国へ帰られた方が四千七百六十人というような数字になっております。
  195. 平石磨作太郎

    ○平石委員 このように国交回復がされてから約五千人の方々が一時帰国された、そしてまた中国に再渡航された。それから中国から日本へ引き揚げてこられた方々がざっと二千七百人余り。この人たち日本に帰られて、ああいう環境の中で中国人の養父母に育てられ、そして中国の環境の中で育って日本社会にどのように溶け込んで生計を立てていくかということについては、大変な不安と大変な苦労があろうかと思うのです。  それで、引き揚げてこられたときに厚生省がこの方々にどのような援護措置をしておられるか、お聞かせをいただきたいと思います。
  196. 持永和見

    持永政府委員 中国からの引き揚げ者に対する援護措置でございますが、これにつきましては援護局として非常に大事な問題だということで取り組み、年々その改善を図っているところでございます。  現在のところ、中国からの引き揚げ者に対する援護措置を申し上げますと、まず中国の居住地から日本の帰郷地、おうちに帰られるまでの旅費を一切負担しております。それから帰られましたときの帰還手当といたしまして、現在大人一人当たり十一万二千円、五十六年度からは十一万九千八百円という帰還手当を支給いたしております。  さらに帰られましたときに、一体自分はどこの役所へ相談したらいいんだろう、こういう問題はどこの役所へ行ったらいいんだろうというような問題がございますので、どういう行政機関がどういう問題を扱っているかといったような窓口の紹介あるいはオリエンテーション、そういったものを実施いたしております。  またこういった方々は何といいましても語学の問題、言葉の問題が一番大事でございます。そういう意味合いで、語学教育そのものは私どもの方ではございませんが、帰られました人につきましては日本語を習うための語学教材といたしましてテープレコーダーあるいはカセットテープ、そういうものをお渡しすることにいたしております。  また帰られて、うちに落ちつかれてから後もいろいろと生活の面あるいは言葉の面で不自由な問題があろうかと思います。そういう意味合いで社会生活、日本におきます生活になるべく早く適応してもらいたいという意味合いで、引揚者生活指導員、これは引き揚げてこられた方々のOBでございまして、引き揚げ後の経験を積んでおられる方々を選びまして、そういった方々に生活指導員になってもらいまして、月に四回、当初の一年間そういった引き揚げ者の家庭を訪問していろいろ生活指導あるいは言葉の問題、就労指導をやってもらうというようなことをいたしております。  それから、帰ってこられまして、どこか就労したいということで職業訓練を受けたいという方のためには、そういった引き揚げ者の職業訓練をやっていただきます職業訓練協力校に対しまして生活指導員を派遣するというようなこともいたしております。  また都道府県の段階では、引き揚げ者の生活につきまして民生関係、労働関係、住宅関係、教育関係、いろいろな分野での総合的な対策が必要でございますので、そういった連絡会議を設置いたしております。また、生活困窮者でございますれば、生活保護法の適用をすることはもちろんでございます。  以上が厚生省がやっております引き揚げ者に対する現在の措置でございます。
  197. 平石磨作太郎

    ○平石委員 帰られたときに、引き揚げ者に対して帰還手当、これは今年度の予算額では引き上げが行われておるようですが、これが果たして妥当かどうかはわかりませんけれども、やはりいま何をするにしましても当座これだけのものがあれば何とか定着できるのではなかろうかというような数字かもわかりませんが、いまの答弁にもありましたように、この人たちはもう日本語がわからぬ。どこへ行ってどなたに話をしていいのか、もう日本の社会については何一つわからないと言っても過言でないような状態の中で引き揚げてこられた方々であります。したがってこの帰還手当についてももっと手厚いことにしてほしいと思うし、それからこのオリエンテーション、これも何日間やられるかわかりませんが、国内の諸機関に対するいろいろな手続の方法、そういったもののいわば国内における案内役を一応その時点でやられる、これも結構なことですが、これだけではどうもそれぞれの出身というか親たちのおられるところへ帰られても十分わかって帰ることにはなってない。もっともっとこれについてはいわば長期にある程度時間をかけてわからしてやった方がいいような気がするのですが、その点どうでしょうか、ひとつお答えをいただきたいと思います。
  198. 持永和見

    持永政府委員 先生指摘の、まず帰還手当の問題でございますが、現在大人一人当たり十一万九千八百円、約十二万円でございます。大体家族でお帰りになるわけでございますから、そういう意味合いで、いま申し上げましたのは一人当たりでございますから、家族で帰られる人数だけそれに掛け合わせていただくということになるかと思います。  しかし、私どもといたしましてこれで決して十分だとは思っておりません。この額自体も年々引き上げを図ってきておるわけでございます。従前五万円程度でありましたものを四十三年にたしか十万円に一挙に引き上げたと思いますが、これも当時の引き揚げ者の実態を勘案いたしましてそういう引き上げを行ったわけでございまして、これで私ども十分だと思っておりませんので、今後とも引き揚げ者の実態、そういうものを十分見ながら必要な改善は図っていきたいというふうに考えております。  また、いま御指摘のオリエンテーションの問題でございますが、これも非常に短期で短いじゃないかというようなことでございますけれども、この点につきましても引き揚げ者の方々の御意見なりそういったものを十分勘案いたしまして、今後改善すべきものは前向きに取り組んでいくというようなことで努力をしてまいりたいというふうに考えております。
  199. 平石磨作太郎

    ○平石委員 この中に、いまの答弁にもありましたが、引揚者定着化対策委員、これは設置しておられるようですが、現実に引き揚げ者がいよいよ帰郷されて生活に入るというときに一番困るのはやはり日本語だ。これはもう関係者方々からよく聞かされておるわけですが、会社に就職をし、あるいは縫製工場に行き、あるいは作業現場に行ったような方々が、日本語がわからぬためにいろいろな面でトラブルが起きるとかあるいは十分な給与がいただけないとか、そういったことが間々あるように聞かされておるわけです。それで何としても日本語を教えるということが急務になってくるわけです。  私先ほど帰還手当のことで引き上げをお願いしたわけですが、やはり日本語がわかるまで、ある程度生活も安定——安定というところまでいかなくても、まあまあ安心だという程度で日本語も勉強するというような余裕を与えるようにしてあげてはどうかと思って申し上げたわけです。それでこれが少ない。それからすぐ就職せねばならないという事態に追い込められる。そういたしますと、日本語もわからないまま働きに出るわけですね。そういたしますと、日本語の勉強は一方でまだ十分でないのに、生活のために働くということで本人にも非常に無理がかかるし、それから雇っておられる雇い主の方も何かと気を使わねばならぬというようなことがあるようでございます。  したがって、私はこの手当の引き上げについても、そこらあたりまで、ある程度定着できるというようなところまでごめんどうを見ていただくということと、それから日本語の教育についてはどのように対処しておられるか、ひとつお聞かせをいただきたい。
  200. 持永和見

    持永政府委員 御指摘のように、中国からの引き揚げ者で非常に似たような、同じ漢字を使いながら、中国の言葉と日本の言葉が全く違いまして、これが引き揚げ者の一番の問題であることは、先生指摘のとおりでございます。そういったことにつきまして、私どもも常々こういった問題について対処していかなければならぬというふうに考えておるわけでございますが、現在の段階では、先ほど申し上げましたように、厚生省といたしましてはテープレコーダー、カセットテープ、そういった語学教材を帰国されましたときに直ちに支給いたしまして、そういった面で勉強していただく、あるいはうちに帰られましてから月に四回そういった引き揚げ者のOBの方々、もちろんこういった方々でございますから中国語はわかりますが、中国語、日本語のわかられる引き揚げ者のOBの生活指導員を派遣いたしまして、一日も早く日本の社会生活に適応されるようなそういった面での努力をいただいているわけでございます。  なお、言葉の問題は、これからも特に残留孤児の問題などで、こういった方々について幅広く、また国内への受け入れ体制などもども現在検討中でございますけれども、そういった問題でさらに言葉の問題はいろいろと深刻な問題が出てまいると思います。こういった点につきましては、社会教育的な面もございますので、文部省などとも十分御相談をいたしまして、その対策の充実を図ってまいりたいというふうに考えております。
  201. 平石磨作太郎

    ○平石委員 この日本語の習得については、申し上げたように非常に問題があるようです。私もいろいろとこういう方々との懇談もやってみました。それから県における担当者の御苦労も聞かしていただいたわけです。それで全国的にどのようにしてやっておられるかということを調査した資料がここにあるわけですが、大体見てみますと、県が直営でやっておられるというところはわずか二県しかございません。それは山形県と山梨県です。ほかはもう全部委託してやる。ほとんど引き揚げ者の団体だとかあるいは日赤の県支部だとかあるいは社協だとか、奉任活動者だとかいったような団体にこのことについては委託をして、場所は公民館だとかいったようなところを使ってやっておられるようです。そして講師になる者は、これは中国語と日本語と両方できなければならぬわけですが、ほとんどの方がボランティアでやっている。それで、いま局長の答弁にありましたように、指導員としての月々の手当、いわゆる実費弁償程度のものは出されておるようなお答えでございますが、このボランティアの方々が全部そういうことになっておるのかどうかはつまびらかではありませんけれども、恐らく本当にボランティアでやっておられる方もたくさんいるのではなかろうかというような気がしてならぬわけです。  それで、この表は高知県が全国照会でやったのですが、北海道、東北にはこういったことがなされております。それぞれの引き揚げ者の団体等が経費を持ち、いろいろ支弁をしてやっておるようですが、西日本を見てみますと、一切ないです。今年から高知県がどうにか県の直営でやろうということで、県費でもってこれらのことが計画されておるようですが、西日本の方は引き揚げ者がいないのですかね、どうでしょうか。おわかりになりますか。
  202. 持永和見

    持永政府委員 恐らく西日本につきましては引き揚げ者の数が非常に少ないんじゃないかというようなことは考えられます。
  203. 平石磨作太郎

    ○平石委員 こういうことでやっておられますが、しかもこれは私の方の資料だけで十分ではありませんけれども、私前にも質問をしたことがありますが、高知県あたりは引き揚げ者の団体をつくりまして、ここで共同募金からいただくとか、あるいは県の補助をもらうとかいうことで、五十六年度の予算で大体二百万ぐらいを組んで、国の方のいま局長の答弁があったものに不足するもの、あるいはそれ以上にといったような面で、県が職員を派遣したりとか、あるいは国から支給のない旅費等についてもここで支弁をするというような形で、その二百万ぐらいの予算の二分の一は県が見る、そしてあとまた市町村にも四分の一見てもらうというような形でやっておるようですが、これらに対して国の方からこういう団体のあるところは助成をするというようなことができるかどうか、お答えをいただきたい。
  204. 持永和見

    持永政府委員 私どもといたしましては、先ほど来申し上げているように、国の立場は国の立場としてのいろいろな施策を講じてきておるわけでございます。いま先生お話、私も初めて伺うわけでございますが、そういった実態も調べまして、なおこういった引き揚げ者の日本語習得の問題につきましては、国の立場でそれなりの施策充実を図ってまいりたいというふうに考えております。
  205. 平石磨作太郎

