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寺田熊雄君 やはりそういう点にあなた方の調査のまだ不十分さがあるわけで、古館氏だけの報告ではやっぱり事態を誤るわけですね。
この事件は、労働組合の諸君がまなじりを決してこれを訴追するというようなことは非常に珍しい、余り日本の裁判史上にも例がないことだと思うんです。
なぜこういう例のないことをしたかといいますと、根底には
裁判官に対する非常な不信感があるんです。それは鬼頭のような
裁判官、安川のような
裁判官、いろいろありますけれども、この古館
裁判官に対するような不信感というのはそうはありません。
確かに、
裁判官にはいろいろな
考え方を持っていらっしゃる方があります。私どもも現実に労働事件を扱う場合に、裁判長に会って早く仮処分命令出してくれと言って交渉することがあります。ある裁判長は、いやそれは労働問題というのは労働
委員会で扱うんですと、だからまず地労委、中労委を経てから来てくださいというような、そんな大変非常識なことを言う方がいらっしゃる。それはとんでもないことだ、われわれが地労委へ持っていこうが裁判所へ持っていこうが、いまの日本の労働法制というのはどちらも許されているんだ、あなたの
考えは根本的に変えてもらわにゃいけませんよときついことを言って、やっと仮処分が一週間後に出るというような、そういう実例も私どもはあるわけです。
刑事事件でも、この部に行くと初犯は原則として執行猶予——亡くなられた西久保良行さんのような裁判長もいらっしゃる。この
裁判官は有罪
判事だと——これは名前を言ってはいけませんけれども、戦前に東京控訴院で有名な
裁判官がいらした。有罪
判事と言われた。いろいろある。それはしかし、その人の人柄とか何とかいろんなものを見て、負けても、また有罪になっても仕方がないというあきらめがそこにある。
ところが、この古館
裁判官の場合はそうじゃないんです。あの男だったらだめだ、労働者の権利は守れないと。もともと使用者のひいきばかりしておる男だ、偏った男だという不信感が根底にあるんです。そこをやはり最高裁としては
考えていただかなきゃいけない。いま古館をどうしろなんという人事についてわれわれは介入するわけじゃない。しかし、
裁判官というものは、大衆の信頼を得るような人であってほしい。そうすることが、あなた方の御職責だと思いますよ。
なぜ労働者がそこまで不信感を持ったかということを、この際わかりやすくお話をすると、たとえば労働事件の場合、会社側の証人の尋問が行われますね。労働者側の代理人が追及して証人が詰まると、裁判長が、それはこういうことなんでしょうといって助け船を出す。そうすると、証人はそうですと言ってそれに飛びついてしまう。それから、労働者側が追及していって使用者側の証人が詰まると、それはもういいでしょうと尋問を抑えてしまう。それから、なぜそんなことを聞くんですと、わざわざ
一つ一つ尋問の目的を開陳させる。そういうへんぱなことをしますと、この男は一体これは何だと、資本家の回し者だろうというふうな印象を裁判当事者が受けるわけですよ。
それから、和解の際も、使用者側が承認した和解金額以下の金額で労働者側を抑えようとする。これは当事者主義に明らかに反するでしょう。そんなに和解に職権で、相手方が同意している金額以下に下げさせる必要はないんです。民事訴訟の構造からいったって、そんなことをする必要はない。それをやる。
それから、会社側が労働者を、暴力行為を行ったといって解雇する。その解雇が争われている事件で、会社側が事情として職場秩序違反がありましたというようなことを言いますと、いや、それが問題だ、それが争点だと言って、職権的に争点を設定してしまう。これは、民事訴訟法の当事者主義の原則というものを根本から理解していない。これは具体的な事件を言いますと、私どもちょっといろいろ差し支えがあるから、
一般論としてこの傾向を申し上げておる。
それから、第一回の口頭弁論でいきなり和解勧告をする。証拠調べなど全く行わない。その
一つの例として、ある病院勤務の労働者が二カ月間、弟の病気看護のために欠勤をしたという事件で、いきなり原告に対して、二カ月も休んで給料をもらうなどとは問題だ、いまのうちに和解しなさいといっていきなり職権の和解勧告をして、これはいきなり心証をもう当事者に言ってしまうわけですね。まだ証拠調べも何も済まないのに、心証をもう全部示してしまう。こんな
裁判官がありますか。
それから、和解の際に、病院側が提示した金額について、よくこんな額を出したものだとびっくりしている。当事者主義で、当事者がそれで
了承をしていればいいじゃありませんか。それが著しく公益を害するとか、公序良俗に反するとかいうなら別だ。金額が多少違ったからといって、当事者の納得した金額以下に無理に下げて和解を進める必要は毫もない。そういう傾向、これは
裁判官として全く欠格者である。
ある具体的な例を申し上げますと、東京都の都営地下鉄などというのは、よく夜間など酔っぱらいが従業員を殴るそうです。暴行事件がある。もうすでに何十件もあるようです。たまりかねた労働者が、都を相手にして損害賠償の請求訴訟を起こす。そうしたときに、いきなり和解を勧告して、私が使用者だったら家に呼んで飲ませて終わりにする。ビールーダースぐらいで和解したらどうかと
発言をして、これには使用者側も労働者側も唖然としてしまった。結局、裁判所は抜きにして、当事者間で和解をしたというようであります。こういう羽目を外した
裁判官に対する不信感がある。こういう
裁判官では裁判の威信も失墜するし、労働者の生活が守れないということはもう一見して明らかであります。
これが直接出たのは、御承知のように、都労委が緊急命令を出してきた。それに対してこれを却下したんですね。労働事件というのは、御承知のように、早急に解決を図らないと労働者の生活が守れない、不当労働行為があってはいけない、
憲法二十八条の団結権、団体交渉権など、基本的な人権を守るためには早急に解決しなきゃいかぬというので地労委制度、中労委制度がある。その人たちは、皆裁判所のかなり練達な
裁判官が都労委の会長になり、中労委の公益
委員を兼ねておる。そういう方々が良心的に審理を進めて、緊急命令を必要とすると判断をしておるのに対して、全く労働問題に理解を欠いた一知半解の男がこれを却下してしまうというようなことでは、労働
委員会制度なんというのは無
意味になってしまう。とても
憲法二十八条の基本的人権は守れない。
そこで、これはやはり人事の担当者としては、少なくも地労委、中労委というようなものの事件をレビューして、そいつを却下したりなんかするのであったならば、学識経験、労働法の理解などについて、少なくもそれを上回るやはり見識なり学識を持った人をそういう地位につけるべきだと私は
考える。これは人事
局長としてはどうお
考えになりますか。