○伏見
説明員 日本学術
会議の性格とか活動について申し上げる機会を得ましたこと、大変うれしく思っております。日本学術
会議は何か世間からだんだん忘れ去られているというお話もございますので、こういう機会に先生方に学術
会議の存在を知っていただくことができますのは大変うれしいと思っております。
田名部さんは、いまお話にございましたように、先日名古屋大学付置のプラズマ研究所を御訪問くださいましたのですが、そのプラズマ研究所は実は二十年ほど前にできたのでございますが、そのプラズマ研究所は学術
会議が
政府に設立を勧告してできたわけでございまして、一九五九年に
政府に対してそういうものをつくるように勧告いたしまして、それが二年後に実現いたしまして一九六一年から発足いたしました。したがいまして、ことしでちょうど二十年目になります。
私はそのときは実は学術
会議の会員ではございませんでして、ただ、学術
会議の中に核融合に関する特別
委員会をつくっていただきまして、外部から学術
会議の中の
委員会に参加させていただきまして、いろいろ私がやりたいことを申し上げたわけでございます。それを学術
会議の内部のいろいろな審議の
段階がございますが、その中の
段階を経まして総会を通りまして、学術
会議の勧告として
政府に出てきたわけでございます。
御
承知のように、
政府に対して学術
会議が勧告いたしますと、その勧告の窓口となりますのは、科学技術
会議の中に学術
会議連絡部会というのがございまして、その連絡部会の部会長は学術
会議の会長がやっているわけでございますが、そこが学術
会議の勧告が
政府側に対して提出される公式な窓口になっております。そこで主に議論されますのは、しかしその勧告を受け取る
政府の機関がどこであるかということを決めていただくのが主な仕事でございます。たとえば名古屋大学プラズマ研究所の場合でございますと文部省が責任担当であるというふうになって、そのことがまず決まるわけでございます。あとは文部省と私
たちプラズマ研究所をつくりたいと思っている者との間の折衝で物事が進行していくのだと思っております。学術
会議はそういう大きな窓口の役目を果たしているのだと思っております。
プラズマ研究所という名前にいたしましたのは、その当時まだ核融合というのは全く五里霧中のものでございまして、物になるかどうかわからなかったわけでございますが、近ごろ核融合の
現実性というものが相当はっきりしてまいりまして、基礎研究の
段階から開発研究の
段階に移ってまいりましたために、近ごろ核融合という言葉がしきりに使われるようになりましたのですが、二十年前のその当時におきましては、そういうことに将来なるであろうという見通しは持っておりましたけれども、まだきわめて貧弱な知識しか私
たちは持ち合わせておりませんでしたので、いわば基礎研究の
段階であるということを確認して、核融合研究のまず第一着手としてプラズマの基礎研究をやるという形で勧告していただいたわけでございます。
学術
会議が主にやっております仕事と申しますのは、こういうふうに研究者の側で何かいわゆるプロポーザル、こういうことをしたらどうかという研究者の側から出てまいりましたいろいろな提案を取り上げまして、それをいろいろな方々の議論の
段階を経まして、そして最終的には総会、秋と春と年に二回ございますのですが、その総会にかけて、そして対
政府勧告という形にしていただくわけでございます。それですから、学術
会議が勧告いたしますためには実は非常に長い時間がかかります。プラズマ研究所の場合には比較的物事が簡単にいった方でございますが、ただいま筑波にございます高エネルギー物理学研究所というのがございますが、この物理学研究所は、勧告するまでに五、六年研究者の仲間での議論が続きまして、それから
政府に勧告いたしましてから実に九年実現するまでにかかりました。この方はちょうどことし十周年を記念することになっておりますのですが、これもやはり学術
会議の勧告に基づいてつくられたものでございます。
ついでに申し上げますと、名古屋大学プラズマ研究所は共同利用研究所という、ほかの大学付置の研究所とは違った
意味合いを持っております。つまり名古屋大学の先生方だけがいわばその研究所を利用するのでなくて、全国のほかの大学の先生方もプラズマ研究所を利用できる、そういう
意味での共同利用研究所という形で発足させていただいているわけですが、筑波にできました高エネルギー物理学研究所の方も、そういう
意味では同じく共同利用研究所でございます。ただ、プラズマ研究所の場合には名古屋大学の付置という形になっておりますが、高エネルギー物理学研究所の場合には国立、文部省直轄の形になっております。その差はございますけれども、大学の先生方が、全国的な先生方の共同の利用になっているという
意味においては性格が同じでございます。
学術
会議の勧告の中にはそういう共同利用というものが非常に多いわけでございますが、これは学術を進めていく上において個々の方々の
発想による計画というものももちろんあるわけでございます。多分田名部先生は、たとえばプラ研を見学なすった後に京都大学の方へも行かれたと思いますが、京都大学にあります研究所も似たような目的のもとにつくられているわけでございますが、これは共同利用研究所ではございませんでして、その先生御自身の計画によってつくられたものでございます。
こういうふうに、研究というものは研究者の相当自由というものを確保しないといけませんものですから、共同利用でない個々の先生方の研究計画というものは、必ずしも学術
会議が関与するのに適当なものだとは思っていないわけです。いろいろな先生方の共同の
意識をまとめて何か
政府に勧告したいという場合に、学術
会議の本当の出番があるというふうに
考えているわけでございます。
学術
会議の果たしました仕事は、研究所づくりというのが一番わかりやすいお話でございますし、相当たくさんの研究所の設立を勧告させていただきまして、勧告いたしましても実現しないというものももちろんたくさんございまして、大体打率は五〇%ぐらいだと私
たちは思っております。しかし、五〇%の打率でも私
たちは成績優秀な方だと
考えているわけでございますが、何もこういう自然科学
関係だけの研究所を勧告したわけではございませんでして、もっと人文社会科学
関係の方の研究所に類したものも設立を勧告して、設立を見たものが幾つかございます。たとえば国立公文書館というのがございますが、あれは学術
会議の勧告によってできたものでございます。それから、国文学資料センターというものもおつくりを願っておりますが、これも学術
会議の勧告によってできたものでございます。それから、大阪の万博跡にできました民族学博物館というのがございますが、これも学術
会議の勧告によってできたものでございまして、何も自然科学、理工
関係ばかりができたわけではございませんでして、人文社会の方でも、それぞれまとまるものはまとまってうまくできたと思っております。
それから、そういういろいろな新しいインスティチュートをつくるというお話ではございませんですが、たとえば私自身が昔、初期の学術
会議で関与いたしましたことを
一つ申し上げておきますというと、日本で
原子力研究開発を開始すべきであるという提案を学術
会議の中でいたしましたときに、大変反対が多くて、私個人といたしましては茅先輩とともに立ち往生したことがございますが、そのときに、そういう反対の中でも
原子力研究というものを推進しなければならない、そのためには反対している方々に安心していただくような筋をちゃんと立てなければいけないと
考えまして、いわゆる
原子力の三原則というものを唱えました。この
原子力の三原則は
政府にも勧告されたわけでございますが、それが
政府というよりもむしろ
国会の方で十分おくみ上げを願いまして、
原子力基本法の中にはその三原則の精神が盛り込まれているということは御
承知のとおりであると思います。
まあ、ごく粗っぽいことでございますが、学術
会議がいままでどんなことをしてきたかという幾つかのハイライトを申し上げてみました。