○鶴岡洋君 いま答弁にありましたように、アジアにおいても、北米においても、ヨーロッパにおいても、もう大多数の国は
無償制度を
実施しているわけです。これは単に偶然というか、そういうことでは私はないと思います。いかに
教育が大切であるからこれに力を入れているのだ、このように私は解釈をしているわけでございます。
そこで、また有償
無償という論議になりますけれ
ども、確かに有償でもいい、有償の方がいいというか、そういう
議論もあることも新聞で承知はしております。私いま見ているわけですけれ
ども、読者の意見というのは、もちろん中には有償論もある。しかし、この有償論の根拠となるものは、物を大切にする気持ちを育てるために有償にするとか、それから勉学の意欲を大切にするとかということが、この有償論の裏づけになっています。しかし、この物を大切にするとかどうとかということは、これはもちろん大切ではありますけれ
ども、私から言わせれば、これはいわゆる日本の経済成長によってそういう点の精神的貧困というか、それからきている問題であって、
教科書の
無償であるとか、有償であるとかという問題には、私はそんなにかかわり合いはないんじゃないかなと、このように思います。特に十人のうち、この新聞でいくと大体七人から八人までは
無償を主張している。念のために一番最近のある新聞の投書欄でございますけれ
ども、こういうことも投書に載っておりますので、
大臣お忙しいでしょうから、読んでおられるかどうかわかりませんけれ
ども、これが真実の声だと、こういうように思いますので、一、二読ましてもらいます。
惨めな思いイヤ
教科書の
有償化という声に、
小学校時代のつらい、惨めな思いが、心をよぎった。
貧乏な家庭で、給食、遠足、教材費、もちろん
教科書代などとても払えなかった。
教科書の販売日、友達がみな、インクのにおいのプンプンする
教科書を大事そうに抱えて帰る姿を見て、子供心に「貧乏なんて本当にいや」と悲しかった。
先生から数日後、みんなの前で手渡される
無償の本の冷たかったこと。恥ずかしく、悪いことをしたような、暗い気持ちになったことを、昨日のことのように覚えている。
教科書有償が現実になって、万一、あの思いをする子がいたら……。
こういう投書もございます。
もう一つ。
憲法が保障
教科書の
無償は、単に
教科書がタダだということに意義があるのではない。
義務教育の国公立
学校の授業料が
無償なのと同様に、国民の「
教育を受ける権利」を経済的に保障し、それによって憲法に
規定されている
教育の機会均等の理念を実現するという理想と目的があることを忘れてはならない。したがって、財政再建のためとはいえ、短絡的に
教科書を有償にすべきでないという気がする。
そのほかたくさんございますけれ
ども、こういうことで投書がまだほかにたくさんございます。
そこで、確かに有償時代もございました。有償時代にはいろいろな、もちろん利点もあったかもしれませんけれ
ども、弊害があったわけです。「
義務教育教科書の有償時代における販売方法等について」というのを、私はここに持っておりますけれ
ども、この中を見ると、販売方法は、「
学校における出張販売が原則」と、こうなっておりますけれ
ども、ある県によっては、
補助の方法として、「
学校から現物を子供にこっそり渡した」と。それからある県においては、「他の子の目につかないように渡した。」と。さらにある県においては、「現金を役場から保護者に渡していた。」、「他の生活費に回されて、
教科書の購入日に買えない子もいた。」と、こういう記録があります。
そして、子供に対する心理的影響というところで、「受け取る方は、一抹の淋しさがある。」、「購入のときに他の子と一緒に買わないので、周囲に知れてしまい劣等感を与えてしまうことが多かった。」と、ある県においては、「頭のいい子ほど、胸の痛みつらい思いの気持ちがあったようだ。」、「本人の心の負担としては、大変なものがあったと思う。」と、こういうことも記録に残っています。そういうことを考えあわせると、ぜひともこれは
無償存続をしていただきたいと、私は申し上げたいわけでございます。
ここで、いろいろ
議論の段階でございますけれ
ども、考え方、意見として
文部省にお伺いを何点かいたしたいと思いますけれ
ども、仮に低所得家庭への
無償給与に限る場合のいわゆる
児童、
生徒への貧困意識の影響はどうなりますか。この点をお伺いします。