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殿岡参考人 御
紹介いただきました
殿岡でございます。
私は政治学を専門にしておりまして、特に東南アジア地域の勉強をしておるものですから、必然的にインドシナの問題あるいは
難民の問題とかかわりが出てまいりまして、
日本の
国内で
難民との接触がもちろんございますけれども、さらにタイですとか、マレーシア、香港、そういった地域の
難民キャンプを調査いたしましたり、また、
日本を経て
第三国に再
定住をした
人たち、アメリカとかカナダとかフランスにおります
難民を訪ねて調査をいたしますとか、そんなこともやっております。また、
日本から東南アジア地域の
難民キャンプに物資を送る団体といたしまして
インドシナ難民救援センターというのがありますけれども、そこの代表をいたしまして、さらに最近、今回の御審議とも深い
関係のあります
日本に
定住した
難民の問題を考えます
インドシナ難民共済
委員会、これは
難民同士が助け合うのをさらに
日本人が助けていこうということで先月発足したものでありますけれども、この事務局長を務めております。そんな
関係のある者といたしまして、この
難民条約、
インドシナ難民との関連におきまして少し御
意見を申し上げたいというふうに思います。
最初に私、
難民問題にかかわるときの率直な気持ちをまず申し上げてみたいと思うわけでありますけれども、この気持ちは大変分裂した気持ちといいますか、悩ましい気持ちといいますか、
自分の気持ちの中に衝突する二つの
考え方があるというふうに思うわけであります。
一方におきましては、
インドシナ半島の方ですとか、あるいは
日本に来られた方ですとか、さらに
第三国へ行かれた方、
難民の方に接触して、やはり大変気の毒に思うわけです。できることは何でもしてあげたいし、またこの
日本は非常に豊かな国で自由な国ですからもっといろいろなことができるのではないか、そしてまた、政府もそういうことについてもっと努力していただきたいということを一面で非常に強く感ずるわけです。
ところが一方に、これまた率直に申し上げますが、
日本の
社会というのは
日本人が単一民族として長く
生活をしてきて、それゆえに平穏であったというふうな気持ちがありまして、
難民を
受け入れてこれから三十年、五十年、ほとんど半永久的にわれわれと一緒に住んでいくということについてちゅうちょする気持ちがないと言ったらうそになると私は思うわけです。これは私の個人的な感情だけでなくて、実は
日本人の多くの人々にそういう二つの気持ちが交錯をして、そして
日本人にとってこの
難民問題が非常に特殊なむずかしい問題となっているのであろうと思うわけです。
これは私は
日本人が単に冷たい民族だとかいうふうなこと、あるいは政府の姿勢が非常にかたくなであるということだけでなくて、歴史的な背景というものがやはりあると思います。二千年ぐらいの間、みずから
難民になった経験が幸いにしてなかったわけですし、また
難民問題に深くかかわるという必要もないままにやってこられたわけです。さらに、
難民を
受け入れたくないということが国際的に、まあ許されてきたわけではありませんけれども、それほど強い反発を招かないでこれまでは来られたというふうなことから、やはり単一民族で住んできたし、これからも住んでいきたいという気持ちが一方にある。これは否定できないことですし、またわれわれが
難民問題を考えるときに基礎的な
一つの
要件として心得ていかなければならないことだろうと思います。
しかし、すでにもうそれだけでは済まない、そういったことは国際世論からすれば余りに利己的だというふうな批判にも直面しまして、われわれとしてはいままでの
考え方を
修正せざるを得ないところ、ぎりぎりのところまで来ているということだろうと思うのです。したがって、この
難民条約の
批准ということもこうして御審議に出てきたかと思います。
しかし、先ほどの二千年の経験と申しますか、またその経験に裏づけられた感情というものは非常に根深く存在をしていて、これからわれわれがこの二千年の経験というものを違った方向に、
国際社会で要求されている方向に次第に変えていく、つまり国を開いて
難民を
受け入れ、そしてその
定住を認め、さらにその
定住の条件をよくし、そして五年、十年住む問題ではなくて、われわれと永久的に
生活をしていくという決意を
国民全体が持つというふうなことになっていくわけでして、そういう
意味では大変重大な問題であり、また、
日本の
社会の本質にかかわる画期的な問題であると思うわけであります。そういう
意味で、私は
日本人全体が、マスコミなりあるいは本
委員会を含みます
立法府というものも、そういう決意に立ってこの問題を考えていかなければならないのではないかというふうに思うわけであります。
さてそこで、私は、
難民条約及びそれに関連します
