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公述人(中島勇次君) 中島でございます。
私は、この
法案に賛成し、これをぜひ成立させていただきたい、こう考えるものでございます。
その理由は、この
法案に盛られております
国鉄再建計画の基本構想に、これまで十年余りにわたりましてやってまいりました
再建努力に失敗した苦に経験を踏まえて、見方によっては一種の開き直りというものを感じさせるような抜本的な発想の転換が織り込まれているという点でございます。あるいはこの点が
国民の一部には強い反発を感じさせる点があろうかと思いますが、私はこの勢いで今度こそ
国鉄の
経営を健全なものに立て直していただきたいと強く希望するわけであります。
そこで、今回のこの基本構想にあらわれている
再建計画に対する発想転換の意義というものを
国民の皆さんによく理解していただく、そのためにはここで改めてこれまでの
再建計画がなぜ成功しなかったか、その原因をもう一度かみしめてみる必要があろうかと思います。
これまでの
再建計画が成功しなかった背景には、御
承知のような予測しがたい経済情勢の大きな変化という不運な一面もございましたが、その根底には、何といっても
政府並びに
国鉄当局のこの問題に取り組む基本姿勢に一種の甘さといいますか、大きな誤算のあったことをこの際謙虚に反省してみなければいけない、こういうふうに思います。これまでの
再建計画の骨組みは、御
承知のように、
昭和四十四年九月に閣議決定されました
国鉄財政再建に関する基本方針で示されておりますけれども、それを要約いたしますと、まず
経営体制を近代化して、
鉄道の特性を発揮できる
分野を
重点的に拡充強化する、それによって輸送量を経済成長の波に乗せて大幅にふやしていく、それとあわせて
経営合理化を進めて経費の膨張を極力防ぎ、十年後、つまり
昭和五十三年度には償却後の黒字、つまり完全な自立採算
体制を回復する、それまでの間、
政府は
財政援助によってそれをバックアップする、いわゆる三本柱説であったわけでございます。
この構想の第一の問題点は、基本的に拡大再生産によって
国鉄が自力で
赤字経営から抜け出すことができる、こういう発想でございます。つまり、輸送量の大幅の増加を
財政再建の原動力といいますか、一番大事な柱としていた点でございます、この計画の壊れた原因は、つまり弱点は、その一番大事な柱、つまり輸送量の増加の期待が外れますと
再建計画全体が根底から崩れ去ってしまう、こういう運命に置かれていたわけです。
事実はそのような結果に終わったわけでございますが、ではその予測がどの程度狂ったのか。これを
数字の上で見ますと、当初計画の
昭和五十三年度の輸送量目標は、旅客が二千九百三十億人キロ、貨物が九百六十億トンキロと、こうなっております。その実績を見ますと、旅客は千九百五十八億人キロ、目標の六七%、貨物は四百四億トンキロ、目標の四二%、大幅に落ち込んでしまったわけでございます。この誤差は、もちろん経済成長率の落ち込みという影響も大きかったと思いますけれども、重要な点は、
交通市場の構造とか性格が根本的に変わった、変わりつつある、それによる
国鉄離れの現象というものを甘く見ていったところに大きな誤算があったのではないか。経済成長率は落ちましたけれども、全体としてはふえているわけですから、その中で
国鉄だけがこういう大きな落ち込みになったというのは、やはり自動車その他の競争機関の影響だろうと、私はこういうふうに考えるわけです。
それで、次に第二の問題点は、輸送量の過大の期待がいま申し上げましたように大きく計画を狂わしたわけです。先ほど申し上げました数量差を五十三年ベースで収入に単純計算でやってみますと、約一兆四千億近い誤差が、収入の狂いというものが出たわけです。この面で、この輸送量の見込み違いが計画を大きく崩した。そればかりでなく
経営合理化の効果を阻んでいた。輸送量が年々ふえるということを
前提とした輸送計画ですから、その中でできるだけ経費を抑えていこう、つまり仕事量を減らさないで人を減らしたり経費を減らす、こういうところに
労使関係の紛争の原因もあったであろうし、またその効果が余り期待できなかったと、こういう点もあったかと思いますが、一番大事なことは、輸送量の落ち込みがわかったときにはもうすでに
経営合理化は手おくれになっている。つまり、いつも常に
経営合理化が後追いの形にならざるを得ない仕組みになっている。これを外から見ておりますと、いかにも
国鉄は
経営合理化が不熱心だ、親方日の丸だと、こういったような歯がゆさが感じられるわけでございますが、その背後にはこういった計画の仕組みそのものの中に一種の弱点があったと、こういうことを改めて認識しておく必要があろうかと思います。
第三の問題点は、
国鉄の
財政基盤の構造的欠陥というものに当初計画の中では余り
注意を払っておらなかった。だからこそ自力で回復できるんだと、輸送量さえふやせば自力で回復できるんだという発想になったわけですけれども、この
国鉄の
赤字経営体質というものの根は決して最近のものではなしに、まことに古いものだと私は考えていますが、御
承知のように
国鉄は、終戦直後から荒れ果てた輸送施設をまず復興する。それからインフレに追いつけなかった
