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参考人(
藤井治夫君)
藤井でございます。
最近、
総合安全保障という問題について語られることが多くなったわけでありますが、この
総合安全保障という
概念規定はきわめて多様なものであります。しかし、その中には非常に注目すべき新しい
考え方もあると私には思われます。
総合安保のとらえ方には大きく分けまして三つあるというふうに私は考えております。
一つは、
軍事的脅威に対する
抑止あるいは
対処を
対象としながら、それに対応する
手段が総合的であるべきことを主張するものであります。しかし、その
手段の
中心は
軍事力である。これは申し上げるまでもなく、一九三五年ごろ
ドイツのルーデンドルフが主張いたしましたトータルウォー、総力戦という
考え方に立つものであって、古くさくてかつ
時代おくれのものである、こういうふうに言うことができると思います。
第二は、
脅威というものはきわめて多様である。
国民の生活、生存に対しまして非常に多様な
脅威が生じてくる
可能性がある。そういうことで、資源問題あるいは災害さらに公害や
環境汚染、こういう問題すべてに対しましていかに
国民の安全を確保するか、当然にそれに対応する
手段も多様になるという
考え方がございます。しかし、その対応する
手段については
軍事力を
中心にし、他の
手段は補完的なものである。
第三に、第二とよく似ておるわけでありますけれども、
安全保障のための諸
手段の中で非
軍事的な
手段というものの
役割り、これが最近増大してきているということに着目している。そして、その非
軍事的手段を
中心にして、何よりも平和を維持することが最大の
安全保障である、こういう
考え方に立つものでありまして、これは
国連憲章あるいは
日本国憲法等に示されている、こういう
方向で安全を確保しよう。
三つございますが、やはり私は
安全保障の
根本は何よりも
有事を招いてはならないということであろうと思います。なぜそうかにつきましては、申し上げるまでもございませんが、第一に、
有事になれば
国民の
被害がきわめて大きい。
一般国民、さらに当然
自衛隊員の
被害が出るわけであります。これはかっての広島、長崎あるいは
沖繩、この戦禍に照らしてみましても今後の
有事におきましてはさらに大きな
被害が出ることが予想されるわけでありまして、むしろそういう
意味では、
国土戦あるいは
現代戦の苛烈さという点からいたしまして、どうしてもやはり
有事を招かないということが
安全保障の
根本でなければならないと私は思います。
それから第二に、
軍事力ではいろいろな問題について
根本的な解決というものは不可能である。
国際紛争の問題にいたしましても、また資源問題にいたしましても、
軍事力で解決することはできない
時代になってきております。したがって、非
軍事的手段による
安全保障を
中心にしていかなければならない、これが今日の特徴であろうと思います。
それから、
ソ連の
脅威についてよく語られますが、私は
ソ連の
脅威そのものについても科学的に検討しなければならないと思いますが、同時に、万一
ソ連との間に
有事が
発生したときのことを考えますと、
ソ連に対して
わが国が
軍事力で一体何ができるかということを考える必要があるだろうと思います。まず地理的な
条件、
日ソ間の距離、
日ソの面積、こういう点から考えましても、さらに
日ソの
軍事力の問題あるいは
日本及び
ソ連の社会的な
条件、また
国民性、こういう点から
判断いたしまして、やはり
軍事的な
手段によって
ソ連に対応していくという
考え方はきわめて危険なものである、こう言わなければならないと思います。かつて、
日米戦争に際しまして山本五十六
司令長官が
近衛総理の質問に対しまして、半年か一年の間はずいぶん暴れてごらんに入れると、こう申しましたが、いまや今日の
状況のもとで
ソ連に対して
軍事力でそういうことさえも全く不可能である、したがいまして、
対ソ政策につきましてはやはり非
軍事的手段を
主体としてやっていかなければならないであろう、こう私は考えております。
そして、
戦争というものはやはり国力、
軍事力、この力の優位を競うものであり、かつ、いざ
有事となりました場合は
相手はわが方の
弱点をついてくるものであるということを考えなければならない。
日米戦争におきましても
日本は
アメリカに
弱点をつかれた、この問題につきまして希望的な、主観的な
判断をすることはできないと私は考えます。そして、
日米安保体制の問題につきましても、やはり
日本の置かれている
立場と
条件というものをよく考慮し、その問題における
日米間の差があるということ、この点についてやはり認識する必要があるだろう。この点については申し上げるまでもなく、
日本は
アメリカと
ソ連という巨大な
軍事力の谷間にあるわけであり、かつ、
日本は
アメリカとの関係だけでは生存していくことができない、やはりあらゆる国々と
友好協力、共存することによってのみ生存していくことができるということ、こういう点をやはり考慮すべきであろうと思います。
それから、
軍事的手段による
日本の
防衛というものはきわめてむずかしいということ、まず第一に
日本の地理的な
条件。第二に
日本の
社会的条件、つまり都市が集中し、
