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宮之原貞光君 まあ、
法律も通ってしまうとそれぞれまた行政府というのは
自分の
都合のいいように解釈するものだ、こう思われてしようがないのですよ。いま
大臣のお話ではこの条文はきわめて含蓄があるというのですけれ
ども、これはもうはっきりしておると思うのですよ。それはいろいろな討議の過程の中での表現ですからね、御承知のように。企業献金を厳禁すべきだという野党側の要求に対していろいろな当時の
委員会でも三木
総理は、企業は即悪だとは私は思わない、しかしながら、やはり
禁止するところの方向に持っていかなきゃならないということだけは明確になっておるのです。それならばここでなぜやらぬかという中から、五
年間の状況を見ながらその方向のときにきちんとしましょう、こういう経過がずっと
委員会の中にはあるのですよ。しかも、これは当時の
議事録でございますけれ
ども、五十年五月三十日です。これは衆議院ですが、三木
総理はその
委員会でこういう
答弁をされておりますよ、五月三十日。「五年後に自民党はみずから辞退をする、
法律によってこれを
禁止するからどうというのじゃないのです。
法律のいかんにかかわらずみずから辞退をするというのが党議であります。したがって、私はそれを申し上げておるわけで、五年後にはいわゆる企業献金ばかりでなしに、この
選挙資金の
規制を実施してみていろいろな弊害」云々、こういうような
答弁をされておるわけなんです。これはまさに当時の三木さんの物の
考え方というもの、確かにそれは企業献金は悪だと言ってないのです。しかしながら、これを減らすところの方向に行きたい、しかし、一気にそこまでやれないので五
年間の実施状況を見てそのような方向でさらに
検討を進めてまいりたいということで、常識的な当時のこの問題の経緯を、恐らく
大臣もやっぱり議員として参加されておられただけに、ぼくは御記憶だと思いますが、こういうことだったんですよ。それだけに、私は、いま
大臣が御
答弁なされたように、自信がなくてやったのじゃない、試行錯誤云々というようなことは、これはもういまごろになってこう言われたってそれはためにするところの弁にしかすぎない、こう言わざるを得ないのですよ。それだけにやはり私
どもとしてはその方向性というのを是認しながら、さてそれではどうすればいいかとか、さらに確かに
大臣の
指摘されたところの企業献金の問題にしてもいろいろな抜け穴がありますね、
個人献金の問題にいたしましても。この
寄付金の
制限のないパーティー方式というのが、御
答弁のように、はやる。これもある一定の限度があってしかるべきだと思うのです、常識的なものがあって。同時にまた、この大企業の総額
規制があるために子会社から献金をさせてやっておるんですよ、実際面として。あるいはそればかりではございません。
寄付金の
制限のない
政治連盟をまたたくさんつくらしておりましょう、いろいろ工夫して。たとえば鉄綱関係の
政治連盟とか、何関係の業界でその
政治団体というのがあります。そういうようなところからの献金の問題、こういうようなものが、くぐった形で、実質はやっぱり企業献金というものの根が絶えない。しかも、それが度を過ぎたところの方向があるというこの現実を私
どもやはりきちんと踏まえて対応する必要があるのじゃないかと思いますよ。
だからこそ私は深い
一つの提言だなと思って読んだのが、たとえば九月十一日の朝日の社説は、来年の見直しの時期にという形で、第一は、「将来の全廃に向けて企業献金を
段階的に縮小するため、
個人献金、党費中心の党運営を促す
措置をとる」べきであるとか、「
政治家の
個人収支と資産を年一回公表し、カネの流れを見えるように」すべきだという社説を出しておったことを読んだことがあります。あるいは、これは日本
経済新聞の社説でございますけれ
ども、これとても
政治団体の届け出
規定を改めて、「公開により
政治と金の関係を
規制する」べきだとか、あるいは企業
団体の献金、いわゆる
政治団体の献金ですね、これを野放しでなくて上限を少なくとも設けるべきだ等々、あの
政治資金の公開が九月十日にあったときに、追いかけるようにしてそれぞれこういう問題について提言をしておるわけなんですね。私は、やはりこういう問題等は謙虚に
政治に携わる者としては受けとめて、これらの問題についてどうこたえていくかという方向性というものがあってしかるべきじゃないかと思う。それを逆に企業献金の枠をもっともっとふやせふやせということではまさに私は時代逆行じゃないだろうか、こう思っているだけに、
大臣の先ほどの問題に対するところの御所見をお伺いしたのですけれ
ども、私はやはりこの二つの社説を読みながらも、お互いの心構えとしては少なくともそういう方向で努力をすべきでないかと思うのですね。なるほど後に障害があるということは私もよく理解できます。しかし、その方向性だけは見失ってならないのじゃないでしょうか。この点いかがなものでしょうか。