    ○平石委員 この前のあれは、前の大臣が一応検討いたしますということで御答弁をいただいておりましたが、聞いてみますとまだそのようなことがなされてないというようなことですので、ぜひひとつ御検討の上、調査の上で補助金をいただきたい、こう強く要求をするものです。  そこで、いま文部省云々というお話もありましたが、日本語については、これは当然教育というものから文部省の責任にもなろうかと思うのですが、文部省お見えいただいていましょうか。文部省はどのようにこの中国引き揚げ者に対してやっておられるか、概要をお知らせいただきたい。
  206. 垂木祐三

    ○垂木説明員 言葉の問題は、先ほど先生指摘になっておりますように、引き揚げてまいりました人たち日本で生活をしていく上で一番大事なことになろうかと思うわけでございます。  国交回復以後、中国から引き揚げて学校に入る方が多数見えるわけでございまして、文部省の統計によりますと、五十四年度中に小、中、高に入りました児童生徒が二百三十八人というような数に及んでおるわけであります。このような人たちは各地の学校に散らばっておるわけでございますけれども、それぞれの学校で、引き揚げてまいりました児童生徒の実態に応じまして、特に日本語の教育を中心といたしまして学校教育に適応するようにきめの細かい指導が行われておるかと思うのでございます。  文部省といたしましては、特に引き揚げてまいりました児童生徒がわりあい多くいる学校につきまして、引揚者教育研究協力校を指定いたしておるわけでございます。そこの学校では、特に日本語の教育を初めといたしまして、日本の生活に適応するようにということで調査研究を深めたり指導の充実を図るようにいたしておるわけでございます。五十五年度中は、小、中合わせまして七校ほど指定になっておるわけでございますが、五十六年度の予算におきまして二校ほど増加を図るような積算もなされておるわけでございまして、現在各都道府県の教育委員会の方から推薦をいただいておるわけでございます。このような指定校につきましては、文部省の方といたしましても、たとえば日本語を教育するための講師を雇う謝金を支出いたしますとか、あるいは一部の学校には日本語の教育を行うための教育機器を貸与いたしまして、教育の充実を図るように努めておるわけでございます。  それから文部省の方といたしまして、直接日本語を習得するための補助教材と申しますかそういう教材を作成いたしまして、引き揚げてまいりました児童生徒あるいはその学校に配付をいたしておるところでございます。「日本の学校」という資料を作成いたしまして、日本の学校につきまして日本語とそれに対比いたしました中国語を載せまして、日本語の習得の参考に供しておるわけでございます。  なお、先ほど申しました小、中の研究協力校のほかに、中学校の夜間学級が実はございまして、そこにかなり学齢を超過いたしました人たちが入っておるわけでございまして、それらのところではもっぱら日本語を勉強したいということでたくさんの方々が勉強いたしておるわけでございます。そういうようなところにつきましても文部省の方で今後配慮をしていきたいというように考えておるわけでございます。
  207. 平石磨作太郎

    ○平石委員 文部省からいま学校教育の面で大体お話があったと思います。私いろいろ調査してみますと、学校内における小さいお子さんたちの日本語の習得は非常にいい。そして友達ができ、学校教育の中ではもうそう問題はないというように私の調査でも感じたわけです。  問題は大人です。大人の教育が職場へ入ったときに大変困るということですから、大人についてどのように日本語を習得さすかというのが一番問題点だと思うのです。この大人に対してはこれはどこがやるのですか。文部省ですか、それとも厚生省になるのですか。ひとつ局長どうですか。
  208. 持永和見

    持永政府委員 先ほど来申し上げておりますように、厚生省といたしましては、帰国時にいろいろ語学教材と申しますか、語学習得のためのいろいろな教材を支給いたしておるわけでございます。それから個々の引き揚げられました方につきましては、それなりの生活指導員などを派遣いたしまして語学の習得をしていただくということでございますけれども、あと広く全体としてこの問題をどうするかという問題につきましては、いま文部省から学校教育の問題がございました。そういった問題を含めまして、社会的な教育のあり方といった問題につきましても文部省にも十分御協力していただくようお願いしていきたいというふうに考えております。
  209. 平石磨作太郎

    ○平石委員 そこで、文部省に私お願いしたいのですが、いま厚生省はテープを配付する、これだけでは不十分です。それから私がいま申し上げたように、各県ともボランティアでいろいろやっておるわけです。社会教育という場でこれを取り上げるということもなかなか困難だとは思いますけれども、こういう日本語講座を組めば社会教育だという形で助成ができるか。そういう個別にボランティアでもって社会教育の範疇で日本語講座、いわゆる日本語学級といったようなものを組む教育委員会があればこれに対しての助成が可能かどうか、ひとつ御検討いただきたいと思うのですが、お答えを簡単にお願いしたい。
  210. 塩津有彦

    ○塩津説明員 お答え申し上げます。  先生は社会教育の御経験もございます。社会教育の本質については御存じだろうと思います。社会教育は社会教育法にありますとおり自主性を基調とする自己教育、相互教育というものを基調としておるものでございますから、こういった教育は大事だということは十分認識しつつもなかなか社会教育の上でそれをストレートに取り上げるというのは困難なところがございます。したがいまして、現在の制度でその補助の対象に即なるというのは困難というのがいまの考え方でございます。  いま中学校教育課長の方から夜間学級の方でも取り扱っているという話がありましたが、御承知のように日本語学校というのが二百五十くらいございまして、そこのところでも数校中国からの引き揚げ者の方の日本語教育を取り扱っておりまして、夜間学級やいま申し上げましたような民間の日本語教育機関に対しまして、文化庁といたしましても教師の研修とかあるいは必要な教材の援助というようなことをやっておりますが、今後さらにそれらを充実してまいりたいというふうに考えております。
  211. 平石磨作太郎

    ○平石委員 時間がなくなりましたので、ひとつ強く要望をしてこれについて終わらしていただきます。  ところで就職状況、生活状況、これがまた非常に悲惨な状態なんです。私いろいろと話し合いの中でお聞きしたことは、技能習得等についてもっと国は日本語教育を含めて長期にわたってあるいは半年なら半年どこかで訓練ができないだろうかというような話も聞かしていただいたんですが、労働省がほとんど各県に持っておる職業訓練校、これを利用して技能習得その他をやったら一まあ現在やってもおるようです。それぞれ三十七、八名が入っておられるようです。ところでこの人たちが技能を習得するのにこれも日本語が一番の問題点になってくるわけです。いろいろ努力はなさっておられるようですが、この卒業生が就職してどのように定着しておられるか、簡単にお願いをしたいと思います。
  212. 野崎和昭

    ○野崎説明員 お答え申し上げます。  私どもの職業訓練校に入校しておられます引き揚げ者の方は五十四年では二十一名、五十五年では三十七名となっております。なお五十六年はまだ現在集計中でございますけれども、東京都だけで五十三名という報告を受けております。  それで就職の状況でございますけれども、五十四年に入校されて終了されました方は全員就職が決まっております。賃金の状況を申し上げますと、十万円未満の方が七名、それから十万円以上十五万円未満の方が五名、十五万円以上の方が五名、不明の方が二名、そういう状況になっております。
  213. 平石磨作太郎

    ○平石委員 賃金の話もございましたが、これは私お聞きしますと一般の日本人から言うと大体五〇%程度だ、こういうことです。これはいろいろなハンディがあるから仕方ないと思うのですが、二十万取っておられる方、十五万取っておられる方もあるといういまの御答弁でありましたが、この企業主も大変苦労しておられるということでございますので、雇用保険に入っておるような企業の事業主に対してあの各種給付金あるいはそういったようなものの制度利用によって理解のある企業主に対してはある程度処置ができないかどうか、これもお聞きしたいと思うのです。それから就職するに当たって就職支度金なんかについてもできないかどらか、簡単にお答えをいただきたい。
  214. 野見山眞之

    ○野見山説明員 これらの就職者につきまして、特に事業主に対して理解を得るということは一番大事でございますが、具体的なケースによってさまざまでございますので、きょうだいそろって一緒に就職できるようにするなり、あるいは中国語のできる先輩のいるところを探すというような個々のケースにつきまして職業指導官が指導しておるわけでございますので、今後ともこういう面できめ細かな職業相談等を進めてまいる過程で私どもとしては努力してまいりたいと思っております。
  215. 平石磨作太郎

    ○平石委員 時間がございませんけれどももう一回厚生省へお聞きします。  難民条約に基づいて外国人に各法が適用できることになるわけですが、この人たちはもともと日本人なんですね。だから引き揚げてこられたらそれぞれ厚生省所管の年金あるいは健康保険その他の社会保険立法が適用され、加入し年金受給といったような取り扱いは可能なのかどうか、現在やっておれば簡単にお答えいただきたい。
  216. 持永和見

    持永政府委員 引き揚げてこられた方につきましては日本の国籍を持っておられる方も多いと思いますが、そういった方につきましては先生指摘のように当然年金にも加入できますしいろいろな社会保障関係の制度に日本人と全く同じような扱いを受けることになるかと思います。
  217. 平石磨作太郎

    ○平石委員 これはきょうは法務省に来ていただくことができなかったので論議できませんが、この人たちは直ちに日本人ではない、帰化手続をしないと日本人にならないというような話もお聞かせいただいておるわけです。そこでこれは問題としてまた次回に論議させていただきますが、厚生省厚生省、文部省は文部省、そこにはいろいろとちぐはぐな点も出てくる、受ける本人は一人ですから、やはり各省のやられることは総合的にやっていかねばならぬじゃないか。教育訓練にしてもあるいは就職のあっぜんにしてもすべて総合的にやるという意味で、これは外務省の方で政府部内に何かそういった協議会あるいは連絡会というようなものをつくって総合調整をしておられるようなことをお聞きしておるのですが、どのようになっておるのか、お答えをいただきたい。
  218. 長谷川和年

    ○長谷川説明員 お答えいたします。  先生指摘のとおり外務省を含めまして国内の関係省庁総合的にこういった問題について対処する必要がございまして、昨年第一回の会合を持ちまして関係省庁でこういった問題につきまして協議したということがございます。
  219. 平石磨作太郎

    ○平石委員 ことがございますでは何ともならぬわけです。いまお聞きいただいたように各省が関係をしてきます。したがって厚生大臣にお願いかたがたお聞きしておきたいのですが、いま申し上げたようにこの人たちの生活を確立してあげ、そして日本社会に定着ができるような方向で今後力を総合していかねばならぬ。したがって、特に担当の所管大臣として、政府部内でそういった総合調整を行いながら今後援護強化をやってほしいと思うのですが、大臣の所感をお聞かせいただいて、質問を終わります。
  220. 園田直

    園田国務大臣 いま御意見のように、各省に問題が分かれておりまするから、これを総合的に、総体的な計画をつくって、実施者がたびたび会同して、円満に遂行するように努力いたします。
  221. 平石磨作太郎