運賃問題。復員者とか大陸引揚者を吸収することによって一時は六十一万人にまでふくれ上がった要員問題。それから通勤輸送の混雑緩和、あるいは老朽化してしまった輸送施設の全面的な取りかえとか、そういったような公共企業体としての
立場からやむを得ずに企業的採算を度外視して行ってきたさまざまの公共
施策のツケが累積されて
財政構造の中に大きな欠陥ができていたわけです。もちろん、これが
独占体制であれば何とかしのぐ
方法もあったかと思いますけれども、これに追い打ちをかけるように
交通市場の構造変革によって輸送
分野が大幅に圧迫された、後退してしまったと、これによってその根にある構造的欠陥が顕在化して今日言われているような救いがたい
赤字体質というものになってしまった。こういうわけです。したがいまして、この過去の原因による
財政構造の欠陥にメスを入れる必要があるということが痛切に感じられるわけです。
それから第四の問題は、
国鉄に義務づけられているいわゆる公共性の問題でございます。これまでの
再建計画の中では、
鉄道独占時代と同様に
国鉄の公共性というものが強く前面に打ち出されまして、これを国の
財政援助を引き出すためのいわば一種の大義名分として使ってきたと、こういうような傾向があったように思います。したがいまして、公共性を見直したらどうか、こういうような
意見はもちろん当時は余り聞かれませんでしたが、あるいは今日でも多分にこれははばかる
言葉だ、いわば一種のタブー視されているような
言葉だと思います。一般論といたしまして、公共性と独占性というものは非常に密接な
関係にある、いわばうらはらの
関係にあると考えられます。したがいまして、かつてのような
鉄道独占時代に
国鉄の公共性を見直せ、こういうようなことを言ったところが、これはもちろん全く世間に通用しない
意見だったと思います。しかし、今日ではもちろん
国鉄全体としては非常に高度の公共性を持っておりますけれども、部分的には特定の地域とか、あるいは特定の輸送
目的などにつきましては、
鉄道よりももっと便利で経済的な輸送手段が幾らでもある時代となっているわけであります。そのようなところでは
鉄道の独占性が失われる。それと同時に、反射的に公共性の方もおのずからその重みを失ってきていると、こういうふうに見るべきだと思います。
私がこのような
意味で
国鉄の公共性を見直せと、余り皆さんにいい顔されないこういうことを強調いたしますのは、公共性というにしきの御旗を立てられてしまいますと、すべての
経営合理化がストップしてしまう、またそれを通そうとすると国の
財政援助が幾らあっても足りない、こういうことになろうかと思います。
そこで、私はこの問題について御理解をさらに深めるために、公共性にもコストがかかるものだということを御理解いただきたいと思います。
ローカル線の
赤字は乗客が少ないためだということは常識的にどなたでもわかっていることだと思いますが、たとえば百人定員の客車に大体六十人乗ってくれれば採算がとれると、こう見込まれているところに二十人しか乗ってくれない。そういう場合にはこの列車はまるで空気を運んでいるようなものだとよく言われておりますけれども、実はその空席は公共性を運んでいるのだ、こういうふうに見るべきだと思います。その空席にもまあ乗客と若干の差はありますけれども余り変わらないコストがかかっている。この問題が
国鉄の
財政問題と関連する点は、この公共性を運ぶためのコストを一体だれがどのような形で
負担するか、また一方において
経営合理化、つまり
国鉄全体のコストを節減するためにコスト
負担者のいないこの公共性の輸送をどんな形でどこまで切り捨てられるか、この
二つの問題に何らかのけじめをつけてかからない限り、
国鉄財政の
再建という問題の本質的な前進はとうてい期待できない、こう私は考えます。
まあ、以上のことを
前提といたしまして今回の
再建計画の基本構想を見ますと、まず第一に、基本姿勢として縮小再生産の方向を打ち出している。それを
前提として三十五万人
体制を目標とする徹底的な減量
経営に踏み切ろうとしている。
第二番目に、
財政基盤の構造的欠陥にメスを入れる。
国鉄の
経営努力の及ばない
分野、いわゆる構造的欠損は
政府の責任において処理しよう、こういうふうなことが明確に打ち出されている。まあ言いかえれば
国鉄の
努力の
分野と
政府のやるべきこととをここで一応けじめをつけた、この点であります。
第三に公共性の見直し、こういう点では、内部的には
利用者の少ない貨物取扱駅を廃止するとか、効率の低い貨物列車の打ち切りをするとか、乗客の少ない旅客列車を間引きするとか、細かい問題もいろいろ考えておるようでありますが、特に多年の懸案であった
地方交通線に対して積極的に取り組む姿勢が織り込まれている、この点であります。全体を通して、これまでと全く変わったひとつ積極的な
再建意欲が見られるというのが、私がこの
法案に賛成する理由でございます。
しかし、その反面、今回の
再建計画の基本構想の中には、いまいろいろ指摘いたしましたようにかなり画期的な問題が含まれている。
利用者及び
国民一般に与える影響というものは非常に大きいものがあろうかと予想されます。したがいまして、この
法案が通って具体策を決めて実行するに当たりましては、
国民一般の理解と協力を仰ぐために十分なPRと慎重な御配慮をお願いいたしたい。その点につきましてまだ
政府及び
国鉄御当局に対していろいろ要望したい点もございますが、時間がございませんのでここでは省略いたします。
以上でございます。