○
参考人(野村
一彦君) お答えいたします。
まず、御
質問の第一点の
世界における
原子力船の
研究開発の動向でございますけれ
ども、先生御案内のように、ソビエト、アメリカ及び西独におきましては
原子力商船の
開発を現にやってまいったわけでございます。
御案内のとおり、アメリカにおきましてはサバンナ号を建造し、これを運航いたしまして、そして
世界の数十カ所に寄港をして実験航海をやりました。大体現在はその使命を終えましたためにガルベストンですか、ここに係留いたしておりまして、すでに解役となっております。この間
原子力商船としての
技術的なデータというものはかなりの蓄積が行われておるように承知いたしております。
西独におきましてはオット・ハーン、やはりこれも特殊法人の団体をつくりまして、そしてオット・ハーンを建造し、これを運航いたしましてやはり
世界のいろんな港、数十カ所に寄港して約十年以上になりますか、いろいろの実験航海の結果のデータを蓄積しまして、これも昨年大体の使命を終えたということで、現在はハンブルクに係留をして、そしてたしかもう炉は
陸上に揚げておるという状態でございます。
ソ連におきましてはレーニン号とかアルクチカ号とかという、これは厳密に言いますと
原子力商船と言えますかどうか、砕氷船ということでございまして、四隻の砕氷船を現在動かしておられるようでございます。しかし、レーニン号は一説によりますと現在は動いていないというような説もございましてはっきりいたしませんが、現在三隻動いているようでございまして、これは砕氷船として北極海方面において運航されておるようでございます。
そういう
状況でございますが、先ほど来大臣等が申されましたように、
エネルギーの危機の時代を迎えまして、一般商船の
原子力を
推進力とする船の必要ということは、これはもう当然考えられるわけでございますので、
原子力委員会の御方針に基づきまして、私
どもも
日本における
原子力の
開発を鋭意進めてまいりたいという方針のもとにやっておるわけでございます。その際、昨年の暮れでございましたか、
原子力委員会におかれまして、いままでございました
原子力の平和利用長期
計画、これの一部改定を行われまして、また、それに先立って下の専門部会におきましても、あるいは
原子力産業
会議の中の
原子力船懇談会等におきましてもいろいろ勉強の会合が持たれたわけでございますが、その結果、現実に
原子力商船の実用化というものは残念ながら
世界の趨勢として少し当初の見込みより遠のいた。二十一世紀ぐらいになれば実用化ということが望めるんではなかろうかという観測が出されて、そういう利用
計画が発表されたわけでございます。しかしながら、この
原子力船の
研究開発ということには、相当の何といいますか日時を費やしていろいろのデータを集めて慎重にやらなければなりませんので、私
どもも現在その新しい
原子力委員会の方針に従いまして鋭意勉強していきつつあるということでございます。それが第一点でございます。
それから第二点の予備
燃料体の問題でございますが、これはこういうことでございます。私
どもの
むつ市にあります
むつ事業所に予備
燃料体が二体
保管されておるということについての報道でございますが、これは四十九年の四月に四者協定、これは先ほど
原子力局長が言及された四者協定でございますが、その四者協定が締結された以後現在に至るまで地元に公表をしなかったというような報道がなされたわけでございますが、私
どもといたしましては多少正確でない点があるんではなかろうかというふうに考えております。
実情は、
昭和四十七年に
原子力船に核
燃料を装荷いたしますときに、三十二体とプラス三体、つまり全部で三十四体の核
燃料を
むつ事業所に運びまして、その中で三十二体を船に装荷をし、あとの二体を予備として
むつ事業所の認められた
保管の場所に
保管をしておったわけでございます。そしてそのことにつきましては、私
どもといたしましては、毎年発行しております事業団の年報ということにもその予備
燃料二体が
むつの事業所に
保管してあるということは記載をいたしまして、そして県や市等にもその年報はお配りをしておったわけでございます。したがいまして、県や市もこのことを当然御存じであったわけでございます。
なお、四十九年の十月十四日に、あの事故が起こりました以後、その定係港周辺
地域等の環境の保全及び住民の安全
確保等に関する協定、これは県と市と漁連と私
ども事業団と四者がこのいわゆる環境保全協定を結んだわけでございますが、その中におきましてもこの
原子力予備
燃料というものについての規定も設けてございまして、これが
保管されているということはその
関係者がみんな知った上でこの環境保全協定を結んだということでございます。したがいまして、私
どもはこれをしかるべく規定された場所に
保管をしておったということで、そういう事実を隠したというふうなことはございませんので、その点については誤解を解いていただきたいと、こういうふうに思うわけでございます。
それからもう
一つは、その廃液の管理の問題でございますが、この点についてお答えいたしますと、「
むつ」が
原子炉に
燃料を装荷いたしましたのは、いま申し上げましたように四十七年の九月でございます。そして出力上昇試験のために本船が
むつの港を出ましたのが四十九年の八月でございますが、その間に船の中のいわゆる管理区域という区域で発生いたしました廃液を
むつの事業所にあります付帯
陸上施設に陸揚げをいたしまして、さらにそのほかに付帯
陸上施設の中で発生をした廃液及び
廃棄物処理等において使用した水道の水、そういうもの合わせて約六百トンでございますが、これを湾内に放出したということは事実でございます。
ただ、これらの放出しました液は、いずれも許容限度を十分下回ることを
確認をして放出をしたということでございまして、これが環境や人体に悪影響を及ぼすというものではないという点でそういう処置をしたわけでございますが、事柄の性質上非常に問題の多い時期のことでございますので、私
どもこれについてはもっと慎重を期すべきであったかということで、国への当時の御報告を途中でやらなかったというような事態もございまして、大変御迷惑をおかけしたということでございまして、その点につきましては御
当局より先般きついお戒めの言葉をいただきまして、私
ども非常に反省をしている、こういうことでございます。