    ○平石委員 以上で終わります。
  222. 山下徳夫

    山下委員長 塩田晋君。     〔委員長退席湯川委員長代理着席〕
  223. 塩田晋

    ○塩田委員 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案につきまして、厚生大臣並びに関係省庁の局長にお伺いいたします。  今回、この改正によりまして、長年要望しておりました満洲開拓青年義勇隊関係対象になるということで、われわれの要請が入れられたということにおきまして、われわれはぜひともこれを早期に成立せしめたいという考えでございます。  これに関連いたしまして、中国残留孤児の問題につきましてお伺いいたします。  戦後三十六年、いま最も日本人の心の痛む問題の一つでございます、肉身と別れ、心ならずも生き別れになったという状況開拓団だけにつきましても二十七万人の方のうち、飢えあるいは戦禍による死亡等が七万とも八万とも言われております。そして今日なお中国残留孤児中国の主として東北地域で生活をして、故国の空を望みながら毎日の生活を送っておるということ。言うならば二つの祖国に生き続けておる、引き裂かれたままで生きねばならぬ運命にあるといった状況。この本当に日本の悲劇というもの、これを生んだ原因は何であるかということを厚生大臣にお伺いします。
  224. 持永和見

    持永政府委員 中国残留孤児と申しますか、そういった方々がなぜ今日できたかというようなことだと思います。  これはもうつとに先生も御承知と思いますけれども、現在の中国の東北地区、旧満州でございますが、ここにはたくさんの邦人がおられました。百四十数万という邦人がおられました。そういった人たちがソ連の戦闘開始後、暴民の襲撃に遭う、あるいは生活手段を喪失する、あるいは伝染病が流行するというようなことで、たくさんの方々も亡くなられたわけでございますし、またそういった方々につきまして、敗戦という深刻な事態を迎え、二十一年から邦人の引き揚げが開始されました。この邦人の引き揚げが開始された中で、大変な苦労をされて祖国へ帰られる、そういった過程の中で、多くの小さい子供さん方を両親中国人たちに預けざるを得なかった、あるいは途中で生き別れになったというような事情が多々あったと思います。そういう人たちが現在孤児になって中国人に引き取られておりまして、中国人の養親のもとに今日まで至っておるのじゃないかというふうに考えられます。
  225. 塩田晋

    ○塩田委員 この民族の悲劇を生んだ原因は何かということにつきましては、一方では日本の軍国主義の五族協和という美名のもとに侵略戦争を始めて、その敗戦による犠牲であるという見方を主張する人もございます。また一方では、ソ連が一方的に中立条約を破棄して、力の空白につけ込んで無力な開拓民初め、われわれ日本人のみならず多くの人々を殺傷した、この侵略によるものである、その混乱による悲劇の結果である、この恨みというものは子々孫々に伝えてわれわれの受けた恥辱は忘れることができないという訴えをする人もございます。いろいろこの悲劇を生んだ原因、また見方もあろうかと思いますけれども、それをここで論ずる場合ではないと思います。  いずれにいたしましても、戦後三十六年、いまだに日本人でありながら日本の祖国の土を踏むことができない。その人たちが、推定によりますと五千とかあるいは一万人と言われている。もっと多いかもわかりません。あの敗戦のどさくさの出来事でございます。それが今日なお運命を引き裂いておるという状況、これに思いをいたしますときに、日中の国交が回復したいま、この問題に本当にいまこそ国を挙げて国民全体の課題として早急に取り組まなければならないと思います。残留孤児といいましても、いまやもう中高年者に育っておるという現実、そして肉身捜し、親捜しということで招待して、集団で肉身捜しに来ておられますけれども、その親たちはもはやほとんど亡くなられておるというような状況、そしてきょうだいあるいはいとこ、親族といった人たちも散らばっている中で、本当にこの人たち、われわれと同じ日本人をどのように祖国の中で温かく迎え入れるかということについて、われわれとしては早急に取り組まなければならないと思います。  そこで、厚生省調査による実態でございますが、数はどのように把握しておられますか。
  226. 持永和見

    持永政府委員 ただいま先生指摘のように、中国におります残留孤児全体の数は五千あるいは一万とも言われております。私どもの方で具体的に把握しておりますのは、日中の国交回復後、中国側の残留孤児からぜひ自分の肉身を捜してほしいという調査依頼のありました者、あるいは中国から帰られた方々から、こういった孤児がいるよというようなことで情報を得ました数、そういった数で調べますと、現在調査依頼のあった人たちの数が千二百二十六人ということになっております。
  227. 塩田晋

    ○塩田委員 調査依頼のあった千二百二十六人について、かなり中身がわかっておろうかと思うのです。すなわち男女別とか年齢階層別とか、それから国籍が中国籍の人とそうでない人もあるやに聞きますが、それはどうなっておるか。それから地域的には、中国の東北を主といたしまして、どのあたりにどの程度か、そして日本の場合には関係者の出身地はどこが多いか、そういったことをわかる限りで御説明願います。
  228. 持永和見

    持永政府委員 実は、こういった方々の年齢別を詳細にはとっておりませんが、大体四十歳前後じゃないかと思います。終戦のときに日本人から中国人たちに養子として預けられた人、あるいは引き揚げの途中で親子行方不明になった、生き別れになったというような人たちでございまして、当時学童にも達しない人たちが大部分であろうと思いますので、現在の段階でおよそ四十歳前後、先般帰りました四十七人の孤児人たちも大体三十八歳から四十三、四歳の人たちが大部分だったかと思いますが、そういうことだと思います。  それから、いま先生のおっしゃいましたこういった人たちの中でどの県が多いかということでございますけれども先ほどもちょっと議論がありましたように、現在の中国の東北地区に行った人たち開拓団の数とおよそ比例しているような感じでございますが、わが国の場合には、どちらかというと東日本と申しますか、そちらの方が多いようでございます。  男女別は大体半々でございます。
  229. 塩田晋

    ○塩田委員 それから、中国籍を離脱している人がおるというような新聞報道が一部ありましたが、それはどういう状況になっているか。  それから、自費で入国をした人はこの中に含まれているのか、含まれていればどれくらいの数か。
  230. 持永和見

    持永政府委員 まず国籍の関係でございますが、現在中国に残っておられる方々の大部分は、中国のいろいろな国内情勢その他もございまして、養親のもとで中国国籍を取得されているのじゃないかと思います。ただ、先般四十七人の孤児が訪日いたしましたが、この中で二人中国籍を持ってない人がおりました。この人たち日本人ということで登録をいたしておりまして、中国籍を持たないで先般の訪日調査に加わった人たちが二人おったわけでございます。  それから、前回訪日調査いたしました四十七人はすべて国の招請と申しますか、国が招いたものでございますので、旅費その他すべて私どもの方で負担しているものでございます。それから、自費で帰られる方も引き掲げ者の中にはおられます。そういった方々につきまして私どもの方としては、自費で帰られてそのまま帰国手続をされて郷里へ落ちつかれるというようなことになりますと、これはつかみょうがないものでございますから、援護措置の手を差し伸べる余地がないわけでございますが、後になりましてからでも申請されれば援護措置を差し伸べるというようなことをいたしております。
  231. 塩田晋

    ○塩田委員 先ほど言われました千二百二十六名というのは調査依頼があった者ということでございますね。それは、外交ルートを通じたりあるいは手紙等の文通ができるわけでございますから、そういった関係で把握できる人が千二百二十六名ということでございますが、そうしますとまだまだ出る可能性があるのか、その調査方法は現在までどうしているか、今後どうするつもりか、お伺いします。
  232. 持永和見

    持永政府委員 先ほど来も御説明申し上げておりますように、この千二百二十六名というのは、あくまで孤児の方から直接あるいは引き揚げ者の方からの情報厚生省情報の提供を受けて、こういう人が具体的におられるなというようなことでつかんだ数字でございまして、このほかにまだまだ、先ほど来申し上げておりますようにたくさんの孤児の方がおられるかと思います。  私どもは現在まで、こういった調査依頼を受けた人たちにつきましていろいろ手持ちの資料あるいは孤児からの通信文情報といったものを中心に肉親解明を続けておるわけでございますが、ただ役所の内部でやっておりましてもなかなかそれがはかどらないというようなことから、昭和五十年から公開調査と申しまして、新聞孤児人たちの写真を載せて一般の人たち肉親解明を呼びかけるというようなことをやってまいりました。これによってかなりの成果がございましたけれども、まだまだ孤児方々情報とても、自分の氏名が間違っておる、あるいは家族の事情などについて記憶違いがあるというようなことも多々ございます。  そういった意味合いもありまして、いろいろと関係方面からの御議論もあり、今回初めて直接孤児を呼び寄せて直接事情聴取をいたしまして、従来孤児から寄せられた情報あるいは中身を確認するとともに、何か覚えていることはないか、何か記憶を呼び戻せないかということで私どもの職員が直接いろいろ面接いたしまして新しい情報を得る。あるいは今回の訪日調査によりましては国民皆さん方の大変な御支援をいただきました。また、マスコミ関係に絶大な御協力をしていただきました。こういったわけで、自分肉親だということで名のり出られた方が予想以上に出まして、そういった方々につきましては、直接面談をしてもらってその確認をしたというようなことになっておるわけでございます。
  233. 塩田晋

    ○塩田委員 ただいままでのところは厚生省としては受け身といいますか、調査依頼があったりあるいは手紙等があったりした場合に把握されて、そして外交ルートで中国側と話をしておられると思うのですが、今後そのような方法だけでいいのかどうか。一番多いと言われる東北地域に対して調査団を派遣し、また心当たりの人はこちらから調査団を編成し、そしてかつて住まっていたところへ行き、またいろいろなことを尋ねながら孤児を探す、出かけていって調査するというふうな積極的な計画はあるかないか、お伺いします。
  234. 持永和見

    持永政府委員 いろいろ御指摘になっておりますように、残留孤児の実態を把握するということは確かに必要なことだと思います。  御指摘のように、現在までの残留孤児調査孤児肉親解明は、孤児の側からの通信があった、あるいは肉親からの届け出があった、そういう人たちを中心にやってきておりますが、私どもといたしましてはできるだけ正確な実態を把握したいという気持ちがあるわけでございまして、現在でも大使館を通じまして孤児の数あるいは地域別の分布状況などについて調査をいたしたいということでございますが、何せこれは先生御承知のとおり中国側の問題もあるわけでございます。中国側の当局の御協力を得なければできない問題でございまして、そういう意味合いで、いま外交ルートを通じまして、大使館を通じてそういったお願いもいたしておりますが、なお、今後の問題といたしまして、私どもといたしましてはさらに大使館と協力いたしまして正確な実態をつかむような措置を何か講ずるようなことを前向きに検討していきたいというふうに考えております。
  235. 塩田晋

    ○塩田委員 公開調査の方法として今回行われました集団招待による肉親捜しという方法がありましょうし、また、いま申し上げましたように訪中団をつくって、日本人が行って現地で捜すという方法もあろうかと思います。そしてまた、多いと言われる東北地域に領事館をつくり、窓口を常に開いてそういった御相談に応ずるというような方法があろうかと思いますが、これについてはいかがでございますか。外務省
  236. 小倉和夫

    ○小倉説明員 御説明申し上げます。  実は、私は朝鮮半島を担当しておりまして、中国の直接の担当ではないのでございますが、領事館の問題につきましては、一つは相互主義と申しますか、向こう側の日本における領事館の開設問題とも絡むと思います。しかしながら、現在のところは上海、広東、つまり広州でございますが、そこに総領事館がございますが、これからどうするかにつきましては、いまおっしゃいましたような要素と同時に、貿易あるいは在留邦人と申しますか、日本側の、中国における邦人の各御活動の状況その他も踏まえまして、どこに総領事館をつくるかということを検討してまいりたいと思っております。
  237. 塩田晋