法律改正全体につきまして、基本的には、遅きに過ぎたことかもしれないけれどもここで
批准をなさるということはいいことだというふうに思うわけです。
この
難民条約を
批准することによって、いままで単に
外国人として
日本に居住を許される、しかもその
権利関係というものが不安定であった人々に対して、この
難民条約にありますように、
日本人と全く同じような待遇が受けられるというものとして第十四条、十六条、二十二条あるいは二十四条というふうなものがあるのは御承知のとおりでありますし、また、最恵国待遇という形で十五条、十七条の定めがございます。また、一般に
外国人に対して与える
処遇より不利でない条件で
処遇を受けられるという定めが十三条、十八条、二十一条というふうなところにありまして、
難民として
認定を受けた
人たちに対して従来よりもその立場が有利になるということは明らかであり、この点からしましてこの
難民条約を
批准するということはその
人たちにとって大変いいことであるということは間違いないところであります。
しかし同時に、この関連法規の制定の仕方、改正の仕方によってはさまざまな問題があるということもすでに指摘されているとおりでありますけれども、先ほど申し上げました
日本人の感情というふうなこと、あるいは経験の乏しさというふうなことから、次第にその内容を向上させていくということを期待したいというふうに思うわけであります。そして、この
難民条約を
批准することが、
国際社会においていままで
日本社会が受けてきた国際的な批判というものを緩和するという方向も出てくると思いますし、また、実際
日本に
難民として入ってきた
人たちに対する
処遇の改善ということが結びつくことはいいことであると思うわけです。その反面に
日本の負担が増加するとかいうふうな問題がありますけれども、これは国際的にわれわれが引き受けるべき
義務の一端であるということで、
日本社会が、
日本国民が納得していけるところであるというふうに思うわけであります。
しかし、そうした全体的な評価とは別に、私は一面に非常に深刻な問題があるというふうにやはり考えざるを得ない面がございます。
それは、第一条にございます「
難民」の定義が非常に厳しいものであって、これでは、たとえばいま
日本社会が一番深刻な問題として直面をしております
インドシナ難民の救済という問題についてはどこまでこの
難民条約が有効になるかということは疑問である、これは多くの
方々が指摘されているところであります。つまり「人種、宗教、
国籍若しくは特定の
社会的集団の構成員であること又は政治的
意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために」というようなことが
要件になっておりますけれども、そのおそれが十分に理由があるかどうかということ、これは非常に説明しにくい点があると思います。
申請をして、そして
審査に当たる人にこの十分な理由を付して果たして説明ができるものかどうか。たとえば証拠書類その他を滅失しているということもあるでしょうし、また、いまの考えとしては個別の迫害というものが
一つの基準になるように聞くわけであります。つまり、体制が変わって全般的に
生活がむずかしくなってきたとか、あるいは自由について制約が出てきた、あるいは自由の抑圧ということが出てきた、そしてそれを恐れて脱出したとか、あるいは
生活困難というふうな理由でもってインドシナの地域を離れた人というのが実は多いわけでありますけれども、こういった場合にはこの第一条で言う「
難民」に当たらないということになると思われるわけです。
そうしますと、この
難民条約の提案趣旨の中にもちょっとございますけれども、現在アジア地域に出ている
難民の問題に対処するという
意味を含めてこの
難民条約を
批准するということは多少矛盾しているように私は思うわけであります。これは、この定義はもちろん国際的に共通のものでありますから、
日本だけの問題ではないと思いますけれども、いままで諸外国でも相当厳しいものとしてこの適用に問題が指摘されてきたわけでありまして、
日本としてもこうした厳しいものをそのまま適用するのかどうか、私はこの辺に大変関心を持つわけでございます。
それからもう一点御指摘をしたいのは、第三十四条に帰化の問題が定められてございまして、その中に「
社会への適応及び帰化をできる限り容易なものとする。」こういうふうにうたわれておりますけれども、具体的にそれでは
社会への適応を容易にするためにどういう
措置を考えているか、あるいは帰化をできる限り容易なものとするためにどんなふうなことを考えられているのか、法的にまたそういう準備をなさっているのかどうか、これは私の見ました限りの資料にはないようでございまして、こういう用意がないままにこの三十四条の定めを
受け入れていくことが実際にこの適用を受ける
人たちにとってどういう法的効果があるのかということを心配するわけであります。
現に
日本に入ってきておりますインドシナの
