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政府委員(福島量一君) ちょっと経緯にかかわることもございますから、いきさつがございますから……。
田園
都市国家構想につきましては、御案内のように大平総理が就住されましてから、これからの国づくりの基礎的な理念を示すものとしてうたわれたものでございます。田園
都市構想とも言い、また田園
都市国家構想とも言われておるわけでございますが、その後、国づくりの
基本計画である、もちろんその中にいまお尋ねのような田園と
都市とを一体とした新しい生活圏、
地域づくりと申しますか、
社会づくりと申しますか、そういうことが当然
課題として入ってまいりますが、構想のそれ自体の
基本的な目指す方向は、国づくりの理念を示しておるものであるというふうに政府としては受けとめております。
それで、政府側の対応といたしましては二つの点に分けて
考える必要があろうかと思いますが、第一は、大平内閣が発足いたしまして早々に、田園
都市国家構想なるものを行政的にどう受けとめてどう対処するかというのが
課題になってきたわけでございます。それで、私
どもといたしましては内閣とも相談いたしまして、五十三年の暮れから五十四年の新春にかけまして各省ともいろいろ協議検討しながら、田園
都市構想の問題についてはなお今後具体的に詰めていただかなければならない問題はあるけれ
ども、当面の受けとめ方としては、私
どもの所管しております三全総——第三次全国総合
開発計画にいうところの定住構想を推進するということが田園
都市国家構想の目指す国づくり、
地域づくりの基盤づくりをやることについて寄与するであろう、ねらっている方向はおおむね同じであるというふうに意思統一をいたしまして、その上で、三全総で
考えております定住圏づくりというものを
関係各省が共同して推進するという申し合わせをしたわけでございます。
当初、内閣、
国土庁を含めまして十六省庁であったわけですが、その後一省庁が参加いたしまして、現在十七省庁で定住構想推進連絡会議というのを設けまして、具体的には定住圏づくりということでよりより協議を重ね、政府全体としてこれに対応するという仕組みをつくっております。これがまず第一の問題でございます。
それから、次の第二の点は、その総理の構想を受けまして、五十四年のこれまた一月からでございますが、総理の私的諮問グループ、
政策検討グループでございますが、グループといたしまして、この場合は梅悼忠夫
先生、民俗学博物館長でございますが、座長といたしまして、学識経験者の
方々、それから各省の中堅の
課長クラスの人間も参画をいたしましたが、その田園
都市国家構想の具体化についての検討作業が始められました。
〔
委員長退席、
建設委員会理事
茜ケ久保重光君着席〕それで、先ほど申し上げましたように、政府としては一方で三全総の定住構想を推進するという
基本路線を踏まえつつ、その研究グループの研究結果というものを受けとめて、これをまた行政的にこなしていくということでその討議の進展を待っておったわけでございます。
そうこうしておりますうちに、不幸な事態が勃発をしまして総理が亡くなられたわけでございますが、総理の後を受けられました伊東総理大臣臨時代理の時代にようやく答申がまとまりまして提出されました。それにつきましては、内閣を代表して内閣審議室長から
関係各省庁の官
房長あてにその答申が示されまして、こういう答申が出たから、これに即してひとつ各省はそれぞれの所管において具体化を図るようにという通達が参りました。それを受けて各省庁がそれぞれの所管に応じてその構想の具体化に取り組んでおるというのが現在の
状況でございます。