    ○塩田委員 貿易その他の事情もいろいろあろうかと思いますが、当面の大きな問題として、国民的課題として取り上げて対処しているその要素を十分に勘案して、ぜひともそういった窓口が開けるような方策を検討していただきたいと思います。  それから、厚生省にお伺いいたします。  なお一万人いるかもしれない、あるいはそれ以上かもわからないと言われておる日本人の引き揚げ対策でございますが、まずお伺いしたいと思いますのは、今回一時帰国されました四十七名、もとは六十名くらい希望者があって、いろいろな事情で四十七名になったという報道もございます。その四十七名を選ぶ基準といいますか、これは中国側で日本側と相談をしながらやられたと思うのですが、どういう基準でやられたか。  それから、肉親捜しを日本で二週間やられた。その決め手といいますか方法。考えられるのは、いま言われましたように本人記憶、これは幼い、小学生かあるいは幼児ということですから、記憶が非常に薄れておるという中での記憶をよみがえらすということですね。これが一つ。それから、中国側にも出てくるのですが、物的証拠のある者ということです。それから証人があるということです。それから血液型とかいうことが考えられますね。  どういった方法で中国側が六十名から四十七名を選んだか。日本で確認する場合、肉親捜しをする場合にどういう方法でやっておられるか、御説明願います。
  238. 持永和見

    持永政府委員 まず今回訪日いたしました四十七人の人たちの選択の問題でございますけれども、これは、私どもといたしまして、せっかく訪日していただいて肉親解明をするわけでございますので、ある程度手がかりがあるのじゃないか、従来の通信文あるいは情報、そういったものからある程度手がかりがあるのじゃないかという人たちを大体百人くらい選びまして、それを中国大使館を通じまして中国側に調査してもらったわけでございます。その中からいろいろと選んでもらいまして四十七人という数字が出たわけでございます。六十人という数字先生おっしゃいましたが、当初六十人選びましたが、その中で、どうも孤児ではないらしいというような情報がありましたり、あるいは仕事の関係あるいは体の関係で今回は訪日できないというような人が漏れまして、結果的には四十七人という数字になったわけでございます。  またその四十七人の人たちでございますが、いま申し上げましたようにほんの細い手がかりは確かにございました。細い手がかりでございますので、果たしてこちらで本当に解明できるかどうかというような危惧も私どもには実はございました。どの程度本当に、従来の経験からいって数が少ないのじゃないかという危惧もございました。そういう危惧を持ちながらいろいろと事情を聴取したわけでございますが、何といいましても今回の訪日で大きな成果を上げ得た基本的な要因は、あれだけ国民の御支援をいただき、それからマスコミと申しますか、テレビ、新聞があれだけ大きな報道をしていただいたということにあるかと思います。  個々の肉親解明に至りました経緯は、いろいろそれぞれ事情が異なっております。私どもの方の面接調査で、具体的に孤児がこういう家に住んでいたよというようなことで、そこに照会したら肉親の方がおられたというケースもございますし、テレビを見てあるいは新聞を見て、どうも自分の子供ではないかということで、孤児が泊っておりますオリンピックセンターへ肉親の方が来られて、そこで面談をいたしまして、体つき、顔のかっこうあるいは体の中のどこかの特徴、そういったものから肉親だということが判明をいたしたものもございました。その事情はそれぞれいろいろな形でございます。  私どもといたしまして、予想以上に成果が上がりましたのは、先ほど申し上げましたとおりあれだけの国民の御支援とテレビ、マスコミ関係の絶大な御協力、これにもつばらよっているということが言えるのじゃないかと考えております。
  239. 塩田晋

    ○塩田委員 厚生省皆さん方が、非常にむずかしい問題でありながら真剣に問題解決のために取り組んでおられることに対しまして、敬意を表するものでございます。四十七名のうち二十四名が肉親と再会でき、そして日本に帰ってくるということで喜んで帰られた、これは本当に心からお喜びを申し上げる次第でございます。  ところで、見つからなかった他の二十三名の方は非常な心の痛手を受けて、本当に祖国日本の土を踏みながら、また育ての祖国中国に帰らなければならない。この非常な人間的な心の痛み、運命のいたずらと言うには余りにも気の毒な方々ですね。その人たちに対して、本当に何かしてあげたいという気持ちを持つのは、日本人だれしもの考えであると思います。  私の友人で、近親者の方の一つの例を申し上げたいと思いますが、ソ満国境で、ソ連が突如国境を越えて侵入をしてきた。警備隊におられた方でございますが、子供をその場で心ならずも殺して前線に出て行かれた。奥さんはその後亡くなられた。近親の者は皆、一家全滅だということで覚悟しておりました。ところが、戦後ある見知らぬ人から連絡がありまして、その方と一緒にソ満国境にいた、日本人も少ない中だったからよく知っております、そしてその警備隊の父は前線に出て亡くなりました、殺したということであれですけれども、実は生きておりました、それを非常に親切にしていただいた中国の方がお世話をして、そして育てていただいた。その方がやはり、新聞公開調査で写真が出て、そして最近に至ったのですが、終戦直後それを目撃しておったという人から連絡があったというのです。ところがその連絡をしてもらった人は完全には信頼を置けなかったというのは、状況はよく似ているのだけれども、遠くからやってきた知らぬ人で、旅費が要ったからとかいろいろ言われて帰りにお金を要求され、親切な人だと思っておったけれども、そういうことがあったので若干感情的になっておったという状況の中で、この間の公開で新聞紙上に写真が出て、やはりそうだったかということになったわけです。  この間の四十七名の中には入っておりません。昨年か一昨年か観光団として訪中団が結成されて東北をあちこち行かれたその方がいろいろ向こうでの話を聞いて、あなたの親戚の方がおられますよ、こういう連絡をしてこられたのです。ですから、前に言われたのもやはりそうだったのかなという感じで、親族集まってどうしようかという話になっている。ところが親たちはもちろんおられなくて、父の弟ですか、おじさんに当たる方がいまおられる。あといとことかふたいとことかがあちこちに存在しておるという中で、本当に心の問題として非常に割り切れない中でその親戚の人たちはどう対処しようかということで非常に悩んでおられる。いろいろな意見があり、今度集団招待でやってこられれば当然会いに行くということになると思いますけれども、いまからどうしようかということで非常に悩んでおられるわけですね。  肉親と遠くなればなるほどやはり微妙な心理状態になり、血が通っているとしても、そこに全面的に受け入れてやろう、そういう気持ちでない人ももちろんあるわけですね。いまさらという気持ち、こういう非常に微妙な心理状態がこの問題には働いております。  新聞にも出ましたように、子供を中国人に預けて帰ってきたけれども、そのことは心の痛みとして一生いえないということで、もうそこに帰ってきていることがわかっておっても口に言い出せない、しかも再婚している、そしていまの生活を破壊したくない、そういう気持ちが働いて悩みに悩んだ末、しかしまた厚生省皆さん関係者皆さん方が非常に説得されて、最終日にやっと会えた、こういう話もあるわけですね。もっと期間を長くしてもらえばもっと肉親に会えたかもわからぬ、こういう話もあるわけですね。非常にむずかしい問題だと思います。そして非常に善意で知らせていった人か、あるいは戦後はそういったことで生活をしておった人もあるやに聞くわけです。そういったことを考えますと、日本人のそれぞれの心の奥底の問題にかかわるきわめてむずかしい問題をはらんでおると思います。  そこで、これに関連いたしまして、この問題は一年に六十名とか百名では、一万人とすれば百年かかるわけですから、ひとつ急ピッチで進めていただきたい。早くしなければますます親戚縁者も遠くなってきますし、親たちは亡くなりますね。きょうだいも亡くなります。  ひとつ大臣、こういった問題につきまして早急に強力に引き揚げ対策を進めていただきたいと思いますが、大臣の御感想をお伺いいたします。
  240. 園田直

    園田国務大臣 まだ残っていらっしゃる方々の数、実態が把握できませんが、われわれが推計するのよりも多いことは事実でございます。したがいまして、中国の御理解と御協力をいただきながらできるだけ早く調査なりあるいは親捜しを進めていきたい、こう思いますが、わが方の事務能力のこともありましてなかなか一遍にというわけにまいりませんが、なるべく年に数回、回数をふやすということで努力をしたいと考えております。  なお、ただいま私の代理として次官を中国に派遣をしておりますが、これはいままでのお礼並びに今後の問題についての御協力をお願いするつもりで派遣をいたしておるわけでございます。
  241. 塩田晋

    ○塩田委員 厚生大臣、積極的に前向きにこの問題に取り組んでいただけるというお考えをお聞きいたしまして、ありがとうございます。そして招待をしてまた帰るという二重の悲劇を生まないように、心の痛手をなお一層倍加するようなことにならぬように、できれば、日本人でなかった人も一定の条件を満たせば日本人になれるわけですから、いわんや日本人である人を、そのまま望郷の念を抱きながら中国を祖国として一生終わらなければならないというようなことにならないようにいろいろな方策を検討していただいて、希望すれば、日本人かどうかわからないという人でも、ある一定の条件を備えれば来れるような何か方法を考えるのは、われわれ日本人としての本当の心からなる願い、切なる願いだと思います。そういった問題、ひとつ行政ベースで生かしていただくようにぜひとも御検討をお願いいたします。  あわせまして、調査団を派遣するとかあるいは領事館を常時設置するとか、そういった方法で、まだまだ手は残されていると思いますから、御努力を要請いたします。  次に、中国以外のソ連地区あるいは太平洋地域ですね、そこではどういう状況になっておるか、お伺いいたします。
  242. 持永和見

    持永政府委員 残留孤児といったような形でたくさんの方が残されているというようなのは、先ほど経過を御説明しましたように、現在の中国東北地区特有の地域的な問題じゃないかと思います。  なお、先生指摘のソ連なりあるいは南方地域におきましては、まだ復員されてないとかあるいは未帰還者であるというような方々は残っているかとも思いますけれども、いま問題になっておりますような孤児方々がたくさん集団的に地域的に残っておるのは中国の東北地区の特色じゃないかと思っております。     〔湯川委員長代理退席、戸沢委員長代理着席〕
  243. 塩田晋

    ○塩田委員 残留孤児と関連しまして、日本兵または居留者でソ連領内にいまなおいる人の状況、それから太平洋各地域にどのような状況になっておるか、把握しておられる状況をお知らぜいただきたいと思います。  特に最近、四月三日の新聞紙上にも報道されましたベララベラ島で旧日本兵が三名目撃されたということですが、これについて現在どのように把握しておられますか。外務省も含めて御答弁願いたいと思います。
  244. 持永和見

    持永政府委員 いま御指摘のベララベラの問題でございますけれども、これは先般新聞に一部日本兵が残っているのではないかというような報道が出ました。このベララベラにおきます日本兵の問題につきましては、五十一年から厚生省とそれから戦友会でございます全国ソロモン会が調査、捜索を行っております。しかし、現在の段階では元日本兵が生存残留しているという確固とした資料はございません。何かそれらしい人がいるのじゃないかという情報がときどき入ってまいりますけれども、確たる資料がないというのが実際でございます。そういった状況でございますために、五十五年十二月にも慰霊巡拝にソロモン諸島に行きましたときに、ベララベラにつきましてもそういった調査をいたしました。ところが、その段階でもはっきりした証拠は得られない状態でございます。その後も幾つか、この間の読売新聞にも出ておりましたように、現地人が日本兵を見たというような報道もございます。そういったこともございますので、今後そういった機会をつかまえて、またさらに調査、捜索を検討していきたいというふうに考えております。
  245. 塩田晋