難民につきまして、御承知のとおり
インドシナ難民定住促進センターというところで、ここで言う言葉ですと、「
社会への適応」ということの援助が行われていると思いますが、いま行われております三カ月の訓練、語学、職業訓練、職業あっせんあるいは
日本社会の学習というふうなことが、現在私の考えでは非常に不十分な形でしか行われていないと思われるわけです。
日本語という言葉ができないで
日本の
社会で
生活することはほとんど不可能に近いわけでありますけれども、
現実にインドシナから出てくる
人たちは、
日本語の素養が全くありませんで、むしろフランス語とか英語ならば多少はできても、
日本語という言葉は全く初めての言語であって、これを三カ月、確かに集中的にやっているというふうなことも伺いますけれども、実際そこを出てきた
人たちに会って話をしてみても、
日本の
社会で自立してやっていける、あるいはやっていけるに違いないというふうなことを感ずることがかなりむずかしいわけであります。
また、そのセンターを出た後、
日本の
社会で就職をしたり学校に入ったりして現に
生活をしているわけでありますけれども、
日本人との間にトラブルがかなり起きていて、その多くは言語のほかにいろいろ
日本の
社会についての無知というふうなことから来ていることが多いわけでありまして、
日本の
社会に対する
教育も不十分ではないかと思います。
また、就職につきましても、中小零細のところが多いのは仕方がないとしましても、
難民の間には、
定住センターで聞いたような就職条件とは大変違っている、給料が半分くらいであったとか、あるいは労働時間が十二時間あるいはそれ以上であったとか、休日を望むようにはくれないとかいうことで、最初に就職したところから短期間で転職をしている、転職をするたびに職場が悪くなってくるということも例として少なくないわけであります。
こうした状況を考えまして、また
日本の
社会に
難民条約の適用を受ける
人たちの適応の
措置がこれとどういうふうな
関係になるのか。担当者の中のお一人の
意見では、たとえばいま
インドシナ難民の中でこの
難民条約の適用を受ける人が出てきた場合には、この
難民定住促進センターの中に入って
教育その他を受けることになるでしょうということでございましたけれども、そうしますと、「
社会への適応及び帰化をできる限り容易なものとする。」この
難民条約三十四条でうたっている
一つの
措置が、現在大和あるいは姫路で行われているあの
定住促進センターの
教育であるということになりますと、私は非常に不十分なことになりはしないかと思うわけであります。
せっかく
日本に
定住先を選んで、そして
定住を始めた
人たちが、最初は大変な期待を持って
日本の
社会に入ってきて、やがて失望落胆して
日本の
社会に対して不満を持ち、あるいはそれが恨みになっていくとしたら、われわれ
日本人にとっても大変不幸なことであり、また
難民自身にとっても同じく不幸なことでございまして、それが歴史的にいままでございました
在日朝鮮人の問題あるいは
在日中国人の問題と同じような問題となってしまうのではないかというふうに思うわけであります。
時間の制約もございますので少し省きますが、
最後に申し上げたいのは、
日本人の
難民に対する感情からして、私は出てきた
難民を
受け入れるということはもちろんのこととして、しかし、問題はそれだけではないように思うわけであります。一部の国々が、
自分の
国民で望ましくない者を外に意図的に出しているというようなうわさも聞くわけであります。あるいは出ていく
国民は放置してどこへでも行ってくれという
政策をとっておるといううわさも国際的に非常に聞くわけでありますけれども、その結果として、
日本を含めて
難民の問題で非常に苦慮する国々が出ているとしたら、これは大変問題であると思います。
日本人がいま現に直面しているこの
難民問題に対する悩みというふうなものを考えるにつけても、
政策的にこういうことをやっておるということであれば、私は外務
委員会のようなところでもそういう
政策について強く抗議をするというふうなことも必要になってくるのではないかと思います。その国家から
国民を追い出すというようなことは人道的に全く許されないことでありますけれども、さらにそれを
受け入れざるを得ない国々が非常に苦しむということも道義的に許されないことであるというふうに思うわけです。
私は、そうした
日本人の伝統的な民族感情というものを一面に認めながら、しかし、
国際社会の責務を果たし、そして
日本人として広く世界に心を開いていくというふうなちょうど曲がり角にこの
難民条約の
批准ということがあるかと思いますけれども、
国民全体でこういう方向について努力をしていく、また考えていくいい機会ではないかというふうに思っております。
以上でございます。(
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