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椎名委員 今回の
長官の御
訪米は、せんだっての
首脳会談に引き続きまして、またその後の
ハワイでの
協議に引き続いて、
日本の
安全保障にとって最も重要な柱となる
日米安保体制、その
枠組みの中での
対話の一環である、また、それを通じてこれからさらに緊密な
対話が続けられるということが確認されたという
意味で、非常に意義があったものと考えております。また、その後
欧州に行かれたわけでありますが、われわれが
西側の
一員として、
世界の
安全保障ということを
連帯して考えていかなければいかぬ、その中にあって、最近非常に激変するこの
世界情勢の中で、
欧州側の
考え方というものを
認識して帰られた、これについても大変に
意味のあった御
旅行であるというふうに考えております。
しかし、これを通じてわれわれが
感じておりますことは、どうも、
日米首脳会談の後の
共同声明、その中に盛られておりますこの一連の
会談に対する
期待というものとは
幾分のずれがあるのじゃないか、という
感じを受けるわけであります。必ずしもそれが円滑に進行していないように考える。
それで、われわれ
安全保障特別委員会は、
坂田委員長を団長といたしまして、最近、ちょうど
長官と
逆向きで
ヨーロッパから
アメリカに
旅行してまいりました。会った相手には
大村長官のお会いになった顔ぶれとずいぶん重複しているものもある。それを通じていろいろ
感じたわけでありますが、いま私が申し上げたように、必ずしもうまく歯車が回っていないというような
感じは、たとえば
ワインバーガー国防長官に会いましたときに、
幾分の
ディスアグリーメントがあると言わざるを得ないというような
言葉にもあらわれているかと思います。また、
国務省においても同様の
感じを受けましたし、あるいは
アメリカの
議会の
上下両院の
軍事委員会との
会談の中でも、新聞にも報道されましたが、
日本の対応に対して、率直に言えば
不満の念を持っているということが表明されたということであります。
冒頭に申し上げましたように、私は、
日米安保体制というものが
日本の
安全保障にとって最も基軸となる重要な柱であるというふうに考えておりますので、この
幾分のきしみというものも非常に懸念されるところである。どうして、また、いかにしてこういう
不一致が起こったのかということを、ここで十分にわれわれとしては考えていかなければいけないというふうに考えるわけであります。
それで、われわれが伺っているところによりますと、
日米の間で、あるいは
首脳会談あるいは先般の
ハワイの
協議あるいは
長官の
訪米、また、先ごろ行われました
ヘイグ国務長官と
外務大臣との
会談、二度にわたってあったわけでありますが、そのたびに
世界情勢あるいは
対ソ認識については
一致をしている、
日米間に何ら
認識の違いはないというようなことを告げられるわけであります。そこで、この
認識の問題、それからその
認識がもし
一致をしているならば、それにどう
西側が
連帯し、協力して対処していかなければいかぬのかということについて、この二つが、私はこの問題を見るのに非常に重要な点だろうと思います。これをめぐって
幾分お尋ねをいたしたいというふうに考えております。
しかし、いま私は
日米関係のきしみということを申し上げましたけれ
ども、決して
日米関係そのものがわれわれの
最終目的でもなし、それだけのためにわれわれがあたふたするということは本末転倒である。われわれが一番
念頭に置いておりますのは、わが
日本の
安全保障というものをどういうふうにして全うしていくか、これが一番大きな問題である。そのためにわれわれはどうしなければいかぬかということで、いまから約二十年前に、
日米安全保障条約という
枠組みの中でその安全を図っていくという
選択をしたというふうに考えております。あくまでもその
選択は自主的なものであった。そして、われわれはこれから問題を考えていく場合にも、まず
日本の国益と
繁栄をどうやって守っていくかということを第一義に考えなければいかぬということは、これは
あたりまえのことであります。
しかしこの
日本の問題、
安全保障というのは、単にこの国土を守れるか守れないか、
戦争が起こって
侵攻が起こったら一体どういう
かっこうの
戦争になるか、ということだけではないように考えます。
日本の
繁栄というのは、
日米安保体制の
枠組みの中で、そしてさらに言えば、
西側の、まあはっきり言えば、
アメリカの
軍事力の非常な優位の中で行われてきたということが言えると思う。そしてその中で、
世界じゅうと
関係を持ちながらわれわれの現在の
繁栄があったということを考えますと、
日本にとって有利な住みやすい環境をつくっていくということが、広い
意味での
安全保障の
体制でなければいけないというふうに考えるわけであります。
そこで、われわれはまず
日本から出発するわけでありますが、せんだって
委員派遣の
米国訪問の途次、
アメリカの
アナポリスにございます海軍兵学校を訪問した。そうしましたら、
卒業生で戦没をした人の
記念館がありまして、そこに、「われわれの
卒業生の中で、彼らの国の
理想を守るために物故した
人たちのためにささげる。」という文章がありました。私は実はこれを見まして非常に感銘を受けたのですが、
アメリカの
理想というのは一体どういうものであるか、これは
アメリカ国民が決めるわけでありましょうけれ
ども、ああいう
言葉をいつでもながめながら、そして、その
理想というものを形成していくということも含めて、
自分の国の
安全保障を図るという
一つの
考え方が、その
言葉に凝縮してあらわれているように考えたわけであります。
日本の国にとってはどうであるか。私
どもも、できることならはっきりした形で、
日本の国の何を守るのかということについて、必ずしも明確でないこの問題をはっきりさせる必要があるとは思います。しかしこれは、はっきりした形ではありませんが、戦後の
世界の
体制、
国際関係の中での
体制、それから
日本がとってきた
社会体制というもので享受してきた
繁栄を守ることに、
国民の中に暗黙の同意がある。そして、
共同声明の中でもうたわれておりますように、
日米の
連帯、友好、
相互信頼というようなことが両者の間ではっきりと確認をされている。さらに、
政府によって何遍も、われわれ
西側の
一員としての自覚を持ち、またその
責任を担っていくという表明がある。そこに、われわれの
態度がまずはっきりあらわされているように思うわけであります。
実は
欧州旅行をしております途次、あるところで、
防衛庁から出向しておられる大使館の方が、日程が終わりましてから私のところに押しかけてまいりまして、一体われわれは何を守るのかということについて夜中の二時半まで大激論をやりましたが、こういうことがまだ自衛隊におられる方にも必ずしもはっきりしておらない。私
どもが
西側の
一員としての
態度を自覚し、そして何を守るのかということにまずはっきりした観念を持たない限りは、
脅威の
認識というものも、その先の問題であって、成り立たないのではないかと私は考えるわけであります。
少し長くなりましたけれ
ども、こういうことについての
長官の御所見を承りたい。われわれはなぜ
西側につき、
アメリカと
一緒になって
世界の
事態を考えなければいかぬのかということについての
御所感を伺いたいと思います。