    ○塩田委員 ソ連のことについて。
  246. 持永和見

    持永政府委員 ソ連につきましては、先ほどもちょっと御議論になりましたが、現在ノモンハン事件当時に捕虜になられた方々がかなり向こうに残っておられるのじゃないかというようなことが言われておりまして、ノモンハン事件の当時の方方が引き揚げる際にいろいろと舞鶴の援護局あたりで情報を聞いたわけでございますけれども、当時の状況でございますので、なかなか捕虜になったということは言いにくい実情もあったようでございまして、そういうことでどのくらいおられるかというのははっきりしないのですが、これはソ連側を通じまして何遍か、そういった方がおられるはずだからぜひ実態を私ども知りたいということで申し入れをしておりますけれども、ソ連側からはそれに対して返事はもらえないといったような状態でございます。
  247. 塩田晋

    ○塩田委員 ソ連の関係では、旧日本人であった第三国人がかなり旧樺太に残っておられるということを聞いておりますが、これに対してどのように把握して、どのように対処をしようとしておられるか、お伺いいたします。
  248. 持永和見

    持永政府委員 恐らく樺太の関係につきましてもかなりの人たちがいると思います。現在未帰還者として私どもの方が把握しておりますのが、樺太が大体百九十人ぐらいおられます。ソ連本土が三十四人、私ども推定の数字でございますけれども、大体二百二十人ぐらいソ連関係での未帰還者数があるのじゃないかというふうに推定をいたしておりますが、これについても外交関係の問題がございまして、なかなか実態がつかめないといったような状態でございます。
  249. 塩田晋

    ○塩田委員 いまの二百二十というのは日本人ですね。
  250. 持永和見

    持永政府委員 いま申し上げましたのは日本人でございます。
  251. 塩田晋

    ○塩田委員 旧日本人で第三国人の状況です。
  252. 小倉和夫

    ○小倉説明員 お答え申し上げます。  いまの先生の御質問は、あるいはいわゆる樺太と申しますか、そこに現在在住していると見られる元日本人でいわゆる朝鮮半島出身者の現状をどう見ているかという御質問かと思いますが、これは私どもの帰還促進団体その他の情報によりますれば、大体四万人おられるというふうに聞いております。そのうち具体的に日本に帰りたい、あるいは韓国に帰りたいというふうに希望を表明された方々は千八百名前後、ちょっと私手元に資料を持っておりませんが、その前後だったと記憶しております。
  253. 塩田晋

    ○塩田委員 中国残留孤児並びにソ連に残っておられる日本人、そうしてまたいまございましたように、旧日本人で朝鮮半島出身者という方々がかなりいらっしゃるわけでございますから、人命尊重、ヒューマニズムの立場からぜひともそういった問題に対しまして強力に政府として手を打っていただきたいということをお願い申し上げます。  これに関連いたしまして北朝鮮の日本人妻でございまして、これはたびたび国会委員会でも取り上げられてきておりますが、いまだにはっきりした答弁なりまた手が打たれていない状況でございます。これはれつきとした日本人、明らかに二千人以上は行っておると言われております。この人たちの消息がわからないということ自体が非常な人道問題だと思います。これはいろいろないきさつがあったかと思うのですけれども、いまどういう手を打ち、どういう状況になっているかということにつきまして御説明願います。
  254. 小倉和夫

    ○小倉説明員 御説明申し上げます。  いま先生おっしゃいましたとおり、この問題につきましては日本人の方の問題でもございますし、私どもといたしましても従来からいろいろな努力をすべきであるというふうに考えております。特に人道問題であるということにつきましては私ども十分認識しているつもりでございます。  ただ、具体的には御承知のとおり北朝鮮とは国交がございませんので、政府としましてとり得る手段には限界がございますが、では具体的にどうしたらいいかということにつきまして、私どもとしましては、たとえばつい一月ぐらい前でも二、三回赤十字の方とも御相談いたしまして、実は昨年十二月に、それまで赤十字を通じまして北朝鮮側にいろいろ照会依頼いたしました二百十名に及ぶ方々の消息につきまして改めて一括しまして、これは十四回目でございますが、赤十字を通じまして照会いたしておりますし、またその後赤十字の方とも御相談いたしまして、その中には大分データが古くなっているものもございますので、私どもといたしましては現在どういう実情であられるか、手紙が現に来ておるか来ていないかというような点も含めまして、きめの細かいアプローチができないか、関係方々とも御連絡をとっている段階でございます。
  255. 塩田晋

    ○塩田委員 これは日赤が窓口になって戦後日本人日本から送り出したという、これは政府が関与していることは明らかなことでございます。政府の責任においてこの問題の解決のために最大限の努力をしていただきたいということを強く要請いたします。  それから再び中国残留孤児の問題に移りますが、先ほどもちょっと申し上げましたように、引き揚げのための任意団体があろうかと思うのです。それはどの程度あって、どのような動きをして、どのような監督をしておるかについてお伺いします。
  256. 持永和見

    持永政府委員 中国孤児関係のいろいろな団体といたしまして、日中友好手をつなぐ会とかあるいは凍土の会とか、そういった関係団体が幾つかございます。こういった団体につきましては、先般残留孤児が訪日いたしました際にもいろいろと御協力、御支援をいただきました。また団体独自で中国に渡られていろいろ調査もしておられるといった実情でございますが、先生指摘のようにいずれも任意の団体でございます。したがいまして、役所としてこういった団体を指揮監督するという立場にはございません。  私どもとしてはときどき団体の方々とお会いして連絡を密にしながら一お互い意思の疎通を図りながらこの問題の推進を図っていきたいというふうに考えておるわけでございます。
  257. 塩田晋

    ○塩田委員 この中国孤児の問題についていろいろ心配をしておられる肉親方々は、いろいろな団体から話があるようで、果たしてその団体がどういうものなのかということを聞かれるのですが、われわれもよくわからない。皆さん善意で任意的にやっておられると思うのですけれども、その辺抜かりはないと思いますが、心配をしている向きもありますので、御研究をよろしくお願いします。  それから、生みの親より育ての親という言葉が日本にはありますが、何十年となく手塩にかけて育ててこられた中国の育ての親ですね、しかも日本人であるということがわかっておる中で育ててこられた苦難、これは大変なものだと思います。また一時期は政治的な事情もあって、文革あるいは四人組時代は迫害をされたとさえ言われております。そういった本当に苦難の中でお育ていただいた育ての親に対して、謝謝という感謝の言葉だけではなくして、人間として態度でもって、そして行動でもって形でもお礼をしなければならぬのじゃないかと思います。この点についてどのように考えておられるか、お伺いします。
  258. 持永和見

    持永政府委員 先生指摘のとおり残留孤児が三十何年間元気で今日あるのは、まさに中国において異国の人だというのを知りながら育ててくれた養親のおかげであることは、これはもちろん当然のことでございます。そういった人たちに対しまして日本側として感謝の意を表するのも、これまた当然のことでございます。大臣もその点大変お気をお配りになりまして、先ほどお話しになりましたように、現在事務次官が、先般の訪日調査が全般的に大変成果が上がったというお礼に中国へ行っております。その際に大臣の親書の中に、養親の方々大変御苦労の中で孤児を育てていただいて本当に感謝しますというような文面も入れていただきまして、現在事務次官が向こうへお礼に行っているというような状態でございまして、いまそういった意を向こうに表明している状況でございます。
  259. 塩田晋

    ○塩田委員 本当に心からなる感謝の気持ちを申し述べ、感謝することは当然でございます。それとともに、新聞の社説等ではその親たちも一緒に一遍帰ってもらって日本で観光なり友好を深めてもらってはどうか、こういう提案もございました。私はそれもいいだろうけれども、それだけでいいだろうか、本当に済むものだろうかという気持ちでございますが、大臣、ひとつその気持ちをどういう形であらわすか御検討をいただき、何らかの形で本当に感謝の意を表していただきたいと思いますが、いかがでございますか。
  260. 園田直

    園田国務大臣 外務省ともよく相談をしまして、中国に対する御理解と御協力の御礼並びに養い親たちへの謝恩の気持ちをどういう形で示すか、御意見が通るようにしていきたいと思っております。  なおまた、先ほど北朝鮮の日本人妻の問題がありました。外務省から答えたとおりでありまして、外務省も私の方も連絡をとりながら日赤を通じてやっているわけでありますが、しばしばやっておりますが、なかなか糸口がつかめません。そこで国会が終わりましたら、謝礼、今後の問題等も含めて、阿波丸の引き揚げが終わって遺体の収容が全部できたからできれば私に受け取りに来いという内々の話もありますから、できれば私が、行けなければ代理に援護局長を首席随員としてつけてやって、中国と北朝鮮の特別の関係から、中国の方からもこの日本人妻の問題で側面からお力添えを願うように相談するよう考えております。
  261. 塩田晋

    ○塩田委員 ありがとうございました。ぜひともそういう方向で最大限の努力をしていただきますことを切に要望いたします。そして日本へ引き揚げてきたこの人たちのアフターケア、これは言語の問題、就職対策、訓練の問題、住宅問題等々ございますが、こういった問題につきましても各省と連絡を密にされまして、特に文部省、労働省との連絡を密にされまして総合的な対策を強力に推進されますことを要望いたしまして、質問を終わります。
  262. 戸沢政方

    戸沢委員長代理 次に、小沢和秋君。
  263. 小沢和秋

    小沢(和)委員 今回の法律改正は、範囲を若干広げ、また金額も引き上げるということで、全体として改善だと思うのです。年ごとにこういうふうに改善がなされていることは大変結構だと思うのですが、全体として、現在までどういうような対象に対してどれだけの援助がなされているということについて周知させるという点で、もっと努力をしていただく必要があるんじゃないかということを私は感じております。この点いかがですか。
  264. 持永和見

    持永政府委員 御指摘のように、法律、制度の中身国民方々に十分周知徹底させるというのはこれは役所の務めでございます。そういう意味合いにおきまして私どもは、県を通じあるいは市町村を通じまして、さらに私ども関係でボランティア的にいろいろ御協力いただいている遺族相談員あるいは傷病者の方々相談員、そういった方々がおられますから、そういった方々を通じましてできるだけの周知徹底を図っているところでございますが、いろいろと不行き届きの点もあるかと思いますけれども、今後ともこの点についてはさらに努力をしていきたいと思います。
  265. 小沢和秋