原子力発電所やコンビナートが至るところに存在するという点。第三に
日本の
経済的条件、つまり
日本は
貿易立国であり、そして資源を諸外国に依存しているわけでありまして、こういう問題について
軍事力によって安全を確保していくということは不可能であります。
特に
海上輸送路の
防衛ということが叫ばれておりますけれども、しかし、この
海上輸送路の
防衛というのは
軍事力によっては不可能であるというふうに考えていいと思います。さらに、
海上輸送路の先にある港や海峡やパイプラインの
防衛、こういうことも
軍事力によってはとうてい完璧を期することはできないわけであります。さらに、
海上輸送路防衛のために使用される
軍事力がどうしてもやはり
基地を必要とすること、この
基地が
ソ連というものを
対象にした場合はきわめて脆弱である。したがいまして、
相手はまず
基地をたたき、それから
海上輸送路の破壊に出てくるものと考えなければならないわけであり、したがって、
海上輸送路の
防衛のみをやって
基地の
脆弱性を克服し得ないとすれば、これは結局
海上輸送路防衛そのものが全くむだになってしまう。
こういう
意味で、やはり
軍事の問題につきましては本当に科学的で合理的な分析と
判断が必要である。そういう
意味では
安全保障の問題につきましては、これはやはり何と申しましても
政治、国会において十分に御
議論をいただきたいし、そこで決定されなければならない。つまりシビリアンがこの
安全保障政策の
立案決定の
主体でなければならないと私は思います。
安全保障政策については、何よりもいま求められておりますのは発想の転換である、多様な
脅威に対して非
軍事的手段を
主体として対応していくということ、そういう
観点からいたしますと、
軍事的脅威そのものにつきましても非
軍事的手段によってその
脅威の
発生を阻止することができると申し上げていいと思います。
つまり、
戦争が起きるのはなぜかということを研究いたしますと、その
原因、
生起条件というのがはっきりいたします。何よりもやはり
国際紛争が存在するということ。この
国際紛争は、しかし
憲法が示しておりますように、あくまでも
平和的手段によって解決すべきであり、その努力を怠らないならば
戦争の
生起条件の
一つをなくすことができるわけであります。
第二に、
戦争というのは対立する二つの
国家群の間の
国民の中に、
相手に対する憎悪が高まった場合に
発生するものであると言うことができます。したがいまして、諸
国民の
相互理解というのが安全を確保する上で非常に重要な
手段である、こういうふうに言うことができると思います。
軍事力というのは、ある一時期、限定的に
戦争の
発生を食いとめることができた場合があることは否定しませんけれども、しかし、それはきわめて不安定なものであり、むしろ
軍事力の保有あるいは
増強は
軍備競争を招き、憎しみを増大させ、そして、結果としては多くの場合
戦争にまで発展しているということを見落としてはならないと思います。
したがいまして、
日本の
安全保障の
基本的な
手段というのはやはり
平和的手段あり、何よりも平和のために何をなすべきかという
議論を私
たちはしなければならないのではないか。そして、その
基本は
日本国憲法がはっきりと示していると思います。それは、
平和主義、
民主主義及び
基本的人権の
不可侵性、この三つの原則が単に
国内政治における
基本的な
原理でなければならないだけではなく、
日本の
対外政策の
基本でもなければならない、こういうふうに言うことができると思います。つまり、平和の維持が
対外政策の
基本であり、またこの地球上から専制と隷従を除去するということが第二の
基本でなければならないし、さらに欠乏からの自由、そういう
方向を推進し、そして
日本が
国際社会において名誉ある地位を占めることによって
日本の安全は完全に保障される、こういうふうに考えるべきでありましょう。したがって、そういう
意味で、
戦争生起の
条件、さらに要因をなくしていく積極的な
平和政策の展開こそ
日本の
安全保障政策の
基本でなければならない、こう考えているわけであります。そうして、平和的、非
軍事的な
手段の中には
貿易や
経済やあるいは文化の交流、こういういろいろな
手段があるわけであり、そういう問題について研究し、かつ、それを開発推進していくことが非常に大事である、こういうふうに考えております。
残念ながら、この
安全保障の問題につきましては非常に偏った一面的な
発言が近ごろは多くなっております。やはり何と申しましても
政治の場でこの
政策の
基本を定めることが大事である。
制服組の
方々は
国家安全保障の中の
軍事的な
役割りを担当いたしております。したがいまして、そのみずからの任務を遂行するために、どうしてもやはりいざというときに戦って勝つということ、その目的を追求するということが
基本になりがちであります。しかし、そういう狭義の
国防、こういう
観点でのみ
有事対処を
基本とする
安全保障の方針を樹立し、それを追求するだけでは
国民の安全は確保できないわけであり、そういう
意味で、ユニホームが実際に動かなくてもいいような、
有事にならないような
政治を進めていく、これが非常に大事であるということを申し上げておきたいと思います。
以上でございます。