    小沢(和)委員 私どもの周りでも、そういうことになっているということを知らずに受給していなかったり、あるいはそういう制度があるということを知っておっても、いまとなってはその証明がむずかしいということで手続もとらずにおるという方がずいぶんいるんですね。私もごく最近の経験ですが、北九州市若松に住んでいる私の友人がたまたま病気をして市立病院に入院したのです。そうしたら、そういうようなことに該当するのではないかという人に同じ病室の中だけで二人ぶつかったわけです。  一人は福原滋さんという六十歳の方で、第二次大戦中、中国戦線で負傷をした。足を骨折したのですけれども、そのときにすぐその辺の木の枝か何かでくくりつけて、それで後送されて野戦病院で入院中に敗戦になった。だからまだその治療もろくにしないままで帰ってきた。いまでもお会いしてみると片一方の足が三センチぐらい短いのです。ところが、何でこの方がいままでやっていなかったかといったら、直接証明してもらうのは軍医じゃなかろうか、ところが軍医さんは見当たらない、あるいはそのときの上司という人もわからない、だから自分はだめだ、こういうふうに思い込んでいままでしていなかったと言うのです。私が何かあるでしょうということでいろいろ聞いてみたら、前に軍歴票というのをとったことがある、そうしたらこの中に負傷したということは確かに書いてあったと言うのです。それならこれはりっぱな証拠じゃなかろうかということで先日厚生省の係官に聞いたらそうだということで、これは何とかなりそうだということになったわけです。  もう一人同じ病室の伊藤栄男さんという五十六歳の方は軍人じゃないのです。農業に従事中に十七歳で徴用されて佐世保の海軍工廠に入った。ところが、御存じのように戦時中ですから仕事の方は昼夜二交代で大体十二時間労働、しかも十七歳で若くて寮制だというのでとにかく体力が続く限り仕事をさせられるという中で、本人が全く自覚症状がないままにかなり進行していたと思われるわけです。いよいよきつくなってもそういう寮制で、しかも休んだりしたら制裁を受けるというような非常に厳しい状態の中でしたから、気がついたのはある晩ふろに入って、寄りかかったら何か背中がごつんとぶつかって、それでおかしいとさわってみたら出っ張ったような感じになっていて、あわてて医者に診てもらったら胸椎カリエスということで即日徴用解除ということで帰郷した、こういうことなんです。ところがこの方も、その後当時のことを証明してくれる人はいないだろうかということで病院とかに照会してみたけれども結局らちが明かない。この方はいまどういう状態でいるかというと、その当時から寝たり起きたりという状態でどんどん病状が進行して、いまは一級身障者なんです。私はこの方にやはり何か思い出してもらおうと思っていろいろ言ったのですが、結局この方が言うには、当時自分が元気で郷里を出たのに帰ったらそういうことで寝たきりになったことは近所の者はいっぱい知っておる、こんなのでどうだろうかというお話なんです。  お尋ねしたいと思うのは、こういうのはこの人の場合証拠として認められるのか、私が申し上げたように証明に困るということで、自分は何とかなればもらいたいんだがと思いながらもそのままになっている方がずいぶん多いんじゃないかと思うのです。いま私が申し上げたようなケースはどうなのか、この辺の証明についてどの程度弾力的に運用しようというお考えでいるのか、お尋ねしたいと思います。
  266. 持永和見

    持永政府委員 いまの先生の事案の問題でございますけれども先生の事案はたしか佐世保の海軍工廠に徴用された方のことだと思います。     〔戸沢委員長代理退席、委員長着席〕  工廠に入られる前は元気だったが帰ってきたときにカリエスということになっておりまして、その後現在もカリエス状態が長く続いておるということであるとするならば、逆にいまのカリエスの状態をお医者さんに専門的に診断してもらいまして、それはいつごろ発病したんだろう、そのときに佐世保に行かれる前は元気だったけれども帰ってきたときはこういう状態だったという資料をできるだけお集めいただきまして、三十五年もたっておりますので中にはそういった事実関係資料がなかなか見つからないということでお困りの方もたくさんおられますけれども、そういった方につきましては私どもできるだけ配慮をいたしまして認定をしていきたいというふうに考えております。  そういったことでまず証拠をお集めいただいて、その上で御相談に応じていきたいと思っております。
  267. 小沢和秋

    小沢(和)委員 それではそれについては前向きの措置を期待することにしたいと思うのです。  もう一人、野田明という方です。この方は広島県の出身で現在五十二歳の方なんですが、私のところにやはり相談が持ち込まれているのです。  この方はどういう方かというと、大連で関東軍の三八〇部隊に所属をしたのですが、軍人じゃないのです。この部隊は陸軍の馬を補充する部隊で、この付属の獣医講習所の講習生だったのです。問題は、B52の爆撃をその部隊が受けまして、付近の部落に緊急に馬を避難させた。爆撃後この馬をまた集めようとしたけれども、馬が非常に興奮していたために野田さんが馬にけられて頭の骨が陥没して意識不明という状態で大連の陸軍病院に入院したわけです。その後約二カ月間人事不省、危篤という状態が続いたのですが、若くて体力があったためだと思いますけれども回復して、その後一年間の短期養成を受けて軍の副獣医になったわけであります。  ところが敗戦後、獣医としての技術を持っておるというので今度は八路軍に引き続いて引っ張られて中国の内戦に参加させられて、ここでまた迫撃砲弾が近くで破裂して盲管銃創も受けるというけがをして、その後遺症でいまでも長いこと立っていることや正座ができない。先ほど申し上げた頭をけられた後遺症としてはいまでも激しい頭痛にしばしば襲われて記憶力が非常に減退している、こういうような状態だというわけです。  御本人は、昭和三十四年三月一日に傷痍軍人会を通じて広島県で手続をしたそうです。ところが村の兵事係の方に軍属になったという報告が来ておらぬで、厚生省の方ではこれは一般邦人だということで書類が突っ返されて、何遍も書類が往復しているのです。私、お預かりしたものをここに持っていますが、こんな古い書類ですが、何枚も付せんがついて往復して、結局この方の場合にはあきらめてしまったという状態なんです。そういう意味では、厚生省がこういうような見解を示したことが決定的な原因になってこういうことになったという点では厚生省に大きな責任があると私は思うのですけれども、果たしてこれは一般の邦人なのか、そういうように軍に副獣医としてちゃんと所属して活動しておった、けがをしたのは講習生当時ですけれども、この人は一般邦人ではないんじゃないだろうかと私は思うのですが、その点がどうか。  また、抑留中に八路軍のそういう戦争にまき込まれてけがをした、この後遺症なども障害年金対象になるのではないかと私は見るけれども、こういうようなケースはいかがですか。
  268. 持永和見

    持永政府委員 確かにこの方が請求されました時点と現在とでは少し事情が変わっておりまして、その点を御説明申し上げた方がいいかと思います。  義勇隊訓練生としてこの方は恐らく関東軍に入隊されたわけでございまして、当時の概念といたしましては訓練生自体が具体的に軍属に果たしてなったかどうか、その辺は私どもちょっとわかっておりませんが、いずれにいたしましてもこの方は義勇隊の方でございます。義勇隊の方は昭和四十五年の改正によりまして準軍属範囲に入れられております。たしか障害年金の請求をされたのは三十年代だと思いますけれども、まだ義勇隊方々が準軍属範囲に入らない時点でございますので、そういう意味合い軍属いかんという問題が出てきたんだと思いますが、現在の時点から振り返りますれば、これは義勇隊訓練生の方でございますので、そういう意味合いで制度的には処遇対象になるというふうに考えられますが、なお、個別のケースでございますので、ひとつ私どもの方で後で御相談をさせていただきたいというふうに考えております。
  269. 小沢和秋

    小沢(和)委員 最初にも申し上げましたとおり、いまの方などは、局長お話では、十分に制度の改正改善などが伝わっておれば、もう御本人の方から自主的に手続をされたかもしれないケースだと思うのです。その点でもぜひ周知徹底に一段の努力をお願いしたいと思います。  次の問題に進みたいと思うのですが、二番目の問題は、中国残留の孤児問題です。先ほどから大分議論をされておりますけれども、私も幾つか質問したいと思うのです。  私も、先日一時帰国をされた約五十名の孤児の方が全員肉親にめぐり会ってほしいということを願っておったわけでありますけれども、結果としてはかなりの方がめぐり会うことができないままに帰国しなければならないというような状況になったわけです。私まずお尋ねしたいと思いますのは、この肉親にめぐり会えなかった人たちも、皆さん方がいろいろな角度から日本人に違いないというふうにほぼ確信を持ってこちらに呼んだ、中国側もそういう判断で送り出したという人たちだというふうに聞いております。こういうような人たちが、日本身元を引き受ける人がいなければ帰国を認めないというような従来の扱いで、帰る道を閉ざされるというようなことがあってはならないと私は思うのですね。  今後この点については態度を変えて、少なくともいま言った程度に確信が持てるような人たちについては無条件で受け入れていくべきだというふうに態度を変えていくべきではないだろうか。この点いかがですか。
  270. 持永和見

    持永政府委員 いま先生指摘の問題は法務省の入国管理の問題かと思いますけれども先ほど来法務省もお答えしておりますように、日本人の血統があるというようなことでありますれば、できるだけ入国について便宜を図りたいというような考え方で法務省も臨んでおるようでございます。
  271. 小沢和秋

    小沢(和)委員 そうすると、少なくともこの前一時帰国をして、残念ながら会えずに帰ったような人たちも、本人たちが希望するならば、政府としては無条件で受け入れるというふうにいまの答弁は理解してよろしゅうございましょうか。
  272. 持永和見

    持永政府委員 先般帰りました残留孤児の中で肉親解明ができた人、残念ながら肉親解明ができなかった人、こういう方たちがおられます。残念ながら肉親解明のできなかった人たちにつきましても、御本人たち日本にぜひ帰りたい、日本に永住したいという希望が強い、そういった心情を強く持っておられるのは事実でございます。  私どもとしてはそういう心情にできるだけこたえなければならぬというような気持ちを強く持っておりますが、一方中国側では、先ほども議論に出ましたように、三十五年間養親の人たちがこういった人たちを育てたという問題もございます。そういったことで、中国側の理解と協力も必要でございます。  一方私ども日本の側といたしましては、受け入れ体制の問題がございます。まず入国に当たりましての身元引き受け、あるいは日常の世話といったような問題がございます。先ほど入国管理の話はちょっと申し上げましたけれども、受け入れ体制といたしましても、こういった人たちにつきましては日本人肉親がないわけでございますので、何か身元を引き受ける方あるいは日常の世話をされる方、そういった方が必要じゃないかと思います。そういった意味合いで、そういった点におきましては今後里親制度の活用といったような問題につきまして、私どもとしては十分検討してまいりたいというふうに考えております。
  273. 小沢和秋

    小沢(和)委員 そういう受け入れの体制を整備していくということはもちろんやらなければいけないと思うのですけれども、基本的な態度として、とにかくそこまで日本人だということについてほぼ確信の持てるような状態になった人については帰国は無条件で受け入れていく、その上で受け入れ体制の整備に万全を期していくということでなければならないと思うのです。  次の質問ですけれども中国の方から調査依頼されている人が千数百人とか、日本の国内で届け出などで判明しているだけでも三千数百人とか、こういう孤児人たちがいるということが先ほどからお話があっております。五十五年度からこの方たちの肉親捜しが始まったのは大変結構だと私は思うのですが、五十六年度の予算は六十人分というふうに承知しているわけです。そうすると何千人という人たちがいるのではないか。実際に千数百人の問い合わせがあっているという中で、幾ら始まって二年目といっても、六十人というのはこれはテンポが遅過ぎると思うのです。もうこの方たちも四十前後、そうすると親は七十からどうかしたらもうそれよりずっと上になってくるでしょう。そうすると、本当にここ数年の間に集中的にこの人たち肉親に会えるように努力をしていかなかったら、もう永久にそういうチャンスを失いかねないようなタイミングだと思うのです。だから少なくとも私は五十六年度をもっとまず緊急に大幅にふやしもするし、今後も何年間でやるかということについて早急に、緊急にそこのところの見通しを立てて仕事をしてもらいたいと思うのです。いかがでしょうか。
  274. 持永和見

    持永政府委員 御指摘のように残留孤児の数は大変多いわけでございます。こういった人たちにつきまして、実は従来もいろいろな形で調査をやっておりましたが、今回初めて訪日による調査という形をとったわけでございます。それで私ども先ほども申し上げましたけれども、果たしてどのくらい見つかるだろうかという危惧もいたしておりました。危惧もいたしておりましたが、関係方々、特に新聞、テレビなどの大変な御協力を得まして、それなりの成果が上がりました。私どもはこの成果を踏まえてこれからの問題を十分考えていかなければならないと思います。  ただ、申し上げておきたいのでございますけれども訪日調査をする場合には、個々の人たちに全部面接調査をいたします。面接調査をいたしまして事情を詳しく聞きまして、そういったことで、せっかく来日されたからには詳細な調査、できるだけ専門的な調査をするというのでないと、浅く広くやって成果が上がらないんでは、これはせっかくの訪日調査もそれなりの実効を持たないわけでございますから、そういう意味合いで私どもの方も、さっきも大臣がちょっとお触れになりましたが、事務的な受けざらの問題もあるわけでございます。そういう意味合いから、昭和五十六年度とりあえず予算では六十人ということになっていますが、五十七年度以降の問題といたしましては、今回の結果を踏まえましてさらに回数をふやすとかそういったこととか、あるいはこれと並行いたしまして残留孤児の実態の把握、こういったものをもう少し積極的にいろいろな角度からやっていかなければならない。これは外務省なりあるいは中国側の理解と協力を得つつやらなければいけないわけでございますけれども、そういった面と両面でこの問題の解決にできるだけの努力をしていきたいというふうに考えております。
  275. 小沢和秋

    小沢(和)委員 五十七年度以降については回数も含めてふやすというお話だったように思うのですが、五十六年度もまだ始まったばかりです。五十六年度の六十人というのを、まず現実的に一生懸命努力をしたとしたらここまではいけるんじゃないかということも、私はあなた方の姿勢を示す試金石じゃないかと思うのですよ。五十六年度はどうですか。
  276. 持永和見

    持永政府委員 実は先般三月に実施したばかりでございますので、ひとつ五十六年ということで御理解いただければ、五十六年、ことしは二回やるということで、今回は御理解をいただくようにお願いを申し上げたいと思います。
  277. 小沢和秋

    小沢(和)委員 五十六年度は、いまのお話からすると六十人ということで変化がないように聞こえるんだけれども、私はこれではやはり姿勢として大変不十分だ。先ほども言ったように、ここ数年のうちにこういう人たち肉親捜しというのはもう精力的にやって、帰ってこれる人は帰すようにしてやらなければもう永久にチャンスがなくなるのですから、ちょっと私は姿勢が悪いと思うのです。  大臣、いかがですか。
  278. 園田直

    園田国務大臣 できるだけ努力をいたします。
  279. 小沢和秋

    小沢(和)委員 それでは、もう一つの問題ですが、これは先ほどから問題になっていることですね。これまで育ててくれた中国の養父母に対してどうするのかということです。これは感謝の言葉をささげるというようなことだけでは、感謝の仕方としても大変不十分だということなんですが、それだけじゃなくて、やはり中国の養父母も年をとっている。どの程度老後の保障があるかというようなことについては私よく存じませんけれども、いままで自分が一生懸命育ててきた子供がそういう形で去ってしまうということになれば、やはり老後の不安という点が非常に大きくなる。そのことが日本人孤児、たとえばせっかく肉親がわかったとしても、帰る上で大きなブレーキになるのじゃないかと思うのですね。  だから、この人が帰れるようにするためにも、また本当の意味で日中友好のために、この養父母に対してどれだけわれわれが感謝をしておるかということを示す意味でも、これはやはり物質的な形、まあお金というのが一番いいのかどうかちょっと私よくわからないが、やはり金じゃないかと思うのですね。これは日本政府としてそういうようなことも考えてしかるべきじゃないのでしょうか。
  280. 持永和見

    持永政府委員 確かに三十何年間にわたりまして孤児を育てていただきました養父母の方には、日本国民として、日本国として十分な感謝をささげなければならないと思います。ただ、この問題は何せ中国におられる養父母の方々の問題でございます。そういった先生の議論もありましたということを踏まえまして、今後この問題に対処していくつもりでございます。
  281. 小沢和秋

    小沢(和)委員 先ほどから、中国だけでなく各地にそういう不幸な人たちが残っているというお話がありましたけれども、本当に胸が痛む話で、私たちはこういう人たちが皆祖国日本に帰ってくるような状態になるまでは戦後は終わっていないということを肝に銘じなければならないと思うのです。ぜひ政府当局の一層のこの点についての努力をお願いしたいと思います。  そこで、次の問題なんですが、今度は孤児だけじゃないですよ、中国から帰国された人たちの受け入れの問題ですね。社会制度も違う、それからまた中国語しか話すことができない、こちらの方に何の生活の基盤もないというような人たちが、帰ってきて日本のこの社会の中でちゃんと生活をしていくためには、それなりに手厚い援助の手が差し伸べられなければならないと思うのですけれども、結局この日本の社会に溶け込むことができずにまた中国に戻ったような人たちもかなりおるというような話も聞くのです。日本の人が日本に帰ってきて日本でいわば受け入れられなかったというか、失望して帰っていった。私はこれほど残念なことはないと思うのですけれども、どの程度そういうような人たちがおられるのか、わかっている範囲でお示し願いたいと思います。
  282. 持永和見

    持永政府委員 中国からの引き揚げは、先生御承知のように、日中国交が回復いたしましてからやられているわけでございますけれども、その中で、永住を目的といたしまして引き揚げてこられて、さらにどうしてももう一遍中国に帰らなければならぬという残念な事情が生じました世帯の方方は、全体の帰国者と申しますか引き揚げ者が九百三十二世帯、その中で十三世帯の方々が再び中国へ帰っておられます。
  283. 小沢和秋

    小沢(和)委員 そういうような人をぜひなくしたいものだと思うのですが、帰国して一番苦労するのはやはり言葉の問題だろうと思うのですね。先ほどからのお話をいろいろ聞いていると、この言葉の習得についての援助というのは非常に不十分じゃないかと思うのですね。  これは確認する意味お尋ねするのですけれども厚生省の方がこの日本語の習得のための援助ということで具体的にやっておられるのは、テープレコーダーとカセットを提供して教本を与える、これだけでしょうか。
  284. 持永和見

    持永政府委員 御指摘のように、帰国されましたときにテープレコーダー、カセットテープを教材として支給いたしますほか、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、生活指導員という人たちを一年間月に四回ずつ派遣いたしております。この生活指導員の人たちは、引き揚げ者のOBの方々でございまして、日本語、中国語両方の言葉が話せる人たちを選んでそういう人たちになってもらっておりますが、こういう人たちによりましても日常会話の教習を十分やっていただくようにお願いしているところでございます。
  285. 小沢和秋

    小沢(和)委員 それにしてもやはり非常に不十分じゃないかと私思うのですね。  それから、文部省の先ほどからのお話を聞いていると、結局国にはこういう特に大人の人が海外から帰ってみえた場合に——海外と一般的に言っちゃいけませんね。やはり中国から帰ってきた大人の人で日本語が全くわからないというような人たちに対して教育をする制度はないというふうに私には聞こえたのですね。県などが単独措置でやっているのが幾らかある、それからボランティアでやっているものがあるというお話だったと思うのですが、そう理解していいかどうか。  それからそのボランティアが何か二百五十カ所ぐらい学校のようなものあるいは講座ですか、開いているといったような話だったように思うのですが、正確に何カ所ぐらい、何府県ぐらいにまたがっているか、お尋ねしたいと思います。
  286. 塩津有彦

    ○塩津説明員 先生おっしゃいましたように、文部省としてそのための独自の制度というのはただいまございません。先ほど来お答え申し上げておりますように、中学校の夜間学級に二百七十名、それから民間の日本人学校数校に二百数十名の大人の中国からの引き揚げ者の学習者がおりまして、それらには相応の教材の配付とかあるいはそこの学校の先生の研修とか、いろいろな措置を講じておるところでございます。  それからボランティアの問題は、文部省として特別やっておるわけではございません。
  287. 小沢和秋

    小沢(和)委員 いまお話がありました夜間中学というのは、私が承知しているのでは、東京で八校が受け入れていて二百六十七名、四校で日本語学級が開かれて、二百四十八名が直接日本語の勉強をしているというふうに聞いております。大半が二十、三十、四十代、八割ぐらいですかね。しかし十代の学齢児も夜間中学に来ている者がいる。  この人たちがどうして夜間中学に来るようになったかというようなことについて私も若干調べてみたのです。そしてわかったことは、一たんは地方の肉親のもとに帰った。しかし地方ではそういう日本語を勉強したりするチャンスがなくて、いつになっても日本の社会に溶け込むことがなかなかできないというので、意を決して上京してきたという人が多いのですね。私が何人かの話を聞いたところでは、この夜間中学に入っている人は七九年ごろに帰国をされた方が多いのですが、遠いところは北海道あるいは九州などに一遍落ちついて、日本語の学級がないからというので一家を挙げてとかいう形で上京してきている人が多いのですね。  だから、私はこういう実態を見てみると、やはり地方にもっと日本語を勉強する学校を国として積極的に配置をしていく必要があるのではないかと思うのです。そういう施設がないものですから、いま言ったように上京してくるというのですが、この四校自体がもうパンク状態になっているのですよ。都の教育委員会とか区の教育委員会などが、他の地区、たとえば神奈川県とか埼玉県などから通って入りたいというふうに言ってきているような人たちについては、もうこの四月からは御遠慮くださいということで入れないようにしたということも聞いているんです。  こんなことになったんじゃ本当に困ると思うのです。国としても直ちに都などに対して援助の手を差し伸べて、少なくとも希望する人たち日本語を勉強できるような保証を与えていただきたいし、東京だけに偏って集中するという背景にはいま言ったようなことがあるんですから、どうしても地方にその実態に即して計画的に配置をするということを考えなければいけないんじゃないでしょうか、文部省にお尋ねします。
  288. 垂木祐三

    ○垂木説明員 中国から引き揚げてまいりました人たちに対します日本語教育の役割りを果たしている一環といたしまして、ただいま御指摘のありましたような中学校の夜間学級が現実の問題として大きな機能を果たしておるわけでございます。これは実は全国に三十校ほどございまして、その中で東京にも何校かあるわけでございますけれども、いま御指摘がありましたようにその夜間学級の中で四つの学校につきましては特に日本語学級というのを設けておるわけでございます。全国的に見ますと中国から引き揚げてまいりました者が二百七十名ほど入っておるわけでございます。  それから先ほど指摘がありましたように、一たんは各地に落ちつきながら日本語を勉強するためあるいは住居の問題もございまして、東京などにまた出てまいりましてこのような夜間学級に入っておるのが現実でございます。そのような現実の問題につきましては文部省の方としても十分対応していかなければならないわけでございまして、現在も夜間学級調査費というような形で経費を出しておりますし、あるいはそこに入っている人たちに対しましては教科書の無償給与をするとかというような施策を講じておるわけでございます。  ただ、この引き揚げてまいりました人たちに対しましては国全体として日本語教育をどうするかという問題を真剣に考えていかなければならないわけでありますけれども、この人たちは夜間学級に参りましても、中学校の勉強をするということよりもどちらかと申しますと日本語の勉強をしたいんだ、こういうような気持ちが強いわけでございます。中学校という面から申しますと、日本語、国語以外にもいろいろな教科を勉強しなければならないというようなカリキュラムの上のむずかしい問題もいろいろあるわけでございます。そういうようなことを含めながら今後考えていかなければならない、こういうふうに思っておるわけでございます。
  289. 小沢和秋

    小沢(和)委員 私ここで一つ提案したいと思うのですよ。これはぜひ厚生省や文部省など関係者人たちで検討していただきたいと思うのです。  この提案のヒントは、先日神奈川県の大和市にあります難民センターを視察して自分なりに考えたことなんですが、この難民センターに収容されている人たちはいわば招かれざる客ですよ。しかし人道的な見地でわが国が受け入れて居住することを許し、家族ぐるみでこのセンターに収容して三カ月間日本語教育を集中的にやって就職なども世話して送り出すということをやっているわけなんです。私はこの難民センターを見ながら、建物はちょっとぼろですけれども、やっている施策内容中国から引き揚げてきた日本人に対するよりも手厚いのじゃなかろうかという感じが、率直なところ言ってしたのです。特に日本語教育のやり方は非常に教えられるところがあると思ったのです。  ここでは学齢前から六十歳台くらいまでいろいろな年代の人がいるわけなんです。確かに子供、若い人ほど適応能力は旺盛です。しかし基本的には三カ月間で読み書きまで含めて日本語を使いこなせるようになるのです。ここでの特徴は、日本語だけで日本語を徹底して教えるのです。だから、初めはそれこそチンプンカンプンだけれども二、三週間するとぱあっと進歩が始まって、三カ月するとただ日常的な会話ができるというだけじゃない。私が行ったときには敬語の使い方なども教えておりましたし、ひらがな、かたかなから漢字も四百字、その三カ月間で教えるのですよ。そうするともう、卒業するときの作文を見せてもらいましたけれども日本でも小学校の上級生くらいには当たるのじゃないかと思うくらい漢字も使ったりっぱな作文を書いているのです。  だからこういうことを中国から引き揚げてこられた人たちにも発想としては応用できるのじゃなかろうか。まず日本の社会に受け入れるために一カ所へ全部家族ぐるみで入っていただく。言葉が全然わからない人、それを教えるという点では難民センターでやっているのと同じようなやり方で三カ月間徹底的に全部に教えるというようにして、それをマスターするのを待って郷里なりあるいは就職先なりに落ちつけるようにしていく、こういうような仕組みは大いに考えるに値するのじゃなかろうかということを私はそのとき見ながら感じたわけであります。  戦争の一番の犠牲者であるこういうような帰国者の人たちに対して、難民に対してこれだけの日本語教育あるいは日本社会に受け入れるための教育をやっているのと比べたら、いまの体制はちょっとお粗末じゃなかろうか。こういう発想にならった制度を考えてみる必要はないかどうか、お尋ねしたいと思います。
  290. 持永和見

    持永政府委員 今日までの中国からの引き揚げ者の方々でございますが、こういった方々は難民の方々と違いまして家族を持って引き揚げてきておられる方が大部分でございます。そういった意味で家族の態様もまず違っております。それから帰られる時期がそれぞれ御本人の希望する時期になっておりまして、そういう意味合いで帰国の時期も違っております。それから帰国方法も違っているというようなことで、個々ばらばらに帰ってこられるというような実態でございますために、いま先生指摘のようなそういったセンター的なところに一カ所に集めて集団的に語学教育をするということと実態上なかなかなじまないという問題があったわけでございます。  これから、先ほど来御議論になっております中国残留孤児の問題がございますが、これは中国側の御協力、御理解も必要だと思うのですけれども、仮に集団でお帰りになるというような態様が出たということになりますと、いま先生が御指摘のような、そういった一カ所に集めて徹底的な語学教育をするというような方法もあるいは考えられるかと思います。  先般も実は私どもの方の課長が難民センターを見てまいりまして、そういったものを参考にしてこれからの施策のあり方について検討させていただく一つの材料として見てまいりましたが、なお文部省、外務省あたりとも十分御相談して、そういった問題についても検討さしていただきたいというふうに考えております。
  291. 小沢和秋

    小沢(和)委員 ではこれで最後にしたいと思いますけれども、最後に大臣に一言お尋ねしたいと思うのです。  就職の問題やらはもう時間もありませんからきょうは省略しますけれども、就職もこういう言語のハンディなどもありますし、また四十に手が届こうかということになりますとわれわれの周辺を見てもそのころから就職というのはなかなかむずかしい。だから、これから中国などから孤児人たちども本格的に受け入れようというようなことも含めて考えてみるならば、この機会に今日の段階で必要とする、こういう帰国者の受け入れについての体制、システムというか、もう一度見直してみる必要があるのじゃなかろうかと思うのです。特別立法というようなこともあるいは必要かというような気もするのですけれども、そういうようなことも含めて、今日の段階にふさわしい帰国者の受け入れ体制を総合的に見直して、もう一度検討してみるという必要をお感じになっていないかどうか、お尋ねしたいと思います。
  292. 園田直

    園田国務大臣 中国からの引き揚げ者の方々の定着問題、受け入れ体制、援護施策、住宅、就労、言語、こういうものを総合的に準備をすることは確かに必要でございます。特別立法ですることまでは考えておりませんけれども外務省、文部省、関係各省と厚生省が中心になって連絡会議を開きまして、総合的な体系を検討する所存でございます。
  293. 小沢和秋

    小沢(和)委員 終わります。
  294. 山下徳夫

    山下委員長 これにて本案に対する質疑は終局いたしました。     —————————————
  295. 山下徳夫

    山下委員長 この際、今井勇君から、自由民主党提案に係る修正案が委員長の手元に提出されております。  提出者より趣旨の説明を求めます。今井勇君。
  296. 今井勇

    今井委員 ただいま議題となりました戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する修正案につきまして、自由民主党を代表いたしまして、その趣旨を御説明申し上げます。  修正の要旨は、本法律案中「昭和五十六年四月一日」施行となっている戦傷病者戦没者遺族援護法による障害年金遺族年金等の額に関する改正規定及び未帰還者留守家族等援護法による留守家族手当の改正規定については、これを「公布の日」から施行し、昭和五十六年四月一日から適用することであります。  何とぞ委員各位の御賛同をお願いいたします。
  297. 山下徳夫

    山下委員長 以上で修正案の趣旨説明は終わりました。     —————————————
  298. 山下徳夫

    山下委員長 これより原案及び修正案を一括して討論に付するのでありますが、その申し出がありませんので、直ちに採決に入ります。  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案及びこれに対する修正案について採決いたします。  まず、今井勇君提出の修正案について採決いたします。  本修正案に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  299. 山下徳夫

    山下委員長 起立総員。よって、本修正案は可決いたしました。  次に、ただいま可決いたしました修正案の修正部分を除いて、原案について採決いたします。  これに賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  300. 山下徳夫

    山下委員長 起立総員。よって、本案は修正議決すべきものと決しました。     —————————————
  301. 山下徳夫

    山下委員長 この際、戸沢政方君外六名から、自由民主党、日本社会党、公明党・国民会議、民社党・国民連合、日本共産党、新自由クラブ及び社会民主連合七派共同提案に係る本案に附帯決議を付すべしとの動議が提出されております。  提出者より趣旨の説明を求めます。戸沢政方君。
  302. 戸沢政方

    戸沢委員 私は、自由民主党、日本社会党、公明党・国民会議、民社党・国民連合、日本共産党、新自由クラブ及び社会民主連合を代表いたしまして、本動議について御説明申し上げます。  案文を朗読して説明にかえさせていただきます。    戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)   政府は、次の事項につき、格段の努力を払うべきである。  一 国民の生活水準の向上等に見合って、今後とも援護の水準を引き上げ、公平な援護措置が行われるよう努めること。    なお、戦没者遺族等の老齢化の現状及び生活の実態にかんがみ、一層の優遇措置を講ずるとともに、援護の水準の引上げに伴って被用者医療保険における被扶養者の取り扱いが不利にならないよう配慮すること。  二 第二次大戦末期における閣議決定に基づく国民義勇隊及び国民義勇戦闘隊の組織及び活動状況等について明確にするとともに、公平適切な措置をとり得るよう検討すること。  三 満洲開拓青年義勇隊開拓団については、国境及び満鉄警備等に関する事実を調査するため、関係者と連絡を密にし、一層資料収集に努め、問題解決のため努力すること。  四 戦没者遺族等の高齢化が進んでいる現状にかんがみ、これら遺族の心情に十分に配慮し、海外旧戦域における遺骨収集、慰霊巡拝等については、更に積極的に推進すること。  五 生存未帰還者の調査については、引き続き関係方面との連絡を密にし、調査及び帰還の促進に万全を期すること。  六 中国残留日本人孤児肉親調査を今後とも積極的に推進するとともに、帰国を希望する孤児の受入れについて、関係各省及び地方自治体が一体となって必要な措置を講ずること。    また、中国からの引揚者が一日も早く日本社会に復帰できるよう、その対策に遺憾なきを期すこと。  七 原子爆弾による放射能、爆風、熱線等の傷害作用に起因する傷害、疾病を有する者に対する障害年金の支給及び死亡者の遺族に対する弔慰金、遺族年金等の支給に当たっては、現行援護法の適用につき遺憾なきを期すこと。  八 法律内容について必要な広報等に努める等更にその周知徹底を図るとともに、相談体制の強化、裁定等の事務の迅速化に更に努めること。 以上であります。  何とぞ委員各位の御賛同をお願いいたします。
  303. 山下徳夫

    山下委員長 以上で趣旨説明は終わりました。  採決いたします。  戸沢政方君外六名提出の動議に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  304. 山下徳夫

    山下委員長 起立総員。よって、本動議のとおり本案に附帯決議を付すことに決しました。     —————————————
  305. 山下徳夫

    山下委員長 お諮りいたします。  本案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  306. 山下徳夫

    山下委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。     —————————————     〔報告書は附録に掲載〕     —————————————
  307. 山下徳夫

    山下委員長 この際、厚生大臣から発言を求められておりますので、これを許します。園田厚生大臣
  308. 園田直

    園田国務大臣 ただいま決議されました附帯決議につきましては、その御趣旨を十分尊重いたしまして努力いたす所存でございます。
  309. 山下徳夫

    山下委員長 次回は、来る十四日火曜日、午前九時四十五分理事会、十時委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。     午後五時十七分散会      ————◇—————